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大山倍達マニアック検定

「空手バカ一代」の元ネタ 2-1(KCコミック第1巻より)

 JUGEMテーマ:空手
 最近「空手バカ一代」ネタが続いていますが、今回はKCコミックの第1巻より元ネタを探してみたいと思います。 …何かそろそろ「夢がねぇ!」とかお叱り受けそう…。

本シリーズはコチラから。
 
 
KC空手バカ一代1.jpg

空手バカ一代第1話.jpg
ちなみに連載開始時と同じ絵を使っている

まずはニューヨークはスパニッシュ・ハーレムでの出来事から。

空バカ1_1.jpg

 これは1968年に出版された「世界ケンカ旅行」にある、マージョリ・ドースンの弟、トミーが女絡みのトラブルで巻き込まれたところを、大山倍達が救出に行くというエピソードを漫画化したものです。 無論、こんな個人的な話に証拠がある訳が無く、真偽は不明。 しかし実は「呼び出された」、「刃物で斬りかかって来る」、「左太腿を切られた」というシチュエーションは別のエピソードで見る事が出来ます。 以下は「大山倍達 炎のカラテ人生」より抜粋。

呼び出しを受け、組の事務所の二階で話をしているところを日本刀で切りつけられたのであるが、殺気を感じた大山倍達は《一太刀目をかわして、三人を叩いてから二階から飛び降りて逃げた》という。 電車に飛び乗って周囲の視線を浴び、初めて自分が疵を負っていることを知った。 八針を縫い五本の指がすっぽり入るほどの重傷だった。

 話の詳細は「小説大山倍達 風と拳 修行篇」にも出ていますが、状況の類似性から鑑みる限り国内での話を「世界ケンカ旅行」を書く際にアメリカでのエピソードとしたのでは無いでしょうか。 好意的に解釈するなら、「世界ケンカ旅行」が出版された68年当時は相手に迷惑が掛かる、もしくは話を繋げる為に改変したと言う事かも知れません。 ちなみに、「少年キング」では、同じエピソードをこんな風に描いていました。

キング1968.jpg
「少年キング」版

***

 続いて、アメリカでの「牛殺し」。

空バカ1_2.jpg

 こちらに関してはまだ直接的な証拠というのを見付けていません。 「空手バカ一代」に載った話の元ネタ自体は、やはり「世界ケンカ旅行」にあります。 2度目の遠征、1953年頃に一般公開前の非公開テストマッチとして牛と闘ったという話で、実際にはコミスキー・パークに人を入れて公開したという事ではありませんでした。
 当時の新聞が見付かっていない、という事で嘘なのかと言われればそうだとは言い難く、現在私が知っている限りでは2人の人物がこの様な事を語っています。 一つは「大山倍達正伝」にもありますが、現在国際空手道円心会館を主催する二宮城光がデンバーで極真の支部を開く際に世話になったハワイ出身の日系人、トニー浜田が見たというものです。
 もう一つは僧侶で直木賞作家で参院議員だった今東光が大山倍達と知り合う時の仲介人です。 今氏はこの時の事をこう書いています。

 出会いはたしか、誰だったか大山倍達の写真を撮ったカメラマンが仲介してくれたのだったと思う。 アメリカで大山が牛を殺したりなんかしたシーンを撮って、日本へ帰って来てまた撮ったというカメラマンの紹介だ。

 そして、これは大元の出典が定かでは無いのですが、”The Original Martial Arts Encyclopedia”というアメリカの武道事典の大山倍達の項目に以下の記載があります。

He returned to Chicago in the summer of 1953, where, in front of television cameras, he stunned a bull with his first punch and sliced off a horn.

