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大山倍達マニアック検定

【古記事】キックボクサー・安岡力也(1970年)

JUGEMテーマ:格闘技全般
 

 安岡力也氏が亡くなられたという事で、当ブログの主旨にはあまり関係無い方ではありますが、追悼の意を兼ねて、キックボクサーとしての安岡力也の記事を2つほど紹介しようかと思います。


安岡力也キック1.jpg





安岡力也
    デビューでKO勝
▼…グループサウンズ「シャープホークス」のリーダー、安岡力也(山田)が十一月二十八日、後楽園ホールでデビュー(三回戦)、成田元(中山)に一回2分35秒、鮮やかにKO勝ちした。 リングで何度も"バンザイ"をやり、ホクホク顔で控え室にもどってきた安岡に勝利の弁を聞くとーー。
 「試合の前夜は興奮して一睡もできなかったです。 だから、長引いたらスタミナ負けすると思って、一ラウンドに勝負をかけました。 その積極攻撃がよかったと思いますね。 気分? 最高です。 ステージで会心の歌を歌ったときよりもいい」
 素質もファイトもある安岡。 このKO勝ちの門出で自信をつけたので、いっそうキックに意欲がわこう。
 「それが心配なんです。 リーダーが完全にキックボクサーになり切ったら、われわれはメシの食い上げですからね」
 とは、シャープホークスの面々。


***

安岡力也キック2.jpg

安岡力也
    もう一度キックに賭けます

 グループ。サウンズとキックボクシングーーなにか似たような要素を持っている。
 パッと花が咲いたように若い女性の人気の的になったグループ・サウンズが下火になり始めると、こんどはそれにとってかわるようにキックボクシングがブームの頂点になった。
 安岡力也ーーグループ・サウンズ"シャープホークス"のリーダーであり、キック界に突如として登場した男である。
 186センチの長身、その長い足と荒っぽいケンカ・ファイトで昨年十一月二十八日のNET系キックでデビューしたとき、彼のまわりには、およそキック・ファンとしては場違いな髪の毛を長くのばした男の子や、ミニスカートの女の子が後楽園ホールにつめかけたものだ。
 試合開始のゴングが鳴ってわずか2分23秒。 前蹴りから左右フック、ストレート、さらにかかえ込んでの強烈なひざ蹴りと、まったく息もつかせない攻撃一本槍のファイトで、相手はたまらずキャンバスに倒れてしまった。
 「オレは勝つことしか頭にないんだ。 大体負ける相手なんかいないじゃないか」
 ステージの英雄は、いままたリングの英雄になりかかった。
 そそくさと着替えると、力也はまたステージが待っている新宿の"音楽喫茶ABC"にとんで行った。
 一月九日、第二戦目が待っていた。 相手は自ら挑戦してきたザンバ門下の小笠原だった。
 1ラウンド、力也はすさまじいラッシュ、ラッシュで小笠原を圧倒した。 小笠原の口から力也のひざ蹴りで受けた血が流れ出た。 だが、小笠原は倒れない。
 2ラウンド目。 ふたたび力也の猛攻が始まった。 だが、いくら打っても蹴っても小笠原は倒れない。 そればかりか、スキを見つけて打ち返してきた。 接近戦を挑んできた小笠原に、こんどは力也の長い足やリーチはジャマになった。
 2分30秒を過ぎたとき、力也は荒い息をはきながら棒立ちになったまま小笠原のパンチを浴び、試合を放棄してしまった。
 「疲れた。 まったくタフなヤツだ。 練習してないんだからしょうがないですよ」
 毎晩ステージに立ち、そして酒も飲むーー練習時間はない。 というより、キックをあまりにも甘くみすぎて、練習に時間をさかなかったのだ。

甘くなかったキック

 建設関係の仕事をしていた父親が亡くなり、イタリアから母と兄と一緒に日本にきたのが力也の四歳のとき。 御多分にもれずに力也は小さいときからケンカ好きの乱暴者だった。 からだはデカイし、力は強いーー親分格だった。
 柔道、空手、合気道と格闘技を習ってきたが、「テレビでキックをみたとき、これこそオレがやるスポーツだ」と思った。
 昨年九月、東京・恵比寿の山田ジムに入門、さっそくキックの練習を始めた。 「よし、こうなったらタイでも通用するチャンピオンになってやろう」と思った。 だが、力也が思っていたほどキックが甘くなかった。
 「一度やろうと決めたことだし、なんとかやりとげたいですね。 こんどリングへ上がるときーーそれまで自分で納得いくまで練習して、もう一度キックに賭けてみます」
 三月末で山田ジムが属していたワールド・キックがNETと離れた。 山田ジムは12チャンネル系に加わった。
 力也は相変わらずステージの合い間にキックの練習をやって、ふたたびリングに上がるチャンスを狙っている。


 という事で、安岡力也氏の記事でした。
 まぁ、私はホタテマンからの力也さんしか知らないんですけどね、世代的に。
 10年ほど前に渋谷道玄坂で歩いている姿を拝見した事がありますが、それはもうどこの若頭だろうという位貫禄たっぷりだったのを記憶していますw
 後は映画「すてごろ」で真樹日佐夫VSバディ・オースチンのシーンでオースチン役として出て来た時には吹きましたが。
 それでは、また。


参考文献:
月刊ゴング 1970年2月号 日本スポーツ出版社 1970年
月刊ゴング 1970年8月号 日本スポーツ出版社 1970年

参考リンク:
安岡力也さん、心不全で死去…65歳  (2012/04/08) 



 






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コメント
安岡力也さん、門前仲町で何度かお見かけしましたが、186cmもあったかな?180cmの自分と変わらないか、下手すりゃもうちょっと低いような感じがしました。
  • ひざげり
  • 2012/04/11 10:53 PM
>ひざげりさん
晩年は判りませんが、若い頃は185cm以上はあった様です。
私が見掛けた時は道路の反対側にいたので自分を基点にした比較はしていませんが、ツレの男性より頭1つは大きかった気がします。
  • Leo
  • 2012/04/12 9:57 PM
そうですか。
お見かけしたのは、20年程前ですが、もう、姿勢が悪かったりして小さく見えたのかな?
  • ひざげり
  • 2012/04/12 10:31 PM
>ひざげりさん
どっかの新聞の訃報記事でも187cmとか書いてあった様に思います。
それ見て、「あ、1cm伸びた」って思いましたw
  • Leo
  • 2012/04/13 12:29 AM
デビュー戦時、士道館の添野氏も最後のキック試合で
出場してましたね。相手は日本拳法空手道の杉並ジムの選手でko勝ち。
  • yes
  • 2012/04/13 8:07 AM
20年ほど前、由比ガ浜で泳いでいるのを見ました。
両肩にバラの刺青が入っていて(闘えドラゴンでも見せていた)、若い女性と波のまにまに漂いながらチュッチュしてました。多分今の奥さんでしょうか。浜で荷物を管理して待っている若い男性がかわいそうでした。『行田の番長』の逝去は残念です。心優しき無頼漢のご冥福をお祈りします。
  • kin
  • 2012/04/13 10:46 PM
>yesさん
添野先生のその前の試合が確か第1回全日本にも出場した極真イギリス支部出身で、当時本部に空手留学に来ていたブライアン・フィトキン先生ですよね。

>kinさん
確かにその荷物持ちの方は可哀想ですねぇw
道玄坂でも20代半ば過ぎっぽいお姉ちゃんと、もう1人の男性と歩いてました。
  • Leo
  • 2012/04/14 4:56 PM
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