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大山倍達マニアック検定

【古記事】大山倍達と田中清玄の対談(1984年)

JUGEMテーマ:空手
 

 はい、今回はですね…大山倍達総裁が非常にお世話になったという田中清玄先生と大山総裁の1984年に行われた対談「特別企画―清玄・倍達新春放談 空手は世界平和の原動力」をご紹介します。 ちなみにメッチャ長文ですw


大山倍達田中清玄1.jpg




 田中清玄先生(たなかきよはる/一般的にはせいげんと読まれる)は、戦後の昭和史に詳しい方はご存じでしょうが、知らない人の方が多いかも知れません。 なので、軽く紹介したいと思います。
 田中先生は1906年北海道生まれ、東京帝大入学後の27年、日本共産党に入党。 共産主義者となり書記長にまでなる。 田中書記長下の共産党は「武装共産党」と呼ばれ、官憲殺傷事件を50件以上起こしたとされる。
 1930年、共産主義者の息子の改心を促す為に母が自害し、間も無く治安維持法で逮捕される。 同志の転向や母の死などを切っ掛けとして獄中で34年、天皇主義への転向を宣言、41年に出所、四元義隆の紹介で禅僧の山本玄峰を訪ね、修業を重ねる。
 終戦直後、天皇制の護持を唱え、皇居で昭和天皇と面会、3つの進言をし、実現させた。 終戦直前の45年1月に建設会社の神中組を設立(48年に三幸建設となる/田中開発工業とは別?)、復興事業や米軍の仕事を請負ながら反共運動を支援し、フィクサーとして(一説にはCIAエージェントでもあったと言われる)活躍する。 60年には全学連に資金提供なども行っており、63年に東声会組員に銃撃されるも一命を取り留める。 その後も東南アジアや中東に太いパイプを構築し、特に日本政府の油田事業に貢献した。 93年死去。
 と言う感じですかね。 武道的には函館中学時代には大東流柔術(多分大東流合気柔術)で皆伝の域に達し、1927年、東大で船越義珍、大塚博紀両名より空手を学ぶ。 共産党時代は警察を相手に何度も大立ち回りを演じ、本人によれば武器や空手で2,30人は殺したと言う。 後に東大拳法会会長や和道流後援会長を務め、和道流八段となる。 また極真会館主催第3回、第4回世界大会では大会顧問や相談役を務める。

 大恩ある田中先生を前にして流石の大山総裁も謙って、異論は唱えず御用聞きになってますw
 読んだ限り、時系列や事実誤認も多々ある様に思いますが…それではどうぞ。

    「空手一筋に生きたい」と
 大山  田中先生と初めて会ったのは、終戦の時でしたね。
 田中  そう。 わたしが陣中組(※原文ママ)という土建業をやっていたときだった。
 その頃、わたしは、戦争は敗けているし、早くやめなければいかんと思っていた。 わたしが教えを受けた玄峰老師もその意見であり、天皇陛下、鈴木貫太郎さん(終戦時の首相)も同じだったんです。 そして、戦争をやめて韓国を独立させる。 軍の一部にもそういう声があったんですが、東条(英機)や、岸(信介)がそれをつぶしていた。
 大山  先生、そのとき台湾も独立しなきゃいかんというとったですね。
 田中  そうそう。 そういった。 それで玄峰老師と鈴木貫太郎さんのとり持ちで、「これからの日本は、食料とエネルギーだ。 食料を増産し、石炭を掘らなきゃいかん」ということになった。 それで、そのため会社をつくれ、というんで神中組をつくったわけだ。
 もう敗戦とわかりましたから、わたしの家は静岡県の三島に置いて、会社は横浜、東京など十何カ所につくりました。 ちょうどそのころ、キミが飛び込んできたんだな。
 大山  その頃の先生のバイタリティーといったら、今どころじゃなかったですね。 すごかったですね。 先生は、「明治三十九年生まれの丙午だから」とよくいってましたね。 「オレは火の馬だ、高杉晋作と同じ火の馬だ」って。
 でも、わたしはあのころ何もなかったから、先生に迷惑ばかりかけていましたね。 先生だけじゃなくみんなに迷惑をかけた。
 田中  あのころキミを見たとき、「これは魅力ある青年だなあ」と思った。 「何をやる」と聞いたら「空手一筋で生きたい」といっていた。 それまで政治家なんかに会って失望していたんだね。 それで、小さいころからやっていた空手をやりたいといったんだね。
 大山  そうでした。

