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大山倍達マニアック検定

【レビュー】真樹日佐夫著 「極真カラテ 二七人の侍」(1986年)

JUGEMテーマ:空手
 
27人の侍14.jpg

梶原一騎先生の実弟、真樹日佐夫先生が1月2日に急性肺炎で亡くなられたそうです。 享年71歳。
 今回は追悼の意を込めて、真樹先生の著書、「極真カラテ 二七人の侍」をここでご紹介させて頂きます。

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 本書は、「現代カラテマガジン」にて1979年2月号から1986年11月号まで連載されていた「真樹師範代の黒帯交友録」を纏めた物ですが、若干の書き直しがあります。 例えば連載中は「○○君」だったのが、「○○」といった感じの地味な変更から刊行時に所属が変わってしまった方についてもさらりと刊行時の境遇など書いていたりします。

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 しかし、この「黒帯交友録」第27話「大山倍達十段」だけは本書に収録されておりません。 これは1982年12月号から86年11月号まで長期に亘って連載された為、この章だけは1990年に改めて、「大山倍達との日々  さらば極真カラテ!」というタイトルで出版され、代わりに第27話として、中村忠先生の話が追加されています。

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 ちなみに本書は1996年に「極真カラテ 27人の侍たち」と改題され、飯倉書房より新装版が出版されています。
 それでは目次から…とついでに自分用DBとして各話掲載号も追加しておきますが、初回掲載号のみとします。

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〈序文〉 強者達の神話よ永遠なれ!/梶原一騎

第1話 無口ではにかみ屋の快男児    ……三浦美幸 四段 (1979年2月号)
第2話 全盛時の技の切れ味は随一    ……大山泰彦 六段 (1979年3月号)
第3話 静かな殺気を伴った重厚さ    ……廬山初男 四段 (1979年4月号)
第4話 向う気の強さと少年が同居    ……添野義二 五段 (1979年5月号)
第5話 一気に四階級特進の凄い奴    ……佐藤勝昭 四段 (1979年7月号)
第6話 日本の牙城を切り崩した男    ……H・コリンズ 四段 (1979年9月号)
第7話 左廻し蹴りは村正の切れ味    ……大石代吾 三段 (1979年10月号)
第8話 顎を折っても闘い抜く強さ    ……三瓶啓二 三段 (1980年3月号)
第9話 自力でカベを突破する闘魂    ……東 孝 四段 (1980年4月号)
第10話 常に挑戦者の精神を忘れず    ……浜井識安 初段 (1980年5月号)

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第11話 学生時代からの大山門下生    ……千葉真一 三段 (1980年6月号)
第12話 流れ星のように消えた天才    ……東谷 巧 三段 (1980年7月号)
第13話 三十半ばで黒帯獲得に挑戦    ……小嶋幸男 二段 (1980年8月号)
第14話 類いまれなパワーを持つ野生児    ……W・ウイリアムス 三段 (1980年9月号)
第15話 風雲喚んだ初めての出会い    ……芦原英幸 五段 (1981年2月号)
第16話 豊富な稽古で練達の境地に    ……広重 毅 二段 (1981年5月号)
第17話 龍の異名をとる極真の逸材    ……山崎照朝 三段 (1981年6月号)
第18話 中年で全日本に挑んだ情熱    ……南里 宏 三段 (1981年7月号)
第19話 無心で道を拓いた勝負根性    ……山田政彦 四段 (1981年10月号)
第20話 障害乗り越えた不屈の闘志    ……鈴木浩平 三段 (1981年11月号)

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第21話 時代担う大器の片鱗を視た    ……為永 隆 二段 (1982年1月号)
第22話 他流派二段捨て極真に入門    ……磯部清次 五段 (1982年2月号)
第23話 義理がたさに武士を感じる    ……岸 信行 四段 (1982年3月号)
第24話 巨人の足腰の柔軟さに一驚    ……H・モハメッド 二段 (1982年4月号)
第25話 根っからの武道家気質の男    ……大山 茂 七段 (1982年5月号)
第26話 大山カラテ草創期からの門弟    ……バビー・ロウ 七段 (1982年10月号)
第27話 悠揚迫らぬ風格を具えた男    ……中村 忠 七段 (書き下ろし)

