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大山倍達マニアック検定

「カラテ群像」11 石橋雅史 七段(1983年)

JUGEMテーマ:空手
 

 ちょっと色々書き物をしてたり、サボって息抜きしてたので、今回は手抜き更新ですw
 書き物の方はある程度纏まったら記事として出せるのですが、まだそこまで行ってませんので、少々お待ちを。

 さておき、今回「月刊パワー空手」1983年5月号に掲載された石橋雅史先生の記事を紹介します。

石橋雅史3.jpg

石橋雅史 七段

 昭和8年1月4日台湾花蓮港に生まれる。 21年終戦により帰国。 福岡伝習館高校を経て、日本大学芸術学部演劇科に学ぶ、俳優。
 幼い頃より武道に親しみ、高校時代に柔道、大学よりは空手(剛柔流)の修業に励む。 剛柔会在籍時大山倍達館長と知己を得、大山道場に入門。 専任の師範代として後輩の指導にあたる。 華麗な組手は演劇面でも買われ、『ケンカ空手極真拳』『右門捕物帖』『ポーラTV小説"おゆう"』ほか多数の作品に出演。 フリーのアクション俳優としてテレビや映画に活躍中。




 武道を始められたのはいつ頃ですか ……父が職業軍人だったものですから、柔道とか剣道などといったものはかなり早いうちから習っていました。 昭和21年に終戦で台湾から日本に引き揚げてきて、福岡の高校(伝習館高等学校)に通ったのですが、そこでは主に柔道をやっていました。 ただ、敗戦でGHQ(General Headquarters)の目がうるさかったものですから、"同好会"という形でやっていただけなんですがね……。

石橋雅史1.jpg

 空手、大山道場に入門なさったのは ……私の場合、いつ幾日より道場の門をくぐったという正確な記憶はないんですよ。 昭和27年に日大の芸術学部(演劇科)に入ったんですが、その頃から浅草にある剛柔流の道場に通うようになった。 山口剛玄先生のもとで空手を教わっていたのですが、たまたま大山先生が剛柔流の理事を兼ねていらしたわけですよ。 ご自分でも、空手の修業をなさりながら……。 先生は、私よりちょうど10歳年上で、人生の先輩として、また空手を修業していくうえでも、学ぶべきところの多い方でしたね。
 そのうち先生は、目白のご自宅から立教大学裏に道場を構えるようになりました。 それで「君も、ちょっと来て手伝ってくれないか」ということになり、いつの間にか大山先生のもとで空手を教わりながら、専任の指導員として後輩の面倒を見るようになったわけです。 普通なら、"極真会"なら極真会という看板を見て、ちゃんと入門の手続きをとって道場の門を叩くんでしょうが、私の場合はそうでなしに、いきなり……。 剛柔流の空手をずうっとやっていて、そこで大山先生を知って、その縁がもとで大山道場の門をくぐったというようなわけで……。

石橋雅史2.jpg

 当時の大山先生の印象などについて ……空手はもちろんのことですが、すべての面において「一生懸命に生きている」というような方でしたね。 大山道場には当時、何十人かの弟子がいましたが、先生は弟子たちに教えるというよりは、ご自分の空手、技の研究に余念がないといいますか、ね。
 それから、とても義理堅い方でもありました。 大山先生が目白に住んでいらした頃の話ですが、つまらないことから私は、飲み屋でヤクザとケンカになりかけたんですよ。 それでたまたま、私が「空手をやっている」ということが先方に知れて、またヤクザのなかにも一人、空手をやっている者がいたんです。 というより、大山先生を知っている者がいた。 彼が私に、こういったわけです。
 「お前が空手をやっているんなら、それじゃお前、大山倍達を知っているか」
 目白時代にも少しは先生とおつき合いのあった私は、売り言葉に買い言葉で「もちろん知っている」といってやった。 すると今度は「それじゃ、ここへその大山倍達を連れてきてみろ!」と、こうやり返してきたんですよ。 私ももう後へ引くわけにはいかないから、先生に来ていただくために、目白のご自宅に走りました。 夜中の2時ですよ。 先生は眠い目をこすりながら、私の頼みを聞いてくださいました。 飲み屋へ来ていただいたのですが、驚いたのはヤクザ達でした。 大山先生のお姿を見て「本当だった」ということになり、ケンカにならずに、まるく治まったわけです。 それぐらい先生は"顔のきく"方で、また義理堅い方でもありましたね。

