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大山倍達マニアック検定

大山道場とは何か?

JUGEMテーマ:空手
 

 という事で、今回は極真空手の原点である立教大学裏の大山道場について、色々書いてみます。
 本来ならば目白野天道場が極真空手の原点になるのでしょうが、指導方法や技術体系等から鑑みますと、大山道場の方が相応しいでしょうね。

大山道場入口.jpg
大山道場入口

 それでは、どうぞ。



 日本空手道極真会ー通称大山道場は、東京都豊島区池袋3-1360にあったアパート清山荘の一室に看板を掲げていた。 住居表示法により地番を使う事は無くなったが、現在なら西池袋3丁目16番付近を指す。 後の本部ビルから歩けば割とすぐの位置である。

大山道場住所.jpg
大山道場跡地

 元々は榎本誠(現・川島誠之介)が主宰する「榎本誠バレエ学園」が1952年より看板を掲げており、1956年、国鉄大久保駅前の方に移転する際、大山倍達に貸借権を譲ったとされている。 尚、この「榎本誠バレエ学園」は、現在も「東京バレエ劇場 附属バレエ学校」としてJR.大久保駅で活動している。
 何故この場所を借り受けたのだろうか。 大山が知人の借金の抵当にと、目白にあった自宅を引き払い、板橋の方に引っ越したのがきっかけだった。 既に長女が生まれていた大山家では娘にバレエを習わせる事になった。 そのバレエ教室が前述の「榎本誠バレエ学園」である。 当時の事を大山の妻、智弥子はこう証言している。

智弥子  本当にそうなの。 ところがそのバレエ教室の場所を借りるときに、あいだにヤクザが入っていたみたいで、教室が続けて行けなくなりそうになったの。 なんでもバレエ教室の先生が、いろいろとヤクザに嫌がらせをうけたというんですね。 早く出て行けって。
ーーそこで正義の空手家が現れて、ヤクザを追い払ったと!!
智弥子  そんなに勇ましい話じゃないんですけどね(笑)。 結局、そのバレエ教室はたまりかねて別の場所に移ったんですけど、契約はあと何年か残ってたの。 それでそのバレエ教室の先生が、「このまま契約を残して追い出されるのはあまりにも悔しい。 そうだ大山先生、お金はいりませんから、この場所で毎日バンバン空手をやって下さい」って。

大山道場11.jpg

 当時このバレエ教室を譲り受ける際に同行した南本一郎は、バレエ教室が倒産したと勘違いをしているが、債権者(ヤクザだと思われる)が、バレエ教室のドアを全部板で打ち付けてロックアウトしたのを、榎本が大山に依頼して板を全部外した上、文句は全部自分の所に言う様にと債権者を説き伏せ、榎本からこの場所を譲り受けたと語っている。 いずれにせよ、素性の宜しく無い輩から嫌がらせを受けた榎本より貸借権を譲り受けた、というのは間違い無いだろう。

大山道場1.jpg
窓に榎本バレエの字

 経緯はどうであれ、それまで庭先や空き地で稽古をしていた目白野天道場の門下生は喜んだ。 雨を凌げる屋根があり、素足でも汚れない床があり、フォームの確認が出来る鏡があり、水道まで完備してあり、水がいつでも飲め、電気が付いて夜間でも稽古が出来るー大山道場の看板を掲げた水島健二(現・加藤健二)は環境の変化に喜びながら稽古仲間に連絡を取った。 これが1956年6月頃の話である。

大山道場20.jpg


大山道場22.jpg
当時の看板

 まだこの頃の大山は日本空手道剛柔会に籍を置いており、七段を允許されていた。 看板を掲げた水島は浅草の剛柔会本部へも通っており、前述の南本は日大芸術学部で剛柔流を修業中、その先輩になる石橋雅史も剛柔流、目白時代から顔を出していた安田栄治(現・安田英治)も高校時代は剛柔会本部で空手を学ぶ…と言った様に初期の大山道場は剛柔会の道場だった。 この影響は極真空手の中に今でも色強く残っており、指導内容の多くは剛柔流系である。
 
