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大山倍達マニアック検定

大山倍達のアメリカ遠征 10 (グレート東郷と遠征の背景)

JUGEMテーマ:空手
 えー1952年の第1回アメリカ遠征も今回でラストとなります。 昨日もせっせと書いていたのですが、途中資料を読むのに大変な時間を浪費してしまい、更新が遅れてしまいました。 さておき、ここで遠征の背景とグレート東郷について書いてみます。 特に東郷については、初公開の資料付きです。そうそう、レトロプロレスに興味が無いと詰まらないかも知れませんので、先に断っておきます。


各記事はこちら
大山倍達のアメリカ遠征 1 (1952/04/15)
大山倍達のアメリカ遠征 2 (1952/05/06)
大山倍達のアメリカ遠征 3(番外編)
大山倍達のアメリカ遠征 4(1952/05/10-06/27)
大山倍達のアメリカ遠征 5 (1952/6/28〜9/16)
大山倍達のアメリカ遠征 6 (”ディック・リール”の謎)
大山倍達のアメリカ遠征 7 (ジョージ・ベッカーとの対戦)

大山倍達のアメリカ遠征 8 (大山倍達が出会ったレスラー達)
大山倍達のアメリカ遠征 9 (マス東郷の演武)
大山倍達のアメリカ遠征 10 (グレート東郷と遠征の背景)

 1945年、ロサンジェルスのローカルテレビKTLAが、世界で初めてプロレス番組を毎週放送し始めた。 すぐに番組はヒットし、他局も追従する。 翌年にはゴールデンタイムに登場し、48年から49年までの僅かな期間ではあるが、アメリカ3大ネットワーク(ABC,CBS,NBC)のゴールデンタイムに番組が組み込まれる事になった。 そして各テリトリーではローカル局が独自に放送し、ピーク時には毎週200以上のテレビ局で放送されていたという。 しかし50年頃を境にプロレス人気は衰え始め、55年頃までにはゴールデンタイムで放映される事は無くなっていった。

 グレート東郷がヒール(悪役)として名を馳せ、木村政彦や力道山、そして大山倍達や遠藤幸吉が渡米したのはこんな時代だった訳だ。 ここで当時のグレート東郷について、少し触れてみよう。

グレート東郷.jpg
グレート東郷

 森達也著「悪役レスラーは笑う」によれば東郷は戦前にプロレスデビューを果たし、1949年7月にブル・イトーの名でリングに復帰し、グレート東条に改名、数ヶ月後にはグレート東郷に改名したとある。 しかし私の手元にある資料では、49年7月にはグレート東条となっており("Oxnard Press Courier"7/7/1949)、この時点ですでに人気があった様で、「東洋のゴージャス・ジョージ」とある。尚、 「従者」の羽田がリングでお香を焚く光景をゴージャス・ジョージになぞらえて書いている新聞もあるが、実際東郷のギミックはゴージャス・ジョージによく似ており、私見ではあるが、東郷が手本にしていたのだと思う("Tucson Daily Citizen" 12/20/1949)。

1950-2-1Hopewell-Herald.jpg
「東洋のゴージャス・ジョージ」と報じる記事

 ゴージャス・ジョージとは、アメリカン・プロレスにおけるヒールのスタンダードを確立したレスラーで、その人気は全米を席巻した。 派手な衣装に身を包み、態度は傲慢で観客や対戦相手を挑発し、口は良く回り、リングに上がる前には召使いが香水を振りまく、そんなレスラーだった。 その後のヒールに多大な影響を与え、あのモハメッド・アリの毒舌パフォーマンスも、ゴージャス・ジョージを手本としていたという話はよく知られている。

