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大山倍達マニアック検定

「空手バカ一代」の元ネタ 3(KCコミック第2巻より)

JUGEMテーマ:空手
 
 このシリーズは久々ですね。 劇画「空手バカ一代」の元ネタを探ろうという企画です。 今回はKCコミックスの第2巻から探ってみましょう。

本シリーズはコチラから。
 
 
KC空手バカ一代2.jpg

 この巻の冒頭は、全日本大会で優勝した大山倍達が、決勝戦で対戦した南波五段の控室を訪れる所から始まります。 ここで登場するのが後に倍達の押し掛け弟子となる、有明省吾です。 モデルになった人物は1958年頃に入門したという大山道場門下の春山一郎氏だと言われています。 実際、大山倍達総裁も、モデルは春山一郎だと発言しており、梶原一騎先生は「男の星座」で春山章という名前で登場させています。


 しかし、目白野天道場の門下生は別の人物をモデルとして推挙していたりします。 この事は、「ゴング格闘技」のムック「甦る伝説[大山道場]読本」を手掛けた熊久保英幸氏が「格闘ウェブマガジンGBR」のコラム「振り返れば、やっぱり格闘技」の第90回「有明省吾の実像を追え!(後編)」に書いてありますが、名前までは解りませんでした。 ヒントは目白時代の門下生で、料亭を経営している人物との事。

「そ の春山さんって人は知らないけれど、目白時代にXさんっていう先輩がいたんです。この人が身体が大きくて強くて、大山先生が気に入っていたんですよ。『空 手バカ一代』を読んだ時に“ああ、これはXさんがモデルだな”ってすぐに分かりました。大山先生が有明省吾について語っているインタビューとかを読んで も、Xさんのことを喋っているんです。だから“これは大山先生、春山一郎って人とXさんを勘違いしているな”って思っていました」

空バカ有明弟子志願.jpg

 個々のエピソードについては追々このシリーズでやって行くので今は割愛しますが、実際には大山道場門下生の集大成的存在が有明省吾だと言えるでしょう。 例えば、今回の第2巻に登場する有明省吾は、「カラテ群像」に登場した岩村博文先生のエピソードが元になっていると思われます。 岩村先生は、大山総裁とこの様な出会い方をしました。

大 山館長との出逢いは、1947年京都で行われた戦後初の全日本空手道選手権大会に於て、館長が優勝され、その帰途大阪に立寄られた時である。 当時私は柔道をやって居り、いささかの自信も持っていたが、あの炯炯たる眼光と全身に漲ぎる闘志、一分の隙もないその身のこなしに先ず感歎した。 先輩から紹介されて握手をかわしたがそのふっくらとした柔かい手に二度びっくりした。 力強いが柔かく大きな手の感触は今でもはっきりと私の脳裏に浮び上ってくる。

岩村博文2.jpg
大山倍達と岩村博文(1956年)

 最も、別の所では控室に行って握手をして貰ったと語っておりますので、どちらが正しいのか良く分かりませんw

***

 さて、倍達の「鼻血も出せぬ 空手ダンスになりさがる!!」発言により倍達は空手界から抹殺されてしまいます。 ま、こんな事実はありません。
 全 日本空手道連盟や日本空手協会が推進していた所謂寸止めルールに対して、反発していたのは事実ですが、作中の時代から約20年後の話です。 初めて世間に対して声明した時も「ダンス」なんて言葉は使っていないんですよね。 本来「ダンス」とは、型競技に対しての発言でしたので、ちょっと発言が一人歩きしてしまった感があります。
 最も…その後、大山総裁は諸々纏めて「ダンス」的な発言もしていましたけどね…。
 
***

 次は、人力車を引く倍達のエピソード。 戦後は知りませんが、戦中は山梨県甲府市にあった「国民車」という輪タク(自転車タクシーという、人力車の改造型)でバイトをしていました。 苦学生だった頃の話です。

空バカ人力車.jpg

 道 場破りに関しては知りませんw かつて太氣拳の澤井健一先生と東京中の道場を廻って道場破りをしたという伝説がありますが、正直、伝説を裏付ける様な話は聞いた事がありませんね。  交流したという話はありますが。 あ、澤井先生や鹿島神流の國井善弥先生にはそういう話はあります。 しかし大山総裁は武道界の先達に対しては割と謙虚なので、道場見学に行っても喧嘩を売る様な真似はしなかったと思いますね。
 喧嘩は結構やっているみたいですが、武道家を志してからはそういう話も一気に減ります。 とは言え、中国拳法の研究家として知られる松田隆智先生には、こう話した事もある様です。

