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大山倍達マニアック検定

極真会館主催 第6回全日本大会プログラム (1974年)

JUGEMテーマ:空手
 

 ええと、今回は1974年11月9〜10日に開催された極真会館主催の第6回全日本空手道選手権大会の大会パンフレットを紹介します。

第6回全日本1.jpg

 それにしても…今大会のパンフは表紙がファンキーですねぇw
Thumbs up!




 この大会から参加者128名と増え、開催も2日間となりました。 個人的には伝説の終わりとなる最後の大会ですかね。 キャッチコピーであった「新しいルールによる組手と試し割りの実力試合」も今回が最後、国内支部は11に増え、折からの「空手バカ一代」ブームにより選手層も厚くなり始めた時代です。 128名まで選手枠が増えたのも、従来通りの枠では足りなくなったからでしょう。

 さて、「第1回オープントーナメント全世界空手道選手権大会前哨戦」と銘打って行われた今大会ではありますが、選抜戦という訳では無く、上位者で選出されなかった方もいます。
 今大会の優勝候補は、前年度優勝者廬山初雄、第3回全日本王者佐藤勝昭、負傷により長らく欠場していたもののその実力は十分に知られている大石代悟、昨年一昨年と確実に金星を挙げている佐藤俊和、古豪の鈴木浩平、西田幸夫、昨年活躍した浜井識安、内弟子の山田政彦と野沢正男…大石代悟の実弟、大石省吾、こんなところですかね。
 現在から見ればこの中に全日本デビューとなる三瓶啓二、山田雅俊、それから後の全日本王者東孝、昨年はあまり成果を残せませんでしたが、1年でどれだけ成長したか期待した人もいたと思います。 他には城西大の花沢明、四国の中元憲義、後年テコンドー安田会館を立ち上げる安田郁夫、で、トーナメント表にはありませんがマス大山空手スクール通教生の前田比良聖にも注目したいところ。

 …ところで極真の全日本大会のパンフは基本的に前年度の大会の解説があるんですが、本書には第2回〜第4回までの写真が少し載ってるだけで前年度の大会については一言も書いていませんでした。

第6回全日本2.jpg

 大会に寄せた挨拶は大山倍達、そして議員の三木武夫、毛利松平。 他には…今回は出版関係が多いですねぇ。 作家の森川哲郎、梶原一騎、草壁焰太、ベストセラーズ社長の岩瀬順三。 梶原先生の文章がちょっと気に入ったので、ここに書き起こしましょう。

第6回全日本3.jpg

 明治大帝の神鎮るこの神域、菊花香る外苑の一角東京体育館に国際空手道極真会主催による第6回大会を迎えましたことは皆様と共に心より、慶祝する次第であります。
 今や空手ブームは全世界を席捲していると申しましても過言ではありません。
 我が極真会空手はご存じの通り世界各地に支部が設置され、実戦空手の錬磨に日夜精魂を傾けて居ります。 七の海を制覇し、日の沈むことのないと言われた時代のユニオンジャックのように、極真会のマークのついた旗は翻っているのです。 また今後は現在の国内支部に加えて、国内各地にも優秀な門下生が簇出して、新らしい支部が誕生して行くことでしょう。 皆様と共に期待いたしましょう。
 極真会空手は、真の空手道に生き、精神力と肉体力が両立し、強者たらんとする者、人の範とならなければなりません。 そういう意味合いを兼ねて、本日の試合を観覧されんことを希望して止みません。

 大会役員の方を見ると…まぁ、極真会館というより大山総裁の人脈ですよね。 主審には極真以外からも武田昇、山元守、千葉拳二郎と云った他流派の諸先生方がおられます。

 試合ルールの方は、ある点を除き、特に変化は無いですかね。
 前年度の大会では減点対象に、

(a) 相手を3秒以上掴んだとき(ただし手がけは3秒以内)