1950-9-27Joplin-Globe.jpg
グレート東郷 対 ゴージャス・ジョージの広告

 閑話休題。 この「グレート東条」は、同月中旬には「グレート東郷」へと改名しているので("Oxnard Press Courier"7/21/1949)、本当に7月に復帰したとすれば、1ヶ月間で3回もリングネームが変わった事になる。 メインイベンターを勤め、「東洋のゴージャス・ジョージ」と呼ばれるほどのキャリアを確立するのに、いかにテレビで人気を博したとはいえ、1ヶ月は短いと思う。 実際にはもっと前に復帰したのでは無かろうか。
 さて、グレート東郷は長年、熊本から移民した日系2世だと言われていたが、前述した「悪役レスラーは笑う」や「大山倍達正伝」では韓国系だったとの意見が関係者の口から出ている。 実は僅かながら、韓国系を示唆する記事がここにあるので引用する。

1-11News.jpg

 ...The Great Togo, the most exciting puller and tugger ever to come out of Korea.

 メリーランド州フレデリックの地方紙"The News"(1/11/1950)に載った記事だ。 理由は不明だがこの50年の1月だけは新聞に「韓国」と書かれており(少なくとも手元にある3紙が同じ経歴を載せている)、その前月までと翌月以降は日本から来た事になっている("Tucson Daily Citizen"12/21/1949,"Altoona Mirror"2/17/1950)。 尤も、戦前アメリカに移民したのであればそれは日系人だし、一旦熊本に住んでからアメリカに来た可能性もある。 ちなみに、勇猛果敢で知られた米陸軍第442連隊、通称「日系人部隊」にも朝鮮出身の2世がいる。 当時の彼らは日系人なのだから当然の事だと言えよう。 そして東郷が大山倍達や力道山と懇意にしていたのも、2世とはいえ同郷意識があったと思われる。

 今度はグレート東郷と共に各地を回った、コウ東郷こと遠藤幸吉が見た東郷を紹介してみよう。

悪役専門で、首締め、目玉打ち、股間蹴りから下駄の乱打と悪の限りをつくす。その徹底ぶりは観客を興奮、熱狂させ、ついには「殺せ! キル・ザ・ジャップ」の大合唱まで巻き起こる。
 結果、最後は叩きのめされて終わるが、その間に汗握らせる盛り上げ方は抜群で、「観客を呼べる男」としてプロモーターにひっぱりダコだった。

 遠藤が体験したであろう、グレート東郷の試合風景だ。 残された試合結果を見る限りでは毎回反則をした訳でも、叩きのめされていた訳でも無い様だが、遠藤にとって印象深いのはこういう東郷だったのかも知れない。
 近年、遠藤はインタビュー等で東郷とはシカゴで別れたと吹聴しているが、以前はそんな話をしていなかった。 実際、自伝「プロレス30年初めて言います」でも東郷を高く評価しているし、ユセフ・トルコ著「俺は日本人だ!!」にも東郷ブラザーズとしてアメリカで活躍して来た話を自慢していたと書いてある様に、以前は自慢の種だった。 しかし、1982年に発売されたこの遠藤の自伝には、東郷ブラザーズ時代の話が殆ど触れておらず、共に巡業した大山倍達の事すら書いていない。 ただ、空手チョップのエピソードに1行書いてあるだけだ。 劇画「空手バカ一代」で噛ませ犬の様に扱われたのが、気に入らなかったのでは無いだろうか。

 余談ではあるが、このトルコが書いた本は遠藤への私怨が本を書いた動機の一つだと公言しており、本書の至る所で遠藤を罵倒している。 トルコは遠藤の自伝の表紙に載った、遠藤が力道山にドロップキックを入れている写真を見て、「本物の写真かどうかは解らないが、どっちにしても”恩人”の力道山を足蹴にしている写真を載せるなんて動物以下だ!」と怒っていたのだが、実は1954年に行われた日本初のプロレス大会のパンフレットに載っている写真と同じである。

