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大山倍達マニアック検定

幻の極真ジム 番外編 (全戦績データ)

JUGEMテーマ:空手
 

日刊スポーツ19690416.jpg

 はい、では今回は番外編として、全極真ジム所属選手の戦績データと、NET系から出て他団体で活躍した選手のデータをここに纏めておきました。
 番外編なんで、文章もざっくばらんになってます。 本編は下記の関連リンクから飛んで下さい。




 1970年2月の興行を最後に「ワールド・キックボクシング」は解散する訳ですが、他団体に移籍後も好成績を修めた選手が何人もいたりします。 まずは彼らから紹介致します。 多分この5名だけで十分だと思います。 あ、WKBは「ワールド・キックボクシング」の略です。

フライング・ジャガー.jpg

フライング・ジャガー(山田ジム)
1949年、東京都出身
本名:康永辰雄
39戦32勝6敗1分(31KO)
・初代WKBフェザー級王者
・初代全日本J・ライト級王者
 
増沢潔.jpg

増沢 潔(山田ジム)
1948年、東京都出身
67戦47勝19敗1分(39KO)
・2代目WKBウェルター級王者
・初代、4代目全日本ウェルター級王者

江口和明.jpg

江口和明(杉並ジム)
1947年、佐賀県出身
62戦33勝28敗1分(31KO)
・初代WKBバンタム級王者
・全日本バンダム級1位

鶴田幸成.jpg

鶴田幸成(杉並ジム)
1947年、鹿児島県出身
60戦37勝21敗2分(34KO)
・全日本J・ウェルター級1位

片山源太.jpg

片山源太(中京ジム)
1948年、長崎県出身
54戦39勝10敗5分(32KO)
・全日本バンタム級1位
 
 キックにそんなに詳しく無い私でも皆知ってる名前なので、結構名選手だと思います。 というか、そろそろキックボクシング年代史みたいな本が出来ても良さそうなもんです。 年表は何タイプか持ってますけど、細かい歴史本って無いですもんね。 柳澤健さん辺りが書いてくれないかな? ちなみに戦績データは基本的に「ゴング格闘技」を参考にしてます。 他にも早川新助選手や川野孝義選手も取り上げたかったんですが、戦績が不明なので止めました。

 で、こっからは今回調査した結果を集計した極真ジム所属選手の全戦績データです。 山崎照朝先生だけは添野ジムの戦績1試合分を追加してます。 私が集めたNET系全21興行記録に漏れが無ければ多分間違い無いでしょうw

山崎照朝
全8戦 6勝2敗(6KO)

1969/4/15    ○KO 2R 0:45 ピサダン・ラートカモル
1969/4/25    ○KO 1R1:33 カンナンパイ・ソントーン
1969/6/24    ●判定 カンナンパイ・ソントーン
1969/10/3    ○KO 1R2:06 サマン・ソー・アジソン
1970/2/6      ○KO 3R0:32 ヤディサック・スリムーン
1970/2/21    ○KO 3R1:36 バイヨク・ボーコーソー
1970/2/27    ○KO 1R2:28 ビラディック・ル・コンタン
1971/2/6      ●判定 ウィラアダレイック・ルークロンタン(ビラディック・ル・コンタン)
及川宏
全2戦0勝2敗 
      
1969/4/15    ●KO 4R 1:28 トニー・エモンズ
1969/6/3      ●KO 2R 2:43 ペティ・タシロ
添野義二
全8戦5勝3敗(5KO)

1969/4/15    ●判定 カンナンパイ・ソントーン
1969/5/27    ●判定 ルマナチャイ・ル・チャウファー
1969/6/3      ○KO 2R 2:34 スティーブ・ベック
1969/6/24    ●判定 マナチャイ・ルチゥファー
1969/7/26    ○TKO 2R終了 上月純
1969/8/22    ○KO 2R0:17 トニー・ファイム
1969/10/3    ○KO 2R0:21 ブライアン・フィトキン
1969/11/28   ○KO 3R1:36 吉田竜
鯰江明
全1戦1勝0敗
       
1969/4/25     ○判定 ペティ・田代
加藤重夫
全1戦0勝1敗
       
1969/4/25     ●TKO 3R1:15 アナン・ルコモン
矢吹丈
全2戦0勝2敗 
      
1969/7/26     ●KO 1R2:09 中島広二
1969/10/3     ●判定 矢吹丈
姿五郎
全4戦3勝1敗(1KO)

1969/8/8       ○引分 立 明
1969/9/5       ●KO 4R2:57 石川正夫
1969/10/3     ○判定 石堂弘
1969/11/28   ○KO 2R2:53 ジョージ長浜
渡辺昇
全2戦0勝2敗
       
