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大山倍達マニアック検定

幻の極真ジム 5 (1969年)

 JUGEMテーマ:空手 

 さて、国会図書館に行って不足分?を調べて来ました。 まぁ、結果から言えば空振りでしたがw (※2012/9/10追記:1大会追加しました)
 今回でシリーズ最終回となりますが、実はもう1回、番外編を掲載します。
 
極真ジム(本部).jpg

 それではどうぞ。
 前回はコチラ





***

 1969年12月―、所沢に添野義二のジムが完成した。 これ以降、添野が極真ジムを運営する事となっており、大学空手部の後輩と思われる極真ジム選手が翌年から出場し始める。 尚、このジムは添野の大学卒業を待って翌年3月に極真会館の支部認可を受け、東京都下埼玉支部となる。

 9日、「ワールド・キックボクシング」(以下NET系)は、同団体に5階級のチャンピオン制度を導入すると発表した。 12日に予選を行い、23日に2,3位決定戦、そして年明けの9日にチャンピオン決定戦を行う予定である。
 このチャンピオ争奪戦には山田、杉並、松戸、中京の各ジムから選手が選抜され、極真ジムからは誰も参加していない。 これは真の意味での極真ジムが誕生したのはこの12月であるという事からスポット参戦ならいざ知らず、選手権出場選手の確保に無理があったのだろう。
 ちなみにフェザー級のフライング・ジャガー(山田ジム)、ライト級の鶴田幸成(杉並ジム)、ウェルター級の増沢繁(山田ジム)の3名はシードである。 これは選手が少なかった事に加え、実力も評価されたのだと思われる。

 12日、川崎市民体育館に2500名の観衆を集めて、チャンピオン決定戦の予選が行われた。 ほぼ順当な結果だったと思われるが、前回添野と対戦した吉田竜は国際式ボクシングの経験者、大島に敗れた。

日刊スポーツ19691213.jpg
見出しには外山とあるが、片山源太の間違い

***

 この頃、体調の芳しく無い添野は東京医科大学で精密検査を受ける事にした。 結果は、脳波に異常が見られる事が判明し、キック・ボクシングの引退を勧告された。  23日の大会に出場する予定があった様だが、この勧告を受け入れ、キックを引退した。 しかし特に告知はされず、翌年の「月刊ゴング」には選手のままで記載がある。

ポスター3.jpg
23日のポスター、中央に添野

 23日、リングを去った添野と入れ替わる様にNET系のエース、松本敏之がこの葛飾区体育館で復帰した。10月にヤデサック・スリムーンにKO負けした松本は2ヶ月振りのリングだ。 松本はソンチャイ・ラートコモンと対戦し、1ラウンド56秒でKO勝ち。 見事エースの貫禄を見せ付けた。

日刊スポーツ19691224.jpg

 ところで、荻窪ジム所属だった筈の松本だが、今大会では橋本ジムとなっている。 移籍したのだろうか。

 1970年1月9日、後楽園ホールには2000名の観衆が押し掛け、各階級のチャンピオン決定戦を見守った。 この日は山田ジムの安岡力也の2戦目が行われたが、中山ジムの小笠原光と対戦し、2回2分27秒、KO負けを喫した。 そして以下がこの日誕生したNET認定の初代チャンピオンである。
・フライ級 早川新助(中京)
・バンタム級 江口和明(杉並)
・フェザー級 フライング・ジャガー(山田)
・ライト級 土井克己(中京)
・ウェルター級 マッハ松本(中京)


