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大山倍達マニアック検定

大山倍達 対 雷電号 (1956年)

JUGEMテーマ:空手

 さて、今回でブログ記事100回目だったりします。 まぁ、100回と言っても、26%は「今月の格闘技雑誌」に費やされていますw
 このブログで多少なりとも皆様に何かを残せたなら僥倖ですが、どうなんでしょうね?

 今回は1956年に田園コロシアムで行われた「空手対猛牛」という大山倍達総裁がテレビを入れて公開試合をした時の事を書こうかと思います。 劇画「空手バカ一代」の中でも失敗として描かれたこの闘い…実際はどうだったのでしょうか? それでは、本編と参りましょうか。


1956年秋、「猛牛と人間の決闘」ーこんな事が書かれたビラや立て看板が都内で見受けられた。 11月11日に今は亡き田園コロシアムで大山倍達 空手七段と、猛牛雷電号が闘うと言う。

oyamaチラシ2.jpg
ビラ(写真から復刻させた物)

 更にはKRT(現・TBS)で放映するのだと言う。 2年前に牛と闘い勝利した大山の事を憶えている人もいた事だろう。
 主催は日本空手普及協会、大山倍達が当時所属していた剛柔流を初めとして、金城裕と空手時報社、日本拳法空手道の山田辰雄、日本拳法協会の森良之祐、玄制流空手道の祝嶺正献、和道流に所属する国学院大学の空手部員らが空手普及の為に協力した。

 後援は東急。 これは田園コロシアムが東横沿線にあり、その運営に東急電鉄が関係していたという事もあるだろう。 そして協賛はラジオ東京、後のTBSラジオだ。
 元々は味の素で重役だった吉田某が大山の試合をアメリカで見た事から感銘を受け、動き出した企画だったが、この興行に直接関わったかどうかは不明である。 その代わりにプロモーターを称する人物が3名加わった。
 3人のプロモーターは、M新聞の元社長で、当時はM新聞社の最高顧問だった高田元三郎、熱海で旅館を経営する三浦某、そして電飾会社の社長だという田中某。
 大山はこのプロモーターと1年間の契約をし、毎月3万1千円の報酬を受ける事になっていた。 そして大山が逃げ出す事も考慮してか、大山が違約した場合は5百万円を支払うと記載され公正証書になっているという。 ただし、プロモーター側の違約については、何の記載も無かった。

***
1956合宿.jpg

 開催が決まり8月に入ると大山倍達は、弟子の黒崎健時、岩村博文、共田徳龍を伴い、千葉県青堀駅近くにある人見神社で合宿を行う事にした。 この時の合宿は「終わらない合宿」と言われ、約2ヶ月行われたという。 黒崎健時ですらノイローゼ気味になっていたという過酷な稽古だった。

牛特訓.jpg

 ここで大山は本物の牛の他に、牛に見立てたトレーニング器具を作成し鍛錬を積み着々と準備に備え、直前まで合宿していた。

牛特訓2.jpg

***

 当日、午前中は雨。 開催も危ぶまれたが、興行の開始時刻となる午後6時には雨も上がった。
 日刊スポーツではテレビ欄に別枠で特集記事を載せた。

日刊スポーツ19561111.jpg
「日刊スポーツ」 1956年11/11

◎KRTTV午後七時
日本国内ばかりでなく遠く全米各地、 カナダキューバなど空手道の指導と極意の公開で名を知られる大山倍達七段と百五十貫の牡の猛牛(雷電)との決闘を近江アナの担当で田園コロシアムから中継 する。 はじめは大山七段の「空手の型と妙技」で〃伸⇔瓦割H蝶筬だ亞筬テ鴫潦笋修梁召鮠匆陝 その後で大山七段が猛牛と決闘する。「日刊スポーツ」 1956年11/11)