大山倍達田中清玄5.jpg

 田中  それでわたしは、そのときこういったんだ。 「それでやんなさい。 しかし、辛いぞ。 空手は派閥が多いし大変だぞ」と。
 その頃わたしは、和同流(※原文ママ)に関係していたので、和同流から「田中清玄顧問はけしからん。 空手の異端者を擁護している」と文句をいってきてね。 だから逆にいってやったんだ。 「なに、異端者だって。 宮本武蔵は何といわれたか。 あれも異端者といわれたじゃないか。 ほかにも流派の開祖者はみんな異端者といわれたじゃないか」と。
 あんときはケンカだったね。 でも、わたしは最後まで君を支持する旗を降ろさなかった。 結局、それがよかった。
 大山  あのときはほんとにありがたかった。 先生は、よくわれわれのようなヘソ曲がりの面倒をみてくれましたからね。 わたしのような者でも見捨てないで、よく世話してくれましたよ。
 田中  そう買いかぶりなさんな。 明治生まれはヘソ曲がりなんだ。 それだけですよ。
 大山  いや普通だったら、わたしなんか臭い物にはフタをしろって、適当にやられていたですよ。
 田中  南北朝鮮統一を促進させるには中国を動かさなきゃいけない。 空手道も、あんたの空手道を世界の空手道にしていかなきゃいかん。 極真流なんていわない。 大山空手でいいですよ。 そういう風に考えて、わたしはあんたと支持してきたんです。 あんたは、紹介者も何もなしに、わたしのところに飛び込んできたんだったね。
 大山  そうです。 そのころ敗戦になって、わたしは兵隊から帰ってきて、今でいえばツッパリ。 ぐれていたんですよ。 そのとき、たまたまある人からとても立派な先生がいると聞いて、「会って下さい」と、先生のところに飛びこんでいったんです。 これが初めての出会いでしたね。
 田中  そう、そう。

    支部は世界に八〇〇個所
 大山  先生のところには、拳法をやる人だとか、中国拳法とか、空手とか柔道、剣道をやる人とかが、ごっそりと集まってきていると聞いたもんですから……。
 田中  敗戦で引き揚げてきた軍人や、戦時中の警察なんかにいい人がいるのに、誰も引き取り手がないんですよ。 それに腹が立って、自分で全部引き受けた。 一万人ぐらいいたかねえ。
 大山 いつも姿勢をビシッとした人で、剣道の達人という人がいましたねえ。 あれは軍人だったんですね。 復員してきたけど、やることがないという人で、珍しい人ばかりが集まっていましたね。
 それで、わたしもスープぐらいはすすれないかと思って、先生のところに行ったんですよ。
 田中  その人たちもその後、自衛隊に行ったりね。 戦前の藤原機関の藤原岩市(元・陸軍中佐、元陸上自衛隊第十三師団長)もそうだったね。 彼は戦犯でひっぱられたけど、誰も殺していないので、たくさん嘆願書が出て釈放になった人です。
 大山さんは、うちでもアッという間に若手の大将になっていた。
 大山  そういっても過言じゃないですね。 (笑) どっちかというと、わたしも先生によく似ていて、ヘソ曲りの方だったから。
 田中  ヘソも曲がっていたが、ツムジも曲がっていたなあ。 「どうだ、古い空手の師範につかないか」といったら、「いや私は私の道で行きます。 生き方が自ずから違います」 といった君の言葉が印象的だったなあ。 だからわたしは「それなら自分の信じる道を行きなさい」と。 理由はいくつかありましたよ。 古い空手ではだめだとかね、一つの流派にかたまってどうするんだとか。
 ところで、大山君は今、世界にどれくらい支部があるんだね。
 大山  世界一二三ヵ国に八〇〇の支部があります。 共産圏にまでありますよ。 ないのは、北朝鮮と中共なんかの数カ国ぐらいで、あとは全部あります。
    (中略)

