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大山倍達マニアック検定

【伝説?】真樹日佐夫VS"キラー"バディ・オースチン(1969年) (※追記アリ)

JUGEMテーマ:空手
 

真樹日佐夫2.jpg

 悪名を天下に馳せたのでは週刊誌に"梶原兄弟、プロレスラーと大乱闘"とデカデカ書き立てられたやつ。 夜ふけの青山通りのスナックで弟(真樹日佐夫)と飲んでいて、さる有名な外人レスラーと派手にやった。 相手が悪酔いしており巻きこまれたウンヌンは言い訳にならぬ、逃げてしまえばすむのだから。 私が背後から相手のシャツの袖を半ばズリ下げて巨腕の動きを封じておき、弟が正面から極真空手の黒帯の蹴りをガンガン叩きこんで凱歌をあげたまではいいが、同じ店内で週刊誌の記者が一部始終を観戦していた。



 ―という真樹日佐夫先生の伝説の闘いというのがあります。 この話は「空手バカ一代」に掲載された事により広がったんじゃないですかね。

真樹日佐夫13.jpg
バディ・オースチンとデストロイヤー

 相手の外人レスラーとは"キラー"バディ・オースチン。 1961年にNWAのローカルタイトルを取り、翌62年に来日しマイク・シャープとタッグを組んで力道山・豊登組よりアジアタッグ王者を奪取。 その後も度々日本に来ては力道山やジャイアント馬場のインター王座に挑戦してますね。 また、66年にはWWA世界ヘビー級王者になっているレスラーです。

 真樹先生によればこの乱闘は1969年11月5日。 何故日付がはっきりしているのかはまぁ…後で書きますが、とりあえずバディ・オースチンと梶原兄弟の邂逅があり得たのか? ここから始めましょうか。

 えー、オースチンは69年9月26日から始まる日本プロレスの「ダイヤモンド・シリーズ」に参加する事になっており、「週刊ファイト」によればこの頃のオースチンには不幸が重なっています。 1つは自宅のプールで双子の娘が溺死した事。 そして悲しみを抱えたまま遠征したオーストラリアで観客から銃で2発撃たれ二ヵ月間の入院を余儀なくされたそうです。 「ダイヤモンド・シリーズ」でも1発は摘出したが、もう1発が体内に残ったままだという話ですが…正直どこまでギミックなのか分かりません。 とに角これが原因でか、生彩を欠いていた様です。 当時の「週刊ファイト」ではこうありますね。

 来日当時のオースチンは妙にヨタヨタしていた。 何しろ、凶漢に襲われ(シドニー)ピストルの弾を二発もどてっ腹へ撃ちこまれたオースチンだ。 一発はまだ腹の中からとりだしていない、とあっては、このヨタヨタも当然だった。 ところが、さすがに"狂犬"は不死身の男。 シリーズが進むにつれて、このダメージから立ち直り、何と「NWAシリーズ」に残留と決まったのだから驚き。 オースチンいわく、「NWAシリーズが本番だ。 これからやるよ、見ていてくれ」。 新殺法の4の字、足折りは動きを少なくするために考えついたーというだけにオースチンにすればヤレヤレといったところ。

真樹日佐夫14.jpg
当時の「週刊ファイト」

 ちなみに次の「NWAシリーズ」はアントニオ猪木の名勝負が繰り広げられました。 多分知ってる人もいるかと思うんですが、ドリー・ファンク・ジュニアとのNWA世界ヘビー級選手権ですね。 このシリーズが11月14日から12月14日までやっていた様です。
 つまり、オースチンは少なくとも9月26日から12月14日までは日本に居たって事ですね。 で、事件の11月5日ですが、この日は何と「ダイヤモンド・シリーズ」の最終日。 つまりはシリーズ終了の打ち上げか何かでレフェリーの沖識名と連れ立って飲みに出掛けたのだと思われます。
 そして午前3時…という事は翌6日かな? 青山のバー―梶原先生は当初六本木と書いていましたが、真樹先生の馴染みの店という事なので、多分南青山辺り―のボックス席で飲んでいた様です。 そこで事件が発生しました。 以降は今の所最も事実に近そうな、70年の梶原先生の手記を引用してみましょうか。

