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大山倍達マニアック検定

【レビュー?】深沢茂樹著「いつの日か 男は狩人」(1980年)

JUGEMテーマ:空手
 


 えー、「日大の龍」を扱ったら、「城西の虎」を扱わないといかんでしょうw
 という事で、1980年に出版された添野義二先生の評伝、「いつの日か 男は狩人」を紹介します。 添野先生の自伝や評伝はいくつかありますが、出版はこれが最初ですね。 そして極真としてはこれが最後でした。


いつの日か男は狩人1.jpg




 本書は添野先生の大学同期である深沢茂樹氏が執筆されており、詩人でもあられると言う事で、章の間には詩が載ってます。 そう言えば2004年に出た石野弘氏の添野先生の評伝?「人には超えられない山がある一言を」にも詩がチラホラ載ってましたねぇ…添野先生の趣味なのかな?

いつの日か男は狩人4.jpg

 ちなみに、本書の題字を書かれているのは、野呂雅峰先生、豪華です。
 
 豪華と言えば序文ですね。 大山倍達総裁に梶原一騎先生。 国内では極真門下生として初の出版だったので、気合が入ってます。 ただ、間もなく訪れるであろう別離を思うと、少々寂しくもありますが。
 大山総裁からはこの様な評価でした。

 私と添野君は、親子関係と思っており、非常に期待をしている青年であろう。
 彼は頭脳明晰であり、極真会館の次の世代を背負う人材ではなかろうかと思っている。
(中略)
 彼は旗頭になりうる人物であり英雄になれる素質を持っている。
 これは決してお世辞ではなく、私は添野義二が私の弟子であることに誇りを持っている。

 で、梶原先生はこんな感じ。

 添野君は一面、非常に知性的なものを持っており、今後が大いに期待されうる人物である。
 彼を評して一言で現わすなれば、「絵になる男」であろう。
 極真の猛虎よ、大いなる夢を描いて生きよ!

 では目次。

    ――第一章――
          大学創設期には傑物が輩出する
霧雨の大テント入学式
空手部の三羽烏
城西大学部落と台風
極真空手道部創立

    ――第二章――
         連盟加入、そして空手道部大脱走
奇蹟の連盟加入
ついに部員、大脱走
胆力――城西魂
大学祭――力を合わせる
        ことの素晴らしさ

    ――第三章――
        生い立ち・ネリカンと二人の恩師
長靴とオンボロのラジオ
極真空手入門
ネリカン――一人ぼっちの日々
狭山ヶ丘高校へ

    ――第四章――
        キック・ボクシング
            崖を背に闘いの日々
デビュー戦からメイン・イベンター
実戦修業――城西の虎
激戦・そして、故郷で後援会発足
頬を切る からっ風の中で

いつの日か男は狩人8.jpg

    ――第五章――
        バンコクでの日々……そして、
                ニューヨークへ
一人、ムエン・タイの国へ
スタミナの源・玉子焼き
ニューヨークへ!

    ――第六章――
        添野道場――極真空手・命の道
添野道場開設
実戦支部作り――確固たる歩み
薫夫人のこと
唸れ! 若虎たち

    ――第七章――
        義二と私
義二と私のこと
『新選組』
詩人・新井正一郎師
武者小路実篤先生との出合い

    ――第八章――
        青春こそ自分自身のもの
○青春、その生き方
○『遊び』というもの
○遊びの法則・費用・時間・
        体力・そして知恵

    青春の軌跡
    昇段規定及び資格
    あとがき


 本書執筆時点での添野義二先生は1970年3月に開設した東京都下・埼玉支部長として30数カ所に分支部を持つ大支部長。 そして、自身の経験を活かしたキックボクシングのジム、「そえのジム」も並行して運営されており、かなり変わった立場だったと言えますね。 その上、大山倍達総裁、並びに梶原一騎先生の寵愛を受ける…この半ば特権の様な立ち位置は、軋轢の一因になったと言われています。

いつの日か男は狩人6.jpg

 支部拡張時の話に1章設けられていますが、個人的には興味深いですね。

 さておき、本書は筆者が大学時代の同期、という事もあってか、城西大学空手部時代の事が実に生き生きと描かれております。 この話が面白いですw

いつの日か男は狩人5.jpg

 今では見る事も無いであろう、学帽下駄履きに袴という、バンカラ姿な添野先生の写真も貴重だとは思いますが、そのバンカラな大学生活も色々載ってます。 ちなみに実際にシゴかれた側である、城西大学空手部出身の故睫攘粟萓犬「わが師大山倍達」で書いてますが、これが酷いw
 部員大脱走事件というのが当時ありまして、本書の中でも一項目設けてありますが、本書の中ではちょっとイイ話風に書かれていますが、これを実際に脱走に加わった睫收萓犬梁Δら見ると結構酷い話で、当時添野先生が活躍されていたキックボクシングの大会チケットの割り当てが負担になったという金銭的な事情があっての脱走だと明かされてますw

