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大山倍達マニアック検定

「少年マガジン」と「空手バカ一代」、そして極真空手の時代3 (1975〜1976年)

JUGEMテーマ:空手
 

 という事で、割と久々な企画です。  まぁ、要するに何をする企画というとですね、手持ち資料の中から当時の「週刊少年マガジン」を紹介し、当時の空気を味わってみましょうというお話です。
 
マガジン1975_1.jpg

 それでは、まずは1975年第17号から。

マガジン1975_2.jpg

 表紙が大山倍達、芦原英幸の師弟コンビです。 内容は二宮が道場破り後の芦原英幸を襲撃するシーンから魚河岸道場発足まで、です。 2色カラーの倍増ページ。 2色カラーと夕日の雰囲気がマッチしていていいですね。

マガジン1975_3.jpg

 この75年から翌年に掛けては芦原先生が主役級の扱いを受け「空手バカ一代」的には第2のピークになるんでしょうか。 前年…74年はブルース・リー映画が3作公開されており、漫画で空手を楽しみ、TVでボクシングやキックボクシングを楽しみ、スクリーンで空手映画(カンフー映画)を楽しむという、打撃格闘技ファンにとっては最高の時期かも知れませんw
 私などは生まれては居ますが体験していない時期ですので、この漫画、TV、映画の相乗効果がどれほどの物であったかは分かりませんが、漫画を読めば空手家になりきり、TVを見ればキックの真似事をし、映画館を出れば気分はブルース・リーな人が沢山居たのかも知れませんねぇ。
 新日本プロレスの異種格闘技路線はまだスタートしていませんので、最強論争もそんなに多く無かったのかなーと思っていたりします。 それでも「空手バカ一代」では大山倍達から弟子の時代に移り、その弟子たちも超人的な強さを発揮し、「極真空手が強いのだ」というイメージを紡いでいましたから、全国各地の道場生や「マス大山空手スクール」の通教生らがそれを誇っていた事でしょう。 信念は強さに繋がり、例え通教生9級でも極真の看板を背負う気概を持った門下生があちこちに居た時代、でしょうかね。
 今の10代は知りませんが、私ぐらいの年でも空手=極真的なイメージを持っている人は多い様です。 というか他流派が知られていないというのが正しいでしょう。 ちょっと気の利いた人なら正道会館の名も挙げますが、「空手やってます」じゃなくても「極真やってます」で通じるのは凄い事です。 メディアの伝播力を感じますね。
 ちなみに、ブルース・リー映画はこの時点で「燃えよドラゴン」「ドラゴン危機一髪」「ドラゴン怒りの鉄拳」の3作です。
 この時期の連載は…、

空手バカ一代    梶原一騎/影丸譲也
イヤハヤ南友    永井豪
おれは鉄兵    ちばてつや
愛と誠        梶原一騎/ながやす巧
三つ目がとおる    手塚治虫
狼の星座        横山光輝
B.C.アダム    赤塚不二夫
釣りキチ三平    矢口高雄
うしろの百太郎    つのだじろう
紅の挑戦者    高森朝雄/中城健

 何か連載数が少ないですが、74年の「週刊少年マガジン」も少なかったので、オイルショックが原因でページ数削減していた時期に当たるのだと思います。 しかしラインナップ見ると大御所ばかりですね。 まぁ、私の時代の「ジャンプ黄金期」みたいなもんですか。 そして梶原先生が原作3本。 70年代の「週刊少年マガジン」を見ると、大体2〜3作くらい原作抱えてますw

マガジン1975_4.jpg

 んで、同年46号。 極真会館主催の第1回全日本空手道選手権大会直前号です。 表紙の極真の道着に茶帯を巻いた少女は山口百恵、撮影は篠山紀信。 今から振り返ればとても豪華です。