真樹日佐夫1.jpg

 ケンカの相手は、日本でもおなじみの外人プロレスラーキラー・オースチンだった。
 カウンターで、レフェリーの沖識名と飲んでいたのだが、酒がまわるにつれて、まわりの人たちに因縁を吹っかけはじめた。 閉口した沖識名が、彼をバーテンにまかせて帰ってしまうと、酔態はますます手がつけられなくなった。
 ぼくは、弟と一緒に奥のボックスで飲んでいたが、だんだん腹が立ってきた。 客もバーテンも、すっかりおびえてしまっている。 外人プロレスラーだろうと何だろうと、こんなマネを許しておいていいものか。
 「とんでもない野郎だ。 やっちまおうか」
 弟が腰を浮かしかけたとたん、女の悲鳴が聞こえた。 胸をつかまれた男が、必死にふりほどこうとしている。 しかし、キラーのひとつかみにあっては、赤ん坊のようなものである。
 だが、ぼくらよりも先に浅黒い顔の青年が立ち上がった。 タイ国の留学生らしい。 彼はナマリのある英語で、キラーに抗議した。
 「義侠心があるじゃないか」
 「日本人はみんなちぢみ上がっているのに、えらい男だ」
 キラーが首っこを押さえると、留学生はキックボクシングの前げりをみせた。 しかしたちまち表に引きずり出され、ガードレールに叩きつけられた。 シャツが破れて血が吹き出している。 キラーは、すさまじい形相で押しかぶって行く。
 「あぶない、背骨が折られる」
 弟が叫んだ。

真樹日佐夫5.jpg

 「俺が羽交いじめするから、お前は当て身を入れろ」
 そう言うなり、キラーの背中に突進した。 しかし、泥酔していてもさすがはプロレスラーである。 膝をつかって弟をよせつけない。 ぼくは昔とったキネヅカで、ケンカなんか朝飯前だし、柔道の技にも自信がある。 弟はぼく以上の猛者だ。 それが二人がかりでもどうにもならない。
 マネージャーが、与太者を呼んできて刺しちまおうか、などと話している。 ばくは、ブロークン・イングリッシュでささやいた。
 「力道山だって、刺されて死んだんだ」
 キラーの動きが、一瞬とまった。
 「チンピラが二十人ばかり集まってきたから、もうお前は殺されるだろう」
 そうつづけると、とたんに、彼に全身から闘志がぬけてゆくのがわかった。 酔いもさめたようだ。
 「弟の車でホテルへ送ってやろう」
 すぐ弟が車を廻してくると、彼はサンキュー、サンキューとくりかえしながら、乗っていってしまった。


 …アレ? 後に語られる様な足や金的蹴り連打は無い?
 実は私、当ブログを始めるまでこの件に全然興味無かったので調べもしなかったのですが、今記事を書くにあたって、真樹先生の「プロレス悪役シリーズ」を購入し読んだ所…この梶原先生の手記に割と近い事が書かれていました。

真樹日佐夫6.jpg

 相違点はいくつかありますが、列挙するとこんな感じかな。

・バーに入る前に既にオースチンが暴れていた。
・説得に入った真樹先生がオースチンに殴られる。
・タイの留学生や絡まれた女性は出ない。
・正面からタックルして体落とし(大腰?)でオースチンを投げる。

真樹日佐夫8.jpg

・真樹先生がオースチンに首を掴まれてガードレールに押し付けられる。
・金的蹴りを決意するが蹴る前にオースチンとヤクザがケンカになる。
・真樹先生の車では無くタクシーでこの場を離れる。


 ちなみに「空手バカ一代」では、大山倍達直伝の飛燕の蹴り(金的蹴り)でオースチンの内股を蹴りまくって動けなくさせてますし、冒頭で紹介した「劇画一代」でも蹴りまくった事になってますね。

真樹日佐夫3.jpg
実はただの金的蹴り

 真樹先生の方は…「大山倍達との日々」では仕留めたと短い一文があり、最晩年の1冊で映画にもなった「すてごろ懺悔」では以下の様になってます。 ビンタかまして挑発した後に外で待つと…。