松田 大山先生がアメリカから帰ってきて間もない頃、有名な武道家が弟子を連れて大山先生を訪ねてきたんだが、その弟子が「アンタ本当に強いんですか?」と大山 先生に言ったらしい。 怒った大山先生は「強いか弱いか試してみろ!」と怒鳴ってそしつの襟首を掴むと庭に引きずり降ろして思いっきり殴り倒したということだ。 後で「人を侮辱するような奴は殺せ! 情けはかけるな」、「もし俺に女房子供がいなかったら殺していた」と言っていた。
 他にも名前は出せないけれど空手と大東流をやっているその当時有名な武道家が、呑んでいる席で大山先生に絡んできたので半殺しにしたらしいね。

 で、この時に剣道の防具を持ち歩いていますが、これは現在の硬式空手の源流となる韓武館に在籍していた頃が元になっているのかも知れませんね。

空バカ出稽古.jpg

 韓武館では戦後禁止された剣道の防具を1組25円で買い取り、防具組手を行っていました。 そして大山総裁は一時期、韓武館に身を置いて四段の師範として名を連ねていました。

***

 そしてここで「空手バカ一代」のタイトルの意味に辿り着きます。

空バカ由来.jpg

 役者バカ・・・・と いうことばが あります!
 けっしてバカに した意味でなく ひとたび舞台に 立てば 堂々の 千両役者ですが こまかい俗世間の 常識には 無関心で こどもみたい・・・・と
 むしろ芸道いちずに 敬意を表した ことばですね!
 大山先生は 偉大な 空手バカ なんですっ!!

***

 倍 達は帰京すると文京区春日町の「小島テーラー」という洋服店の2階で下宿を始め、ここに有明もやって来ます。 ここの店主が取材に協力していて、当時の資料を提供したとありますが…この小島という店主、後に極真会館千葉県南支部の支部長となる小嶋幸男先生がモデル です。

テーラー小島のモデル.jpg
小島テーラー」店主と小嶋幸男

 東京飯田橋で洋服店を営んでいた頃、大山総裁に乞われ梶原一騎先生に協力し、遂には梶原プロダクションでも仕事をする事になります。 まぁ、この協力関係は後に解消され、支部長の道を歩むんですが。
 大山総裁は学生時代、小嶋先生の叔母の経営する「山梨国産水晶店」に下宿していたのが、この話の元ネタです。 例えば劇中、倍達が早朝稽古中に、「正義なき 力は 無能なりっ!! 力なき 正義も 無能なりっ!!」と叫ぶシーンがありますが、小嶋先生の回想にこういうのが出て来ます。

空バカ庭稽古1.jpg

 「先 生の部屋を見てよく覚えているのは、壁に『俺は世界一になる』と書いて貼ってあったことです。 墨で黒々と書いて、ほかにも『力なき正義は無能なり』、『正義なき力は無能なり』とも書いて、貼ってありましたね。 小学校1年そこそこだった私は、その字が読めないし、意味もわからないから、先生に『これはどういうことか』って聞いたんです。 そしたら、『これはこうこう、こういう意味だよ』って教えてくれたことを、今でもよく覚えているんですよね」

 先に書いた輪タクの話も小嶋先生の回想にありますので、この辺りは取材の成果が現れているのでしょう。

***

 牛殺しについては、既に詳細を解説済みで すので、そちらをご参考下さい。 色々と纏めて書いてありますが、映画の撮影は1954年1月ですので、劇中よりずっと後…アメリカから帰国しての話です。 で、牛相撲の横綱「雷電号」とありますが、こちらは1956年11月に田園コロシアムで闘った牛の名前です。 こちらの闘いも解説済みですので、ご参考下さい。