剣豪列伝5.jpg

 さて看板を掲げた大山道場だが、当の道場主である大山倍達は一向に姿を見せない。 水島を初代師範代に任命し、南本に指導を依頼し、偶然会った旧知の安田ー当時は学習院に進学して松濤會の空手部に在籍していたーにも指導を依頼はしたが、大山本人はこの年…1956年11月に予定されていた田園コロシアムでの牛との対決に向け、千葉県君津郡で8月前後から2ヶ月に及ぶとされる合宿を敢行しており、道場は放置状態だった様だ。 それでも主不在の道場は徐々に体裁を整えて行く。

見取図.jpg
大山道場見取図(正確な縮図ではない)

 画像は1958年頃までの大山道場見取図。 正確な縮図では無いが、廬山初雄の証言を基に作成し、当時の写真から修正を加えた。 レイアウトは時期によって変わるが、大きさは10m×15m程度。 道場の左右は窓ガラス、窓には「榎本バレエ」の文字。

大山道場7.jpg
窓にバ エの文字

 左手のドアから外に出ると直ぐにトイレがあったと思われる。 着替のスペースは上から針金を張って、大きな風呂敷を吊し簡易的な更衣室とした。 この辺りの壁には多数道着が引っ掛けられている。

早坂VS安田.jpg
壁に無数の道着

 その対面角には机があり、大山が書き物をしていた。 神棚のある側は見学の際に椅子を並べ立てられた。
 サンドバッグは四方にある梁の1つから吊され、ベンチ台や巻藁、馬と云った数々の鍛練具、棒などの武器はあちこちの壁に立て掛けられていた。

大山道場5.jpg

 この木造アパート清山荘は土台がしっかりしていなかったのか、床は揺れ、1階にあるにも関わらず雨漏りし、鏡は割れ、窓ガラスも割れた。 普通のアパートに改装されそうにもなった。

大山道場18.jpg

 その為後年になると冬は風が吹き込み寒く、夏は外のトイレが臭いという有様だった。 時折誰かが鏡や窓を入れるが、やはり暫くすると割れてしまうという。

 稽古は火木土日の週4回。 水島は会社員だったし南本や安田は大学空手部、という事もあってか、稽古時間は18時から21時。 後に稽古日や稽古時間は変更する事もあった様だが、開設当時はこうだった。 月謝は初期は300円、後に500円となった。

大山道場13.jpg

 1950年代半ば頃になると日本でボディビルが流行始め、大山道場でもボディビルをやりに来た人間が居た様だが、当時の大山道場の設備は上記の写真にある通りで、ベンチ台やバーベル、ダンベル、シャフトはあったがラックは無い。

 水島以外の目白時代からの大山門下は一部の基本を延々と繰り返し、組手も寸止めが多かったが、日大芸術学部の空手部から持ち込まれた系統だった稽古や、剛柔流ならではの実戦的な組手は革命をもたらした。 石橋や南本が連れて来た部の後輩や劇団員の組手レベルは高く、体力こそ優っていた物の、圧倒された。 こうして稽古体系、そして組手技術が向上して行った。

大山道場9.jpg

 当時の稽古はこう伝えられている。

 稽古は、柔軟、腹筋、同僚を肩車してのスクワットで体をほぐし、拳の握り方、立ち方、受け、突き、蹴りなどの基本。 (中略) 移動稽古は簡単なものからだんだん複雑なものに。 そして型の一部分。 型は一部分ずつ覚え全部やるとひとつの型ができるという方式だった。 つづいて3本組手、約束組手。
 四股立ちの稽古があった。 全員四股立ちになって頭を同じ高さにそろえ道場内を何往復もする。 突きや下段払いを組み合わせながらまた往復する。 ひとりが注意を受けると、その間全員がそのままの態勢で立っている。 そのとき足を伸ばそうものならスパッと足を払ってひっくり返される。 この四股立ちの稽古にはさすがの加藤健二も「腿がパンパンにはってトイレへ行っても簡単にしゃがめなかった」という。

 尚、当時の基本稽古は掛け声は掛けるがテンポが速く、現在の様に一声毎に区切る事無く連続して行われた。 その為、初心者は付いて行くのも大変だった。

大山道場6.jpg

 牛との対決が終わった後も大山は殆ど道場に顔を出さなかった。 翌年は山梨の空手道連盟結成会で演武し、直ぐにヨーロッパ、アメリカと来訪、メキシコで牛と対決と忙しかった為だ。
 水島が大山に指導して欲しいと訪ねたのは1961年10月で、以降定期的に指導する様になったとされるが、実際にはもっと前の話だったろう。

