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大山倍達マニアック検定

【古記事】 「拳1つで猛牛を殺す空手男」 (1957年)

JUGEMテーマ:空手
 

実話特報1.jpg

 記憶のいい読者は去年の十一月、田園コロシアムで"闘牛"が行われたことをご存じであろう 空手の名手大山七段が荒れ狂う猛牛を一撃のもとに倒す! というプログラムが、すつかり調子が狂い、一騒動もち上つたものである。 だが、それには裏面にこういう隠れた話があつたのだ。


 …という煽りで始まりますが、ごめんなさい。 このパートは既に以前書いたこちらの記事、「大山倍達 対 雷電号 (1956年)」にて殆ど済んでしまうのでばっさりカットしますw 興味がある方はそちらを読んで戴ければ幸いです。
 今回はですね、双葉社が発行した1957年の「実話特報」より本田正明氏の書いた「拳1つで猛牛を殺す空手男」を紹介します。 以前書いた田園コロシアムでの大山倍達総裁と牛との対戦裏側の半分以上はこの本がネタ元になります。 特にプロモータ廻りや実際の経費、トラブルの実情はこの記事に拠る所が多いですね。 今回は結構衝撃的な話だと思いますが、どこまで本当かは分かりません。 ただエピソードの断片は様々な形で語られているので、事実かも知れませんねぇ。
 それではどうぞ。 あぁ、そうだ。 本文中は誤字って「大山信達」となっていますので、そのまま修正せずに掲載しています。 実際は「大山倍達」ですので、皆さんお間違えの無い様…w

    ま え が き
 アメリカの雑誌"トルー"が八頁も使つて紹介し、これまでも"オリエンタル・ダイジエスト" "リング"などが大々的に書き立てた空手男大山信達七段とはどんな男か。 アメリカではたつた五分間テレビに出演して五千ドルの報酬をうけているのに、日本ではインチキ呼ばわりまでされるという有様。
 だが、その真相というのは……。

True195703_1.jpg
"トゥルー"

    猛牛との一騎うち
 (中略)
 大山七段は、これを追うようにしてやつと捕え、角を握るといやがる猛牛を無理矢理にねじ伏せ、プロレスのダウンよろしくのしかかつたが、人によつては牛と戯れているとしかみえないなごやかさである。
 この間僅かに三分。 血にまみれた死斗を予想して来たファンにとつてこれほど気の抜けた話はあるまい。
 「インチキだッ」
 「入場料返せ」
 スタンドは足を踏み鳴らし、口笛を吹き、怒号の嵐である。 無理もない。 暴れて突かかつて来る猛牛の角を折つて、足を折つて、最後に首まで折ることになつていたのだから……
(中略)

日刊スポーツ19561112.jpg

    興行師の術策
(中略)
 要するにブローカー共に散々大山七段は喰い荒され、逆に二十七万円の負債を背負わされ、その上"インチキ"の汚名まで着せられてしまつたわけである。 こんな馬鹿げた話がどこにあるだろうか。
 大山七段はインチキどころか、この日に具えて二ヶ月間、千葉県の青堀で猛トレーニングをやつた。 毎朝五時起床、近くにある人見神社の三百三十段の階段を少い日でも十回、多い日は二十回も上り降りし、二十四貫の体重を二十貫に減して、身軽にし、猛牛の猪突に備えていたのである。

    屋根瓦三十枚を割る
 では一体、大山七段に牛が殺せるのだろうか。
 大山七段は屋根瓦なら、戦後の粗悪品なら三十枚ぐらいは軽く割つてのけるし、赤レンガなら調子の良い時は二枚重ねて割る。 一寸五分角棒を二尺に切つたものなら一叩きで折るし、漬けもの石位なら粉々にするという。 二十貫の体で四十七貫のバーベルを楽々と持ち上げるというから空手だけでなく、力の方も相当なものである。
 この術と、この力、大山七段は今までに千葉県の屠殺場で五十頭の牛の角を折つているし、この間人家のないところに百三十貫の牛を引き出し、牛への決斗を挑んだことがあるが、この時はそれと伝え聞いた附近の住民が数千人も押しかけ、ついに本格的な対戦となり四十分の死斗の後、ついにこの五才牡の角を打落し、続く一撃で仮死状態に陥入れてしまつたという。 これは数千人の見物人があつたというからいく人も証人は残つていることだろう。
 その後昭和二十九年の一月十四日にも館山市の八幡海岸で公開興業をやり、この時は大山自ら腹部に長さ五寸の傷を負いながら、手刀一せん、この猛牛を倒し、このルポルタージュは日本各地の新聞に連載されたし、その時の記録映画はスペイン、メキシコ、カナダにも輸出され、外人達の間で大きな反響を呼んだといわれる。