 掴まれたらそれまでと、梶原に釘を刺されたにもかかわらず、いざとなると空手よりもここはやはり柔道で、の誘惑に私は逆らいかねた。 とっさに自らも一歩を踏み込み、右の内股を打った。
 打つには打ったが、一メートル九十、百三十キロはあろうオースチンの巨軀は巌のごとしで、僅かに浮き上がっただけ。 背筋に冷水を浴びた思いがしたが、すでに手遅れで横向きのまま引きつけられ、抱えられてしまっていた。
 絶望的な膂力の強さに目が眩んだ。 締めつけられて全身の骨が関節が軋みを上げた。
 するうち、横ざまにガードレールへ押しつけられようとしている、と悟り知って私は少なからず慌てた。
 オースチンの腕の間から脱出せんとして躍起になったが、力の差は如何ともし難く、そして逆に左脇腹がガードレールの感触を捉えた。 見る見る肉に食い込んでくる。

 (中略)
 姿勢を戻したところで、見れば、意外や梶原は背後からオースチンにチョークスリーパーを掛け、振り解かれまいとして懸命に食らい付いているのであり、
 「二対一とあっちゃ、おまえとしても男が廃るってもんだろう! これで放すが、いいな! 心して行け!」
 眼鏡がずり落ちかかる顔で叫ぶや、それを手で押さえてぱっと跳び退った。

 (中略)
 オースチンの大腿部ときたら私の胴回り分の太さはありそうで、筋肉の嵩がジャマをして最後の切り札ともいうべき金的蹴りにしろ、いきなりではやはり高い精度は得られまい。 そう断じ、まずは下段回し蹴り――ローキックで応戦することに決めた。
 左右のそれを矢継ぎ早に繰り出し、外股、内股と散らして攻めるとスピードにかけてはこっちが優るだけに面白いように極まり、忽ちオースチンの下肢は蟹股状態に変じた。
 乾坤一擲、左の金的蹴りを放った。


真樹日佐夫16.jpg
映画ではオースチン役を力也が務めた

 (中略)
 煽られて引っくり返り、身を起こすとオースチンは補導に両膝を突いて蹲っており、呻き声が切れ切れに尾を曳いた。

真樹日佐夫4.jpg
何気に左ハンドル

 …と、「空手バカ一代」と合わせた様な展開ですね。 ちなみにこのケンカのあった69年は極真の第1回全日本が始まった年であり、ローキックと言えば殆どが外側への蹴り上げる様な下段ぐらいで、ラリアットも無かったですね(※中略箇所にラリアットが登場します)w なので、あまり無頼漢を気取っていなかった時代の梶原先生の記述の方がリアリティを感じます。
 恐らくは二人掛かりで引き離して何とかしようとしたものの、どうにもならなかったんじゃないかなと。 真樹先生の方の話にタイ人の留学生が出て来ないのは、多分この役柄を自分にする事で「真樹日佐夫の物語」にしたかったんじゃないかなと。 やられる対象にならないと自分の話からちょっと遠ざかっちゃいますもんね。
 で、そうこうしている内に店の用心棒だか地回りだかのヤクザがやって来ようとするのを梶原先生が聞き、オースチンに説明したんじゃないでしょうか。
 つい数ヶ月ほど前にオーストラリアでナイフで切られたり銃で撃たれた経験のあるオースチンは、力道山の最後のシリーズにも出場して刺殺事件を知ってましたので、そこでやる気が失せて真樹先生の車、もしくはタクシーでホテルに帰ったんじゃないかな。 場所はホテル・ニュージャパンらしいので割と近いです。
 これが後にオースチンを戦闘不能に追い込んだという伝説に昇華したんでしょう。 ちなみに梶原先生も真樹先生もこれが雑誌に載ったと書いていますが、今の所、まだその記事は見付かってません。 以外に難しかったです…すいません。

※追記分
 ついでにリクエストがあったので、真樹先生が原作を担当した梶原一騎追悼劇画「さらばアニキ」も参考に挙げてみます。

真樹日佐夫17.jpg

 えーと該当箇所を読むと…ガードレールに押し付けられるのは真樹先生ですね。 まぁ、本人申告版では基本的にそうなのですがw
 で…その体勢で梶原先生が羽交い締めにして、真樹先生が金的蹴り。 仰け反ったオースチンをそのまま梶原先生が押さえて真樹先生は中段突きから顎への前蹴りで完全KOという流れになってます。