大山道場8.jpg

 1957年のいつ頃からか、大山が本を作る事になった。 翌年東京ニュース社から出版される"What is Karate?"である。 撮影の為に合宿を行ったのはこの頃だ。

大山道場3.jpg
大山倍達と安田英治の組手

 そして大山道場が独立し、日本空手道極真会となったのは1957年2月頃だ。 剛柔会から独立したという事で南本はケジメを付けて指導を止め、石橋雅史に後を引き継ぐ。 実際にはそれ以前から顔を出していた石橋だったが、正式に指導の任に当たる事となったのはこの頃だろう。 当時の師範代は安田、そして黒崎健時と石橋になる。 水島は仕事もあり、この頃になるとあまり出なくなった。

大山道場座礼.jpg

 1958年、大山の杉並時代の弟子だった松本岩男が30歳で大山道場に入門した事により、大山国良、畑恵二、戸田喜隆、峰野裕一等が中心となり壮年部発足。 この壮年部メンバーは新会館設立時の資金集めにも少なくない貢献果たしている。 少年部は全く子供が居ない時期というのもあった様で、不安定だった。 女子部は無かったが、過去に渡邊一久の妹や女子プロレスラーの豊田善美(女子ミドル級タッグ王者)が在籍していた。
 
 この大山道場では五條訓という現在の道場訓の基になる修養訓があり、入門するとわら半紙に刷られた紙が渡された。

大山道場五條訓.jpg
五條訓(復刻版)

五條訓
我ら空手道を修むる者は、
一、空手の道を学ぶを持って誇りとすべし
一、礼儀を正しくすべし
一、質実剛健を旨とすべし
一、団結互助の精神を養うべし
一、日本古来の伝統たる尚武の気風を尊重すべし
以上

日本空手道極真会 大山道場

 これは剛柔会から引き継いだ物で、最初の第一条だけ書き換えられて使用されている。 元々この箇所は「一、我等空手道を修むる者は剛柔の道を学ぶを以て誇りとすべし」とあり、独立した事で剛柔から空手に変更された。

大山道場-観空マーク.jpg
旧観空マーク(復刻版:細部は正確では無い)

 そして古いタイプの観空マークが作られ、原元木氏の手で極眞會の意匠が作られた。 この旧観空マークは60年前後まで使われていた様だ。 大山道場の会員証が作られたのもこの頃だろう。 尚、この会員証の文言は極真会館芦原道場の会員証にも使われていた。

大山道場会員証.jpg


大山道場会員証2.jpg
大山道場会員証(復刻版)
 
 大山道場は1961年にようやく黒帯20名達成という、あまり有段者を出さない道場として有名だったが、当初は白、茶、黒の3種類しかなかった。 後に緑帯が追加され、本部ビルに移転する頃には白、青、黄、緑、茶、黒となる。 しかし新しい帯を買う金は無い者はスプレーで色を塗ったりした。

大山道場10.jpg
剣道着や剛柔会の道着が見える

 帯のついでに道着の話をすると、大山道場ではそれぞれ勝手に道着を着ており、中には剣道着や柔道着、極眞会になってからも剛柔会のマークを付けた道着を着ている門下生が普通にいた。 62年前後になると極眞會の刺繍をした道着を着る様になったが、無地の道着にマジックで書き込んだ門下生も多かった。

大山道場17.jpg
背中に「南無」の字
大山道場15.jpg
Aにも背に字が書かれている(Aは黒崎健時)

 また、自身の道着であるとアピールする目的からか、道着に自分の名前を大書したり、背に思い思いの文字を書く門下生もいた。

 組手はどうだったか? 転居当初は寸止めと顔面掌底ありが多かった様だが、南本が頭突きを取り入れ、金的蹴りや拳による顔面殴打など、何でもありの様相を呈していった。

大山道場4.jpg

 血気盛んな若い大学生が中心となったのが最大の理由であろうが、大山自身も特に止めなかった為拍車を掛けたと思われる。 57年頃になると拳を守る為にタオルを巻く様になり、63年頃にはグローブ組手の研究もしていた。

大山道場12.jpg
手にタオルを巻いている

 離れた状態からの組手が接近戦主体となり、掴みや引っ掛けを多用し、戦術の幅が広がる様になった。 単純な攻防から相手を壁際…足場の悪い場所に追い込む技術へと、そして掴みや引っ掛け、刀峰(喉輪)による相手を制圧する技術。 これらの技術は体の大きな外国人門下生、出稽古や道場破りに来た人間、そして他流経験者との対戦を経て更に進化する。