遠藤幸吉.jpg
左:パンフレット 右:遠藤の自伝

 つまり力道山も許可した本物の写真だった訳だ。 これではその怒りも筋違いだろう。

 さて本編に戻ろう。 前述した様に大山が渡米した1952年というのは、テレビプロレスが下降期に入っていた頃だった。 渡米目的は色々書かれているが、ロサンゼルスの体育協会(プロレス協会)の招聘であったりシカゴの空手協会の招聘であったりと、バラバラである。 当時の日本では渡航の際に外務大臣より渡航許可証が発行されていたのだが、そこには渡航目的を記さなければならなかった。 例えば遠藤の場合は「柔道の教授」という名目で許可を得ている。 当時の大山は韓国籍だったが、1951年に発令された出入国管理令を読む限り、再入国の許可まで得なければいけないという事情がある為、遠藤と同じ様な名目で許可を得ていたのでは無いだろうか。
 当時のアメリカにはまだ空手協会と呼べるような組織は存在しておらず、これは明らかな間違いである。 では、ロサンゼルス体育協会はどうか? 各地のプロレス団体は体育協会に加盟しており、加盟していない団体は会場の使用許可が下りない場合もあった。 故に体育協会とプロレス協会は同じ組織を指していると思われる。 ちなみにこの時期のロスのプロモーターはジョニー・ドイル、シカゴのプロモーターなら、フレッド・コーラーだ。 渡米前の記事、「東京新聞」(1952年3/23)では以下の通りとなっている。

東京新聞昭和27年3月.jpg

◇……ロサンゼルス・プロレスリング協会の招待で空手の崔永宜四段(二八)とプロ柔道の遠藤幸吉六段(二六)が渡米することになり廿二日午後六時から丸ビル精養軒で送別会が行われた。”空手”の公式渡米は戦前戦後を通じて初めてのことだそうだ。
◇……出発は廿九日午後二時、羽田空谷から、ウエーキ、ハワイを経てロサンゼルスに二週間滞在、警察官にケイコをつけたり、映画での技術公開、レスリングとの試合などをやつてからニユーヨークシカゴ、ワシントン、桑港、カナダを歴戦、八月ごろかえつてくる予定。
(※崔永宜とは大山倍達の本名)

 実際、本シリーズで書いてきた様にロスには帰国前の数週間しかいなかった。 しかしこれではプロモーターのドイルにはあまりメリットが無い様に思う。 同様にシカゴのコーラーが招待したとしても、滞在していた期間を考えるとシカゴ外での活動の方が多かった。 無論、他のプロモーターに貸し出しをした、という可能性もあるが、大山が挙げたプロモーターの名前は「チャーリー」だ。 ニュージャージー州にチャーリー・デ・アンジェロというプロモーターがいるが、シカゴでもロスでも無い。 それではこの人物は何者か? という事になる。 遠藤が言うところの「東郷のスポンサー」なのだろうが、詳細が分からない。 想像だが、これはテレビ局のプロデューサー、もしくはそれに相当する人物だったのでは無いかと思う。 大山は4月23日に宛てた妻への手紙でこう書き記している。

今夜此処で空手の演舞会をやる事になりましたが、何しろ毎日の稽古とそれに手を怪我した物で今夜は出場を中止し来週に出場を定めました。
来週はテレビも有ってまた全米にまわる分けです。

 そして同時期にアメリカにいた木村政彦はこう証言している。

  大山さんは、 テレビのほうですからね。 実技を見せて、 金を取ると。 金を取ると、 テレビ会社からですね。 それで、 非常に好評だったそうですよ。 私もちょうどそのころアメリカに行ってまして、 みんなと会って、 食事したりなんかして、 そのときに評判を聞きました。
 まあ、 いっちゃなんだけど、 プロレスのほうじゃ遠藤は”芸”も下手だし、商売にあんまりならなかったけど、 『大山君のほうがテレビでカバーしてくれたんだ』 ってグレート東郷がいってましたね。