マガジン1975_5.jpg

 まずはカラー6ページに渡って特集。 合宿の写真に2枚、試し割りに2枚、世界大会出場予定の日本代表に2枚。 この時点では三浦美幸先生もその中に入っています。

マガジン1975_6.jpg

 本編の方はと言うと…李青鵬が猛牛と闘い、交差法で牛を倒すシーンですね。 あぁ、今ふと思いましたが、失神状態のジャック・サンダクレスが繰り出す天地上下の構えのフィギュア欲しいですw どっか出しませんかね、「空手バカ一代 名シーンフィギュア コレクション」。 李青鵬の高速移動時の構えとか、真樹日佐夫先生の飛燕の蹴りとか欲しいぞ。 あ、三光はいりませんw

マガジン1975_7.jpg

…閑話休題。 すんません、妄想してましたw
 これ、結構珍しいと思うんですが、巻末には「外人空手マン105名大図鑑」と称する企画が載っています。 何かと言いますと、大会出場予定の外国選手が写真付きで105名分紹介されているのです。 野球選手名鑑とか、大相撲名鑑、プロレス名鑑なら1950年代の物が手元にありますし、載ってても不思議じゃないんですが、アマチュア大会の出場選手を一挙公開する漫画週刊誌はこれぐらいなもんかとw

マガジン1975_8.jpg

 例えばウィリアム・オリバー選手の場合は年齢23歳、身長165cm、体重64kg、空手歴7年、二段、職業 試験場技師。 こういうのが11ページに渡って書いてあります。


 翌76年の26号。 あら、「うしろの百太郎」「月刊少年マガジン」に移ってますね。 本誌では「その他くん」が始まっています。 さておき、今号では三協映画の「地上最強のカラテ」公開直前特集が組まれています。

マガジン1976_1.jpg

 正確言うと、東京では先行公開中で、全国は直前というのが正しいですね。

マガジン1976_2.jpg

 本編は表紙のキャッチに「出るか芦原得意のケンカ殺法!!」とありますが、今号はジプシー空手と芦原先生の死闘決着回です。

マガジン1976_3.jpg

 「マス大山空手スクール」の広告にも佐藤勝昭先生の世界大会優勝時の写真が使われており世界大会の余韻を感じますね。

マガジン1976_4.jpg

 最後は同年52号。 今回紹介する号で最も資料価値が高いのは今号でしょう。 カラー特集は、極真がバックアップしたあの日本空手ファイト協会です。 俗に言う「極真のプロ空手」ですね。 表紙も煽ってますよ。 「これが真のプロ空手だ!」です。
 紹介されている試合は神童達也VS武蔵竜司、林万次郎VS無双真言、松田徹VS鬼頭拳司、沢竜二VS大東鉄鬼の4試合。 そして全?所属選手の紹介。 何と大石代悟先生まで載ってます。

マガジン1976_5.jpg

 まぁ、結局出場していませんがw 所属選手に載ってはいませんが、実際にはチャンピオンクラスの選手が出場しています。 いずれこれも独立して記事に仕立てたいので、細かくは紹介しませんが、渋谷支部の門下生ですかね、顔見ても分からない選手が何人かいます。

マガジン1976_6.jpg

無冠の帝王    大石代悟
黒い稲妻        沢竜二
白魔王        松田徹
若き狼        牙直人
リングの忍者    神童達也
赤い流星        空手三四郎
蒼い鷹        鬼頭拳司
黄色い死神    無双真言
ブラック軍曹    大東鉄鬼
静かなる戦士    武藤竜司
マットの星        林万次郎
重戦車        加納達也

 …えーとですね、色の入ったニックネームの選手、これは全部道着の色に由来しますw 黒2、白1、黄1、赤1、青1。 "リングの忍者"も多分道着の色が黒だからだと思います。 空手三四郎選手も"赤い彗星"だったらもっと面白いんですが。 …それにしても"ブラック軍曹"ってなんでやねん。 闘ったら泣いたり笑ったり出来なくされるんでしょうかねぇ。 リングネームも意味不明なのがありますね。 無双真言選手、自分で名乗ったのか、それとも誰かが付けたのか。 あ、一部映像が残っていて、「地上最強のカラテ Part2」に短いですが収録されています。