大山倍達田中清玄3.jpg

    尻馬に乗っての"田中攻撃"
 田中  自民党では田中派だ、三木派だ、福田派だ、と政権のために醜いケンカをしている。 田中判決のときの福田のあのテレビの放送。 田中さんが所信を述べたでしょう。 それに対して、福田さんが怒り心頭に発して、「はしにも棒にもかからない奴だ、田中は」なんていっている。
 あのテレビを見て、今まで福田を信じていた人が、「こんなつまらない人間だったのか。 憎しみだけじゃないか」と思ったでしょう。 うちの孫が「あれは仏の顔じゃない。 百鬼羅刹で人は救えない」というんです。
 大山  ほんとですね。
 田中  「あんな政治家とつきあうのはやめなさい」とうちの孫がいうんです。 これは国民の大多数がそうだったようですね。 福田の人気もガタ落ちで、「田中さんかわいそうだ」というんだ。 同じ釜の飯を食ってるんですよ。 田中は一銭も自分のふところに入れていない。 民社党にも社会党にもいってるんですよ。
 検事もいろいろ調べて、それを知ってるんです。 あの秘書の榎本敏夫が、だからやるなら政治資金規制法(※原文ママ)にしてくれとしゃべっている。 それだと微罪で軽い。 でも、田中角栄はガンとしてきかない。 政治資金規制法だと、受け取った金を誰にやったかハッキリさせなければならない。
 公明、民社でも、田中さんから資金をもらった連中は、田中さんを神様のように思っているんです。 竹入君(公明党委員長)も、表面では攻撃しているけど本気じゃないでしょう。 全部、金は出ているんだから政治資金規制法で「つけ忘れた」ということでいいだろう。 弁護士がいくらそういっても、「自分だけ逃れりゃいいというわけにはいかない」と田中さんはいって、ガンとしてきかない。
 大山  ええ、誰に金をやったかいわないためですね。
    (中略)
 田中  ギリシャのパルテノン神殿の数倍も大きいのが、今は見る影もなくなっている。 宗教も救いでなくなってるんですよ。 キリスト教同士が殺し合い、イスラム教徒同士が闘い合い、殺し合っている。
 今は一番知識が発達しているのに、人間が今、一番堕落し、自滅のところにきている。 これを救うものは何か。 共通の道を発見していくことです。 大山君は、空手の世界にそれを実行してるんです。
 大山  いやぁ、まだまだ……。
 田中  大山極真流ではなく、もう"大山空手"といった方がいいじゃないですか。 同じ空手をやる者同士で、流派のことなどで争うなんていけません。
 大山  おっしゃる通りです。 流派にこだわっていてはいけない。

    空手は世界平和の力になる
 田中  もう一ついいたいのは、もう狭い見方で、米ソの対立だとか、米ソが極だとかと政治家がいっている。どっちにつくかなんてやっている。 しかし、核兵器を持った米ソが妥協して、世界支配をしたらどうなる。 アジアもアフリカも永久に植民地になってしまう。 これに気づいているから、ヨーロッパはアメリカ、ソ連離れをしている。
 アジアはねえ、日本、韓国、中国、ベトナムなどの東南アジアの結合ですよ。 ヨーロッパは、アラブ、アフリカと連帯したり、アメリカ圏、ソ連圏に対抗していけるし、この四つが強大な力になったら、核兵器も何もかも廃止することもできますよ。 米ソだけなら二ヵ国に妥協されたら、われわれは何もできない。 二国だけが資源と核兵器を持って世界を支配するというのはやめなさい。 何もなかったら相手はいうこときくもんか。
 大山  そうです。 この前ねえ、選挙演説の時、中曽根さんいいことをいってましたよ。 「歯舞、色丹には、軍隊も何もないから、ソ連が入って島をネコババしたんです」と。 だから日本にも、漁民や日本を守る力がなくてはダメです。 それがなくて、軍備拡張反対だとかなんとかいったってナンセンスですよ。
 自分の家を自分が守らないで誰が守る。 自分の国を自分が守らないで誰が守りますか。 だから、国を守るぐらいの力は必要だと思っていますよ。
 田中  そう、その通り。
 大山  わたしたちが通りすがりに悪い奴に脅迫されても、自分に力があって脅迫されるのと、ほんとに力がなくて、こわくて脅迫されるのでは、全然違うんです。 だから、国の安泰のために軍隊は必要だと思いますよ。 いや、アジアを侵略するためにとか、そういうことじゃなくて、自分の領土を守るためにですよ。
 田中  しかも、われわれはアジアの一員なんだ。 紛れもない事実だ。 この顔が白人になりますか。 (笑)
 インドネシアの一二〇〇年続いた王家のハマーン国王の子が、自分の土地を農民に開放して永久副大統領になりましたよ。 スカルノに反対で、スハルトと一緒にインドネシア革命をやったんです。 大物ですよ。 今度、一緒にインドネシアに行きましょう。
 大山  インドネシアは、ウチの空手がものすごく強いんですよ。
    (中略)
 田中  わたしはスハルト大統領とはずっと親しくしている。 一昨年も昨年も会ってますよ。 革命当時からのつき合いで二〇年だ。 日本軍が育てたんですよ、向こうの軍学校は。
 だから、さっきいったアジア、ヨーロッパ、アラブの統合はだね、政府が反目しても、民間が、スポーツで結合することもできるんです。 空手はその結合の大きな力ですよ。 そういう大きな意味がある。
 政府も動かして、世界の人々の融和のバックボーンとしての空手。 結び合いの道具になる。 だから一月の空手大会には、挨拶もそういう点に重点をおいてやります。
 大山  世界大会の時ですね。 いつも心づかいいただいてありがとうございます。

