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大山倍達マニアック検定

「カラテ群像」10 矢島力 初段(1983年)

JUGEMテーマ:空手
 
 さて、10月になりましたがまだまだ都内は暑く、曇りや雨の日以外は普通に半袖で十分な気候ですね。

 今回は「月刊パワー空手」1983年4月号より、記録上では最も古い昇段記録者として岡田博文先生と共に名を残す、矢島力先生の記事を紹介します。
 それではどうぞ。

矢島力2.jpg

矢島力 初段

 昭和13年2月、東京都に生まれる。 幼い頃より武道に憧れ、中学1年より高校卒業時まで柔道を学ぶ(二段)。 31年・国学院高等学校を卒業。 豊島区役所に勤務する傍ら19歳で大山道場に入門、空手の修業に励む。
 なお、39年豊島区役所退職後は、園芸販売の仕事などを経て、現在光栄地所(株)営業部長。







"武道"の2文字に惹かれて

 小さい頃より武道が好きであった私は、中学入学と同時に本格的に柔道を習うようになり、以後高校卒業時まで柔道部に籍を置いた。 スポーツであれば何でも好きで、特に柔道や空手といった、"道"と名のつくものには心底憧れたものである。
 高校を卒業したのは昭和32年の3月。 翌4月より豊島区役所に勤務することとなったが、この区役所務めが、大山道場入門の足がかりとなったのであった。 柔道を習っていた当時より、常々私は「自分は柔道よりは、空手のほうが向いているではないか」と思ってはいた。 上背は172cmとそれほど低くはなかったが、どんなに稽古量を重ねても、一向に体重が増えなかったからである。 62kgの軽量では、柔道をやるにはあまりにもパワーがなさすぎたのである。


矢島力1.jpg
 立教大学の裏にあった大山道場を知ったのは、高校を卒業した年の夏であった。 昭和32年8月29日、その日のことは今でもはっきりと脳裏に焼きついている。 大山道場が、目白から立教大学裏に移されてから1年後のことであった。 当時私は19歳。 区役所から帰宅の途中、道場の稽古風景が目に映り、吸い寄せられるように中へ入っていった。 そして、大山館長に入門の許可をお願いした次第である。
 初めて大山館長にお会いできたその時の感動を、30年近くがたった今でも、私は忘れることがない。 武道家特有の、はじき飛ばされるような威圧感が全身に伝わってくるようであった。

大山道場入門の頃


 私は週に4回、稽古に通った。 日曜日を含む勤め帰りの時間を道場で過ごしたのだが、私の青春の一頁は、ここから始まったように思う。
 噂には聞いていたが、確かに、大山道場の稽古内容は凄まじいものであった。 道場には常時30〜40名ほどが練習に来ていたが、ほとんどの稽古生が1年で道場から姿を消した。1年たつと、顔ぶれが変わってしまうのである。
 それでも、道場内はいつも活気に溢れていた。 入門したての頃、私は必死になり、先輩方の基本や組手を見様見真似で追いかけていた。 稽古は厳しかったが、さほど苦しさを覚えなかったのは、柔道をやっていたためある程度、基礎体力がついていたからではなかったかと思う。

矢島力3.jpg

 道場には素晴らしい先輩が何人もいた。 安田英治さんや加藤健二さん、そして、石橋雅史さんなどが互いにその技を競い合っていた。
 ほかにも、渡辺一久、大山茂、大山泰彦、小沢一郎、郷田勇三、加藤重夫、松井克允、岡田博文の各氏が、共に汗を流した仲間として記憶の中に残っている。
 このなかでも、とりわけ印象深かったのは、安田英治氏と石橋雅史氏である。 当時黒帯や7,8人ほどいたと思うが、石橋さんの流れるような華麗な組手に対し、安田さんのそれは剛の組手であった。

大山道場7.jpg

 また当時の、昇級・昇段の仕方は、今のように5段階方式をとっていなかった。 白帯から茶帯、そして黒帯という3段階に分かれていたのだが、茶帯には6ヵ月でスピード出世をした私も、黒帯をとるには2年の歳月を必要とした。 そして、以来そのまま、初段止まりになってしまった。 それでも、かれこれ10年くらいは修業に励んだろうか……。

道場に沈んだある大先生

 この10年の間には、さまざまな思い出がある。 その一つ一つをあげれば枚挙に遑がないが、それらエピソードの一端を紹介してみたい。
 まず、組手では怪我人が続出した。 毎日のように怪我人が出て、目の上を切る者はざらだった。 血止めのない時代なので、タバコをすりつけて止めたりしたものである。 この"怪我"の話では、忘れられないことが一つある。
 私が結婚したのは昭和40年だが、この時大山先生をご招待した。 式は予定どおり進められた。 が、先生のお姿が見られない。 式が終わり披露宴に移ったが、それでもそのお顔を見ることができなかった。 私は淋しい思いで式場を出、新婚旅行へと出発したのだが、その理由がのちになってわかった。 稽古生が大怪我をして、その手当をなさっていたのである。 私達が出発したあと、数分違いで式場へ到着なさったのであった。
 怪我といえば、私は入門してしばらくたった頃、道場内で凄まじい光景を見たことがある。
 それは、安田英治先輩が、柔道、剣道、合気道、拳法など「武道ならなんでもござれ」という他流派の先生を、一撃で道場の床に沈めたことである。 大山館長とは懇意な仲にあったその先生は、ときどき私達の組手の指導もなさっていた。 そしてある日、安田先輩と立ち合うことになった。 別に「他流派が道場破りに来た」という種のものではなかったが、私はこの組手を非常に興味深く見守っていた。