大山倍達牛との対決コス.jpg
作中は道着だが、実際にはこういう格好だった。

 まぁ、少しだけ「空手バカ一代」用 の補足をすると、現存している映画の映像は編集しているので、闘いの全貌は解りません。 ただ、当時この闘いを見ていた弟子の1人、加藤健二先生は眉間を正拳で叩かれて倒れ込む牛の話をしていますので、そういった事はあったかも知れませんね。 流石に牛に飛び乗るシーンは無かったと思いますがw 後、折った角は漫画の描写の様に吹き飛ばず、手刀で角を叩いた後に必死で角を引きちぎろうとしていました。
 その後、牛との闘いを批判する仲曽根七段の所で倍達が型を演じていますが、これは安三(ヤンツー)ですね。 作中に解説が無かったので、書いておきました。
 安三ついでにもう一つ、後ほど柔道の道場を変えてボロボロになった倍達が帰って来て稽古を付けるシーンですが、何故かトレース絵の加工になっていますw

空バカ比較1.jpg

 ハードカバー本の中央にあった写真ですので、ウチのスキャンも酷い事になっていますが、"This is Karate"の3本組手からの画像です。 「秘伝極真空手」にも同じ画像があります。

***

 倍達が熊と闘う為にボディビルと柔道特訓を始めるシーン。 ウェイトトレーニングは日本ウェイトトレーニングの第一人者、若木竹丸先生に学んだという話でしょう。 大山総裁は他に重量挙げの第一人者、井口幸男先生にも学んだと語った事があります。
 柔道に関しては、これは柔道界の方も大山総裁が稽古されていたのを目撃されていますが、「現代カラテマガジン」で も柔道の大谷晃九段に投げられた話が載っていた事がありますね(ちなみにこの話では大谷先生の道場に道場破りをしに行って、柔道で対戦したとあります w)。 大山総裁自身は渡辺利一郎先生に投げられまくったとも語っています。 大山総裁と懇意だった元警視庁の柔道師範、三浦六郎先生ともそれが縁だった、という話もあります。

空バカ柔道修行.jpg

 で、木村政彦先生の師、牛島辰熊先生とも親しかった、曾根幸蔵先生が開いていた阿佐ヶ谷の曾根道場に1951年5月に入門します。 大山総裁としては牛島先生に師事したかったのかも知れませんが、相談した所、牛島先生に紹介されたんじゃないでしょうか?
 記録によれば1953年の4月に杉並柔道会主催の昇段審査会で大山総裁は三段を允許されています。 かなりのハイペースですね。

曾根道場.jpg
曾根道場集合写真、黒帯の大山倍達が見える

 ついで、この道場に武林という四段がいて、倍達に挑戦しますが、これは大山総裁が何度か自著に書いている通り、末木という大学柔道部主将にみっちりシゴかれたという話が元ネタでしょう。 「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で、増田俊也先生が書いていますが、私も同じ結論に辿り着いています。
 私がこの人物が実在すると知ったのは、曾根幸蔵先生の甥で1958年の世界選手権覇者、曾根康治先生の技術書「柔道」ですね。 この本の巻末に競技記録が載っており、眺めていたら明大の末木茂という名がありました。 1953年の全日本学生柔道選手権大会優勝者とあり、ちょうど「極真カラテ 21世紀への道」が出版されて間もない頃の古本屋での出来事でしたので、驚いて買って帰り、今でも手元にあります。
 まぁ、この時はまだ確証が無かったんですが、柔道側の増田先生が書いたので、ちょっと安心しましたw 今思えば、私の大山倍達史調査の第一歩が、これだったのかも知れませんねぇ…(※当時中学生です)。
 まぁ、勝ち負けは「大山倍達 わが空手修行」には空手で闘って勝ったとありますが、実際には背負いを潰して、そのまま絞め落としたと言われています。

空バカ非常階段の決戦.jpg

 しかし、非常階段での武林との一戦、読んでいていつも気になるのは、二人の位置関係です。 何か非常階段の位置とか、毎回形が変わる踊り場の面積とか、そして一体ここは何階なんだ? とか色々おかしい気がしますw 少なくとも1948年の日本には見えませんw

***

 北海道での熊の対戦。 今の所まだ客観的な証拠を確認した事はありません。 ちなみに添野義二先生はこの様に発言しています。

ーー添野館長が極真に入門されてから5年目ぐらいに、総裁は熊と闘うために北海道に行かれましたよね。 残念ながら、実現はしなかったですけれど。
添野  あれは動物愛護団体みたいなところから、いっぱい抗議がきて、中止になっちゃったんだよね。
ーー熊との闘いは、かなり真剣に考えていた様子なんですか。
添野  そうだよね。 真剣そのものだったなあ、先生は。