大山道場16.jpg

 一口で「何でもあり」とは言うが、実際には暗黙の了解があり、大怪我は少なかったと言われている。 ただし、大怪我の規準は現在と違うというのを認識しておく必要はあるが。

大山道場グローブ組手2.jpg
グローブ組手

 また、大山道場ではハードな組手が多かった為、必然的に相手を制圧するタイプの組手が増えたという事を勘案する必要があろう。 打撃で相手を倒すよりも、転がし押さえ付ける方が明確な勝敗を付けるのに都合が良かった。

剣豪列伝3.jpg
投げも使われた

 藤平昭雄がムエタイやボクシングとの闘いで経験した様に、倒し合いではプロ格闘技に遅れを取っていたのは事実だ(尤も、これはグローブやルール問題も関係しているが)。 しかしそれを差し引いても当時国内の空手道場ではトップクラスの実力を誇る集団だったのは間違い無いだろう。

大山道場2.jpg

 こうして1956年から1964年までに700名強が入門した大山道場は、同年10月に本部ビルに移転した時よりその役割を終え、伝説となった。



 何か色々詰め込みましたが、以上、大山道場ネタでした。 どこまで書こうかと悩みながら書いたのでダラダラしちゃいました。
 大山道場については今でも憧れを抱いている人がいるんじゃないですかね。 個々の門下生のエピソードはこのブログが存続して行けば追々語る事もあるでしょうし、今回はこんくらいで。
 あ、この記事の見取図は廬山初雄先生に描いて頂いた見取図がベースになっています。 どうもありがとうございました。 でも1つだけ、トイレへ至るドアの位置が何か57年頃と63年頃で違う様な気がするんですよね。 悩んだ末に63年頃の物を採用しましたw
 一度リフォームされ掛かっているらしいので、その時にドアの位置が変わったんですかねぇ。 大山泰彦先生によれば建物その物の向きが変わった事があるらしいですしw
 五條訓は当時配布していた物の文字部分を無理矢理抜き出してわら半紙風に仕上げ、旧観空マークは会員証から取り出しカラーリングはハワイ支部の支部認可証を参考にして、会員証は添野義二先生所有の会員証を拡大して完コピと、作ってて楽しかったですw
 実際の会員証には「大山」の割印や会員番号、「日本空手道極真会」の社印なんかも必要ですので、印刷しても使えませんw
 それでは、また。

※2014/3/12追記:大山道場時代の観空マークと会員証を差し替えました。

参考文献:
Masutatsu Oyama, What is Karate? EVERYONE CAN PRACTICE KARATE MYSTERIES, Tokyo-News Co., 1958
Masutatsu Oyama, What is Karate? Revised edition, Tokyo-News Co., 1959
月刊パワー空手 ILLUSTRATED 1983年2月号 パワー空手出版社 1983年
月刊パワー空手 ILLUSTRATED 1983年3月号 パワー空手出版社 1983年
月刊パワー空手 ILLUSTRATED 1983年4月号 パワー空手出版社 1983年
月刊パワー空手 ILLUSTRATED 1983年5月号 パワー空手出版社 1983年
月刊パワー空手 1983年7月号 パワー空手出版社 1983年
月刊パワー空手 1983年8月号 パワー空手出版社 1983年
月刊パワー空手 1983年9月号 パワー空手出版社 1983年
月刊パワー空手 1983年10月号 パワー空手出版社 1983年
月刊パワー空手 1984年5月号 パワー空手出版社 1984年
月刊パワー空手 1987年7月号 パワー空手出版社 1987年
月刊パワー空手 1983年8月号 パワー空手出版社 1987年
巨人 大山倍達の肖像 -ゴッドハンドの軌跡 国際空手道連盟極真会館監修 コア出版 1984年
わが夫、大山倍達 大山智弥子著 ベースボール・マガジン社 1995年
月刊空手道 合本復刻(創刊号〜第10号) 金城裕編 榕樹書林 1997年
月刊フルコンタクトKARATE4月号別冊 拳聖 大山倍達 地上最強の組手 福昌堂 1998年
甦る伝説 大山道場読本 日本スポーツ出版社 2000年