日刊スポーツ19700110.jpg

 後に他団体でも活躍する名選手の名が複数見られる事から分かる通り、NET系のトップ選手の実力は決して他団体に劣った物では無かった。
 
***

 初代チャンピオンが決まり、NET系がこれから盛り上がる様に見えた頃、裏では放映中止の噂が出回り始めていた。 元々は石井敏明ディレクターらが相当数の反対を押し切って進めた企画であり、10%台に届き掛けた視聴率も、昨年の秋頃から下降気味だった。 その為、キック担当者の営業成績は上がらず、肩身の狭い思いをしていた様だ。
 そして30日、NET(テレビ朝日)では最高幹部会を開き、「ワールド・キックボクシング」の放映中止を決定、4月の番組編成時に姿を消す事となった。
 「ワールド・キックボクシング」代表の中山一プロモーターは局側の決定を知り、これまでのNETの姿勢に不満を訴えつつも、テレビ無しでも興行を継続する意欲を見せ、間もなく大学4年となる極真ジムの山崎照朝を口説き、最後のテレビマッチとなる2月開催予定の3大会フル出場を確約させたと思われる。 山崎もまた、卒業まで後1年という時期で特に将来の展望が無かった事から、プロとして本格的にキックをやろうかと考え始めていた。 ただ、このNET系の苦境を、選手側がどれだけ把握していたかは不明である。

***

 2月6日、放映中止決定後最初の大会は後楽園ホールで行われた。 この日はようやく落ち着いたであろう所沢の極真ジムからも2名が参戦、それと山崎がメインを務める事になった。
 オープニングは極真ジムの石鳥章吉、恐らくは城西大空手部の後輩だろう。 松戸の坂巻清と3回戦で対戦し、判定で勝利。 同じく極真ジムの武田光夫も3回戦でデビュー、松戸の小林正勝と対戦したが、3ラウンド47秒、KOでマットに沈んだ。
 NET系のエース、松本は初来日のポンチャイ・ハリウッド(タイ)と対戦、1ラウンドでKOし山崎を牽制する。 その山崎はメインで登場、かつて松本をKOしたヤディサック・スリムーンと対戦した。

日刊スポーツ19700207.jpg

 山崎は久々のマットに馴染ませる様に、前羽の構えから高い蹴りで1、2ラウンドは様子見した。 3回に入るといきなりヤディサックの顎に左右のストレートを叩き付け、最後に右ストレートでフィニッシュ。 真のエースの貫禄を見せ付けた。 次の試合は初の北海道である。

 21日、札幌市中島スポーツセンターで興行が行われた。 フェザー級チャンピオン、フライング・ジャガーをセミに回して、またしても山崎がメインの座を獲得した。 ジャガーは前回松本と対戦したポンチャイと対戦、3ラウンドで見事KO勝ちをし、山崎に繋いだ。

日刊スポーツ19700222.jpg

 山崎の相手はタイのベテラン、バイヨク・ボーコーソーだ。 老獪なバイヨクの変則的なスタイルに初回こそ誤魔化されたが、2回には蹴りからのワンツーで最初のダウンを奪う。 しかしバイヨクはゴングに救われ、続く3回に右のストレートできっちりと仕留められた。 これで山崎は3連続KOである。

 27日、前大会から僅か1週間しか無かったが、後楽園ホールで2800名を集めた。
 極真ジムから山崎の他に大高茂、渡辺昭一の2名がデビューした。 3回戦に出場した大高は山田の春川満と対戦し判定負け、渡辺は同じく山田の川野孝義と対戦し、2回1分8秒でKO負けとなった。 川野は後に中京の片山をKOで倒す逸材だ。
 この日は初代チャンピオン決定後初の選手権試合があった。 ウェルター級のマッハ松本が王座を返上し、空位となったWKB(ワールド・キックボクシング)ウェルター級王者決定戦を山田の増沢潔と松戸の大島秀夫が争い、2代目王者を増沢が獲得した。
 NET系最後の試合は山崎とタイのビラディック・ル・コンタンの間で行われた。 ここ数戦、右ストレートでKO勝ちをしている山崎を警戒したビラディックだったが、山崎はその裏を掻く様に蹴りで攻め込んだ。 初回2分28秒、山崎の伸びのあるハイキックがビラディックの後頭部を襲い、見事KO勝ち。 有終の美を飾った。

日刊スポーツ19700228.jpg

 プロモーターの中山も手を尽くしたのだろうが、金が出せなければジムや選手は引き留められない。 キック中継に色気を見せていたフジテレビにも打診していた様だが、結局引き取り手は見付からず、この大会が「ワールド・キックボクシング」の最後となった。