手刀十年1.jpg
新聞の連載記事

 牛を手刀1つでなぐり殺すというのは決してインチキではなく、既に二回に亘つて大衆の面前でやつてのけているのである。 それが田園コロシアムの晴れの舞台でやつてのけられなかつたのは、中に入つたブローカー達の良い加減な金もうけ主義であり、切符さえ売れれば後は野となれ、山となれ、うるさい警視庁との交渉などはまつ平御免という無責任なやり方のためで、決して大山七段自身の責任ではないのだが、世間はそうはとらない。
(中略)

oyamaチラシ2.jpg
当時の広告を復刻させた物(自家製)

    全米をうならせた空手
(中略)
 …アメリカでは大山の空手は非常に有名なものになつたが、日本国内ではプロレスのように空手が競技として行われる可能性がないため大山の名はアメリカほど有名ではない。
 大山がいかに強いか、そしていかに自信を持つていたかは木村七段が力道山の唐手チョップに惨敗した因縁つきの一戦のあと、先輩木村の報復戦として力道山に挑戦してさえいる。 だが、これはコミッショナーが全然うけつけず、大山がプロレスの華かな舞台に登場するチャンスも結局霧消してしまつた。
 だが、大山の空手を慕うアメリカ人は今も彼の道場にやつて来るし、朝霞のキャムプにも週二回教授に通つているという。 ひよつとすると武器を禁じられた国で起つた空手は、総ゆる武器を持つアメリカで栄えることになるかもしれない。

    人民裁判を脱走す
大山信達七段の経歴は書かれたものに寄ると 今年三十五才、五・八フィート体重百八十五ポンド 早大高師部を経て拓大卒業、昭和二十五年全日本アマチュア空手選手権獲得、空手七段 柔道四段、空手は船越義珍、曹寧柱、柔道は牛島辰熊に学んだ、千葉県館山市出身とある。
 大山七段が空手に入つた動機は、十六才の時、朝鮮でふと中国人の喧嘩を見かけた。 足で蹴り合つているうちに、ふと一人が首を振つて自分の長髪を相手の首にまきつけると、それで相手の首を深く切つた。 妙な業もあるものだと聞いてみると、"十八奇"だという、空手のことである。 それで空手に興味を覚えて船越義珍の門を叩いた。
 戦争中は航空整備兵にとられたので練習も思うように出来ず、終戦前の二段のまま、戦後剛柔流に入つて曹寧柱に教え込まれて大きく伸びたという。
 大山七段も終戦直後の一時期は多いにグレたらしい。 昭和二十一年兵隊から戻つて来ると朝鮮人が左右に分れて大喧嘩の最中、当時は右翼的な思想傾向だつた大山は木更津で右派の大出入りがありと聞くと手榴弾十個にピストル、機関銃を持つて仲間とこの現場にかけるける途中でMPに逮捕、信越線で護送される途中列車から飛降りて逃走。 今度は長野への列車に乗ると二等車に朝鮮連盟の委員長以下が共産党のマークをつけてふんぞり返っている。 それがグーッと胸にきて「マークを取れ」といつたことからけんかになり、五人をぶんなぐつた。 それで上田の旅館に泊つていると朝連の連中に大挙襲われて捕り、長野に送られて人民裁判に附せられた。 素ッ裸にされ 椅子に座らされ 両手は高くくくられて焼ゴテまで当てられるという拷もん。 翌日は人民裁判で死刑必至という夜、二階の窓から六十人が竹槍で見張つている中に飛び降りて逃走しようとしたが、槍で突きかかられたので、それを逆について逃げた。 それが真夜中の二時、朝方の六時に牟礼についたというから四時間で八里の山路を突破したわけである。
 ところが、後になつて、その時槍でつかれて死んだものがあつたことを知つたので、一根発起、坊主になるつもりで身延山から清澄山に行つた。 だが食糧は切れるし、坊主にしてくれそうもないので清澄山を出て、館山付近の山中に入つて空手の修業に入つた。