大山倍達田中清玄4.jpg

    自分本位で徹底的な交流を
 田中  わたしは、この人物と思ったら、誰が何といおうと、悪口いおうと、支持します。 (笑) 田中角栄さん、されに大山さん、みんな立派だから。
 山口組の田岡さん(前組長=故人)とのつき合いもそうだった。 田岡さんは、韓国の人と部落の人を特別にかわいがった。 それも公然と。 山口組はなかなかやかましくて、他の組の人を入れなかったんです。 でも韓国の人には寛大だった。 でも、条件は厳しくて「素人に手を出すな。 麻薬に手をつけるな、麻薬をやったら切る。 生業を持て」の三つの掟があって、田岡さんが守らせるようにしてましたね。
 大山  ほう、そうでしたか。 立派なものですね。
 田中  それと組員に、国を愛することも教えてやりましたね。 だから、神戸興業社をやったり、土建をやったり、港湾運送業をやったりしてました。 藤木さん(横浜の港湾荷役会社経営)とも兄弟分でしたよ。
 大山  先生は戦前、ずっと刑務所に入っていて、山口組の若い連中と一緒だったこともあるんでしたね。
 田中  そう。 わたしは長く入っていたから牢名主になっていて、あそこ(山口組)の若いもんの世話をしてやったりしましたよ(笑)。 それに朴烈という韓国人で、戦前、天皇陛下をねらって捕まった男が入ってきましたが、獄中ではずっと差別待遇されてました。 (アナーキストから)転向したので死刑から無期になったんですが、すいぶん差別されていたので、わたしは「韓国人だといっても立派な人だ。 かわいそうじゃないか」といって、できるだけかばって世話をしてやりました。
 大山  そういうところが、いかにも先生らしいですね。
 田中  わたしは思想的に右へいったり左へいったり、ともかく規則をぶちこわしたい方だから、刑務所の規則も守ったことがないですよ(笑)。
 朴烈君は獄中生活が長かったから、羊かんを食べたがってね。 それでヨッシャってんで、看守をうまくごまかして刑務所の中に羊かんを持ちこんで食べさせてやった。 朴君は涙を流して喜んでくれましたよ。
 敗戦後、わたしが身元引受人になって出獄しました。 南(韓国)は彼を重要視していましたが、彼は李承晩(元韓国大統領)さんと合わなかったんですね。
 大山  どうしてですか。
 田中  李承晩さんは親米なのに対して、朴君はアジア派だったからです。 だから朴君は「オレは李承晩の韓国には帰らない。 南北を一本にして統一国家を作りたい。 北は共産主義で間違っているが、北にはリ・トウキンなどの古い友人がいるかrあ、自分が行って説得してくる」といって、わたしのところにも相談に来たんです。
 大山  ほう、たいへんな情熱家ですね。

