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大山倍達マニアック検定

大山倍達のアメリカ遠征 3(番外編)

JUGEMテーマ:空手
 今回は前回の補足となる大山倍達の対戦相手、ジェリー・ミーカーと柔術マッチのルール、そして遠藤幸吉についてです。

各記事はこちら
大山倍達のアメリカ遠征 1 (1952/04/15)
大山倍達のアメリカ遠征 2 (1952/05/06)
大山倍達のアメリカ遠征 3(番外編)
大山倍達のアメリカ遠征 4(1952/05/10-06/27)
大山倍達のアメリカ遠征 5 (1952/6/28〜9/16)
大山倍達のアメリカ遠征 6 (”ディック・リール”の謎)
大山倍達のアメリカ遠征 7 (ジョージ・ベッカーとの対戦)

大山倍達のアメリカ遠征 8 (大山倍達が出会ったレスラー達)
大山倍達のアメリカ遠征 9 (マス東郷の演武)
大山倍達のアメリカ遠征 10 (グレート東郷と遠征の背景)

 ジェリー"キラー"ミーカーについての経歴はあまり残されていないが、いくつかの媒体を組み合わせると、ホームグラウンドを持たない典型的なサーキットレスラーとしてあちこち回っていた様である。 妻子を連れたミーカーの生き生きとした巡業振りは、1950年発行のプロレス誌"Wrestling As You Like It"の記事に残されている。

Fargo-Auditorium-11-14-1945.jpg
ジェリー・ミーカー

 ジェリー・ミーカー、本名ジェラルド・W・ミーカーは1915年に生まれ、少なくとも35年にはプロレスデビューを飾っており、大戦中の44-45年には後の初代NWAヘビー級王者となるオーヴィル・ブラウンが保持していたMWAのタイトルに挑戦するも、無冠に終わっている。  また、彼にはマスクマンとして活躍した時代があり、マスクド・フェノムというリングネームだった。 写真には140ポンド(約63キロ)となっているが、ヘビー級のレスラーなので240ポンド(約109キロ)の間違いだと思われる。
 これだけなら歴史に残らないレスラーとしてそのキャリアを終えていただろうが、48年から52年の間にカナダのフットヒルズ・アスレチック・クラブでプロモーターを兼業し、著名なレスラーたちをマッチメイクした事でプロレス史に名を残している。
 そして37歳の時に大山と対戦し、86年にこの世を去った。

 そのジェリー・ミーカーと大山が対戦した柔術マッチとはどの様なものだったのか? 全く同じルールであったかどうかは不明だが、アイオワ州ジェファーソン群で発行されている地方紙"Jefferson Bee"に載った広告にはこの様に書かれている。

0429_1952_Iowa.jpg

 Jiu-Jitsu is wrestled in jackets-heavy linen jackets that 10 men can not pull apart.

 Rules: Hitting with fist, gouging eyes, pulling hair, and hitting low are barred.
CHOKING LEGAL!
No pin falls-man loses only by submission or choked into unconsciousness.
 2 out of 3 falls-60-minute limit.

 柔術マッチ
・柔道着を着て60分3本勝負で行われる。
・ピンフォールは無く、関節技か締め落とさないと決着が付かない。
・反則は拳による殴打、眼への攻撃、髪の毛を引っ張る行為、急所攻撃。
・絞め技は使用可能。

 大山は1本勝負で対戦したので、他の詳細なルールまで同じ物であったかは分からない。 しかし当時はまだ柔道の初段程度の大山がこのルールで対戦し、プロレスラーに勝ったとすれば、それは所謂「作り」のある試合だったと推測しても良いだろう。 大山は当時でいうところのジュードー・チョップを駆使して闘ったのだろうか? それとも前回紹介した記事の様に、投げてKOでもしたのだろうか? 真相は依然として不明であるが、プロレスをやった、というのが妥当であろう。

 さて、前述の広告をよく見ると、5月2日に遠藤幸吉(以下、遠征中はコウ東郷と表記)がジェリー・ミーカーと柔術マッチを行う予定となっている。 しかし、5月3日の"Jefferson Bee"紙には何の記事も無く、勝敗は不明である。 この様に記録に残らない試合などいくらでもあった時代なのだ。 ましてや前座の試合となれば、パンフレットでも入手しない限り対戦カードも分からないし、結果も不明となる。

 しかし5月1日、アイオワ州バーリントン市の地方紙"Burlington Hawk-Eye Gazette"に次の様な記事が載っていた。

0501_1952_Iowa.jpg


 コウ東郷が5月5日に闘うという記事だ。 この辺りの東郷ブラザーズの動きを時系列に直すと、以下の通りとなる。
5/1 ・グレート東郷、コウ東郷 対 バーン・ガニア、ジム・ドビー(タッグマッチ)
5/2 ・コウ東郷 対 ジェリー・ミーカー
       ・グレート東郷 対 アロ・レイラニ
5/3 ・マス東郷 対 ディック・レインズ?
5/4 日曜日の為休み(当時は日曜興行が禁止されていた ※どうやら州法だった様で、一部の州では禁止だった模様。アイオワ州に関しては不明)
5/5 ・コウ東郷 対 ジェリー・ミーカー
       ・グレート東郷 対 ジム・ドビー
5/6 ・マス東郷 対 ジェリー・ミーカー
       ・グレート東郷 対 イワン・ラスプーチン
5/7 ・グレート東郷、ジョニー・マッコイ 対 ディック・レインズ、ドン・ビートルマン(タッグマッチ)
(※5/3に関しては今のところ資料が見つかっておらず推測の域を超えないが、53年の「週刊サンケイ」に大山が寄稿した記事には、5月3日に”ディック・リール”相手に初めての真剣勝負をしたとある)
 尚、資料の見つかっていない5月3日以外は、いずれも同じアイオワ州内(※5/1、5/7は別の州)を巡業して回っているにもかかわらず掲載されていた新聞が全て違う、というところにサーキットレスラーの記録を追う困難さがよく分かると思う(アメリカでは当時1600紙以上の日刊紙があり、各市や郡単位で1〜8紙発行されていた為、調査が困難である。ましてや東郷たちがその日の内に別の場所に行ってしまえば、試合結果の記事を手に取る事も不可能だった)。
 
