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大山倍達マニアック検定

「空手バカ一代」の元ネタ 6(KCコミック第5巻より)

JUGEMテーマ:空手
 

 さて、結構久々、「空手バカ一代」の元ネタを探すシリーズですね。 今回、第5巻はトッド若松の陰謀からグレート東郷までのお話になります。 表紙は東谷巧先生ですかね。

KC空手バカ一代5_.jpg

 ではまず本編から。 あ、本編で「倍達」と書けば登場人物としての「大山倍達」で、「大山総裁」と書いている場合は現実の大山倍達となります。 お間違え無い様にw
前回はコチラ






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「空手バカ一代」の元ネタ 5(KCコミック第4巻より)

JUGEMテーマ:空手
 


 今回は12月にアニメ「空手バカ一代」のBlu-rayが出るって事で、前祝いとして久々に「空手バカ一代」の元ネタをやろうかなと。
 新極真会の大会を見ながらなんで、ちょっと遅々として進まない気がしますが…w
 でも、アメリカ編は梶原一騎先生の創作が多いので、結構短い筈。 国内の話は元ネタが多いんですけどね。
 って事でKCコミック版の第4巻から元ネタを探る旅に出てみましょう。

KC空手バカ一代4.jpg

 あ、登場人物としての大山倍達総裁を書く時は、「倍達」と表記しますので、現実と混同されない様にw 呼び捨ての人は皆登場人物です。
 前回までのはコチラからどうぞ。






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影丸穣也「空手バカ一代」インタビュー(1998年〜2004年)

JUGEMテーマ:空手


 先日Twitterの方でも触れましたが、劇画「空手バカ一代」の第4部から作画を担当された、影丸穣也(旧名:譲也)先生が2012年4月5日に膵臓癌で亡くなられたそうです。

影丸穣也.jpg
影丸譲也

 そこで今回は追悼の意を込めて、影丸先生の「空手バカ一代」についてのインタビューを取り上げてみます。






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「少年マガジン」と「空手バカ一代」、そして極真空手の時代3 (1975〜1976年)

JUGEMテーマ:空手
 

 という事で、割と久々な企画です。  まぁ、要するに何をする企画というとですね、手持ち資料の中から当時の「週刊少年マガジン」を紹介し、当時の空気を味わってみましょうというお話です。
 
マガジン1975_1.jpg

 それでは、まずは1975年第17号から。






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「空手バカ一代」の元ネタ 4(KCコミック第3巻より)

JUGEMテーマ:空手
 

KC空手バカ一代3.jpg

 えー今回は梶原一騎先生原作、作画つのだじろう先生による劇画「空手バカ一代」第3巻の元ネタを探るというお話です。 本巻は大山倍達の転換期となる回ですね。 新しい出会いと別れ、そして絶望、空手の道の断念、新たなる闘いへの誘い、1つの巻でこれだけ詰まってます。

 という事で本編。 作中、"倍達"と書けばそれは「空手バカ一代」の大山倍達を指し、"大山総裁"は現実の大山倍達を指します。 混同しない様にw






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「空手バカ一代」の元ネタ 3(KCコミック第2巻より)

JUGEMテーマ:空手
 
 このシリーズは久々ですね。 劇画「空手バカ一代」の元ネタを探ろうという企画です。 今回はKCコミックスの第2巻から探ってみましょう。

本シリーズはコチラから。
 
 
KC空手バカ一代2.jpg

 この巻の冒頭は、全日本大会で優勝した大山倍達が、決勝戦で対戦した南波五段の控室を訪れる所から始まります。 ここで登場するのが後に倍達の押し掛け弟子となる、有明省吾です。 モデルになった人物は1958年頃に入門したという大山道場門下の春山一郎氏だと言われています。 実際、大山倍達総裁も、モデルは春山一郎だと発言しており、梶原一騎先生は「男の星座」で春山章という名前で登場させています。






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「少年マガジン」と「空手バカ一代」、そして極真空手の時代2 (1973年)

JUGEMテーマ:空手
   先日カポエラ映画”Only the strong”やアメリカン空手映画(というかテコンドー?)”BEST OF THE BEST”が無性に見たくなったので思わず海外発注してしまったLeoです。 この辺りは90年代ハリウッド格闘技映画の中でも名作だと思います。 昔近所のブロック・バスターというレンタルビデオ屋に置いてあった格闘技映画を見まくった過去があるのですが(多分3桁近く見ましたw)、結構アメリカのキックボクサーって映画出てますよね。 ”No Retreat No Surrender”とか「カラテ・キッド」とブルース・リーの影響受けまくりで、最後はデビュー間も無いバン・ダムとか悪役で出ますし(いきなりコーナーポストで開脚には笑いましたが)w 同じバン・ダムの映画”Steet Fighter”も酷かったなぁ…。 ベニー・ユキーデが脇役だったり、歌手のカイリ・ミノーグがキャミィだったりとか。 その内ちょっと気になってる「葉問」も見たいと思います。 サモハン・キンポーが出てるのはポイント高いですね。 ブルース・リーの師という事で、葉問(イップ・マン)はアメリカでも有名な方ですが、某武道具店では大山倍達総裁と共に葉問師のタペストリーが売られていたのを見た事があります。 フランスで割と近年に作られたらしいサバットの映画とか、またウィル・スミスの映画”Ali”とか見たくなって来ました。 特にソニー・リストン戦でのモハメッド・アリの動きとか完璧でしたしね。
 ところで、どなたか手から変なビーム(氣?)を発して牛を倒すシーンがあるB級格闘映画をご存じの方はいらっしゃいませんか? 中米に滞在した時に深夜途中から見た事がありまして、スペイン語なのでタイトルも分からず、長年気になっている映画なのですw
 
 と、言いたい事を言って本編に入ります。1日2回投稿とか勿体無いんですけどね、さくっと書けてしまいましたので、芦原英幸先生の記事に続いて投稿ですw 今回は前回の続きですね。 「少年マガジン」で掲載された「空手バカ一代」と極真空手のネタを紹介しようという企画です。 ここで取り上げた号以外にも特集記事があるとは思いますが、私も全部をカバーしている訳ではありませんので、ご容赦を。 まずは、前回掲載漏れのあった大山倍達総裁の特別寄稿「日本の空手は負けていない!」ですね。