真樹日佐夫18.jpg

 実際のケンカがどうであったかを今更検討するのは不可能ですが、梶原先生と真樹先生の2人の話を総括するとこうなるんじゃないですかね。

1)タイ人の留学生がガードレールに押さえ付けられる(事実で無いとしたら留学生を出す必然性が無い為)。
2)梶原兄弟参戦、まずは一番槍で真樹先生がオースチンに突進、投げようとする(ちなみに酔ってる相手を首投げで転がしても凄い勢いで酒が回るので、それを狙ったのかも?)。
3)オースチンが投げを堪えて掴まえる。
4)梶原先生はオースチンに後ろから掴み掛かり引き剥がす。
5)難を逃れた真樹先生がオースチンに対し攻撃を敢行するも膝蹴りや足蹴にされて近寄れない。
6)必死に取り付く梶原先生の耳に、地回りのヤクザを呼ぶ話が聞こえる。
7)刺されちゃマズいと梶原先生がオースチンの説得に掛かる。
8)オースチン、説得に応じ、この場を離れる為に真樹先生の車でホテルニュージャパンへ。


真樹日佐夫19.jpg

 無論、真相は神のみぞ知る、と言った所ですが、金的蹴りや伸ばした、というのをざっくりカットするとこういう風になるかと思います。 昔大山総裁の話で記憶の変容について書きましたが、人間の記憶とは移ろい易い物でましてや自伝を出している真樹先生ですから、晩年になるにつれ嘗て書いた内容が真実になっていったんじゃないかな。 最初は話を面白くする為の潤色だったのかも知れませんけどね。

 そして後日談が「プロレス悪役シリーズ」にあり、そこがまた怪しくて面白いのでここに載っけてみましょうw
 真樹先生に感謝したオースチンはホテルまでの道程の間に真樹先生と今日飲み直そうと約束をします。 この日(11月6日)にオースチンからサインを貰っており、同書の冒頭にはこのサインが載ってます。 本物のサインは見た事ありませんが、日付の書き方はアメリカンですね。 月、日、年の順番に書かれてます。

真樹日佐夫7.jpg
オースチンのサイン

 で、飲む為にオースチンの宿泊する客室に来訪した真樹先生は、息子の写真の前で泣き崩れるオースチンを見付ける所から後日談は始まります。
 オースチンによれば数年前にトム・ブリックというレスラーを「回転地獄特急」なる投げっ放し地獄車っぽい必殺技で殺してしまったその日、息子の1人が溺死。

真樹日佐夫9.jpg
回転地獄特急

 そしてオーストラリアでマックスなるレスラーと対戦した際に二度と使うまいと封印していた「回転地獄特急」を出してしまい相手をまた殺してしまいます。 その同日、もう1人の息子エディがトラックに撥ねられて死亡。 オースチンはまた今度この様な試合をすれば不幸が起こるのでは無いかと不甲斐ない試合をしてしまい、その自分に腹が立って飲むと暴れてしまう…そう推測した真樹先生はオースチンを連れて飲み歩いた後、横浜は中華街にある霊媒師の元に連れて行きます。 そして霊媒師がオースチンが殺した2人のレスラーを呼び出し、こうオースチンに語り掛けます。

真樹日佐夫10.jpg
謎の霊媒師

きみの あの 回転地獄 特急は じつに すばらしい 必殺の技だったな
「すばら しい?」
「ブリック それに マックス きみたちは おれを うらんで いないのか」

ばかだな オースチン あんな すばらしい 技に かかって 死ねれば
レス ラー として 本望だよ
ただ おれたち 自分の運の なさを ちょっぴり 残念には おもうがね
「そ それじゃ おれの むすこたちが 死んだのは きみたちの のろいのせいじゃ なかったのか」
あたりまえさ だれが そんな ひきょうな ことを するものか
オースチン きみのむすこ たちも おれたちと おなじちょっぴり 運がなかった だけさ
かれらが 死んだのは まったくの 偶然だよ


 そしてブリックとマックスの笑顔を霊媒師の念に見たオースチンは心の迷いが消え真樹先生に感謝を伝えます。
 シーンは変わってオースチンとジャイアント馬場のシングルマッチ。 オースチンは馬場に回転地獄特急を仕掛けるも不発、ここで引き分けで試合終了。 この試合をテレビで見る真樹先生はオースチンのキビキビとした試合振りに満足していたところ、雑誌社から連絡が入ります。

