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大山倍達マニアック検定

幻の極真ジム 4(1969年)

JUGEMテーマ:空手
 

 シリーズ連載4回目ですね。 一応次回で終わりの予定なのですが、追加調査が必要になりましたので、少し間に挟むかも知れません。
 それでは、どうぞ。

 前回はコチラ


ゴング196909.jpg



***

 キック中継戦争が激化した夏が終わり、新たな季節の境目となる9月。 「ワールド・キックボクシング」(以下NET系)は名古屋市で興行を行う事になった。 9月5日、名古屋市体育館には4000人の観衆が集まった。
 名古屋開催と言う事で選手の多くは中京ジムから出された。 そして極真ジムからは3回戦に渡辺昇が出場。 中京ジムの石井(下の名前は判読出来なかった)と対戦。 タイミングが合ったのか、1ラウンド25秒、KOで破れた。
 続く5回戦では極真ジムの姿五郎が出場、山田ジムの石川政夫と対戦し、4ラウンド2分57秒、ラウンド終了直前にKO負けした。 姿の本名は荒木信二、城西大空手部の2期生で、2週間後の全日本空手道選手権に出場する事になっている。 添野義二や山崎照朝と言った極真の全日本空手道選手権優勝候補は、キックは欠場していた。
 そして極真の全日本に出場する予定のタイ人、ピラポン・ルンピーンは中京のマッハ松本と対戦、4ラウンド47秒KO勝ち。 同じく出場予定のサマン・ソー・アジソンはメインで中京の土井克己と対戦。 タイ遠征で実力を磨いた土井はルンピニー系ライト級3位というサマン相手に初回から攻撃を仕掛け、3ラウンド、ローキックで攻め立て、1分49秒でKOした。

日刊スポーツ19690906.jpg

 サマン・ソー・アジソンと言えばあの沢村忠をKOした強豪だ。 タイ帰りの土井の地元の凱旋試合でKO勝利、というのは、些か出来過ぎな感があるが。

 そして9月19日、後楽園ホールで1200名の観衆を集めての興行。 前回は2000名だった事を考えると、大幅に客足が遠のいている。 極真ジムからはこの日出場した選手は流石にいなかった。 翌日には東京都体育館で大会を控えているのだ。
 しかし、全日本に出場する予定のタイ人はこの日も相変わらず出場していた。 この事実からでも、極真の大会で優勝してやろうというつもりがあまり無かったのが伺える。

日刊スポーツ19690920.jpg

 サマン・ソー・アジソンは松戸キックジムの上月純と対戦、1ラウンド1分53秒であっさりと試合を終えた。 ピラポン・ルンピーンは中京の土井と対戦し判定勝ち、そしてメインのサカオ・チャルムーンは杉並ジムの鶴田幸成を相手に2ラウンド1分5秒でTKO勝利。 翌日の大会に手土産を携えた。

***

 9月20日、東京都体育館では国際空手道連盟と財団法人極真奨学会が主催、極真会本部と賢友会本部が共催する第1回オープントーナメント全日本空手道選手権大会が開催。 タイからは前日後楽園ホールに出場したサマン・ソー・アジソン、ピラポン・ルンピーン、サカオ・チャルムーンが出場、極真からは極真ジムの山崎照朝、添野義二、他にリングネームで参戦している荒木信二、渡辺宣が出場した。

山崎添野戦.jpg

 ちなみに48名の参加選手中、約半数が極真の門下生で、その内10名が城西大から出場している。 サカオはイスラエルのギドン・カダリーに、サマンは大阪の利川重男に、そしてピラポンはポール・ジャクソンに敗北した様だ。

利川VSサマン.jpg
サマン対利川

 トーナメントAの添野と朴邦治が残り、添野が背負いからの下段突きで一本、トーナメントBは山崎と利川の対戦となり、激しく縺れ合う激戦を山崎が中段突きで一本、そしてトーナメントCでは長谷川一幸とジャクソンが争い延長の末、判定で長谷川に凱歌が挙がった。 最後はこの3者が決勝リーグで激突。 添野、長谷川に勝利した山崎が、初の全日本大会を制した。

