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大山倍達マニアック検定

【レビュー?】「痛快無比! ケンカ十段 芦原英幸読本」(1998年)

 JUGEMテーマ:空手




 どーも、最近X箱コントローラを入手して、久々にPCゲームで遊んでるLeoです。
 
 今回は知人からとある写真についてリクエストがあったので、1998年に出版された「ゴング格闘技」のムック「痛快無比! ケンカ十段 芦原英幸読本」を紹介します。

芦原英幸読本1.jpg


 本書は芦原会館の先代館長、芦原英幸先生三周忌メモリアルとと銘打って、錚々たるメンバーに芦原先生の事を語って頂くというのがコンセプトとなっています。 こういった形で芦原先生を追ったのはこれが初めてですね。 前年に出した「最強最後の大山倍達読本」での経験を見事に活かしたと言えるでしょう。
 「これって、もしかすると最高傑作?」という自画自賛なキャッチコピーの通り、個人的にも大満足な1冊ですw

芦原英幸読本2.jpg

 では、まず目次から。

プロローグ ケンカ十段の真実に迫る!

第1章    伝説は甦る
▼芦原会館二代目館長・芦原英典

 我が師、我が父、芦原英幸

第2章    ケンカ十段の青春
▼「小さな巨人」 大沢 昇

 稽古の虫が認めた練習熱心さ
▼「牛若丸」 加藤重夫
 5年間を共にした先輩が明かす知られざるエピソードの数々
▼「真剣白刃取り」大山 茂
 愛すべき後輩に捧げる
▼「天才児」 大山泰彦
 天才の名を、君に贈りたい
▼「城西の虎」 添野義三
 四国での地獄の特訓を忘れない

第3章    兄弟に贈る鎮魂歌
▼「義兄弟」 真樹日佐夫

 義兄弟の契りを交わした男が語る、芦原英幸の素顔

第4章    芦原英幸に魅せられた男たち
▼長谷川巨気

 極真全日本大会を制した四国での特訓
▼緑 健児
 「空手バカ一代」のファン代表が選ぶ名場面ベスト3

第5章    ケンカ十段の遺伝子たち
▼中元憲義

 最古参の弟子が語る芦原道場黎明期
▼西山 亨
 芦原英幸が初めて弟子の前で流した涙

第6章    熱血! 芦原ストリート
▼芦原ストリートを行く!

 芦原英幸が辿った池袋〜新宿を本当に歩いてみる
▼超レア! 芦原英幸コレクション
 グッズのプレゼントもあるよ

第7章    流浪〜さすらい
▼初心者のための芦原英幸物語


第8章    人間・芦原英幸が愛した店
▼これが幻のブタ屋だ 「屯」
▼レアの牛肉カツ 「かつれつ亭」


第9章    転生――不滅の魂
▼片井祥雲住職
 芦原英幸の墓を守る住職の見たケンカ十段

エピローグ〜後書きにかえて
新国際空手道連盟・芦原会館道場一覧
筆者紹介


 正直に言うと、同じ青春時代を過ごした諸先生方の話が一番面白いですよね。 トップバッターの大沢昇先生の冒頭の発言にとりあえず爆笑した記憶がありますw
 大沢先生はインタビューを右に左に受け流すんですが、取材抜きで行けばもっと話が聞けたでしょうねぇ。 後、昔池袋2丁目にあった極真会館御用達だったというお店「屯」の話で盛り上がってましたw

 全体的に見ると、まだ何でもありだった頃の芦原先生の戦法というのは、リーチを生かして思い切り打ち込む様なのが多かった様です。 それでもサバキの原型は加藤重夫先生の中にも見受けられます。

芦原英幸大山道場組手.jpg

加藤  (中略) …渡辺(一久)先輩なんて、突っ込んで行くとパっといなくなっちゃってね、首の所を引っかけられて、それで両足払われて思い切り倒されたり、それは確か、芦原も良くやってたよ。