 これは1969年5月の話という事になっていますが、ちょうど第1回支部長会議が行われた頃で第1回全日本に向けて忙しくなる時期ですから、少なくとも1969年では無いと思います。 ちなみに1967年に出版された「ダイナミック空手」の初版にはこの様な記述があります。

 そ の後、私は熊と戦う手はずをととのえるために、北海道のアイヌ部落に滞在し、熊殺しの秘術を編み出すべく必死の練習をつづけた。 しかし小熊はつかまっても、成長した熊はなかなか生け捕りにできず、やむなく東京へ引き返した。 動物園の熊と戦うこともできなかったことが私の一生にとってももっとも残念なことである。

 2度目の挑戦をしたとしても、多分69年は無いんじゃないかなぁと。 でも計画自体は1950年代から検討していました。 1956年、雑誌に寄稿した手記には以下の様な記述がありました。

私は、房州館山の八幡海岸で、猛牛と死の一騎討ちをして以来、五十余頭の牛と斗つてその角を叩き折つた。 そしてまた、この秋には後楽園の球場で猛牛との一騎討ちを企劃しているのだが、近い将来、熊と斗つてこれをねじ伏せてみたいと思つている。
 熊と斗うには、熊狩りの名人のごとく、斗う以前から、熊を征服する精神力をもたなければならない。
 「おれは、熊より強いのだ!」
 この気力がなければ熊とは斗えぬ。 斗つても、負けるのは必定だ。 熊との一騎討ちでの敗北は、死を意味する。 必勝の気組がなければ、とても出来ない。
 そ こで、熊との一騎討ちだが、いよいよ出来るときまつたら、私は、心技の錬磨に励むつもりだ。 そして、毎日、七、八貫の小熊の足をつかんで、百回ほどふりまわす。 そのうち小熊も、だんだん大きくなつてゆくし、そういうことを半年か一年ぐらいつづけた挙句大熊との一騎討ちにとりかかるのだ。
 なぜ、そんなことをするかというと、熊に勝てるという気力の養成、これなのである。 力や技の養成よりも気力の養成、これが必要なのだ。
 もちろん、力も大切であり、技も決して疎かには出来ない。

 熊との対決について、大山総裁は色々な著書の中で触れています。 その中で最も詳しいのは「大山カラテ もし戦わば」「大山倍達 わが空手修行」でしょうか。 今回は「大山倍達 わが空手修行」を元にしてみます。
 本書によれば北海道の旭川近くのアイヌ部落に住む、松沢という知人を頼ったそうです。 そこに3ヶ月ほど住み込んで習性を学び、急所を知り、作戦を立てたとあります。 で、札幌の新聞社の主催で闘う所を…後は「空手バカ一代」と同じですね。 この辺りは「空手バカ一代」に引っ張られてしまったと考えても差し支え無いかと。
 まぁ、現状では推測しか出来ませんが、「ダイナミック空手」にある様に、対戦出来なかったんじゃないでしょうか?

空バカ熊.jpg

 何年何月というのが正確に分からないと、中々調べられませんので、保留中という事で…w


と いう事で、今回は以上です。 ちょっと検索を掛けて意外に思ったのは、大山倍達総裁が熊を殺したと思っている人が結構いるという事でした。 そんな話、どこかでしてましたっけ? 練習で小熊の鼻面を叩いて伸ばした、みたいな話をした事はありますが、殺したとは言っていないと思います。
 ち なみに本編中には書いていませんが、曾根康治先生の本を買った最大の理由は、「足絡み」の技が載っていたからですw 当時UWFの影響で足関節技が流行ってて、足絡みは今の柔道では禁止されているが、講道館の足関節技だ、みたいな事を…どっかの雑誌で読んでまして、貴重 だなぁと思って買ったのが最大のポイントでした。