第1回大会.jpg

 優勝が山崎、2位に添野と言う極真ジム勢が好成績を修めたのは、既にプロとして試合を経験していたのが功を奏したのでは無かろうか。

 さて、大きな勲章を得た山崎と添野は、再びNET系のリングに上がる事になった。 自作の興行データで12回目、前宣伝でも12回となっているので、漏れは無さそうだ。 テレビ中継も編成で頑張ったのか、この頃には少し時間が遅くなり、18時30分からと、ゴールデンタイムに近くなっている。 まだ独自のチャンピオンを持たないNET系は、この2人の実績を使いたかったのだろうか、前宣伝にはこうあった。

日刊スポーツ19690927.jpg

 九月二十日に行われた全日本空手道選手権大会で日本一となった山崎照朝、準優勝の添野義二が、タイ国の強豪、サマン・S・アディソン、英国のブライアン・フィッキーとそれぞれどう戦うか、ご期待ください。

 ブライアン・フィッキーとは、当時本部で修業していたブライン・フィトキン、後のスウェーデン支部長である。

 10月3日、所沢市民会館にて興行が開催された。 添野のお膝元という事もあってか、極真ジムからは6名が出場した。 この時のゲスト解説席に師の大山倍達がいた。
 3回戦、先陣を切ったのは初参戦、極真ジムの青山二郎―本名は不明だが、城西大空手部の選手で、リングネームだと思われる―が、松戸の湯浅貞志と対戦、1ラウンド1分56秒でマットに沈んだ。
 極真本部からは増田賢一が初参戦した。 先の全日本にも出場しており、この時は1回戦で朴に敗戦している。 数合わせなのか、キックを学ぼうと思ったのかは不明だ。 対戦相手は山田ジムのフライング・ジャガー。 元々は目黒ジムで康永吾郎と名乗りデビューしており、当時は6戦4勝。 NET系には山田に移籍して8月の興行で初参戦、極真ジムの渡辺昇と闘っている。 リングネーム変更後初の試合という訳だ。
 結果は増田が判定で敗れた。 ちなみにこのジャガー、翌年には新設されたNET系の初代フェザー級チャンピオンになり、NET系終了後はNTVと東京12チャンネルの間で開催された統一キック王座決定戦で目白ジムの大手稔をKOで破り、ジュニア・ライト級王者となる逸材である。 ここはデビュー戦で判定に持ち込んだ増田を賞讃すべきなのかも知れない。
 そしてこの日、奇妙な対戦があった。 極真ジムの矢吹丈(本名:渡辺宣)が松戸キックの矢吹丈(本名:不詳)と対戦。 添野によれば真の矢吹丈を決める試合だったと言うが、特に記載は無い。 結果は判定で松戸の矢吹が勝利した。

  ここまで極真ジムは3敗と良い所が無かったが、5回戦に出場した極真の姿五郎は山田の石堂弘と対戦し、判定で勝利。 ようやく一息付いた。
 1試合挟んで添野とフィトキンの試合。 こちらは添野が2ラウンド21秒でKOし、今日の極真ジムの戦果は2勝3敗、メインの山崎に期待が掛かる。
 セミで山田の増沢潔がタイのサカオをKOで屠ると、この日注目のカード、新聞には「空手対キックボクシング」と称された山崎とサマンの対戦だ。
 山崎は久々のプロのリングで、新聞によれば自動車事故による怪我もあったという。 一方のサマンは来日後1勝1敗。 今回は体調も良かった様で、序盤からラッシュした。 一方の山崎は前羽の構えから左に回り、サマンの蹴りを見切った所で腰の入ったハイキックを顎に当てダウンを奪う。 まともに食らったサマンはそのまま立ち上がれず、1ラウンド2分6秒。 山崎のKO勝ちとなった。

日刊スポーツ19691004.jpg

 試合後、山崎は

「空手はキックに絶対に負けない」

 と言い切り、空手関係者の溜飲を下げ、極真ジムの本日の戦績を3勝3敗の5分に戻した。 ここまで山崎はリマッチでの判定負け以外はタイ人相手に全てKO勝ちだ。

***

 次の興行は10月17日、後楽園ホールである。 極真からは1名、西田幸雄が初参加。 字は異なるが本部の西田幸夫だと思われる。 西田は3回戦で荻窪ジムの川野孝義と対戦、2ラウンド1分20秒でKO負けとなった。 初参戦で他に極真ジムのメンバーがいない興行。 あまり落ち着いて闘えなかったのでは無かろうか。