月刊ゴング197004月号5.jpg

 参加ジム選考会からほぼ1年―、群雄割拠のキックボクシング界から一つの団体が姿を消した。 日タイ交流戦も企画されていたが、そこまで続かなかった。
 そしてNET系解散を契機に極真ジムは添野ジム(そえのジム)と改名し、完全に極真会館と切り離された。 宙に浮いた山崎はキック引退を表明せず、添野ジム所属という形で東京12チャンネル(テレビ東京)系に第2回全日本空手道選手権大会以降に復帰を予定。 時期が空いたのは、極真の支部と並行して運営される事になった添野ジムの行き先が中々決まらなかったのが要因だろう。
 他のNET系有力ジムの内、杉並ジムは翌月にはNTV(日本テレビ)の大会に参加、松戸ジムも後に続いた。 特に杉並所属の江口や鶴田の初参戦となった3月28日の後楽園ホール大会では、他団体でも堂々と渡り合う2人の勇姿に涙するNET系キック関係者もいたという。

月刊ゴング197006月号4.jpg

 2人のNET系チャンピオンを抱える山田ジムは、とりあえずフリーとして協同系(NTV系)と東京12チャンネル系に参加する事で両団体より許諾を得た。 中京ジムも7月より協同系に参加が決まった。 添野ジムは12チャンネル系で極真の大先輩、黒崎健時率いる目白ジムと行動を共にした。

***

 山崎は第2回大会で長谷川一幸に文字通り足をすくわれ敗北し、2位に甘んじた翌年の71年2月6日、宣言通り突如12チャンネル系で復帰した。

日刊スポーツ19700927.jpg

 この頃には就職も決まっており、プロ専業でやるつもりは無かった様に思える。 卒業を前にして日大キックボクシング同好会の後輩たちに何かを残したかったのかも知れない。 NET系最後の大物のカムバックとあってか取材記者もいつもより多く、カメラの数も多かったと言う。 また、山崎のファンだという親子連れが5組も大阪から来ていた。
 対戦相手は1年前に対戦したビラディック・ル・コンタン(12チャンネル系での呼び名はウィラダレイック・ルークロンタ)。 従来の前羽の構えからオーソドックスにスタイルチェンジしていた山崎は、初回にビラディックの右ストレートでダウンを喫し、そのまま失点を取り返せず判定負けとなった。 山崎は試合後、こう語った。

日刊スポーツ19710207.jpg

「スタミナはあったんですが、どうも足が出ないんです。 どうもすみませんでした」

 敗因は色々あっただろうが、業界では山崎の練習嫌いに原因を見出す意見が多かった様だ。 しかしより正確に言えば練習の場が無かったというのが一番の問題だったらしい。 山崎は練習の為に恵比寿の山田ジムに通う事にしたのだが、「練習だけ山田ジムでやって、看板だけが極真か添野じゃ虫がよすぎる!」というクレームが付き、じっくりと練習出来る環境に無かった。

月刊ゴング197104月号2.jpg

 添野ジムは埼玉県所沢市にあり、山崎の大学は神奈川県藤沢市である。 日大藤沢キャンパス最寄りの六会日大前駅から添野ジムの最寄り駅新所沢までは現在でも電車で約2時間掛かり、電車賃も決して安くは無い。 こう言った理由から再び山田ジムに通うも、極真の看板にプライドのある山崎は移籍しない。 その為、またジムから足が遠ざかる。 これが結果的に練習不足に繋がったという。
 しかし山崎不調の兆候は、極真会館主催の第2回大会でも現れており、この時山崎の構えは従来の腰を落とした構えでは無く、オーソドックスに近い構えが多かった。

山崎構え.jpg

 腰高に構えた結果か、後輩の長谷川に足を払われ一本負けを喫している。 この構えの変化は攻防のバランスを狂わせたのでは無かろうか。
 こうして最後の極真ジム選手、山崎照朝はこの試合を最後にリングを去った。 山崎の才能を知る関係者には惜しまれた、早過ぎる引退であった。


