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大山倍達マニアック検定

極真会館主催 第2回世界大会プログラム2 (1979年)

JUGEMテーマ:空手
 
第2回世界大会24.jpg

 えー後編です。
 サクッっと行きましょう。

 11人いた日本代表が7人に減った2日目を終え、日本選手団団長の廬山初雄は自分の不甲斐なさに意気消沈してしまっていた。 会場を離れる廬山には山田雅俊と浜井識安が付いて来る。 骨折により発熱し呼吸も辛い廬山は、試合での死を意識しながら最終日を迎えた。




 4回戦Aブロックは前日のラングレン戦から吹っ切れたか、中村誠はデンマークのマクシェリーに左の膝蹴りでなんと16秒で一本勝ち。 藤原賢治はシンガポールのシンナヤに本戦3ー0で判定勝ち。
 そして4回戦のハイライトは川畑幸一とオーストラリアのトニー・ボーデンの試合だった。 164cm70kgの川畑に対して、179cm100kgのボーデンの体格差は圧倒的だった。

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"赤鬼"ボーデンとの激闘

 自分のペースを崩さない川畑はこの巨漢を相手に一歩も譲らず、本戦、延長戦を引き分ける。 そして体重判定で30kgの差が付いた川畑に軍配が上がった。
 日本人で占めたAブロックと異なり、Bブロックは東孝1人が守った。
 ジェフ・ホワイブローを下したチャック・チスムは延長の末リビアのアルシファウイに勝ち、東はアメリカのエディ・フレージャーと対戦。 本戦で旗3本を奪い勝利した。 イギリスのハワード・コリンズが不戦勝。
 Cブロック。 Cブロック唯一の日本人、佐藤俊和はスウェーデンのカールソンと対戦。 やはりブランクが響いているのか、延長まで引き分け、試し割りで勝ちを拾った。
 この佐藤と次に当たるのがアメリカのウィリー・ウイリアムスとイランのシリザーデの試合の勝者だ。 ウイリアムスより20cm近く背の低いシリザーデだが、怯む事無く果敢に攻める。 しかし膝蹴りでウイリアムスの一本勝ちに終わり、佐藤の試合に期待が寄せられた。
 Dブロック初戦は、三瓶啓二とアメリカのギャリー・クルゼビッツだ。 三瓶は顔面殴打の反則を受けながらも延長まで互角に進み、体重判定で三瓶が勝利した。
 そして廬山はフランスのジャコピンと対戦。 肋骨を折っている廬山は延長で引き分けるのがやっとだ。

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再延長でも引き分け、最後に試し割り判定で辛うじて勝利した。
 5回戦まで残った選手は以下の通り。

Aブロック:中村誠(日本)、K・シャレンベルグ(オランダ)、藤原賢治(日本)、川畑幸一(日本)
Bブロック:C・チスム(アメリカ)、東孝(日本)、H・コリンズ(イギリス)、A・ヒース(イギリス)
Cブロック:B・クレトン(イギリス)、F・ジェンセン(デンマーク)、佐藤俊和(日本)、W・ウィリアムス(アメリカ)
Dブロック:三瓶啓二(日本)、T・タナカ(ブラジル)、廬山初雄(日本)、C・マークサー(リヒテンシュタイン)


 ブロック制覇まで後1つだが、5回戦の試し割りを前に大山よりアナウンスがあった。

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 「みなさんに廬山選手の5回戦棄権をお知らせしなければなりません。 廬山は昨日の対ボーズ戦で、じつは肋骨を3本骨折しているのです。 本人は試合台上で死んでもいいというのだが、私は師としてこれを認めることはできないので、医師団の進言通り棄権させることにします。 日本選手諸君は奮起一番、廬山の代わりに死力を尽くして闘ってほしい」

 と、廬山の欠場が告げられる。 精魂尽き果て、肋が内蔵に刺さりかねない事態となっては致し方無いであろう。 廬山もマットに上がり、頭を下げた。
 5回戦Aブロックは中村とオランダのシャレンベルグの対戦だが、左の突きで一本勝ちとなった。

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 ここに来て調子を上げる中村は日本のエースとして期待通りの活躍を見せている。
 そして今大会初の日本人同士の対決は藤原と川畑の間で繰り広げられた。 本戦こそ藤原ペースで進み、旗を1本上げさせたが川畑が延長で押し返し、逆に1ー0で有利に立つ。 そして再延長突入直後、左の廻し蹴りで川畑が技ありを奪い、そのまま試合終了。 ブロック決勝は中村と川畑の決戦となった。
 Bブロック、東とチスムの試合は乱戦となった。 下段回し蹴りで前に出る東と、跳ねる様に前に出るチスムの手が完全に合ってしまい、一合交えると直ぐに縺れ合う展開。 柔道でも鳴らした東は絡み合うと投げてしまう。  途中、東が大内刈りでチスムと叩き付けると、チスムが頭を打ち、一旦試合が止まる展開もあったが、本戦は引き分け。

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大内刈り

 延長でも展開は変わらず。 また縺れ合う展開に、東が大腰で投げるとアナウンサーは思わず「柔道ならば一本なんですけれども」とコメント。 そして東の勢いが勝り、延長3ー0で勝利した。 次戦は不戦勝で勝ち上がったコリンズである。
 Cブロックはまずクレトンとジェンセンの対戦。 本戦、延長戦と引き分けだったが、再延長で左の上段廻し蹴りの技ありをクレトンが取り、勝利。 三好を破った実力はフロックでは無かった事を証明した。
 そしてストップ・ザ・ウィリーの使命を背負った佐藤がウィリアムスと対戦。 今までと違い左右に動くウィリアムスを相手に応戦する佐藤。 左の前蹴りを合わせる佐藤の前に攻めきれないウィリアムスは業を煮やしたか、佐藤を掴んで膝蹴りを叩き込む。 注意を取られるが、再び掴んでの膝を食らい佐藤は思わずダウン。 これに注意を取られて、減点1。