「もしもし 真樹です」
『あっ 先生ですか!? こちら サンデー・ コミックス 編集部ですが ………………
今月の プロレス 悪役物語の 原稿 できて いるで しょうか』

真樹日佐夫11.jpg

「ああ できて いるよ
今月のは ちょっと かわった 話でね オースチンの 話だが なにしろ わたしと オースチン との体験を かいたものでね」

『ほう 先生とオースチンとの 体験談ですか そりゃ かわってて いいですね』
「ああ オースチンの サインまで もらってあるよ
はやく とりに きて くれたまえ」


 とまぁ、奇妙な友情が似合いそうな、余韻の引く読後感爽やかな終わり方ですw この真樹先生の見たテレビマッチがあったのか、ちょっと調べてみましたが、手元の「週刊ファイト」の縮刷版はあんまり試合レコードの記載が無いんですよね。 いつも三菱電機がプロレス中継の広告を出していますが、これがシングルなのかタッグなのかも分かんないですw

真樹日佐夫15.jpg
事件直後のテレビ放映広告

 ただ、この頃の広告枠には常にオースチンが載ってますね。 今シリーズのメインはドリー・ファンク・ジュニアとダニー・ホッジで、他にもハリー・レイス、ブル・ラモスと強豪が参加しており、オースチンも少々影が薄い様ですが、一応12月4日の蔵前で馬場・猪木組とドリー・オースチン組のインタータッグ王座戦がありましたので、これが真樹先生が観戦した試合かなぁと。 「冒険王」の1970年2月号掲載という事は、1月発売ですから12月の初旬には原稿が完成していないとヤバイでしょうしね。
 そして霊媒師…何でいきなりオカルト! と思うのですが、意外に真樹先生、SM以外ではオカルト好きだったんじゃないかなぁと思います。 私は読んだ事無いんですが、実は真樹先生、怪奇系の本を何冊か執筆されてるんですよね。
 ちなみに私の手元にある少年マガジンコミックス版の「あしたのジョー」第2巻でも「世にもふしぎなボクシング」というオカルト紛いなボクシングのエピソードを紹介してます。

真樹日佐夫12.jpg

 少年マガジンコミックスは、雑誌連載時にちょくちょく発売されていた物で、巻末には別の作家の漫画や読み物が載ってました。 結構レアみたいですね。 しかし…つのだじろう先生も真樹先生と組んだら面白かったんじゃないかなぁw


 という事で、真樹日佐夫VSバディ・オースチンでした。 第三者が記した記事が見付からなかったのは残念ですが、まぁ、こういう結果になりました。 梶原一騎先生が書いた70年の手記(「現代」70年3月号)でも雑誌の事が書いてないので、ひょっとしたら対象の記事自体が無かった可能性はありますが、真樹先生は雑誌(真樹先生の記憶では「平凡パンチ」)に書かれた上、大山倍達総裁にバレたので「プロレス悪役シリーズ」に書いたと語ってます。 当時の真樹先生は極真会館である程度の地位は築いてますが、「極真の真樹」的なネームバリューはありませんでした。 まだ極真も無名ですし、そんな目くじら立てられる様な話でも無い気がします。 何か注意される様な内容だったのかなぁ。

 「プロレス悪役シリーズ」
は復刻した時、大山倍達総裁の回が載ったのだけ買ったんですが、バディ・オースチンのは前述した様に興味無かったのでスルーしてました。 しかし読むと霊媒師とか出て来て笑いましたが、ラストのコマが好きですね。 後、本文中は裏が取れてないので書きませんでしたが、どうもレスラーを殺したという話はギミックらしいです。 だとしたらオースチンは誰と交信したんだろうw
 それから、2人の息子、となってますが「週刊ファイト」では双子の娘がプールで溺死した様に書かれてます。 ただ、これが1人なのか2人共亡くなったのかは不明です。
 ちなみにこの話、一部で昭和49年と真樹先生が書いてたりしますが、単純に西暦と年号の間違いですね。 1969年(昭和44年)と1974年(昭和49年)で混同したんでしょう。 当ブログでは基本的に西暦で統一する様にしてるのであまりこういう間違いは無いと思うのですが、私も気を付けないといけませんね。
 今週というか先週は風邪の影響でブログが放置気味でしたが、実はずっとこの記事を書く為に「週刊ファイト」を読み耽ってたというのもありますw 縮刷版の69年8月辺りから70年1月辺りまで読んでました。
 それでは、また。