 という事で、「幻の極真ジム」シリーズ、如何でしたでしょうかー? 全部書こうという目的から冗長になってるのは否めませんが、書ける事は全部書いた気がします。
 多分NET系の全興行記録を集めたとは思うのですが、どうしても後1大会あったのでは? という疑念が拭い切れませんw アレ、あの大会が載って無いんじゃね? という情報をお持ちの方、お教え下さい。 あ、ソース必須です。(※下記に残り1大会の情報を追加しました)
 しかし、こうやって振り返るとキックボクサーとしての山崎照朝は勿体なかったなーと、そんな気がしますよね。 それから私が推測した部分はそれと分かる様に書いてるつもりですので、気になる事は下記参考文献を直接チェックしてみましょう。 孫引き伝言ゲームが流布するのは好ましくありません。 人の記憶も移ろい易いですからね、本人がそうと語ったからと言って正しいとは限らないのですw
 後、補足だけしとくと、山崎照朝先生も添野義二先生もこの話以降に極真の大会には出てます。

 最後に番外編として戦績データと、その後のNET系参加選手を取り上げておきますので続けてどうぞ
 

2012/09/10追記:
 見付けられなかった最後の1大会は1969年11月29日の滋賀県大津市皇子山体育館(観衆3000)でした。
 中京、山田、松戸の3ジムが参加しているので、極真ジムの戦績には関係ありませんでしたが、メインは増沢潔 対 ピラポン・ルンピーンで、3R1:57、パンチでピラポンの勝利。 ソースは「日刊スポーツ」(11/30/1969)です。
 これで「日刊スポーツ」が書いていた大会番号と全て一致しました。 全部で22大会で間違い無いかと思います。
 ご協力、ありがとうございました。




参考文献:
日刊スポーツ 1/14,2/24 1964年
 4/16, 4/26, 5/4, 5/10, 5/11, 5/28, 6/4, 6/11, 6/21, 6/25, 7/9, 7/23, 7/27, 8/1, 8/9, 8/14, 8/23, 8/24, 9/6, 9/12, 9/20, 9/27, 10/4, 10/18, 10/22、 11/5, 11/19, 11/29, 12/13, 12/24 1969年
 1/10, 2/7, 2/22, 2/28 1970年
2/7 1971年
ファイト 4/15, 5/25, 7/5, 7/15, 8/5 1969年
週刊現代 1964年4/23号 講談社 1964年
近代カラテ 1966年8月号 近代カラテ研究所 1966年
近代カラテ 1968年6月号 近代カラテ研究所 1968年
近代カラテ 1969年5月号 近代カラテ研究所 1969年
現代カラテ 1969年7月号 現代カラテ研究所 1969年
現代カラテ 1970年8月号 現代カラテ研究所 1970年
月刊ゴング 1969年6月号 日本スポーツ出版 1969年
月刊ゴング 1969年7月号 日本スポーツ出版 1969年
月刊ゴング 1969年8月号 日本スポーツ出版 1969年
月刊ゴング 1969年9月号 日本スポーツ出版 1969年
月刊ゴング 1970年2月号 日本スポーツ出版 1970年
月刊ゴング 1970年3月号 日本スポーツ出版 1970年
月刊ゴング 1970年4月号 日本スポーツ出版 1970年
月刊ゴング 1970年5月号 日本スポーツ出版 1970年
月刊ゴング 1970年6月号 日本スポーツ出版 1970年
月刊ゴング 1970年7月号増刊 キックボクシング特集号 日本スポーツ出版 1970年
月刊ゴング 1970年10月号 日本スポーツ出版 1970
月刊ゴング 1970年11月号
日本スポーツ出版 1970年
月刊ゴング 1971年4月号 日本スポーツ出版 1971年
月刊ゴング 1971年12月号増刊 キックボクシング大特集号 日本スポーツ出版 1971年
月刊ゴング 1972年1月号 日本スポーツ出版 1971年
月刊フルコンタクトKARATE4月号別冊 空手バカ一代たちの伝説 福昌堂 2000年
ジュニア入門百科 キックボクシング 宇津球道著 ひばり書房1969年
カラー版ジュニア入門百科 キックボクシング入門 北川衛著 沢村忠監修 秋田書店 1969年
いつの日か 男は狩人 深沢茂樹著 けん出版 1980年
空手に賭けた青春 無心の心 山崎照朝著 スポーツライフ社 1980年
真の強さを求めて 生涯の空手道 廬山初雄著 スポーツライフ社 1980年
燃えよ士魂魂 添野義二著 スポーツライフ社 1982年
戦士 HERO キックボクシング20年史 スポーツライフ社 1984年
小さな巨人 -大沢昇伝 松永倫直著 スポーツライフ社 1986年
わが師大山倍達 睫攘庵 徳間書店 1990年
本部朝基と山田辰雄研究 小沼保編著 壮神社 1994年
挑戦―武道一代 太田学著 プロデュース 1998年
極真外伝 〜極真空手もうひとつの闘い〜 ぴいぷる社 1999年

