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大山倍達マニアック検定

「カラテ群像」5 小坂修一 初段(1982年)

JUGEMテーマ:空手
 
 という事で今回は大山倍達総裁の目白野天道場時代に入門された小坂修一氏です。

小坂修一3.jpg

小坂修一初段
 昭和12年生まれ。 高校生のとき、同級の待田京介氏の紹介で大山館長の目白の稽古場を訪れ入門、以来6年間に亘りカラテの修業を積んだ。 その間、東京薬科大学に入学し卒業後は東大病院に研究生として入る。 現在は家業を継ぎ江古田にて小坂薬局を開いている。 目白時代のメンバーを中心に"双葉会"を結成し、今も尚大山館長との師弟の親交を温めている。

 カラテの稽古を本格的にはやらなくなってから、もう20年以上も経った極真の"O.B."です。 私が大山館長に初めてお会いしたのはもう30年も昔のことになります。

小坂修一1.jpg

 昭和28年の春、私が高校2年生のときでした。 たまたま隣の席に座った待田京介君(現在俳優として活躍中。本名は薦岡康彦)がカラテを習っていると誰かから聞いたのが、興味を持ったきっかけです。 待田君は決して自分からはカラテの話をしようとはしませんでした。 筋肉のしっかりとついた目玉のギョロッとしたその彼とじきに友達になって聞けば、中学生の頃から大山先生のもとに通っており、かれこれ5年以上稽古しているとのことでした。 目白で一心に空手の稽古をしている人。 身体の大きな無口で眼光鋭い人。 途方もなく強い人。 待田君からこんな話を聞いてから、私は、カラテとは一体どんなものだろう、大山先生とはどんな方なのだろう、と益々興味を深めていきました。 一度この目で見てみたいとそんな軽い気持ちで待田君の後について目白のお宅に伺ったのが、私と大山カラテの出会いとなった訳です。

小坂修一2.jpg
目白時代

 待田君に伴われて私が庭に入って行くと、ジロリと鋭い一瞥をくれ「来たか。」とその一言だけであとはもう稽古に入ったきり一筋でした。 勿論待田君もそうでした。
 この日以来、私も大山先生の目白のお宅に伺うことになったのですが、実際私達が先生のお宅におじゃますることは、入門したというよりもむしろ大山先生の稽古をじゃましに行っていたと言うのが本当のところだったでしょう。 稽古場となった先生宅の庭はL字型で片方で型や移動稽古をし他の方には先生独特の巻藁が置いてありました。 朝9時から3時頃まで約6時間、型→バーベル→巻藁→型と、言ってみればマンツーマンのような形で、まず先生のマネをできるだけすること、そして先生と同じ時間トレーニングを続けられるようにすること。 一日のうちに一言二言の注意を受けるだけであとは動けなくなるまで夢中で身体を動かしているといった毎日でした。 余りの激しい稽古の為に40度の高熱を発し1週間動けなくなったこともありました。 朝、和式のトイレで立ち上がれない、両手で障子が開けられない等日常のこと。 しかし稽古が始まるとちゃんと昨日と同様な稽古ができるのです。 まったく、これが若さというものだったのでしょう。 先生との初めての組手も忘れられない思い出です。 何をしても良いものやらさっぱりわからず、まるでスモウのぶつかり稽古のように頭からぶつかって行きました。

小坂修一4.jpg

 一番楽しかったのは、ちょっとした休憩のときの先生や先輩方の雑談で技やトレーニングの工夫話を聞くことでした。 もう殆ど忘れてしまいましたが、例えば、顔面への貫手から顎や鼻等への掌底、更に鎖骨への手刀へと攻撃を一つの動作として連続させる、目には下方から(貫手で)攻めるべきか、上段受けと上段正拳の中間はカウンターにならないか等々。 私といえば、バレエの身体の動きが、手足の引きと回転に利用できないか等々考えていました。 皆それぞれに工夫が有り、先生はいつも笑いながら聞いておられました。
 その先生の技は何と言っても基本に忠実でその上比類ない程正確なものでした。 私は先生と組手をした際に、私の出した蹴りに対する先生の下段払いで2度も足の甲を骨折しています。 正確に足の甲の中心をとらえるというのはできそうでできないことです。 このことは先生の受けは即攻撃という威力をもっていたということもいえます。 先生の下段払いはまるで鉄槌と同じようでした。 本当の受けというものはこれだと今でも私は思っています。 それから先生はあの大きな身体をふと小さく見せるということも組手のときになさっていました。 対峙した先生の身体が一瞬縮んだかのように下に沈んだかと思うと、スパっと下から攻撃をされる。 非常に面くらったものです。 相手の間合いを見誤らせる為にも自分の身体を大きくまたは小さく見せるという事は両方大切だと思います。