    山に入つて荒修業
 坊主になるつもりだつたのだからと眉を削り落した。 こうすれば人中に出られなくなるだろうというのだ。 あの時あのまま刑務所に入つてることを思えば山中はずつと自由だ、ここで修業が出来なければ、男ではない、という信念だ。 風呂にも入らず髪も切らず一年半山の松を叩き、石のバーベルを持上げて暮した。

実話特報2.jpg

 やがて石が割れる、電信柱を叩くと動く、これなら牛をなぐり殺したという話があるが、やれるかも知れん、というところまで進んだので館山の屠殺場に来て試みてみたが、牛は倒れないし、死にもしないのでがつかりしてやめた。
 そしてアメリカに渡つたが、歴戦の結果やれないわけがないと考え直した。 そこで帰国すると再び館山に戻つて道場を開く傍ら、今度は屠殺場で細い角の牛を探しては手刀式で叩いて折ることをはじめ それで成功すると次第に大牛を狙つて、ついに完全にイキの音を止めるところまで進んだ。
 大山七段は、
 「スポーツは健康が目的だから肉体的鍛練の方が大切だが、武道は人間完成への道だから精神的な修業が何より必要だ。 それが証拠にヤクザに柔剣道の達人はいないだろう、だからわたしは禅もやる、若い時は力をつくる、年をとると力はなくなるから精神力でこれをカバーし、反つて若い時を上廻る実力を身につけるのだ」
 といつているし、
 「石を割るにしても、とても割れないと思つたら決して割れるものではない。 それが割れると確信を持つまでになるのは精神修養だ。 唯物論は限界が来ていると思う。 物は数学的に計算出来ても、人間の精神は数字では計ることは出来ない」
 とも語つている。
 力道山が文春の座談会で大山と話し合つた時、後で、
 「オンリー・マネー、金をもうけろよ」

オール読物1.jpg
大山倍達と力道山の座談会記事

 といつていたが、「流石にあれだけになる力道は考えることも進んでいる。 武道のためには弟子も養わなくてはいけない、昔のように竹刀一本持つていれば、それが高禄にありつける時代ではない。 わしが或る団体にいた頃、わしの下にいた奴が製菓会社をやつて今は七億円持つている。 それに較らべるとわしは弟子一人満足に喰わせられん。 えらい強いだけではどうにもならない、 金がないから一に利用されたり蹴飛ばされたりする。 金もうけが出来るのも矢張り一つの力だ」 と淋しそうに語つていたのは大いに考えさせられるだろう。
 木村政彦七段が牛島辰熊を裏切つてプロレスに入つたのも金だそうだ。 木村夫人が病気をして死にかけた時、木村はペニシリン一本打てなかつた。 そこでプロレスに入り、その鐘で女房を助けたといわれている。
(中略)