〈あとがき〉

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 15話以降は些か意を含んだ話も出て来ますが、基本的にはちょっと良い話系です。 70年代に入門された方にはお馴染みの名前ばかりでしょう、でも今では知らない方が多いかも知れませんね。 酒の失敗談が多いのも、頻繁に酒を飲みに行ったせいでしょうw

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 そう言えば真樹先生の入門年というのはイマイチ分かり辛いのですが、本書を読むと大山茂先生が渡米された1967年7月以降だと言う事が分かります。 次に茂先生が帰国される1年ほど前に入門した模様。

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 第27話は書き下ろしですが、読んでいて非常に切なくなるエピソードですね。 真樹先生の回想による中村忠先生が入門した当時の模様を語って聞かせたシーンに悲哀を感じます。
 
27人の侍13.jpg

 そして最後の後書きで真樹先生と大山総裁との出会いについて触れており、今回はここで終えようと思います。 当時の真樹先生は、一生空手をやって行くと思いもしなかったんじゃないでしょうか?

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 ところが梶原が面白い人物だから会え、会えと頻りにすすめるものだから、お義理のつもりで会ってみることにしたが……。
 「どうだった」
 帰途、梶原に大山についての印象を訊かれた。
 「うん、面白かった」
 「なんだあ? まるで映画でも見たあとのような言い種じゃないか」
 自分で面白いと言っておきながら、それも忘れたかのように梶原の表情は大層間伸びしてみえた。
 「当節、面白いと思えただけでもめっけものじゃないのかな。 幸か不幸か手刀の一撃で牛の角をへし折った、それだけのことで頭から尊敬申しあげてしまうほど単細胞にはできていないけれども、しかし男としてなかなかに魅力もあるようだし……」
 と足らない部分を補いながら、私は大山門下への入門をひそかに決意していた。 尊敬云々などという低次元の話ではなく、その人物に魅力を感じたからこそ深間にはまった、といえようか。

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 こうして大山を慕って集うあまたの若者たちとも共に汗を流す喜びを分かち合え、そこからまぎれもなく私の人生のあらたなページが埋められることになったーー。

 
 という事で真樹日佐夫先生追悼の意を込めて、「極真カラテ 二七人の侍」を紹介しました。 27人もいるので、個別にどうこうとは書きませんでしたが、基本的には愛すべき拳友たちーというスタンスで書かれていますので、70年代の極真に興味がある方にはオススメです。
 真樹先生の個人史はいくつか自伝を出されていますので、そちらを参照頂くとして、当ブログとしては「極真の真樹日佐夫」として私なりに偲んでみました。
 それでは、また。


参考文献:
現代カラテマガジン 1979年2月号 真樹プロダクション 1979年
現代カラテマガジン 1979年4月号 真樹プロダクション 1979年
現代カラテマガジン 1979年5月号 真樹プロダクション 1979年
現代カラテマガジン 1979年7月号 真樹プロダクション 1979年
現代カラテマガジン 1980年6月号 真樹プロダクション 1980年
現代カラテマガジン 1981年3月号 真樹プロダクション 1981年
現代カラテマガジン 1981年4月号 真樹プロダクション 1981年
現代カラテマガジン 1982年4月号 真樹プロダクション 1982年
現代カラテマガジン 1983年1月号 真樹プロダクション 1983年
現代カラテマガジン 1983年2月号 真樹プロダクション 1983年
現代カラテマガジン 1983年7月号 真樹プロダクション 1983年
現代カラテマガジン 1984年3月号 真樹プロダクション 1984年
極真カラテ 二七人の侍 真樹日佐夫著 サンケイ出版 1986年
極真カラテ 27人の侍たち 真樹日佐夫著 飯倉書房 1996年


 






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コメント
明けましておめでとうございます。
今年も楽しみに読ませていただきます。