小坂修一5.jpg

 その頃の目白のメンバーというのは、待田京介先輩と、私より2日早く入門の安田銀治先輩、手とり足とり教えて下さりたまにはゲンコも頂いた加藤健二先輩、身体中に傷のある岩村先輩、そして近所のチビッコ連中に大きな大山先生と入りみだれての稽古風景で、本当に一つの家族の様でした。 先生のお宅の庭の他にも西武戦と山手線の交差する付近の空地、川越街道のロータリーのところの空地等でよく稽古をしました。 野天での稽古これが目白時代でした。 霜柱の立った所での騎馬立ちの黙想など、今は楽しい思い出の一つです。
 「道場が決まったぞ!」加藤先輩からお電話を頂きました。 榎本バレエ団の練習場の跡。 屋根が有り板敷の鏡もある道場、電気もつきます。 水道も有ります。 夜でも稽古ができます。 水も飲めます。 大山道場の看板もつきました。 いつでも行けば誰かに会えます。 こんなに嬉しかったことはありませんでした。 稽古の時間が決まり、道場生も少しずつ増えて来ました。 この頃に、写真によるカラテ指導書"What is Karate"の作成が始まり、安田栄治さんと私がそのモデルをすることになりました。 彼の技は速く正確で組手の力強さといったら、彼の足刀を掌底などで受けると内出血しアザになるほどでした。 表紙の正拳瓦25枚割りの写真が彼です。 二人共プロの写真家の撮影と聞いて内心はびくびくものでしたが、何とかスタジオに数日間通って撮り上げました。

安田英治瓦割り.jpg
安田英治の瓦割り

 だいたいこの大山道場ができる頃迄に稽古に通った人々が先生を囲む会を作り"双葉会"と名づけました。 先生が修業一途の目白時代におしかけた弟子達の集りです。 大山先生は私達からは、"館長"というより、大きなちょっと恐い兄貴のような感じで、やはり"先生"とお呼びしたいところです。
 大山道場ができてしばらくすると加藤先輩はじめ諸先輩がお仕事に忙がしくなり余りみえなくなりました。 非常に寂しく思ったものです。 その頃に心臓の弱いY君が妹さんと一緒に入門して来ました。 というより妹さんにつきそわれてと言った方が正しかったと思います。 やせて姿勢も悪く、準備運動が終わらないうちにしゃがみ込んだり倒れてしまう有様でした。 当時私が薬科大生だったこともあり、初日に先生から面倒を見るようにと言われましたが、果たしてこれで稽古ができるようになるのだろうかと疑問でした。 それでも少しずつ稽古の時間を伸ばし続けていくうちに、筋肉もつき一般の人と同じ稽古ができるようになり、段々に強くなりました。 私が大学を卒業し病院に勤め道場に通えなくなって1年近くたった頃、無性に恋しくなって夜9時頃道場に顔を出すと、Y君が一人で道場清掃をしていました。 先生の稽古着を借り、手合わせしようと構えてただただびっくり、私はもう適いませんでした。 技は勿論気力充分。 この人が3年前ちょっと動くと青くなってへたりこんでいた人か。 もう私の出る幕はないと思い道場から遠のいたのはその時からです。 その彼が大きな黒人の道場破りを倒したのはそのしばらく後でした。 体力が無い、身体が弱いと思っている方、努力次第で彼のように一般の人間をしのぐことはできます。 どうか頑張って下さい。
 終わりに、技はもう身体から離れていってしまいましたが、決断のにぶかった私に決断することの大切さを教えて頂きました。 かつての稽古で身にしみこんだものが、色々生活の中で生きています。 あの大山道場で学び得たものを今後も大切にしていきたいと思っております。


 という事で如何でしたでしょうか?
 ちなみに小坂氏は"What is Karate?"で、平安のIとIIの演武を担当していらっしゃいました(他には手技でやられ役とか護身術とか)。 今回の記事では語られていませんが、実際には大山倍達総裁の元に見学に行った時は、他にも10名ほどの同級生と一緒だったそうです。 そしてサーキットトレーニングと型を延々と繰り返していた結果、小坂氏しか残らなかったと。
 目白時代の生徒はあまり組手はやらなかった様で、立教裏に移った時は大学空手部の現役には「コテンコテンにやられた」そうです。 ただ、延々と稽古をやらされた目白時代の方が体力的に辛かったとか。
 まぁ、この時代の大山総裁は自分が強くなる為の稽古ばかりやっており、組手が少なかったのもそう言った理由でしょうね。 立教裏に大山道場が出来た時も暫く顔を出しませんでした。 自分の名前を冠した道場でありながら全く顔を出さない為、週1回でも指導して下さいと指導員が直訴しに行った、というのは多分有名な話です…よね?
 その後極真を離れた後も30代前半と40代後半に壮年部に再入門し、あっさり大山総裁に見付かって声を掛けられたそうです。
 後、目白時代に撮られた写真の引き手の位置に注目して欲しいですかね。 実はこの時期の大山空手は引き手の位置が違うのです。 恐らくは、体系だって指導出来る剛柔流系の指導員が大量に増えた結果そうなったのでしょう。 昔の大山総裁も引き手の位置が低かったのですが、そもそも引き手を取っていない写真もあるので、あまり拘っていなかったのかも知れません。

