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大山倍達マニアック検定

幻の極真ジム 3(1969年)

JUGEMテーマ:空手 


 さて、今回はあまり語られた事の無い時期のNET系キックとなりますかね。 大体は始まった頃と終わる頃の話ばかりで、中頃の話はありませんし。
 では、どうぞ。

前回はコチラ

***

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 1969年5月4日、特に告知された訳では無かったが、山崎照朝が引退した後、NET(現・テレビ朝日)は16時から30分間、「ワールド・キックボクシング」の放送を開始した。 1回の興行を2回に分けて放送し、毎月東京と地方で1回興行するというスタイルだった。 先発のTBSキックや協同系(日本テレビで放送)キックに割り込むという異例の事態だったが、更にここに東京12チャンネル(現・テレビ東京)がキック中継を検討しており、最悪キック中継で民放4局が争うという事も噂されていたと当時の「ファイト」紙にも書いてある。



 TBS系は沢村忠を始めとして多くのスター選手を擁しており、投げを認めた事で、派手な投げや跳び蹴りなども多く見られた。 協同系は本場タイのムエタイルールに合わせており、TBSに比べると地味な感を否めなかったが、実力の協同系、人気のTBS系の様に見ていたファンも少なからずいた様だ。
 しかし、NETがこの2局の間に割り込むにあたって、あまり覚悟があった様には感じられない。 かつてNET系のキー局であったMBS(毎日放送・大阪)は放送を拒否しており、全国ネットとは行かなかった。
 実はこの時期、NETでは長年NTVが独占していた日本プロレスの放送をこの5月から始めるという話があった。 実際この話は決まり、5月12日に正式に調印。 ジャイアント馬場、坂口征二などは放送しないが、アントニオ猪木をメインとして7月2日より放送が決定、番組名は「ワールドプロレスリング」

日刊スポーツ19690511.jpg

 こうして、NTVとNETで日本プロレス、TBSで国際プロレスと、奇しくもキックと同じ構図となった。 これにより、NETの運動部がプロレスをメインに据え、そもそも反対の多かったキック放送は、更に力を削がれて行ったのでは無かろうか。

***

 「ワールド・キックボクシング」(以下NET系)の興行第3回目は5月27日、埼玉県の所沢市民会館での開催が決定した。 添野義二によれば埼玉では初のキック興行だったと言う。 極真ジムからは添野が出場。 また極真ジムでは無いが、在日米軍朝霞キャンプの極真門下、トニー・エモンズの2名。 そして今大会より大山倍達と親しかった故・山田辰雄の日本拳法空手道が設立した杉並ジムが参戦する事になった。 山崎もセコンドに着いた様だ。
 尚、月2回興行と言う事で、5月の別興行を探したのだが、今回は見付からなかった。 ちなみに当時の「現代カラテ」にもこの日の興行が3回目の公開録画撮りとあるので、5月は1回しかなかったのかも知れない。 しかし、私がカウントした5回目の興行で6回目の興行と記事にはあり、報道されなかった、もしくは私が見落とした興行が1つあった可能性がある。 その為ここではその1回は無かった前提で書く。

 観客は雨天の中満員だった様だが、会場規模の問題で2000人。 立ち見も多かった。 オープニングバウトに出場した杉並ジムの鶴田幸成は4ラウンド54秒、タイのチャイ・ワットにKO勝ち、第3戦の同ジム所属、江口和明もバイトウーン・ベッチャブーン(タイ)に1ラウンド2分7秒でKO勝利を修めた。 後にNTVで大暴れする2名は、その実力を遺憾なく発揮した。 協同ジムで活躍する錦利弘を育てた山田道場の面目躍如、と言ったところか。

日刊スポーツ19690528.jpg

 荻窪ジムのエース、松本敏之はタイのデン・レックに1ラウンド45秒、KO勝ち。 これで3連続KOとなった。
 メインイベントは添野。 添野は沢村忠を育てたと自称するバイオク・ボーコーソ―が素質ある選手について問われた時に真っ先に名が挙がるほど見込まれていたが、タイのルマナチャイ・ル・チャウファーと対戦しフルラウンド闘うも、判定で惜敗、2連敗となったが、ルマナチャイはミドル級、添野はウエルター級、1階級違う事を考えると善戦と言えるかも知れない。 次の興行は6月3日、静岡の熱海後楽園と決まった。