マガジン1976_7.jpg

 本編は第2回全日本大会で敗北した佐藤勝昭入門回です。 ここまで来ると現実の時代に近づく為か、変な話がガクンと減ります。 しかし勝昭先生の入門時期を第2回大会後にしたのは劇的ではありますが、少々失敗じゃないかなぁ。 お陰で重量級で柔道の強豪で熱心に稽古をしたという前提があっても、入門から僅か1年足らずで全日本優勝、という事になってしまいましたw
 まぁ、いいや。 この次の号から風忍先生の「地上最強の男 竜」が始まるんですよね。 知ってる人は知ってる異色作です。

マガジン1976_8.jpg

 一時期はまんだらけでも全2巻で5000円以上だったと思います。 この竜は正に地上最強で、最後は惑星を素手で割りますw 多分この地上最強の試し割りを完遂したのは他はアラレちゃんくらいなじゃないでしょうか。 後の号になりますが、この地上最強の男と地上最強の空手(「空手バカ一代」)が誌面で並ぶという珍事?も発生します。 ちなみに連載漫画はこんな感じ。

釣りキチ三平        矢口高雄
おれは鉄兵        ちばてつや
野球狂の詩        水島新司
三つ目がとおる        手塚治虫
手天童子        永井豪
姿三四郎 正五郎先生    本宮ひろ志
聖マッスル        宮崎惇/ふくしま政美
海商王            雁屋哲/かざま鋭二
蒼きパンサー(終)        木村えいじ
ぼんくら同心        ジョージ秋山
その他くん(終)        つのだじろう
空手バカ一代        梶原一騎/影丸譲也

 「愛と誠」の連載が終了した為、梶原先生の作品が珍しく1作しかありません。 もうちょっとしたら「火乃家の兄弟」が始まります。 1誌複数連載はこれが最後になるんですかね。
 そして、極真史的にはセピア色の伝説から抜け出し、試合がテレビで流される様になった頃で、時期を前後して梶原先生の所謂"狂乱の時代"に入ります。


 という事で、昨日は単純にサボり今日はちょっと午後出掛けてたので、内容そのものは割と手抜きです、済みませんw
 それでは、また。

参考文献:
週刊少年マガジン 1975年17号 講談社 1975年
週刊少年マガジン 1975年46号 講談社 1975年
週刊少年マガジン 1976年26号 講談社 1976年
週刊少年マガジン 1976年52号 講談社 1976年


 






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コメント
確かに所属していただけで誇らしいw時代でした。

「愛と誠」は
終わりの頃はつまらなかったです。
原作者のやる気の無さが伝わってきました。
  • もん爺
  • 2012/03/05 1:59 AM
>もん爺さん
まぁ始めた頃は、道着を着るだけで強くなった様な気がするものですからねぇw
「Kの流儀」という極真空手家を題材にしたフィクション小説がありますが、「俺が極真なんだ」的な発想が根底にあり、熱かった時代の名残を感じます。 佐藤塾の長谷川一之先生の自伝「カラテ狂時代」にもその熱を感じますね。 後者の方は極真迷走時に感じた絶望も書いていますが…。

「愛と誠」、私は単行本でまとめて読んだ組ですが、確かに終盤はちょっと蛇足というか、そう言った物を感じます。 緋桜団の砂土谷峻は必要だったのかな、とか。
あぁ、でも私は「コータローまかりとおる」を先に読んだので、そちらに登場するパロディキャラの砂土屋俊兵を先に知ってしまい、素直に読めていない可能性がありますw
「空手バカ一代」より先に「うしろの百太郎」を読んだ様な物でしょうか…。
  • Leo
  • 2012/03/05 9:21 PM
こんばんは、

>漫画で空手を楽しみ、TVでボクシングやキックボクシングを楽しみ、スクリーンで空手映画(カンフー映画)を楽しむという、打撃格闘技ファンにとっては最高の時期かも知れませんw

この時代のマガジンはよく買ってました。小学校から中学にあがることでしたが男子はほとんどブルース・リーの真似してましたね。ちょっとコアな奴は「ブルース・リーは映画の強さでホンマに強いのは大山倍達や」とか知識を仕入れてたり・・・
はやったのがヌンチャク。市販のヌンチャクは高かったので多くの同級生が竹や廃材(椅子の脚など)で作った手製ヌンチャクを学校に持ち込んでました(私もです)。中学ではヌンチャク禁止令が出ました、こっそり持ち込んでくる奴もいましたね(笑)

