calendar

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< May 2018 >>

categories

無料
無料
無料






archives

大山倍達マニアック検定

【古記事】「プロ・レスのホープ 遠藤幸吉選手物語」(1955年)

JUGEMテーマ:格闘技全般
 

 さて、2013年です。 昨年は大山倍達総裁のアメリカ遠征から60年という極真会館史としては節目な1年の筈でしたが、多分その事に言及してたのはウチだけの様な…w
 まぁ、最近は「ワールド空手」が原点回帰的な記事を取り扱い始めましたので、新たなネタが掘り起こされれば良いですね。
 当ブログも微力ながら貢献出来てれば…良いなぁw
 
遠藤幸吉選手物語.jpg

 と言う事で、今回は大山総裁と共に渡米した遠藤幸吉氏の1955年の記事を取り上げてみたいと思います。 んで、後半は例のインタビューに関するツッコミをする予定です。 では、どうぞ。



かなしい知らせ

チチシンダー―
 その電報を手にして、開拓団の事務所をでると幸吉はひとり、うちの川岸へ急いだ。 だれもいない草むらに、こしをおろすと、大つぶのなみだがはらはらと流れた。 (おとうさん、ゆるしてください……。)
 いまさらないても、どうにもならない。 ここは、ふるさとを遠くはなれた満州(今の中国本土の一部)だ。
 遠藤幸吉は、大正十五年三月四日、山形県東村山郡金井村鮨洗で生まれた。 男五人のいちばん下に生まれた幸吉は、からだが大きく、とても元気な少年だった。
 ムラの小学校三年生のとき、お昼のべんとうをたべていると、前のせきにかけている友だちが、へんな音をたてた。 くさいにおいがする。
 まわりのものが、どっとわらった。 それにつられて、その友だちもわらったので、幸吉は腹をたてた。
 「しっけいなやつだ!」
 幸吉は、いきなり、つくえのふたをとると、がんといっぱつ、その友だちの頭をなぐりつけたからたまらない。 友だちは、「ううん。」とうなって、のびてしまった。
 五年、六年とあがるにつれて、幸吉のらんぼうは、ますますはげしくなった。 なにしろすごい力だから、中学生とけんかをしても、めったにまけたことはなかった。
 「幸吉、けんかはよせ。 どんなことがあっても、暴力をふるってはいけない。」
 おとうさんは、口ぐせのようにそうさとしたが、幸吉はきかなかった。
 そのかわり、柔道は強かった。 中学二年、十五才のときには、もう初段にすすみ、あいかわらずけんかはやめなかった。
 おとうさんは、ほうぼうから、苦情をもちこまれるので、ほとほと手をやいていた。 だから、昭和十七年三月、幸吉が開拓団にくわわって、満州へいくときまったとき、ほっとした。
 しかし、いくら元気だといっても、まだ十六才の少年だ。 わが子が遠い満州へいくと思うと、おとうさんはなみだぐんだ。
 「幸吉、満州はさむいから、からだをたいせつにして、気をつけてはたらくんだよ。 それから、くれぐれもらんぼうはしないようにな。」
 いよいよ、おわかれという朝、おとうさんはそういって、幸吉の手をぐっとにぎった。
 それから、たった二カ月あまりしかたっていない。 おとうさんの手のあたたかみが、まだのこっているような気さえするのに、そのおとうさんは、急病で死んだ。 もうこの世にはいないのだ。
 (おとうさん、ゆるしてください……。)
 その日から、幸吉のせいしつは、がらりとかわった。 幸吉は、まじめな、おとなしい少年になった。

太平洋タッグ.jpg

決死の人ばしら

 ジャン、ジャン、ジャン……。
 あわただしいかねの音に、幸吉は目をさますと、むっくり起きあがった。
 この間からのあらしで、ていぼうがきけんだというしらせのかねだ。
 外はまっ暗で、まだ雨も風も強い。 しかし、もう一刻のゆうよもなかった。 幸吉はすばやく身じたくをととのえると、あらしのなかをとびだした。
 川岸へでてみると、大ぜいの団員たちが、ずぶぬれになりながら、ひっしの防水作業をつづけている。
 「遠藤、おまえはつかれている。 もうすこしやすめ……。」
 幸吉の顔をみると、団長さんは、やさしく声をかけたが、幸吉はきかなかった。
 「いいえ、もうひとねむりしたから、つかれていません。 だいじょうぶです。」
 そう答えると、幸吉はもう土嚢に手をかけた。 すばらしい力だ。 大の男がふたりがかりで、やっとはこべるような土嚢を、ひとりでかるがる持ちあげる。
 やがて、土嚢つみは終った。 水かさは、刻々ましてくるが、ていほうのよわそうなところは、だいたいなおった。 みんなは、ほっとした。 だが、もうつぎのしゅんかん、「あっ!」と、声をあげた。 土嚢に水がしみこんできたところがあるのだ。
 「ぼくは、向こうがわからなおします!」
 幸吉はそうさけぶと、こしにロープをまいて、さかまく濁流のなかへザブザフとはいりだした。
 「遠藤、あぶない! 気でもくるったのか!」
 団長がさけんだ。
 「だいじょうぶ。 この下がよわっているのです。 すぐなおします。 ぼくが体あたりで、こっちがわなおしますから、そっちはおねがいしますよ。」
 むねのへんまで水につかりながら、元気な答だ。
 「もういいから、あがってこい。 流されたら、いのちがないぞ。」
 「いいえ、からだにロープがまいてあるから、だいじょうぶです。」
 人ばしらということがある。 にんげんがはしらのかわりになることだ。 幸吉は、今、その人ばしらになっても、村をまもろうとするのだ。
 (遠藤をみごろしにするな!)
 団員たちは、ふるいたった。 そして、とうとう村を洪水から、まもりぬくことができた。
 しかし、幸吉は、そのむりがたたって、ひどい神経痛になり、昭和十九年秋、日本へおくりかえされることになった。