参考映像:
第5回全日本空手道選手権大会 1973年 フジテレビ
長谷川一幸 極真カラテ 入門編 vol.1 2008年QUEST

関連リンク:
幻の極真ジム 1(1969年)
幻の極真ジム 2(1969年)
幻の極真ジム 3(1969年)
幻の極真ジム 4(1969年)
幻の極真ジム 5(1969年)
幻の極真ジム 番外編(全戦績データ)

 






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コメント
大阪府立体育会館で山崎さんの試合を実際に見た人に聞いたことがあるんですが、試合がすぐ終わって面白くなかったと言ってました(笑)
  • やいや
  • 2012/09/09 12:39 PM
>やいやさん

NETでの山崎先生の試合、見てみたいですよね。
でも、NET系で大阪の試合が見当たらないので、場所が違うか、私が把握していない大会があるのかも知れません。
大阪での試合、何か他に情報がありましたらコメント欄に書き込み下さい。

  • Leo
  • 2012/09/09 7:02 PM
>やいやさん
追記:
先ほど未発掘の大阪大会について情報を頂きましたので、近日中に調査して来ます。

で、実際に見付かれば、記事の方に書き足しておきますね。

これでずーっと疑念の晴れなかったもう1大会が見付かればいいなぁ…。
記事中にある通り、ずっとこれを抱えていたのでw
  • Leo
  • 2012/09/09 9:00 PM
バイヨク・ボーコーソーは山田ジムのトレーナーで山崎氏に
タイ式を教えてもらったと自身の自伝に書いてありましたね。
うがった考えかもしれませんが八百長という事はないでしょうか。
山崎氏が東京12ch復帰の時、山田ジムで練習してたらクレームがついたとありますが、当時山田ジムの選手側はnet 時代山崎氏が特別扱いされていた事に対する不満が起因しているような気もしますが。
もう30年前になりますが空手バカ一代全盛時、自分の知人で山田ジムの3回戦ボーイだった人を通して山田ジムの5回戦選手に聞いた事があるのですが
「添野は大して強くもなかった。山崎、あれはまあまあ強かった、でもあいつの試合八百長くさっかった気もする。あんなにきれいにハイキック決まるのは考えられない」
まー、証言というのは額面どおり信じられませんし、キックセオリーだと空手式の蹴りは通用しないという考えが根底にあるのが起因
しているし、個人的には山崎氏の試合は八百長だとは思いませんが。
山崎氏にNETの王座決定戦に出てほしかったですし、山崎氏の最後のキック試合後、東京12CHの統一王座決定戦が行われましたが、この時も、ゴングの戦前予想では「山崎VS錦利弘のゴールデン対決がみられないのは残念」と記載されてましたね。
ちょっととりとめなかったかもしれませんが
  • オールドキックファン
  • 2012/09/10 12:18 AM
バイヨクってのは当時のルンピニーの王者でした。が、日本で試合したバイヨクは、日本で戦うようになってからバイヨクって名前を使った(付けられた)らしいですよ。要は、ムエタイに詳しい人には、タイのチャンピオンと勘違いさせるようだったとか・・・
  • 研究家
  • 2012/09/10 10:36 AM
山田ジムでトレーナーしていたトムスイリー
の事ですね。
山崎氏の自伝で、タイ式のけりを教わり、トム氏から
「君は、才能も実力もあるからもっと試合に出て力を
発揮したらよいよ」と勧められた記載されてましたね。
  • オールドキックファン
  • 2012/09/10 12:38 PM
>オールドキックファンさん、研究家さん