参考映像:
実録! 大山道場&黒崎健時 UPPER 2007年

参考リンク:
東京バレエ劇場・東京バレエ劇場バレエ団東京バレエ劇場附属バレエ学校(2011/03/20)
 







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コメント
ああ、ついにあの話題の写真が・・・
その他にも何点か初めて見る写真があります!!
有難うございます!!
  • 木村
  • 2012/03/21 9:56 AM
こんばんは。
冒頭の写真でメガネにトレンチの方が安田銀二氏ですよね。グラチャンレーサーで射撃の五輪選手とか、巨額の脱税王とか、大山道場で女子に一番もてたとか聞きますが、この人を取材したちゃんとした記事はみたことありません。情報お持ちでしたらぜひこのブログでも取り上げてください。
おやすみなさい。
  • kim
  • 2012/03/21 10:53 PM
話題にそれますが、埼玉の山崎照朝先生の「逆真会」が閉鎖されてますが...解散になったのでしょうか?山崎先生は今何処へ?中日スポーツに今でも顧問か何かでいらっしゃるのでしょうかね?
  • 珍老人
  • 2012/03/22 12:49 AM
これは大変嬉しい記事です。

大山道場の写真や記事はこま切れでよく見かけますが
これだけ時を追って道場の図まで見られたのは初めてです。
大山道場へのあこがれは強く持っています。

ありがとうございました。
  • もん爺
  • 2012/03/22 3:41 AM
私も本だけ読んでいた時は、大山道場に強くあこがれていて、いわゆる「極真ルール」じゃダメだ、と思っておりました。が、実際に極真の本部に入門し、初心者向けの組手(顔面なし、蹴りなし)を少し体験しただけで「顔面ありなんて無理だ!!!」と思い知りました笑) 読むのとやるのではかなり違いますね。 
  • 木村
  • 2012/03/22 9:16 PM
貴重な資料をありがとうございます。
自主復刻版も素晴らしい出来で感激です。
しかし往年の大山道場の雰囲気は
まさしく戦場のようなものだったでしょうね。
  • tama
  • 2012/03/22 10:25 PM
>珍老人さん

http://ameblo.jp/gyakumomatashinnari/
指導、稽古はされておられるようです。



  • まる
  • 2012/03/22 10:38 PM
大山道場ネタは盛況ですねぇw
実は技術編もやろうと思ってます。

>木村さん
例のブツ、こっそり仕込んでみました。

>kimさん
安田銀治氏の事は殆ど語られていませんね。 私も殆ど知りません。 ただ、父親の名前が安田英治で、安田英治先生と同姓同名だったそうですw

>珍老人さん
まるさんが回答してらっしゃいますね。
去年「カラテ群像」で山崎先生を扱った3日後に中日スポーツのコラムで閉鎖の旨を伝えていらっしゃいました。
コラムの方は今でも書いていらっしゃいます。

>もん爺さん
今回はダラダラとですが、大山道場の概要に終始してみました。
その為、個別の事柄については殆ど触れていません。 でも楽しんで貰えたなら何よりです。

>木村さん
学生の頃は良いんですが、社会人になると極真ルールの利点が見えますよね。 顔に怪我をし難いとかw
私も中学の頃とか顔面掌底ありでよく遊んでいましたが、当時は一旦顔面に連打されたらもう避けるのに必死で、面白かったけど大変でしたねぇ。 あの頃に空手のカキエとか、太極拳の推手とかジークンドーのチーサオとか知ってればなぁと思いますw

>tamaさん
当時通っておられた某先生も、どうやって組手を避けようか、怪我を理由に組手を休んだりと考えたりしていたそうですからね。 稽古自体休めば良いのに、稽古には出るなんて律儀だなぁと思いましたがw

  • Leo
  • 2012/03/22 11:31 PM
Leo様
同感です。顔面うんぬんよりも、健全(健康??)に身体を鍛えるには良いルールだと実感しました。。。
おっしゃる通り、きちんと体系立てて顔面の技術を習っていけば、色々できるようになるとは思いますね。
それと仕込み、お疲れ様です。。。
  • 木村
  • 2012/03/23 12:09 AM
顔面は趣味、顔面無しはちょっと本気くらいがオッサンにはちょうどいい感じですね。
  • やいや
  • 2012/03/23 2:15 AM
やいや様
まさにその通りだと思います。本で読んでその気になってやっても、ほんの少し鼻をかすめただけで・・・
そう考えると大山道場は本当に伝説ですね。
  • 木村
  • 2012/03/23 8:08 AM
この内容で概要とは!。