 1953年夏にシカゴに戻り、テレビカメラの前で最初の一撃で牛を失神させ角を切り落とした。 53年の夏…夏と言っても幅が広いのですが、私が知る限りで53年の大山倍達の足取りではっきりしているのは、6月の力道山との雑誌対談、7月の千葉県館山市で行われた演武会、そして10月に浅草公会堂で行われた演武会だけです。 極真会館の年表では53年4月に牛と闘ったとされていますが、8月の出来事だったとしても特に問題は無いと思います。 まぁ、後は皆さんの想像にお任せします。

 そうそう「ブラック・ベルト」誌に記載されたと「空手バカ一代」にはありますが、当時はまだ創刊されていませんでしたし、(見落としがあるかも知れませんが)今のところ日本での牛との対決記事しか見ていません。 「ライフ」に関しても該当記事はまだ見付けていません。

***

 次は…1959年に梶原一騎が力道山に大山倍達の事を聞いたとか、タム・ライスと闘ったという話に関してですが、こちらも実証不可能。 タム・ライスに関してはまたその内書く事もあるかと思います。 ただし未所有ですが梶原一騎が大山倍達の記事を書いたのは、1954年の「少年画報」が最初らしいので、もっと以前…梶原先生が18歳の話ですね。 突然やって来て、石を割って見せて欲しいと大山総裁に持参の石を差し出したのはよく知られた話だと思います。
 で、この時に梶原先生は元の「目白御殿」からアバラ家に移ったとして、立教大学裏にあるという大山倍達の住所を貰うのですが、実際には55年10月頃に目白から引っ越した先が板橋区南町のアパート、その後56年4月頃に板橋区板橋に引っ越しており、立教大学裏には清山荘というアパートの1階に大山道場がありました。

***

 えー続いては戦後の話ですね。 この辺りは「大山倍達正伝」や「猛牛(ファンソ)と呼ばれた男」にも書かれていますので、サラッと触れますが、少年航空兵というのは1942年に山梨の航空機関学校を卒業したのが元ネタです。 現在でも当時の同期生達と共に写る学帽に詰め襟の大山総裁の写真が残っており、日本航空学園の記念誌に掲載されています。

山梨航空機関学校.jpg
大山倍達と同期生の集合写真

 特攻兵であったかどうかというのは…不明です。 私も含め多くの方が、現在では朝鮮人徴用工として千葉に行ったと推測されています。 まぁ、航空機の整備技術のあった大山総裁が整備をやらされた可能性はありますけどね。 いずれにせよ、軍籍は無かったのでは無いかと思われます。

***
空バカ1_3.jpg

 それから、ヤクザの用心棒時代。 これは東声会の町井久之の事を指すのでは無いかという説が有力です。 また、この頃の喧嘩は共産主義路線の在日本朝鮮人連盟(朝連)と、大山総裁が属していた在日朝鮮建国促進青年同盟(建青)との抗争の事でしょうね。 建青では武闘派として知られ、相当有名だったらしく、こんな証言もあります。

 「たしか最初の乱闘事件だったと記憶していますが、大山さんの強さは早い段階で朝連に知れわたりました。 その後、朝連の連中は『空手の大山』と言って、大山さんを極端に怖がるようになったのです。 朝連の連中は大山さんを見ると、なるべく相手にしないように逃げ回っていました」

 当時の建青の集合写真が何枚か残っていますが、大山総裁はいつも真ん中で睨み付ける様にしており、写真を見てもすぐに分かります。 ところで1957年の「実話特報」にはこの様な記述がありました。

  昭和二十一年兵隊から戻つてくると朝鮮人が左右に分れて大喧嘩の最中、当時は右翼的な思想傾向だつた大山は木更津で右派の大出入りがありと聞くと手榴弾十個にピストル、機関銃を持つて仲間とこの現場にかけつける途中でMPに逮捕、

 これもいずれ取り上げようかと思いますが、その後護送中に逃げて別の汽車で朝連の幹部等と会って喧嘩になり、大勢に捕まって人民裁判に掛けられたりと中々ハードな内容です。 「空手バカ一代」でも米兵相手の喧嘩はあまり載っておらず、大半がヤクザとの喧嘩になっていますが、米兵相手に喧嘩した経験があったとしてもそれほど何度もやっていないんじゃないかと思います。 殆どが朝連との抗争でしょうね。
 この頃に民族右翼というか反共主義者としての大山倍達が誕生し、後に世界反共連盟を作り日本共産党と対立していた「世界日報」との関係に繋がっていく訳ですが、それはまた別の話。
 
***

 講談社刊「宮本武蔵」。 「空手バカ一代」では、「講談社」の「全6巻」と書いてありますから、大日本雄辯會講談社版かと思うんですが、私の手元にある1939年のが全8巻(挿絵付)で、他に全6巻のセットがあるのか、ちょっと確証が得られませんでした。 連載していた「週刊少年マガジン」が講談社ですから、気を遣ったのでしょうか。

