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大山倍達マニアック検定

海を渡った柔術士、東勝熊 前編(1904年)

JUGEMテーマ:格闘技全般
 

 永らくお待たせしました。 1904年頃に日本を発ち、アメリカ、フランス、ドイツを渡り歩いた柔術家、東勝熊について書こうと思います。

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東勝熊

 東は多少の柔術の伝播に貢献していますが、あまり知られていません。 その理由として、プロレスの世界チャンピオンと試合をして負けた事、そしてアメリカ人作家と出版した共著の書名が挙げられると思います。 では、実際の東勝熊はどうだったのか? これを皆さんと一緒に探っていきましょう。


 1904年12月22日、アメリカはニューヨークの警察本部。 小さな日本人が自転車警官の"エージャックス"こと、セリグ・ホイットマンと他4人の屈強な警察官で構成された警官隊に呼び出され、挑戦を受ける事となった。 その日本人の名は東勝熊。 身長160cm、体重54kgという、アメリカ人から見れば小さな男だった。 この挑戦をセッティングしたのは、署長のマカドゥー。

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東と警察官の試合記事

 セリグ・ホイットマンは、ニューヨーク市警に勤務する名物警官で、全米でも名の知られた人物だった。 身長は174cmほどだが、体重は88kg、警察内で運動とレスリングのチャンピオンという報道もあった。
 ホイットマンは若い頃、伝説のボクサー、ジョン・L・サリバンに付いて全米を廻り、その怪力を持って勇名を馳せた。 そこで付いた渾名が"エージャックス"だ。 "エージャックス"とはギリシャ神話の英雄アイアースの事だ。 1000ポンド(約454kg)を持ち上げるその怪力は存分に知られており、1894年に警察に就職した時から新聞に載り、1920年に退職するまで何度も紙面を飾り、全米に配信された。 そして1926年の訃報記事も広く配信された。
 それでは、他の4名とはどうであったか?
 1人はジョン・J・フラナガン。 1900年から1908年まで3連覇を達成したオリンピックの金メダリストで、1903年からニューヨーク市警で勤務をしている。 身長は175cm、体重は100kg。
 そして身長178cm、体重72kgのアダム・ストレンベル。 長距離ランナーだが、スポーツ万能として定評がある。
 アマチュアボクシングの全米ウェルター級王者だったジョン・F・マクグリンティ。 身長174cm、体重90kg。
 最後はチャールズ・カマー。 身長180cm、体重90kgの彼もアマチュアボクシング全米ミドル級王者だった。

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 敷物を床に敷いた部屋で行われた公開試合で、人々は予想外の光景を見る事になった。 まず軽い気持ちで相手になった"エージャックス"は、東に2度も投げられ、あげくの果てには顔が紫色になるまで絞められた(腕を極めた、との報道もある)。 恥を掻かされた"エージャックス"は自分のレスリングで改めて東に挑戦したいと申し出ると、東は「本気でやったら警官の骨を折ってしまう」と拒否した。

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 そこでコートライト主席検査官は、"エージャックス"に止める様命令し、カマーと変わる様命じた。 カマーは何分もの間、東の頭越しに何度も投げられ、数々の技を極められた。

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 そして、誰も名乗り出る者は居なくなった。
 コートライトは、「警官の中でこの日本人と対峙して2分持つ者はいない。 警官もこれを学ぶべきだ」と語った。 事実、ーこれは東勝熊1人の功績では無いがー全米各地で警察や軍で柔術や柔道が研究され、採用されて行く事になる。

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 この事実は地元紙の"New York Times"を始めとして、全米に配信された。 東は一気に知名度を高め、現在アメリカにおける「最高の柔術家」と称賛する記事も出た。

***

 アメリカで柔術が知られ始めたのは1900年頃だ。 日本で柔術を学び、長崎の外国人居留地で「外国人ポリス」として活躍していたボストン出身のジョン・J・オブライエンが帰国し、ボストンのハーバード大学で演武したのが切っ掛けである。 日本人のK・イノウエ(師の井上鬼喰か?)を連れ、10月頃までにはボストン市警で指導を開始、月末にはニューヨークでも警官の前で披露した。

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ルーズベルトの柔術修業

 ちょうどこの頃、ホワイトハウス周辺では親日家による第26代大統領、セオドア・ルーズベルトへのロビー活動が展開されていたらしい。 それが相まってか、オブライエンがホワイトハウスに招聘され、ルーズベルトに指導する事になった。 1902年春頃の話である。 これで柔術の名は知れ渡った。
 1903年から翌年に掛けて、作家のアーヴィン・ハンコックという親日家が立て続けに本を出版する。 それは日本における鍛練法や柔術の技術書だった。 このハンコックは1905年に東勝熊と共著で柔術の技術書を出版している。

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ハンコックの柔術本

 1904年になるとこの勢いは加速化して行く。 ボクシングのヘビー級王者ジェームス・ジェフリーズがコロンビア大を卒業したという柔術家、ゴラキ・イケダから柔術を学んでいると報道された。