遠藤幸吉プロマイド.jpg

フェア・プレー


 昭和二十年の秋、幸吉は、にいさんをたよって横浜へでて、進駐軍の荷役の仕事をすることになった。
 あらくれ男にまじって、幸吉はまじめにはたらいた。 けんかがあると、いつもとめる役だ。 そのはたらきぶりがみとめられて、午後は東京へいって、すきな柔道のけいこをすることがゆるされた。
 そのころ、講道館には、いまの日本選手権者醍醐六段が、まだ四段ぐらいの若武者で、石川、伊藤、羽鳥など、そうそうたる精鋭がいた。 それらの名選手にもまれて、幸吉の腕もぐんぐんのびた。 幸吉のもくひょうは打倒木村にあった。 木村七段は、昭和十三年から十二年間、日本選手権をまもり無敵をほこっていたからだ。
 だが、木村七段は昭和二十四年講道館をやめて山口六段とともに、プロ柔道連盟をつくった。 幸吉もすすめられて、それに参加した。 そのときはすでに六段であった。
 木村、山口の一行は、やがてハワイへ遠征したが、むこうで、アメリカのプロ・レスの選手と試合をして大活躍したというニュースがはいった。 つづいて、その映画「世紀の肉弾戦」を見たとき、幸吉の血はわきたった。 木村、山口はまもなく、ぷろ・れすらーに転向した。
 (そうだ! ぼくも、プロ・レスへはいろう!)
 ところが、そのチャンスは、意外に早くきた。 かつて世界選手権をとったことがあるバビー・ブランズが、日本へやってきて、プロ・レス選手の養成をはじめたのだ。 幸吉は、すぐそれに応じた。 すもうをやめて、やはりプロ・レスラーになるためにやってきた力道山とはじめて知ったのも、そのときである。
 昭和二十七年、幸吉は、世界一流のプロ・レスラーになろうと決心して、力道山のあとを追って、ハワイへいったが、まもなく、アメリカ本土へわたり、シカゴで本式の練習をつみ、すぐフロリダ、キューバとまわってアメリカの選手たちと試合をした。 幸吉はめきめき強くなった。 が、ただそれだけでなく、どこの試合でも、幸吉のたいどがりっぱなので、ファンはみんな、「エンドウ、エンドウ。」とほめた。
 昭和二十九年、タッグ・チームの世界選手権保持者である、カナダのシャープ兄弟をむかえて、力道山とともにした幸吉の活躍。 それからあとのことは、みなさんのほうがよく知っている。
 しかし、ちょびひげのエンドウおじさんが、近所の少年たちのためにグローブやバットを買ってやって、すこしでも試合や、れんしゅうのひまがあると、いっしょにあそんでいることを、みなさんは知っているだろうか。
 「ぼくは少年諸君が大すきだ。 みんな、元気でやろうぜ。 しかし、けんかはいかん。 けんかをするのは、よわ虫のしるしだよ。」
 遠藤おじさんは、にこにこしながら少年たちにそう教える。 それは、なくなったおとうさんの教えでもあるのだ。 (おわり)



 いかに少年向けなエピソードですね。 しかし同年のベースボール・マガジン社刊の「プロレス」では満州開拓団に関する記載は無く、地元で百姓をやっていた様です。 どっちが正しいのかは知りませんw

遠藤幸吉物語.jpg

 どちらも正しいとすれば、開拓団に農民として参加したんでしょうけど、未成年は義勇軍としての参加になる筈ですので…どうなんでしょう?