福澤兼山6.jpg

 ほかにも同じような、思い出に残るエピソードとかありますか ……当時は、年齢的にいっても大山先生の全盛期の頃ですから、それは凄いものでしたよ。 「牛殺しの大山」ということで、たとえば田園コロシアムでの先生と牛との対決シーンも見せてもらいました。 先生の門下生ということで、後からついていきましてね。
 それから、立教当時の何人かの仲間たちとともに、佐渡島などに行ったこともありますよ。 先生は当時、「空手を広める」ために一生懸命でしたからね。 先生についていったわけです。 そのとき初めて私も、先生が指で10円玉を曲げるのをこの目で見ました。 人差指と中指の間に10円硬貨を置いて、親指でムーッと押さえるんですよ。 みるみるうちに10円玉がね、私たちがビール壜の蓋を曲げるように曲がっていく。 あれはペンチでもなかなか曲がらないものなんです。 人間は鍛えれば、訓練次第であすこまでいくものだとつくづく感心しましたね。

 石橋さんの組手は"華麗な組手"としてかなり定評があったようですが……
 ウーン、自分ではそのように思えないんですがね。 ただ、私はご覧のとおり細身なものだから、他の人と比べて体力がない。 力と力でぶつかっていったんでは、勝ち目がないんです。 同じ技を持っている者同志であれば、当然、力の強いほうが勝つに決まっていますからね。 「柔よく剛を制す」という言葉がありますが、私もよくその言葉に学ぶよう努めたつもりです。 たとえば、安田英治さんなど低い姿勢からドーッと強い突きを放ってくる。 また、彼の前蹴りなどは丸太が飛んでくるような威力がありましたからね。 そのような突きや蹴りを正面からまともに受けてしまったんでは、私の腕は折れてしまいますよ。 だから、いつでも変化できるように、どんな攻撃に対しても素早く身をかわすことができるように、"構え"はいつも自然体の姿勢をとっていました。 大山先生も、座右銘のなかで「部の道においては点を起とし、円を終とす。 線はこれに付随するものなり」というようなことをおっしゃっていますが、私も同感です。 およそ"武術"と称するものの(動きの)鉄則は、円運動でなければならないと考えているわけです。 相手の攻撃を正面からそのままパッと受けるということではなしに、相手の力を利用して受け流すか、あるいは無理のない姿勢をとりながら身をかわして避ける。 直線的で、しかも無理のある"型"というのは、円運動に比べて実戦向きではないと私は思っています。 自然の引力に逆らってはいけない。 自分でいうのもなんですが、たぶん私の組手が「キレイに見えた」というのは、動きが直線的ではなく円運動に近かったからでしょう。 視覚的に見て、円の動きのほうがキレイに映るわけですよ。

石橋雅史4.jpg
映画「けんか空手 極真無頼拳」

 最後に、大先輩として後輩たちへのアドバイスとかありますか ……アドバイスというよりも、一つだけ常日頃から気にかけていたことがあります。 それは大山先生のことなんですがね……、大山先生に対するこれまでのマスコミのあり方に、私は少々、腑に落ちないものを感じるわけですよ。 先生は武道、空手というものに対して誰よりも真剣に考えて来られた方でしょう。 拳法に始まって、いくつかの空手の流派を学び、柔道屋合気道などにも通じていらっしゃる。 それぞれの武道のいいところをすべて吸収して、集大成して今日の極真カラテというものを成就されたわけです。 それを過去の漫画、劇画などではあまりに超人的に描き過ぎて、リアリティがなくなってしまっている。 もちろんここまで来るには、マスコミの力も必要だったと思います。 しかし、あくまでも空手は生身の人間がやるわけですからね。 大山先生の追求された空手というものは、もっと人間臭のする空手、武道だったと思うわけです。 私は長い間、先生の真摯なお姿を実際にこの目で見てきましたからね……。