日刊スポーツ19691018.jpg

 メインの荻窪所属、松本敏之はタイのヤディサック・スリムーンと対戦、松本の7連勝はここで止まり、3ラウンドでKO負けを喫した。

 実はこの時、NET系ではワールド・キック・プロモーションのホープ選手を連れ、10日ほどタイで修業する計画を立てていた。 極真からは添野、杉並からは鶴田幸成、そして山田からは木村正輝(政輝とも)が選ばれ、 同23日より出発した。 翌年の2月にタイで開催予定の日タイ対抗戦の布石としての武者修業だった。
 世話役はサマン・ソー・アジソンが務め、バンコク市内の有力ジムでトレーニングの他、ルンピニーやラジャダムナンと言った名門スタジアムで観戦し本場のテクニックを学ぶ事になっている。 帰国は11月1日との事。

日刊スポーツ19691022.jpg

 この時の様子は大幅にフィクション化され、後の劇画「空手バカ一代」では何戦もした事になっているが、その様な事実は無い。 また「空手バカ一代」原作者梶原一騎の顔を立てたのか、極真離脱前に出版された添野の評伝「いつの日か 男は狩人」でも極めて曖昧ながら類似の描写があるが、これも事実では無い。 スパーリングする事はあっただろうが、当時の記事には試合の記載が無く、練習のみだったと思われる。

***

 タイ遠征帰国間もない11月4日、NET系は九州に初上陸した。 場所は福岡九電体育館。 4500人を集めた。 流石に帰国から間隔が短いという事で遠征メンバーは不出場、極真ジムからも誰も出場しなかったが、大塚ジムから久々の参戦があった。 しかし成績は芳しく無く、同ジム所属の杉竜太、菅野勇の両名は敗北した。

日刊スポーツ19691105.jpg

 セミは実力を付けつつある山田のフライング・ジャガーがタイのルーサロック・パンクラと対戦、4ラウンド終了後にTKOで勝利。 メインは松戸の岡鉄二がピラポン・ルンピーンと再戦するも、2ラウンドでKOと、リベンジは果たせなかった。 これでピラポンはNET系で4戦4勝と土付かずだ。

 11月28日、東京に戻って来たNET系は、後楽園ホールで興行を行った。 この日は前回を大幅に上回る2300人が訪れ、タイ遠征から帰って来た添野と鶴田の試合が注目されていた。 また、その他にも注目のカードがあり、グループサウンズ「シャープホークス」のリーダー、後に俳優業に転身する安岡力也が山田ジムからデビュー。 中山ジムの成田元を強引にねじ伏せ1ラウンド2分35秒でKOした。

日刊スポーツ19691129.jpg

 極真ジムからはまず姿五郎が松戸のジョージ長浜と対戦、2ラウンド終了間際の2分53秒で長浜をKO。
 続く添野は杉並の吉田竜と対戦。 大山には、

「絶対に山田先生の弟子には負けるなよ!」

 と発破を掛けられたと言う。 ここ暫くの試合では消極的なスタイルだったという添野だが、この日は積極的に打って出た。 添野の評伝によれば膝がまともに入り、吉田がかなり出血をしたと言う。 恐らく城西大得意の膝蹴りを当てたのだろう。 その後も果敢に挑む吉田を3ラウンド1分36秒でKO。

添野戦.jpg

 この試合で痛めた添野の膝はその後も完治しなかった。 しかし添野には膝の負傷以上の問題が、本人の気付かぬまま進行していた。



 はい、今回はここまでっす。 ここまでは多分見落としがありませんので、少々短いですが、調査を待たずして掲載する事にしましたw
 国会図書館には来週か再来週に行こうかと思ってますので、最終回はその後ですね。
 今回の目玉は、西田幸夫先生らしき人物と、増田賢一先生らしき人物が極真ジムとして参戦していたという点でしょうか。 西田先生は割と初期から極真の大会に出場しており、後に極真会館城北支部長となり、現在は独立して極真空手清武会を主宰されていますね。
 増田先生は翌年の第2回全日本では4位に入賞した実力者で、当時制作中だったと思われる大山倍達総裁の本「空手を始める人のために」で西田先生と共に演武者としてモデルをされています。 1973〜74年頃までは空手をなさっておられた様ですが、以降は不明。  個人的に興味のある方ですw
 ちなみに今の所名前の判明している極真ジムの選手は殆どがこの69年に初段となっていますね。 例外が極真三羽烏と、加藤重夫先生です。
 で、山田ジムのフライング・ジャガー選手のデビュー。 こうやって見ると、NET系は結構有望な人材が多かったんだなぁと思いますね。 後1年続いたら、もう少し面白い団体になっていたかも知れません。
 