マガジン72年29号.jpg
左の絵が大東徹源っぽい大山倍達総裁

 ご存じの方も多いかと思いますが、この時期は極真会館が組織的に伸び始めた時期です。 そして「空手チョップ」では無く「空手」そのものの認知度上げに貢献していたのですが、全日本空手道連盟(以下全空連)の世界大会で日本が敗北した結果、柔道に続いて空手もか、とメディアに叩かれてしまいました。 そこで大山総裁としては我々の空手と全空連の空手は別物であるという事をはっきりして起きたかったのでしょうね。 無論、そこにビジネス的な打算もあったのでしょうが、そういう事で以降数年間は全空連というか…主に会長の笹川良一氏との確執に入ります。 大山総裁は元々強気な人ですが、70年代の雑誌インタビューで更に強気に発言していたのはこの辺りにも事情がありそうです。
 ちなみにこの回の「空手バカ一代」は、タム・ライス初登場回です。

 次は73年の7号。 カラーページに「大山空手秘伝公開 大鍛錬」 と大山総裁の連載「輝く日本の星となれ!」が始まります。 表紙では「極真の道」というタイトルになっていますが、次8号ではそれを訂正するかの様に、「新連載 大山倍達 輝く日本の星となれ!」と表紙にありましたw

マガジン1973年7号1.jpg

 カラーページの内容は、海外でも話題になった極真の野外稽古ですね。 合宿時に行われる野外稽古は荒行として評判だった様で、国内でも「空手バカ一代」以前からメディアが取材に訪れています。 何か本文中でも樹上からの跳び蹴り訓練と言うのが載っていまして、10メートル以上の高さから跳び蹴りして下りるとか書いてますw 確かガンダムの身長が18メートルなので、コクピットから飛び降りるようなもんでしょうか。 あれ、お台場に見に行きましたけど、結構な高さですよ。 2階から飛び降りた事はありますが、せいぜい3メートルです。 この訓練も実際には3〜6メートル、2〜3階くらいの高さだったんじゃないかと思っていますw

マガジン1973年7号2.jpg

 さて、「輝く日本の星となれ!」ですが、大山総裁のサインが署名代わりとなっています。 この頃のサインは晩年と比較するとまだ固い感じがありますねぇ。 晩年はもう少し丸っこく大胆に文字を崩していると思います。

マガジン1973年7号3.jpg

 後に「私の空手道人生」として書籍化されたこの連載は、書籍版と少しだけ文章が違います。 触りだけ比較しますと…

連載時
 「空手バカ一代」の大山倍達です。
(中略)
 毎号の本誌で読むにつけ、…

「私の空手道人生」
 少年マガジンに連載中の「空手バカ一代」の大山倍達です。
(中略)
 同誌で毎号読むにつけ、…

 こんな感じですね。 更に読み込めばもっと差違が見付かると思いますが、流石にそこまではやりませんw
 しかし「あしたのジョー」はやっぱり名作ですね。 手元にあるのはとてもレアな雑誌版なので軽く読むにはちょっと向いていないんですw 文庫版でも買おうかな。
 そして今号での梶原一騎。
・愛と誠: 大賀誠、青葉台に転入
・あしたのジョー: ホセ・メンドーサとの対戦前、ジョーと葉子、控え室にて
・空手バカ一代: 由利辰郎との死闘、決着(扉絵のキャッチ「倍達 殺したり〜!!」は何かシュール)

 続いて、同年48号です。 今号で作画がつのだじろう先生から影丸譲也先生へと交代し、第4部の昭和武蔵編が始まります。 表紙では大山総裁が跳び蹴りしまくっていますw このコーヒーカップを持った女性、あべ静江さんですね。 この20年後に極真の機関誌「月刊パワー空手」で大山総裁と対談する事になるとは、誰も想像出来なかったであろう…w

マガジン1973年48号1.jpg

 で、アニメの「空手バカ一代」が始まった直後なので、あちこちでアピールしているのですが、ここでまさかの作画交代ですからね、梶原一騎先生もさぞ困った事でしょう。 何せアニメが10月3日放映開始で、この号が10月24日(首都圏)発売ですよ。 たった4話目、山籠もり回の直後に原作の絵がガラリと変わってしまう訳ですからねぇ…。

マガジン1973年48号4.jpg
単行本と同じ表紙

 今回の特集記事は2つ。 カラーページは「嵐へ挑戦! 昭和の武蔵 大山倍達」 そして巻末の方に「キミを強くする誌上特訓 大山空手 7大パワー」です。

マガジン1973年48号2.jpg

 とりあえずカラーページから解説。 扉絵は大山総裁の煉瓦割りとセシル・クック氏が描いた「大山倍達VSゴリラ」。 以前某氏に戴いた「近代カラテ」の1966年の記事では別に大山総裁とゴリラが闘ったという話は無いのですが、このゴリラ自体は実在するんですよね。 カトゥンガという雌ゴリラの子だと文中にあるのですが、彼女には子供が何体かいますので、その内の1体という可能性が捨てきれませんw まぁ、こういうのはのんびり調べるのが楽しいのですがね。

マガジン1973年48号3.jpg

 他には…そうですね、大山総裁の年譜が載っていましたが、1950年の所にはGHQのボディガードになると書いてありました。

マガジン1973年48号5.jpg

 巻末の「大山空手 7大パワー」は要するに護身術講座です。 何で7大パワーかと言うと、7種類のシチュエーションに対応した技術を紹介しているからですね。 肩を極めながらの大外刈りで投げる技等、少々危ない技術なんかも載っています。
 今号の梶原一騎。
・空手バカ一代: 昭和武蔵編突入、謎の道場破り集団まで
・紅の挑戦者: スパイダー黒江戦。 オーバー・ヘッド・キックを防がれるも、フェイントを入れて大逆転
・愛と誠: 高原由紀の正体判明
・愛と誠: 主題歌オーディションの募集

おまけ。 74年の「少年マガジン」はあまり持っていませんが、表紙買いした号が手元にありますので、これを掲載します。 74年の21号、ブルース・リー特集号ですね。 でも…表紙メインが極真の組手シーンで、主役な筈のブルース・リーはちょっと見切れてますw これがこの時点における力関係の差なのか…。

マガジン1974年21号1.jpg

 まだ「燃えよドラゴン」「ドラゴン危機一発」しか上映されていなかったみたいですね。 「怒りの鉄拳」が近日上映予定となっている模様。 まぁでも日本で偶然連動してしまった2つの打撃系格闘技は、互いに信憑性を高め合ったんじゃないでしょうか。

マガジン1974年21号2.jpg

 今号の梶原一騎(つのだ先生も併せて紹介)。
・愛と誠: 座王権太、恋に狂って鯉を殺す
・空手バカ一代: 大山道場修繕中。 万福軒で太極拳士と中村忠以下門下生が遭遇
・紅の挑戦者: 帝王ガルーダ、タイトルマッチを観戦しに来日
・うしろの百太郎: ワッコ、後心霊科学超能力開発研究所で自分の超能力を確信する


