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大山倍達マニアック検定

ある日の極真会20 (現代カラテ 1970年8月号)

JUGEMテーマ:空手
 
 という事で、人気シリーズも20回目を迎えました。 実は手元にある「現代カラテ」も、これを終えれば残るは1冊となります。 全部で63号発行されたみたいなので、ちょうど1/3を紹介する事になりますねぇ。 また入手出来ればその都度紹介して行こうとは思っていますが、貧乏人には中々難しいですw
 
現代カラテ1970_8.jpg

 では、「現代カラテ」の1970年8月号ですね。 極真空手がブレイクし始めるのは「空手バカ一代」が始まる翌年の事ですが、キックボクシング、全日本大会、「虹をよぶ拳」やいくつかの少年雑誌と、大山倍達の名は着実に知られ始めた頃になるかと思います。 当ブログで何度も紹介している様に、大山総裁は昔から名が知られていましたが、皆が知っている訳ではありません。 海外に出れば沢山の支部道場があったとはいえ、この時期はまだまだ小さな組織でした。 それでは本編。


「空手ニュース」国内から

ヨルダン王室2.jpg

・ヨルダン王室一行極真会館訪問
 6月11日夜、ヨルダン王室の一行が来日した。 東京では、極真会館見学、演武会参観等をされた。
 羽田へは大山倍達館長他多数の門下生が参加。 また会館評議員で代議士の河合大介氏、外務省中近東課の野宮課長、鰐淵和馬氏、ヨルダン名誉領事松本高氏等が出迎えた。 一行はフセイン国王ムナ王妃、フェリアール王弟妃殿下、側臣のムーナシム・ビルベイジ氏、ムナ・リファイ宮内大臣夫人、王妃付女官の5名である。

・全日本空手道連盟との2回目の会合
 5月22日、赤坂において全日本空手道連盟と国際空手道連盟の会合が行われた。
 これは、全空連の呼び掛けに国空連がどう対するかという大きな課題を持ったもので、前回の話し合いでは問題が明確化という段階だったが、今回は更に内容が詰まったと言えるだろう。
 出席者は極真会館側が国際空手道連盟会長毛利松平氏、同副会長の塩次秀雄氏、評議員の河合大介氏、作家の真樹日佐夫氏、そして大山倍達館長で、全空連側は笹川良一会長、理事の大竹一蔵氏、理事長の江里口栄一氏、事務長の坂井武彦氏が出席した。
 今回の会合では両連盟会長が出席しており、ある程度の着地点を見るのもそう遠い事では無いだろう。
 大山館長も笹川会長の人間の大きさには一目置いており、進展を感じる。

・大山館長48歳の誕生日
 年々繁忙さが増している大山館長が、6月4日、48回目の誕生日を迎えた。
 この日は会館職員や道場生に祝され、久々にゆっくりとくつろいだ。 また、アメリカの愛弟子の中村忠、大山茂両氏からはお祝いの手紙と帽子を贈られてご満悦の様子であった。

・中山暢講師、本部道場で講義
 マッサージ・整体術家の中山暢氏は、毎月一回、極真会館帯研究会で整体術を中心に、マッサージ等の講義をしている。
 空手は単に攻撃的な格闘術という面だけは無く、人体の健全なる調和を生み出す事も目的にしなければいけないという大山館長の持論により、呼吸法、活法、マッサージ等を含む整体術の講義を黒帯、茶帯以上の道場生を対象として行われている。

・インゴ・フライヤー氏、ベルリンへ帰る
 西ドイツのベルリン支部長であるインゴ・フライヤー氏は3カ月の本部道場空手修業を終え、7月23日に帰国した。

インゴ・フライヤー.jpg

 7月23日の夏期合宿にも行く予定であったが、長期の支部長不在でベルリン支部への打撃が大きいとの事で、早く帰国する事になった。 6月28日に二段に昇段し、支部長としての正式な資格を得て、今まで以上に活躍されると思われる。