 で、加藤先生と暴力バーで暴れた話とか「空手バカ一代」の元ネタになる話もチラホラ。 面白かったのは1965年夏期合宿の1コマ。

加藤  うん。 あれはグレースかな。
(大山倍達)館長の次女ね。 グレースが中学生かそんなもんの時、合宿に来たんだよね。 そしたら芦原が 「おめえよ、おめえのお父さんが館長だったって、おめえは違うんだよ」 っつって。
――それ、言ったんですか?
加藤  うん(笑) 「いいんだよ、おめえ、お父さんに文句言うか。 俺が何だかんだ悪口言ったってお父さんに言っていいよ」 って言ったら、ホントに言っちゃったんだよ(爆笑)。
――館長は怒ったんですか。
加藤  怒ったよおー! 俺、呼ばれたもん(笑)。 あれは…うん、やっぱり芦原だよ。 グレースを最初に見た時に 「お孫さんですか」 って言っちゃったんだよ。 はっ、と思った瞬間にはもう遅かったよ。 館長が真っ赤な顔して 「ウ〜ン!」 って(爆笑)。

(中略)
――口は災いのもとを、地で行ってた感じだったんですね。
加藤  アイツは年中そう言われてたよね。 だから、中村忠さんには 「てめぇ、 この野郎!」 ってやられてたよ。 しまいいには 「おめぇは、喋んな!」 なんて言われてた。 でもスゴイよね。 グレースに向かってなんかブツブツ言ってると思ったら、しまいには 「お前、お父さんが館長だからって、お前まで威張ってんのか、この野郎。 どこの班だ」 って自分の班なんだよね(笑)。 で、俺がそばで聞いててクスクス笑ってるから、大山館長が 「お前が傍に居て、何で注意しないんだ!」 って言ったり。 別に注意するような事でもないしね。


1965年夏期合宿参加者配属表.jpg
この時のエピソード

 この時の芦原先生は5班の班長を任されており、グレースさんはこの班に配属されていましたw
 えぇと…大山茂先生と泰彦先生の所はまぁ、いいかな。 独立後にちょっと色々あったせいか、どことなく他人行儀に感じますし。 茂先生とは仲良かったみたいなんですけどね。

芦原英幸読本3.jpg
 
 で、添野義二先生。 これまた「空手バカ一代」の元ネタになる話や様々な思い出を語って頂いていますが、芦原先生と茂先生の組手の話が。

添野  (中略)
 "007"のショーン・コネリーが来たとき、大山茂師範と芦原師範が組手をやったんだけれど、茂師範がちょっと滑っちゃったんだよね。 そこを芦原師範が上から叩いた瞬間が写真で残っているんだけど、それを芦原師範がみんなに見せるわけ。  そうすると茂師範が 「破れ、破れ」  って(笑)。

大山茂VS芦原英幸.jpg
多分この写真

 この事は同書で真樹日佐夫先生もこう発言されてます。

真樹  猫みたいにしなやかで、つかみどころのない柔らかさがあったね。 だから茂(大山)さんに一回勝ったんだよね。 何かで。 茂さんを倒している写真を、もう擦り切れるまで皆んなで、まわして見てね…。 それで茂さんが怒っちゃって 「なんでお前、そんなもん持ってるんだ! 返せ!」 って破こうとしてね。 あのなぁ、確かショーン・コネリーが極真会館を訪問したときだよ。 芦原と茂さんが、組手をやらされたんだ。 大山先生が見ている前で。 そうゆうときにはなぜか活躍して、芦原がしかけて「ヤッ!」 ってね。 そうして茂さん、ひっくり返っちゃったんだ。
――なんか目に浮かぶようです。
真樹  それを皆んなに見せびらかすからな。 芦原は。
――芦原先生と茂師範は仲が悪くなっちゃったんですか?
真樹  イヤイヤ、あの二人も気が合うんだよ。


 ついでに芦原先生が本部の1階道場で大山総裁に伸ばされた話も載ってます。

真樹  大山先生はスピンチョップがうまかったんだ。 俺もくらったことがある。 芦原は、そのスピンチョップはよけたんだけど、スピンチョップと一緒に近い間合いからの後ろ廻し蹴りが来たんだよな。
――で、どうだったんですか?
真樹  芦原はそれでのびたんだ。 そっちの方はよけられなかったんだって言ってたよ。 あの黒崎さんが、大山先生には何回闘っても勝てないって言ってたぐらいだからな。


 後輩となる長谷川一幸先生は、本部に来られていた芦原先生と組手をやってやられた話を披露しています。

本部前.jpg

 その後長谷川先生が愛媛に行って芦原先生の技を学び、70年の第2回全日本大会で見事優勝、今でも当時学んだ事を昇華させて指導されています。

 あんまりダラダラ書いてもアレなので、最後に緑健児先生のインタビューを紹介して終えます。 緑先生は「空手バカ一代」の芦原先生が大好きだったそうで、ファン代表的な感じで色々語ってらっしゃいますw