証拠の無い八百長云々は、只のイチャモンにしかならないので割とどうでも良いんですが、山崎先生自身も他のジムとの軋轢は感じていましたねw
暫く試合をしていない専属コーチを引っ張り出して来たんですから、八百長で無くても勝ち目は無かったでしょうしねぇ。
それに蹴りは空手よりもムエタイよりの蹴りですし、ご本人も左の蹴りはカンナンパイに習ったと仰ってました。
ただ、当時の記事を見ると、ハイキックに懐疑的な部分があったのかな、という気はします。 「月刊ゴング」の「黒崎健時のキック教室」でもハイキックが軽視されてました。
業界的にはローキックの方が信奉されてたのかなぁ。

と言うか、トムコーチがバイヨクだとは知りませんでしたw
「ファイト」のインタビューによれば64年頃に選手として来日したとありましたけど、国際式の選手として来たんでしょうかね? その後沢村忠を育てた、と記事にはありましたがさて…?

  • Leo
  • 2012/09/10 9:11 PM
トムコーチがバイヨク
↑↑↑
これは知りません。日本で試合した『バイヨクは三流』と聞いた事はありますが・・・



暫く試合をしていない専属コーチを引っ張り出し
↑↑↑
ちょっと年がはっきり覚えてないですが、バイヨクの事なら沢村と数回、堀川とも数回試合してるはずですよ。


日本で最初にキックの試合をしたのは、ラクレー,サマン,キンゲウ,テパリットには間違いないです。タイのニュース(TV)でそう言ってたようです。バイヨクが日本に来たのは1966年以降と言われてますが・・・

  • 研究家
  • 2012/09/10 10:07 PM
バイヨクについてはどこまで真実か分からないですが、沢村の先生は間違いなくラクレー・シーハヌマーンです。証拠なければ言わないですが。
  • 研究家
  • 2012/09/10 10:12 PM
>研究家さん

「ファイト」によればNET系旗揚げ頃に目黒ジムから移って来た様ですが、少なくともNET系では全然試合をしていないので、「暫く」という表現を使いました。

その他の話は個人的には研究家さんに窺ってますけど、本当にバイヨクって人物は何で64年から日本にいたんだろうって疑問なんですよねw
当時の記事では沢村忠の元コーチを自称してましたけど、「真空飛び膝蹴りの真実」では、東洋タイトルマッチの話で闘ったって記述しかありませんでしたし。
  • Leo
  • 2012/09/10 10:47 PM
バイヨク=トムコーチの記事はs47年1月号とs49年8月号の月刊ゴングで「山田ジム特集」で掲載されてます。

ただ、当時の記事を見ると、ハイキックに懐疑的な部分があったのかな、という気はします。
「月刊ゴング」の「黒崎健時のキック教室」でもハイキックが軽視されてました。
業界的にはローキックの方が信奉されてたのかなぁ。
 ↓
これは個人的な私見かもしれませんが、黒崎氏はタイ式に敗れ、空手の技に疑問をいだきキックを起こしたのは自伝etc.に記載されてます。
また昨今ですとk-1でアンディ登場までは顔面パンチ有りのキックでは空手式
のハイキック、後ろ回し、かかと落としの技は通用しないというのが定説でしたし
そのような技を使う選手もいなかったし、キックのジムでは教えなかったようですね。
本人の才能に起因するところもあると思いますが、山崎氏が当時具現できた人物ではないかと思います。
  • オールドキックファン
  • 2012/09/11 12:09 AM
山崎さんと組手やった先輩が、手や足が痛くなって何もできなくなると言ってましたね。
  • やいや
  • 2012/09/11 2:53 PM
>オールドキックファンさん