・大阪韓武館創立10周年記念演武会
 7月5日1時から大阪韓武館道場では道場設立10周年を祝して盛大な演武会が催された。
 韓武館長の武田昇氏は、第1回オープントーナメント空手道選手権大会において、名審判振りを発揮した信望厚い人物で、大阪空手界の中堅として活躍している。 この演武会には大山倍達館長も招かれ、駆け付けた。

海外から
・ロンドンのブライアン氏、二段に昇段
 ロンドン極真会館傘下の支部長で有る、ブライアン・クローリー氏は、6月1日付で本部より二段を授与された。
 優秀な警察官でもある氏は、先日もナイフを持った自転車泥棒を大格闘の末に取り押さえ、表彰されている。

・ニューヨーク極真会館空手大会
 極真会館ニューヨーク支部では、中村忠支部長監督の下、盛大な空手大会が催された。
 中村支部長は、北アメリカ連盟委員長として大活躍しており、アメリカ空手界でも実力者として知られている。

真剣白刃取り.jpg

・アメリカホワイトプレイン道場でも空手大会
 中村忠支部長と並び、アメリカ空手界で名を馳せている大山茂支部長率いるホワイトプレイン支部では、今回で3度目となる、3州空手選手権大会を開催。
 中村支部長と道場生も大型バス2台、120名の生徒が応援に駆け付け、大成功を修めた。


極真会館海外支部の動き
スウェーデン ゴーザンバーグ支部
支部長 アッチラ・メスザロス

メスザロス.jpg

 メスザロス氏は古くより空手に勤しみ、1966年5月には極真会館の初段となり、翌67年2月には支部長認可を受けた。 また、今年の春にはスウェーデンで初というスウェーデン語で書かれた空手の本を出版した。
 氏をきっかけとして、北欧三国へも影響を与えて欲しいものである。

クニの目
あきめくら
文:大山国良

漫画「空手記行」 第18回
絵: 大倉元則
原作: 大山倍達著「世界ケンカ旅行」

日本剣客列伝(4)
無刀流 山岡鉄舟
文:大杉豪夫

カラテ・エッセイ
活法と急救処置
(4)骨折、捻挫、脱臼
文:極真会館館長 大山倍達

空手・レポート
空手と私
文:安里吉雄

 将来「ケンカ旅行」は必ず映画化されると思う(この時極真会館ブームがおこる)。
 石原プロあたりが目をつけないのが不思議なくらいである。

投書からひろって
文:トミー・エモンズ、リチャード・ウィギトン

ヨルダン王室の愛弟子達来たる
フセイン国王王妃一行極真会館を御訪問

ヨルダン王室1.jpg

 羽田へ出迎えた大山師範の一行の顔を見て顔のほころぶ王妃達の顔には師の姿を見て安堵する様子が見えたのにはほほえましい。 何といっても、直接的な知った顔は日本では大山師範一人とあれば、心のほぐれを感じたのもいなめない。
(中略)
 2年前には、大山師範が招かれて、王宮で、一ヵ月にわたり直接指導している。
 今度の来日についても、モハメット殿下から大山師範に手紙があり、王妃一行の極真会館見学を依頼して来ていた。

ヨルダン王室5.jpg

 一行が極真会館に訪れたのは6月14日3時会館前に整列した道場生100名に出迎えられて門をくぐった。

ヨルダン王室3.jpg

 館内を大山師範の案内でまわり、後道場において委員、道場生の前で、ムナ王妃、フェリアール妃殿下に初段の免状と黒帯、道着が授与された。 大山師範にそれらを手渡された時の二人は大変に嬉しそうであり、すぐさま、道着をはおって記念写真をとる。 その後館長室で、大山師範と談笑、写真を見たりして楽しく過していたようだ。

ヨルダン王室4.jpg

 退館してから西武デパートを見、一行は一度ヒルトンホテルに戻って着がえ5時半からの極真会館主催の歓迎パーティに出席された。
(中略)