とありましたが、今大会ではこうなりました。

(a) 相手をカケ、又はつかんだとき。
(d) いかなる事があっても相手の道衣に手がふれてはいけないが、主審の判断に任せる。

 掴み、引っ掛けに関する減点が厳しくなりましたね。


 では大会の方に参りますか。 強豪選手はほぼ順当勝ちですが、ムエタイ戦士2名の活躍が目立ちます。 最高年齢の久保光昭も健闘し1回戦突破。  通教生で大会参加第1号の前田比良聖は初戦で本部茶帯の三瓶啓二と接戦を繰り広げ敗北。

第6回全日本7.jpg

 2回戦は浜井がタイのラオバーに敗北、前回優勝者の廬山から後ろ廻し蹴りで技ありを奪った国吉謙次の健闘が光りました(結果は先に技ありを取られていた為引き分け、延長戦で敗北)。 もう1人のムエタイ選手パシネーチャーは四国の河野祐保と延長戦まで繰り広げて辛勝。 2日目にコマを進めます。

第6回全日本8.jpg

 2日目、第1試合は2回戦まで連続1本勝ちで勝ち抜いた大石兄、徳島の森原純一から試合開始直後に左回し蹴りを決め、3連続1本で勝ち上がります。  古豪、西田も左の上段で1本勝ち、愛媛の中元は本部内弟子の山田政と対戦、好勝負を繰り広げるも、山田政が辛勝。 大石弟はラオバーと対戦、延長戦で大石弟が勝ち、勝ち上がったムエタイ選手は皆ここで消えます(パシネーチャーは花沢に判定負け)。 東は関節蹴りを菅井保夫に決め1本勝ちと昨年より成長した姿を見せ付けます。

第6回全日本9.jpg

 4回戦に挑むのは以下の16名。
Aブロック:大石代悟、向井一志、花沢明、西田幸夫
Bブロック:三瓶啓二、町田公彦、安田郁夫、佐藤勝昭
Cブロック:山田雅俊、山田政彦、大石省吾、廬山初雄
Dブロック:久保光昭、東孝、大野木正文、佐藤俊和

 Aブロック、大石兄と向井の対戦では技あり2つで1本勝ち、これで4連続1本勝ち。 西田対花沢戦は、西田に判定で凱歌が挙がる。 そしてBブロックはガッツマン三瓶が大型の町田を攻め続け勝利、佐藤勝対安田は佐藤勝の順当勝ち。 Cブロックの山田対決は互いに実力を知り尽くした同士の対決だけに再延長でも差が付かず、今大会初の体重判定が行われるも有効体重差となりません。 再々延長でようやく山田政に旗が揚がり決着。 Dブロックは年齢差15歳の久保と東。 東が果敢に攻め立て圧勝するも、40歳の久保の挑戦に観衆は拍手を送った。 最後の佐藤俊と大野木の試合は佐藤が左の下段でダウンを奪い判定勝ち。

第6回全日本10.jpg

 準々決勝、大石兄と西田は引き分けとなり1試合置いて延長となるも2ヶ月前に骨折した肩へのダメージにより続行不可。 Bブロックは佐藤勝と三瓶。 開始早々、佐藤勝が放った左回し蹴りが顔面に直撃、三瓶は立ち上がりそのまま続行の意志を示しますが、ドクターストップによる敗退となります。 後に判明した三瓶の怪我は酷い物で、前歯2本を骨折、更に下顎の骨が上顎までめり込むという重傷。 初出場の若武者が魅せたファイトに惜しみない拍手。 Cブロック廬山対山田政戦、先の山田対決でスタミナを失ったか、廬山が一方的に攻め、三日月蹴りで1本勝ち。 最後のDブロック、佐藤俊対東戦。 佐藤俊の左足にターゲットを絞った東の下段が効き、ダークホースの東が決勝トーナメントへ初進出。
 準決勝第1試合、西田対佐藤勝戦。 佐藤勝の冴え渡る蹴りが西田を圧倒し、前蹴りを左足に受けた西田がダウン。 ドクターが駆け寄り診断、左膝の靱帯を1/3ほど切断するも西田の強い希望により再開。 しかし、流れを変える事は出来ず敗退となります。 第2試合、廬山対東戦。 廬山の攻撃を前に出て体で受ける東がフットワークを駆使した下段攻撃で応戦。