情報ありがとうございました。 出てましたね。 でも、沢村忠との関係が載って無かったのは残念です。

ま、確かに日本ではハイキックの名手と呼べる様なキックの選手はあんまいた記憶が無いですねぇ。 TBS系だといそうですけど、そこまでキックの方は詳しく無いですw
アメリカの方だとロー禁止のルールがあったので、ビル・ワラスみたいな選手もいましたが。
「ムエタイの本」で、島三雄さんが「ほとんどうちはローキックとストレートだけだったなあ」と回顧されてましたが、当時は見せ技的なイメージだったんですかね。

>やいやさん
今シリーズでも書きましたが、肘や膝での受けを相当練習されたそうですからね。
途中で攻撃するのが嫌になるそうですw
  • Leo
  • 2012/09/12 9:25 PM
1969年11月29日の滋賀県大津市皇子山体育館の情報ありがとう
ございました。
この日極真ジムは出場してないそうですから
添野氏の生涯戦績は5勝3敗でほぼ確定的ではないでしょうか。
当時、ゴングの記事で1勝多く書かれて、それが定説になったのが
真相ではないでしょうか。
ちなみに黒崎氏のタイ遠征が日本スポーツ出版社編集のビデオ(大いなる挑戦)だと
舟木さんがS38年と名言してますけど、新聞記事で明らかにS39年2月ですね。
雑誌等の情報は100%当てにできないですから。

ま、確かに日本ではハイキックの名手と呼べる様なキックの選手はあんまいた記憶が無いですねぇ
  ↓
これも個人的な私見かもしれませんが、
大石代吾氏もキックやって欲しかったですね。
あの妖刀村正の蹴りが顔面パンチありのキックでも通用したか興味ありますから。
ただ、グラウベのブラジリアンキックもK-1では思うように発揮できなっかたら....
勝負はやってみるまではわからないですね
  • オールドキックファン
  • 2012/09/12 11:18 PM
>オールドキックファンさん

こっちの業界のライターさんって孫引きが多いんですよね。 だから元ネタが間違ってると延々と間違い続けるケースが多いんですw
雑誌に関して言えば自社の過去記事から持って来たりとかするので、原典をチェックしません。 そしてソースを提示しない事が多いので、それが正しいのか読者の側で判断するのは難しいです。

大石先生も膝の故障が多かったので、プロとしてやって行くのは難しかったでしょうが、あの時期の門下生は顔面ありでやっているし当て勘も持っている方なので、割と適用力が高かったとは思いますね。
それでも向き不向きもありますし、仰る通りでやって無い以上は分かりませんねぇ。
  • Leo
  • 2012/09/14 9:14 PM
いろいろありがとうございました。
極真ジム、NET KICKの全貌は以前から興味あり、自分も調べた事ありますが
「1969年11月29日の滋賀県大津市皇子山体育館興業」「1970年2/21の札幌興業」
は見落としてました。
今回のシリーズでほぼ完璧にデータはそろっているのではないかと思います。
  • オールドキックファン
  • 2012/09/15 12:30 PM
Leo様
はじめまして。
突然のお問い合わせ失礼致します。
わたしは1960年代後半〜70年代前半にキックボクシングで活躍していました吉田竜(杉並ジム)について個人的に資料を集めているものです。
吉田さんは現在わたしの実家の近所のに住んでいる方なのですが、地域の方に吉田さんの活躍を知って貰えたらと思い調べています。
ワールドキックボクシング(テレビ朝日系列)で滝幸太郎さんや添野義二さんとの試合が中継されていたテレビ欄を元に、テレビ朝日にも問い合わせてみたのですが、著作権の関係や古い映像のため探すことが困難なことから断られてしまいました。
そしてインターネットで調べている内にこの記事にたどり着きました。
こちらの記事の中で活躍した選手などの記事の画像が載っているので、もしも吉田竜についての当時の記事をお持ちでしたら、写真でもコピーでも構いませんので、お譲りいただけたらと思いご連絡させていただきました。
お手数をお掛けしてしまいますが、ご協力頂けましたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。m(__)m
>kuwipomさん