***

 プロモーターの再三の要求を蹴っていた山崎は、カンナンパイ・ソントーンと親しく付き合ってムエタイを研究していたが、プロモーターに泣き付かれた大山の要請により、次の興行後、6月24日の蔵前国技館に出場する事が決まった。 ムエタイスタイルを自身の空手に取り入れ、同程度の体格の者にはムエタイは有効だが、大きな外人となると、腰を落とした空手スタイルが良いなど、色々と試行錯誤する中、大山にこう言われたのだ。

 それは、館長のところへ再三再四の出場要請があり、館長も相手が気の毒になったらしく、
「君、何回も私の所に来て、君が出てくれるように頼まれるんだが、気の毒だからもう一度出てあげたらどうかね」といわれたのである。 そして
 「これを最後にして、全日本選手権に全力をぶつけなさい」ともいわれた。

 そして極真の本部には取材に来た「日刊スポーツ」の前で前羽の構えを取り、佐藤勝昭らが持った板を得意の前蹴りで割るシーンが紙面を飾った。

日刊スポーツ19690604.jpg

 しかし、この日は熱海後楽園での興行の翌日。 興行の様子は結果のみで、内容については報道されなかった。 この山崎の特別待遇は他のジムの不興を買った様だ。

 さて、6月3日、前述した様に熱海で大会が開催された。 観衆は2500人。 この日は2月までTBS系に参戦していた松戸キックが合流。 これで極真、荻窪、山田、杉並に続いて松戸と、国内5つのジムが参戦する事になった。 和同ジムは既に撤退したのか、ペティ・タシロがフィリピン人として参戦したのみである。
 参加ジムが増えた事で、従来の5回戦の他、3回戦でのルーキー試合が決まった。 松戸キックの選手は皆日本人と試合。 3試合目からが5回戦。 極真ジムの及川宏(現・大川宏)が久々の参戦。 ペティ・タシロと対戦した。 しかし及川は2ラウンド2分43秒、KO負けを喫した。 添野が言う腹が減ったからと試合前に飯を食い、膨らんだ腹を蹴られてKO負けしたという仲間は、及川を指すのでは無いかと思われる。
 荻窪の松本、杉並の江口はそれぞれKO勝利。
 2連敗の添野はイギリスのスティーブ・ベック。 恐らくは極真門下のイギリス人だと思われるが確証は無い。 試合は2ラウンド34秒、添野がKO勝ちをした。

添野義二2.jpg

 そしてこの日のメインは杉並の武田民男と当時NET系最強のタイ人、カンナンパイ・ソントーン。 結果はカンナンパイが3ラウンド1分43秒、武田をKO。 次戦の山崎戦に期待が寄せられた。

***

 6月24日は蔵前国技館という初の大舞台。 NETも気合が入っていた様で、「チャリティサマー・フェスティバル」と題し、社会福祉法人日本門人連合会が主催、キックボクシングと歌謡ショーを2部に分けて開催する事となった。

ポスター1.jpg

 6000人が見守る中、歌謡ショーに参加するのは日野てる子、永井秀和、菅原洋一、仲宗根美樹、じゅん&ネネ、ノンちゃんと兄ちゃん、泉アキ、当真美智子。山本リンダ、笹みどり、津山洋子、ジェリー藤尾、そして演奏は小俣尚也とドラビングメン。 それぞれリングで持ち曲を披露し、フィナーレは全出場歌手がリングに上がりジェリー藤尾の「聖者の行進」に合わせて踊った。

極真ジム.jpg
後ろには仲宗根美樹と日野てる子

  第2部のキックでは5回戦に中京ジムが初参戦、所属のトミー・片山(恐らくは後の片山源太)が杉並の江口と対戦した。 結果は片山が3ラウンド2分38秒でKO、初戦を飾った。
 セミは添野が再びルマナチャイと対戦。 添野が判定で屈し、リベンジは成らなかった。

 そして、期待の山崎とカンナンパイの再戦。 この頃までに山崎とカンナンパイは友人となっており、山崎は左の蹴りを学ぶなど、親しく付き合っていた。 その為、前回と違い山崎の気合もあまり入っていなかった様だ。 また、練習中に足を怪我してしまい、痛み止めの注射を打ってリングに上がった。
 試合前、カンナンパイはこう語っていた。