第6回全日本11.jpg

 遂には勢いで追い越し東の判定勝ち。 これは今大会最大の番狂わせでしたが、廬山大会前日に風邪を引き、38度の高熱を押しての出場でした。
 決勝は佐藤勝対東。 互いに80kgを超える当時としては大型選手同士の対決は迫力に満ち溢れ観衆を沸かせます。

第6回全日本12.jpg

 本戦3分間は互角のまま過ぎ、延長戦判定で主審の大山茂が佐藤勝に手を挙げ、佐藤勝が史上初の大会2度目の制覇を成し遂げ、歴史に名を刻みました。
 大会結果は以下の通り。

優勝:佐藤勝昭
2位 :東孝
3位 :廬山初雄
4位 :西田幸夫
5位 :佐藤俊和
 
第6回全日本6.jpg



 という事で1974年の第6回全日本でした。 何か興が乗って細かく試合内容を書いちゃいましたが、これ位ボリュームがあった方がいいんですかね? 後、こういう文章にはですます調は合わないとよく判りましたw 次回は書き方を考えようかな。
 あぁ、後、第6回全日本出場疑惑wのある無門会の富樫宜資先生ですが、「現代カラテマガジン」とこのパンフにより未出場確定で良いんじゃないかなーと思います。

第6回全日本4.jpg

 前田比良聖先生の様にパンフに載ってないのに出場していたり、というケースも確かにありますが、前大会で活躍した富樫先生が出ていたら勝ち負けはともかく、「現代カラテマガジン」で触れていると思いますし。
 それでは、また。

おまけ、爽やか過ぎてちょっと吹いた巻末のコカコーラの広告。

第6回全日本5.jpg


参考文献:
現代カラテマガジン 1974年12月号 現代カラテマガジン社 1974年
第6回オープントーナメント全日本空手道選手権大会プログラム 財団法人極真奨学会・極真会館 1974年


 






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コメント
前田比良聖選手の名前が懐かしいです。前田さんは1956年生まれなのでこの時若干18歳だったんですね!鬼のように強い方でしたが通教生出身だったとは驚きです。
>古流修行者さん
前田先生がいつから芦原先生の所に通い出したのかはよく知りませんが、第1回の正道の大会で見せた捌きは凄かったですよね。
実は通教生出身だった、というのはあまり知られていない様ですがw
  • Leo
  • 2012/03/25 11:34 PM
>第6回全日本出場疑惑wのある無門会の富樫宜資先生ですが、「現代カラテマガジン」とこのパンフにより未出場確定で良いんじゃないかなーと思います。

やっぱりそうですよね。長年の疑問が晴れました。

>前大会で活躍した富樫先生が出ていたら勝ち負けはともかく、「現代カラテマガジン」で触れていると思いますし

フツーに考えるとそうなんですよね。

しかし、西田先生の後ろ蹴りが股間に当たったが一本になって、富樫先生との間で無かったことになっている…といったまことしやかな噂はどこから出たんですかね(笑)。
  • スパ
  • 2012/03/27 11:05 PM
私は8ミリフィルムで見ました。佐藤勝昭氏が中村誠みたいな感じで物凄く強かったのを覚えてます。大石さんも風車みたいな動きで凄いと思いました。
  • やいや
  • 2012/03/28 3:22 PM
>スパさん
ん〜、まぁ当時の「月刊パワー空手」の記事を書いた人が大会を見た事無い、という事なんじゃないでしょうかw
あるいは記憶がごっちゃになってたとか。