    「心頭を滅すれば火も涼し」

 話が少し下卑た。 中国の拳法(空手)の名手といわれる陳某がアメリカからの帰途横浜へ立寄つた時、大山七段は会つてしみじみ話し合つたことがある。 陳はもう六十の老人、物を割つたりするショーマンだが、実に体がよく廻る。 しかもその手はとみると女性のようにしなやかで、タコ一つ出来ていないのである。
 この時大山七段は八分板を五枚割つてみせたが、陳は、
 「巻ワラ叩きは止めなさい、禅をやることだ」
 と教えたという。 陳の動作は静かで、おだやかだがパンチは短かく、非常に早い。 板などは五寸位の距離で割るのである。
 紙片を天井から吊して、この紙片を拳で打つのだが、紙片は拳について来てしまう、全くの達人である。 しかし十六貫の好々爺である、愕いてみている大山に陳は、
 「毎日禅だけをやりなさい、私は三時間立禅をやるだけだ」
 と教えたという、若さも、体力ない、気力だけで割るのである、大山は、
 「そういえば、拳闘の世界選手権者マクス・ブアも五寸のショート・パンチで相手を倒したし、長いパンチでなく人を倒すのが術というものだ」
 と深く反省したという。
(中略)
 道元禅師は「心頭を滅すれば火も又涼し」
 と平然として焼死して行つたが、大山はいかに禅をやり、日蓮宗に帰依していても、まさか火が涼しいとは感じられないと思つていた。 ところが一昨年、長崎の松覚寺の住職が中国の拳法をやるというので大山が訪ねて、この話をすると、六十を超したその老師は、静に禅を暫く組んだ後、手に油を塗つて、たぎつている熱湯の中へ手を入れた。
 「ひとーつ、ふたァーつ、みーつ……」
 まことにゆつくりした数え方である、そして「とーお」と数えると、今度はサッと手を抜いた。 その突つ込み方、抜き方の早いこと、全く目にもとまらない物凄さである。 老師はニコニコしながら、
 「六十を超したからもう力はないよ、だがこういうことは熱湯だと思つたら駄目だ、水と思えば何でもないことよ」
 僅かに赤らんだ火ぶくれ一つない腕に眼もやらず、老禅師は事もなげに言つてのけたという。 大山は修業の足らないことをしみじみ痛感した。


サン写真新聞.jpg

    空手の起源
 大山七段もすつかり座禅修養が出来て来たらしい、千葉県の白浜と千倉の間で、農家が除草に忙しく子供を放つたらかししているところへ馬車が暴走して来て危うく子供がひつかけられそうになつた。 通り合わした大山は大手を拡げて立ふさがり、馬もろとも堤防の下へ転り落ちて大山も傷をしたが、子供は事無きを得たこともある。 未亡人が七十万を奪われたので口をきいてやると、与太者が十二、三人ピストル、日本刀を持つて押しかけて来た。
 「君達と喧嘩をする理由がない」
 といえば相手は、
 「お前をやつつければ、俺達の名も格も上るんだ」
 「では、謝りましよう」
 こうして問題を未然に防いだこともあるそうだ。
(中略)
 …そこで大山七段ら一部の人々は防具をつけた日本選手権大会を大々的にやろうと計画している。 尤も防具といつても一人分一万五千円はかかるから楽ではない。
 大山七段の弟子は全国で六百人、そのうち自宅の道場に毎日通つているのは二、三十人 朝霞と横浜のキャムプで教えているアメリカ人はざつと二十人ずつ、立川の極東空軍でもやつているそうだ。 今キャンプには二段がいるが、まだアメリカ人の有段者は僅かに四、五名程度、大山七段は、
 「二十四、五からの連中は全くうまくなりませんね、矢つ張り若いのが有望です」
 と語つていたが、アメリカ人は腰と足が弱いので概して上達が遅いようだ。 アメリカには力道山級の体は四千人ぐらいは居り、コーカ・コーラの瓶などは腕に挟んで簡単に割つてしまうが、空手に大切なスピードがないから手刀で叩いて割るというようなことは出来ない。 そこへ大山七段が渡米して、簡単にそれを実演して見せたから、アメリカ人はアッと愕くと共に自分達の欠点に思い知つたのではないだろうか。
(中略)