大山倍達田中清玄2.jpg

    衝撃的だった朴烈君の死
 田中  だからわたしは忠告したんだ。 「あんたの主張は正しい。 オレも支持はするが、北へ行くのはやめなさい。 共産主義なんてそんな甘いもんじゃないよ。 行ったら殺されるかもしれんぞ。 もっと時期を見てやりなさい」と。
 朴君は、奥さんをもらって新宿区下落合に住んでいたんです。 そこからわたしのいる三島にも来たので、最後迄説得したけれど、愛国の情やみがたしだったんでしょう。 彼は「殺されてもわたしはやります」といって、祖国へ帰っていった。 ところが、案の定、北朝鮮の金日成にやられた。 スパイとして殺されてしまった。
 大山  殺されたんですか。
 田中  死刑になった。 彼はスパイなんかじゃなかったんですよ。 かわいそうなことをしてしまいました。 慰霊祭をやってやろうと思っているんです。 わたしが出獄のときの身元引受人になっているから、わたしが主催者になるつもりだが、大山さんも名前を出してくださいよ。
 大山  わかりました。 わたしは朴烈さんの子供は、韓国の将校だということを聞きましてね。 わたしが陸軍士官学校にいったときに、彼の子供が陸軍士官学校に入っているということを聞いたので、今は将校になっていると思いますよ。
 田中  へえ、そうだったの。
 大山  朴なんという名前がわかりませんが、いるハズです。
 田中  そんな話、初めて聞いたね。 それ、調べておいて下さい。
 大山  わかりました。 田中先生にはもっといろいろ発言していく場をマスコミが作らなきゃいけませんね。 この前、ある代議士に会ったら、「国会の赤じゅうたんを闊歩するのは国会議員ではなくて新聞記者だ。 日本の政治は政治家がやってるんじゃなくて、新聞社がやってるよ。 これはマスコミ自身が襟を正して考えなきゃいけない」。 わたしは田中角栄さんには会ったことはないけれど、いまはペンの暴力ですよ。 ほんとは、内心同情しながらも悪口をいわないとついていけないと思ってるんですね。
 日本全体の、こういう傾向はわたしたち自身、大いに反省しなければなりませんね。
 田中  そうだよ。
 大山  でも、先生のような方は長生きしてもらいたいですね。 国宝級ですよ。 何かあったらアジアの損失です。 お世辞でなく。
 田中  いや、ありがとう。


 という事で対談でした。 大山倍達総裁と田中清玄先生の関係は、メジャーになる前は別に隠したりしてはいなかったのですが、70年代になるとあまり話が出なくなります。 80年代になって「月刊パワー空手」で大山総裁の足跡を辿るという基佐江里さんの連載が始まってからですかね、名前が出る様になったのは。 それから、でしょうか、この対談の後に開催された第3回世界大会では挨拶を寄せたりしてます。 この時の大会の役員はメッチャ豪華で、国王2名、王族3名、元米国元大統領1名、各国首脳3名、元/現役国内大臣6名(総理大臣を含む)。 他にも国内外の議員とか、大学教授や宗教家や元ヤクザや警視庁の役人とか…w そして多分田中先生のルートだと思いますが、インドネシアの将軍とかもいらっしゃいます。

 で、対談序盤に武道家の話がありましたよね。 これ、多分なんですが、当時田中先生の元で働いていた養神館の塩田剛三先生、太氣拳の澤井健一先生とはここで出会ってるんじゃないかなぁと。 時期的には46年〜50年のどこかだと思いますが。 田中先生を知ったのは東亜連盟か、朴烈氏が初代団長を務めた在日本朝鮮居留民団辺りからでしょう。

大山倍達田中清玄6.jpg
目白の大山邸建設中の写真

 で、目白時代の大山総裁の家、通称「目白御殿」を建築したのは田中先生の三幸建設で、劇画にある様にアメリカで稼いだ金で建てた訳じゃなく、渡米前に建築されてます。 この目白御殿建築中の写真がありますが、大山総裁は澤井先生と一緒に写ってますね。 手持ちの写真では右端の方が切れてるんですが、田中先生に見える様な気も…。
 大山総裁の戦後は、所謂戦後の裏面史にも繋がっており、多大な興味を持っている方もいるかと思います。 政治的に大きな役割を果たしたかどうかは不明ですが、生前にこういった側面の大山倍達を語って欲しかったですね。
 それでは、また。


参考文献:
第3回オープントーナメント全世界空手道選手権大会 国際空手道連盟 財団法人 極真会館 1984年
月刊空手道 1957年 新年号 空手時報社 1957年
政界往来=Political Journal 1984年2月号 政界往来社 1984年
別冊宝島1150号 時代を動かした闇の怪物たち 昭和・平成 日本「黒幕」列伝 宝島社 2005年
武道日本 森川哲郎著 プレス東京 1964年
巨人 大山倍達の肖像 -ゴッドハンドの軌跡 国際空手道連盟極真会館監修 コア出版 1984年
大山倍達正伝 小島一志、塚本佳子共著 新潮社 2006年
田中清玄自伝 田中清玄・大須賀瑞夫著 筑摩書房 2008年



 






