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大山倍達マニアック検定

ライバル対談 三瓶啓二 VS 中村誠 (1983年)

JUGEMテーマ:空手
 
 という事で「月刊空手道」1983年9月号より、「ライバル対談 三瓶啓二VS中村誠」を掲載してみます。
 1979年の第11回全日本で中村先生が初優勝してから、1984年の第3回世界大会までの間に2人で5回決勝を闘う(通算では6回対戦)という快挙を成し遂げ、三瓶先生は全日本3連覇、中村先生は全日本1回と世界大会2連覇を達成、三誠時代と呼ばれる時を作り上げました。 今回はそんな両雄の対談ですね。
 それでは、本編へどうぞ。

月刊空手道1983年9月号.jpg

 
▼まず、お二人の出会いからお聞きしましょうか。
 中村  檜舞台で二人が顔を合わせたのは、意外な場所なんですよね。
 三瓶  第九回大会のときだっけ?
 中村  いやいや、それ以前。 第一回の世界大会のときですよ。

月刊空手道1983年9月号2.jpg

▼あれっ? 第一回の世界大会のときにもお二人は出場していたんですか。
 中村  していましたよ。 非常に目立つ場所でね。 ぼくが、プラカード、三瓶先輩が極真の旗を持って入場行進に参加したんですよ(笑)。 まだ、私がブルー帯の頃でしたけど。
 三瓶  そういえば、そんなことがあった。 忘れてたけど。

三瓶啓二中村誠3.jpg

▼ブルー帯だったのに、また、ずい分大事な仕事をおおせつかりましたね。
 中村  ぼくぐらい身体の大きい選手は他にいなかったんですよ。 身体がでかいのがとりえですからね。 しかし、それだけに館長の期待も大きかったようですよ。
 "身体の大きい人間は大きく育つ、また、育たなくてはいけない"ってしょっちゅう言われてましたから。 こりゃ、一生懸命やらにゃいかんなってかんじだったんですよ(笑)。

▼なるほど、大山館長も期待を込めてのプラカード抜てきだったわけですね。 お二人が試合場で初めて顔を合わせたのが第九回大会だったわけですか。
 三瓶  そう。
 中村  三瓶先輩は第八回のときから出場しているけど、ぼくはこれが初出場でした。

▼中村選手が三位、三瓶選手が六位でしたね。
 中村  ええ、同じDブロックだったから、当たったと思うんですけど、あまり覚えてないですね。 とにかく、このときは技なんか何にもなく、ただがむしゃらで突進していただけですから。

▼三瓶選手は、このときの試合を覚えていますか。
 三瓶  ええ、よく覚えていますよ。 このときは自分なりの覚悟を決めて大会に臨みましたから。
 実は、足の靱帯を切っていましてね。 医者に出場をストップさせられてたんです。 稽古も一ヶ月くらいしかできなかった。 もし、これで足がつぶれたら、仮に大会に勝っても空手はスッパリやめるつもりだったんですよ。 医者との約束ですからね。 しかし、足はなんとか大丈夫だったから、今、こうして空手をやってられるわけですよ。

三瓶啓二中村誠.jpg

▼なるほど。 その大会は、お二人が、空手を始めてどのくらいの頃ですか。
 中村  三年目くらいの頃です。 ぼくが空手を始めた頃は、もう、三瓶選手は黒帯だったですよね。
 三瓶  自分は十八歳の頃から二年間、本部に通ってましたから。 誠と初めて本部で顔を合わせたのはその頃だね。
 中村  ぼくは二十二歳の頃から。 始めるのが遅かったんです。

▼急激に力をつけて、中村選手が三瓶選手に迫っていったわけですね。
 三瓶  どちらが追いかけていたのかわからないけどね(笑)。

▼その後の対戦は?
 中村 第十回のときは、ぼくが二位、三瓶先輩が三位だったけど、試合では顔が合わなかったんです。
 三瓶  二回目は第十一回の決勝のときだよな。
 中村  いやあ、このときは大変な大会でしたよ。 三回戦か、四回戦で顔面なぐられましてね。 その後後遺症で決勝戦は鼻血だらけ(笑)。
 三瓶  十二回大会のときも、なぐられたんじゃないの。 一回戦で浜井かなんかに(笑)。
 中村  歯を四本折りましたね。 このときは。

▼そして、いよいよ第二回世界大会の話になりますが、このときも三瓶選手と中村選手による決勝戦でしたね。 とくに、中村選手は優勝されただけに感慨深いものがあったんじゃないですか。
 中村  あんまりうれしくなかったですね。 ウィリーがあんなことやったでしょ。 残念でしたね。