    大山七段の一家言
 大山七段は、タコの出来た、だが、桜色にほんのりとした美しい拳をみつめながら、
 「まだ、こんなタコがあるようでは駄目ですな、陳さんなんか娘のように柔い綺麗な手です。 歩き方だつて私らは矢つ張り武芸者みたいでしよう。 陳さんなんか普通の老人とどこもちがつていません。 あそこまで行かなければ駄目です。 まだまだ修業が足りません」
 とポツリポツリ反省する。 その大山七段は酒、煙草は絶対にやらない。 女も出来るだけ慎しむ。 食物は肉類より果物、野菜をとる。 牛や馬は長く斗えるがライオンなどは短い斗争は強いが永くはやれない。 菜食と肉食の相違だとみているからだ。
 話していると"インチキ"のかけらなど何処にもない明朗で、正しい武芸者という印象をはつきり受ける好青年である。 一九五四年にカリフォルニア州のモンテリー市立大学から空手の講師として招かれたが、経済問題から謝絶したそうだ。
 ロクでもない奴が、大切な外貨を捨てに渡米するが、こういう世界的な名手は動きがつかないのである。 大山には今一番必要なのは"金"かもしれない、それさえあれば大山も力道山同様、世界の名士にのし上るだろう。 大山に武芸者として、誰がえらいと聞いたら、「尊敬するのは一に宮本武蔵、二に木村政彦です。 人間性が出来ています」と答えてくれた。
 そして暫く考え込んでいたが、
 「武芸者は弟子の養成も大事ですから、今一番の武芸者といわれると矢つ張り三船久蔵先生、二番目は力道山じやないでしようか」
 と答えなおした。
 大山七段は宮本武蔵が非常に好きらしい。
 「武蔵はえらかつた。 私は武蔵を知つて希望を持つた。 五味康祐さんは、良い人だと思うが、"秘剣"で武蔵を女たらしにしたのは怪しからんと思つている。 時代は変つても良いものは良いんだし、立派な剣豪を不健全なものにするのは国民に対する影響が悪い」
 と大の武蔵党であつた。

(おわり)


 んでは、いくつか解説を。 この頃には47貫のバーベルを挙げるとありますが、kg換算すると約176kg。 180kgまで後少しです。 体重は24貫〜20貫ですので、約90〜75kg。 185ポンドなら83kgですね。 人見神社で修業する前は90kgまで増やしていましたが、それを75kgまで落として、57年には83kg頃だったという事ですかね。身長は5・8フィートですので、約176cm。 
 十八技の話も後のエピソードとは随分違います。 それから航空整備兵だと書いている辺り、興味深いですね。 そして在日本朝鮮人連盟(後の在日本朝鮮人総聯合会)と朝鮮建国促進青年同盟(建青)と新朝鮮建設同盟(現在の在日本大韓民国民団)の抗争に関する話がちょろっと語られています。 共産党のマークを付けた委員長というのは…金天海氏の事ですかね?

民団.jpg
建青時代

 大山倍達総裁が在籍していた1946年当時の建青安房支部集合写真が手元にありますが、1列目にドカリと座った大山総裁が写っており、キャプションには「当時朝連の金天海はビックリしてにげたという話」とあります。
 ちなみに1957年当時で7億円持っているという大山総裁の元部下は製菓会社で見当が付いた方もいるでしょうが…48年創業のロッテの創業者、重光武雄氏(本名、辛格浩)ですね。 建青時代の部下らしいです。
 陳老人は以前にも何度か書きましたが、1950年代の陳老人の描写は大体同じですね。 これが原型と見て間違い無いでしょう。
 長崎の松覚寺の住職…と言うのは、元長崎県民…あ、一応本籍は未だに長崎ですが、の私からすると長崎の路面電車の路線で見る正覚寺下の正覚寺だと思います。 あそこで中国拳法をやっていたと言う話は聞きませんが、ご存じの方がいらっしゃったら書き込み下さい。
 そう言えば、晩年の大山総裁は、手を熱湯に漬けるトリックを知っており、語っていた事がありましたっけ…。 でも目撃当時はえらく感心したんだろうなぁw
 米軍キャンプでの空手指導についてですが、大山総裁に限らず、戦後間も無くから米軍基地で空手を見せたり指導されたりする先生方がいらっしゃいました。 沖縄武術は武道禁止の対象になっていなかった事もあったし、米軍では研究や訓練を兼ねて柔道家も呼ばれていたのです。 本土では早くから組織化されていた日本空手協会の先生が指導されるケースが多かった様ですが、大山総裁もそういった方の様に呼ばれていたのでしょう。 やがて日本や韓国で空手を学んだ米兵たちが1950年代後半から始まる空手ブームを担う事になります。 シカゴの初代支部長だったチャールズ・グルザンスキー先生(キャンプで大山総裁の指導を受けた)や、初代ニューヨーク支部長オーガスチン・デメロ先生(戦後沖縄で学んだ)もその1人です。
 しかし1957年と言うのは大山総裁の極貧時代ですので、お金の話が多く登場しますねぇ。 しかも前年の田園コロシアムの負債まで抱え込んで、実に頭の痛い事だったと思います。
 で、最後に一番の武芸者。 発言を見る限り、後進を育ててこそ…という考えが出て来ているので、この辺りから本格的に指導者の道を模索し始めたのでしょう。 "What is Karate?"を書き上げた頃ですし。
 解説はこの位ですかね。 それでは、また。