 この様に東郷ブラザーズの行動には、テレビがついて回っている。 テレビ局主導の巡業を指すとすれば、色々と納得が行くところでもある。 1950年代半ばまでのグレート東郷は、他のレスラーと違いあまりテリトリー色が無い。 プロレスに復帰した49年以降は新聞記事でも度々TVスターなどと書かれているように、常にテレビとセットである。 という事は、テレビ局が番組テコ入れの為にグレート東郷に依頼し、日本から武道家を呼び寄せたと、そうは考えられないだろうか。 あの慌ただしい巡業スケジュールもテレビ局の意向によるものだったとすれば、プロモーターの損得勘定まで視野に入れなくても良いし、大山が言うところの「シカゴ本部」も多数の「ファンレター」の送付先の件も解決する。 そして帰国直後に語っていた「9回のテレビ出演」の内のいくつかはテレビ局の定期番組だったのかも知れない。 とすれば、どこのテレビ局か? シカゴならWGN-TV、通称チャンネル9が一番有力では無いかと思う。 当時のWGN-TVは毎週土曜日の20時半からプロレス中継を放映していた。 大山がシカゴに着いたのは4月3日-5日頃だと思われるが、面白い事に5日が土曜日である。 つまりテレビ局の意向でシカゴ到着直後、マットに上げられて演武をさせられたという大山の話もあり得るのだ。

 
 という事で、1952年の第1回アメリカ遠征については一度筆を置きます。 過去に出版された数々の本とは違う視点で書けたとは思いますが、如何でしたでしょうか?
 一応以下の事実を公開出来たのは、僥倖だったと思います。
・大山倍達の試合記録発掘
・より細かい東郷ブラザーズの足取りの発掘
・紙上で対戦相手を募っていた事実の発掘
・不敗の空手王と呼ばれるようになった事実の発掘
・グレート東郷が韓国系だと書いた記事の発掘

 検証作業及び調査についても趣味の範囲でやってはいますが、とてつもなく大変な作業な訳です。 とりあえず貯めていた物を吐き出した状況ですので、まとめて書けるほどのストックはありませんw ですので、今後は単発で記事を取り上げたり仮説を組み立てたりする事になると思います。
 次回は…「ある日の極真会」シリーズと、大山倍達以前に海外で活躍した日本の格闘家を取り上げた、「海を渡った格闘家達」シリーズ(仮称)を予定してます。
 それでは。

おまけ: 先日ゲットしたグレート東郷がオーナーをしていたレストランのお皿。 思わず入手したものの、まだ手元には無かったりしてます。 これ、日本で売ったら幾らで売れるんでしょうね?

東郷レストラン.jpg

参考文献:
Oxnard Press Courier, 1949
Tucson Daily Citizen, 1949
The News, 1950
Altoona Mirror,1950
The Daily Mail, 1950
Ogden Standard-Examiner, 1950
The Hopewell Herald, 1950
Joplin Globe, 1950
Cedar Rapids Gazette, 1952
St. Petersburg Times, 1952
Wrestling As You Like It, May 3, 1952
Sid Feder, WRESTLING FAN'S BOOK,  Key Publishing Co., 1952
東京新聞 1952年
東亜新聞 1952年
世界選手権争奪 プロ・レスリング特集号 1954年 (月刊ゴング 1976年10月号別冊 パンフレット復刻版II)
プロレス30年 初めて言います 遠藤幸吉著 文化創作出版 1982年
俺は日本人だ!! ユセフ・トルコ著 ジャパン・プロレスリング・ユニオン 1982年
月刊パワー空手 「武道カラテに捧げる生涯-大山倍達の足跡」 1987年5月号
紙のプロレス公式読本 大山倍達とは何か?  ワニマガジン社 1995年
月刊大山倍達 「大山倍達からの手紙」 第弐号 2004年
悪役レスラーは笑う 森達也著 岩波書店 2005年
大山倍達正伝 小島一志、塚本佳子著 新潮社 2006年
大山倍達外伝 基佐江里著 イースト・プレス 2008年
リングサイド プロレスから見えるアメリカ文化の真実 スコット・M・ビークマン著 鳥見真生訳 早川書房 2008年

参考映像:
戦争と兵器 「最高の勲章:第二次世界大戦の二世兵士」 ヒストリーチャンネル

  






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コメント
面白い! 内容濃いですね!