前羽の構え.jpg

「何人もの日本のキックボクサーと戦ったが"こわい"と思ったのは山崎と添野だけだった。 あの空手の構えに幻惑された。 それに蹴りが強い」

 試合は蹴る山崎に対してカンナンパイがその足をホールドし、肘を落とすという展開。 それに対して山崎は巴投げでカンナンパイを投げる。 結果は、山崎の判定負け。 試合後、カンナンパイは山崎をこう評した。

日刊スポーツ19690625.jpg

「きょうの山崎はこの前のようなすご味はなかった。 どうかしていたんじゃないの……」

 初の敗北ではあったが、「武道に再戦はない」と考えていた山崎は試合後も冷静で、自分が未熟であったと振り返る。 同僚が試合前に負傷した山崎の足を気遣う中、

「もう一度、こんどはベストコンディションで戦いたい、そして勝ちたい」

 と語ったが、どこまでその気があったのか不明である。

***

 この時期の極真ジムは、極真会館と微妙な関係にあったと思われる。 極真会館としてどこまで関わるべきなのかの線引きが出来なかった様だ。 秋に初の全日本大会を控えた極真は、機関誌の中でこう書いた。

 しかし、まちがえてはいけないことは、極真会館及び大山師範は、あくまで、極真ジムに対しては親身なアドバイザーであり、協力者であるかも知れないが、極真ジムそのものの運営、決定は、極真ジム独自のものであり、尊重される自主的なものである。 大山師範及び極真会館はそれによって利を得ることはいささかもない。 前号の極真ジムに関しての記事でこの事をつけ加えておく事をしなかったために、多くの人々に、あいまいな点を残したかもしれないが、極真ジムそのものは、極真会館での修業者の自発的な意志による自主共同体なのである。

 添野にジムを作れと要請したのは、この頃だったのでは無かろうか。 実際にジムが完成するのは暫く先の事となるが、大学4年生の添野は師である大山に命じられるまま、建設に着手した。 添野が「自主的」に参加した結果、城西大空手部から後輩たちが参戦する事になる。

***

日刊スポーツ19690611.jpg


 6月28日、TBSキックは日本武道館に進出、東洋チャンピオン・カーニバルを開催、7階級の東洋チャンピオンを決めるという大掛かりな興行を成功させ、1万3千人を集めた。 更に9月からはキック中継を1時間に拡大。 キック中継戦争の戦端を開いた。

 7月8日、足立区体育館に1500名集めた6度目の興行が行われた。 極真からは誰も出場しなかったが、この日は江戸川ジムが初参戦。 カンナンパイは杉並の鶴田と対戦し判定勝ち。 この試合で契約が切れたのか、その後NET系には出場していない。

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 7月24日、協同系は野口プロとの韓国キック争いに勝利し、ソウルで第1回日韓対抗キックが実現。 6月の始めに交通事故で鞭打ち症になっていた大沢昇(藤平昭雄)も参戦した。 人気選手の大沢や錦はこの7月、米子や出雲、鳥取と3箇所を巡業し、地方を開拓した。

 7月26日、NETは再び大田区体育館に戻ってきた。 3000人を集めた今大会では、極真から添野と城西大空手部の後輩、渡辺宣が劇画「あしたのジョー」の主人公、矢吹丈を名乗り参戦。 この興行から城西大の後輩が参加する事を考えると、6月から7月の間に添野に対して極真ジムの権限が委譲されたのだと思われる。
 その矢吹であるが、松戸キックの中島広二と対戦、1ラウンド2分9秒、KO負けを喫した。 添野はセミで出場、松戸の上月純と対戦し2ラウンド終了時にTKOが宣せられ勝利した。

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 また、出場しない山崎に変わってNET系のエースとなった松本はこの日もメインを飾り、6連続KOと記録を伸ばした。

松本敏之.jpg

 8月2日、東京12チャンネルがキックの中継を開始した。 主体となる岡村プロモーションは春から着々と準備を行っており、後楽園ホールで7月26日に行われた旗揚げ興行の様子を中継した。 そして主力ジムには元極真最高師範、黒崎健時が会長を務める目白ジムの名があった。 恩師の黒崎が本格的に活動を開始した事で、協同ジムのエース、大沢も移籍を検討し始めた。 元々大沢は極真時代に黒崎が協同側と渡りを付けて預けた様な形になっており、大沢を縛る契約は何も無かった。 しかし、実際に目白ジムで再デビューするのは翌年2月26日の事になる。 これにより、キック界は民放4局でそれぞれ中継されるという泥沼状態に陥り、2ヶ月後にはキック中継の視聴率が頭打ちとなる。