カンフー映画と空バカはこのころが全盛時でしたがキックは沢村ブームが去ったあとなので見てるものは少なかったと思います。この時代の梶原さんの漫画「紅の挑戦者」にもTV局が「このところキックの視聴率がふるわないのでローラーゲームを代わりに放送しろという声があるんだ」という科白が出てきます。
記憶は定かではありませんが、「空手バカ一代」はもう何回も何回も読みましたね。番組名は想い出せないですが、極真の道場が未だ日本にそんなに無かった時代でしたっけ?TVで特別連続番組で、合宿風景など放映されてました。火の輪くぐりとか、飛び蹴りで何十人抜きとかありましたね。

NHKの「紅白歌合戦」の審査員のひとりとして、大山倍達先生は出演されてたと記憶しております。司会者から、質問され、ほんの数秒ですが、受け答えをされてましたね。もし、僕の記憶が正しければ...。


芦原先生は、当然「空手バカ一代」で有名になったのですが、あの、ジプシー空手との対戦での「流水」の見切りは、まさに本物でしたね。(あの決闘シーンは事実と違いますが)

0恩鏡萓犬漏畍供真樹両先生があって知名度が四国から全国〜世界と轟いたのですが、何故か良く審査の席で、両劇作家を毛嫌いしていました。「サングラスとヤクザの風貌が嫌い。有名にしてもらったのは事実だけど、極真が最近おかしくなってきている。梶原先生の漫画は、わたし、アシハラの分も含めて、只のブーム・フィクションです。いづれ、閑古鳥が鳴く時代が来るから、空手で飯食うなんて思うなよ!道場なんて、持たないで、体育館を借りてやれば、いいんだよ」と良く云われてました。

じ綰の芦原先生は、尊敬していた中村忠先生や、大山茂先生とも折り合いがあまり宜しくなかったと思います。その後、さびしい話ですが、二宮城光先生迄もが、芦原英幸先生を去っていく訳ですが....。その頃、必死で開発されていた今でいうところのAバトン、未だ持ってます。今販売されているのより、携帯式ではありませんが、使い勝手は良いと思います。兎に角、「アイデア」「ひらめき」にたけた先生でした。

ッ度、猪木対ウィリー戦でマスコミが騒ぎだした頃でしたっけ? 極真の第二回世界大会で、ウィリーが、三瓶啓二選手に掴みで反則負けしたのは?
これは、いっていいのか、どうか判りませんが、当時、芦原先生は、大会前に「ウィリーが反則負けして、世界大会は、三瓶か誠が優勝する結論で、シナリオ書きされている。ここだけの話じゃけんな!」といわれて、実際そうなって、ガックリしました。芦原先生が極真に居る時代から、ずっと選手の抽選も前もってフィックスされていたとか。中村誠先生も一部その旨認められてます。もう、その頃はすでに大山先生と喧嘩別れされ、芦原會舘ですけど。そのずっと以前から、大山先生と芦原先生との間にはいろいろとあったようですね。

ハワイ大会での千葉真一の試合も八百長であったのは、内輪では皆知ってます。つまり、エキビジョンマッチですね。

Ε屮襦璽后Ε蝓爾留撚茲はやった頃、皆映画館でプラスチック製のヌンチャクとポペット人形を買ってたと思います。

Г修虜◆∨佑牢慇召任靴燭里如中村日出夫先生の方が、大山先生よりも有名でした。中村日出夫先生の夜中での巻き藁・砂袋叩きは、もうその頃京都・関西あたりから、こちらに届いてました。御弟子さんの武勇伝とか...。僕の習っていた道場にも届いてました。

  • 珍老人
  • 2012/03/05 11:19 PM
>古流修行者さん
沢村忠先生の引退が76年なので、75年頃まではキックのピークかなと思っていましたが、それよりも少し早いんですかね。 スポーツ大賞が73年だから…74〜75年辺りから低迷したんでしょうか。 その内視聴率調査してみたいですw
関西ならプロ空手の「ザ・カラテ」とか…人気あったんだろうか…?
ヌンチャク。 皆さん自作したみたいですねw 「空手バカ一代」やブルース・リーにハマった1960年代生まれの方は大体そう仰りますw
「ヌンチャクは買うんじゃなく、作るもんです」
と豪語されてる人もいましたね。