***

 では、以前リクエストのあった遠藤氏の「大山倍達とは何か?」におけるインタビューを見てみたいと思います。
 まずは「大山クン」についてw 大山総裁より年下の遠藤氏が「大山クン」と呼ぶかなぁ? 10代なら分かりますけど、成年以降はまず「大山さん」でしょう。 まぁ、遠藤氏に限らず大山総裁存命時には「大山さん」、「大山先生」と呼んでいたのに、亡くなられて以降は「大山くん」と呼ぶ人が空手界にもいますし、自分を大きく見せたい人には常套手段なのかな。
 で、木村政彦先生と遠藤氏でレスリングをやって力道山がレフェリーをやって、大山総裁がデモンストレーションをやったという話ですが、これは多分1953年の話でしょうね。 木村先生の興行の話じゃないかなぁ。 この時代の事は殆ど情報が無いのでちょっと追えてませんです。

***

遠藤  大山クンはあくまでも空手のデモンストレーションで行った! プロレスをやりに行ったんじゃないんだから。 それだけはあんたたち間違わないで、そこの感覚を。
――ははぁ。 何か含みがありますねえ。 ズバリ言って、遠藤さんはマス大山が向こうで試合をしているところを目撃してるんですか!?
遠藤  試合なんか誰としたの?
――いや、いろいろと。
遠藤  誰と試合したかなんていうのは、私、言えない。
――なぜですか?
遠藤  ホントに大山クンが誰かと試合したっていうことを誰か立証してみてくださいとしか言えない。 プロレスラーをやっつけたとか何とかってオーバーなこと言ってるけど、あれこそレスラーを侮辱したことなんだよ、正直言うとですよ。 「プロ」のつくものは、ケガさせて商売するもんじゃないよ。 おまんま食えないことしてしまったらどうなるの? そんなことほっとくプロモーターはおらんですよ。 アメリカに行ったらなおさら。


0505_1952_Iowa
大山倍達の試合広告

 プロレスをやりに行った訳じゃない、というのは多分事実ですが、試合をしたのも事実な訳で。 というか52年当時の大山総裁の試合記録に関しては当ブログで実証済みですねw 後でまとめて書きますが、実は遠藤氏、大山総裁に関して、50年代から徹底的に隠蔽してます。 大山総裁について放言し始めたのは亡くなられた後の話です。 「死人に口なし」というヤツですかねぇ。

WAYLI52.jpg

 後、グレート東郷は当時、下駄でレスラーを叩いてケガを負わせてたりしますが、飯の食い上げどころか遺恨マッチを組む為のネタになってますw 罰金を支払ってもいますが、これがまた安い。 何が言いたいかというとですね、グレート東郷庇護下にあった当時ならケガをさせても看板レスラーを休業にでも追い込んだりレスラーを無価値にしない限りは押し通せたんじゃないでしょうか。

***

 続いてこの渡米時にハワイで力道山と会ったという発言について。

遠藤  (中略) あの時は、ロサンゼルスに行く乗り継ぎでハワイで降りた。 そうしたら力さんがおるから、食事でもしながら話でもしようと。 ところが、大山クンは「オレは関係ない」って言って、会わなかったんだから。 「オレはプロレスラーじゃないから、プロレスラーと話なんかする必要ない!」とね。 それが、いまあんたが言ったように、ハワイでどうしたこうしたって、山ほど書いてあるじゃないの。

 ん〜まぁ、これ話が混合してますよね。 ハワイでどうこうしたというのは、力道山に空手チョップを教えたエピソードですが、米国本土に行った後の話なので、事実かどうかはともかく、乗り継ぎ時の話ではありません。 「3時間しかいなかった!」と言った所で何の意味も無いですねw
 で、不思議なのですが、この頃の大山総裁はまだプロレスを知りません。 それなのに「プロレスラーと話なんかする必要ない!」なんて言いますかね。 いや力道山と会わなかったのならそれはそれで別に構わないのですが、断り文句としては失格でしょう。 時系列の考慮がされてません。 何年か後…力道山と険悪になってからの発言なら問題ありませんが、この時点ではあり得ないと断言します。 こういった発言が「大山倍達らしい」と感じるのは分かりますが、だからと言って事実だとは限らないのです。

***

遠藤  200戦連戦連勝とかね。 じゃあ200試合やるのに何年かかるのよ。
――まあ、それは脚色としても。
遠藤  まあ、それに関しては力さんもアメリカで300連勝とかやっとったからね。 なにも私は暴露本的に、言ってるんじゃなくて、私は私なりの気持ちをただ言ってるだけで、ひがんだりした気持ちじゃないですよ。 大山クンも、いまそこらで聞いてくれてるよ。 大山クン、そこにいたら聞いとってくれよ!(笑って、横を向く)。
――いやあ、まいりましたね(笑)。じゃあマス大山と一緒に行動してたのは、何ヶ月ぐらいなんですか?
遠藤  5ヵ月か半年近くだね。 けど、大山クンは何ら悪いんじゃないのよ。 オレは大山クンと喧嘩したわけじゃないよ。 俺は東郷という人間が徹底的に嫌になっただけだから。 結局、「東郷と一緒になんか仕事できるかい」って、蹴っ飛ばしちゃったのよ、俺が。 誰もそんなこと書いてないんだよ。 多分、大山クンも東郷を嫌っとったと俺は思うよね。


