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大山倍達マニアック検定

国会の姿三四郎 毛利松平 後編(1963年)

JUGEMテーマ:空手
 
 という事で、後編です。 前編はコチラ

毛利松平7.jpg

    安保闘争の決闘

 森川  話は、横道にそれましたが、話を国会の柔道にもどしましょう。 国会の姿三四郎の異名のいわれは?
 大山  あれは、安保闘争の時、他党の議員団に襲いかかられた幕切れの時、議長席を死守しぬいた騒動以来、勇名をあげたのではないですか。


 森川  ああ、あの時議長席を守り抜いた三人の侍とか、噂になりましたね。 その時毛利松平の奮闘ぶりというのは、人々を介して、聞いてはいるのですが、大分負傷したそうで……
 毛利  ええ、アキレス腱を切りましてね、三ヵ月は動けない重傷でした。
 とにかく、安全保障条約成立か否か? というぎりぎりの瀬戸際でした。
 安保委員会が、その歴史的瞬間の決定権をにぎっているのです。
 野党の議員たちも必死です。 屈強な、腕自慢の連中が総出で、どっとおしよせてくる。
 吾々が、それに対抗して暴力をふるえば、かえって彼らの術中に陥る。
 暴力で安保を通したといわれるでしよう。
 踏まれても、けられても、殴られても、必死に我慢して、議長席を守り通さなければならない。
 文字通り、無抵抗の死守ですよ。 背後から髪をつかまれ、背中をどつかれ、蹴られ、無数の下敷になっても、議長を守って、その瞬間まで闘い抜いたのです。
 ついに安保条約成立、発効、気がついた時は、私はアキレス腱を切って、身動きできぬ重態になっていたのです。
 森川  凄じい闘争でしたね。 でもやはり、柔道、合気道、空手などで、日ごろきたえ抜いている体だから、無抵抗でも、そこまで守り通せたのでしょうね。
 ですが、その時は、国会柔道連盟は、敵味方ですか?
 毛利  もちろんです。 日ごろは親しくて、
『やあ、やあ』
 などといっている連中も、公的な立場では、敵、味方ですからな。
 志賀義雄君も、柔道連盟の一員ですが、こういう時は、敵側の陣頭に立つ立場です。 おなじ講道館から出ていても、やはり格闘はしなければならない。
 また、それが、武道精神というものでしょう。
 それぞれ使命と信ずることに、死を賭けても挺身する。 そこに武道精神があるのですからね。
 森川  志賀義雄さんという人も、人間的には、魅力のあるりっぱな人ですよ。
 それに柔道できたえたのでしょうか? 体格も、強靱なりっぱなものをもっていますね。
 しかし、安保闘争の秘話に、アキレス腱まで切って成立させたという話があることも、かなり後世まで語り草になるでしょう。
(中略)

毛利松平5.jpg

 森川  吉田松陰が、そういうことをいっていますね。
『日ごろ、喋々と大言壮語する人物は深く頼みにするに足らない。 平生婦女子のように静かで、低声に話す人物、そういう人ほど一朝有事の際に大きな働きをするものである』
 というのです。 もちろん、人間にはみな気質の差というものがありますから、一律におし並べてはいえませんが、平生の心構えというものをいっているのだと思います。
 平生、いつでも国家、社会のために命を捨てる覚悟のあるものなら、つまらぬことにすぐ気を立てたり、騒々しく騒ぎ立てたりすることはない。
 つねに落着き冷静でいられるはずだということでしょうね。
 大山  そうですね。 それも真の偉丈夫の一面ということでしょう。
 真の丈夫は、時には火のように燃え上がらなければならない。
 不正に向っては、剣をふりかざして、叩き斬らねばならない。 不動の利剣ですよ。
 しかし一面すべての人間性に対して、深い洞察力と愛情がなければならない。 水のように柔らかく、静かで、柔軟な自由さをもっていなければならない。
 だから仏教でも、観音の慈悲の顔と、不動や仁王の厳しい面と両方あるのですよ。
 武道はこの火の面を象徴するのですが、やはり、武道の中にも、この静と動、水と火がなければならない。
 安保闘争でも、これを通すことが国家百年のためならと死を賭してでも闘い抜ける。 火の働きができるのは、平生、静の時にその用意ができているからですね。
 森川  やはり現代にも武心が必要ということですか?