1969/8/8       ●KO 1R2:12 康永五郎
1969/9/5       ●KO 1R0:25 石井(判読不可)
青山二郎
全1戦0勝1敗 
      
1969/10/3     ●KO 1R1:56 湯浅貞志
増田賢一
全1戦0勝1敗 
      
1969/10/3     ●判定 フライング・ジャガー
西田幸雄
全1戦0勝1敗       
1969/10/17   ●KO 2R1:20 川野孝義
石鳥章吉
全1戦1勝0敗       
1970/2/6     ○判定 坂巻清
武田光夫
全1戦0勝1敗       
1970/2/6      ●KO 3R0:47 小林正勝
大高茂
全1戦0勝1敗       
1970/2/27    ●判定 春川満
渡辺昭一
全1戦0勝1敗       
1970/2/27    KO 2R1:08 川野孝義

 こうやって見ると、山崎先生と添野先生、それから城西大空手部2代目主将の姿五郎(荒木信二)選手以外は殆ど1〜2戦だけなんですよね。 数合わせで急遽出場ってケースが多かった様に見えます。 プロを目指して熱心にやろうと考えていた選手はあまりいなかったんじゃないですかね。 あ、矢吹丈選手は途中で真の矢吹丈決定戦?とやらに負けちゃったので、以降は不明ですw ひょっとしたら別のリングネームで出てるかも知れません。
 1970年以降の添野ジムでちゃんとやった上でデビューしてたら、もっと違った結果が出たんじゃないかなぁ。
 で、何で城西大の選手が皆リングネームかなって考えたんですよ。 そしたらですね、ふと思い立った事がありまして。 当時の城西大空手部ってのは極真系としては珍しく全日本学生空手道連盟傘下なんです。 卒業する添野先生は空手部を引退したと言い張れますが、2期生以降は空手部現役な訳です。 ですからプロとして参加するには都合悪かったんでしょう。 で、本部の生徒はそんな縛りが無いので本名で出てたと。

 ちなみに山崎先生は公式には10戦8勝2敗になってますが、どれだけ探しても足りない2試合は見付かりませんでした。 多分記憶違いですw

月刊ゴング197002月号2_T.jpg
何故か「添島義三」に

 添野先生は当時の「月刊ゴング」に9戦6勝3敗とあるのですが、こっちも散々探しましたが残りの1試合が見付からず。 その為、実はもう1興行あったのでは? という疑念が拭い切れませんw

 キックにそんなに詳しく無い私が言うのも何ですが、キックボクシング史というのは自伝評伝を抜かすとあまり良い資料本がありません。 年表だけならスポーツライフ社の「戦士 HERO キックボクシング20年史」、今回は使用しませんでしたが割と近年発売されたムック本「キックボクシング入門」(以前紹介した69年出版の物じゃありませんよ。 ちなみに改訂版もあるらしい)、そして「ゴング格闘技」の1988年5月号特別企画、「写真で綴るキックボクシング22年史」辺りがオススメですかね。

戦士HERO.jpg

キックボクシング入門.jpg
正直、同じ写真使うのは如何な物かとw

ゴン格88年5月号.jpg

 「格闘技通信」の特集はちょっと短いかな、断片的に細かいのはあるんですけどね…。 何か総合史でオススメなものがありましたら、コメント欄にてご紹介頂けると幸いです。
 で、極真ジムについては…まぁ、「極真外伝」でほぼカバー出来ますね。

極真外伝.jpg

 という事で今回はここまで。
 それでは、また。


参考文献:
日刊スポーツ 1/14,2/24 1964年
 4/16, 4/26, 5/4, 5/10, 5/11, 5/28, 6/4, 6/11, 6/21, 6/25, 7/9, 7/23, 7/27, 8/1, 8/9, 8/14, 8/23, 8/24, 9/6, 9/12, 9/20, 9/27, 10/4, 10/18, 10/22、 11/5, 11/19, 11/29, 12/13, 12/24 1969年
 1/10, 2/7, 2/22, 2/28 1970年
2/7 1971年
月刊ゴング 1970年2月号 日本スポーツ出版社 1970年
ゴング格闘技 1988年5月号 日本スポーツ出版社 1988年
極真外伝 〜極真空手もうひとつの闘い〜 ぴいぷる社 1999年
キックボクシング入門 〜平凡な日常にキック・ユア・アス!〜 ベースボール・マガジン社 2004年

関連リンク:
幻の極真ジム 1(1969年)
幻の極真ジム 2(1969年)
幻の極真ジム 3(1969年)
幻の極真ジム 4(1969年)
幻の極真ジム 5(1969年)
幻の極真ジム 番外編(全戦績データ)


 






