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大山倍達マニアック検定

「カラテ群像」8 安田英治(1983年)

JUGEMテーマ:空手
 


久々ですねぇ、「月刊パワー空手」「カラテ群像」より、安田英治先生の記事を紹介します。

安田英治3.jpg

安田英治 七段
 昭和11年5月8日東京都に生まれる。 35年3月学習院大学政治経済学部卒業。 高校時より空手の修業に励み、28年目白の大山道場に入門。 以来、極真カラテに心酔し現在七段。 浅草で暴漢7人を相手取り、全員をまたたく間にKOしたという話はあまりにも有名。 現在、事業を営む傍ら(安田通商代表取締役)自宅に道場を構え、門下生を取らず武道一筋"求道の精神"を失わない。



 
安田英治1.jpg

 師走に入り、雑務に追われている私のところに突然、けたたましい音とともに思いがけない電話がかかってきた。 「はてな?」と思って受話器を取ると、低く太い声が電話の向こうから響いてくる。
 「ああ、私だが……たまには会館にも顔を出したらどうかね……」
 久しぶりに聞く大山館長のお声である。『カラテ群像』の執筆を館長直々に依頼され、恐縮の至りであるが、拙くもありし日の"修業の思い出"を綴らせていただきたい。
 私が、極真カラテ"大山道場"の門を叩いてから、かれこれ30年近い歳月が流れたことになる。 高校入学時に他流派の門をくぐり、空手のイロハを学んでいたのであるが、私が大山先生に初めてお会いしたのは、高校の時であった。 先生がまだ、目白に道場を構えていた頃である。

安田英治2.jpg

 当時、大山先生は「牛殺しの大山」などと呼ばれ、その名声もかなり高まりつつあったのであるが、年齢的にもまさに全盛期。 アメリカのプロモーターに招かれ、彼地のプロレスラーを震え上がらせていた時期であった。 最初にお会いしたとき覚えていることといえば「近寄り難い」という印象以外、何も残っていない。 先生の全身からは殺気が漲り、他者を寄せつけない、圧倒的な迫力を感じたものである。
 ただ"目白時代"といっても、道場があるわけではない。 先生の庭が、稽古場であった。 数人の仲間たちとともに私は、学校の授業もそっちのけで、中段突きや前蹴り、追い突きなどといった基本稽古に熱中したものである。

安田英治4.jpg

 先生の指導法はといえば、手取り足取りといったものでは無論なかった。「ついてきたい者だけついて来い」といわんばかりの、半ば投げやりな稽古法で、私たちはただ、先生のそれを見様見真似で追っていくだけである。 空手が今ほどに大衆化されていない当時にあっては、突き蹴りという基本稽古の単調な繰り返しは、肉体的にはもちろんのこと、精神的にもかなりきついものであった。 「大事な青春を、こんなことのために費やしていいものだろうか」と、僻遠の地に立たされたような思いで拳を握りしめたものである。 それでも止めずになんとかしがみついていたのは、「何かを掴めるのでは」という淡い望みを抱いていたからだろうか。
 私は、大学に進んでからも、部活等で空手(他流派)だけは続けていた。 が、ある事情から大山道場を遠去かっていたのだが、この頃、立教大学裏に道場が移されたことを人づてに聞いていた。 そして偶然にも池袋駅で大山先生に再会することができ、即刻また、先生の道場の門をくぐることになったのである。
 目白時代もそうであったが、このように大学では他流派に属し、学校が終わると真っ直ぐに大山道場で通っていたわけで、二足の草鞋を履いていた私は、いろいろ戸惑いながら稽古をしたものだ。 決して笑わないでいただきたいが、"突き"ひとつ取ってみても、学校でやっている空手と大山道場でのそれとは、まったく逆のことを教えられる。 片方では「腕を伸ばせ」」といわれ、またもう一方では「伸ばさずに少しは余裕を持たせ」と教えられる。 そんなこんなで、そのうち大学でもキャプテンを務め、また大山道場でも座間の米軍キャンプに指導に行くなど、教える側に立たされた時は、なんとなく節操のない自分をそこに見て「俺は一体、何をやっているんだ」と、少なからず罪の意識に駆られたものである。 事実、大学にあっては、大山道場の門をくぐっているということで、当時の大山空手が世間からそう呼ばれていたように、ケンカ空手として邪道、異端視されたものだ。