当時の様子がよく解ります。
  • 大山倍達ファン
  • 2010/10/19 7:37 AM
グレート東郷氏に、UFCやフューチャーファイトで活躍し、エンタメからリアル格闘技まで幅広く活動の場を行き来したコリアン・アメリカンのジョー・サンを彷彿とする人はいるはずだ。そっくりといっても過言ではないだろう。東郷氏は2世ではなくたしか幼少時の米国移民だったと思う、コリアから。

遠藤幸吉26歳、マス大山28歳(塚本佳子の崔家インタビューによればこれでもまだサバ読みだというが)、となれば年齢的な上下関係は歴然としている。それにもかかわらず遠藤は「大山君」と呼び、大山は「遠藤さん」と返していた。マス大山は「よっぽど腕力に自信があるゆえの態度だと我慢して様子を伺っていたが大したことはなかった」と後にふりかえっている。実際は一触即発のような状態、喧嘩別れのような成り行きもあったのではないだろうか。

60年代になり伝統派空手の役員が極真を傘下にひきいれようと交渉にきた際には(映画「カラテ大戦争」で再現されている)彼らが先輩であるマス大山に敬称を使わないことに腹を立てた同席の真樹ヒサオが「表に出ろ」とまで怒りを顕にしたという。真樹氏の兄である梶原一騎と極真の不仲を決定づけた事件というのも、マス大山本の中で「梶原先生」とあるべきところが「梶原君」となってたことに立腹したからだという。(ちなみにこの場合はマス大山のほうが梶原よりずっと年上ではあるが)


  • 桜井斉
  • 2010/10/20 3:17 PM
それにしても、半世紀以上がたった現在、これだけの歴史検証をしたのはこのブログが唯一ではないでしょうか。大手メディアのNHKやA&Eなどが本腰をいれて崔の足跡を番組にしてもこれ以上のものはできないのではなどと思ってしまいます。

黒崎氏やブルミン氏が否定しているマス大山が当時語ったところの全米遠征中におけるMMAマッチというのは、いったいどこまでオフィシャルな記録にしていいのでしょうかね。それは誰にもわからないことなのか、平岡正明のように「マス大山を信じよ」と結論づけられることでしかないのか。

私は50年代初期に1000ドルもの賞金をオファーすればチャレンジする力自慢などいくらでも出てきたことは間違いないとは思います。実際、MMAでやったかは別として告知に反応してチャレンジを求めた人間はそうとう数いたはずだ。しかしTVに出演した後ならどうだろう。もう誰もやろうとは思わないのではないだろうか。

60年代にはいって、今度はマス大山本人が自分の弟子であるブルミンの首に賞金をかけてMMAチャレンジを募集することになった。実際にチャレンジしにオランダに向かったのはコリアンのテコンドー選手ただ一人だったという。このコリアンのチャレンジャーを手配した人脈がどのようなものであったのかは調べる必要もないかもしれない。

  • 桜井斉
  • 2010/10/20 3:39 PM
本当に凄い研究成果です。感服しています。
更なるご活躍を祈ります!!
  • のぶさん
  • 2010/10/21 9:03 PM
>大山倍達ファンさん
>のぶさん
ありがとうございます。
なるべく引用元を記載してますので、中々更新速度を上げる事は出来ませんが、のんびり頑張ります。
>桜井斉さん
グレート東郷の公式プロフィールでは、アメリカオレゴン州に生まれた熊本移民の二世ですね。 この辺りは「悪役レスラーは笑う」が詳しいです。
私が知っている範囲では、本文中の記事以外で公の場で朝鮮半島出身だとは語った事がありません。
それから遠藤幸吉が年齢を偽ったのは、話を総合する限りですが、渡米前の記事にも年齢が書かれている様に、出会った時の話らしいです。
渡米中は「遠藤」、「遠ちゃん」、「大山さん」、「まっさん」と呼び合っていたみたいです。
また契約がある為、東郷が解雇するか違約金を払わない限り3ヶ月間は別れられないでしょうね。
  • Leo
  • 2010/10/23 11:54 PM
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