毛利松平9.jpg

 毛利  大山さんは、いつでも武心が必要だといわれるが、私もそう思う。 それが、極真館の創立精神の一つにもなっているようですが、現代人は、最もりっぱな日本のこの精神の伝統を忘れている。
 いつの時代でも、正義のために闘うという必要はある。 それが武の意味なのです。 しかしただ闘うのではない。
 生と死の両頭を切断して、その上を行く。 そこに生き抜く武の哲学というのは、現代のような大きな世紀には最も必要なのですね。
(中略)

    武道の心を再現せよ
(中略)
 毛利  私は慶応を出ると、すぐ満鉄に入って、満州にわたりました。
 撫順炭鉱で、二万人の捕虜の中国人を使ったのです。
 尨大な柵をした収容所を管理して用いたのですね。
 ところが、憲兵隊は、彼らに対して大変冷酷で残虐でした。
 私は、それを庇って、軍に抵抗し、ずい分無理をしたものです。
 よく私のこの時代の生活を知る人は、「人間の条件」の梶のモデルだというのですが、決してそうではないでしょうが、それほどそっくりなのですね。
 二万の露天堀の苦力を使ったのです。 二十五六才の時ですよ。
 全体で八万人いて、待遇がひどいので二万人死んだのです。
 まだ日本が彼らの生殺与奪の権をにぎっていたころです。
 暴動の危険があると見て、憲兵隊から幹部十名を銃殺にして見せしめにするといってきたのです。 私は、
『絶対あいならん。 もしやるなら俺を殺してからやれ』
 と、体をはって差し止めた。 しかし戦争末期です。
 事実上暴動の危険はあった。
 憲兵隊は、私の凄じい見幕に驚いて帰っていったが、私はあとで彼らにいった。
『君らと三年生死をともにしてきたが、日本がもし敗戦となった後でも、日本人に対し決して危害を加えないと約束してほしい。 いま聞いていたろう。 俺は、君たちの銃殺を救ったのだ』
 すると幹部は、たらたらと冷汗を流して、涙を浮べた。
『ジャンガイ、有難うございました。 必ず罪のない日本人の命は守ります』
 終戦後、数万の日本人が、路傍に投げ出され、職を失ない、餓死の危険があった。
 私は撫順炭鉱の物資を大量に日本人に分けてやった。
 中国側からすると、
『われわれの財産を横領した』大悪人です。
 それで、私は指名手配の戦犯として逃げ廻ったわけです。
 ある日アパートに帰ってきて、入ろうとすると家の前に中国の警官がいる。
『しまった』
と気がついたので、三階に廻り、その知りあいの家で潜伏していた。
 すると二人の娘、いま大きくなっていますが、当時は乳児でした。 それが凄く泣くのですね。
 あとから聞くと妻が機転をきかして、娘たちの尻をつねりつづけている(笑)
 あまり泣くので、向うの兵隊も、
『どうした?』
と聞く。
『有病で、(病気で)死にそうなのだ。 寝かしてやらなければ、大変だ』
 向うの連中も人間です。 子供に対しては優しい。
『アイヤ、有病、可哀想に』
 かなり私を長いこと、待ったのですが、結局、子供の病気にまけて帰ってしまった(笑声)

毛利松平3.jpg
屏風倒し

 森川  奥さんが命の親ですね。
 毛利  しかしとうとうつかまりました。 河原で日本人戦犯は、毎日銃殺されている。
 女房はちょうど病気で入院し、二人の娘だけが残された時です。
 子供のことで胸は痛んだが、私は観念しました。
 しかし私は絶対日本語しかしゃべらなかった。
 そこで心証もよくない。
『生意気だ』
 というわけです。
 しかし、同じ房の中に、セッ盗罪の男が入ってきた。
 それが、私を見て叫んだ。
『違う。 この大人は、ターターテンハオの大人だ、大変良い先生だ』
 と、過去に私のしてきたこと、捕虜の命を救ったことなどを話した。
 これで留置所の空気は一変し、私は危機一髪で命を救われたのです。
 運も良かったのですが、誠意が、中国の土の上に実っていたことを知って、嬉しかったですね。