追記:古流修行者さんより真樹先生が原作を書いた実兄の梶原先生への追悼劇画「さらばアニキ」ネタのリクエストがありましたので、追加してみました。(2012/12/22)

参考文献:
現代 1970年3月号 講談社 1970年
少年マガジンコミックス あしたのジョー 第2巻 講談社 1969年
週刊ファイト縮刷版 No.3 新大阪新聞社 1983年
週刊ファイト縮刷版 No.4 新大阪新聞社 1983年
KCコミックス 空手バカ一代 第29巻 原作:梶原一騎 作画:影丸譲也 講談社 1978年
劇画一代 梶原一騎著 毎日新聞社 1979年
一騎人生劇場 男の星座 第9巻 原作:梶原一騎 作画:原田久仁信 日本文芸社 1987年
大山倍達との日々―さらば、極真カラテ! 真樹日佐夫著 ペップ出版 1990年
すてごろ懺悔 あばよ、青春 真樹日佐夫著 流星社 2000年

参考映像:
すてごろ〜梶原三兄弟・激動昭和史〜 ジーピー・ミュージアム、リベロ 2003年

参考リンク:
Buddy Austin (2012/12/16)
WWA世界ヘビー級選手権 (2012/12/16)
バディ・オースチン (2012/12/16)









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コメント
ずっと見たかった映像見つけました。
不都合があればお手数ですが削除お願いします。
http://www.youtube.com/watch?v=fmvkfqzmNac
  • kimura
  • 2012/12/17 11:36 AM
私の昔から興味深々の真樹日佐夫 VS バディー・オースチン、今回の記事は待ってましたという感じです。できれば「さらばアニキ」も含めた完全版をお願いします。

プロレス悪役シリーズのラストの電話のシーンは覚えていますが霊媒の話は記憶から抜けておりました。オースチンが理解できたということはこの霊媒は英語で話したんでしょうか(笑)
あの人たちは過去に描いた事実を平気で描き変えてしまいますね。
ここまでくると本当に痛快です。
影丸先生の絵がカッコいいから説得力が違います。

ありがとうございました。

真樹先生とつのだ先生の幻の作品ですか。読んで見てみたかったですw。
  • もん爺
  • 2012/12/18 12:34 AM
横から失礼します。

kimuraさんの紹介された映像、貴重ですね!

佐藤(勝)・盧山・東谷各師範が出演されており、大山先生の声は別人ですがビン切りがお見事でした。
>名誉五段さま
大会の映像は結構残っていますが、普段の本部道場の稽古での組手は貴重ですね。顔面攻撃・防御、投げ・掴みや崩した後の攻撃などの意識が違うなと感じました。いわゆる「相撲空手」ではなくかっこいいです!
  • kimura
  • 2012/12/19 10:14 AM
>kimuraさま

あの映像の「どっこい大作」は私が小6〜中1の時ですから入門(昭和50年春)前年ごろの映像かと思われます。我々が入門した頃はごく普通にあの様な稽古風景でありました。俗に言う「相撲空手」の形が出たのはたぶん第1回世界大会の数年後からでしょうね。 押忍
名誉五段さま
あのような組手技術が受け継がれていないとなると残念ですね。
時代が違うからでしょうか。
  • kimura
  • 2012/12/19 5:39 PM
Leo様

とても興味深く読ませて頂きました。
ありがとうございます!