 という事で「空手バカ一代」ネタは久々ですね。 最近Gyao!で韓国から見た大山倍達伝、映画「風のファイター」を配信しているみたいですが、あの映画は反日思想が割と出ていてあまり好きじゃありませんw 韓国オリジナル版を見たせいでしょうけど、より日本人を悪役に仕立ててるんですよね。 ちなみに本来3部作の予定だった同映画は遺族の抗議により、1作のみで終わってしまったという経緯があります。 理由は多分…大山総裁が打ちのめされる描写が酷かったからでしょうね。 アクションは面白いんですけどねぇ、終戦直後の池袋のセットがしょぼくてしょぼくてw 同じ韓国映画でも「力道山」の方がずっと面白かったですねぇ。  あぁ、でも韓国版の特装版は道着に「極眞會」の意匠があるんだよなぁ、日本の特装版は「風のファイター」なのに。 あれだけは羨ましいですw
 それでは、また。

参考文献:
近代カラテ 1966年8月号 近代カラテ研究所 1966年
週刊少年マガジン 1972年29号 講談社 1972年
週刊少年マガジン 1973年7号 講談社 1973年
週刊少年マガジン 1973年8号 講談社 1973年
私の空手道人生 大山倍達著 講談社 1973年
週刊少年マガジン 1973年48号 講談社 1973年
週刊少年マガジン 1974年21号 講談社 1974年






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「少年マガジン」と「空手バカ一代」、そして極真空手の時代 (1971年〜1972年)

JUGEMテーマ:空手
 2/10よりGyaO!でアニメ版「空手バカ一代」の無料配信(PCのみ)が始まりましたので、何となく便乗してみますw

空手バカ一代ポスター.jpg

 現在配信中の話は以下の3話です。 (視聴はこちら
第1話 焼け跡に空手は唸った
第2話 悲しい用心棒
第3話 正義と力の空手道
 こちらは2/23まで配信される様ですね。 で、2/17より次の3話が配信されます。
第4話 天狗と少年
第5話 新しい出発
第6話 爆発した野生
 まだ見た事無い方、久々に見ようという方、如何でしょうか?
 そうそう余談ですが、「空手バカ一代」より先に「虹をよぶ拳」のアニメ化が決まっていたんですよね。 1970年8月頃の話ですが。
 で、翌71年より「空手バカ一代」の漫画が始まり、73年の10月からこちらがアニメ放映されちゃったんですが…立ち消えになったんでしょうかね? でも、「空手バカ一代」のエンディングテーマ、山崎照朝先生が歌う「空手道 おとこ道」にこの様な歌詞があります。

己れと敵とに 虹かけて
虹よぶ拳が 空手道

空手バカ一代レコード.jpg

 個人的にはこれは「虹をよぶ拳」アニメ化の名残じゃないかなーと思っています。

 という事で本編です。 今回は画像が多いですね。 あ、ブログが重かったりするのはJUGEMブログの問題であって、画像のせいではありませんよ?
 1971年の22号から始まった原作梶原一騎、画つのだじろうの「虹をよぶ拳」コンビが満を持して放った大山倍達伝「空手バカ一代」は徐々に人気を上げて行きます。 大山倍達総裁自身は、連載以前から「少年マガジン」に何度か登場しているのですが(連載前年の70年にも記事があります)、改めて漫画化という事で、この時期の「空手バカ一代」には、

大山倍達は実在する!! その半生を、凄絶に描いた快作!
大山倍達 死闘の半生をエネルギッシュに描く 空手ノンフィクション!

 なんて煽りもありました。 UFOかよ! と思わずツッコミを入れたくなりますねw
 そして連載開始から約5ヶ月後…手持ちの資料では連載開始後最初のグラビアですが、71年47号に「最強! 大山空手の秘密」という巻頭特集が組まれる事になります。 この頃は「極真空手」の認知度が低く、「大山空手」の方が有名だったんですね。

マガジン197147_1.jpg

 ちなみにこの頃の梶原一騎先生の仕事っぷりは…
「あしたのジョー」-矢吹丈祝賀パーティ
「タイガーマスク」-悪役ワールド・リーグ戦優勝
「空手バカ一代」 -ピストン堀口とスパー
 となってます。
 おおっと、脱線しまくってますね。 グラビア特集の方は梶原先生が文章を書いています。 確かに言い回しは梶原先生です。

 「空手を、東洋古来の一撃必殺の秘術などとへんに神秘的にかんがえることは、真の空手の進歩にとって敵だ!」
 大山倍達八段は、つねづね力説する。
 「空手とは、サイエンティフィック(科学的)そのものであり、ひたすらスピードとタイミングのみによって成立する。 そして、その極意をきわめれば、まぎれもなく地上最強の格闘技である!」
 この”地上最強”は、口先だけではないーズバリ、みずからの身をもって、大山八段は証明してのけている!

マガジン197147_2.jpg

 面白いのは梶原先生の創作だと思いますが、元ボクシング世界ヘビー級王者ジャック・デンプシーとの話ですね。 秤の様な目盛りの付いた「打撃ショック・メーター」なる物を大山総裁とデンプシーが叩き合い、デンプシーの打撃力は総裁の2/3でしかなかったと書いてあるところでしょうかw
 そして梶原先生、ノリノリで筆も冴え渡ります。

 …もっとも感銘が深かったのは、支部長たちのつぎのことばだ。
 「マス・オオヤマ先生は口べただ。 しかし、われわれは”見た”のだ。」
 つまりーかれらアメリカ人にとって強者の代名詞であるレスラー、ボクサーを、あっという間にKOした大山空手を! 親指と人さし指だけでコインをまっぷたつに折りまげる超人技を! ビール、ウイスキー、コーラなどのビンを手刀で一刀両断する神技を!
 見た……見てしまったからには、ついていくしかない、どこまでも……そんなひびきが、いずれも各界一流の紳士である支部長たちの口ぶりには感じられた。
 筆者自身も見た。
 すでに五十歳をこえた大山八段が、まだ、アメリカのでっかい白人や黒人の弟子たちを、ころころ子供あつかいに手玉にとってコーチするのを!

マガジン197147_3.jpg

 何となくですが、梶原先生リスペクトの漫画家・板垣恵介先生を思い出しますw
 最後はこの文で締めましょうか。

 「人間は知識の世界では、けっして超人になれない。 アインシュタイン博士だって、かれが理解できることは人類がもつ無限の知識のほんの一部にすぎない。 しかし、体力の世界でなら超人になれる。 ようするに世界一強ければいい。 わたしには、自分が全人類最強だと確信できた時期があった!」
 と、しみじみ大山八段は語る。
 「だが残念なのは、さらに動物界でも最強になりそこねたことだ。 わたしは、闘牛用の猛牛も一撃で倒したが、つぎにクマに挑戦したとき危険すぎると警察に中止されなかったら、さらに、トラ、ライオンにも挑戦していたろう。 やつらにも勝てる境地が、空手には絶対あると信じるのも、やはり空手バカなのかな?」
 そんなことをいう、この生きている超人を見ていると……たしかに大山空手は、もったいぶった神秘主義をさらう、科学的で現実的な空手である。
 しかし、反面、すばらしく夢にあふれたロマンチックな空手でもあると思う。
 超人よ、この万事こじんまりと平均化された時代に、いつまでも健在であれ!