 また、別の記事には、

大山七段必殺の空手
今夜猛牛相手に”闘牛”公開

 ”闘牛が日本ではじめて公開される。 といってもスペインの闘牛ではない。 空手七段の大山倍達が百五十貫もある猛牛を相手に、きよう十一日午後六時から東横沿線田園コロシアムで腕試し、力試しをやるわけだ。
 大山七段は5.8フィート、180ポンドのプロレスラーにしたらよいと思われるほどの見事な体躯。 これから打出される鉄拳は軽く煉瓦を重ねて割り、角材をもへし折り、渡米して各地でエキジビジョンをやったとき驚嘆させたという物凄いものである。
 大山七段が牛と一戦を交えることになったのは、空手そのものが試合出来ないところから、力を試すために牛を選んだわけである。 既に大山七段は今春千葉県で百貫あまりの牛をねじり伏せ角を折って猛牛を猫のようにさせている。 しかし今度は百五十貫の牛、しかも暗いところにおし込んで十二分に闘志をあおっているので猛然と大山七段に襲いかかるだろうし、この猛牛をを迎えうつ大山 七段も必死の対戦というわけだ。
(中略)
悪くすれば牛に突き刺されることを覚悟しなければならないし、この猛牛対空手の一戦はスリル満点な場面を見せて話題をさらうことになるだろう。「日刊スポーツ」 1956年11/11)

 と、話題性豊かなこの決戦だが、警視庁には牛を殴らない、殺さないという名目で興行許可を取っており、動物愛護協会からの突き上げもあって、「牛を仮死 状態におとしいれるだけ」「報知新聞」 1956年11/11)という予定だった。 しかし実際には牛にヒロポンを打ち、牛を興奮させ、暴れ出したのを正当防衛の名目で大山が取り押さえ倒すという作戦だったという。

***

 剛柔流 山口剛玄の実子、山口剛史は有志を募り、日大空手部部員と共に会場整理や切符切りの手伝いをした。 また現在の日本空手協会広報部は否定しているが、 当時協会に所属していた現・国際松濤館の金澤弘和は協会や協会に所属する拓殖大学空手部からも応援に行ったはずだと語っている。 力道山が「空手チョップ」を振るい世間の耳目を集める中、「本物の空手」を知らしめる絶好のチャンスだった訳だ。

 一方、控室の大山の不安だった。 1週間前には牛を東京に連れて来て欲しいと言ったにも係わらず、当日まで届くかどうかも分からなかった。 プロモーターの高田は千葉銀行頭取の古荘四郎彦が起こした不正融資事件に関連して不在。 三浦と田中は分け前の事で喧嘩し、会場にすら現れなかった。 更には東急に支払う柵の経費8万円は、当日になっても支払われていなかった。 結果、ただ牛と格闘するだけで良かったはずの大山が直接対応するという有様だった。
 そして警視庁は50名の警官、刑事を会場に派遣、ヒロポンの使用を厳禁した。 会場に現れないプロモーターの代わりに1人で対応する大山には、最早ヒロポンを牛に打つチャンスすら与えられなかった。

***

 大山倍達と牛の決戦前、前座として祝嶺正献の演武や日本拳法空手道によるグローブ組手が3試合等が行われたという。 金城裕は語る。

 「力道山の空手チョップによって有名になった空手を、本物の空手家が実演するということで、当時の空手界は大騒ぎでした。 大山さんの存在は期待の星のようなものでした。 だから、流派を問わず多くの空手関係者があの演武に協力したんです。 前座では山田辰雄師範(日本拳法空手道総帥)の弟子が試合をやり、剛柔流をはじめ和道流の人たちの演武も行われたと記憶しています」 (「大山倍達正伝」)

 そしてテレビ中継の始まる7時頃、遂に大山の出番がやって来た。 まずは2人の牛飼いが関八州に名を轟かせるという黒和牛の雷電号を引き連れて登場。

雷電号.jpg

 562kgの堂々たる体躯に角の長さは55cm。 観客は思わず唸る。 威風堂々と言った感の雷電号は、他に2頭の黒和牛を引き連れ、演出効果満点だ。
 フラッシュを浴びせるカメラマンに雷電号が足を止めれば、カメラマンはジリジリと後退。 スタンドに笑いも起きた。