安田英治6.jpg

 が、稽古の厳しさ、その質と量において大山道場は、他流派を遙かに凌ぐものがあったと私は思う。 特に組手をやるに際しては、痛切にこれを感じたものである。 当時ともに稽古に汗を流した仲間としては、水島健二さん(現姓加藤)をはじめ、大山茂・泰彦兄弟、石橋雅史、郷田勇三、岡田博文氏などがいたが、皆それぞれが個性を持った、よき同士たちであった。 人間、年取ってくると、「昔は云々」と過去に吹聴したがるものらしいが、私もその例にもれずいわせてもらえば、確かにかつての大山道場には覇気があった。 およそ40名近くが狭い道場で、お互いの技を競い合ったことが、今は懐かしく思い出される。
 心身ともに辛い毎日ではあったが、私がよくその稽古に耐え、多少なりとも空手の、武道のなんたるかを学び得たというのも、そうした多くの仲間たちと苦しみを分かち合ってきたからだと思う。 特に大山先生には、道場での師弟関係を離れて、私的な面でもいろいろお世話をいただいた。 当初は"恐い"存在でしかなかった先生も、日がたつにつれて肉親のような、心温まるものを感じるようになった。
 先生とご一緒したなかでも、深く印象に残っているのは、先生の御著書『What is Karate』の編集作業に参画させていただいたことである。 三峯山をはじめとして、あちこち撮影などでお供して歩いた日々を、私は終生忘れることはないと思う。

安田英治5.jpg

 また、先生はよく、われわれ門下生に夢とロマンについて語ってくださった。 「今に空手は大衆のものになる」と、目を輝かせながらお話しする先生であったが、正直いって私は、当時の大山道場からは、今日ある極真会館を夢想だにしなかったのである。 「なんとかしてこの"拳"を固くできないものか」とか、技の研究に余念のない先生であったが、先生のあの、空手一筋に賭ける燃えるような情熱が、おそらく今日の極真会館を築いたのであろう。 突拍子もないことを語る先生は、名声が高まっていた当時にあっても、飾ることをまったく知らず、相手がどんな人間であろうと対等なおつき合いをなさっていた。 牛との格闘など公の席でのデモンストレーションは別として、私生活のなかにあっては、自分が「空手家である」という素振りを一切見せていなかった。 その大山先生に、人生に貴重な一頁を預けた私は、果報者であると思う。
 私自身今、事業を営んでいるのであるが、たとえ一時期でも空手に打ち込んだことのある自分を誇りに思っている。商売をやっていると、日常生活のなかでは浮き沈みの激しい情況に見舞われることもあるが、苦行に耐えたあの日々を思い起こし、救われることも少なくない。 同じ稽古をしていても、そのよりどころをどこに求めるかは、人それぞれにより異なるであろう。 が、一つでも何かを見つけようと日々努力する姿勢こそ、若者が失ってはならないきちょうなエネルギーだと私は思うのである。
 最後に、先輩面をして後輩諸君に一言いわせてもらえば、"心"のない武道というものはあり得ないということである。 大山館長のご指導のもと、日々の修業のなかからその偉大な武道精神を一つでも多く吸収されんことを祈念して、拙い文章の結びにしたい。


 という事で「カラテ群像」の安田英治編でした。
 目白時代から大山倍達総裁に師事している最古参の弟子ですね。 高校時代に浅草の剛柔会で大山総裁と出会い、大学では松濤会の空手部で活躍しながら大山道場で師範代を務めていたという少々異色の経歴の持ち主です。
 「前蹴りやるぞ!」と言ってから蹴っても相手に受けさせないという"予告前蹴り"の達人としても有名ですね。 ご本人は廻し蹴りの方が得意だった様ですし、この伝説も実際にはどの程度受けが出来るかという稽古だった様ですが。
 そう言えば、梶原一騎先生は遺作となる「男の星座」で、「空手バカ一代」における芦原英幸先生の代名詞であった、"ケンカ十段"の称号を安田先生に贈ってますね。