詳細完全版たのしみです。
  • もん爺
  • 2012/03/23 6:10 PM
>木村さん
それに極真ルールは、他の格闘技をやられている方とスパーする時でも便利なんですよね。 グローブが無くても出来ますし。
ただ、技術として系統だった顔面攻防技術は必要かな、と思います。 というか、大山道場の技術を失うのは勿体無いなぁとw

>やいやさん
私もそう思います。

>もん爺さん
いやぁ、概要以上の事を書き切るのは流石に大変かとw
組手編はやる予定ですが、詳細は大山道場を扱った書籍や「極真拳豪列伝」でバラバラにやると思います。
  • Leo
  • 2012/03/23 10:34 PM
岡田博文氏についてや、タイでの決戦の真実なども知りたいです。いつかお願いします!!!
  • 木村
  • 2012/03/24 12:57 AM
>木村さん
岡田先生は「カラテ群像」に登場されますから、その内紹介しますよ。
タイの方は…タイ側の資料はありませんけど、国内の情報の範囲内で書こうかなぁとは思っています。
…まぁ、前に少しどっかで書いたんですけどねw
  • Leo
  • 2012/03/24 2:18 PM
岡田先生の特集楽しみにしています。
タイの件は探してみます。
有難うございます。
  • 木村
  • 2012/03/24 4:38 PM
>木村さん
まぁ、一番の問題は私がタイ語を読めないって事ですねw
英語なら良いんですけど。
  • Leo
  • 2012/03/24 5:57 PM
安田銀治氏の雑誌記事2件

大山道場 古参の門下生として、名前を覚えていましたので
(「パワー空手」で読んだような気がします。)たまたま
目にとまった記事を残していました。ご参考まで


●週刊文春1985.11.7

・ラスベガスのカジノを百十一億円で買収する「安田銀治氏」の正体

 ある時はカーレーサー、またある時はオリンピック選手

UPI=共同電の後追い記事。記事中では日本の不動産投資家として
紹介されています。

昭和39年 第2回日本グランプリ(鈴鹿)の2000CC以上 で優勝
東京オリンピック クレー射撃の選手として出場との事です。

知人の証言をまとめたもので、本人への直接の取材はないようです。
空手の話題はありません。

●週刊朝日1987.11.20
・240億円申告漏れを宣告された安田銀冶氏の「私の言い分」

記事中「彼は仕事以外に趣味の世界で名前が知れ渡っている。
少年時代に大山倍達氏の空手道場に入って体を鍛えたのをはじめ、
アイススケートなどスポーツは万能。・・・」という記載があります。
直接取材ですが、係争中の表題に関しての話が中心です。

あまり認識していませんでしたが、色々な方面でかなり有名な方の
ようなので、探せば他にも報道がありそうな気がします。



  • 烈山
  • 2012/03/25 12:29 AM
>烈山さん
おぉ、情報ありがとうございます。
安田銀治さんはご承知の通り、実家がお金持ちでして、趣味で色々されたんですよね。 オリンピックの方はよく知りませんが、日本グランプリでは優勝されています。 尤も、個人参加で当時の日本車に大排気量の車はありませんから、参加者も数える程でしたけど。
マイカーブーム前のカーキチ達と親しかった様ですから、生沢徹、本田博俊、式場壮吉辺りとは面識があったかも知れません。 まぁ、若いのに高価な大排気量の外車を買える様な人ですからね、放っておいても車好きが集まった事でしょう。
1968年にはアメリカのレースにも出場されています。
他にも馬主をなされていますが、見た感じ重賞勝ちした馬はいなさそうです。 ラスベガスのホテルを買収した時には持ち馬にホテルの名前を入れた「ニューアラジン」と名付けていますが、こちらもパッとせず。
ホテル買収の話や倒産、脱税については海外でも何度か報道がありました。
…でも大山道場や目白時代の情報は殆どありませんw 初期の門下生というだけで、そこまで熱心に空手をやった訳じゃなさそうですし。
  • Leo
  • 2012/03/25 1:16 PM
Leo様、烈山様、情報ありがとうございました。
私の情報は死亡時の新聞記事の記憶です。オリンピックは韓国代表だったと思います。有段者名簿で名前見てまし、パワー空手なんかでも「セントラルアパート」の安田銀二氏、とか書かれていたような記憶も。
金持ちでスポーツ万能、というところから、がんばれ元気の海堂みたいなイメージが強いです。
A猪木の妻が安田銀二の娘、との話もありますね。
  • kim
  • 2012/04/07 2:04 PM
>kimさん
あぁ、やっぱり韓国代表なんですねぇ。 アメリカの報道では日本人とあったので、途中帰化されたのかな?とも考えていました。