この時代は全試合記録ですら追うのが非常に困難です。
当記事で参考にしました資料は記載した通りですので、そちらを当たって頂ければと記事に書いた情報の一切が得られます。
ただ、話題性のある選手以外はクローズアップされませんので、お尋ねの吉田竜選手に付きましては、試合記録しか載っていなかったと思います。
最も記述が長いのは、添野先生の自伝や評伝ですかね。

  • Leo
  • 2014/12/03 10:25 PM
Leo様
ご丁寧にありがとうございますm(__)m
そうなんですね。
わたしもこのブログのお陰で随分当時のことが勉強出来ました!!
ご紹介いただきました書籍を調べてみたいと思います。
この度はご親切にありがとうございました!!
LEOさんのおっしゃるように話題性のある選手以外はクローズアップされず
新聞の対戦カードで試合記録しか載っていないのは現在も今も同じでしょうね。
後は関係者、知り合いの証言でしか知る事できないです。
添野氏と対戦した吉田竜選手、現在どこに(市町村)お住まいか、近況を差しつかえなければ教えてください
  • 白帯十段
  • 2014/12/06 8:20 PM
>kuwipomさん

大変かと思いますが、頑張って下さい。

>白帯十段さん

当時は「月刊ゴング」以外は殆ど専門誌がありませんからね。 参考にした「週刊ファイト」も試合記録じゃなくて、業界の情勢的な事しか書いてないですしw
  • Leo
  • 2014/12/07 6:37 PM
久しぶりにふとゴングの「S45年7月キック増刊号」を
読み返していたら興味深い記事を見つけました。
「どちらが強い 空手とキック?」ライター 
P82 上段 4行目〜
「〜山崎はNET テレビ系のキックボクシングのエースとなったことがあり、ピラポンにもサマンにもキックボクシングで勝ったことがある。」
山崎氏のキック戦績は当時の雑誌、新聞の記事から探すと
6勝2敗となっているのは本ブログでも紹介されていますが、本人申告では8勝2敗となっています。
残り2試合はNET がテレビ放映終了後、ノンテレビで地方興業2試合がありどちらもKO勝ちであったとのことです。
ピラポンは6勝の対戦相手にはないです。
「S45年7月キック増刊号」の発刊時期からして信ぴょう性は高いのではないかと思います。
もし事実とすればこのピラポンは沢村、増沢潔(全日本初代ウェルター級チャンピオン)始め、日本人選手に確か7連勝しているので山崎氏の実力はやはりすごいと思いますが。
  • オールドキックファン
  • 2015/02/02 1:26 PM
>オールドキックファンさん

「東京中日スポーツ」(2013/6/14)の「空手バカ一代記」に残り2戦についての説明があります。 ウチのブログでやった後なので、私に対する回答だと勝手に受け止めてますがw
この記事にも
「最後にNET(現テレビ朝日)は放送を打ち切り。 その後、テレビ中継はないものの、プロモーターと契約した興行が残っていた。 山崎は地方で2試合(2勝2KO)しているという。」
とありますので、試合ペースから考えると70年の3月にどこかで2試合しているんでしょうねぇ。
  • Leo
  • 2015/02/02 8:47 PM
中京ジムに所属していました、ライト級です、昔のことで記憶はだいぶ薄れています、  片山源太くんとはよく練習していました。矢車淳二選手と対戦しました吉田選手他
  • 滝幸太郎
  • 2015/03/14 12:41 PM
>滝幸太郎さん

書き込みありがとうございます。
現在所有している資料ですと、NETで3試合されていますよね。
何か思い出に残っている事などありましたら書いて頂けると幸いです。
  • Leo
  • 2015/03/17 11:54 PM
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