▼三瓶選手はいかがですか。
 三瓶  ウィリーとの試合ですか? まあ、ご覧になったとおりですよ。

三瓶ウィリー.jpg
三瓶啓二 対 ウィリー・ウィリアムス戦

▼ウィリー選手とは、あの大会で初めて組手をやったわけですか?
 三瓶  いや、何回かやったことありますよ。 アメリカで。
 中村  その辺のことは私がお話ししましょうか。 第三者的な客観的立場で(笑)。 大会前になると視察を兼ねてアメリカへ遠征にいくわけですよ。 世界大会の前にも何回かいったんですよ。 一回目に行ったとき、そのときはぼくも三瓶先輩といっしょに行ったんですが、大山茂さんが、"せっかくアメリカまで来たんだから、ウィリーと組手でもやっていくか"って言うんですよ。 ふつう大会前は、力のある選手同士ってのは、あんまり組手をやらないんですよ。 互いにケガしちゃつまらないから、せいぜいスパーリング程度ですよ。 でも、大山師範も、あの人面白いもん見たがる方でしょ(笑)、ウィリーと三瓶先輩がやったらどうなるか興味を持たれたみたいですよ。 で、壮絶な戦いになることが予想されるから、道場生を全部帰しちゃったんですよ。 しめきってね。 ぼくと三瓶選手、大山師範、藤原、そしてウィリーの五人だけでした。

▼どんな組手になったんですか?
 中村  すごかったですよ。 ウィリーは三瓶先輩よりずっと身体が大きいでしょ。 だから、最初はナメていたみたいなんですよね。 最初、ウィリーが身体で押して、三瓶先輩をころばすと、先輩がコノヤローって向かっていくんですよ。 予想より三瓶先輩がずっと強かったんで、ウィリーがあせってね、あの人、あせると技が小さくなっちゃうでしょ。 三瓶選手に押されたもんだからエキサイトして…。
 そこで大山師範が止めましたね、これ以上やると大ケガをする。 世界大会の場でいい試合をしようということで。 でも、この組手の印象が、ウィリーには、強く焼きついて、それで世界大会ではああいう結果になってしまったんでしょうかね。
 三瓶  第三者は客観的に見るね。 自分では思い入れがあるから客観的には見れないよ(笑)。

第3回世界大会広告.jpg
第3回世界大会の誌面広告

 中村  再びアメリカへ行ったときも、三瓶先輩とウィリーは組手をしましたね、いきなり。 そのときのウィリーはすごかった。 この前はよく恥をかかせてくれた、といわんばかりの形相。
 三瓶  試合にならなかったよ。 だって、あいつ肘打ちと頭突きしかやんないんだもん。
 中村  そうそう(笑)。

▼二回とも世界大会の前の話ですか?
 中村  そうです。 世界大会までに合計三回アメリカに行ってますよ、アメリカは大敵ですからね。 負けたら、腹切れって館長に言われてましたし。

▼余談になりますが、中村選手の空手を始めた動機は、外国にいきたかったからだそうですね。
 中村  そうです。 単純ですネ。 どうしても海外へいきたかったんですよ。 だから、空手を始める前は、航空会社の下請けで機内食などをセットする仕事をしてたんです。 でも、空手をやっているうちに、いろいろと海外につれてってもらえるようになったので、あっこっちのがてっとり早いやって……(笑)。

▼どうですか? その辺の夢が実現できた感想は。
 中村  田舎もんの夢は、確かに実現したけど、ひにくなもんで、あまり楽しくないですよ。 海外には必ず使命を背おっていくでしょ。 もっとプライベートな面でゆっくりと楽しみたい。
 三瓶  でも、結構いいかげんにやってましたけどね(笑)。

▼いろいろと海外に視察にいかれて、外国勢の力はいかがですか?
 三瓶  世界にはウィリークラスはごろごろしてますよ。
 中村  アメリカだけじゃないですね。 ぼくが世界大会の一回戦であたったスウェーデンのラングレーなんかもいい。
 来年はまた世界大会があるわけだけどアメリカだけじゃなく、ヨーロッパもマークしなきゃね。 伸びてる国はいっぱいあるから。