>やいやさん
勝昭先生の映像は見ましたけど、ご本人の性格からイマイチ想像付かないほどアグレッシブでしたねぇ。
まぁ、後から考えたら、第5回も第1回の世界大会も結構アグレッシブだったなぁと思いましたけど、第6回の時は際だって見えました。
  • Leo
  • 2012/03/28 11:21 PM
覗かせていただく度、度肝を抜かれております(笑)
知識、グッズ敬服致します。

余計なお世話ですが第二回大会、二回戦で西田師範は富樫先生と対戦しておられます。
あ、とっくにご存じで!?(恥)
  • うす!
  • 2012/05/15 12:23 AM
>うす!さん
これはどうもです。

>余計なお世話ですが第二回大会、二回戦で西田師範は富樫先生と対戦しておられます。

こちらの第2回大会の方は富樫先生も著書で書いていらっしゃいますが、以前「月刊パラー空手」に、第6回全日本で闘ったという記述がありまして。
ところが、当時の「現代カラテマガジン」には富樫先生が出場した痕跡すら無く、私を含め何人かの方にとって、幻の対戦記録でしたw
それで今回の記事で触れてみました。
  • Leo
  • 2012/05/15 11:34 PM
そうでしたか。
余計なお世話でした。
済みません・・・。

また、ちょくちょく覗かせてください!
 
有難う御座いました!
  • うす!
  • 2012/05/27 12:52 PM
>うす!さん
いえいえ。
また何かネタがありましたら、宜しくお願い致します。
  • Leo
  • 2012/05/27 2:48 PM
東師範が関節蹴りで1本を取った試合で、相手が膝関節を
折ってしまって再起不能になり、以後関節蹴りが禁止に
なったと聞きました。
  • 仁勇
  • 2013/10/21 4:22 PM
>仁勇さん

その話なんですけどね、私も聞いた事があるんですが、実は大会規約を見る限り、一度も禁止になっていません。
暗黙の了解として、道場では関節蹴りを使わない様にしようとか、前蹴りを膝ブロックで受けるのは止めようとか、そういう話はあるのかも知れませんが、明文化された事は無いんじゃないでしょうか。

  • Leo
  • 2013/10/26 2:38 PM
Leoさんご返答ありがとうございます。
そうなんですか?

第12回全日本では、松井館長が軸足に関節蹴りをしていますが、前足の膝正面を蹴ってはいませんね。

私は長谷川道場で修行をしていましたが、道場組手では、顔面パンチ有りだったので、関節蹴りも良く使いました。

勿論、膝関節を狙わずに大腿部を蹴って出足を止めて顔面に掌底を入れてましたね。
  • 仁勇
  • 2013/10/27 10:01 AM
たびたびすいません。
確かに国際空手道連盟ルールでは、関節蹴りは禁止では無いですね。

全世界空手道連盟ルール(新極真会)では、関節蹴りは反則として大会規約に明記されています。

後極真ルールを基にしたJKJOルールでも関節蹴りは反則とされています。
  • 仁勇
  • 2013/10/27 2:06 PM
>仁勇さん

多分本部のローカルルールだったんだと思います。 道場内ではやるなよ、的なw
ただ、それが出来たのが第6回だったと考えて見ると…支部の数が少ない時期ですし、後の支部長の多くが本部出身という事を考えると、このローカルルールが暗黙の了解という感じで全国に広がったのかも知れませんね。
まぁ、これは全部想像ですがw
  • Leo
  • 2013/10/27 11:36 PM
最後のコカコーラの広告の写真はもしかしたら若かりし頃の前田先生でしょうか?
  • たまたま来たもの
  • 2013/11/23 9:02 PM
>たまたま来たものさん

誰かは知りませんが、後ろの道場は○心館とだけ読めるので、あんまり極真とは関係無い人じゃないかなぁと思います。
後ろの人の引き手も帯附近ですし。
  • Leo
  • 2013/11/24 2:13 PM
町田公彦選手は最強に強かったよ。当時館長とやっても負けないって言ってたよ。
  • あきお
  • 2015/01/01 7:38 PM
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