 8月8日、柏市東葛高体育館(東葛飾高校?)で8度目の興行。 観衆5000人を集めた大会には極真ジムから新たに2名がデビュー。 いずれも城西大空手部のメンバーと思われる。 3回戦に出場した極真ジム所属の選手は渡辺昇、本名かリングネームかは不明。 山田の康永五郎と対戦し1ラウンド2分12秒でKO負け、続く5回戦には姿五郎が出場。 後に城西大空手部2代目主将となる荒木信二のリングネームで、添野が命名したという。 姿は松戸の立 明と対戦、判定で勝利した。

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 またこの日は後に全日本キック選手権で"鉄腕錦"こと錦利弘をKOで屠る山田ジムの増沢潔が出場。 杉並の鶴田と対戦して4ラウンド1分26秒、KO負けを喫した。 そしてタイからは元ラジャダムナン、ライト級1位のピラポン・ルンピーンが初参戦、元ウエルター級国際式ボクシングランカー、松戸の岡鉄二を肘とパンチの猛攻で攻め、2ラウンドでKOした。

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 この日は前宣伝では山崎がサカオ・チャルムーンと対戦する事になっていたが、9月の全日本に出場する予定の山崎がキックに目を向ける事は無かった。

 8月22日、この日は聖地、後楽園ホールでの初興行。 2000人を集めてチケット売り切れが続出した。 そして個人的に気になるジムの参戦があった。 新聞には「九州・大塚」というジムの名前がある。 これは、後にプロ空手を旗揚げする大塚剛の道場では無かろうか?

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 この大塚からは古賀和久、中島正寛が参戦した。 この他にも清山というジムから久保昭二が参戦している。 極真ジムからは添野が出場。 メインはエースの荻窪ジム、松本だが、セミは添野が務めた。 添野は極真門下のニュージーランド人、トニー・ファイムと対戦。 2ラウンド17秒でKO勝利を修めた。
 
 4つ目のキック中継が開始され、過酷さを増した生存競争の始まりが始まったこの暑い夏もようやく終わりを告げようとしていた。 そして極真は初の全日本大会開催に向けて空手の各流派やキックジムに参加を呼び掛け、NETに出場しているタイ人の参加も決定、23日には赤坂のニュージャパンで新ルール発表会を開催、山崎もルール説明で後輩の長谷川一幸と共にモデルを務めた。

日刊スポーツ19690824.jpg

 キック界の混沌を尻目に、大山の長年の悲願が達成されようとしていた。



 という事で連載3回目でした。 本文中にもありますが、5月の興行が見付からなかったんですよねぇ。 それだけが心残りw
 あ、でもほぼ毎回出場している荻窪の松本敏之選手を中心にすると1試合欠場しているので換算で7興行目に6連続KOとなってます。 だから正しい様な気はするんですけどねぇ…。 ただすっごくモヤモヤしますw
 纏まってるデータがあればそれを元に調査するんですが、当時のキック界は混沌としてて、対戦記録や興行記録のデータを纏めた様なのは殆ど無いみたいです。
 なので今回の調査の手法は、NET系キックの旗揚げから解散まで月2回の興行、を前提としてローラー作戦を取りましたw
 主催は「日刊スポーツ」なので、「日刊スポーツ」をメインとしてダーッと調査。 まぁ、一部は興行した日を知ってるので、そこは押さえつつ、ですが。 ですので、個人でデータ化している人はいるでしょうが、出版されてる物は無さそうですね。 その為、極真ジムの歴史は「ワールド・キックボクシング」の歴史、結果的に全ての興行記録を押さえる結果となってしまいました。 …短い歴史で良かったw
 