0503_1952_Iowa.jpg
5/3の記事

0503_1952_Iowa2.jpg
同大会の広告


 ちなみに5月5日のコウ東郷対ジェリー・ミーカーの試合は10分33秒、絞め技でコウ東郷が勝利を収めているがマス東郷に関しては不明である。

0506_1952_Iowa.jpg
5/6の記事

 Ko Togo, brother of "The Great" Togo won a jiu jitsu match with Jerry Meeker with a strangle hold that ended the bout in 10:33.

 大山倍達没後、遠藤幸吉はムック「大山倍達とは何か?」にてインタビューに応じ、遠征時の大山の試合について、こう語っている。

ーー  ははぁ。 何か含みがありますねえ。 ズバリ言って、遠藤さんはマス大山が向こうで試合をしているところを目撃してるんですか!?
遠藤 試合なんか誰としたの?
ーー  いや、いろいろと。
遠藤 誰と試合したかなんていうのは、私、言えない。
ーー  なぜですか?
遠藤 ホントに大山クンが誰かと試合したっていうことを誰か立証してみてくださいとしか言えない。
(中略)
ーー  その勢いからすると、アメリカで大山倍達が闘っているところ一度も見たことがないと断言しているように聞こえますね?
遠藤 誰と? 何?
ーー  大山倍達が誰かと闘っているところというのは一度も見たことがないわけですね。
遠藤 …………(バンザイのポーズ)。
ーー  ハハ、お手上げですか。
遠藤 何度も言うように、俺は途中までしか一緒にいなかったからね。 ああ、そういうことがあったのかもしれねえな、と。
(後略)

 果たしてこの東郷ブラザーズの日程中で、マネジャーの羽田を含めた4人で巡業して回る中で、遠藤が大山の試合を見ていない、という事があるのだろうか? 仮に遠藤が現場におらずホテルに待機していたとしても、当日の試合の話を誰かから聞いているであろう、というのが私の推測である。


 という事で今回は終了です。 どういう試合だったかはさておき、私は大山倍達が試合をしたという事を立証しましたよ、遠藤さん。
 あの遠藤幸吉インタビューは随所に突っ込みどころがあるのですが、ここでは止めておきましょう。 このシリーズで取り扱うか…その辺りは要望があれば検討します。
 次回はマス東郷、対戦相手を紙上で募る、の巻。 お楽しみ。

参考文献:
Jim Chemi, "THE WESTERN CIRCUIT", Wrestling As You Like It, October 14,1950 (Reprinted in The WAWLI Papers, Volume 1, number 19)
Jefferson Bee, 1952
Burlington Hawk-Eye Gazette, 1952
Sid Feder, WRESTLING FAN'S BOOK,  Key Publishing Co., 1952
Sid Feder, WRESTLING FAN'S BOOK(New second edition),  Key Publishing Co., 1953
週刊サンケイ 「空手、アメリカ大陸武者修業」 1953年1/18号
紙のプロレス公式読本 大山倍達とは何か?  ワニマガジン社 1995年
大山倍達正伝 小島一志、塚本佳子著 新潮社 2006年

参考リンク:
USNPL(Iowa) (09/25/2010)
GNEICKBUCH.COM (09/25/2010)
The Western Circuit (09/25/2010)
The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches (09/25/2010)
wrestling scout (09/25/2010)
The INFOMERCANTILE  (09/25/2010)
Chicago Wrestling Results - 1936 (09/25/2010)

※追記:参考リンクにUSNPL(Iowa)を追加、それに伴い新聞発行部数を一部修正しました。
追記2:巡業日程を一部変更しました。






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コメント
いやはや、凄い研究ですね。

大山先生には、ガキンチョのころ師事しました。(´Д`)マッタクモノニナランカッタ

昭和39年から、44〜5年、立教大学裏の道場から会館に移り、大会を開催しはじめた時代ですね。

今は、空手とは全く縁がありませんが、旧師の一端を知り、嬉しいです。

これからのブログ楽しみにしています。
  • のぶさん
  • 2010/09/26 9:08 AM
ありがとうございます。
後何回かでアメリカ編は終わりですが、その内のぶさんが在籍していた時代の話も書く予定ですので、宜しくお願い致します。
  • Leo
  • 2010/09/26 8:49 PM
>遠藤幸吉インタビューは随所に突っ込みどころがあるのですが

これは出来れば突っ込んで頂きたいです。
未だに、この遠藤さんのインタビューを鵜呑みにしている人も居ますので、、
しかし遠藤さんも総裁の存命中には、この様な事は一切語っていなかったというのがフェアじゃないですよね。
総裁が試合をしたという事をLeoさんが立証したのは非常に意義があり感謝を申しあげます。
因みに私は松井館長と同じく、総裁が正拳でドラム缶に穴を開けた話も実話だと思っています。
そうでなければ、あの凄い人脈も説明がつかない気がします。
  • 大山総裁ファン
  • 2012/10/17 6:05 PM
>大山総裁ファンさん

じゃあ、年内か年始にやりましょうかw
遠藤幸吉伝も3種類くらい仕入れましたし、その辺りを紹介しつつ…。
  • Leo
  • 2012/10/18 10:05 PM
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