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コメント
田中清玄先生には確か大山先生がご結婚前に奥様を田中先生のご自宅に花嫁修業に出されたと伝聞しております。そしてご自身は空手修業に打ち込まれたとか……。それにしても大山先生の人脈は超大物が多いですね。柳川会長にしろ毛利先生にしろ、各方面の大物とお付き合いが出来る大山先生にあらためて敬服する次第です。
>名誉五段さん
そうですね、三島の田中先生の家に連れて行かれたと、事務長も話してました。
そういう事を頼める間柄だったと言う事ですねぇ。

清濁併せ呑むのが大山総裁ですが、今回参考にした「日本「黒幕」列伝」の中でピックアップされている人々の内、数名と付き合いがあります。 続編と合わせると10名位いるんじゃないですかね。
裏面史から見るとかなりの人脈だと思います。
  • Leo
  • 2012/07/21 9:58 PM
すごい人達と繋がってますねぇ。これだけの人脈があるのに笹川良一と揉めたとき助けてかれなかったのかな?と思いました。
  • やいや
  • 2012/07/22 6:26 PM
>やいやさん
まぁ、あれは誰が首を突っ込んでも特にはなりませんからねぇw
公然と口喧嘩出来たのはこの人脈が物を言ったのかも知れません。
  • Leo
  • 2012/07/22 7:51 PM
二度目まして
小菅で 清玄先生が 懲罰を受けて 手錠をはめられたさいに 手首を脱臼させて 外すということをよくやっていたそうで ネタ元は 昔の文藝春秋からですが こういうことってできるんですか?

  • くれど
  • 2012/07/26 3:35 AM
>くれどさん

二度目ましてw 数増えたら大変そうな挨拶ですねw

ぶっちゃけ、手首を脱臼させても手錠は外れないんじゃないですかね。
実際に手錠嵌められると分かるんですが(腕時計でも可)、手首を脱臼させても手錠の拘束を解くのにはあまり意味が無く、親指を脱臼させないと抜けないと思います。

手錠の仕組みは、手首の細さが手の大きさ以下だと言うのを利用して成り立ってる訳ですし、手首がどうなろうと、手錠には関係ありませんよね。

元々関節のソケットが緩く、容易に脱臼するのを慣性脱臼と呼び、怪我などで脱臼した後、それが原因で容易に脱臼する様になるのを反復性脱臼と言いますが、田中先生がいずれかの方法で親指を脱臼させて手錠を抜いてたのならあり得るかと。

ただ、本人が手首と言い張るのなら、それは怪しいですw
  • Leo
  • 2012/07/26 10:28 PM
http://blog.livedoor.jp/k_guncontrol/archives/51429449.html#comments

三度目まして
よそ様のページに リンクを張ってもらったものですが

清玄先生の実母の写真を発掘しました ここのトップに出ている 清玄先生と 早稲田大学理事の田中愛治先生に激似なんで 笑ってしまいました

総裁と清玄先生の接点は 東亜連盟に 清玄先生の昔の先輩の淡谷さん(のり子さんの叔父)がいた縁でもいいと思うんですが 戦時中の神中組が 朝鮮人の徴用を使っていた縁ということでいいんじゃないでしょうか?在日の方って 戦争協力って ある面では黒歴史ですから
  • くれど
  • 2013/02/20 9:33 PM
>くれどさん

これはまた結構なものをw
確かにそっくりですねぇ…w
性格とかも似てるのかなぁ。

徴用もありかなぁとは私も思ってます。 ただ、仰る通り、この頃の朝鮮人の戦争協力話ってあまり詳しい話がまとまって出ていないので、中々調べるのが難しいですよね。 千葉の方にいたのは間違い無い様ですが。
特に私なんかは付け焼き刃の知識で掘り下げてるので、知りたい情報にリーチするのは大変ですw

ただ、仲立ちしたのは椎柱先生の可能性が強い気がしますねぇ。
後、田中先生に見込まれたのは、朝連との抗争かな、と予想してます。
  • Leo
  • 2013/02/20 9:54 PM
小宮山英子さん この方が 小菅に 毎月一回 面会に行く際に 西村わかさんという 赤色救援会にいた方の家によっていたんですが 椎柱先生も ここに よって 朴烈に会いにいっていたという可能性はないですかね?

  • くれど
  • 2013/02/20 10:56 PM
>くれどさん

あると思いますよ。
ちなみにアメリカに行く前ですが、大山総裁は阿佐ヶ谷だったかな、朴烈が住んでいたという家に住んでた時期があるらしいです。
  • Leo
  • 2013/02/20 11:57 PM
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