さて…真樹先生が亡くなられたのですか…。
極真の裏歴史を知る方がまたひとり鬼籍へ…。

真樹先生といえばやはりカラテ大戦争ですかね〜。
畳の抜き手ぶち抜きの試割り?も印象的ですね。

ご冥福をお祈りします。合掌。
  • サミ
  • 2012/01/03 10:31 PM
数年前緑ラメのスーツで西麻布を歩いているのをお見かけして、握手していただきました。
最近までテレビでも元気な姿を拝見していたのに残念です。
ご冥福をお祈りします。
  • yaliang
  • 2012/01/03 11:23 PM
明けましておめでとうございます。今年も楽しみにしています。真樹先生の訃報にはびっくりしました。無頼派でいながら 空手に努力を惜しまないその両面性 文学的才能と空手の才能を併せ持つ稀有な存在 真樹先生 あなたは私のあこがれでした。今回の記事 良かったです。Leoさんたちと 真樹先生を偲んで ご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。 
  • tada
  • 2012/01/04 4:35 PM
>サミさん
明けましておめでとう御座います。
私は真樹先生と言えば、「カラテ大戦争」もそうですが、「人間兇器」、「新空手バカ一代」、「すてごろ」も印象深いですねぇ。

>yaliangさん
以前来賓じゃないのに極真館の大会に来られた事がありまして、急遽来賓席を設けられ、アナウンスで紹介された時にえらく照れ臭そうにしていたのを憶えています。 山崎照朝先生もそうですが、割と気さくに他の大会に来られる方でしたね。

>tadaさん
明けましておめでとう御座います。
今回は「極真の真樹日佐夫」に拘って写真をセレクトしました。
真樹先生は晩年まであの体を維持し、ほんの数年前までは跳び後ろ廻し蹴りもされていたのは本当に素晴らしいと思います。
  • Leo
  • 2012/01/05 1:08 AM
真樹先生がたとえ名誉段だったとしても…亡くなる数日前まで空手の稽古に励んだでいたこと…
「継続は力なり」を実践証明された真の極真空手家だったのではないでしょうか…
そんな真樹先生にアッパレです!
  • サンローエン
  • 2012/01/06 7:33 AM
>サンローエンさん
そうですねぇ、やはり「極真の道を全う」されたのかな、という気がします。
賛否両論ある方だとは思いますが、真樹日佐夫を貫いた方でしたね。
  • Leo
  • 2012/01/06 9:55 PM
新年あけましておめでとうございます。今年もお宝記事をよろしくお願いします。

新年最初のニュースが真樹先生の訃報ですか、「ワル」シリーズもこれで本当に最終回ですね。氷室洋二同様、永遠の若者のイメージがありましたがもう70歳を超えてたんですね。最後まで印象が変わらないまま逝かれたように思います。
自分が真樹先生を知ったのがこの本でした。美文調で綴られた世界観に引き込まれましたね。新装版は装丁が悪くて腹が立つほどでしたが、サンケイの方は一度手放したものの、オークションで再度入手して今でも大事にしてます。

吉田豪が、入門当時の真樹先生を批判していた人が、今の歳になって真樹先生以上に稽古しているかと言ったら絶対してない、と言ってましたがまさしく!!ですよね。

ダンディズムを貫いた人生に、合掌。
  • スパ
  • 2012/01/07 10:53 AM
>古流修行者さん
明けましておめでとう御座います。 お宝記事…まぁ、頑張りますw

私はもう70だったか、というのと同時にまだ70だったか、と両方思いましたね。
私が20年来のファンである、氷室京介の芸名は「ワル」の氷室洋二から来ていますので、真樹先生無くんばBOOWYも無かったのかも知れない、なんて考えてしまいました。

>スパさん
吉田さんは真樹先生の大ファンでしたね。
真樹先生は指導以外に自分の稽古もされていたと聞いています。 であればこそ、あの体を維持出来たのでしょう。
  • Leo
  • 2012/01/07 11:58 AM
こんばんは、今更のように思い出したのですが真樹先生の武勇伝でプロレスラー・バディ・オースチンとのストリートファイトがありますね。プロレス悪役シリーズと空手バカ一代で少しづつ描写が違ったように記憶しておりますが何度も描かれているということはストリートファイト自体は実話なのでしょうか?
>古流修行者さん