 次回は予定通り別の記事をやって、再調査完了後に今シリーズを完結させます。
 それでは、また。


参考文献:
日刊スポーツ 1/14,2/24 1964年
 4/16, 4/26, 5/4, 5/10, 5/11, 5/28, 6/4, 6/11, 6/21, 6/25, 7/9, 7/23, 7/27, 8/1, 8/9, 8/14, 8/23, 8/24, 9/6, 9/12, 9/20, 9/27, 10/4, 10/18, 10/22、 11/5, 11/19, 11/29, 12/13, 12/24 1969年
 1/10, 2/7, 2/22, 2/28 1970年
2/7 1971年
ファイト 4/15, 5/25, 7/5, 7/15, 8/5 1969年
週刊現代 1964年4/23号 講談社 1964年
近代カラテ 1966年8月号 近代カラテ研究所 1966年
近代カラテ 1968年6月号 近代カラテ研究所 1968年
近代カラテ 1969年5月号 近代カラテ研究所 1969年
現代カラテ 1969年7月号 現代カラテ研究所 1969年
現代カラテ 1970年8月号 現代カラテ研究所 1970年
月刊ゴング 1969年6月号 日本スポーツ出版 1969年
月刊ゴング 1969年7月号 日本スポーツ出版 1969年
月刊ゴング 1969年8月号 日本スポーツ出版 1969年
月刊ゴング 1969年9月号 日本スポーツ出版 1969年
月刊ゴング 1970年2月号 日本スポーツ出版 1970年
月刊ゴング 1970年3月号 日本スポーツ出版 1970年
月刊ゴング 1970年4月号 日本スポーツ出版 1970年
月刊ゴング 1970年5月号 日本スポーツ出版 1970年
月刊ゴング 1970年6月号 日本スポーツ出版 1970年
月刊ゴング 1970年7月号増刊 キックボクシング特集号 日本スポーツ出版 1970年
月刊ゴング 1970年10月号 日本スポーツ出版 1970年
月刊ゴング 1970年11月号 日本スポーツ出版 1970年
月刊ゴング 1971年4月号 日本スポーツ出版 1971年
月刊ゴング 1971年12月号増刊 キックボクシング大特集号 日本スポーツ出版 1971年
月刊ゴング 1972年1月号 日本スポーツ出版 1971年
月刊フルコンタクトKARATE4月号別冊 空手バカ一代たちの伝説 福昌堂 2000年
ジュニア入門百科 キックボクシング 宇津球道著 ひばり書房1969年
カラー版ジュニア入門百科 キックボクシング入門 北川衛著 沢村忠監修 秋田書店 1969年
いつの日か 男は狩人 深沢茂樹著 けん出版 1980年
空手に賭けた青春 無心の心 山崎照朝著 スポーツライフ社 1980年
真の強さを求めて 生涯の空手道 廬山初雄著 スポーツライフ社 1980年
燃えよ士魂魂 添野義二著 スポーツライフ社 1982年
戦士 HERO キックボクシング20年史 スポーツライフ社 1984年
小さな巨人 -大沢昇伝 松永倫直著 スポーツライフ社 1986年
わが師大山倍達 睫攘庵 徳間書店 1990年
本部朝基と山田辰雄研究 小沼保編著 壮神社 1994年
挑戦―武道一代 太田学著 プロデュース 1998年
極真外伝 〜極真空手もうひとつの闘い〜 ぴいぷる社 1999年

関連リンク:
幻の極真ジム 1(1969年)
幻の極真ジム 2(1969年)
幻の極真ジム 3(1969年)
幻の極真ジム 4(1969年)
幻の極真ジム 5(1969年)
幻の極真ジム 番外編(全戦績データ)










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コメント
また場違いなコメントになってしまいそうですが、記事中に

>増田先生は翌年の第2回全日本では4位に入賞した実力者で、当時制作中だったと思われる大山倍達総裁の本「空手を始める人のために」で西田先生と共に演武者としてモデルをされています。

とありますが、この本に当時グリーン帯で佐藤勝昭先生と昵懇の少し後輩の方が多く出ていた記憶があるのですが、お名前を失念してしましました。佐藤先生が茶帯の時に外国に行かれて、昭和50年夏にグリーン帯で復帰された先輩です。もちろん一緒に稽古した仲間でしたが、どうしても思い出せません。どなたでしょうか?
また場違いなコメントになってしまいそうですが、記事中に