 ちなみに遠藤氏は自称110戦75勝15敗20引き分けです。  200試合やるのに何年という話をするのなら…じゃあ110戦するのに何年かかるのよw 200勝というのはかなり盛っている話だと私も思ってますが、遠藤氏だって人の事言えた義理じゃないです。 この事は遠藤氏を嫌悪するユセフ・トルコ氏もこんな感じで嘲ってましたね。

俺は日本人だ.jpg

柔道、柔道ジャケット・マッチ、そしてプロレスの試合を旅から旅のこの遠藤幸吉が110試合やり、75勝15敗20引き分けというんだから僕は思わず笑っちまったネ!
そうだろうが! タッグ・マッチ、シックスメン・タッグがほとんだったという彼が僅か半年の間にシングル(マッチ)を110試合もこなせる訳がないから、僕は大笑いしてしまったんだよ!


 で、東郷ブラザーズとしての行動期間ですが、これも既に証明済みですね。 恐らくは3ヵ月間の契約で4月にシカゴで履行され7月にロスで満了となった、で間違い無いでしょう。 行動記録を見る限り、かなりしっかりしてると思います。 大体途中で契約解除なんて出来ないでしょうに。 ちなみに自伝の「プロレス30年 初めて言います」では、力道山と組んで半年ほどアメリカ本土を巡業した事になっており、名コンビ振りをアピールしてますが、そんな事実は無いですねぇ。

プロレス30年初めて言います.jpg

 つまりは遠藤氏の話もかなり虚飾に満ちていると言えるでしょう。

***

――力道山が負けたそのタム・ライスに、大山倍達は勝ったんだそうです。
遠藤  じゃあ、タム・ライスは、その時どこにおったかというと、ハワイのチャンピオンとしてホノルルにおったんだよ。 それを、ホノルルで試合などしたこともないのに……。 しかし、俺はシカゴで東郷ブラザーズと手を切ったから、その後でやったんじゃないのと、そういうふうに俺は人の前では言ってきた。 また、いまでもそういうふうに言うよ。

(中略)
遠藤  よしんば、何かしらの接点があったとしても、何で一連の書物にはアール・カラシックの名前が出てこない。
――何ですか?
遠藤  アール・カラシックっていうのはね、ハワイのプロモーターの名前。 なんで出てこないの? あれが全部権利持ってるんですよ。 我々のプロレスの素を作ってくれたプロモーターなんですよ。 そんなこともわからないのに、タム・ライスがどうだとかなんて。


 大山総裁がタム・ライスと闘ったのか、あるいは闘って勝ったのかはちょっと隅に置いて…可能性の話をしましょうか。 私は闘ったとすれば53年の話だと推測してますので、そもそも話が噛み合わないのですが、遠藤氏は一緒にいた時期だという前提で話してるっぽいですね。 興味深いのは「ホノルルで試合などしたこともないのに……」という発言です。 アレ? ホノルル以外なら試合したのかな? ちょっとポロリと何かが飛び出た気がしますw

板割り2.jpg

 で、53年の時点になると諸々の諸条件から外れます。 何故なら、じゃあ力道山がタム・ライスと闘ったのはどこなのよ? という話で済むからです。  この試合は53年1月22日にロスのオリンピックオーデトリアムで行われており、ハワイではありません。 つまりハワイのチャンピオンだから云々というは無意味です。
 あ、大山総裁とタム・ライスが闘ったかどうかについては少々思う所がありまして、現在いくつかのパターンを考えてますが…、69年頃から70年9月までの間に櫻井康雄氏が闘ったと書いた様です。 この事は梶原一騎先生が70年9月10日に書いてます。 この記事が見付かるかどうか分かりませんが、これも踏まえていずれ書きますね。
 そしてアル・カラシックの件。 インタビュー中も遠藤氏自身が言及してますが、最初のアメリカ遠征に限定して言えば、カラシックとは何の関係もありませんね。 グレート東郷との直接契約です。 大山総裁はハワイでは特に活動しておらず、ハワイのプロモータであるカラシックと絡んだ形跡は何もありません。 だから出て来る筈が無いのです。 何か勘違いしてるんじゃないかなぁ。

***

 最後は1954年の力道山対木村政彦戦で大山総裁がその場にいたかどうかの話。 この事は増田俊也先生が「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大々的に触れてますが、遠藤氏は力道山サイドにいたので知らないと発言してます。 大山総裁はリングサイドにいたので別段気付かなくても問題無いでしょう。 これを以て「大山倍達は会場にいなかった!」と断言する方がどうかしてますw 遠藤氏は知らない、気付かないと言っているだけですからね。
 大山総裁が会場にいたというのは古くは小島貞二氏が書いてますし、櫻井康雄氏が所有している16ミリのフィルムでも顔が写っている様で、「激録 力道山」の第1巻にその事が書いてあります。 また、会場にいたという証拠とはちょっと違いますが、門茂男氏がこの試合の後の挑戦について書いてますし、大山総裁が力道山に挑戦という噂話は50年代のいくつかの媒体に載ってますね。