大山倍達とリチャードキム.jpg
1953〜54年頃

 引き手の位置が明確に変わるのは、"What is Karate?"の改訂版からです。 初版では引き手の位置が低かった安田英治先生も、改訂版では引き手の位置が高く、現在の極真と同じになっています。 大山空手から日本空手道極真会になった瞬間でしょうかね。

引き手.jpg

 体系だって稽古していなかった目白時代と、一定の稽古体系が出来た立教裏時代の差違とでも言いましょうか。

 …そう言えばまだ目白野天道場の跡地に行った事はありませんでした。 大山道場跡地は何度か人を連れて行った事もあるのですが。 目白時代のOBが作った会が「双葉会」なので、板橋区双葉町が最後の場所だったのかな?  小坂氏が入門された時は1953年ですが、大山総裁が目白から板橋に引っ越ししたのが1956年6月以前です。 今も空き地だとは思えないので場所の特定は不可能でしょうが、山手線と西武池袋線が交差する付近というのは目白3丁目です。

目白野天道場.jpg
円から左下の方に大山邸があった

 1962年に施行された住居表示法により番地が変わってしまいましたが、大山総裁の目白時代の住所も3丁目辺りですので、近所で稽古していた、という事ですね。 1950年代半ばから60年代半ばまでの大山総裁はお金が無かったので、目白3丁目→板橋3丁目→板橋区南町→池袋3丁目と転々としています。
 それでは、また。


参考文献:
Masutatsu Oyama, What is Karate? EVERYONE CAN PRACTICE KARATE MYSTERIES, Tokyo-News Co., 1958
Masutatsu Oyama, What is Karate? Revised edition, Tokyo-News Co., 1959
月刊空手道 1956年7・8月号 空手時報社 1956年
月刊パワー空手 ILLUSTRATED 1982年10月号 パワー空手出版社 1982年
ゴング格闘技12月6日号増刊 極真カラテ強豪100人 日本スポーツ出版社 1994年
古地図ライブラリー別冊 古地図・現代図で歩く 昭和三十年代東京散歩 人文社 2004年


 






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コメント
お久しぶりです。
リンクしていただいたブログ、なかなか再開通できず
すみませんでした。本日やっと復旧しましたので今後ともどうかよろしくお願いいたします。

小坂先生、懐かしいです。。
当時、大山道場時代のお話をうかがうのが楽しくて、よくオジャマしていました。そういえば、小坂先生はバレエの回転技の研究されていて、実演付きで伝授していただきました。あと掌底目突きも(笑)

江古田の小坂薬局には大山館長をはじめ郷田師範、大山道場時代の錚々たる方々が入れ代わり立ち代わり集っておられました。空手的にはすごい薬局でしたね(笑)
  • 天下
  • 2011/10/29 5:42 PM
>天下さん
お久しぶりでございます。

というか、幻の技術、小坂先生から習いましたかw

郷田先生は結構色々な所にヒョイヒョイいらっしゃいますよね。 極真と関係が深いお店の何カ所かで見掛けた事があります。 でも、小坂先生の所まで行かれているとは思いませんでした。
  • Leo
  • 2011/10/29 6:41 PM
田園コロシアムにもスタッフとして参加されたそうです。警察からの命令で牛を叩けなかったとおっしゃってましたね。毎年年末には双葉会の忘年会(同窓会?)にイソイソとでかけられてました。
書いてるうちにいろいろ思い出してきましたが、ここで書いていいものやら、、というお話が多かったです(笑)
  • 天下泰平
  • 2011/10/30 12:36 PM
>天下さん

まぁ、書けない話がありましたら、それは心の内に仕舞って置いて下さい。 ただ、「王様の耳はロバの耳!」と言いたくなったら、こっそり教えて下さいw

ところで、先日Twitterにも書いたのですが、当時目白に通って居た門下生?の内、2人が日本プロレス初期に入団しているんですよね。 大山茂、泰彦兄弟の長兄、立教大の大山博氏と、明大の金子武雄氏。
で、まだ確証では無いのですが、どうも木村政彦先生と力道山が闘った1954年の日本選手権以降に引退してるっぽいんですよ。
これって、ひょっとしたら大山総裁が紹介したからではないでしょうか?
そう考えると、まだ海のものとも山のものともつかないプロレスに大山空手関係者が2人も入団した事も、早い時期に引退した事も筋が通る様に思います。