いつの日か男は狩人2.jpg

 しかし社会人や普通の学生が多い通いの道場生と比べ、時間に恵まれた城西大学空手部は、短期間で実力を身に付けて行きます。 全日本学生空手道連盟に加盟した事もあってか明確な目標を持っており、極真会館主催の1969年の第1回全日本空手道選手権大会に多大な貢献をします。 何と、全48名の参加選手中、10名(添野先生を含む)が城西大学空手部員でした(私の見立てが間違って無ければ、ですがw)。

いつの日か男は狩人7.jpg

 この添野先生の指導力の高さは折り紙付きで、極真時代にも全日本入賞者を輩出し、キックでもスネーク佐保田(全日本フライ級王者)を育てています。 退会後も数々の名選手を育てていますよね。

いつの日か男は狩人3.jpg

 キックの方は最終的に参加していたNET系がキックから撤退する事が決定したのと、蓄積したダメージにより脳波の異常が発見されたと言う事で引退しましたが、空手の方は第4回まで出場されていました。

 極真ブーム時代に書かれたこの本、未読な方は是非。


 という事で、深沢茂樹著「いつの日か 男は狩人」でした。
 極真ラブな一冊なのですが、添野義二先生退会の原因となった本でもあります。
 先に山崎照朝先生の記事を書いたので、だったら添野先生の事もピックアップするかぁ、くらいの軽い気持ちでレビューしました。
 ところで、本書では添野先生のタイ遠征について、何度も試合をした風に書かれていますが、当時の記録を読む限り、1969年の10/22〜11/2の11日間です。 試合が出来たとしても1試合がいいとこでしょうね。 単純に出稽古に行った、というのが真相の様です。
 添野先生の他の評伝、自伝については、また書く機会があるかと思いますので、今回はここまで。
 それでは、また。


参考文献:
第1回オープントーナメント全日本空手道選手権大会プログラム 国際空手道連盟財団法人極真奨学会極真会館 1969年
第3回オープントーナメント全日本空手道選手権大会プログラム 国際空手道連盟財団法人極真奨学会極真会館 1971年
現代カラテ 1969年12月号 現代カラテ研究所 1969年
いつの日か 男は狩人 深沢茂樹著 けん出版 1980年
わが師大山倍達 睫攘庵 徳間書店 1990年
極真外伝 〜極真空手もうひとつの闘い〜 ぴいぷる社 1990年
人には超えられない山がある一言を 石野弘著 土屋書店 2004年




 






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コメント
拳の眼、いつも楽しく読ませていただいています。
これは懐かしい本ですね・・・
古本屋を探し回って見つけ今だに本棚にあります。
一本背負いの写真がありますが、添野先生は柔道も使えるんですね。
第二回世界のウィリー対三瓶さんの試合で、ウィリーを投げ飛ばした
シーンを思い出しました。
  • 極真ファン
  • 2012/07/29 11:11 PM
>極真ファンさん
背負いは添野先生の得意技だった様です。
写真は第1回の時の物ですが、第2回の映像でも、見事な背負いを繰り出していました。
  • Leo
  • 2012/07/31 8:54 PM
添野先生の話題がでましたので、久々にコメントさせていただきます。
「キネマ旬報データベース」のなかに添野義二 出演「空手戦争機Εオカミ」という1983.8.23公開の映画データがあります。この映画については全然 知らなかったのですが、どんな映画かご存じであれば教えて下さい。
気箸いΔ海箸廊彊聞澆發△襪里任靴腓Δ

  • 2012/08/01 1:24 AM
真樹日佐夫の空手大戦争のことでは。
  • やいや
  • 2012/08/01 9:59 AM
>烈さん&やいやさん

おっと、これは初めて聞きました。
タイトルからすると、「月刊少年マガジン」の「空手戦争」っぽいですね。 「オオカミ」と言うのは、主人公の大神達矢の様ですし。
しかし、原作者の梶原一騎の名前がありません。 まぁ、大山総裁も原作に名を連ねているので、当時の関係から察するに、名前を出さなかった可能性もありますが。

真樹先生が出た方の映画は三協映画の「カラテ大戦争」で78年公開ですから、これでは無いのは確かです。
制作者の大半が実績が無いみたいですし、時期的には…83年の8/23なので、梶原先生が恐喝で逮捕されて、保釈後に壊死性劇症膵臓炎で倒れた直後ですね。 やっぱり何か関係あるのかな?

下記の掲示板にチラシらしきものがありましたが、何か普通の配給映画っぽく無くて、自主制作のショートフィルムとか、そんな雰囲気がしますw
一部の映画館のみ…例えばショートフィルム専門とか、レイトショーの映画館だけで公開され、全国配給は無かった可能性もありますね。

http://kussy.sakura.ne.jp/past_bbs/bbs40.cgi?num=536

何かご存じの方は書き込み下さい。
  • Leo
  • 2012/08/01 11:25 PM
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