 という事で「プロ・レスのホープ 遠藤幸吉選手物語」でした。 以前リクエストのあったネタを絡めつつなのでちょっと長文になりましたねw
 で、インタビューとは直接関係はありませんが、遠藤氏の大山総裁とのツアーについて。 先に隠蔽と書きましたが、遠藤氏は何故か大山総裁の事を徹底的に隠しています。
 自伝の「プロレス30年 初めて言います」ではグレート東郷と巡業した話は載っていますが、大山総裁は登場しません。 空手チョップの話で少し出るだけですw
 そして郡司信夫氏が書いた「プロ・レス王者 力道山・遠藤幸吉」(1954年)でも一言も言及されません。

プロレスの王者力道山遠藤幸吉.jpg

完全に遠藤幸吉がヒーローの物語として書かれてますね。 これはベースボール・マガジン社の「プロレス」(1955年)の評伝でも変わらず、グレート東郷の名前はありますが、大山倍達は登場しませんでした。
 理由はいくつか考えられますが、当時の"Ring"誌でも主役は大山総裁やグレート東郷だった事を考えると、想像が付くかと思います。
 ちなみに遠藤氏は91年9月18日にストーカー紛いの行為を行って、女性に対する名誉毀損で神奈川県相模原署に逮捕された事もあり、その執念深さは折り紙付きです。

遠藤幸吉逮捕.jpg

 この執念深さは何を物語るのでしょうね?
 それでは、また。

参考文献:
Cedar Rapids Gazette,  5/4, 1952
WRESTLING AS YOU LIKE IT,  7/12, 1952
"NEWS of the.. MAT WORLD", Nat Loubet, The RING, September, 1952
少年クラブ 1955年5月号 講談社 1955年
プロレス 第2号 ベースボール・マガジン社 1955年
週刊サンデー毎日 1991年10/6号 毎日新聞社 1991年
プロ・レス王者 力道山・遠藤幸吉 郡司信夫著 鶴書房 1954年
第2回オープントーナメント全日本空手道選手権大会プログラム 国際空手道連盟財団法人極真奨学会極真会館 1970年
プロレス30年 初めて言います 遠藤幸吉著 文化創作出版 1982年
俺は日本人だ! ユセフ・トルコ著 ジャパン・プロレスリング・ユニオン 1982年
激録 力道山 第1巻 原康史著 東京スポーツ新聞社 1994年
紙のプロレス公式読本 大山倍達とは何か? ワニマガジン社 1995年
木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 増田俊也著 新潮社 2011年

関連リンク:
大山倍達のアメリカ遠征 2 (1952/05/06)
木村政彦、大山倍達を語る (1985年)
【古記事】”鉄人”木村の秘密(1954年)
【新春企画】1952年の大山倍達 渡米記録(2012/01/14版)









東京・池袋の武道具専門店 ブドウショップ



フレッツ光で最大106,000円キャッシュバック実施中!





コメント
遠藤幸吉とんでもないですね(笑)空手バカ一代他であれだけ騒がれているときに、黙っておって。恥ずかしい男ですね。。
  • you
  • 2013/01/20 9:17 PM
遠藤氏の証言も嘘で満ち溢れてるならもうなにがなんだか分からないようになりますね…
ネットなんかだと大山総裁がアメリカで試合をしていないというのを遠藤氏の証言をソース元にして語る人もいますし
まあ何にせよ情報を鵜呑みするのは良くないってことなんでしょうね
  • 名無し
  • 2013/01/21 12:58 AM
(^O^)/管理人さんはじめましてこんばんは
第3回世界大会についても詳細をお願いできないでしょか?

私は田原敬三という伝説の人物を尊敬しています、空手道の1987年6月で特集されていますが、入手が難しく手元には攻撃空手しかありません。
よかったら是非この方のストーリーも聞きたいです、よろしくお願いいたします万歳!
  • ぬこやなぎ☆
  • 2013/01/21 6:56 PM
空手バカ一代の中では完全に引き立て役ですからねw。

『遠藤さん、ごめん!』で手刀打ち、は最高ですw。

あそこまで引き立て役にしたというのは
梶原先生遠藤さんのことを良く思っていなかったのでしょうか?。

パワー空手編集部が取材に行った時ものらりくらりだったようですし。

よほどのことがあったのかもしれませんが
僻みにしかとれない発言は残念です。





  • もん爺
  • 2013/01/21 8:01 PM
田原敬三先輩の件
田原先輩の話がでたので、自分の知ってる範囲でお知らせします。田原先輩は旧広島支部(大浜師範の広島支部以前の支部)の強豪選手でした。あの当時、黒帯が下の帯をボッコにするのは当たり前でしたが、田原先輩はそんな事を絶対しない人でした。試合でも相手を気遣って加減もされていたと思われます(そんな心やさしさがあり全日本では実力がだせませんでしたが)自分は田原先輩は全日本チャンピオンクラスの実力があったと今も確信してます(実際、ウェイト制の前身の西日本大会はぶっちぎりで優勝、世界大会でも7位入賞されました)組織的なトラブルがあり、世界大会の後、極真を退会されましたが、残られていたら、極真を代表する選手になられたと思います。その田原先輩も7年前に亡なられました。自分は先輩にはよくしていただいたので、残念でなりませんでした。
  • ラムネ瓶切り
  • 2013/01/21 10:43 PM
>youさん&名無しさん&もん爺さん