ヨルダン王室6.jpg

 中でも一行を驚かしたのは、記念演武で行った山崎照朝氏と添野義二氏による組手であった。 何といっても、二人は第1回トーナメントの一位と二位をしめる実力者、その迫力には驚きを示していた。 また、四国支部長芦原英幸氏による頭突きカワラ割りには拍手を惜しまなかった。 演武ののちカクテル・パーティーに入り極真会館会長代理(会長は海外旅行中だった)として副会長の塩次秀雄氏の挨拶。 作家の森川哲郎氏、梶原一騎氏からも歓迎の挨拶が行われた。

ヨルダン王室8.jpg

(中略)
 大山師範はその後大阪へ発って王妃一行と会いフセイン国王等へ贈り物をされた。

ヨルダン王室7.jpg

 五百年前にうたれた銘刀一ふりと時計など数々のプレゼントにフェリアール王妃は「クリスマスのサンタクロースのよう」と大山師範に冗談を言ったりして喜びを見せていた。

「武道と空」 第36回
文:作家 森川哲郎

「私の道程」第43話
文:極真会館館長 大山倍達


 如何でしたでしょうか? 今回はヨルダン王室の来館特集でしたね。 これだけ大掛かりなのは、ショーン・コネリー氏が来館されて以来でしょうか。 あの道の狭い住宅街に突然湧いた大騒動、ご近所の方々はどう思われたんでしょうねぇ…。
 ところで、梶原一騎先生が演武会で挨拶を行ったとの事ですが、後に梶原先生は芦原英幸先生著「流浪空手」の序文で当時の事を書いています。

karabaka23_1.jpg

 王室一行の宿舎、東京プリンス・ホテルの大広間において、芦原君が添野義二、山崎照朝の両君を相手どって組手を王室一行に披露した。
(中略)
 その竜虎の両君を、なんと芦原英幸は、いとも楽しげに軽々と、ものの一分間と要さずマット外へ突き出してのけたではないか。 ホイ、ホイ、ホイ、と口拍子をとりながら。

karabaka23_2.jpg

 この様子は劇画「空手バカ一代」にもありますが、2人が第1回大会前に四国空手修業へ赴く切っ掛けとして、大会前にやった事になっています。 でも、ご覧の通り当時の記事には芦原先生との組手について触れられていないんですよね。 この組手、実際にあったんでしょうか?

 それから全空連との会合ですね。 第1回全日本大会直後から都連盟を経て全空連と話し合っていたという証拠になるでしょう。 この会合か次の会合で決着しているはずです。 真樹日佐夫先生が同席しているので、これが最後の会合かも知れませんが。
 ちなみに原文の記事では何故か日本空手道連盟となっており、これが極真で「日空連」と呼ぶ切っ掛けになってるかもです。 個人的には「ウチが参加してないのに『全日本』じゃないだろう」と反発してるのかなーと思っていますw

 と今回はこんなところで。 それでは、また。

参考文献:
現代カラテ 1970年8月号 現代カラテ研究所 1970年
KCコミックス 空手バカ一代 第23巻 原作:梶原一騎 漫画:影丸譲也 講談社 1977年
流浪空手 芦原英幸著 スポーツライフ社 1981年







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コメント
 いつもいつも貴重な記事、お話しをありがとうございます。
 他では目にする事のできない内容ばかりで、ブックマークして毎回楽しみにしています。
 大山総裁48歳ですかー。今の僕と同じ歳ですが、もうすでにこれだけの組織を運営して、貫禄充分ですね。
  • 2011/11/06 11:37 PM
>風さん