雷電号2.jpg

 次いで、大山が場内に現れた。 刺繍の入った緑のマントを纏い、頭には鉢巻き。 太い革のベルトに黄色いタイツ、革で編み上げたブーツと、「まるで黄金バットみたいな格好」(「報知新聞」 1956年11/12)だった。 場内アナウンスで紹介されると、大山は笑顔で手を上げて答える。 マントを脱ぎ捨てるといよいよ試合開始である。

空手対猛牛1.jpg

***

 20m四方を木柵で囲った決戦場に取り残された大山倍達と雷電号。 実況はTBSの近江アナ、解説は空手時報社社長、金城裕だ。
 大山は両手を掲げて牛を待ち構えるが果たしてー雷電号は動かなかった。 入口付近で止まったままだ。 勢子が押し出し、前に出るも直ぐに立ち止まる。 喧伝されていた猛牛の姿はそこには無かったのだ。
 じっと雷電号を睨み付けていた大山は、遂に進み出て身体を横に開き、雷電号の両角を掴む。 そして渾身の力で首を捻上げる。 雷電号は必死に堪えて、大山を振り飛ばそうとするが、遂には引き倒されてしまった。

空手対猛牛3.jpg

 首を捻り上げ、押さえ付ける大山。 ここで叫ぶ様な場内アナウンス。

 「これ以上しめると牛は絶命しますので中止します」

空手対猛牛2.jpg

 角を叩き折るつもりだった大山に無念の表情が浮かぶ。 手を離すと雷電号が立ち上がる。 大山が再び角を掴み捻り上げると、堪え切れずにまた雷電号は倒れる。 この間9分50秒。

***

雷電号3.jpg

 拍子抜けの結末に唖然とする場内。 飛んで来た牛飼いに雷電号を任せ大山はマイクを握り、こう説明した。

 「私としては角を叩き折りたかったのですが、法の掟(おきて)から出来なくて……」

雷電号4.jpg

 すると観客からは怒号の嵐。

 「インチキだッ」
 「入場料返せ」

 スタンドは足を踏み鳴らし、叫んだ。 解説をしていた金城が大山に盾を贈呈するも、怒号は鳴り止まなかった。 興行は失敗したのだ。

 試合後、大山は控室でインタビューに答えた。

 ーー角を今まで叩き折ったことは何度かあったの、そのための鍛錬は……。
 大山 今まで合計すれば五十本位は折っている。 今度のような大牛は初めてで、これを折って自分の力の限界をさらにのばそうという野心を持っていた。 だが警視庁から、拳を使って角を折ったり叩いたりして動物を虐待してはまかりならぬと急にいわれ、とうとう皆様にお目にかけられず全く残念です。 角は屠殺場で叩き折って経験をつんだから、自信は十分にある。
 ーーどういう具合に叩くか?
 大山 具合といってもない。 ただ一発必殺でやるだけだ。 殴るのは立っているのより、倒れて立上がる時に、上から叩きつけるのが最も効果がある。
 ーーあんたは牛との決闘を、どういう考えからやろうとしたのか?
 大山 空手は一拳必殺だ。 人間を相手にやることは出来ない。 それで、人間より体重のある牛を選んだのだ。 いえば私の能力の限界ー鍛錬した力が、どこまであるかということを知りたいのだし、世人に知ってもらいたいのだ。
 百貫の牛から百五十貫の牛に。 それを征服したらさらに上にと、私は私の限界をさらにのばすことが念願なのだ。 世間は私のことを奇人というかも知れない。 しかし大体こんなことをするのに、まともな考えではとても出来ないよ。 命をかけての真剣勝負だからね。 まかり間違えば一たまりもなく命を失ってしまうんだから……。
 ーーこれからのプランは?
 大山 角を叩き折るところを見せたかったのに、見せることが出来ず無念この方ない。 この次の機会には、諒解を求めて何とかして実現したい。 約束を果し得ず後味が私自身悪い。 大阪、福岡などでやって見たいと思っている。 (「プロレス&ボクシング」 1957年1月号)