三瓶啓二中村誠4.jpg

▼さて、翌年の第一二回大会では、三瓶選手が初優勝。 以来、一四回まで三連覇を続けているわけですが、このときも決勝でお二人が対戦していますね。
 三瓶  今から考えると、この試合で勝ったことが一番嬉しかったんですが、当時は試し割りの枚数で勝ったからね、喜びは今一歩という印象が残ってます。
 中村  対戦したぼくとしては、"精神的な技"で負けた! というかんじです。 それ以前も三瓶先輩に勝っていたと言っても、KOで勝ってたわけじゃない。 体力で押していただけですから。 このときは、出ようとすると、うまくさばかれてしまって…。
 三瓶  前も月刊空手道で話したんだけど、誠は空手だけでなく人生の壁って存在だったんだよ(笑)。
 中村  いやあ…。 ぼくも三瓶選手に対するライバル意識が、自分をここまで成長さえたという感じはありますね。 ぼくが現役でやっている限りは、必ず三瓶選手は出てこられると信じていますし。
 三瓶  目の前に誠っていう大きな人間がいたからね。 空手だけじゃなく、ほんと人間としても成長させてくれたよ。

▼そういう話が出たとこで、お二人の空手観をうかがいましょうか。
 中村  他流派の人がよく言うでしょう。 極真の空手は本当の空手じゃないとか…。 確かに、ぼくのやっている動きなんかは、空手の理想とする最高の動きじゃないかもしれない。 ただ、ガムシャラなだけかもしれない。 でもね、そういうのが必要な時期があると思うんですよ。 本物を目指すのなら、ガムシャラをやらなきゃだめだと思うんですよ。 若いときは若いときなりの、三十になったら三十になったなりの空手があると思うんです。 十代、二十代、三十代と全部違う。 でも、そのときそのときには一生懸命やるしかないでしょ。 だから、空手道っていうんだと思うんですよ。
 三瓶  誠の言う通りですね。 自分の場合、空手は目的でなく、ひとつの生きる手段だと思ってるんです。 空手をやる上で、いろんな目標があるでしょ。 大会で優勝するとか、ライバルに勝つとか。 そういう目標をいいかげんにしたら、その人間に未来はない。 全身でぶつかっていかなきゃならないと思いますね。
 とくに、二十代、三十代は、一番エネルギーが充実しているときでしょ。 そこでがんばらなくちゃ。 人生を七十年としたら三十なんてまだまだ子供。 そこからおろしてきて、空手を考えたいね。
 それと"倫理感の確立"ね。 本当に空手を武道として学べば、可能だと思う。 白黒のはっきりした、ごまかしのない世界はきびしい。 自分が全部出てしまうから。 本当に動きの一瞬一瞬に、その人が出てしまうんだよね。 命を賭けるわけじゃないけど、それに近い場ほど精神的に磨かれる。 もちろん、完全な殺し合いはできないから、極真もパーフェクトじゃない。 顔面を打てない欠点ってのもあるしね。 まあ、百点満点で七十点くらいかな。 寸止めは二、三十点くらいでしょうか。 武道という見地からの話だけど…。

三瓶啓二中村誠2.jpg
2人で「男なら」を熱唱

▼最後に、今後のお二人の目標をお聞かせください。
 中村  う〜ん。 いろいろあるけど、支部長としては自分の支部で大会を開いていきたいですね。 そこから全日本をねらうような弟子を二〜三人持ちたいですね。 個人的には大会で、三瓶先輩に雪辱を果たすことかな(笑)。
 三瓶  うちも東北大会をやろうと思ってるんだ。 生徒たちがむくわれる場を作ってやりたいしね。
 あとは全日本、そして世界大会だね。 自分の技が向上している限りは出るつもりだよ。
 中村  三十歳までといわず、機会あるごとに大会には出場していきたいですね。
 三瓶  男冥利だね。
 中村  男冥利につきますよ。 もし、生まれ変わって、男だったら、ぼくはまた空手をやると思いますよ。
 三瓶  そしたら、またオレと決勝戦か…。(笑)


 如何でしたでしょうか? 三瓶啓二先生と中村誠先生が優勝を独占していた時代、極真ルール下の空手技術が一気に育った感があります。 リズミカルなコンビネーションと強烈な打撃を持つ中村誠、そしてずば抜けたスタミナと卓越した防御技術に隠れ気味だがオールラウンダーな三瓶啓二、この2人の壁を越えるのは容易では無かったでしょうね。
 それでは、また。


参考文献:
月刊空手道 1983年9月号 福晶堂 1983年
月刊パワー空手 ILLUSTRATED 1983年12月号 パワー空手出版社 1983年
一撃必殺 空手いのち 国際空手道連盟極真会館 講談社 1976年
極真カラテ年鑑第2号 燃えろ! 極真魂 (財)国際空手道連盟・極真会館編 講談社 1981年

参考映像:
最強最後のカラテ 三協映画株式会社 東映 1980年







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