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コメント
話しがやや横道それているかもしれませんが
NET KICK に出場してた「トニーファイム」「スティーブベック」「ジョンロバートソン」らの外人選手も極真門下生ですね。
確か及川氏と対戦したトニーエモンズ以外、添野氏以外の他のNET KICK 選手に全敗でかませ犬的な感じだったみたいですね。
山崎氏がフルコンタクト空手で「本部外人門下生もキック参戦してたが大したのはいなかったな」とコメントしてましたね。
ゴングにも「外人選手はレベルに問題があったが山崎、鶴田、増沢氏らは他局に比べたも見劣りしなかった」と記載されてました。
空手バカ一代で芦原氏と対決したジプシー空手のモデル「ピーとマックレーン」もこの当時、NTV KICK に参戦していて錦利弘にKO負けしてます。
NET KICK発足当時、業界では「ワールドキックはひどく、素人の域を出ない」との評価があったようですが、山崎、鶴田、増沢氏らのレベルは他局に比べても劣りはしなかったと思います。
おそらく外人選手のレベルとか老舗であるTBS KICK側(野口氏)のプライド、対抗意識が起因しているのはないでしょうか?
  • オールドキックファン
  • 2012/09/15 1:07 PM
>オールドキックファンさん
まぁ、大した事が無いというか、例えばレイモンド・エドラーの様に本気でキックをやろうとした人間が誰もいなかったって事でしょうね。
当時空手留学してた門下生は、裕福って訳じゃなかったですし、個人的にはバイトの一種、という感じで参加したとしか見ていません。 多分大半の極真ジム選手もそんな感じでしょう。
一回出たら3万円貰えるバイト、ってな感じでw
何せ、マトモにジムでキックの練習をしていたという形跡がありませんからねぇ…。

ただ、極真会館の側からすると、当初は海外支部を持つ組織としてやるという方向性も提示していましたから、最初の頃はそこまで割り切って無かったかも知れません。
  • Leo
  • 2012/09/15 3:39 PM
極真ジム&NETキックの全貌解明、その成果に感服しています。
「第1回全日本の前日にキックの試合があって、タイの選手は両大会に連戦していたこと」
「(おそらく)西田先生が極真ジムの名前でキックの試合にでていたこと」については、私も30年くらい前に国立国会図書館の資料を探していた際、気がついていました。その後、「極真外伝」をはじめ、メディアで触れられないのを不思議に思っていました。(私が気が付いていないだけかもしれません。)

加藤重夫先生の極真ジムの戦績は気がつきませんでしたが、昔の雑誌を読み直していて、下記の雑誌記事をみつけました。(参照されていたらすみません。)

(フルコンタクトカラテ 1995.5月号「極真の牛若丸健在なり:加藤重夫ロングインタビュー」)

加藤先生の記憶では、KOとなったのは4Rとのことです。{記事は3R1分15秒TKO}.大会記録は、公式記録員か日刊スポーツの記者が時間を計測しているのであれば、新聞記事の方が正確なのでしょうね。
要約すると、代打出場はその通りで、試合内容は、「前足のローで効かされるものの、右ローでダウンを奪うが、レフリーはダウンをとらない。4R左フックで、もう一度ダウンを奪うも、やはりレフリーがダウンをとらない。そこで飛びかかったところに、ヒジでカットされてストップとなった」ようです。
加藤先生の記憶の描写ですので、第三者的には違っているかもしれませんが、試合内容のイメージが浮かんできます。

もう1点、全戦績について、あまり影響はないとは思いますが、少し気になった雑誌記事がありましたので付けくわえさせていただきます。
同じく フルコンタクトカラテ 1997年12月号 特集 青春大山道場
今明かされる極真ジム伝説 の中の添野先生のインタビューで

――地方もあったんですか
添野:あったよ。北は青森、南は九州まで行ったから。

というのがありました。極真ジムの全戦績を再度読み直しましたが、青森はなかったと思います。(添野先生は、出場されていませんが、北海道では開催)。
おそらく 「北から南まで日本全国」を比喩的に話されたのではないかと推測しているのですが、どうでしょう。

長々とすみません。最後にもうひとつ。次は「第一回全日本大会」の検証を是非お願い致します。パンフレットを持っていないので、現代カラテマガジン53年10月号の再録・出場者名簿をみながら想像するしかないのですが、魅力一杯の大会です。
(極真ジムの検証とかなり重なる部分はあると思いますが)
名簿にはありませんが、同カラテマガジン52年10月号の大会回顧記事中「ブライアン選手のローキックの強力さには目をみはるものがあったし・・・」というのがあります。NETキックに出場されたブライアン・フィトキン選手ではないかと思います。どなたかの代打出場だったのでしょうか
  • 烈山
  • 2012/09/16 8:13 AM
>烈山さん

ありがとうございます。
いやぁ、加藤先生がキックの話をどっかで語っていたなぁと記憶はしていたのですが、どこだったか失念してましたw
代打出場だと推測したのは、頭の片隅に記憶があったからかなぁ。

添野先生の「北は青森、南は九州まで」は比喩だと思いますね。 九州唯一の大会もご本人は出場されてませんし、「極真外伝」に九電体育館でのポスターがあったので、出場してたのかな? とコメント読みながら事前に推測してたんですけど、実際に新聞漁ったら載って無くて、「行ってないじゃん!」と、ちょっと戸惑いましたw

第1回全日本についてはやる予定ですが、確かに大会時の名簿やトーナメント表にフィトキン先生は載ってません。 開催当時の「虹をよぶ拳」にも出ていたので、出場されてる筈ですが、当時の「現代カラテ」を入手出来れば書きたいと思っていますね。
某師範が選手に叩かれて伸びてる写真なんかもあるのですが、トーナメントの細かい所まで書きたいので…w
  • Leo
  • 2012/09/16 10:58 AM
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