  そうだね、『空手バカ一代』では、大山総裁の生き方が本当に素晴らしい、だけど僕は、やっぱり芦原師範の生き方が大好きだったし、幼少時代に出会ったのは、子供心にすごいインパクトがあった。 子供の頃は本当に芦原英幸師範が好きだった。

 この一言で思いが伝わるのでは無いでしょうか。
 
芦原英幸指導.jpg

 本書は芦原英幸ファン、昔の極真を知りたい方には必須だと思います。 未読の方はどうにかして入手しましょうw
 私の本も資料として活用しているせいか、結構ボロボロなのでそろそろバックアップ用にもう1冊購入しようかな…。


 と言う事で、「痛快無比! ケンカ十段 芦原英幸読本」でした。
 今回のネタは「大山茂先生と芦原英幸先生の組手写真ってあるの?」というリクエストから始まってまして、どっかから怒られるかなーと思いつつ掲載してます。
 いや、まぁ昔の話ですし、いいかな、とw
 今回はここまで。 それでは、また。


参考文献:
第1回オープントーナメント全日本空手道選手権大会プログラム 財団法人極真奨学会・極真会館 1969年
痛快無比! ケンカ十段 芦原英幸読本 日本スポーツ出版社 1998年
新 大山道場 極真館の夜明け 廬山初雄、廣重毅共著 桜の花出版 2003年








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コメント
この写真の存在は知っていましたが、まさか見れるとは!!!
感謝です。
  • kimura
  • 2012/10/20 4:01 PM
芦原初代館長は入門当初から少々皆と違って自我が強く・独自のカリスマ性があったと思います。だから、大山先生同様(大山先生以上には成れないと思いますが)当時独立される前後からも苦労はあったけれども、極真旧本部以上の会館の建立が可能になり、又当時の道場性の数たるや相当のものでした。それにいろいろと人間・組織の問題はあったにせよ、私達下っ端の弟子達には気さくに声を掛けて下さいまして、良い想いでばかりです。今は芦原會舘も随分分派・縮小化が目立ち、大変残念です。先代芦原館長は大変職人気質の所が天性かお持ちで、夜中まで何か新しい物を常に研究されていたようですね。私も元々は某兵庫支部長の〇村誠先生の元を離れ、芦原道場へ行きました。〇村先生は大変すばらしい方ですが、支部開設前後から、お酒のクセ随分とお悪くて(ご本人が読まれたら、私が又殴られるかも(-_-;)?がありまして、私を含み、随分と殴られた後輩・内弟子さんなんかも有ります。支部が出来て関西に来られた際も、いろいろとごたごた暴力事件が例の新聞沙汰になる前からありました。それで多くの門下生が他の分派した元極真会の先生方へと散って行ってしまった訳ですね。未だ私よりお若いある方が、添野先生の所へお世話になり、後に〇〇ゲートと云うプロレス団体の社長になってますね。あの方も後輩いじめがひどかった。今、兵庫の〇村道場が今あれだけ立派な御寺の様な支部を建立し、沢山の御弟子さんがいらっしゃるのも、誠氏の努力・実力・ご苦労は当然あったものの、無償で道場建設にたずさわり、最後には酒の席で殴られて、去っていった御弟子さんもあっての事です。誠先生の酒の飲みっぷりは本当にすごかった。飲んだ後の勘定は弟子払いでしたね。(弟子が務める・経営する所へ殆ど行ってましたから。あるいはその伝手の方が経営されている酒場でした。)勘定はすべて未払いでした。ついでにばらしちゃいますが、誠先生の今の奥様は、二宮先生の大ファンで、「結婚するなら、二宮先生!」と良くおっしゃってましたね。(夫婦喧嘩なされないで下さい。過去の話ですから。口が滑りました。) 芦原先生の話に戻りますが、あの動きは「誰にでも出来る空手」では無く、おそらく先代芦原先生しか出来なかったのでは無いでしょうか?劇画空手バカ一代その物でした。先生は後年、随分とお太りになり、足も細くなられましたが、背筋・肩幅の広さは異常な程発達されていましたね。芦原先生が大変尊敬されていた中村忠先生ですが、後年、芦原先生が渡米された際ぐらいから、芦原先生の中で何かの想いがあったのか、遂には忠先生への反発もあったようですね。何か、忠先生のアメリカの道場へご挨拶に尋ねて行かれた際に、机にテープ・レコーダーを置かれたとか、何とかいわれていました。それから亀裂が入ったのかどうかは、私自身、先生から直接お聴きした話ですが、同行していませんので真実は判りません。茂先生との仲は、私が直接先生から聴いている限りでは、最初から仲が悪かったようです。審査の時なんかも、良くその話が出てましたよ。空手バカ一代で有名に成られたのは確かですが、真樹先生やといわゆる「やくざ」が大変お嫌いでしたね。私のお会いした先生方は割と相撲界で云うところの「ごっつあんです」タイプのなんでも弟子持ち・踏み倒しの方々が随分と多かったです。こういう風な経験・思いは私だけでしょうか?これはフルコンに限らず・空手界に限らず武道会では今も現実にあることですが個人的には、空手界が特にひどいように思います。とにかくそういうシガラミ・慣習が無くなれば、空手界はフルコン・伝統派に限らず、もっとメジャーな武道に成ると思います。これが私が残念に思うところです。つまらない話ですみません。大分横道に逸れました。これぐらい口が滑りましたから、今晩から少々散歩時は殴られないように気をつけます。
  • 昔のおじさん
  • 2012/10/20 5:29 PM
「流浪空手」に、荒れている芦原先生を見かねた茂師範に呑みに連れていかれたという記述が有りますね。(その後の著作では、個人名は消えて、ある先輩になってます)芦原先生の審査会などでの発言は、ユーモア交えた虚実入り混ざったものの様に思います(山崎先生の横○ン写真とか)本当の腹の中は分かりませんが、諸先輩方との間が微妙になってきたのは、やはり劇画に出る様になってからのように思います。
  • 縦蹴り
  • 2012/10/22 2:41 PM
>kimuraさん

