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【レビュー】太田学著「空手一筋人生 鈴木浩平物語 太陽の使者」(2002年)

JUGEMテーマ:空手
 

 という事で今回は極真の鈴木浩平先生の評伝「空手一筋人生 鈴木浩平物語 太陽の使者」を紹介します。
 
太陽の使者.jpg

 恐らく80年代以降の入門者になるとあまり詳しく知る人はいないかも知れませんが、大会以前に入門し初期の大会で活躍した方で、身長155cm、体重60kgに満たない体躯ながらも、本部の強豪として常に優勝候補で名の挙がる1人でした。 二段蹴りの名手としても有名でしたね。 ショーン・コネリーが来館した際の演武でも活躍し感銘を与え、後に大山倍達総裁が渡英した折にはコネリーが「あの人は元気か?」と聞いて来たそうです。



 そして1976年に「現代カラテマガジン」で鈴木先生の手記が掲載され、その生い立ちが万人に知られました。 この手記を読んで感動した人も少なからずいたでしょう。 何故なら鈴木先生は身体障害者だったのです。

太陽の使者3.jpg

 病名は脊椎カリエス(腰椎カリエス)。 結核菌から発症する結核性脊椎炎で、病気が進行すると膿瘍が形成され、椎間板を破壊する事があり、幼少時にこの病気を煩った鈴木先生は、腰の骨が変形してしまい、右側の骨が2本無いそうです。
 これだけのハンデを負いながらも本部生え抜きの強豪となった鈴木先生がどの様な半生を過ごして来たのか? と言うのを記した本ですね。
 では、まず目次。
 
太陽の使者10.jpg

はじめに

第一章    実戦空手入門・極真の道を征く
        人生に勇気は必須条件
        大スターの前での演武に挑戦
        必死の努    力こそ全て
        自己の節目を黒帯で確認

太陽の使者11.jpg

第二章    生きる尊さを知る
        誰でも満足は無い
        苦しみは永遠ではない
        生と死の間の格闘は何より恐ろしい
        格闘術の素晴らしさを体験
        空手の稽古は苦くて楽しい
        自分の道は自分で決めること

第三章    戦いは自己との激突
        敵から逃げ出すな
        一日中、頭の中は稽古の日々
        何にでも命がけでぶつかれ!

第四章    自己を試す重要性・全国大会に挑戦
        夢は大きく頭は低く
        指導と稽古の日々

第五章    道の世界を学ぶ必要性
        生涯において学ぶこと
        極真空手の凄さを再発見

太陽の使者5.jpg

第六章    徒手空拳の道は永遠なり
        武道の本質は貢献なり

あとがき


 鈴木浩平先生は1965年入門で、第3回全日本に初出場。 第7回(第1回世界大会)と第8回を除く、第9回まで出場し、最後まで大会を盛り上げました。 特に第4回のハワード・コリンズ戦は最後こそ1本負けだったものの、素晴らしい試合だったと聞きます。 本来は第6回全日本を最後に引退する予定だったそうですが、郷田勇三先生が旗揚げしたプロ空手を手伝う事になり、仕事を辞め日本空手ファイト協会東京ジム(後の城東支部)の事務局長となり事務と指導を務める様になります。 前述した「現代カラテマガジン」の手記と言うのは、引退を決意した後に書いた物です。

太陽の使者6.jpg

 しかし、稽古を付けたり、選手の稽古を見ている内にまたやりたくなり、またプロ空手の活動が停止した事もあって、1日6時間の猛稽古に明け暮れた結果、郷田先生に大会参加を勧められ第9回に復帰。 2日目の3回戦まで勝ち抜き、この試合で左手の小指を脱臼。 これが最後の試合となり4回戦は棄権しました。

太陽の使者12.jpg

 その後城東支部の亀戸や田端道場で指導を続け、前述の手記がきっかけとなり結婚。 独立し江東区で空手の指導を始めます。 そして99年に郷田先生が仲介して廬山初雄先生の埼玉支部吉川道場師範代として極真に復帰。 廬山先生の独立と共に極真館の吉川支部長となり今も後進の指導をしています。

太陽の使者7.jpg

 そう言えば鈴木先生で尤も有名なエピソードは、当時相撲の時津風部屋に在籍していた十両の松乃山が本部道場に入門して来た頃で、上級の色帯でも歯が立たず、黒帯でも1本取る事が出来ずに持て余していた、という事がありました。 鈴木先生はこの松乃山を相手取り見事左上段廻し蹴りでKOしたそうです。

太陽の使者8.jpg

 で、本書の書評ですが…うーん。 鈴木先生の半生は面白いのですが、著者の太田氏の描写に首を傾げる所が多々あり、細かい私には気になります。 まぁ、私なんぞは漫画でも拳の握りとか見ちゃう人ですし、ガンファイトでトリガーに指掛けっ放しも気にする人ですので、細かいかと思いますがw
 例えば、冒頭の1965年の描写がこんな感じです。