いえいえどうも。

確かに過去の記録を見ていて自分と同じ年齢を発見すると、ただただ感心しますよね。

  • Leo
  • 2011/11/07 12:45 AM
梶原先生は盛り上げるのがうまいですね。
影丸先生の絵がカッコいいからなおさらです。

根拠はないですがやっていないのではと思います。

前にコメントさせていただいたかもしれませんが
「日空連」表示
は非常に気になっていましたw。

なるほどこの記事からの表記が始まったのですね。


  • もん爺
  • 2011/11/16 5:39 PM
>もん爺さん

私も組手演武は無かったのかな? と考えていますw

「日空連」もこの記事が初出の可能性がありますが、やはり「全日本」じゃないだろうという反発があったのかも知れませんね。
  • Leo
  • 2011/11/18 2:02 AM
極真がなくて何が「全日本」だ?。
と当時の館長が思って「日空連」と表記したのでは
というのは十二分にあり得ると思います。
  • もん爺
  • 2011/11/18 4:20 AM
>もん爺さん

もう1つの可能性として、今更思い出したのが、第3回全日本のプログラムに書いてある河合大介氏の祝辞ですね。

昨年のこの大会には、財団法人日本空手道連盟会長の笹川良一先生もご来場下され、このルールに対し非常に興味とご理解をお示し下さったことに、深い感謝と心強さを感じております。

何か一貫し過ぎてる様に思えます。 ひょっとしたら、ですが、元々「日本空手道連盟」だった可能性もあるかと。 一応今の全空連以前に「全日本空手道連盟」という大きな別組織がありましたので、設立当初は「全」の字が無くて、後に旧全空連から引き継いだとか、そう言った事があったのかも知れません。
  • Leo
  • 2011/11/19 11:11 AM
確か錬武会が全空連名称を使っていたのですね?。
名称問題は今も昔も大変なんですね。


第二回大会に笹川会長がですか?。それは驚きました。

今思うと
大同団結させたのはすごい事です。
空手バカ一代に洗脳されていたので
弱くて悪い奴らの集団というイメージだったので
当時は笹川会長の功績に気がつきませんでしたがw。





  • もん爺
  • 2011/11/20 5:32 AM
>もん爺さん

錬武会もそうですが、確か最初に全空連を名乗ったのは和道流だったかと思います。 …ちょっと「月刊空手道」を確認しないとはっきりとは言えませんが。
後、遠山寛賢先生の所の修道館も全空連総本部になっていました。 他にも「全日本空手連盟」という組織もあったりしてややこしいですw
1956年の「月刊空手道」(空手時報社)に蔡長庚先生の全空連による暑中見舞がありますが、錚々たるメンバーです。
パッと見、剛柔会と協会、糸東流以外は入ってるんじゃないかと思うくらい豪華ですね。

笹川良一氏の全日本観戦については、当ブログの第3回全日本パンフの記事に前述の河合大介氏の祝辞を載せてますので、ご参考下さい。

笹川氏も海千山千のフィクサーですからね…。 後、文部省の認可を得た財団法人というのもデカいですね。
まぁ、極真を取り込めなくても、国際大会での日本連敗とファンによる突き上げが無かったら、あそこまで険悪になる事は無かったと思いますw
  • Leo
  • 2011/11/20 10:32 AM
どうやら読み飛ばしていたようです(^_^;)。

確認しました。ありがとうございます。

当時 自分も「突き上げた」一人ですw。










  • もん爺
  • 2011/11/21 4:15 AM
>もん爺さん

ありゃ、そうでしたかw
  • Leo
  • 2011/11/21 10:41 PM
いつも拝読しております。
貴重な資料をありがとうございました。

芦原先生と添野、山崎両先生との組み手ですが、この時はやってなかったじゃないでしょうかねぇ。
ただ、空手バカ一代はだいたいが他の時期の話とをくっつけて一つの話にする傾向があるので、
もしかしたら他の時に梶原先生が両先生との組み手を目撃したのかもしれませんね。
  • がる
  • 2011/12/03 12:15 AM
>がるさん

お読み頂きありがとうございます。
まぁ、大体演武会の席での組手というのはスパーリングですもんね。
「空手バカ一代」の描写を鵜呑みにするなら、約束組手の演武っぽいですw

確かに梶原先生は複数のエピソードを集約するケースが見受けられますので、別の機会で見た、という可能性は十分にあるかと思います。
  • Leo
  • 2011/12/04 5:13 PM
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