猪木氏の妻ですか…誰なんだろう?
ちなみに私が大学時代に居た都市には娘が留学しておりまして、顔が父親に良く似ている事から、影で父親にちなんだあだ名が付けられていた様ですw
  • Leo
  • 2012/04/07 2:55 PM
 はじめまして keizunともうします。
 いつもブログを楽しく拝見させていただいています。
 私は極真ではなく、JKF(全空連)の人間です。
私は自分の流派ももちろん愛していますが、「空手」と名のつくすべての流派、団体に対して大変興味があり、日本の空手を理解するには、極真、そして大山先生は避けては通れないと思っています。
 あらためて、この大山道場の稽古風景の写真および生地を拝見させていただいて、当時の大山道場が、「空手そのものの可能性」に対し、どれだけ真摯に、情熱的に取り組み、模索していたかがヒシヒシと伝わってくるのを感じました。
 こういう資料を見ると、「よし、自分も頑張ろう」という気持ちが湧いてきます。
 どうかこの素晴らしいブログをずっと続けていっていただきたいと思います。
  • keizun
  • 2012/09/01 2:42 PM
>keizunさん

ありがとうございます。
そう言って頂けると非常に嬉しいですね。

何だかんだで今月で3年目に突入ですが、長く続けられる様、頑張りたいと思います。
  • Leo
  • 2012/09/01 9:22 PM
始めまして、IKEBUKURO-JIROUと申します。
インターネットサーフィンをして居ましたら、偶然に立教大学裏の大山道場のブログを拝見させて頂きました。
私は当時道場の直ぐ近くに住んで居りました。(私の実家は今でも其の場所に在りますが、私は千葉県に居住して居ります。)
道場のガラス窓に○○バレエ学園と書いて有ったので、空手道場なのに何でと、不思議に思って居りました。
その頃、私は小学校4年生ぐらいでした。
後に西池袋の極真会館が完成され、世界空手道選手権大会が開催された事などはよく存じて居ります。
又、父の会社の部下が道場に通っていた事や第1回世界選手権大会の際に私自身が仕事の関係で多少、極真会館の関係者の方ともお付合いさせて頂き、大山館長にご挨拶させて頂いた事も大変貴重な体験でした。
ただ、今回とても驚いた事が御座いました。
其れは、何と安田銀二さんが極真道場のメンバーだったとの事でした。
安田さんが日本の戦後の自動車レースの創世記に活躍されていたのを良く知って居りました。(たしか安田さんは105マイルクラブ ***後にNACと言う自動車クラブのメンバーでした。) 
 船橋サーキットのオープニングイベントでCCCレース(その年は日本グランプリが鈴鹿と富士の開催問題で中止に成った関係で日本グランプリの代替として船橋サーキットで開催された。)が開催されました。レースにはジャガーEタイプで出場されていました。
予選レースの終了後に、とても短い時間でしたが、お話をさせて頂きました。その際にとても豪快な方との印象が有りました。
 極真道場のメンバーだったら納得の行く所です。
48年も前の想い出です。

 爐箸討眩農欧蕕靴ぅ屮蹈阿鯒匕させて頂きました。"
有難う御座いました。頑張ってブログを続けて下さい。
  • IKEBUKURO-JIROU
  • 2013/04/05 8:22 PM
>IKEBUKURO-JIROUさん
ありがとうございます。
あの附近にお住まいだったのですね。
外観が良く分かる様に写した写真が殆ど無いので、掲載出来なかったのは残念です。