 あと2回でこの連載も終わる予定です。
 それでは、また。


参考文献:
日刊スポーツ 1/14,2/24 1964年
 4/16, 4/26, 5/4, 5/10, 5/11, 5/28, 6/4, 6/11, 6/21, 6/25, 7/9, 7/23, 7/27, 8/1, 8/9, 8/14, 8/23, 8/24, 9/6, 9/12, 9/20, 9/27, 10/4, 10/18, 10/22、 11/5, 11/19, 11/29, 12/13, 12/24 1969年
 1/10, 2/7, 2/22, 2/28 1970年
2/7 1971年
ファイト 4/15, 5/25, 7/5, 7/15, 8/5 1969年
週刊現代 1964年4/23号 講談社 1964年
近代カラテ 1966年8月号 近代カラテ研究所 1966年
近代カラテ 1968年6月号 近代カラテ研究所 1968年
近代カラテ 1969年5月号 近代カラテ研究所 1969年
現代カラテ 1969年7月号 現代カラテ研究所 1969年
現代カラテ 1970年8月号 現代カラテ研究所 1970年
月刊ゴング 1969年6月号 日本スポーツ出版 1969年
月刊ゴング 1969年7月号 日本スポーツ出版 1969年
月刊ゴング 1969年8月号 日本スポーツ出版 1969年
月刊ゴング 1969年9月号 日本スポーツ出版 1969年
月刊ゴング 1970年2月号 日本スポーツ出版 1970年
月刊ゴング 1970年3月号 日本スポーツ出版 1970年
月刊ゴング 1970年4月号 日本スポーツ出版 1970年
月刊ゴング 1970年5月号 日本スポーツ出版 1970年
月刊ゴング 1970年6月号 日本スポーツ出版 1970年
月刊ゴング 1970年7月号増刊 キックボクシング特集号 日本スポーツ出版 1970年
月刊ゴング 1970年10月号 日本スポーツ出版 1970年
月刊ゴング 1970年11月号 日本スポーツ出版 1970年
月刊ゴング 1971年4月号 日本スポーツ出版 1971年
月刊ゴング 1971年12月号増刊 キックボクシング大特集号 日本スポーツ出版 1971年
月刊ゴング 1972年1月号 日本スポーツ出版 1971年
月刊フルコンタクトKARATE4月号別冊 空手バカ一代たちの伝説 福昌堂 2000年
ジュニア入門百科 キックボクシング 宇津球道著 ひばり書房1969年
カラー版ジュニア入門百科 キックボクシング入門 北川衛著 沢村忠監修 秋田書店 1969年
いつの日か 男は狩人 深沢茂樹著 けん出版 1980年
空手に賭けた青春 無心の心 山崎照朝著 スポーツライフ社 1980年
真の強さを求めて 生涯の空手道 廬山初雄著 スポーツライフ社 1980年
燃えよ士魂魂 添野義二著 スポーツライフ社 1982年
戦士 HERO キックボクシング20年史 スポーツライフ社 1984年
小さな巨人 -大沢昇伝 松永倫直著 スポーツライフ社 1986年
わが師大山倍達 睫攘庵 徳間書店 1990年
本部朝基と山田辰雄研究 小沼保編著 壮神社 1994年
挑戦―武道一代 太田学著 プロデュース 1998年
極真外伝 〜極真空手もうひとつの闘い〜 ぴいぷる社 1999年

関連リンク:
幻の極真ジム 1(1969年)
幻の極真ジム 2(1969年)
幻の極真ジム 3(1969年)
幻の極真ジム 4(1969年)
幻の極真ジム 5(1969年)
幻の極真ジム 番外編(全戦績データ)


 






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コメント
添野氏ルマナチャイという選手に2敗し、カナンパイ戦も含めるとタイ人には1度も勝ってないようですね。竹山晴友と同じように突進ファイターでタイ式の前では上手くかわされ判定負けするタイプかもしれませんね。
又、当時のゴングでは6勝3敗となってますが、5勝は当時の新聞記事の対戦データからわかりますが後の1勝は対戦データないですね、1勝は鯖読みでしょうか?
  • オールドキックファン
  • 2012/08/19 9:06 PM
>オールドキックファンさん

そうですね。 タイ人には上手い事いなされてた感じがしてます。 手が合う相手にだとメッチャ強そうですけど、そうじゃない相手には空回りするというか。
TBS系のルールだったら良かったかな。