 …『極真会館』と言われ、世に実戦ケンカ空手と異名を轟かせていた。 若い男女なら流行語のように誰もが覚え、そして憧れていた。

 いや、65年は無名な存在ですから、って思いましたねw 後は極真のタイ遠征がキックボクシングのブームに火を着けたとか、大会は毎年11月3日の文化の日だとかw 後は無説明で名前の必要の無い、一過性の登場人物(たまたま出会ったチンピラとか)にまで名前が付いていたり、妙にハードボイルド系小説にかぶれて居る様な印象を受けましたね。 そう言えばいきなり出て来た空手青年が藤平という名前だったのですが、この空手青年が極真創成期の強豪、藤平昭雄先生(キックの大沢昇)であるかの説明は無く、悩ましいですw

太陽の使者9.jpg

 そして、極め付け。 1973年の話なのに、美人局をやってるヤクザが携帯電話で連絡を取り合っているという描写w これはさすがに駄目でしょう! と思いました。 様は時代にマッチした描写が出来て無いんです。 後、時代が行ったり来たりしているので、ストレートには読み辛いですね。
 よって、鈴木先生を知る上では良い本ですが、読み物としてはイマイチ…というのが私の感想ですかね。
 あ、最後にもう一つ。 本書では何故か腰痛カリエスという病名になっていますが、そんな病名は無い様です。 脊椎カリエスが正しいかと。 鈴木先生の場合は腰椎なので腰椎カリエスとも呼ぶみたいですが。

 
 と言う事で、太田学著「空手一筋人生 鈴木浩平物語 太陽の使者」でした。 ま、感想は先に述べた通りです、済みませんw
 個人的には筆者の趣味に走り過ぎた描写が色々気になります。
 私、数年前に館の合宿で鈴木先生にお会いしたのですが、その時は合同稽古で少年部の一番後ろに立って基本稽古を行う様を見て些か感動した記憶があります。 何でしょうね、ただの基本稽古だったのですが。
 そう言えば、鈴木先生が最初に空手を学んだという日大空手部の藤本さん、本書では藤本貞男とありましたが、多分藤本豊見先生じゃないかと思います。 77年の時点で和道流の五段ですので、当時四段だとすれば合致するかなぁと。

 ちなみに、前述の「現代カラテマガジン」の手記は下記のリンクより全文読めます。
 それでは、また。
 

参考文献:
現代カラテマガジン 1972年10月号 真樹プロダクション 1972年
現代カラテマガジン 1973年11月号 真樹プロダクション 1973年
現代カラテマガジン 1976年7月号 真樹プロダクション 1976年
現代カラテマガジン 1976年9月号 真樹プロダクション 1976年
現代カラテマガジン 1976年10月号 真樹プロダクション 1976年
現代カラテマガジン 1977年11月号 真樹プロダクション 1977年
月刊パワー空手 1978年2月号 パワー空手出版社 1978年
空手道名鑑 空手道名鑑編集委員会監修 創造 1977年
空手一筋人生 鈴木浩平物語 太陽の使者 太田学著 2002年

関連リンク:
なせばなる!ある障害者の闘いの記録 (2012/06/09)



 






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コメント
押忍 はじめまして、毎回感動の連続です。不肖は昭和50年の第1回世界大会の開催された年の総本部入門者です。鈴木師範も時折2部の稽古の時間に指導にお見えになられ、丁寧に教えて下さいました。あの「巧」先輩(当時を知る人は下の名だけで解ると思います)が先輩と呼んで尊敬していました。『なせばなる!ある障害者の闘いの記録』は何度も読み感動しました。これが鈴木師範を知る上で1番確実なものだとも思います。
  • 名誉五段
  • 2012/06/09 10:34 PM
渋谷支部(マス大山カラテスクール)では
火・木を鈴木浩平先輩が1年くらい
指導担当されておりました。

当時を思い出すと気合が入ります。

10年近く前に吉川市に訪ねていきましたが
いきなり行ったのに快く迎えてくれました。
嬉しかったです。



  • もん爺
  • 2012/06/10 12:37 AM
>名誉五段さん
今後とも、宜しくお願い致します。
鈴木先生は東谷先生や岸先生が非常に慕っていたと聞きますね。
確かに本書よりもご自身の手記の方が伝わる事も多いかも知れませんw
個人的には「なせばなる!ある障害者の闘いの記録」と「月刊パワー空手」で第9回終了後に鈴木先生が書かれた「闘い終わって」がオススメです。

>もん爺さん
渋谷支部と言えば、義足の門下生の話ですね。
鈴木先生はあまり表舞台には立ちませんが、門下生に慕われている様でした。
良い思い出話、ありがとうございました。