大山道場3.jpg

 安田先輩は「ハードな組手の持ち主」として知られていたが、確かに氏の突き蹴りには"一撃必殺"の威力があった。 一度"拳"を出したら、相手をダウンさせていたように思う。 そして、いわゆる約束組手ではなく"真剣勝負"そのものであった組手において、他流派の先生ももんどりうってひっくり返り、そのまま病院送りにとなってしまったのである。 安田先輩の足刀と裏拳が先生の顔面と腹部を同時に捉えたのであった。 その先生を病院に背負っていく役目を、私は仰せつかったのである。 驚いたのは、自分の友人が自分の弟子にノックアウトされた様を見た大山先生であった。 私は改めて、極真カラテの凄まじさを目のあたりにした。
 大山先生より直接稽古指導を受けることができたことは、私の人生の誇りともなっている。 先生にはよく、約束組手や自由組手を数えていただいた。 当時大山先生は、年に2度ほどの海外出張をなさっていたが、アメリカでFBIの稽古をつけられ帰国された"土産話"が今でも忘れられない。 「FBIの隊員達は一度数えたらすべてをマスターしたものだが、君たちは何度教えても、呑み込みが悪いね……」
 海外遠征を終え帰朝された直後の先生の目は、より一層厳しく光っていた。 スピードやテクニックに加えて「パワーをつける」ことを強調されたが、それは先生の"生"の体験から得たお言葉のように思われた。 組手で疲れたような表情を見せると「自分が苦しい時は相手も同じように苦しいものだ」と口癖のようにいわれたことが、今となっては懐かしく思い出される。
 現在、仕事の都合もあって、私は空手からは遠のいてしまっている。 それでも好きで全日本の大会にはよく観戦に行くが、その内容は当時と少し変わってきているように思う。 組手が崩れたような気がするが、より実戦的になったということであろうか。 ――以上、とりとめのないことを連ねてしまったが、最後に、同門の一人として、極真カラテのさらなる発展を期したいものである。



 という事で、矢島力先生でした。
 極真会館に現存する昇段記録で最も古いのが1959年12月なんですが、そこに矢島先生の名前があるんですよね。 その為大山道場黒帯第1号という栄誉が与えられています。 まぁ、実際には昇段年度不明な諸先輩方もいらっしゃいますが…。
 1967年頃まで空手をされていたという事ですが、古い技術書を見ると道着のズボンの所に「矢島」と書かれた方が写っています。 「ダイナミック空手」にも試し割りをする写真が載ってますので、お持ちの方は探してみると良いかも知れませんね。

 あ、ところで昨年亡くなられたメディア8の前田達雄社長と真崎明さんが書かれた「命の恩人 大山倍達」、無事入手しましたw
 それでは、また。


参考文献:
月刊パワー空手 1983年4月号 パワー空手出版社 1983年
極真カラテ総鑑 国際空手道連盟極真会館監修 波書房 2001年








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コメント
本で矢島先生のズボンに大きく書いた名前が印象に残っていましたが、この方でしたか。初めて知りました。ありがとうございます。
いやー、やはり安田先生は本当にお強いのですね。大山先生のそのノックアウトされた達人はだれか知りたいぐらいです。おもわず、古い大山先生のビデオを観て深夜迄起きていました。大山先生は偉人・達人です!
  • 田舎のおじさん
  • 2012/10/07 10:16 AM
太気拳の澤井先生のがKOされた話が、ここで初めて知られたんですよね。安田先生は相当強かったんですね。
  • やいや
  • 2012/10/07 12:51 PM
>名誉五段さん

いえいえ。 古参の先生になると写真見ても分からないケースが多いですからねぇ。

>田舎のおじさん

回答はやいやさんのコメントにありますw
最後に掲載した大山総裁と安田先生の組手写真の撮影日の話でして、右側に矢島先生らしき人物が写っています。

>やいやさん
これが初出じゃない様な気がしますけど、詳細が語られたのはこれが最初でしょうねぇ。
安田先生の強さは黒崎先生も一目置かれたという事で、保証付きだと思います。
  • Leo
  • 2012/10/07 3:02 PM
昔のオランダの極真はキックの道場とジムの場所を交互に使ってたので、ついでにキックにも参加してたってほんとですか?主にスミットたちです。
  • スミット
  • 2012/10/31 5:31 AM
>スミットさん

オランダも分支部があるのでそういう道場もあったかも知れませんね。
確かカマクラジムとか両方やってましたし。

実際にそうだったかどうかは知りませんがw
  • Leo
  • 2012/11/03 9:32 AM
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