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ジェフリーズの記事

 ルーズベルトも再び柔術指導を受け始めた。 この柔術指導の他に、講道館四天王の1人山下義韶もルーズベルトに指導しており、翌年にはアナポリスの海軍学校で指導している。 また、前田光世が渡米したのもこの年だ。

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山下義韶の柔道指導

 この柔術の伝播に欠かせない物に、世界情勢という要因がある。 実はアメリカや当時の先進諸国では日本の存在が急激に高まり始めていた。 日本とロシアの関係である。

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当時の日本とロシアの国力差

 1904年になると連日、両国臨戦状態に入っていると報道されていた。 当時の新聞を見ても絶望的な国力差がある。

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日露戦争開戦の記事

 数字上では確実に日本が負けると思われた。 しかし痛手を負いながらも互角以上の戦いを見せる日本の秘密の1つに柔術や鍛練法があるのでは無いか? そう考えたアメリカ人もいた様だ。

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アメリカで広がる柔術

 また、北里柴三郎や野口英世といった、海外で活躍する医学者たちも貢献しているかも知れない。
 
***

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 東勝熊の経歴は謎に満ちており、師や流派、生年すらも分かっていない。身長160cm、体重54kgで、京都の同志社大卒、ペンシルヴァニア州の新聞ではエール大で学んだともある。 9歳から柔術を学び、18歳で同志社大(同志社カレッジ?)の柔術指導者となり、他にもスポーツの指導を行っていたと、作家のハンコックは書いている。
 ボスナーは自伝の中で起倒流だと書いたそうだが、手元にあるのはボスナーの技術書だけなので、確認は出来なかった。 他には柳澤健が「ゴング格闘技」に寄稿した「"講道館史観"を超えてー 光の柔道、影の柔術」によれば、堤宝山流だと書いてあるが、出典が載っていない為、確認出来ない。 ハンコックとの共著に「ツツミ」や「ホシノ」という柔術家の名前が挙がっている事から推測したのかも知れないが、東自身は師と書いていない。 つまり依然として謎のままである。

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左:東 右:ハンコック

 このハンコックと共著で出版した"The Complete Kano Jiu-jitsu(Judo)"は、 嘉納柔術、柔道とあるにも係わらず、中身は柔術だ。 「yawara 知られざる日本柔術の世界」では、柔道側の記録には見当たらないと指摘しており、東が何故この本の出版に協力し、嘉納柔術を詐称したのかは不明である。 当時の柔道はまだ便乗する程の知名度を獲得していなかったのだから、さほどメリットが無かった様に思える。 この2人がどういう経緯で組む事になったのかは分からないが、利害関係が一致したのは確かな様だ。
 
 3月の記事にはニューヨークで道場を始めたとあり、「海を渡った柔術と柔道 日本武道のダイナミズム」によれば、他にもニューヨーク近辺の名門大学で指導や演武を行っていた様だ。

***
 
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東とボスナーの試合が決まる

 1905年3/25、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンのライト級王者、ジョージ・ボスナーと東の対戦が決まった。 3週間以内にマジソン・スクエア・ガーデンで行われるであろうという事だった。 柔術ルールについての解説はあったが、この試合でのルールはまだ決まっていない。 また、東はこの試合が決まる少し前に、ボクシング世界ヘビー級王者、ジェームス・ジェフリーズに挑戦している。 ジェフリーズはこの挑戦を聞き、

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ジェフリーズへの挑戦を報じる記事

「東って誰だ? ウエストポイント陸軍士官学校で子供たちを倒したって言う富田の関係者か?」
 などと言い、既に2人の挑戦者と対戦する事になっているので、その2人を退けた後か、3人まとめて、ジェームス・コーベットと、ボブ・フィッシモンズでやってやると答えている。 実現していれば歴代ボクシングヘビー級王者3人と大乱闘という、伝説になっていた事だろう。 ちなみに富田とは講道館四天王の富田常次郎である。

 試合に先駆けて、ニューヨーク・アスレチック・クラブの指導員で、ボスナーの師、H・F・レオナルドと東は雑誌で対談をしているが、この時はまだ対戦が決まっていなかった様で特に試合について触れられていない。 次回この件に触れたいと思う。