>増田先生は翌年の第2回全日本では4位に入賞した実力者で、当時制作中だったと思われる大山倍達総裁の本「空手を始める人のために」で西田先生と共に演武者としてモデルをされています。

とありますが、この本に当時グリーン帯で佐藤勝昭先生と昵懇の少し後輩の方が多く出ていた記憶があるのですが、お名前を失念してしましました。佐藤先生が茶帯の時に外国に行かれて、昭和50年夏にグリーン帯で復帰された先輩です。もちろん一緒に稽古した仲間でしたが、どうしても思い出せません。どなたでしょうか?
>名誉五段さん

多分、当時4級の宗村伸一さんじゃないですかね。
  • Leo
  • 2012/08/27 9:34 PM
山崎、添野氏共、全日本選手権の2週間後にキックの試合をしているところ
からすると,空手家がキックした際懸念される顔面パンチの心配は全くなかったようですね。
ただこの当時、多くの極真門下生がキックをしてましたけどまともな戦績を残せたのは
山崎、添野氏、他局だと大沢昇氏くらいですね。
ちょうど以前のk−1で通用したのはフィリオ、アンディー、グラウベくらい
といったように。
山崎、添野氏と鶴田幸成、フライングジャガー、増沢潔ら日本人の有能キックボクサー
との対戦がみたかったですね。
個人的な希望、憶測観測かもしれませんが添野氏はわからないですが、山崎氏なら彼ら
に圧勝できたと思いますけど。
  • オールドキックファン
  • 2012/08/27 11:50 PM
>オールドキックファンさん

極真に関して、ですが当時は極真ルールの大会すら初めてですから、ローキック以外の懸念はありませんでした。
プロのリングに上がると言うのはその時点で選ばれた存在ですし、○○を学んだから誰でもプロになって活躍出来る訳じゃあありませんしねぇ。
ですから、別に極真門下だから勝てるって話でも無いですw

K-1も立嶋篤史選手の台詞じゃないですけど、やっぱりキック初挑戦の選手はどんなに実績があっても3回戦から始めさせたかったですねぇ。

山崎先生もプロにでもなろうかって思い始めた時期にNETが無くなったのは残念ですね。 約20年後にサマン・ソー・アジソンが名前を挙げる位印象に残っていた訳ですから、やっぱり才能ある選手だったのは間違い無いでしょう。
  • Leo
  • 2012/08/28 1:05 AM
そういえば、嵐五郎は登場しないのですか?
いつも楽しみにしています。
  • kimura
  • 2012/08/28 11:21 PM
もしわかればですが
及川氏と対戦したペティ田代というフィリピン人らしき選手の所属してた
和同ジムは和道流空手の系列ですか?
どこにあったかわかりませんか
net kick 崩壊後、全日本、日本系にもこのジムは参加してないようですね。
松戸ジムは確かボクシングの系列だと以前聞いたような記憶がして文字どおり
千葉県の松戸市だと思いますし、中京ジム、杉並ジム、山田ジムはわかりますが
  • オールドキックファン
  • 2012/08/29 12:26 AM
kimuraさん
そういえば、嵐五郎は登場しないのですか?
いつも楽しみにしています。

僭越で間違っているかもしれませんが、嵐五郎は初代が廬山初雄氏で当時NET KICKとは違う団体のNTV系で廬山氏がキックやめた後、確か4代くらい迄続き
最後は全日本系だと思います。
NET KICKでは登場はしてないと思います。
  • オールドキックファン
  • 2012/08/29 12:33 AM
オールドキックファンさま
情報有難うございます。
系列が違うのですね。
それにしても誰の試合でも良いので、映像を観てみたいものです。
  • kimura
  • 2012/08/29 12:27 PM
>kimuraさん

おっと、回答がオールドキックファンさんから出てますねw
違う団体だったのと、この頃は既に廬山先生がキックを辞めているので書きませんでした。
映像の方は…無門会の富樫先生が自分で撮った8ミリを持ってるらしいですが、後はディープなマニアで持ってる人がいるかも、ですね。
テレビ朝日にも上書きされていなければ残ってる筈です。 録画撮りですし。

>オールドキックファンさん

和同ジムは字面から和道流の道場かな〜とは思いましたけど、空手の道場らしいっていう情報以外は知りません。 「ゴング」の舟木さんが和同ジム関係者みたいですから、そちらで聞くのが一番かと思いますね。