まぁ、ひょっとしたら遠藤氏が正しいかも知れませんよ?
状況はそう言ってませんけどw
Aの言う事は正しいけど、Bの言う事は正しく無い、と言うのは裏付けがあってこその話ですが、遠藤氏の発言が正しいかどうかを検証して判断した人がどれだけいるのやら。
「空手バカ一代」での扱いが気にくわなかったのかも知れませんね。
帰国当時はトルコ氏の本にもありましたが、東郷ブラザーズの活躍を自慢していたそうですw
で、梶原先生は日本プロレスに出入りしてましたし、後にトルコ氏を梶原プロに迎えたりと親しい関係だったので、伝聞で遠藤氏を嫌っていた可能性はあります。

>ぬこやなぎ☆さんラムネ瓶切りさん

「攻撃空手」は2種類ありますし、フルコンルールでの闘い方を書いた最初の本だと思うので、その内書きます。 第3回世界大会も何ヶ月か後に書くかとw
田原先生の記事は「月刊空手道」以外にも「月刊武道☆空手」で連載とか、「月刊パワー空手」であった様な…まぁ、いつか「極真拳豪列伝」で書くとは思います。
森周治先生の愛弟子でしたが、早くからその素質は認められ、24才で入門して11ヵ月で3級、1年未満で全日本出場という逸材でした。
全日本王者になれたかどうかはともかく、あのまま第4回世界大会まで在籍されていれば、優勝候補の一角を占め、有力外人選手を止めていたんじゃないかと思います。
  • Leo
  • 2013/01/21 11:03 PM
>>ラムネ瓶切りさん
ありがとうございました!
>>Leoさん
攻撃空手は表紙だけでなく中身も違うのでしょうか?
大槻某のように遠藤氏の論を当たり前のように思ってる人は多そうですね。
気長に待ってます(^-^)/
  • ぬこやなぎ
  • 2013/01/22 9:04 AM
>ぬこやなぎさん

いえ、表紙が写真版とイラスト版とあるだけですw
  • Leo
  • 2013/01/26 10:21 PM
いつも応援してます。久しぶりにコメントします。遠藤氏のインタビューの中で 「とにかく特殊に何かできる人を、東郷が自分のボディガードじゃないけど、とにかく強烈にアピールできる人間を自分のそばに置いとく方がいい、ということで抜擢された」と言っておりますね。大山総裁が最初からデモンストレーションで行く目的ではなく ボディーガードで行ったということですね。あと後半部の暗黒街との付き合いに関するところなど かなりいい部分もあるので 遠藤氏のすべての言動を否定する気にはなりません。プロレスはしなかったけど プロレスラー(遠藤氏もG東郷も)が頼りにしてしまう強い人だったと 言ってることで 大山総裁のリアルファイトな実力については 否定してないからです。
  • tada
  • 2013/01/27 8:42 PM
>tadaさん

お久し振りです。
まぁ、遠藤氏に直接関わらない所は事実に近いとは思ってます。
ただそれ以外の所では自分を上位に起きたがる傾向がありますので、注意しないといけませんねw
特に契約解除して東郷ブラザーズと縁を切ったとか、「格好良い俺」を演出している感があります。
トルコ氏もそうなんですが、割と平気で確信犯的に事実と異なる事を吹聴するので、やっかいですw
  • Leo
  • 2013/01/28 12:21 AM
そうなんです。遠藤幸吉氏とユセフトルコ氏の言動は資料としては取り扱い注意品なんですよね。これが力道山や木村政彦に対するものでしたら 資料も多いので 補足的に使えるんですけど 大山総裁のこの時期の記録が少ないので問題になるんですね。まぁ このミステリー性が逆に魅力なんですけれどw。プロレス雑誌の編集をしているScott Teal氏にメールでマス東郷のシュートについての何か知らないかとたずねたところ 東郷ブラザースについては知ってはいるがプロレスラーは過去にさかのぼって会ったとしても本当のことは話さないといってました。ケッフェイですね。leoさん こうなったらマネージャーのハタ氏の遺族にコンタクトするしかないですよ。何かでてくるのでは
  • tada
  • 2013/01/28 8:46 PM
>tadaさん