>珍老人さん
バラエティ系の番組では、よく声が掛かっていた様です。 往年の石井和義先生や、角田信朗先生の様に自ら広告塔を務めていたという感じでしょうか。 まぁ、流石に石井先生の様にベルファーレのVIPルームに営業に行く様な事は無かったみたいですが、来る者は拒まず、と言った所ですね。
当時の国内支部は74年の時点で11支部、76年には15支部です。 2年間で4都道府県しか増えていません。 国内有段者数も、76年の時点で265名、72年の登録有段者数が114名ですので、4年で150名程度の増加です。
Aバトン、アメリカでもトンファー型警棒を採用していますし、やはり先見の明がありますね。 武器の操作も空手の手技にマッチしてますし、もっと研究されても良い武器だと思っています。
イ△糧紳Щ邱腓覇睇瑤ゴタついてしまいましたからね。 個人的に、ですがトーナメント表をいじるのは特に気にしません。 が、試合その物をいじるのはどうかと思っています。 途中からマスコミ立ち会いでの抽選になりましたけど。
ハワイの試合は是非見たいですねぇ。
Г修虜、というのは70年代中頃ですか?




  • Leo
  • 2012/03/07 10:53 PM
Г修虜、というのは70年代中頃ですか?
⇒1971年だと記憶しています。中村日出夫先生はたしか、既に関東方面に行かれていたか、道場を関東に移した頃だと思いますが、僕の記憶が正しければ、御弟子さんは、その頃京都・兵庫方面に沢山居ました。あの頃、倉本先生も兵庫におられたと思います。記憶違いかな?もう、モウロクした古き良き時代を想い・妄想する僕、珍老人ですから。
  • 珍老人
  • 2012/03/07 11:10 PM
中村先生100歳ですね。
  • やいや
  • 2012/03/07 11:59 PM
さっそくアマゾンで「Kの流儀」を注文しましたw。
ご紹介ありがとうございます。楽しみです。

佐竹さんが空手バカ一代を最初に読んだ時
「百太郎が空手をやっている?」
と思ったとか?。

自分は運良く?空手バカ一代を最初に読んだのでその感覚はわかりません(^_^;)。

コータローはリズミカルに話が進むので面白いですね。最後まで読んでいないのでマンガ喫茶でゆっくり読んでみます。
  • もん爺
  • 2012/03/08 1:00 PM
1969年から「キックの鬼」の放送が終わる71年くらいまでがキック人気の全盛時だったと記憶します。その頃の沢村人気は最近で例えればボブ・サップなみ、格闘技に興味なくとも沢村のことはみんな知ってるといった感じでした。

73年にはキック人気はかなり下火だったと思います。同年の梶原氏の漫画、「一騎名勝負劇場・キック戦国史(漫画ゴラク)」に山崎照朝さんから沢村選手への挑戦を依頼されたエピソードが出てきます(挑戦の真偽については不明です)。

梶原氏の解説として
「沢村よりも山崎のほうが強かった。しかし所属するテレビ局の違いもあり大戦が実現するはずもなく、またNTVがキック中継を打ち切ったこともあり山崎はリングを去った」とコメントが入ってました・・・
(引退後の漫画かと思ってましたが当時まだ沢村選手現役だったんですね)
>珍老人さん
71年頃の関西じゃ、大山総裁が知られていなくても仕方無いですよ。 50年代は関西の方でも合同演武会に参加されていたらしいですが、基本的には関東ですし。
倉本先生が廬山先生と共に稽古されていた時期ですねぇ。 まぁ、拳道会に関しては中村先生の経歴を少し調べた程度で、全然詳しく無いですけどね。