***

 次は前回の巻頭グラビアから約2ヶ月後の72年5号に「戦慄の一撃 大神技」という巻頭グラビアが載り、表紙を大山茂先生の氷割りが飾ります。

マガジン197205_1.jpg

 この号で私が興味を惹かれたのは76年の映画、「地上最強のカラテ」で使われた映像がこの時点で既にあった、という事でしょうか。

マガジン197205_2.jpg

 ちなみに極真会館が大きく発展した70年代は、メディア的には以下の流れで大きくなっています。
1971年
「空手バカ一代(漫画/大山倍達)」
1973年
「空手バカ一代(アニメ/飛鳥拳)」
1974年
「ブルース・リー映画(他空手映画含む)」
1975年
「空手バカ一代(漫画/芦原英幸)」
1976年
「地上最強のカラテ1,2(映画)」
1978年
「四角いジャングル(漫画/映画)」
1980年
「最強最後のカラテ(映画)」

 まぁ、その間にもテレビに出てたりとか、キックボクシングもブームを支えた要因ではあるんですが、主な流れはこの様な感じでしょう。

マガジン197205_3.jpg

 あ、この頃の梶原先生の活躍振りを書いてませんでしたね。
「あしたのジョー」 -金竜飛との東洋タイトルマッチ当日
「空手バカ一代」 -第2部無限血闘編開始

マガジン197205_4.jpg

 そう言えば、真樹日佐夫先生原作の「ワル」も順調に話を進めてます。

***

 最後は72年46号の「トリプル大企画 無敵! これが大山空手の神髄だ」です。 これは「空手バカ一代」本編と2つの特集記事で構成されています。 巻頭グラビアは「空手秘伝公開 大特訓」、そして巻末には「ここがちがう! 闘う大山空手」。 表紙からして大山総裁の正拳突きですから、めっちゃ気合いの入った企画ですね。

マガジン197246_1.jpg

 グラビアには佐藤勝昭、三浦美幸、東谷巧、ハワード・コリンズといった当時本部にいた強豪も写っています。 コリンズ先生の有名な2本指逆立ちとか、勝昭先生と大山総裁の組手など、見所満点ですね。

マガジン197246_3.jpg

 でも、この頃の総裁はもう膝が駄目になっており、蹴りのフォームが崩れています。 この何年か後でも開脚は普通にされていましたから、やっぱり膝が上げられなくなったんでしょうね。

マガジン197246_2.jpg

 さて、巻末特集の方は「ここがちがう! 闘う大山空手」というタイトルで、極真空手について色々書いてあります。

マガジン197246_5.jpg

 円運動の優位性と型試合の批判、稽古の重要性、試し割り、威力の証明、世界に広がる大山空手、武勇伝といったところが主題ですかね。  以外に思われるかも知れませんが、「寸止め」試合の批判はしてませんw ただウチは当てますよって話があるだけで、駄目とも何とも書いていないです。 あぁ、でも闘わない道場の先生をチクリと批判はしてますかね。
 それではいくつか引用してみましょうか。

 「”大山空手”は一に力、二に早さ、三に技だ。 どんなに早くても力がないと、ハエのけんかになり、また、どんなに強くてもスピードがないと、相撲になってしまう。」
(中略)
 また、大山空手では、かわらやレンガを割る「試し割り」を試合に入れるが、他流では入れない。
 「試し割りの表面だけ見て、これをショーだなどと軽べつするのはまちがっている。 試し割りは、組み手とともに空手の実力を測るバロメーターである。
 技の応用力を見るのが組み手だとすれば、技の力そのものを見るのが試し割りである。」
 と大山八段はいいきる。
 それからもう一つ、「型」の問題がある。 日本の武道の基本は型であり、その点、大山空手も他流の空手も変わりはないが、各流派それぞれに、型の種類も違うし、解釈のしかたも違う。
 だから、試合で型の演技をおこなうことは無意味だ、と大山空手は主張している。
 それに、武道であり、闘技空手が、おどりのような型の見せっこに終わっては、それこそショー、見せ物になってしまう。
(中略)
 こうして、実戦本意の大山空手は海外では盛んだが、国内では依然として、連盟の諸流派と並行線をたどっていて、 対抗試合が行われない現状なのだ。 これでは世界選手権に送り出す真の日本代表は決められないと思うのだが・・・。

 敢えて解説はしませんw それでは、梶原先生の連載状況を見てみましょうか。
「あしたのジョー」 -ハリマオ戦直前のゴロマキ権藤との殴り合い。
「空手バカ一代」 -木村政彦との出会い。

マガジン197246_4.jpg

 そう言えばこの号ではもう通信教育の「マス大山空手スクール」の広告が載っていますね。 他にも第4回全日本大会の割引などw それから「空手バカ一代」の単行本が載っていました。

マス大山空手スクール1.jpg

***

おまけ。
 前にコメント欄で質問のあった、富樫宜資先生が「少年マガジン」に出たのはいつか? という件ですが、今日手持ちの雑誌を見ていたら極真に挑戦状を送った回の「少年マガジン」がありましたw 1977年の21号ですね。 4月末発売だと思います。


 という事で、今回はここまでです。 こうやって見ると当時の「少年マガジン」の中でも人気のコンテンツだった事が分かりますね。
↓以下、独り言w
 たまに「空手バカ一代」なんて全部嘘だ! とか言う方を見ますが、野暮だなーと思ったりしますw もう少し心にゆとりを持つというか、普通に楽しめば良いのにねぇ。 特に一知半解な方々のご高説など、聞いてて色々辛くなりますw
 私なんかは単純に切り捨てるよりも元のエピソードとか探す方がずっと面白いと思いますけどね。 …元ネタが全く存在しないエピソードなんかもありますがw
 清濁併せ呑んでこそ、面白い物が見えてくると思うんですよね。
 ネットが広がって一番感じるのは、極論タイプの人が増えたなーという事ですかね。 物事の見方にバイアスが掛かっていて、「見たい物しか見ない」人たちが増えたと。 で、そういう人たちが結果的にどうするかというと、正しいかどうか分からない推論を事実にまで押し上げちゃうんですね。 推論を断定し、事実としてしまう。
 資料は人より沢山持っているとは思いますが、私とて何でも持っている訳ではありませんので、記述の誤りなんかもある訳です(失念してたりとかもありましたしw)。
 ですが社会学専攻だったせいなのかも知れませんが、私には自分の調べていない範囲であったり、調査が足りないと思っている部分に対してそんな断言出来るほどの器量はございませんw
↑以上、独り言w