***

 翌日、スポーツ新聞各紙はこの試合について書いた。 以下はその中の1紙、日刊スポーツの物である。

日刊スポーツ19561112.jpg
「日刊スポーツ」 1956年11/12

猛牛あっさり横這い
大山七段 TKO勝 その間僅か9分50秒

◇…空手七段大山倍達と黒和牛、雷電号の対決は十一日午後七時から田園コロシアムで前座空手試合に引き続いて行われた。
◇…”猛牛と人間の対決”というちよっとしたスリルを感じるうたい文句。 その人間も瓦なら二十枚煉瓦なら五つ重ねを試練の手刀で叩き割るという豪の者。 また相手の猛牛も黒和牛という重量百五十貫のあばれ牛、その名も雷電号と関八州に名をとどろかせているというから興味をそそられる。
◇…ところがこの猛牛、板で囲まれたリングに登場、大山七段と対決の段になるとカメラマンのフラッシュにおじけついたのか前ぶれとはうって変わったおとな しさ。 大山七段が両手でツノをつかみ一度二度横に引き倒すとそのまま横這いとなってしまった。 その間僅か十分たらず九分五十秒で大山七段のTKO勝ちに終わった。 
 大山七段談 ツノをたたき折るつもりでいた。 今迄に五十本のツノを折っている。 ところが試合前急に警視庁から拳をつかって牛を傷つけることは動物愛護の精神から固く禁じられ、皆さまの前にツノを折ることをお目にかけれられず残念に 思っている。 (「日刊スポーツ」 1956年11/12)

 しかし、この様に酷評するメディアもあった。

スポーツと映画1956年.jpg
「スポーツと映画」1957年1月号

 ”空手対猛牛の決闘”と銘打って、さきごろテニスでおなじみの東京田園コロシアムで、空手何段の大山倍達と猛牛雷電号の一戦が催された。 プロレス、ローラー・ダービーとアチラ仕込みのスリルあるスポーツに満喫している江戸ッ子も、人間と牛の対決、妥協なき対決とあって、小雨の降る中を、つ めかけカタずをのんだ。 ところが、猛牛雷電クン、満員のお客さんやカメラマンのフラッシュに驚いたか、ネコのようにおとなしくなってしまい、手持ちブサタの大山七段、角を持っ て、猛牛クンを怒らせようとしたがダメ、ついに二度倒されて、アワを吹いて退散と相成った次第。 ーーーこの間正味三分間ーーーオタイクツサマデシタ。 (「スポーツと映画」1957年1月号)

***

 こうして大山倍達はインチキ呼ばわりされる羽目となった。 それどころか、当初プロモーターと取り交わされていた毎月3万1千円の報酬の支払いは1度切りで滞り、逆に27万円の負債を抱え込んでしまった。 当時の事を知る空手家の多くは大山の境遇に対し同情的である。 この辺りは「大山倍達正伝」に詳しい。

1113_1956_Tokyo.jpg
”Pacific Stars and Stripes”(13/11/1956)

 その後、大阪や福岡で行われる予定だった「空手対猛牛」は立ち消えとなってしまった。


 という事で100回目、如何でしたでしょうか? TBSが上書きしてなければ、この時の映像が残っているはずですが…昔のフィルムは高価だったので、結構上書きして再利用してたらしいんですよね。 よって、現存するかどうかは分かりません。 「M新聞」とか書いていますが、名前を調べれば直ぐにどこの新聞かは分かると思いますw 他の2人のプロモーターはちょっと分かりませんでした。

 100回目で今更言うのも何ですが、ここだけの秘話、というのは当ブログには存在しません。 一度はどこかの媒体に載った物を出典付で書いているだけです。 アクセスの困難な一次資料等もありますが、全ては活字となっている訳です。 本来ならどこは何に書かれてるっていう出展資料まで付けるのが正しいのですが、閲覧無料ですからねw そこまでは勘弁して下さい。
 という事でそれでは、また。