ハタ氏も自宅から離れてツアーに同行してる筈なので、あまり知ってる事は無さそうですけど、当たれそうなら当たりたいですねw
クラシックなレスラーに詳しいマニアが集う海外フォーラムみたいな所に先日招待されたので、その内色々聞いてみようかと思います。
今の所、海外でも52年のマス東郷の試合記録は私以外に発見したという話は聞きませんが、興味が無くてファイルしてるだけで記録自体は持ってるかも知れませんし。
  • Leo
  • 2013/02/03 3:15 PM
この年になって、wrestling date.comで気軽にレスラーの記録にアクセスできるとは 思いもよりませんでしたが やはり 肝心なところは専門家ですね。Jerry Meekerの記録も52年は12月以外ありませんし。leoさんの探求心がまさってますよ。今年 何か新しい発見があるといいですね。
  • tada
  • 2013/02/05 6:31 PM
>tadaさん

52年頃のジェリー・ミーカーは当時の雑誌を読む限り、レフェリーなんかもやってたみたいですよ。
当時40近いしプロモータもやっていたので、プロレスラー以外のプロレスへの関わり方を模索していたのかも知れません。

そして近々ジェリー・ミーカーのプロマイドが手に入りそうですw
  • Leo
  • 2013/02/10 12:19 PM
ジェリー・ミーカーが40近いということで 年齢や相手の格付けで大山総裁のリアルファイトにアプローチしてみます。元警官との賞金マッチ これは素人の方ですから 勝利は当たり前 相手としては力不足です。ジョージ・ベッカーは38で 格闘家とみれば下り坂で、友好的な写真から真剣勝負はなかったように思われます。しかし、G・東郷のセコンドとして、ウォークの試合に絡んだかもしれません。タム・ライスも38で 彼はテーズに言わせるとフットボールプレイヤーでアスリートであり、レスラーでもなく格闘家でもない。やはり相手不足です。1955年に東郷とタッグを組んでるのも後のタムライス伝説に関係するかもしれないと思ってます。柔道経験者のディック・レインズこそ リアルファイトの相手としては申し分ないですが当時41歳で、テーズに言わせるとレスラーではないとのこと。6年前ですが試合中のけがで長期休場しています。そんなことから 格闘家としては下り坂で勝負の相手としては不足気味。レインズとしてもケガのリスクを考えてリアルマッチはなかったと思うのです。そして なぜ自信をもってレインズ戦をメディアに載せようとしたことについては G・東郷が大山総裁を売り出すために仕掛けたアングルであり、大山総裁に御墨付きを与えたものだと推論しています。ネガティブな内容ですいません。あくまで仮説中心のお遊びですw。  
  • tada
  • 2013/02/17 1:37 PM
> tadaさん

まぁ、警官の方は相対的な実力が分かりませんからねw
しかし、大山総裁も仰っていた様に、当時東郷ブラザーズが巡業したエリアは若い選手があまりいなかったっぽいです。
私は基本的に伝説の名レスラーから学んだという自負のあるルー・テーズの要求する「レスラー」の規準が高いんじゃないかと前々から思ってましたので、テーズの評価はそこまで気にしてませんw 多分同時代の他のレスラーが言う「グッドレスラー」とは意味合いも異なるでしょうし。
タム・ライスはどうなんでしょうねぇ。 映像のあるテーズのタイトルマッチではあまりいいとこを持たせて貰えなかったので、やっぱり一流では無いと思ってますw 一応現在考えてる仮説は2つあるので、その内書くかと。
ディック・レインズは対戦した可能性の1つですが、レスラーとしてはさておき、ヒールとしては一流なんでしょうねぇ。 アメリカではこの試合に関して喧伝されていない様なので、アングルでは無いんじゃないかなぁ。 むしろ当時の記事を読むに具体的なのは警官の話だけで、レスラーとの試合はぼかしてる様な印象がありますね。

ベッカーに関して言えば写真が試合前であれば別に不思議じゃない様な。 フレッド・ブラッシーの自伝を読むと仕事は仕事とこなすタイプみたいで、シュートマッチの後も怨恨は残らなかったそうですしね。
  • Leo
  • 2013/02/17 7:20 PM
この話はやっぱり面白いです。飲みながら話したいぐらいですw。残念なことに私のまわりには話がわかる人がいないんですよw。話に付け加えるとレインズ戦がアングルとしたら、それは帰国後 役に立てるためか 単に箔をつけるためか 日本向けのアングルのように思ってます。メディア・コントロールができる東郷なら大山総裁に何かにつけアドバイスをしていただろうと思うのです。テーズのレスラーとはアマレスの技術を持っているもの タムライスやレインズはパフォーマーってことですかね。テーズ自身も自分の評価は個人的な感情や事情から客観的でないとも言ってますしw。レインズの柔道 タムライスのボクシング 格闘家としてのベッカーについては情報がないので 何かあればうれしいですね。
  • tada
  • 2013/02/23 4:33 PM
>tadaさん

うーん。 やっぱり日本向けのアングルっていうのも無理があるんじゃないかなぁ。 別に作りがある試合であったとしても個人的にはそれほど気にしないんですがw

当時マーケットの無かった日本に向けての仕掛けは無いと思いますねぇ。 もしそういう日本での展開を見越した事を東郷がやるなら、もっと早い段階で日本に来ていたでしょう。
ただアピールの仕方に対するアドバイスは行っていた様で、それに近い事は大山総裁自身が語ってます。