>やいやさん
言われて「拳道伝説」を開くまで気付きませんでしたw
1913年生まれとありますので、もうちょいですね。

>もん爺さん
おぉ、「Kの流儀」を注文しましたかw 続編で「牙の領域」というのも出ていますw

私も「うしろの百太郎」を先に読みましたが、不思議と違和感無かったんですよね。 多分、有明省吾の墓のシーンで隈取りとかグルグル回るシーンまで気付かなかったんじゃないかなぁ。

「コータローまかりとおる」は色んな意味で個人的に思い出深い漫画なので、柔道編までは全部読みましたw

>古流修行者さん
なるほど、感覚的にはアニメと連動していた様な感じですか。 「月刊ゴング」でキックボクシング特集号というのがありますが、これが多分70年と71年の2回だけなんですよね、これ以降の物は確認出来ませんでした。 ですので、盛り下がっていた様に思います。
主な出来事を列挙すると大変なのですが、72年に西城正三がキック転向、73年に藤原敏男と対戦、同年大沢昇、錦敏弘引退、沢村忠、プロスポーツ大賞受賞。
76年に日本テレビがキック放送中止。 関東以外は熱が退くのも早かったんでしょうかね。

>「一騎名勝負劇場・キック戦国史(漫画ゴラク)」
あ、読んで無いんですよね。 確か短編の1つでしたっけ。
でも山崎先生がキックに出なくなった一番の理由は就職したからだったと思います。 元々あんまりやる気が無かったとご本人も語られていますし、沢村戦を渇望していた様には感じません。 ちなみにNTVじゃなくてNET(テレビ朝日)ですね。
沢村先生の引退は77年ですが、「月刊ファイト」を読むと70年頃には既に限界論が出ていましたw
  • Leo
  • 2012/03/09 10:56 PM
今回も貴重な資料ありがとうございます!
ウィリーウィリアムス、職業・学生って面白いですねぇ。
ウィリーの本名はカムイ・アクバというらしいのですが、ウィリーウィリアムスというのはリングネームなんでしょうかね??
(帯にもカムイ・アクバと刺繍されてました)
熊殺しの映像といい、すべては猪木戦へのプロモーションだったのかな?等と勘ぐってしまいます。
  • ドラゴ
  • 2012/03/09 11:55 PM
もう随分前の話ですが、NYの大山茂師範(当時は未だ極真)のスポンサーであった、アメリカ人実業家の娘さんも茂師範の弟子でした。その御嬢さん、気丈で、ウィリーと組手をしたいとわがままを言い出したのです。結果はいうまでも無く、御嬢さんの負け。アザだらけ。その後が大変でした。なんと、茂師範のビッグスポンサーであった実父へウィリーを訴えるように頼んだんですよ。イヤハヤ、アメリカといえば、今もそうですが、「訴えてやる!」思考が強くて、ウィリーも青ざめた。茂師範の配慮で、事なきを得ました。レーガン元大統領の子息もその後通ってましたよね。極真を離れてからも、NYで大変大きな道場を経営されていますね。今は、泰彦様が良く来日され、米国の空手ブーム離れから、日本へ逆輸入されているようですが?
  • 珍老人
  • 2012/03/10 9:25 AM
>ドラゴさん
他の選手のプロフィールを見ると、一部「とりあえず学生にしとけ」みたいな印象を受けますw
当時ウィリアムス先生が学生であったかどうかは分かりません。
>カムイ・アクバ
調べないと正確には言えないのですが、改宗した際に得た洗礼名だった様な。 あのバンダナも確かその宗教の戒律に沿った物だった様に記憶しています。 カシアス・クレイと同じ様なものですね。

猪木戦は"熊殺し"の称号から思い付いたのかな、と逆に考えています。 ただ互いに最強を標榜するのなら避けられない対戦だったでしょうね。

>珍老人さん
茂先生も大変ですねぇw
しかし、女性相手になら受けに徹すれば良かったのに、と思いますw でちょっと足掛けで転がすとか…あぁでもあんまり器用なタイプじゃないか。