 当ブログでは、今後も出来る範囲内で偏りの少ない記事を書いて行こうと思いますので、誤りがありましたらご指摘下さい。
 という事で自戒の意味を込めて、ニクソン政権の大統領補佐官だった方の言葉を引用して今回は終了します。

 「誰でも自分なりの意見を持つ権利がある。 だが自分なりの事実があってはならない」
ダニエル・パトリック・モイニハン

 それでは、またw
 

参考文献:
現代カラテ 1970年9月号 現代カラテ研究所 1970年
週刊少年マガジン 1971年22号 講談社 1971年
週刊少年マガジン 1971年47号 講談社 1971年
週刊少年マガジン 1972年5号 講談社 1972年
週刊少年マガジン 1972年46号 講談社 1972年
週刊少年マガジン 1977年21号 講談社 1977年
ニューズウィーク日本版 2010 12・5  阪急コミュニケーションズ 2010年

参考リンク:
空手バカ一代 無料動画 GyaO! (2011/02/13)

 






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「空手バカ一代」の元ネタ 2-2(KCコミック第1巻より)

JUGEMテーマ:空手
 さて、前回の続きです。
 昨日は完全オフにしようと思っていたのですが、ちょっと長谷川一幸(巨気)先生のDVD映像特典に入っている第2回全日本の映像を見てしまい、ついでに一部で第1回全日本の映像と言われている8ミリ(実際には第2回の映像と思われる。 というのも特典映像と違う角度で撮影されているが、佐藤勝昭先生や富樫宜資先生らしい人物が写っている)、真樹日佐夫先生原作の「すてごろ」等々色々見てしまい、あんまりオフにならなかった気がしますw
 レア映像もその内紹介したいですね。

本シリーズはコチラから。
 
 
KC空手バカ一代1.jpg

 そうそう、本編を始める前に一言。 前回、「宮本武蔵」の本について話をしましたが、その後「世界ケンカ旅行」を読んでいたら、「全8巻」と書いてあったので、戦前に出版された大日本雄辯會講談社版を読んでいたと思います。

 大山倍達が山籠もりを開始したのは「空手バカ一代」では1946年の秋頃となっていますが、現在残されている山籠もりの際に付けていた稽古日誌では、47年4月が一番古い日付の様です。

清澄山山籠もり.jpg
稽古日誌

 1956年に山口剛玄先生と共にインタビューを受けた時の物を抜粋してみます(「東京毎夕新聞」 1956年4/30)。

大山倍達山口剛玄インタビュー.jpg

大山 初めて山へ入つたのは昭和二十二年七月です。 戰後、ある事件を起こしてしまいましてねぇ。 それがだんだん大きくなつてしまつたものだから、あつちこつち逃げ歩いたんです。 そのとき、曹寧柱先生(原文ママ)と知り合つたのですが、曹先生に、
 「山に入つて、落着いた方がいいだろう」
 といわれたので、その気になつて、田中清源氏(原文ママ)の世話で天城山に入つたのです。 でもこのときは半年ぐらいで下りて来てしまいました。ハツキリいえばCIDとMPに追い回されたので山の中に逃げ込んだんです。
(中略)
 その後、どうせ空手をやるなら、日本一になつてやろうと決心して、日蓮上人が悟りを開いた千葉県の清澄山に入つたんです。 そのときは、裾から二舛阿蕕い了海涼罎望屋を作りまして、八代という弟子と二人で入つたんです。
(中略)
大山 山に入るときは丸坊主になつて、髪と修業と競争するつもりだつたんですが、やはり町に行きたくて、どうしようもなかつた。
(中略)
…それで、また心を振るい立たせて眉毛を片方ずつ剃つて、町へ出られないようにしたんです。 眉毛は伸びが遅いですからね…一日五時間ぐらい稽古したんです。 そのうち、町の子供たちが「天狗がいる」といって見に来ましたよ。

 どうでしょうか。「空手バカ一代」のエピソードが含まれてますね。
 元々、眉を剃ったのは文中では省略していますが、椎柱先生に手紙を書いて苦悩を吐露した所、進められて眉を剃ったという事です。 これは戦前、剛柔流の山口剛玄先生が山籠もりの際にやった事ですので、それを沈萓犬伝えたのでしょう。

 「大山倍達正伝」を曲解して「大山倍達は山籠もりをしなかった」と言っている人も居るようですが、正確には「長期間では無く、何度も山籠もりを繰り返した」というのが真相でしょう。 籠もったのは清澄山の他に、身延山、七面山、天城山、三峯山の様です。
 ちなみに妻の智弥子夫人は当時の苦労話を「わが夫、大山倍達」という対談本で実にほのぼのと語っており、山籠もりについてはこの様に語っています。

ー総裁が清澄山に籠もられたのはその頃ですね。
智弥子 そうですね。 一度だけ山に訪ねて行ったことがあるんですよ。 でも、追い返されちゃいました。

 また、智弥子夫人は眉を剃り落とした大山総裁が下山して来た時もばったり出くわしています。

空バカ眉剃り.jpg

ー眉毛剃ったのは見たことありますか。
智弥子 ありますよ。
(中略)
それを私に見られた。 自分で決めたことを総裁自身が破った。 それで自分の弱さに気づいたんだと思います。 それで両方の眉毛を剃りましたね。 最初は鉢巻きして隠してたからわからなかったんですよね。 それで気づいた時にはおかしかったけど、でも笑っちゃいけないでしょ。

 他にも「大山名人」が山籠もりをしていたという証言を元に、清澄山で修業していた場所を探し回った真崎明氏とメディアエイトの前田達雄社長が、修業時に残したと思われる鍋や瓶を発見しています(尤も、本当に総裁が使っていた物なのかは不明)。