松戸ジムに関しては詳細は知りませんが、69年2月まではTBS系、それからNET系に移りその後はNTV系に行ったのと、住所くらいしか知りませんねぇ。 ただ、ローカルな興行をやっていたっぽいんですよね。 地元紙を漁ったら何か出て来るかもです。



  • Leo
  • 2012/08/29 9:21 PM
親切に回答ありがとうございます。
この当時のキックは極真だけでなく、いろんな空手道場が
参戦してましたね。
周知のように杉並ジムは日本空手道。
知っていると思いますが、大沢昇と死闘を演じた片山源太の
中京ジムは確か愛知県津島市の聖徳会
とかいう空手道場が前進。
現在も早川ジムと名乗りキック加盟し、存在してます。
愛知県では有力な空手道場だったみたいです。
猪木と一緒に空手流派を作った寛水流は隣の三重県に所在してました。
この流派はキック創世期からキックには参戦してないと思います。
かつて極真、梶原一騎、添野氏ともめた流派ですね。
鎖鎌で猪木に挑戦したくだりから、武道、格闘技というより
暴力団的ぽい要素がする流派みたいですが。
ちょっと話が脱線したかもしれませんが
  • オールドキックファン
  • 2012/08/29 11:39 PM
>オールドキックファンさん

後、今回調べて知った、九州の大塚というジム?ですね。 可能性から言えば後にプロ空手を旗揚げする大塚剛先生の道場かな、と。
  • Leo
  • 2012/08/30 10:32 PM
多分そうだと思います。
キックのジムを取材、調査していくとかなりのジムが前進は空手、拳法道場
がルーツみたいですね。
ちなみに宮城県仙台青葉ジムの会長は空手家で、確かS42〜3年頃、弟子4人と
上京し、目黒ジムの野口氏に試合を申し込み、弟子4人が全て負け、今度は自分
がやろうと主張し、野口氏らになだめられ、その後、キック加盟したとゴングに
書いてありました。
つまりキック創世時は極真のみならず、他の空手関係道場もキックに関心を抱いて
いたと言う事でしょうか。
  • オールドキックファン
  • 2012/08/31 9:08 AM
>オールドキックファンさん

…という事は、「キックの鬼」だったか、「キック魂」だったかで、ジムに空手家数人の道場破りのエピソードがありましたが、元ネタは青葉ジムかも知れませんねw
実際にやってはいないけど、やった事にしたネタ、というのは偶に梶原先生が使いますし。

空手に関して言えば、当時キックに関心があったと言うよりも、他に身に付けた技術を披露する機会が無かった、というのが大きいかと思います。
あまり認識されていませんが、複数流派を集める前提で開催された空手の全国大会というのは、現在公式に実態が確認される限りでは69年9月の極真の大会が最初になると思います(オープントーナメントとして広く募集したのも多分初)。 10月に今の体制の全日本空手道連盟が第1回大会を開催しているので、時系列的に言えば極真の方が先です。
それ以前は複数流派の大会は学生空手道連盟がやっていますが、大学生で尚且つ大学空手部が登録されていないと出場は出来ません。 他は錬武館や日本空手協会が全国と銘打った大会をやっていますが、こちらも基本的に単一流派による大会です。
ですから、特に地方の空手道場からすればいいチャンスだったんじゃないですかね。 1道場で大会を開くのはお金も掛かりますし、そんなに選手になれる人間もいない、そしてノウハウも統一ルールも無い。 じゃあどこかに出ようかと思ってもそんな大会は無い、こんな時代ですからねぇ。

  • Leo
  • 2012/09/01 10:23 AM
青葉ジムかもしれませんね。
青葉ジムは道場やぶりでなく、キックの試合に出場して全員負けて
会長が今度は自らリングに上がる(試合する)と主張したのを
野口氏がなだめて青葉ジムはその後、キック加盟したと書いてました。
ちょうど漫画だと佐藤勝昭氏が講道館柔道現役で大会に出場して
長谷川氏に負けて極真に入門したという話しだけど、元講道館柔道の有段者
だったというだけで、話しをふくらませぬるのは梶原氏の常套手段ですね。
空手に関して言えば、身に付けた技術を披露する機会を求めたどいうのはそのとおりではないか
と思います。
  • オールドキックファン
  • 2012/09/01 9:32 PM
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