大山倍達所蔵宮本武蔵.jpg
総裁室の「宮本武蔵」

 ちなみに晩年の総裁室にあったのは中央公論社版の「宮本武蔵」(全6巻)で、新聞連載当時の挿絵付きの物です。 この版は「空手バカ一代」連載開始頃も版数を重ねていたので、こちらを参考にしたのでは無いかと思います。 ハードカバーでかなり分厚く、今計ってみたら6巻で全長が18センチありました。

***

 最後に玄が手渡そうとしたエロ本、「猟奇ゼミナール」ですが、これは実在しますw 1948年に出版されていますので、作中が45年〜48年頃を描いている事を考えれば時期的には割とマッチします。 誰が持ち出した資料なのか些か気になりますが。

猟奇ゼミナール.jpg
左が本物、右が「空手バカ一代」に載った絵

 1巻の途中となりましたが、情報量が多いので今回はこれまでとします。 私のところは普通のブログと比べても文字数が多いので、これくらい別にいいですよね? 続きはまた来週でもやりたいと思います。 このシリーズは「空手バカ一代」をベースにした物なので、大山倍達史をベースにした物ではありません。 この違いを理解して頂ければ幸いかと。 つまり、「空手バカ一代」で触れていない事には基本触れないというスタンスです、あしからず。
 まぁ、大山倍達の戦後史は「大山倍達正伝」で充分な気がしますけど、「猛牛(ファンソ)と呼ばれた男」も合わせて読むと大山総裁の人脈の繋がりが分かり、結構面白いかと思います。 ただし、ある程度大山倍達史に詳しく無いと、どこで誰が繋がって得心が行く、という事は無いかも…。
 …ここまで書いて今まで説明してなかった気がする事が1件あるので追加。
 割と知ってるという前提で書いていましたが、大山総裁は日本併合下で朝鮮半島で生まれました。 よって生まれた当時は朝鮮系日本人で、戦後韓国人となり、1968年に日本に家族揃って帰化しました。 二重国籍については説明が面倒なので特にここでは触れませんが、興味がある方は「大山倍達正伝」を読むと良いかと思います。

官報.jpg
官報に載った帰化申請

 それから大山道場のところで清山荘と書きましたが、当時の地図で調べると大山道場が有った場所には二つのアパートがありました。 どちらに道場があるのか分からなかったのですが、廬山初雄先生のお話を聞く機会があり、質問してみたところ、「確かに2つアパートがあった。 名前は憶えていないが奥のアパート」と言う事でしたので、奥にあった清山荘だと確定させる事にしました。 この時に廬山先生直々に1階の見取り図を描いて頂いたので、折を見て公開したいと思います。
 それでは、また。

追記:「少年キング」の画像を入れるのを忘れていたので追加しました。

参考文献:
John Corcran, Emil Farkas, Stuart Sobel, The Original Martial Arts Encyclopedia, Pro-Action Publishing, 1993
宮本武蔵(全8巻) 吉川英治著 大日本雄辯會講談社 1939年
猟奇ゼミナール No2 双立社 1948年
実話特報 1957年10月号 「拳一つで猛牛を殺す空手男」 双葉社 1957年
宮本武蔵(全6巻) 吉川英治著 中央公論社 1960年
世界ケンカ旅行 大山倍達著 河出書房 1968年
官報 1968年5月16日
週刊少年キング 1968年27号 「地球一周けんか旅行」 1968年
週刊少年マガジン 1971年22号 「空手バカ一代」 1971年
KCコミックス 空手バカ一代 第1巻 原作:梶原一騎 漫画:つのだじろう 講談社 1972年
大山倍達 炎のカラテ人生 基佐江里著 講談社 1988年
静かなる闘志 二宮城光著 福晶堂 1992年
毒舌 身の上相談 今東光著 集英社 1994年
月刊パワー空手 1994年7月号 「70年間の巨大な足跡 大山倍達総裁年譜」 パワー空手出版社 1994年
小説 大山倍達 風と拳 -修行篇- 大下英治著 ぴいぷる社 1994年
最強最後の大山倍達読本 ゴング格闘技編 日本スポーツ出版社 1997年
日本航空学園建学70周年記念誌 日本航空学園編 日本航空学園 2002年
月刊大山倍達 創刊号 2004年
大山倍達正伝 小島一志、塚本佳子著 新潮社 2006年
猛牛(ファンソ)と呼ばれた男 城内康伸著 新潮社 2009年
 