大山総裁のプロレスでの対戦話は大体2つに集約されており、1つはディック・リール、そしてもう1つは警官です。 これはテーズにも通じますが、シュートマッチのみを語っているんじゃ無いかと考えてます。
ベッカーのケースは結局ノーコンテストでしょうから、後に語らなくなったかも知れません。

で、テーズのレスラー観なんですが、仰る通りどんなに良い試合をするプロレスラーであっても、根底にアマレス技術が無い者はレスラーでは無い、という考え方だと思います。
レスリング技術が無い者がプロレスラーを名乗るのは、テーズからすれば邪道なのかも知れませんねぇ。

そして…これはいずれ書くつもりなのですが、多分タム・ライスはボクシング経験者じゃ無いと思います。 というか、いつからボクシング経験者になったのかなぁと疑問に思いますw

ライス来日時の記事によれば、レスリングは高校時代に学び、大学でアメフトとバスケに勤しみ、YMCAでレスリングを継続。 1940年に大学を卒業してアメフトのコーチをやっていたところ、プロモータにスカウトされてプロレス入り。 以来3年半の兵役(海軍)を除いてずっとプロレスラーだったそうです。
ちなみに海外でもボクサーだったという資料は、今の所見た事無いですね。

これによって従来の仮説と別の仮説が立ち上がりましたが、それはまたいずれ記事の中でw

あ、ちなみにTwitterの方なら、時間が合えばある意味「飲みながら」会話(というかチャット)出来るかと思いますよw
  • Leo
  • 2013/02/23 11:07 PM
私もタムライスはボクシングの選手ではなかったとの疑いを持っていました。検証したわけではないのですが、ライス来日の前年の同じ月にプリモカルネラが来日してますんで 誰かが二人を取り違えたとかw遠藤幸吉選手もタムライスとホノルルで対戦している記録がありますね。日本でもビルミラーとカールゴッチとも対戦してますし このことだけを取り出すと 遠藤幸吉物語にも箔をつけることができますね。ただ負けが多いので大幅に加工する必要がありますがwベッカーについてですが、先制したのにブラッシーを決められなかった点がやっぱり格闘家としてはイマイチかな。レインズの柔道はシアトルで黒帯を取った記事がありますが 実力はわかりませんw1937年にその周辺で試合をしいることから Kimon kudoが師匠かなと推定してます。Kimon Kudoは実に興味深い人です。ご存知だとは思いますが シアトル道場出身の柔道家であり プロレスラーとして 先の三人との試合記録があり なおかつ ジェリーミーカーと柔道ジャケットマッチをしてるんですよね。柔道バカ一代が書けそうですwそれでまた連想してたんですが、遠藤幸吉氏がレインズと柔道ジャケットマッチをしたと証言したら大変なことになりますよね。
  • tada
  • 2013/03/30 4:17 PM
>tadaさん

あぁ、プリモ・カルネラかぁ。 その線もありかもですw
個人的にはですが、多分櫻井康雄さんが間違ったんだと思いますね。 「大山倍達正伝」にもある通り、櫻井さんは梶原兄弟のネタ元の1人です。
いずれ書く予定ですが、マス大山VSタム・ライスのネタ元は多分大山総裁じゃないですw

ベッカーに関しては同意ですね。 ブラッシーが上手かったのか、ベッカーが下手を売ったのか…そこは素直にブラッシーを褒めるべきかも知れませんが、元々ヘビー級の選手では無いので、シュートでブラッシーを仕留めるのは難しかったかも知れませんね。

レインズは、まだ裏が取れていませんが、アメリカの何らかの大会で優勝をしているそうなので、強かったのは強かったんじゃないですかね。 しかし、キーマン工藤ですか。 日本では殆ど知られていない日系レスラーですが、師匠だとしたら世間は狭いなぁ…w
その路線でジャケットマッチをやっていたとしたら確かに面白い。
52年の4〜5月頃のミネアポリスのパンフは何冊か持っているのですが、いずれも東郷ブラザーズが来ていない時のパンフなのが残念です。
  • Leo
  • 2013/03/30 9:46 PM
>大山クンも、いまそこらで聞いてくれてるよ。 大山クン、そこにいたら聞いとってくれよ!(笑って、横を向く)。

上記の下りの遠藤氏の調子の乗りっぷりがとても小物っぽくて良いですねww
生前は何も語らず黙ってたくせに総裁が亡くなった直後に、このはしゃぎっぷり。
腹立たしさを通り越してむしろ愛らしさを感じてしまいますww
なんか憎めないww
  • ななし
  • 2015/03/30 3:12 AM
>ななしさん

でも「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」に出て来る遠藤発言はあまり愛らしく無かったと思いますw

なら、ストーカー事件の記事でも出してみようかな、という気になったしw
  • Leo
  • 2015/03/30 7:46 PM
コメントする








   
この記事のトラックバックURL
トラックバック