まぁ、珍説に該当しますけどw
  • Leo
  • 2011/10/30 2:07 PM
今日25/10/26は安田栄治さんのお葬式です。昨日の通夜は極真会館初代師範代の渡邊一久氏が出席、今日は大山倍達館長の館山時代に初めての弟子となった待田京介氏が弔辞を述べます。彼は本当に強く、大山館長の空手をそのまま受け継いだ方だと思います。
彼(安田氏)の池袋武勇談は、新宿歌舞伎町事件の間違いでしょう。旧コマ劇場そばの事件です。私がその数分前に会い翌日道場で聞いたのは、私が会った路上で6人ほど倒し、新宿駅ホームまで走って戻っ他ところ、後を追ってきた人がいて、振り向いた所、学生が即土下座して弟子入りを頼まれたと言うことでした。
  • 小坂 修一
  • 2013/10/26 1:01 PM
>小坂先生

安田先生はやはり亡くなられたのですね。
確か…21日頃に訃報を聞いたのですが、曖昧な情報でしたので、取り上げて良いものか困惑しておりました。
以前倒れられたと聞いてましたが、渡邊先生との対談で元気そうでしたので、ホッとしていたのですが、実に残念です。
ご冥福をお祈りします。

恐らくはこれが生前の最後のインタビューになるかと思いますが、安田先生と渡邊先生の雑談映像です。 「ニコニコ動画」の有料動画で、時間は短いですが、「ファイティングTVサムライ」での出演以来だったかと思います。

伝説の空手家・安田英治が語る でかい相手を倒す必勝法とは?
http://www.nicovideo.jp/watch/1351695982

ところで土下座ですが、あれですよね、追っ掛けて来て、「先輩! 先輩はどちらの空手部ですか…!」と弟子入り志願したという。
大阪ではレスリング部の主将を伸ばしたとか、武勇伝の多い方でした。

追悼記事については、詳しい情報を得てからにさせて頂きます。
  • Leo
  • 2013/10/26 3:04 PM
そういえば、安田先生がプライドの商標を持ってらしたんですよね。

それで最初のプライドの興行のときにG師範に困るというお話があったけれど、G師範はあれは極真とは関係なくやっているので直接言って下さいとという話をされて、

当時代表幹事になっていたK選手は実質の運営者じゃなく困ってプライド1という数字をつけて何とかおさめようとしたけど結局訴訟になったんだと思います。

プライドがナンバーシリーズというシリーズ化するには安田先生の影響もあったということですかね。
  • てる
  • 2013/11/03 7:14 AM
>てるさん

あれ、安田先生がプライドの商標を持ってらしたんですか?
商品、役務区分がどうなってたのか気になりますがw

今商標DBで調べるとPRIDE FC WORLDWIDEになってるので、商標移管したのかなぁ。
履歴については特許庁に行かないと見られないのであれですが、興味深い話ですね。
  • Leo
  • 2013/11/03 1:25 PM
歳をとるとすることが無くなって、また余計なことを書かせてください。
本人の許可を取っていませんから、書くと叱られるかも知れませんが、待田京介さんが(大山先生の一番古い終戦直後からの弟子です)先生の思い出の本の原稿を書いています。私も知らない所も多く、裏付けや取材も充分しているようです。
また館山時代の道場の話も載るのではないかと期待しています。
その後、当時の呼び名で、健ちゃん(加藤さん)切られの与三さん(体中に刀創が有った初代大阪支部長)が入門し、その話も載っていないかと思い、私も早く読みたいと思って期待しています。
  • 小坂 修一
  • 2014/03/15 9:59 AM
>小坂先生

今月末発売予定の本ですよね、私も予約してるので、楽しみにしています。
特に千葉と目白の道場の話には期待していますね。
個人的にはあまり語られた事の無い方も取り上げて欲しいところです。
明大の金子さんとか、立教の大山博さんや、近所の子供たちなど知りたい話は山ほどありますw
  • Leo
  • 2014/03/15 9:25 PM
管理者の承認待ちコメントです。
  • -
  • 2014/04/24 10:59 AM
管理者の承認待ちコメントです。
  • -
  • 2014/04/26 12:41 AM
目白時代の思いでが遅れて申し訳有りません。
一部コンピュータから消えてしまい、捜索中です。明日は待田君が椎間板ヘルニヤ病院にいくので、大山先生の癌を見つけた野口先生も入院している病院ですので、お見舞いに行くなど変に忙しくなるべく早くご連絡します。
  • 小坂 修一
  • 2014/05/22 12:54 PM
>小坂先生

ありがとうございます。

待田先生の本の出版がまた伸びてしまいましたけど、こちらの楽しみにしております。
  • Leo
  • 2014/05/23 12:35 PM
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