※参考文献に1冊追加しました。
※ビラを追加しました。

参考文献:
Pacific Stars and Stripes, 1956
日刊スポーツ 1956年
報知新聞 1956年
現代読本 1956年7月号 日本文芸社 1956年
月刊ファイト 1956年12月号 月刊ファイト 1956年
プロレス&ボクシング 1957年1月号 ベースボールマガジン社 1956年
冒険王 1957年1月号 秋田書店 1956年
スポーツと映画 1957年1月号 スポーツグラフ社 1956年
実話特報 1957年10月号 双葉社 1957年
ゴング格闘技 1996年1/8号 日本スポーツ出版社 1995年
月刊フルコンタクトKARATE 4月号別冊 拳聖 大山倍達 地上最強の組手 福晶堂 1998年
大山倍達正伝 小島一志、塚本佳子著 新潮社 2006年

 






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コメント
100回掲載記念おめでとうございます。

こま切れな情報は多く目にしてきましたが
画像入りでここまでまとめられている記事は初めて見ました。

田園コロシアムでの牛との対決
の経緯結果がよくわかりました。

ありがとうございました。
  • もん爺
  • 2011/07/19 2:38 AM
「パワー空手」の連載「カラテ群像」に共田徳龍氏が登場した回がありました。合宿の件についても触れられていました。今回初めて合宿地が富津だと分かりました。共田氏は、大略「浜田幸一氏は大山館長に心酔?し、練習をよく
眺めに来ていました」と語られていたと思います。共田氏は高校時代、県の中距離記録を樹立した才能ある人だったと思います。確か、年齢的には大山茂師範、安田栄治師範と同年輩の人ですよね。中距離選手らしからぬ逞しい身体つきをしていますね。
  • 四十路
  • 2011/07/19 7:54 PM
岩村博文師範が「パワー空手」「極真年鑑」において、様々な逸話について語られていた事を思い出します。
  • 四十路
  • 2011/07/19 8:08 PM
>もん爺さん
ありがとうございます。
…まぁ最後に「もうあの闘牛士みたいな格好ではやらない」ってコメントを入れるのを忘れてましたけどw
この辺りは別記事として上げようかと思っています。

>四十路さん
皆さん大堀とか青堀とか言う事バラバラなんですけど、当時君津郡だった人見神社で確定です。 当時の資料にありますし、映画「世界最強の空手 キョクシン」で登場する境内は人見神社の物でした。
共田さんは400mで県記録を持っていたという事で、当時330段の階段ダッシュでいつも1番だったそうです。 岩村先生がいつも最後だったとかw
と言ってもこれを毎朝5時位に起きて10〜20本やっていたそうですから、ちょっと真似出来ませんねぇ。
  • Leo
  • 2011/07/19 9:08 PM
連載100回おめでとうございます!

拾いものですが、この時の広告(チラシ?)がありますので、後ほどメールで送りますね。
  • Little Tiger
  • 2011/07/19 9:14 PM
>Little Tigerさん
ありがとうございました!
画像を元に、ちょっと復刻させてみたいと考えていますw
  • Leo
  • 2011/07/19 9:54 PM
大山総裁の渡米記事の発掘以来 毎回 楽しませていただいてます。いつの間にか大ファンになっちゃったかなw記念すべき100回目の掲載 対雷電号戦も読ませますね。ありがとうごさいました。面白かったです。リアルなファイトは地味ですし 大衆はショーを望みますから 評判が悪く 大山総裁が気の毒でした。牛を捻り倒すだけでも大変なことなのに。あのコスチュームも気の毒ですねw空手着でいてほしかったです。お世辞ではないのですが leoさんの大山倍達は増田俊也さんの木村政彦に匹敵してますよ。大山倍達が復権している。ほんとすごいと思ってます。
  • tada
  • 2011/07/19 10:42 PM
 貴重な写真と記事、いつもありがとうございます。
大山先生が亡くなってから、「超人大山倍達」の評価が
貶められるような風潮が悲しく、寂しく堪りませんでした。
”拳の目”が大型本になって、今一度大衆に大山先生の
偉大さが評価されんことを願っています。
追伸;先般、久しぶりに人見神社に行ってきました。
神主がいましたので大山先生の話題を振ったところ
「10円玉を指で・・・」との返事が!
伝説は生きています!!
  • tama
  • 2011/07/20 8:45 PM
>tadaさん
いえいえ、過分なお言葉、ありがとうございますw
やってる事はシンプルなんですけどね。
1)当時の資料を探す
2)当時の事を語っている資料を探す
3)時系列に直して整合性を図る
4)記事に起こす
こんな感じですし。 増田先生はプロですので、私と比べちゃあいけませんw
結構後から見直して、文章の粗を見付けて凹んだりしますしねw