真樹先生は数々の伝説がありますが、こういった検証は凄いですね。

有名な侠客、花形敬氏とのイザコザなども実際に在ったのか興味津々です。

  • ドラゴ
  • 2012/12/19 11:00 PM
>kimuraさん

「どっこい大作」の27話でしたっけね。 この頃の帯研とか見たいですねぇ。

>名誉五段さん

掛け技の崩しが激減したのは、第11回全日本以降の三誠時代じゃないですかね。 前大会くらいから掴みの注意がうるさくなったので、普段の稽古でもそういう技術が不要になったんじゃないかと思います。

>古流修行者さん

そう言えば「兄貴」とかその辺は思いっ切りスルーしてましたw
追記で書いても面白そうなら付け足すかも知れません。

…ハリー・フーディーニというアメリカで最も有名な奇術師が100年ほど前にいたのですが、彼は当時流行っていた沢山の霊媒師に亡くなった母を呼び出して貰っていたそうですが、例外無くイカサマだと看破しました。
どうやって見破っていたかというと、フーディーニの母はドイツ移民で、実は殆ど英語が喋れず、また誰も本名で語り掛けなかったというのに、霊媒師の呼び出した母は、皆英語で喋り、芸名で語り掛けたからだという話がありますw
作中のオースチンは声を聞いて判断しているので…声が似ててしかも英語なのかな…w
しかし子供の事で悲しんでるオースチンの前に霊を呼び出すとしたら、普通子供の霊を呼び出しそうなもんですけど。

>もん爺さん

まぁ、作家というのはエンターティナ―ですからねぇ。 「極真空手の猛者」という設定が無ければこうはならなかっただろうな、とは思いますがw

>ドラゴさん

この話は相手のオースチンの日程を或る程度追えるから成立してる調査ですからね。
花形敬の様なネームバリューはあっても服役中とか事件でも無い限り何やってるか分からない相手の調査はちょっと難しいですw
ただ「疵」とか読んで判断する限りでは、わざわざ河川敷で待ち合わせてケンカするタイプには思えませんでした。 気に入らなければその場でブン殴るタイプというかw 安藤昇氏が服役中の最晩年は、組を守る為に自重してたみたいですけどね。
  • Leo
  • 2012/12/20 1:42 AM
私は館長の著書や写真集やマンガを読んで想像していた極真空手と、その後、長らくしてやっと初めて目にした試合形式の極真空手があまりにもかけ離れていてかなり落胆(「これがあのケンカ空手??頭つけて腹を叩き合ってるだけは??かっこ悪いな。他流派だよね?」など)した覚えがありますが、最初にこれを見ていたら「想像以上の空手だ!!」と興奮していたことでしょう。
もちろん競技としての極真の意義も面白さや偉大さは今では理解していますが。。。
  • kimura
  • 2012/12/20 11:33 AM
「アニキ」の追加補足楽しみにしています。 悪役シリーズはケンカ回避と記憶していましたが実際に戦っていたのですね。ラストシーン、当時真樹氏はまだ20代だったと思いますが「はやくとりにきてくれたまえ」なんて貫禄充分w

「羽交いじめ」は初期の著作に共通しているので何らかの元ネタはあったと察します。

梶原兄弟は酒豪エピソードで知られていますが「弟の車」とあるし「空バカ」でも自身で運転しているところをみると最初から飲酒運転前提で飲み歩いていたんでしょうか・・・うーん、深い、このエピソード(爆)

PS
真樹日佐夫VS花形敬 はドリームマッチとも思いますが花形氏が死んだ時点で真樹師範はまだ23、晩年はそれなりに無益なケンカを自制していたとすれば花形氏は20代? すると真樹師範は10代で花形敬と対戦?まあ中学時代に年上女性と同棲していたとかいう真樹師範ならありえるかもw
>kimuraさん

ですので、個人的な分類による「空手バカ一代」第1〜第2世代(第1世代は第1回世界大会前の入門者、第2世代は70年代後半の入門者)までは漫画と実状のギャップをあまり感じなかったと思いますね。
試合スタイルの変遷を見て行くと、当時の選手がどうやって上の世代に打ち勝とうかと努力していく様が見えて面白いんです。 現在こっそり進行中のルールの変遷でその辺りを考えて行く予定ですので、記事にしたら読んでみて下さいw

>古流修行者さん

貫禄がある上に書斎とガウンのセットですからねぇw
ま、本人がクローズアップされていない時代ですので、作家がどっか浮世離れした存在というイメージだったのかな。
羽交い締めに関してはやったと思ってます。 その辺りも追加で書きます。