    金も要らぬ名も要らぬ

 森川  私の父も、ハルピンで、ちょうど先生とおなじような苦労をしたので身につまされて聞いたのですが……
 父の場合は殺されました。
 父は、青年時代、床次竹二郎氏の紹介で、後藤新平伯を頼って満州にわたったのですが……徳島の出身でしたから。
 以来中国人の子弟の教育のために身を捧げて三十数年。
 文字通り彼らと陋屋に寝、藁の中で生死をともにして、育て上げたのです。
 中国人からは神のようにいわれた人で、憲兵隊から捕った学生たちは、身を挺し、命を賭けても救ってきたという人です。
(中略)
 そのまま終戦になった。 父はそこで何をやったか? 今度の支配者はソ連、中共、中国軍です。
 あいつぐ政権が、申しあわせたように日本人の弾圧、虐待をくり返した。
 今度は父は、それに抗して、日本人を庇って闘いはじめたのです。
 いままで養った中国人間の信望で、ずい分多くの日本人を救い出すことに成功したのですが……
 その結果は銃殺でした。 もちろん、無実です。
 しかし私は結果としては、父は最も意義ある生き方をした。
 そして日本の武士道というものはどういうものかを、あの土の上に残してきたと思うのです。
 多くの中国人の学生が
『世が世なら先生の記念碑を立てるのに』
 と泣いておりました。

毛利松平8.jpg
中村忠と岡田博文の組手

 大山  そうですね。 権力に対して屈せず、迎合せず、自分を曲げず、信念の道を行くという気魄をいまの青年たちはほしい。
 それが、ほんらいの武道というものですから……
(中略)
 弟子たちに、人間の価値という問題ですが、私はいつもいう。
 時の権力にうまく棹さすよりも、自分の命を投げ出して、江戸を内乱の火の手から救った山岡鉄太郎のような生き方、これが武士道です。
 これは私闘ではない。
 いわば天意の道を行くことで、その決意があれば、人力としては思いもかけないことが行ぜられるものです。
 大石良雄も、普段は人と争って、自分の頭角を現すようなことのない人であった。 しかし一朝非常の際は、節を立てるための指導者になり得た。
 これも私闘ではない。 我欲から発したものでないから、この世に大義というものを残せるのです。
 金も要らぬ。 名も要らぬ。 命も要らぬという人でなければ、ともに、国事を談ずることあたわずと、西郷隆盛はいった。 その誠意があればこそ、人を動かし、世を導き得るのです。
 毛利  要は、永遠に人間の不完全を認めて永遠に努力する。
 そうすれば、空手も、柔道も飛躍的な進歩をし、完成へ近づいて行くのではないでしょうか……
 森川  ご多忙の時間をきいていただき、本日はいろいろとありがとうございました。 ではこの辺で……
(この項おわり)

 という事で如何でしたでしょうか? 別ウィンドウで昔のドラマを見ながら書いていたので、前後編だけで4時間くらい掛かってしまいました。 解説は…特にいらないですかね。
 それでは、また。


参考文献:
剣豪列伝集 88号 双葉社 1963年
武道日本 森川哲郎著 プレス東京 1964年

 






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コメント
超豪華メンバーです。凄いです。

毛利会長だからこそできる演武会です。

「大山倍達、彼は私の弟子である」
と海外で咄嗟に言われたそうですが
あらためて写真で見ると会長も迫力ありますね。。

黒崎先生としても親分の親分ですから仕方ないでしょう。


森川先生が冤罪を憎む理由のひとつがわかりました。

貴重な記事ですね。ありがとうございました。
  • もん爺
  • 2011/09/10 3:25 PM
>もん爺さん
毛利会長は体もがっしりなさっていますし、貫禄十分と言った感はありますね。
大山総裁や芦原先生が信頼なさっていた方ですから、やはり何かを持っていたのでしょう。

森川先生に関しても、先生の父が原点だと思いましたねぇ。
  • Leo
  • 2011/09/10 6:42 PM
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