清澄山遺品.jpg
清澄山で発掘された物

 途中下山して奉納相撲に出場する話ですが、かつて大山総裁がお世話になった辻兼一という先生のご子息、正弘氏が以下の様に語っています。

空バカ奉納相撲.jpg

大山さんと秋祭りに行った時の事です。 場所は今の長良川小学校なんですけど、そこに土俵があって、相撲大会が行われていたんですね。
 すると大山さんは「一丁、出てみるか」と言って、まわしを着け、土俵に上がるや、どんどん相手を投げ飛ばしてしまうわけです。 大山さんは韓国の方なんで相撲の技は知りませんが、力ずくで相手を倒してしまう。 そして、地元の力自慢で有名な人にも勝ってしまった。 ものすごく強かったです。
 その相撲大会の主催者は『相撲の知らない男がなんであんなに強いんだ!』と驚いていました。 そして優勝した大山さんは米俵を一俵、懸賞でもらい、家にプレゼントとして持って帰りました。 それが大山さんが強かったという唯一の思い出です。

 そして、下山。 大山倍達が電信柱を叩き、雀が落下するというシーンがあります。 これは関西テレビの番組「明日ハレルヤ」で大山総裁自身が語ったところによれば、こうでした。

あれ、漫画ではね、雀が落ちてるんだけども、雀は落ちやしないよ。(スタジオ内爆笑) しかし瞬間ねぇ、瞬間、あの〜飛べないんだね。 瞬間びっくりして。そして手で叩いたその跡がねぇ、そのまま残って。

空バカ電柱.jpg

***

 下山後、大山倍達は空手の全日本大会が開かれる事を知り、飛び入り参加をする訳ですが、この時の記事は47年の「京都新聞」(1947年9/28)が唯一と思われます。 GHQが武道禁止令があったので、この大会が嘘だという人もいますが、圓心倶楽部主催による体育大会があったのは事実であり、そこで空手や柔道が披露されたのも事実です。

京都新聞昭和22年9月.jpg
体育大会を伝える京都新聞の記事

 これは不確かな情報なのですが、空手に関しては沖縄の武技だという事で、他の武術を尻目に解禁されていたという話も聞いた事があります。 実際、東大空手部は戦後一度廃部になって、1947年に復活していますし、早稲田の空手部の場合は大浜信泉という先生が文部省とGHQに交渉し、廃部にすらならなかったという話ですから、ルーズなところもあったのだと思います。

 さて、この大会の証言者を紹介してみます。 最初は大山総裁の師、椎柱先生です。 沈萓犬和膸柿躡曚鯊膕颪望靴い芯ニ椰佑如△海梁膕颪任録拡修發笋辰燭箸了。

 当時はまだ山口先生は大陸から引き揚げる前で、私も審判などをやったんだが、大山は試合に出た。 空手の試合は大山の他に2、3組がやっただけで、全員が試合をしたわけではないよ。
(中略)
空手では、他の奴は型や、瓦の試し割りをやったりした。
 この時の組手では、防具も少し着けたんじゃないかな。 たしか、銃剣術の防具(胴)と剣道の面を着けてやった。 スネ当てはなかったので、足掛け(下段蹴り)はなかった。 大山の相手は鹿児島出身で、警察上がりの男だったな。その頃はまだ大山も後年ほどには太くなかったが、相手の男も似たり寄ったりの体格だった。 どんどん攻めていったので、誰が見ても大山の勝ちだったよ。 奴も嬉しかったようで、すぐに館山へ電報を打っていたな。

 もう一人は、後に本部直轄大阪道場の責任者となる、岩村博文先生です。 当時柔道を学んでいた岩村先生は、この大会を見に行き、大山総裁と出会いました。 以下引用。

空バカ全日本.jpg

 「戦後とはいえ、それでも観衆は1000人ぐらいはいましたですかね。
 大山先生がいきなり、ノッソリと会場に現れたときは、みんなびっくりしましたですね。
 大山先生を扱った映画にも、また劇画にもありましたでしょう。 まさにあのとおりで、それは凄いものでしたよ。 会場からは溜息が頻繁に聞こえました。 風貌は、大山先生からもお聞きになったと思いますが、二目と見られませんでした。 まず、なんといっても目の輝きが凄かったですね。 それで、全身からは殺気が漂っていたんです。
 組手など、当時私には空手のことはよくわかりませんでしたが、先生と、他の選手たちとでは比べものにならなかったですね。 スピードや迫力の点で、他を寄せつけないといった感じでしたから……。
 ほとんどの選手が、立ち会いの時点で負けていました。 てんで勝負にならなかったですね。三つ、呼吸をしているあいだに、勝負は決していたようです。 1で構えて、2で空いての攻撃を受けて、そして3でこちらの攻撃を入れる。 このパターンでしたね、どの試合も。
 先生は体格的に見て、当時としては大きいほうでしたが、試合に出るほとんどの選手もわりと大きな身体をしていました。 ですから、体格的な問題ということもないでしょう。 私なんかのような素人目にも、力の差、技の差がはっきりと見て取れました。

 どちらが正しいのか、それともどちらも正しいのか、それは分かりません。 個人的な意見で言えばですが、岩村先生の見た光景は、約束組手の演武では無かったかと思います。 試合と試し割りと、それから演武組手をやったんじゃないでしょうか。 試し割りで瓦17枚割りを達成した件については、これを語る関係者もおらず不明。 しかし、演武で門下生が15枚や20枚の瓦を割っている事から推察すると、出来たであろうと思います。 そうそう瓦と言っても、今流通している様な試し割り用の瓦ではありませんよ。

 最後になりますが、本部に1947年と銘打たれたトロフィーがあるので、最優秀賞の様な形で表彰されたのかも知れません。

全日本トロフィー.jpg
トロフィーと共に


 如何でしたでしょうか?  このシリーズはバラバラに展開する予定ですので、次回は何巻に手を付けようか悩むところです。
 解説は…特に無いですかね。 今週は平日に1度くらい更新したいものですw
 それでは、また。

追記:
「京都新聞」の掲載を忘れていたので、追加しました。
 最も→尤もに訂正しました。

参考文献:
京都新聞 1947年
東京毎夕新聞 1956年
剛柔の息吹 山口剛玄著 栄光出版社 1966年
世界ケンカ旅行 大山倍達著 河出書房 1968年
KCコミックス 空手バカ一代 第1巻 原作:梶原一騎 漫画:つのだじろう 講談社 1972年
続・ケンカカラテ わが青春の修練秘録 大山倍達著 スポーツニッポン新聞社出版局 1974年
空手道 「大学OB 青春時代を語る」 創造 1977年
月刊パワー空手 1984年2月号 「武道カラテに捧げる生涯 大山倍達の足跡」 パワー空手出版社 1984年
武道空手 1989年9月号 「山籠り」 成美堂出版 1989年
紙のプロレス公式読本 大山倍達とは何か?  ワニマガジン社 1995年
月刊空手道 1995年10月号 「椎柱氏インタビュー<後編>」 福晶堂 1995年
わが夫、大山倍達 大山智弥子著 ベースボールマガジン社 1995年
ワールド空手 1997年5月号 「大山倍達伝説への旅」 ぴいぷる社 1997年
最強最後の大山倍達読本 ゴング格闘技編 日本スポーツ出版社 1997年
月刊大山倍達 創刊号 2004年
月刊大山倍達 第弐号 2004年
大山倍達正伝 小島一志、塚本佳子著 新潮社 2006年
 