…今の時代なら飲酒運転は実際にしてても「タクシー」と書くでしょうが、法改正よりずっと前ですし、緩かったんでしょうw

正直、真樹日佐夫VS花形敬は微妙ですw
  • Leo
  • 2012/12/22 1:27 PM
>Leoさま
「これがあのケンカ空手?」と思ったことも事実ですが、後に入門し初めて「拳で腹部限定」の組手体験したら「言うのは簡単だが、顔面なしで本当に良かったー、極真ルールって素晴らしい!」と心から思いました笑)
記事楽しみにしています。
  • kimura
  • 2012/12/22 5:43 PM
リクエストにお応えいただきありがとうございます。小学生時代に読んだ「悪役シリーズ」を未だに引きずっていることであらためて自分が梶原兄弟のファンであったことを自覚しますww
一連の作品をあらてめて読むと「空バカ」での圧倒的な強さを例外とすれば確かに羽交い締めと金的蹴りはセットになっていますねぇw
>kimuraさん

極真ルールは極真ルールの良さがありますからね。 実際にやるとなると下突きで失神する初心者もいますしw
記事の方は何回かに分けて来年書く予定です。

>古流修行者さん

個人的な体験から言えば…ですけど、ケンカで金的蹴られて負けた人って、「卑怯なマネを!」みたいに思うのか、結構根に持つんですよね。 多分サインに応じないんじゃないかなとw
やっぱり蹴ろうとした、もしくは蹴ったけど当たらなかったが正解じゃないかと思ってます。
  • Leo
  • 2012/12/24 11:31 AM
けんか空手極真拳で千葉真一と真樹さんの試合がありますが、あの頃の真樹さんちょっと線が細すぎるな~正直空手は未熟者に見えますね。
  • やいや
  • 2012/12/24 3:06 PM
>やいやさん

一応帯研にも出てたんですけど、ケンカはともかく、空手の方の実力はあんまり聞きませんねぇ。
「カラテ大戦争」では構えと間合いの詰め方と後ろ廻し蹴りが印象的でしたw
  • Leo
  • 2012/12/24 9:41 PM
梶原兄弟vsオースチン事件について、こんなに詳しく書いたものは初めて見ました。
なるほどなるほどと、たいへん面白く読ませていただきました。

ひとつ気になるのは、沖識名の存在です。

当時、日本プロレスリングコミッション事務局長だった、門茂男の著書「ザプロレス365パート8」によると、事件翌日、沖識名が眼の上を膨らせて、門のオフィスを訪ねたとあります。
「あんなゴッつくて、啖呵もヤクザ以上に吐くヤツが、本当に作家なのかね」

外人レスラーの世話係を務めている沖が、梶原とオースチンのトラブルを黙って眺めていた、ましてやどこかへいってしまうとは考えにくく、間に入ってブン殴られた(KOされた?)のは間違いないと思います。

またいかに酔っていたとはいえ、オースチンが一般客に手を出すとも思えず、これは梶原兄弟と沖・オースチン4人の間のトラブル(酒の上の喧嘩)だったのではないでしょうか。

オースチンはかなり酔っていたようで、最後ホテルでサインもらって手打ちになったのなら、ガードレール攻撃、羽交い締め、投げ、蹴りのようなことが、多少はあったにせよ、そんなに派手な攻防にはならなかった(オースチンが泥酔していて喧嘩にならなかった?)のでは。

門は、沖、オースチンとも「すべてを語れば己が恥となると思ったのか」真相は分からずじまいと結んでいます。

それから、翌日(のテレビ中経で)オースチンが馬場と引き分けた件ですが、桜井康夫「激録・馬場と猪木」の巻末の戦績表によると、この2シリーズを通じ、オースチンは馬場と3回シングル対決し、1-1からの引き分け、反則負け、フォール負けとなっています。
引き分けはシリーズ開幕戦なので、絶不調→次第に調子をあげていったというファイトの記事と逆なのが困りますが(苦笑)。

この開幕戦の引き分け試合の録画が、シリーズ最終戦翌日にテレビで放送されたのかどうか分かりませんが、ともかく全盛期を過ぎたオースチンが、トップの馬場と一本ずつ取り合って引き分けたのは事実ですから、その健闘ぶりを最後に記して、事件の顛末を爽やかに締めくくりたかった真樹先生の気持ちはよく分かります。

長々失礼しました。
  • ヒクソン
  • 2017/03/07 5:10 PM
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