参考文献:
Jay Gluck, "MASTERS of the BARE-HAND KILL", TRUE, March, 1957
サン写真新聞 1954年 1/17
京都新聞 1955年 2/8
日刊スポーツ 1956年 11/12
オール読物 1953年7月号 文藝春秋 1953年
実話特報 1957年10月特大号 双葉社 1957年


関連リンク:
大山倍達 対 雷電号 (1956年)

 






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コメント
金天海が驚いて逃げたとは凄い話ですね。しかし若い頃は鍛えた凄い身体ですね。お見それしました。
  • やいや
  • 2012/02/12 11:21 PM
>晩年の大山総裁は、手を熱湯に漬けるトリックを知っており、語っていた事がありましたっけ…。 でも目撃当時はえらく感心したんだろうなぁw

熱湯に手を突っ込んだ話は別の本(「世界ケンカ旅行」だったような気が)でも出てたように記憶します。陳老人(沢井健一先生?)の演武の一つとして紹介されていました。「煮えたぎった熱湯がトリックであるわけはない」とか書かれていましたがやはりトリックでしたか!?
>やいやさん

まぁ、逃げたと言っても、民団側の話ですからw 聞く所によれば、襲撃を掛けた際に金天海氏が裏口から逃げた、という話はありますけどね。 安房支部の建設隊という戦闘部隊みたいな物があったのですが、このメンバー全員を指していると思われます。
この頃の大山総裁は胸板は結構厚いですが、立つとまだ線が細く痩せ気味です。 でも拳の盛り上がりは凄いですね。