参考映像:
「明日ハレルヤ」 関西テレビ 1990年


 






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「空手バカ一代」の元ネタ 2-1(KCコミック第1巻より)

 JUGEMテーマ:空手
 最近「空手バカ一代」ネタが続いていますが、今回はKCコミックの第1巻より元ネタを探してみたいと思います。 …何かそろそろ「夢がねぇ!」とかお叱り受けそう…。

本シリーズはコチラから。
 
 
KC空手バカ一代1.jpg

空手バカ一代第1話.jpg
ちなみに連載開始時と同じ絵を使っている

まずはニューヨークはスパニッシュ・ハーレムでの出来事から。

空バカ1_1.jpg

 これは1968年に出版された「世界ケンカ旅行」にある、マージョリ・ドースンの弟、トミーが女絡みのトラブルで巻き込まれたところを、大山倍達が救出に行くというエピソードを漫画化したものです。 無論、こんな個人的な話に証拠がある訳が無く、真偽は不明。 しかし実は「呼び出された」、「刃物で斬りかかって来る」、「左太腿を切られた」というシチュエーションは別のエピソードで見る事が出来ます。 以下は「大山倍達 炎のカラテ人生」より抜粋。

呼び出しを受け、組の事務所の二階で話をしているところを日本刀で切りつけられたのであるが、殺気を感じた大山倍達は《一太刀目をかわして、三人を叩いてから二階から飛び降りて逃げた》という。 電車に飛び乗って周囲の視線を浴び、初めて自分が疵を負っていることを知った。 八針を縫い五本の指がすっぽり入るほどの重傷だった。

 話の詳細は「小説大山倍達 風と拳 修行篇」にも出ていますが、状況の類似性から鑑みる限り国内での話を「世界ケンカ旅行」を書く際にアメリカでのエピソードとしたのでは無いでしょうか。 好意的に解釈するなら、「世界ケンカ旅行」が出版された68年当時は相手に迷惑が掛かる、もしくは話を繋げる為に改変したと言う事かも知れません。 ちなみに、「少年キング」では、同じエピソードをこんな風に描いていました。

キング1968.jpg
「少年キング」版

***

 続いて、アメリカでの「牛殺し」。

空バカ1_2.jpg

 こちらに関してはまだ直接的な証拠というのを見付けていません。 「空手バカ一代」に載った話の元ネタ自体は、やはり「世界ケンカ旅行」にあります。 2度目の遠征、1953年頃に一般公開前の非公開テストマッチとして牛と闘ったという話で、実際にはコミスキー・パークに人を入れて公開したという事ではありませんでした。
 当時の新聞が見付かっていない、という事で嘘なのかと言われればそうだとは言い難く、現在私が知っている限りでは2人の人物がこの様な事を語っています。 一つは「大山倍達正伝」にもありますが、現在国際空手道円心会館を主催する二宮城光がデンバーで極真の支部を開く際に世話になったハワイ出身の日系人、トニー浜田が見たというものです。
 もう一つは僧侶で直木賞作家で参院議員だった今東光が大山倍達と知り合う時の仲介人です。 今氏はこの時の事をこう書いています。

 出会いはたしか、誰だったか大山倍達の写真を撮ったカメラマンが仲介してくれたのだったと思う。 アメリカで大山が牛を殺したりなんかしたシーンを撮って、日本へ帰って来てまた撮ったというカメラマンの紹介だ。

 そして、これは大元の出典が定かでは無いのですが、”The Original Martial Arts Encyclopedia”というアメリカの武道事典の大山倍達の項目に以下の記載があります。

He returned to Chicago in the summer of 1953, where, in front of television cameras, he stunned a bull with his first punch and sliced off a horn.

 1953年夏にシカゴに戻り、テレビカメラの前で最初の一撃で牛を失神させ角を切り落とした。 53年の夏…夏と言っても幅が広いのですが、私が知る限りで53年の大山倍達の足取りではっきりしているのは、6月の力道山との雑誌対談、7月の千葉県館山市で行われた演武会、そして10月に浅草公会堂で行われた演武会だけです。 極真会館の年表では53年4月に牛と闘ったとされていますが、8月の出来事だったとしても特に問題は無いと思います。 まぁ、後は皆さんの想像にお任せします。

 そうそう「ブラック・ベルト」誌に記載されたと「空手バカ一代」にはありますが、当時はまだ創刊されていませんでしたし、(見落としがあるかも知れませんが)今のところ日本での牛との対決記事しか見ていません。 「ライフ」に関しても該当記事はまだ見付けていません。

***

 次は…1959年に梶原一騎が力道山に大山倍達の事を聞いたとか、タム・ライスと闘ったという話に関してですが、こちらも実証不可能。 タム・ライスに関してはまたその内書く事もあるかと思います。 ただし未所有ですが梶原一騎が大山倍達の記事を書いたのは、1954年の「少年画報」が最初らしいので、もっと以前…梶原先生が18歳の話ですね。 突然やって来て、石を割って見せて欲しいと大山総裁に持参の石を差し出したのはよく知られた話だと思います。
 で、この時に梶原先生は元の「目白御殿」からアバラ家に移ったとして、立教大学裏にあるという大山倍達の住所を貰うのですが、実際には55年10月頃に目白から引っ越した先が板橋区南町のアパート、その後56年4月頃に板橋区板橋に引っ越しており、立教大学裏には清山荘というアパートの1階に大山道場がありました。

***

 えー続いては戦後の話ですね。 この辺りは「大山倍達正伝」や「猛牛(ファンソ)と呼ばれた男」にも書かれていますので、サラッと触れますが、少年航空兵というのは1942年に山梨の航空機関学校を卒業したのが元ネタです。 現在でも当時の同期生達と共に写る学帽に詰め襟の大山総裁の写真が残っており、日本航空学園の記念誌に掲載されています。

山梨航空機関学校.jpg
大山倍達と同期生の集合写真

 特攻兵であったかどうかというのは…不明です。 私も含め多くの方が、現在では朝鮮人徴用工として千葉に行ったと推測されています。 まぁ、航空機の整備技術のあった大山総裁が整備をやらされた可能性はありますけどね。 いずれにせよ、軍籍は無かったのでは無いかと思われます。