昔、浮谷東次郎さんの本を読んだ事があったので、安田銀治さんと繋がると知ってちょっと感銘を受けた事がありますw
  • Leo
  • 2013/04/06 12:59 PM
Leo様へ
早速ご返事を頂きまして、大変恐縮致します。
貴方様から浮谷東次郎さんのお名前が出るとは思って居りませんでした。
49年程前に川口オートレース場で東次郎さんがトヨペット・コロナでレース(川口ストックカーレース・105マイルクラブの主催だったと思います。)に出場されているのを観戦して以来、1ファーンとして応援していました。
先日のメールでお話させて頂きました、船橋サーキットでの『CCCレース』の決勝レースもピットから観戦して居ました。生沢徹さん(ホンダS600)との奇跡の大逆転レース(東次郎さんはトヨタS800)も目の前で展開され、今でも昨日のように思い出されます。
当日は、『浮谷東次郎デイ』の一日でした。
それから1ヶ月後に起きた鈴鹿サーキットでの、あの忌まわしい事故は何とも悔やまれる出来事でした。
後日(25年程前)、市川真間の浮谷さんのご自宅へ訪問させて頂き、とても優しいお母様とおねいちゃまにお会いして、東次郎さんとの思い出話をお聞かせ頂た事もございました。
***またまた古い話に成りますが、ハードボイルド作家の大藪晴彦さんが書いた短篇小説に安田(銀二→銀治)?さんと思われる人物が登場する作品が有ったと記憶して居ます。作品名は忘れてしまいました。***
今回は本当に有難う御座いました。
今後も貴方様のブログを楽しみに拝見させて頂きます。頑張ってお続け下さい。
  • IKEBUKURO-JIROUさん
  • 2013/04/06 8:28 PM
>IKEBUKURO-JIROUさん

大藪春彦氏の本は興味ありますねぇ。 いずれ探してみます。

浮谷東次郎さんは86年から集英社の「週刊ヤングジャンプ」で連載されていた「栄光なき天才たち」という漫画のシリーズで主人公として描かれていた事がありまして、安田さんは登場しないのですが、生沢徹さんや本田博俊さんが出ており、ちょうどF1がブームになり始めた頃で、非常に印象深い話でした。
…そう言えば浮谷さんの家では「お父ちゃま」とか「お母ちゃま」とか呼ばれてたんですよね。
懐かしくなったので、本棚から引っ張り出して読もうと思いますw
ありがとうございました。
  • Leo
  • 2013/04/06 9:28 PM
http://d.hatena.ne.jp/josaiya/20130420/1366450711

ここに紹介されている話って 有名なんでしょうか?
  • くれど
  • 2013/07/01 8:44 PM
>くれどさん

いやぁ、聞いた事も無いですね。
事実かどうかも分からないネタですしw
  • Leo
  • 2013/07/04 12:33 AM
今の、分裂、細分化、個別の極真会館を大山さんが見たらどう思われるかな‥‥。
  • きょ
  • 2013/09/26 4:03 PM
大山道場の道着の写真について
前列左から、渡辺師範代、岡田指導員、大山総裁、小沢一郎氏(総裁右斜め後ろ)、戸田氏、早坂氏、藤平氏、芦原氏です。剛柔会の道着を着ているのは、渡邉師範代になります。
  • 1Q
  • 2014/09/12 7:56 PM
>>1Qさん

ありがとうございます。
戸田喜隆先生だったんですね。 初期の技術書にも登場されていて、誰なのかな、とは思っていたんですけど、これで判明しました。
しかし、渡邊一久先生は空手は極真だけかと思っていましたけど、何で剛柔会の道着を着ておられるのでしょう?
久々に来られて、道場に掛かってる道着を着ただけ、とかそういう事なんでしょうか。
  • Leo
  • 2014/09/13 7:32 PM
剛柔会の道着の件、無地の道着に拳のマークを手書きしたものだそうです。
渡邉師範代の実戦(大山道場時代、弱いものを助けたり、自分の身を守るための喧嘩をこういったようです)が評判になり、日大芸術学部の空手部から指導依頼が有り、大山総裁の許可を取って出向いた時に、日大生に書いてもらったものだそうです。
この写真は、昭和35年のもので、まだ指定の道着がなく剣道着で稽古していた道場生もいたようです。
  • 1Q
  • 2014/09/18 8:58 AM
>1Qさん

ありがとうございます。
途中からは逆に日大の方に指導を行くと言う事があったんですねぇ。

この時代の道着は「極眞會」と書いてあるものでも、良く見るとマジックで書いてあったりして、中々赴きがあって面白いですw
有段者でも「空手道 安田」みたいにシンプルな刺繍が帯に入っていましたし。
  • Leo
  • 2014/09/21 10:36 AM
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