参考リンク:
国立国会図書館 (2010/11/28)

  






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コメント
芦原英幸、李青鵬、陳老人についても期待してます。
  • やいや
  • 2010/11/29 12:06 AM
>やいやさん
これはまた難題ですねw
まぁ、芦原先生については、どの巻から行こうか悩みます。
陳老人はいくつか資料があるので、それを元に書く予定です。
李青鵬…どうしましょう?w
  • Leo
  • 2010/12/05 4:20 PM
昨日はじめて拝見して,あまりに面白いのでしばらく読みいってしまいました.今後とも面白い情報をお願いいたします.

さて,
>1959年に梶原一騎が力道山に大山倍達の事を聞いた
の件です.

梶原センセの著書『地獄からの生還(幻冬舎アウトロー文庫(1997),1984年刊『反逆世代への遺言』の改題文庫化)の180〜182ページに以下の記述があります.

「その金で目白に家を建てたのだ.その豪邸に彼がいる頃,私は初めて大山を訪ねた.
 力道山が私に「俺よりも強い男がいる!」と言ったのを聞いて訪ねたというのは創作である.
 あの神話は極真空手の権威付けのため劇画『空手バカ一代』で作り出した創作であることを正直に告白しなくてはいけない.
(中略)
 大山倍達のアメリカにおける武勇伝が文藝春秋の『オール讀物』に載った.
 ”牛殺し空手,アメリカを行く!”
 (中略)
 そんなわけで私は空手に対して興味を持ったのだ.」

この文章の前後にも梶原センセ一流のハッタリ・ウソ・見栄も散見されますが,この抜き出した記述は信頼しても良いと感じています.

つまり,梶原センセが大山先生を知ったのは,力道山からではなく,『オール讀物』の記事からということです.該当するオール讀物の記事は本ブログから1953年7月号に掲載されたものと思いますので,その当時の梶原センセは16歳で,先にあげた文章の前後にある芝商業高等学校時代に読んだという記載にも合致します.

なお,真樹センセの著作では,梶原センセが大山先生を知ったのは,リーダーズダイジェストか何か海外の雑誌だったはずとの記述もあります.真樹センセの記述にも記憶違いらしき間違いがままあるということも付記しておきます.
  • たけちん
  • 2012/06/27 9:30 AM
>たけちんさん

情報ありがとうございます。
紹介して頂いた本はどちらも読んでいるのですが、本記事を書くにあたってはチェックしていませんでした。
書く際に、一応「劇画一代」は目を通したのですが、こちらでは、54年に力道山より話を聞いて、それから「オール讀物」で大山総裁を知った、という流れになっています。
しかし個人的な会話など立証不可能、という事で取り上げませんでしたw
梶原先生が言を翻した記述があった事などすっかり忘れていましたので、非常に助かります。

ちなみに53年の記事では牛と闘ったが断念したという話なので、別の記事じゃないかと考えています。


  • Leo
  • 2012/06/29 9:58 PM
某巨大掲示板で度々「猟奇ゼミナール」の表紙画像を引いてくる人がいるのですが、
以前からKCコミックスの絵が気になっていて、今見ましたら本当にある本なのですね。
 #欲しくなりました。
で、宮本武蔵の本ですが、私は六興出版刊の6巻本ではないか、と
思っています。
書店で6巻本が欲しくて探しまわったのですが見当たらず、古書店で
見つけたのがこの本です。(昭和50年ごろ)
この本は昭和24年3月10日印刷15日発行(初版)で6巻本です。
講談社連載ですから、やはり遠慮したと思っています。
また映画「けんか空手極真拳」で「ゆるしてたもれ ゆるしてたもれ」の
出てくるのは、
この六興出版刊の宮本武蔵第一巻(地の巻花田橋)が映っていた
ように記憶しています。
  • 坊主拳法
  • 2016/12/05 8:02 PM
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