安田英治7.jpg

 そんな安田先生のケンカの話は福昌堂のムック「ケンカの鉄人」に色々収録されてますので、興味のある方は是非。 冒頭にあった浅草のケンカの話は、ご本人のインタビューから説明しておきましょうかね。 上記の「男の星座」のエピソードの元ネタだと思われます。

 「浅草で喫茶店を経営していた時の話ですが、友人が店の前でヤクザ7、8人にからまれてしまったのです。 ちょうど店を閉める時で、それを目撃してね。 僕は表に出ていって、ガーッと始まった。僕はゲタが好きでその時も履いていたのですが、1、2発蹴りを入れたら割れてしまってね。 向こうも屋台のおでん屋から椅子を持ってきたり、仲間が10人ぐらいに増えたりしてメチャクチャになりましたよ。 近所に住んでいたお寿司屋の息子が、今だに『東映の映画を見るよりおもしろかった』と言います(笑)』

 それでは、また。


参考文献:
Masutatsu Oyama, What is Karate? EVERYONE CAN PRACTICE KARATE MYSTERIES, Tokyo-News Co., 1958
月刊パワー空手 1983年2月号 パワー空手出版社 1983年
フルコンタクトKARATE 6月号別冊 格闘王2 実録 ケンカの鉄人 福昌堂 1998年
甦る伝説 大山道場読本 日本スポーツ出版社 2000年
梶原一騎原作漫画傑作選 男の星座 5 原作:梶原一騎 画:原田久仁信 監修:高森敦子 道出版 2002年









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コメント
安田先生!

学習院大学空手部は「松濤館流」であり、極真空手は「松濤館流と剛柔流の長所を兼ね備えた空手である」とどなたかが仰っていましたが、やはり「引き手」の位置や「型」の呼称からしても極真における剛柔流の影響は大きいと思います。そんな中で引き手の位置からして異なる両派の空手で指導出来る立場の安田先生はとても器用であるし大山先生の経てきた空手を体感されたものとも思われます。

不肖も最初は拓大系列の「松濤館流」にて初段を允許されて後に極真総本部に白帯から入門した経緯がありますが、やはり最初は戸惑いました。特に「引き手」の位置と移動基本の足の進め方です。
「喧嘩十段」「昔は云々と過去に吹聴...」という話題なので、引退老人も少々むかし話をさせて下さい。「..十段はワシじゃない」とアシハラ先生は常々おっしゃってました。皆さんもう既に御存知かと思うエピソードをひとつ⇒丁度空手ブームが頂点から下降し始めの頃だったですかね、未だ真田ひろゆき(漢字は知りません、芸能通ではありませんので)がJACにいらした頃、アシハラ先生が独立され、TVかなんかで、JACの特集があったそうです。其の時、その番組中にクローズアップされたのが「芦原會舘」と書いたロゴの道着の級持ち青年vs「極真会」ロゴの支部長・黒帯門下生間の組手シーンであったらしく、当然極真支部長・大型黒帯門下生が「いじめ」の如く扱ったとの「芦原先生」の見解。あの頃は本質的に「大山先生」には「恨み」は無かったのですが、あの頃の芦原先生はもう、かなり神経質になっておられた様で、審査後の公の場でも、それを何回もおっしゃってました。その後、しばらくして、北海道の支部長ともいろいろあったようです。御存知ですよね。その当時それが良く話題になり、「そういう連中、特にマスコミにちやほやされている時は実は連中(マスコミ)に馬鹿にされているんだぞ!マスコミとはある程度距離を置くんだ!だからお前たちはああいうTVや雑誌なんか見て、空手=カッコいい!、俺は強い!有名なんだ!と溺れるな!足元すくわれるぞ!いい気になってTVなんか出るな!」とかなり怒られていましたね。今振り返ると、そう云う芦原先生でも、最期は「空手の偉大な師、大山倍達先生」に再会したかったのではないでしょうか?今回の記事を拝読し、そう思います。今、芦原會舘も昔と随分と変わりました。安田先生、黒崎先生、大山茂・泰彦両先生、中村忠先生、添野先生、芦原先代先生並びに諸先輩草々の方々がもし、一同に「極真」と云うより「大山道場」の下で、活躍されていたら、未だ「大山空手」=「喧嘩空手・地上最強」の名は塗り替えられていないと思う所です。有難う御座います。
  • 珍老人
  • 2012/06/23 9:50 PM
>名誉五段さん
以前小坂修一先生の回で書いたのですが、大山道場も目白時代は引き手の位置が低いんですよね。 安田先生も"What is Karate?"の初版では引き手が低く、改訂版になってから引き手の位置が高くなっています。
http://img.blogs.masoyama.net/20111023_2050228.jpg
ですので、途中から色々戸惑っただろうなぁと思います。 両方の流派を並行して修めたのですから、その苦労も並大抵の物では無かったでしょうねぇ。