あれは事実ですよ。 1969年の11月でしたっけね? 最初は梶原先生の事もあるので黙ってたのだと思われます。 プロレス系の仕事もありましたし。
で、雑誌にすっぱ抜かれてバレて、それから書く様になったらしいです。

その内当該記事を入手しておきますw
  • Leo
  • 2012/01/18 10:48 PM
実話でしたか!
記事アップ楽しみにしてます!
真樹先生とバディ・オースチンの件は、「平凡パンチ」だと思いますが、私もどのように書かれていたのか、非常に気になっていた記事でした。
1969年の11月の話だったのでしょうか(それだと第一回全日本のすぐ後ですね。)
20年以上前の話になりますが、「大宅壮一文庫」で探したのですが、見つけることができませんでした。その後、神田の古書店で、まさしくその年代の「平凡パンチ」がまとまって出ていて全部買い占めて探したのですが、やはり見つける事ができませんでした。私にとっては幻の記事です。どこかの出版社(雑誌)が表に出してくれることをずっと期待していました。入手の目途がおありでしたら、是非とも公開をお願い致します。
(しかし、それらの中に、第一回全日本大会を報じる記事があったのが唯一の収穫でした。ただし、ポール・ジャクソン(ボクシング)選手とタイ式ボクシングの対決がメインで、日本人選手の名前が全然載っていません。ちょっと視点が違う感じです。
  • 烈山
  • 2012/01/29 1:46 AM
>烈山さん

おぉ、結構困難なんですね。 まぁ、今まで特に探していなかったので、これから探す訳ですが、かなり下調べしてからやらないと難しそうですねぇ。

第1回全日本の記事ですが、確かに面白い視点ですね。 何でそんな記事にしたんだろう?
  • Leo
  • 2012/01/29 2:21 PM
真樹日佐夫先生がお亡くなりになったことは、驚きました。護国寺で開かれた大山総裁の法要でお会いしてご挨拶と暫しの歓談をしたのが4月の事でした。
たくさんの取り巻きを連れて、相変わらずのダミ声で話しをされていました。稽古も現役でなさっていらっしゃるようで、ご立派ですね。
内弟子の頃、総裁が真樹先生を師範代として指名された当時は、本部の黒帯の先輩方は正直バカにしていました。
自分は緑帯でしたが、組手なら勝てると思っていました。たぶん、みんなそうだったと思います。
一応、作家の先生なので、みんなは先生と呼んでいました。稽古が終わると、三瓶先輩とか、竹先輩とか、酒好きな先輩方が「先生、飲みに連れて行って下さい。後輩連中も、是非お願いします」と上手くのせて、たかりました。
池袋西口の養老の滝に、50人位でご馳走になりました。とても、楽しい飲み会でした。
その後も、真樹先生が稽古に見える度に、養老の滝に連れて行っていただきました。
大変な酒好きですが、特に酒癖が悪いという感じはありませんでした。
今となっては、楽しい思い出です。
一緒に稽古して、一緒に酒を飲む。
「長谷場、長谷場」と声を掛けていただき、試し割りのセットを頼まれたり、可愛がっていただきました。


病気されているとか、そういう事でもなかった様ですから、70歳過ぎると何があるかわからないので、明日は我が身と自重します。
心よりご冥福を御祈り申し上げます。押忍。
  • 長谷場 讓
  • 2012/02/07 2:07 AM
>長谷場先生

「自分なら勝てると思った」というのは、とある方も仰っていました。 しかし、黙々と空手を続けて、その方よりもずっと長く継続されてしまいました。 本当に亡くなられる直前まで空手をされたのは素晴らしいと思います。

というか、50人で真樹先生にたかられたんですか…w よくお酒を奢られるとは聞いていましたが、スケールが違いますね。
…やはりSM話で盛り上がったんでしょうか?
  • Leo
  • 2012/02/11 6:00 PM
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