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東とボスナーの試合広告

 そして東とボスナーの試合は、1905年4/6と決まった。


 という事で続きますw
 多分次回で終わるとは思うんですけど、今月中には書き終えたいなぁと考えています。 使わなかった資料を含めると過去最多は「大山倍達のアメリカ遠征」シリーズですが、1記事辺りで使った参考文献数では過去最多かも知れませんねぇ、コレ。
 しかも背景ばっかり書いてあまり話が進んでいない気もしますw
 実際、東勝熊と警官隊のところは経歴とか調査しましたから、かなり迷走しましたね。 でも、どうして警官とやりあった位で知名度を獲得したのか、よく分かりました。 全米でも有名だった警官らしい、"エージャックス"に勝ったのが一番のポイントですね。 後は本文で書いた様に時流に乗り、ちょうど同じ時期にアメリカに進出した講道館の活躍も功を奏しました。 個人が強いのでは無く、日本の武術が強いのだと思われたんでしょうね。
 そして共著の"The Complete Kano Jiu-Jitsu(Judo)"、本編ではあまり触れていませんでしたが、もうちょっと書きたいので、続きか、別枠で改めてやりたいですね。 ちなみに最初に入手した1961年版は一部削られていたという事を、山田實氏の著書で気付き、2005年に再版された版を購入しました。
 それにしても謎な人物ですね。 東のプロマイド? みたいな物まで入手したのに、分からない事の方が多いというw
 技術書を見る感じでは、寝技の卓越した流派な気がしますが、技だけを見て流名が分かるほど詳しくはありません。 ちなみにこの時期、他にも柔術家がアメリカで活躍しており、スズキ・アラタという柔術家は何度かプロレスラーと試合していましたし、西海岸でも柔術を指導している方がいました。

 次回は何やるかはまだ極めかねてますが、極真系の記事を1本挟んでおきたいですね。
 それでは、また。

※追記: 後編、完成しました。 その後の調査による東勝熊の出生地、出生年及び流派についても書いてあります。


参考文献:
Iola Register, 02/02/1894,  Iola, Kansas
The Fort Wayne Sentinel, 10/13/1900, Fort Wayne, Indiana
The New York Times, 10/31/1900, New York, New York
Atchison Daily Globe, 04/01/1902, Atchison, Kansas
Coshocton Daily Age, 04/04/1902, Coshocton, Ohio
The New York Times, 08/29/1903, New York, New York
The Daily Review, 02/09/1904, Decatur, Illinois
The Fort Wayne News, 02/09/1904, Fort Wayne, Indiana
The Salt Lake Tribune, 03/06/1904, Salt Lake City, Utah
Boston Daily Globe, 03/10/1904, Boston, Massachusetts
The New York Times, 12/23/1904, New York, New York
Newark Advocate, 12/23/1904, Newark, Ohio
Titusville Herald, 12/26/1904, Titusville, Pennsylvania
Anaconda Standard, 12/27/1904, Anaconda, Montana
Indiana Evening Gazette,01/07/1905, Indiana, Pennsylvania
The Van Wert Daily Bulletin, 01/21/1905, Van Wert, Ohio
Oakland Tribune, 02/04/1905, Oakland, California
The Democrat-Tribune, 02/10/1920, Jefferson City, Missouri
Janesville Daily Gazette, 03/09/1905, Janesville, Wisconsin
The Washington Post, 03/26/1905, Washington, District Of Columbia
The Atlanta Constitution, 03/27/1905, Atlanta, Georgia
The New York Times, 04/06/1905, New York, New York
The Fitchburg Sentinel, 01/29/1926, Fitchburg, Massachusetts
Cosmoplitan May 1905, Hearst Corporation, 1905
H. Irving Hancock, JIU-JITSU COMBAT TRICKS, G.P.Putnam's Sons, 1904
H. Irving Hancock and Katsukuma Higashi, The Complete Kano Jiu-Jitsu(Judo), DOVER PUBLICATIONS, INC., 1961 (1961 edition)
H. Irving Hancock and Katsukuma Higashi, The Complete Kano Jiu-Jitsu(Judo), DOVER PUBLICATIONS, INC.,  2005 (originally 1905)
ゴング格闘技 2010年5月号 イースト・プレス 2010年
柔道五十年 老松信一著 時事通信社 1955年
ザ・格闘技 最強をめざす男たちの世界 小島貞二著 朝日ソノラマ 1976年
力道山以前の力道山たち 小島貞二著 三一書房 1983年
yawara 知られざる日本柔術の世界 山田實著 BABジャパン 1997年
前田光世ー世界柔道武者修業ー 丸島隆雄著 島津書房 1997年
講道館柔道対プロレス初対決 ー大正十年・サンテル事件 丸島隆雄著 島津書房 2006年
海を渡った柔術と柔道 日本武道のダイナミズム 坂上康博編 青弓社 2010年

参考リンク:
John Flanagan (athlete) (11/03/2011)


 






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コメント
初めまして。いつも楽しく拝見しております。
東の流派について調べておられるとのことですが、堤まさおとの共著はご存知でしょうか。
http://webapp.uibk.ac.at/alo_cat/card.jsp?id=12749244
こちらでの議論も興味深いと思います。
http://www.e-budo.com/forum/showthread.php?t=36754&page=2
  • てんた
  • 2012/03/12 1:09 AM
>てんたさん
初めまして。
リンクの方、ありがとうございます。
このドイツの本、読んでみたいですけど、ドイツ語が読めないんですよね…。 ちょっと探してみましたが、相当レアっぽいです。
東の流派については起倒流説と、堤宝山流説があったもので、いずれも原資料が不明で困っていました。 1969年の「武芸流派大事典」でも堤宝山流の項目には創始者以外に堤という人物がいないんですよねぇ。
この堤マサオという人物の詳細が知りたいですね。 …続編書くのがますます遅れそうですw
  • Leo
  • 2012/03/13 10:25 PM
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