その1勝を探し求めて、昨日2度目の探索に、国会図書館に行って来ましたw
戦績が正しいとすれば、5月にあったかも知れない興行か、10日間ほどのタイ修業か、あったかも知れない地方ジムのローカル巡業かな、と思っているんですけどねぇ。 「ゴング」の舟木正太郎さんのNETでの試合も、ポスターには載ってるのに新聞には載ってませんし、キャンセルになったのか新聞に載らなかったのか、よく分かりませんw
でも、極真ジムの選手が語る試合数って、実数より皆1〜2試合足りない気がするのです。 それが鯖読みなのか、本当に1試合足りないのか…今となっては不明ですね。
ま、今回の記事では対戦数が違うのでは? という話は書かない予定です。 自分の集めて来た興行数が正しいのか、自信がありませんのでw
一応全興行について、極真ジムの選手が出ていなくても書くつもりです。
  • Leo
  • 2012/08/19 11:31 PM
「ゴング」の舟木正太郎さんは山田ジムかデビュー予定でしたけど、諸事情でキャンセルになったと自身のHPで書いてましたね。
自分も以前国会図書館に行き、添野氏の後、1勝を探しましたけど、見つかってません。憶測ですが、第1回全日本選手権でNET KICKのタイ式選手が出場してたので(アナンルコモン、サカオチャルムーン、サマンソー)、1〜2回戦であたりそれに勝利したのも含んでいるのではないかと思います。タイ修行の10日間で1勝をあげれば、当時の日本キックレベル、事情等では必ず報道されているのではないかと思います。
  • オールドキックファン
  • 2012/08/20 12:51 AM
>オールドキックファンさん

あ、舟木さん、そういう事書いてましたかぁ。

まぁ、1勝に関する憶測は可能性の話だけで、言っといて何ですが、あまり信じてませんw
で、第1回についてですが、添野先生はタイ人と対戦していませんので、戦績に含む事は無いでしょうね。 トーナメント表を見ても添野先生のAブロックにはタイ人がいませんしね。

どこかで間違った数字のまま、定着したっていうのが一番正しいのかも知れません。
  • Leo
  • 2012/08/20 12:20 PM
>大山倍達と親しかった故・山田辰雄の日本拳法空手道が設立した杉並ジムが参戦する事になった。

記事中こうありますが、この山田辰雄先生は『空手バカ一代』の中で大山先生に「空手対空手では最大の敵」と言わしめた「由利辰郎」の事だと言われていますね。でも、実際には交流があり劇画とは異なった関係だったのですね。しかし、あの由利辰郎が湯のみに「抜き手」で穴を開けたシーンは鮮明に焼け付いてますね。おっと、話がだいぶズレまして失礼しました。
>オールドキックファンさん
ちょっと気になる描写を見付けたのと、お世話になってるとある方から新聞で見付けられなかった試合について情報を頂いたので、もう1試合あった可能性が出て来ました。
ちなみに手元の資料ではその試合について、蔵前で対戦、という話だったので、ハナから除外していたんですが、もう一度壇上に上げてみる価値があるかな、と。

>名誉五段さん
そうですねぇ。 山田先生が亡くなる直前にも機関誌の「近代カラテ」でインタビューがあったみたいですし、亡くなられた後も御子息の山田侃先生にインタビューがありました。
日本拳法空手道側からも近年になって山田先生が大山総裁を高く評価していた事が明らかにされていますね。
昔は日本拳法の森良之祐先生と3人で良く茶菓子を摘んで武道談義に花を咲かせたと、森先生が語っていた事も有ります。

貫手のアレですが、物理的には回りに亀裂が入ってよほど速度が無い限りは、あんな風に穴が開く事は無いかなーと思うんですが、どうなんでしょうね?
李青鵬のジョッキ指支え穴開けは無理だと思いますがw
  • Leo
  • 2012/08/20 7:57 PM
>オールドキックファンさん
ちょっと気になる描写を見付けたのと、お世話になってるとある方から新聞で見付けられなかった試合について情報を頂いたので、もう1試合あった可能性が出て来ました。
ちなみに手元の資料ではその試合について、蔵前で対戦、という話だったので、ハナから除外していたんですが、もう一度壇上に上げてみる価値があるかな、と。

ではまた記事楽しみにしてます。
ゴングの記事も100%信用できないですね。確かs48年頃の記事だと添野氏の戦績は9勝2敗と記載し、今から15年くらい前だとカナンパイ戦は引き分けたと記載してますからね。
  • オールドキックファン
  • 2012/08/20 10:31 PM
>オールドキックファンさん

まぁ、無いかも知れませんけどねw
過度な期待は禁物です。
ただ、当時の「日刊スポーツ」には、前宣伝で必ず「第○○回ワールド・キックボクシング」ってありまして、集めて来た記事の中で、番号が飛んでる箇所があったんです。 その期間内を精査したら何か分かるかも…というレベルですw