レーガン元大統領の御子息が入門され、大統領時代に茂先生を写っている写真がありますね。 日米貿易摩擦解消に少しでも貢献出来たんでしょうかね…w

日本への逆輸入というか、アメリカで内弟子になった日本人門下生が帰国して支部設立したというのが始まりじゃなかったでしたっけ。 それで90年代前半からセミナーを繰り返していて、結構根付いてますよね。
アメリカでは極真時代から武道誌の表紙を何度か飾っており、80年代はシゲル・オーヤマの名が通ってたんじゃないかな。 この手の雑誌もその内紹介したいですね。 確か退会後のインタビュー記事とかもあったと思います。
  • Leo
  • 2012/03/10 11:07 AM
なるほど。
宗教名がカムイ・アクバなんですね。

ウィリーが訴えられそうになったお話し、泰彦師範が極真時代にスポンサーのパチンコ屋さんのご子息を叩いてしまい、大山総裁と謝りに行ったというエピソードを思い出しました。(笑
  • ドラゴ
  • 2012/03/10 11:35 AM
>ドラゴさん
あぁ、ありましたねぇ、そんな話w
多分相手は「近代カラテ」に広告出されていた某社だと思いますが…。
  • Leo
  • 2012/03/10 11:52 AM
もう、大阪の古本屋に数十年前に売ってしまいましたが、当時僕も梅田の紀伊国屋書店で洋書として、空手関係の雑誌を数冊取り寄せた事があります。紀伊国屋書店では洋書雑誌といっても、今考えれば高価な値段でした。茂師範と泰彦師範が写真と共に登場された極真時代の物は、オフィシャル空手か、ブラックベルトだったのではないでしょうか?今記憶として残っているのは、大山茂師範が、後屈立ちで、左手は手刀上段・右手同じく手刀水月の位置で大きく構えた白黒写真でした。ビニール袋に入っていて、今でも売らずにためていたらよかったかな?もう、記憶障害状態です。売った古本屋の名前が出て来ませんからね。紀伊国屋は今でもありますが...。ウィリーの改宗称号は全く知りませんでした。有難う御座います。
  • 珍老人
  • 2012/03/10 10:35 PM
>珍老人さん
"Official Karate"では何度か極真を取り扱っていましたね。 大山総裁表紙号も直接インタビューとかありました。
茂先生のモノクロ写真というのは、多分円心の構えっぽいのを取っているこちらの写真ですかね。
http://img.blogs.masoyama.net/20101230_1210669.jpg
以前紹介したNY支部で販売された本の表紙です。
  • Leo
  • 2012/03/10 11:07 PM
「Kの流儀」昨日届きました。

徹夜で一気に読んでしまいました。

大変面白かったです。

やはり極真の黒帯は大変強いのだ
と再確認しましたw。

御紹介頂きありがとうございました。
  • もん爺
  • 2012/03/11 5:58 AM
>もん爺さん
もう読んじゃいましたかw
読みながら色々ツッコミを入れられたかと思いますが、私はやり過ぎ感が面白かったですねぇ。
あんな高校生いないだろ!とか思ったもんですw

ちなみに続編は新興宗教の暗殺部隊?と闘います。 後味が悪かった様な記憶がありますね…久々に読もうかな。
  • Leo
  • 2012/03/11 8:24 PM
さっそく後輩に

『読むだけで強くなるぞ』

と言って貸しましたw。

続編は後味が悪いのですか?。

最近は一冊読むとしばらく疲れが残るのでw
落ち着いたら挑戦してみます。
  • もん爺
  • 2012/03/17 4:09 PM
>もん爺さん
その後輩の反応が楽しみですw

まぁ、続編はハッピーエンドでは無い、かも知れないという事でw
  • Leo
  • 2012/03/17 7:07 PM
いまさっき仕事の休み時間に昨日の産経を読んでいたら影丸先生逝去の記事が。

何と申し上げてよいか。ただおろおろするのみです。
空手バカは私にとりまして余りに巨大な存在です。
  • オルゴール
  • 2012/05/10 2:46 AM
>オルゴールさん
私も昨日知りました。
私はリアルタイムで読んでいた訳では無いのでそこまでは衝撃を受けませんでしたが(リアルタイムで読んだのは「拳王」だけですかね)。

真樹先生に続いての訃報、ただただ残念です。
  • Leo
  • 2012/05/10 8:50 PM
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