 あ、今回参考にした熊久保英幸さんのコラムは「格闘マガジンGBR」の有料コンテンツですので、無料では閲覧出来ません。 悪しからず。
 それでは、また。
 

参考文献:
Masutatsu Oyama, This is Karate, Japan Publications Trading Company, 1965
現代読本 1956年7月号 日本文芸社 1956年
現代カラテ 1969年7月号 現代カラテ研究所 1969年
現代カラテマガジン 1981年1月号 真樹プロダクション 1980年
格闘Kマガジン 2004年11月号 ぴいぷる社 2004年
ダイナミック空手 大山倍達著 日貿出版社 1967年
旺文社スポーツ教室 柔道 曽根康治著 旺文社 1967年
KCコミックス 空手バカ一代 第2巻 原作:梶原一騎 漫画:つのだじろう 講談社 1973年
ヤング・アイドル・ナウ臨時増刊別冊号 世界最強の男 大山倍達 爆発! マス・大山空手 勁文社 1974年
大山倍達 わが空手修行 大山倍達著 徳間書店 1975年
極真カラテ 21世紀への道 大山倍達著 徳間書店 1992年
紙のプロレス公式読本 大山倍達とは何か? ワニマガジン社 1995年
大山倍達 永遠の魂 基佐江里著 イースト・プレス 1995年
月刊空手道 合本復刻(創刊号〜第10号) 金城裕編 榕樹書林 1997年
月刊フルコンタクトKARATE4月号別冊 拳聖大山倍達 地上最強の組手 福昌堂 1998年
甦る伝説[大山道場]読本 日本スポーツ出版社 2000年
大山倍達正伝 小島一志、塚本佳子共著 新潮社 2006年
木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 増田俊也著 新潮社 2011年

参考リンク:
2011.2.16  「振り返れば、やっぱり格闘技」 第90回 by熊久保英幸 (2011/12/18)

関連リンク:
「カラテ群像」3 岩村博文五段(1982年)
大山倍達主演記録映画「猛牛と闘う空手」
大山倍達 対 雷電号 (1956年)
ある日の極真会 17 (現代カラテ 1969年7月号)




 






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コメント
あら探しのようで、申し訳ございません。
上の「大山倍達と岩村博文(1956年)」とある写真は、共田徳龍氏ではないでしょうか?
  • 通りすがりのマニア
  • 2014/03/06 8:54 PM
サイト管理者ではありませんが、岩村博文氏で間違いないかと。
氏の名前で画像検索すると出てきますね。
このサイトでもカラテ群像3で写真付きで取り上げられています。
  • kimura
  • 2014/03/06 9:24 PM
kimura様、レスをありがとうございます。

失礼いたしました。自分は例の牛と戦う前の合宿写真を、左から岩村先生、黒崎先生、大山先生、共田先生と思い込んでおりました。

確かこの写真を初めて見たのが、「パワー空手」だったかの共田先生のインタビュー(あるいは回顧録?)だったと記憶しておりまして(その時、写真のルビが上記のようになっていたと思うのですが)、勘違いをしていたようです。大変失礼いたしました。
  • 通りすがりのマニア
  • 2014/03/07 4:30 PM
もうだいぶ昔の情報ですから、誤植や記憶違いもありますし、そういう意味ではこのサイトを皆で盛り上げて行くと、どんどん確かな情報になるのではないかと勝手に思っています。
通りすがりのマニアさんもぜひネタを提供して下さい!!
よろしくお願いします。
  • kimura
  • 2014/03/07 11:45 PM
>通りすがりのマニアさん、kimuraさん

そうですね、合宿の時に白帯を巻いてるのが共田先生になります。

ツッコミ、ネタ提供、寄稿とか受け付けてるので、是非お願いしますw
  • Leo
  • 2014/03/08 12:36 PM
kimura様、Leo様。
ありがとうございます。実のところ、こちらのサイトはちょっと前より大変楽しませていただきつつ、勉強させていただいていたのですが、コメント欄に最近になって気づきましてw
お言葉に甘えて、今後も拙いながらの情報や、気づいたことなどがありましたら、書かせていただければ、と思います。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
  • 通りすがりのマニア
  • 2014/03/08 3:26 PM
>通りすがりのマニアさん

よろしくお願いします。
コメント欄から得られる情報も少なくありませんし、最近はTwitterでも…あまり極真関係の話ではありませんが、ご協力頂いて記事にしたりしてますしねw
  • Leo
  • 2014/03/09 9:27 AM
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