 という事で石橋雅史先生でした。
 石橋先生はご自身が仰っている通り、大山倍達の弟子、とはちょっと異なります。 大山道場に顔を出す前は「大山先輩」と呼んでいたそうですしね。
 何というか、大山総裁に稽古を付けて貰った経験がある外部指導員って言うと語弊があるかも知れませんが、そんな感じですかね。 ただ、外部と言うほど距離を置いていた訳では無く、師範代として思い切り極真会に係わっていました。 その為極真から功労段を得ています。 大山道場初期の門下生が作った双葉会という旧交を温める集まりがあるのですが、ここには石橋先生も顔を出してらっしゃいました。

福澤兼山5.jpg

 実際、初期の技術書を見ると「大山倍達の弟子」だと自認してらっしゃる安田英治先生は演武者として載ってますが、石橋先生は載っていません。 互いにそこは線引きしてたんじゃないですかね。
 ちなみに大学空手部で培った系統だった稽古を大山道場に持ち込んだのは石橋先生だったと言われています。 今の極真の稽古を作った1人だと言えるでしょう。
 石橋先生の技術については、福昌堂の「拳聖 大山倍達 地上最強の空手」というムックに詳しいので、そちらをオススメします。 大山総裁の技術を実際に実演してみせたりと、興味深い記事です。 本書もいずれ取り上げるでしょうが、貴重な1冊ですね。
 梶原一騎時代の極真に対して苦言を呈していらっしゃいますが、この時期の大山総裁は過去の路線から軌道修正していた頃ですので、こういう記事も通ったのでしょうね。
 …まぁ、石橋先生も千葉真一先生の大山倍達自伝映画に出て、こう言ったメディア路線に少し手を貸してしまってたりしますけどw
 他にも近年…というほどでもありませんが、映画「餓狼伝」では松尾象山役として八巻健二先生と共演されましたね。
 それでは、また。



参考文献:
月刊パワー空手 1983年5月号 パワー空手出版社 1983年
月刊フルコンタクトKARATE4月号別冊 拳聖 大山倍達 地上最強の組手 福昌堂 1998年
甦る伝説 大山道場読本 日本スポーツ出版社 2000年

参考映像:
けんか空手 極真無頼拳 東映 1975年








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コメント
質問ばっかですみません。どうしても名前が思い出せない人がいるんですが、
プロボクサーで、チャンピオンになったのかな?色々な武道を体験したいということで、極真を始めたらしくて、松井がはじめて彼の組手をみたとき驚愕したとか。何故かというと、ただひたすらパンチを放って、相手の腕があがらなくなってダラーンってなったとこにさらにうちこんで嫌倒れKOみたいな戦い方だったらしくて。大山も絶賛してたらしいです。
松井にパンチを教えたのも彼らしいです。そして彼は捕まったんですが、そのときのエピソードが、
ヤクザ5,6人ともめてプロボクサーが殴ってはじまって、
増援がきて10人ぐらいになって、警察がきて捕まったんだけど、ヤクザ6人が病院に運ばれたらしい
という話なんですけど、わかりますか?
  • スミット
  • 2012/11/27 4:43 PM
  • まる
  • 2012/11/27 11:47 PM
>スミットさん

まるさんの提示された方ですねぇ。
  • Leo
  • 2012/12/01 3:18 PM
悪役俳優様の本当の姿…
今から数年前に何らかの舞台にて悪役俳優様が大阪に来られていてオフタイムに街を散策されてるのを拝見しました。
その風貌と威圧感漂うオーラ,又,職種柄にて誰もが一歩引き下がるものでした。
しかし彼らの本当の人柄に驚きました。
石橋様と田中浩様は,とても優しく演技とは反してトゲがなく,どちらかと云えば控えめな性格でしたよ。田中様は,アカの他人の私の肩をポンと叩き話しかけてくれました。大阪市平野区 富田益至
  • 富田益至
  • 2016/08/05 9:47 PM
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