>tamaさん
今のところ書籍化という話はなーんにもありませんが、仮にそういう話が来たとしたら、画像の版権処理が大変そうですねぇw

人見神社の神主さんも見ていたんですか…やっぱり色々な所で伝説を残しているんだなぁ…。

あ、今当時の「空手対猛牛」のチラシ? ポスター?を復刻させている最中ですので、次回辺りに公開出来る様頑張ります。
  • Leo
  • 2011/07/21 9:14 PM
ふと疑問に思ったんですが体重500キロクラスの動き回ってる牛からテイクダウン奪うってのはどれくらいの力を牛に加えればできることなんですかね?
ネットではコツさえ分かれば、とかある程度力があれば、それほど難しくないって断言する人が多いんですがそれを実践した人ってのはあんまり聞いたことないですしある程度の力ってのも漠然としててよくわからないんですよねぇ
  • 名無し
  • 2013/02/11 5:16 PM
>名無しさん

やった事が無いのでどのくらい、というのは分かりませんねぇ。
牧場の方でもわざわざテイクダウンなんてやらないでしょうしw
映像で見る限り、首を可動範囲限界まで曲げながら送り足で追い込んで体落としで投げているので、500キロ近い牛の首を踏ん張りが効かない所まで曲げられるかどうかがポイントになるかと。
可動範囲限界まで曲げても四肢を踏ん張っていたので、曲げて体重を掛けるだけでは倒れない様に思います。

昔「ラスタとんねるず」だったかな、スペインだかメキシコまで行って160キロ前後だったと思いますが闘牛の小牛?の首を曲げてたりしましたが、首回りのがっしりした牡の成牛にそんな事が出来るのかは…やってみないと分からないでしょうねぇw

いずれにせよ、実際に試した証拠でも出さない限り、机上の空論でしょう。
  • Leo
  • 2013/02/13 12:10 AM
なるほど、やはりそう簡単にできることではなさそうですね。
  • 名無し
  • 2013/02/13 1:48 AM
ヨーロッパの田舎のまつり?で村の力自慢たちが大きな牛の首を180度ひねって倒す競技をTVでみたことあります。大山館長が牛をひねり倒す場面にそっくりで、ああ、こういうのがあるんだ〜と当時思いました。そういえば、田コロの牛倒しの話はよく小坂先生からうかがいました(懐)
  • 天下泰平
  • 2013/02/16 7:01 AM
>天下泰平さん

あ、そんな競技もあるんですね。 …多分ですけど、ドイツ辺りじゃないかな。
実は殺人スープレックスで有名なヨーロッパプロレス界の強豪、ローラン・ボックが牛を相手にパワーを鍛えたってインタビューで答えてたんです。 そのトレーニングの発想は、牛倒し競技?にあるんじゃないでしょうか。

で、牛を相手にすると粘る様なパワーとか身に付くんじゃ無いかなぁと、その記事以降、漠然と思ってたりします。
  • Leo
  • 2013/02/16 4:06 PM
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