>珍老人さん
その番組は多分85年の「アクションスターはこうして作る!汗と涙の特訓合宿」だと思います。
https://p.twimg.com/AoLIu5gCIAAR8UC.jpg
当時JACで行っていた夏の八丈島合宿を特集した番組で、極真北海道支部の睫攘飴拮長が千葉真一先生と親しく、毎年この合宿に招聘されて指導を行っていました。
で、実際に番組を見ると分かるのですが、3名の若者を中心にカメラで追い掛けており、その中に芦原門下のJACメンバーがいた訳です。
大型の黒帯門下生(外館慎一先生)とやった芦原会館の茶帯(JACで一番強い人らしい)はそんなに酷くやられてません。 殆どが足掛けで転がされる程度で、最後にバランス崩した所で浅く顔に蹴りが入るくらいです。
結構やられたのは芦原の白帯の人ですね。 途中で掌底に変えたりと、手加減はしていましたが、蹴りはそこそこ強めに当てており、ちょっとやり過ぎな感じもありました。 2度ほど顔面に蹴りが入りますが、最後の顔面への蹴りは、事故っぽいですし、番組の主旨的にハードなスパルタ合宿を売りにしていたので、強めにやったのはそういう意向があったのかな、とも思います。
ちなみに組手で一番クローズアップされていたのは「影の軍団」にも出演していた伊原剛志氏で、この方は芦原会館では無く、無印の道着に黄帯を巻いていました。
芦原先生が神経質になられるのは分かりますが、先ほど番組を見直した限りでは、睫收萓犬亡泙狃蠅呂△辰燭も知れませんが、そこまで恣意的な感じは受けませんでしたねぇ。

でもマスコミに踊らされるな、は同意しますね。 高弟離脱の根本的な問題はそこにあったと思いますし。 これが無ければフルコンも今ほど細分化していなかっただろうなぁと思っています。
  • Leo
  • 2012/06/24 12:28 AM
youtube にアップされていたので観ました。
確かに白帯の方はやたらボコボコにされていますね。
相手の黒帯は外館さんではありませんね。
  • kimura
  • 2012/06/26 9:50 PM
>kimuraさん
動画ありましたかw
正直、番組の意向なのかな、と思いましたね。
やたらスパルタな内容でしたし。
  • Leo
  • 2012/06/29 9:46 PM
>Leoさま
そうですね。
どうせやるなら色帯をしごいた方が印象が良いのに笑)
  • kimura
  • 2012/06/29 10:12 PM
>kimuraさん
いや、白帯にも容赦無い、みたいな絵が欲しかったのかも…。
元新体操の女性とか、最後の1人になっても崖から飛ばされたり、持病の腰痛が出て動けなくなるまでハードにやられてましたし。
  • Leo
  • 2012/06/29 10:25 PM
>Leoさま
そうですね笑)
昔のテレビは面白かった・・・
昔の極真は面白かった・・・
  • kimura
  • 2012/06/29 10:29 PM
>kimuraさん
海外の番組は今でも面白いんですけどねぇ。
テレビとか殆ど見ないので、偶に見ても全然分かんないですw

極真はアスリート志向が高くなって来たので、見方によっては、ですが大きな大会の時期以外は面白く無いのかも知れませんねぇ。


  • Leo
  • 2012/06/30 6:32 PM
安田先生ですね。

今は普通の老人になられましたがやはり眼光が鋭い!

最近聞いた話では、ご子息が極真ではなく、
空手なさってるみたいですね。
  • take
  • 2012/07/25 10:48 AM
>takeさん
以前、当ブログにご親族の方が書き込まれていましたねぇ。

そう言えば、七戸康博先生の御子息は、柔道家として活躍されているのを思い出しました。
  • Leo
  • 2012/07/26 10:15 PM
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