>古流修行者さん

はい、熱湯に手を突っ込む話は別の本でもありましたね。 どの本か忘れましたが、まぁレビューして行く際に読み返すのでその時に確認しておきますw
トリックの話は割と晩年ですね。 「武道論」か、「月刊パワー空手」の講話か「正拳一撃」で書いていたと思います。 確か…油を手に塗り付ける事で空気の層を作り出し、油が剥離するまでの間なら熱湯でも熱くない、という事だったかと。 湯→油←空気←皮という感じで保護されるんでしょう。
ただ、大丈夫だと分かっていても、実際にやれる人はそう多く無いでしょうね。 熱さを感じない、もしくは無視をするというのと、火傷をしないというのは、精神力とはまた別の話ですし、そもそもどれ位の時間なら大丈夫なのかも分かりません。
敷き詰めた卵の上に乗るとか、ガラスの上を裸足で歩くのと同様に、割と科学的なトリックです。
立禅のやり方を見る限り、陳老人と澤井先生は別人の様に思いますが、この辺りもいずれ「空手バカ一代」の元ネタシリーズで取り扱いますね。
  • Leo
  • 2012/02/13 12:07 AM
陳老人は、「立禅」云々からいって、太氣拳の沢井健一氏の事でしょう?もう、その頃から交流もあったし、雪山でのヤラセ映画での大山氏との決闘もビデオにある。同じ高麗族では、今もし、大山氏が倉本成春氏と同じ年で、ご存命であれば、倉本氏の方が断然強いでしょうね。大氣と極真の戦いを数回観ましたが、大氣はそんなに云う程強くないですね。所謂「氣」なんてもの、一向に数十年訓練されている方でも、出ていないし、あえて強いと云えば、島田道男先生ぐらいでしょう。島田先生も松井浣腸には最後には「ダウン」を取られていますから。「顔面に」です。あの頃すでに島田氏は、大氣歴を10年は超えていたでしょう。大氣を強く好む同じ高麗系のろう山氏にしても、中国へ弟子を連れて行き、向こうの「散打」とリング状で対戦させているけど、弟子達はほとんど惨敗。芦原先代と大山氏が喧嘩したら、どちらが強かったのかな?先代芦原氏のパンチの速さには、度胆をぬきました。まじかで、小生が観ましたから。そして、倒すのもこれまた早い。例の小島氏が書いた、今は亡き北海道支部長とやくざの殴り込みを芦原氏が、深夜マンションで、相手がピストルをもって向けた一瞬に、裏軒で目をたたいて、その後、浜辺に埋めたと云う事件は本当ですか?そういえば、小生、あの頃、先代館長が良く、「ヤクザが来て、この間スコップで埋めてやった」と云ってました。今考えるとその事かも。あの頃でも、良く地元でも狙われていて、ご先代芦原氏御本人も相当神経質になっていたのですよ。寝るのが早くても、深夜2時過ぎとか云ってました。
  • 珍老人
  • 2012/02/13 9:35 AM
追伸:最近、YouTubeで、〇心会館や現芦原會舘系の大会を観る事が出来ますが、いわゆる、先代芦原氏の「捌き」をつかえている人も、今は殆ど無いですね。黒帯の人も。「捌き」=道着の裾を以て、回し受けして、蹴るの「イメージ」が先代の頃から強すぎたのか、それとも、顔面無しのルール故に仕方ないのかな?小生は、先代が40代をもう既に回って入らっしゃるころ、若さ盛んな、2-3段クラスのご自分よりも大きい、しかも、早い(はず?)の強豪相手になんと「顔面あり」の「なんでもやっていいけん!」の例の口調で云われ、弟子達が数人挑みましたが、もう、なんというか、紙上では表せない、「空手」というか、まさに「喧嘩の神業」で、その高弟達を10分もしない内に、「顔面寸止め」を入れて投げる(転がす)か、見ている方が"あっ!”と思う間もなく相手がもう床に伏せていました。その場にいた小生ですから、ウソではありません。ただ、その頃小生は未だ、未熟者でしたから、高弟ではなく、例の北海道支部長が電車で、拳銃持って、ボディーガードと芦原氏の指定するマンションに乗り込んだ「真実性」は知りませんでした。只、上記に誤字を交えながらも、すでに述べましたが、「スコップに埋めてやった」「ヤクザがきて云々」は、良く同時期口にされていました。そして、あの頃なんて、色帯連中が、先代館長と写真を撮りたい、撮らせて下さい!とお願いしても、なかなか、「うん」とはおっしゃらず、なんか「嫌々」「しぶしぶ」取っていたようです。それに、体育館等かりて、審査を行う訳ですが、弟子には前もって、ビデオや体育館に監視カメラが何台あるかなんとのも、確認されていた位ですから、かなり神経質になっていたのでしょう。今の石井浣腸は、先代の事をあまり良く自伝書で書かれていないけど、その話が事実であれば、石井浣腸自身も同じ事弟子にしていると思うのですよ。佐竹氏の自伝書にも、そう書いています。先代芦原館長は、弱い弟子相手に、組手やったりはしなかったのが、小生の知っている限りです。今の館長になって、随分と芦原旧高弟門下が去った理由は、小生知りません。ともかく、大山氏なら、けっこう「ホラ貝」拭くのが昔から好きだったから、例の北海道支部長を鉄砲玉にして、先代芦原氏を殺しに向けたかもしれません。現に、中村忠氏も、ピストルで撃たれてますから。松井浣腸も、極真を株式会社にするなんて、これ又ひどい話ですね。カリスマ先生が亡くなれば、極真ルールは残っても、「恩義」は無くなるのかな?同じ極真の支部で稽古したのに、受付の手違いか?一万円取られたのには小生びっくり。あの頃の総裁直伝の狭い道場での、練習中、「チミー、タメダヨー、こうだよー!」と云うあの声と独特の高麗なまりは、今想えば懐かしいです。ちなみに小生先代芦原氏の持ち上げ者ではありません。先代芦原氏、大山氏の両方を尊敬しております。あしからず。
  • 珍老人
  • 2012/02/13 10:14 AM
>珍老人さん

>陳老人は、「立禅」云々からいって、太氣拳の沢井健一氏の事でしょう?