  • Leo
  • 2012/06/10 12:45 PM
もん爺さんへ

そうですね。山崎照朝師範の跡をを継ぐ形で鈴木師範が実技道場の指導されていた時期がありましたね。実際にそれを知っているのはごく小数だと思いますが。私とほぼ同期のご入門ではないでしょうか?
  • 名誉五段
  • 2012/06/10 12:48 PM
ブログ運営者様へ

押忍 こちらこそよろしくお願い致します。私が入門した時は『空手バカ一代』直撃世代で現在50歳です。総本部の外まで入門者の列が出来ていたのを良く覚えています。道場も入りきらなくて階段のあたりで基本をやった位でした。あの盛況が再びやって来てほしいとも思います。
>名誉五段さん
当時の話を聞くと近隣住民とか平塚病院も御迷惑だったんじゃないかなぁと思う時がありますw
石井和義先生はこういった事を逆手に取ってたみたいですが。
今なら道場数も多いので、溢れるほどの門下生でも吸収出来るでしょうが、確かにまたブームが訪れるのを見たいものです。
呼び水にはほど遠いでしょうが、最近Twitterの方でちょっと話が盛り上がったので、来年の大山倍達生誕90年という事で関連諸流派/会派一同に会しての合同演武会を出来ないかなぁとか思っています。 遊びで提案書を2ページほど書いたんですけどね。 スポンサーでも付けば、独立した諸先生方にもお願いしたいところですw
と言ってもどこかに呼び掛けてる訳でも無いのですが。
  • Leo
  • 2012/06/10 7:39 PM
両足首がない方が稽古に出ていて少なからず驚きました。
上半身の基本稽古は出来るとは思いましたが
蹴りの稽古まで一緒に行ない
本の中にあるように
ボール蹴りもやっておりました。

正座で膝を90度にして全ての動きを行なうわけですが
膝の下側がよく壊れないものだと思いました。とはいえ
ハンデがあろうが差別なしの極真ですから
当時はあまり疑問を持ちませんでした。

義足を履かれると
背の高い方で
普通に歩かれるので
履いているのがわからないくらいでした。

普通に明るい方だったのを覚えています。

今思い出してみると
ものすごいことを普通に行っている方でした。

あの人を思い出すと
自分の大概の悩み事が
何でもない事だと
思い知らされます。

頑張らなくては・・・。





  • もん爺
  • 2012/06/10 7:56 PM
名誉五段 様

はじめまして。よろしくお願いいたします。
もしかしたら平善ビルでお会いしているかもしれませんね。

山崎先輩→鈴木浩平先輩→中村俊安先輩
でしたね。

前澤さんがまだ黒帯になっていませんでしたし
真樹先輩直々の指導員が育つまでは
まだ時間がかかったと思います。

ちなみに自分は
通教No 4411。昭和48年8月4日入門です。

道場には月4回しか行っておりませんでした。

ちなみに自分はこんな顔していました。(^_^;)→https://www.facebook.com/photo.php?fbid=167514953355405&set=t.100002907032508&type=3&theater







  • もん爺
  • 2012/06/10 8:22 PM
ブログ運営者様へ

お言葉の通り総本部の両隣は普通の民家でした。近くの公園に近づいただけでもものすごい気合が聞こえて来た時代でした。病院の人達も大変だったと思いますが、よく入院患者の人が羨ましそうに窓から稽古風景を見ていたりした時代でしたね。
合同演武会の件は山崎照朝師範にパイプがありますので、今度お耳に入れておきます。よろしくお願い致します。


もん爺様

お写真を拝見した印象は、「どこかで見た」感じです。総本部に出稽古とか見学に来られませんでしたか? マス大山空手スクールの記憶は、前澤さんがまだ黄色帯ぐらいの時だったと思います。
>もん爺さん
それはまた凄まじいですね…。
車椅子の空手家をアメリカで見た事がありますが、稽古が辛くて止める人もいる中で、当たり前の様に稽古をこなして行くその根性には脱帽します。

そう言えば平善ビルはまだありますね。 以前渋谷に住んでいた頃、あの辺りを通って眺めた事がありますw

>名誉五段さん
本書で鈴木先生の台詞としてこんなのがありました。
「道場でケガしたらすぐ入院出来るようなシステムなのか、やっぱり凄そうだ」
本気でそう思った人もいたのかも知れませんねw

山崎先生が乗り気になったら嬉しいですね。
宜しくお願い致します。
  • Leo
  • 2012/06/11 9:07 PM
名誉五段様

総本部は昭和52,3年に所属していました。
合宿は3回だけですが参加しています。
その頃に見かけられたのかもしれませんね。
その後
添野道場分支部が近くにできたので移籍しました。

勢いのあった時代でした。
  • もん爺
  • 2012/06/13 2:11 AM
もん爺様

その年代ですと毛塚君や中村(誠・辰夫)両氏や川畑さんなどと一緒ですね。
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