いえいえ。

>昔のおじさん

中村忠先生の件はまぁ、ちょっとあったのは聞いてますけど、茂先生については当時仲悪かったら多分こう言う話は出て来ないと思います。
険悪な間柄で出来る事じゃないでしょうしw

>縦蹴りさん

山崎先生のサポーターの話はその後も尾を引いてるっぽいですね。
言ってる本人は冗談だったのかも知れませんが、言われた側がそう受け取るかどうかは別ですし、酒の席で本人に直接言ったのであれば笑い話で済んだんだろうなぁと今でも思ってます。
  • Leo
  • 2012/10/22 9:18 PM
中村誠師範が芦原師範が極真から独立したら芦原会館に移籍しようとしてたという話は事実なのでしょうか?
  • やいや
  • 2012/10/28 2:31 AM
>やいやさん

そういう話は聞いた事ありますけど、事実かどうかは知りませんねぇ。
  • Leo
  • 2012/10/28 1:18 PM
空手素人の素朴な疑問なんですが、芦原先生の70人組手ダイジェストの映像で、私が観た限りでは相手のお弟子さんほぼ全員が「蹴り」で攻めているんですけど、これはそのような約束だったのでしょうか?それとも怖くて蹴りしか出せないものなのでしょうか?
どなたか事情をご存知の方がいたらお教え下さい。
よろしくお願いします。
  • kimura
  • 2012/11/07 10:22 AM
>kimuraさん

まぁ、極真系の人は蹴りから入るケースが多いですけど、撮影用にモーションの大きな蹴り技メインでやる事になってたとか、そんな感じかも知れませんねぇ。

出演されてた方とか、誰かいらっしゃらないかなw
  • Leo
  • 2012/11/07 11:24 PM
Leo様
そうですね。
何か有りそうですね。
いつも有難うございます。
  • kimura
  • 2012/11/08 10:25 AM
「渡辺(一久)先輩なんて、突っ込んで行くとパっといなくなっちゃってね」は、サバキの原型じゃなくて、三角跳びだそうです。
バレエスタジオの手すりの下に台が置いてあって、相手の側面の入身を会得するために、そこに飛び移って練習していたそうです。
  • 1Q
  • 2014/11/13 12:55 PM
>1Qさん

これは興味深い話ですね。
岩村博文先生の話によれば、大山総裁は相手を飛び越えて背後に回ったりしてたそうですけど、その辺りから着想を得たりしたんでしょうかね。

ふと思い出したので、今日は三角飛びについて書かれた本をレビューしました。
  • Leo
  • 2014/11/16 8:34 PM
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