そうとも限りません。 まぁ、その内書きますが。

>今は亡き北海道支部長とやくざの殴り込みを芦原氏が、深夜マンションで、相手がピストルをもって向けた一瞬に、裏軒で目をたたいて、その後、浜辺に埋めたと云う事件は本当ですか?

当時者じゃないので詳しくは知りません。

  • Leo
  • 2012/02/15 9:00 PM
>そうとも限りません。|なのか早く書いて下さい。待ってマス大山。当事者じゃないので詳しくは知りません>でも、例の北海道支部長は失礼ながら、義眼を入れていらっしゃいましたよね。先代芦原館長は、良く、スコップ埋めちゃった事件、しょっちゅう云っていました。某元空手道編集長の問題著作とすり合わせても、四国で、何かの理由で、ピストルもって、電車で芦原氏の元へ用心棒と一緒に出向いて、あげくに、スコップで浜辺に埋められたのは確かでしょう。それと、こういう事も先代芦原館長は仰ってました。⇒「この間、ある有名な中国家が、アシハラを倒したとさわいどったけん、東京の弟子に様子観にいかせてやった。その拳法家、そいつに(アシハラ氏の弟子)と対戦することになり、結局、回転肘打ちで、あっさり倒れた、この話、知っている人?」と門下生に問いかけた。多数の門下生が、現場検証人も含め、即座に「挙手」してました。ご参考まで。
  • 珍老人
  • 2012/02/15 11:16 PM
珍老人さんって老人らしからぬ…おこちゃまみたいですね!

スコップでどうしたこうしたなんて言う…
くだらないガキレベルの話しはどうでもいいよ!
  • サンローエン
  • 2012/02/17 10:38 AM
古い話だからもうどうでもいいけど、A先生から「◯木が来た」と聞きました。
  • やいや
  • 2012/02/17 10:18 PM
>珍老人さん

>|なのか早く書いて下さい。
誰なんて知りませんよ。 私は澤井先生じゃない可能性もあるのだと提示するだけです。 まぁ、早ければ年内に書くんじゃないですかねぇ。 遅けりゃ来年以降でしょうが。 〆切りも無いし、趣味でやっているので、のんべんだらりと書く事でしょう。

>
だから詳しい事は知りませんよ。 こう言い換えましょうか、伝聞以上の事は知りません。

>サンローエンさん
童心に返っていらっしゃるのかと。

>やいやさん
まぁ、一部では有名な話ですからねぇ。
  • Leo
  • 2012/02/17 11:59 PM
珍老人さま、中国拳法家とは誰ですか?
  • やいや
  • 2012/02/19 3:07 AM
最近は30億円追徴課税と前々から言われていた朝鮮総連、民団との関わり
イトマン事件の張本人、許永中 と松井館長の親密な関係。
極真の支部長や関係者や道場生 はどう思っているのかお聞きしたい。
  • 奈々氏
  • 2012/02/21 9:12 AM
変な人が湧いてきましたね。
春が近いからかな(笑)

Leoさん、サムライパンチのビデオが出てきました。
ついでにサムライパンチで梶原一騎特集も出てきましたよ。
  • Little Tiger
  • 2012/02/21 7:40 PM
>奈々氏さん

とりあえずブログやTwitterをやってらっしゃる諸先生方に直接聞いてみたら如何でしょう?

ウチはブログのトップにもある通り、

極真空手創始者・大山倍達を中心に分裂前までの極真を取り扱うブログです。

ですし。

>Little Tigerさん

おぉ。 何かLittle Tigerさんのお好きそうなネタを用意して、メールします。 週末になるかと思いますが…。
  • Leo
  • 2012/02/21 9:34 PM
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