***
空バカ1_3.jpg

 それから、ヤクザの用心棒時代。 これは東声会の町井久之の事を指すのでは無いかという説が有力です。 また、この頃の喧嘩は共産主義路線の在日本朝鮮人連盟(朝連)と、大山総裁が属していた在日朝鮮建国促進青年同盟(建青)との抗争の事でしょうね。 建青では武闘派として知られ、相当有名だったらしく、こんな証言もあります。

 「たしか最初の乱闘事件だったと記憶していますが、大山さんの強さは早い段階で朝連に知れわたりました。 その後、朝連の連中は『空手の大山』と言って、大山さんを極端に怖がるようになったのです。 朝連の連中は大山さんを見ると、なるべく相手にしないように逃げ回っていました」

 当時の建青の集合写真が何枚か残っていますが、大山総裁はいつも真ん中で睨み付ける様にしており、写真を見てもすぐに分かります。 ところで1957年の「実話特報」にはこの様な記述がありました。

  昭和二十一年兵隊から戻つてくると朝鮮人が左右に分れて大喧嘩の最中、当時は右翼的な思想傾向だつた大山は木更津で右派の大出入りがありと聞くと手榴弾十個にピストル、機関銃を持つて仲間とこの現場にかけつける途中でMPに逮捕、

 これもいずれ取り上げようかと思いますが、その後護送中に逃げて別の汽車で朝連の幹部等と会って喧嘩になり、大勢に捕まって人民裁判に掛けられたりと中々ハードな内容です。 「空手バカ一代」でも米兵相手の喧嘩はあまり載っておらず、大半がヤクザとの喧嘩になっていますが、米兵相手に喧嘩した経験があったとしてもそれほど何度もやっていないんじゃないかと思います。 殆どが朝連との抗争でしょうね。
 この頃に民族右翼というか反共主義者としての大山倍達が誕生し、後に世界反共連盟を作り日本共産党と対立していた「世界日報」との関係に繋がっていく訳ですが、それはまた別の話。
 
***

 講談社刊「宮本武蔵」。 「空手バカ一代」では、「講談社」の「全6巻」と書いてありますから、大日本雄辯會講談社版かと思うんですが、私の手元にある1939年のが全8巻(挿絵付)で、他に全6巻のセットがあるのか、ちょっと確証が得られませんでした。 連載していた「週刊少年マガジン」が講談社ですから、気を遣ったのでしょうか。

大山倍達所蔵宮本武蔵.jpg
総裁室の「宮本武蔵」

 ちなみに晩年の総裁室にあったのは中央公論社版の「宮本武蔵」(全6巻)で、新聞連載当時の挿絵付きの物です。 この版は「空手バカ一代」連載開始頃も版数を重ねていたので、こちらを参考にしたのでは無いかと思います。 ハードカバーでかなり分厚く、今計ってみたら6巻で全長が18センチありました。

***

 最後に玄が手渡そうとしたエロ本、「猟奇ゼミナール」ですが、これは実在しますw 1948年に出版されていますので、作中が45年〜48年頃を描いている事を考えれば時期的には割とマッチします。 誰が持ち出した資料なのか些か気になりますが。

猟奇ゼミナール.jpg
左が本物、右が「空手バカ一代」に載った絵

 1巻の途中となりましたが、情報量が多いので今回はこれまでとします。 私のところは普通のブログと比べても文字数が多いので、これくらい別にいいですよね? 続きはまた来週でもやりたいと思います。 このシリーズは「空手バカ一代」をベースにした物なので、大山倍達史をベースにした物ではありません。 この違いを理解して頂ければ幸いかと。 つまり、「空手バカ一代」で触れていない事には基本触れないというスタンスです、あしからず。
 まぁ、大山倍達の戦後史は「大山倍達正伝」で充分な気がしますけど、「猛牛(ファンソ)と呼ばれた男」も合わせて読むと大山総裁の人脈の繋がりが分かり、結構面白いかと思います。 ただし、ある程度大山倍達史に詳しく無いと、どこで誰が繋がって得心が行く、という事は無いかも…。
 …ここまで書いて今まで説明してなかった気がする事が1件あるので追加。
 割と知ってるという前提で書いていましたが、大山総裁は日本併合下で朝鮮半島で生まれました。 よって生まれた当時は朝鮮系日本人で、戦後韓国人となり、1968年に日本に家族揃って帰化しました。 二重国籍については説明が面倒なので特にここでは触れませんが、興味がある方は「大山倍達正伝」を読むと良いかと思います。

官報.jpg
官報に載った帰化申請

 それから大山道場のところで清山荘と書きましたが、当時の地図で調べると大山道場が有った場所には二つのアパートがありました。 どちらに道場があるのか分からなかったのですが、廬山初雄先生のお話を聞く機会があり、質問してみたところ、「確かに2つアパートがあった。 名前は憶えていないが奥のアパート」と言う事でしたので、奥にあった清山荘だと確定させる事にしました。 この時に廬山先生直々に1階の見取り図を描いて頂いたので、折を見て公開したいと思います。
 それでは、また。

追記:「少年キング」の画像を入れるのを忘れていたので追加しました。

参考文献:
John Corcran, Emil Farkas, Stuart Sobel, The Original Martial Arts Encyclopedia, Pro-Action Publishing, 1993
宮本武蔵(全8巻) 吉川英治著 大日本雄辯會講談社 1939年
猟奇ゼミナール No2 双立社 1948年
実話特報 1957年10月号 「拳一つで猛牛を殺す空手男」 双葉社 1957年
宮本武蔵(全6巻) 吉川英治著 中央公論社 1960年
世界ケンカ旅行 大山倍達著 河出書房 1968年
官報 1968年5月16日
週刊少年キング 1968年27号 「地球一周けんか旅行」 1968年
週刊少年マガジン 1971年22号 「空手バカ一代」 1971年
KCコミックス 空手バカ一代 第1巻 原作:梶原一騎 漫画:つのだじろう 講談社 1972年
大山倍達 炎のカラテ人生 基佐江里著 講談社 1988年
静かなる闘志 二宮城光著 福晶堂 1992年
毒舌 身の上相談 今東光著 集英社 1994年
月刊パワー空手 1994年7月号 「70年間の巨大な足跡 大山倍達総裁年譜」 パワー空手出版社 1994年
小説 大山倍達 風と拳 -修行篇- 大下英治著 ぴいぷる社 1994年
最強最後の大山倍達読本 ゴング格闘技編 日本スポーツ出版社 1997年
日本航空学園建学70周年記念誌 日本航空学園編 日本航空学園 2002年
月刊大山倍達 創刊号 2004年
大山倍達正伝 小島一志、塚本佳子著 新潮社 2006年
猛牛(ファンソ)と呼ばれた男 城内康伸著 新潮社 2009年
 
参考リンク:
国立国会図書館 (2010/11/28)

  






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