しかしNET系はまだ恵まれてるなぁと思います。 これが他の団体なら、地方興行まで全部集めるのは困難でしょう。

  • Leo
  • 2012/08/21 9:03 PM
NET系は、日刊スポーツがかなり力を入れていたようですからね。
NET KICKの特集終わったら、廬山氏が2戦だけしたNTV KICKもできたら取り扱ったください。
岩見二郎という極真出身のキックボクサーどの程度の戦績、実力だったかも興味ありますから。

  • オールドキックファン
  • 2012/08/21 11:47 PM
>オールドキックファンさん

「日刊スポーツ」は運動部の鈴木庄一さんが当時極真の理事、という事あって、かなり贔屓して貰ってると思います。

NTVの方はどうでしょうねぇ、キックは専門じゃないのでいずれ取り上げるかも知れませんが、今のところは検討していません。 11戦位試合したそうですが、どの新聞を追うのが一番適当なのかも含めて調査しないと大変そうですw

  • Leo
  • 2012/08/23 10:10 PM
NTV KICK 無理にとはむろん言いません。
ところで、最近思い出したのですが、2004年10月号のフルコンタクト空手では添野氏、10日間のタイ修行でアナンルコモンに2RKO勝ち下と記載されています。
この記事自体、随所に事実誤認がありますから、信用できないと思いますが
例えばタイ修行は漫画のように単身渡タイしたとか
帰国後、9連勝したとか、NET KCKの試合は2試合のみとか本人含め、関係者は添野VS沢村戦の実現を交渉したとか記載されていますから
  • オールドキックファン
  • 2012/08/23 10:57 PM
>オールドキックファンさん

あぁ、やっぱり同じ所に引っ掛かりましたかw
それ、別の所では蔵前で対戦したとあるのです。
でも、相手がミドル級とか、1度負けての再戦とか、話の内容はルマナチャイ・ル・チャウファー戦なんですよね。
実は、知人にそれを言われて私も思い出したんです。
その後、新聞資料を読み返していたら、1大会番号が飛んでる事に気付いたので、今度空いてる土曜にこれを調べて来る予定です。

続きは殆ど書き終えていますが、再調査が入るので、少し時間を頂きます。

「日刊スポーツ」側のミスで無ければ、添野先生の最後の相手が変わるかも知れませんが…とに角探して見ない事には何とも言えませんねw
  • Leo
  • 2012/08/23 11:40 PM
蔵前でアナンルコモンでリベンジしたとは確か「空手バカ一代の真実」という本に記載されましたね。そのあたりを留意して、タイから帰国後のNET KICKの興業結果自分も以前国会図書館に行き調べましたが、1969年8月以降最後まで全て後楽園ホールで行われていて、蔵前での興業はみつかりませんでした。でも見落としているかもしれませんので、再度調べていただくこと楽しみにしてます。
  • オールドキックファン
  • 2012/08/24 12:28 AM
これだけきちっとされているサイトですから「取材」として、ご本人にコンタクトを取り、直接確認できそうなものですが、なかなかそうはいかないのでしょうね。
楽しみにしています。
  • kimura
  • 2012/08/24 10:48 AM
>オールドキックファンさん

答え合わせが出来る公式なデータが無いので、見落としが非常に怖いですw

>kimuraさん

まぁ、可能なら直接お伺いしてもいいんですけど、当ブログは基本的に本編では「○○から聞きました」的な事はなるべく書かない様にしています。 後書きとかコメント欄では書きますけどw
記事の最後にある参考文献を読めば、同じ事にリーチ出来る様にしてあるつもりです。 流石にインデックスまでは付けないですけど。
それに、一応普段は普通に仕事してますし、あんまり時間が無いんですよね。
  • Leo
  • 2012/08/24 10:36 PM
まー本人に取材しても、100%は語らないのが人間の
常だと思いますが。
山崎氏でも過去紹介されている逸話以上のキック戦績があるけど、何故か100&語ってませんね。
いずれこの続編で紹介されると思いますけど。
まして添野氏の場合、空手バカ一代で派手に描かれた
ので、100%本当のキック戦績を語るのははばかりがる
のではないかと個人的に憶測しますが
  • オールドキックファン
  • 2012/08/24 11:01 PM
>オールドキックファンさん

それ以外にも、本人話聞いた直後に発言を検証するのは色々と辛いとか、ロハでやってるブログで取材協力費を捻出するのは大変ってのもありますけどねw

趣味とは言え、結構お金掛かってる記事もありますしw
  • Leo
  • 2012/08/26 10:09 PM
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