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背手では無い膝蹴り

 本戦が終了し、この減点が響いて佐藤が3ー0で勝利となった。 しかしここで最高審判長の大山より物言いが付き、佐藤にも決め手が無いとして延長を命じる。 会場はどっと沸いたが、門下生としては複雑な心境もあっただろう。 延長戦でもウィリアムスの出鼻を挫き攻めさせない佐藤に対し、突きを繰り出し始める。 徐々に動きが鈍り始めた佐藤は、次第にウィリアムスの突きの連打の前にふらつく。

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 完全に動きの止まった佐藤はそのまま突きの勢いのままに背を向けさせられ、場外に出る。 ここでウィリアムスの技ありとなるが、佐藤が動かず、そのまま一本勝ちが宣せられた。 決まり手は「左右正拳突き」。 過去に類例の無い決まり手だった。 佐藤は最後まで全日本王者としてダウンを拒否し、倒れなかった。 マットを降りるとマスコミや関係者が寄って来る。 ここを諫めたのは佐藤勝昭だった。

 「責めないでやってください。 現役を引退していた男なんです。 ここまでやった精神力を褒めてやってください。 四年前ならウィリーなんかに負けなかった。 でも気力はあるが体力がついていかない」

 戦友・佐藤勝昭の言葉に、マスコミも深く追求出来なかった。
 この衝撃的な結末に極真門下生はショックを受けた。 次はイギリスのクレトンだが、既にDブロックを勝ち上がるであろう三瓶に期待を寄せるしか無い。 果たして止められるのか。
 Dブロックは三瓶がタナカに不戦勝。 廬山は先に欠場を告げられており、マークサーと三瓶の対戦が決まった。

 準々決勝、Aブロック最後の試合は中村と川畑の試合となった。 ここまで激戦を制して来た川畑だが、ここでも必死に中村に食い下がり、一発を狙って大技を繰り出す。

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 しかし3日目に入って勢い付いた中村は、上段左廻しと中段左廻しでそれぞれ技あり、合わせ一本勝ちとなった。 川畑は

「中村先輩に負けた原因は身長・体重の違いが確かにあるが、本当の問題はそんなことではなく、中村先輩の練習の質と量が自分より勝っていたというところにあると思う。 そして研究心が足りなかったこと」

と、兜を脱いだ。
 Bブロック。 東はイギリスの古豪コリンズと対戦。 コリンズは東の入門年度に全日本で2位となっている。 東はチスム戦で右の足首を痛め、足首から先の間隔が無い。 麻酔を打ってマットに上がったが、ここで麻痺した足での蹴りを連発する。 蹴りを嫌ったコリンズは東を抱え込むが、転がすのは東の方が上手だ。 東は大外刈りも繰り出す。

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 互いに接近戦で苦しくなると抱え込む展開となり、本戦から再延長まで引き分ける。 再延長ではコリンズに旗2本上がるも、3度目の延長で遂に東が逆転、3ー0で勝ち上がった。 マットを降りると即座に足首を冷やす東の姿は痛々しい。
 Cブロック決勝は先の試合で足を骨折したクレトンが欠場し、ウィリアムスの不戦勝。 少しでもダメージを与えたい日本勢には痛手の結果である。
 そしてDブロックの三瓶とマークサーは 三瓶が右の正拳を喉元附近に当てて一本勝ち。 反則を幾度も食らう苦しい今大会の三瓶だが、ここに来て一息付いた。
 準決勝第1試合は中村と東の対戦。 ラングレン戦以外は相手を圧勝して来た中村に対し、強豪と激戦を繰り広げた東の試合は、本戦で決着が付いた。 足首に引き続き、コリンズ戦で古傷の膝まで痛めた東に踏ん張る力は無く、突きから膝蹴りを食らい、中村の再三の掴みによる減点を差し引いても5ー0でフルマークの判定勝ち。

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 悲壮な応援、そして解説席でも東の必死の闘い振りに大山泰彦やゲストのマッハ文朱が賛辞を贈る。 歩行困難なほどのダメージを受けた東は、盛大な拍手を受けて自分の足でマットを去った。
 注目の準決勝第2試合。 ウィリアムスはいつもの様にマットに小走りで上がり、三瓶は闘志を漲らせた表情でマットに上がる。 本家日本の大ピンチという事で、この試合ばかりは係員の門下生もマットの下に集まり、悲壮な表情で声援を送る。
 大会前にアメリカでウィリーと組手を経験した三瓶は、「ウィリーはそんなに怖くありません」と豪語しており、かなり自信を持っていた様だ。
 組手を見ていた中村はこの様に話している。

 中村  すごかったですよ。 ウィリーは三瓶先輩よりずっと身体が大きいでしょ。 だから、最初はナメていたみたいなんですよね。 最初、ウィリーが身体で押して、三瓶先輩をころばすと、先輩がコノヤローって向かっていくんですよ。 予想より三瓶先輩がずっと強かったんで、ウィリーがあせってね、あの人、あせると技が小さくなっちゃうでしょ。 三瓶選手に押されたもんだからエキサイトして…。
 そこで大山師範が止めましたね、これ以上やると大ケガをする。 世界大会の場でいい試合をしようということで。


 ウィリアムスも後に述懐し、こう語っている。

 …彼の感情に刺激され、私もエスカレートしてしまった。 何かのはずみで彼を投げたとき、彼の身体が崩れて、道場のフィッシュタンクにあたってしまった。 フィッシュタンクのケースがこわれて、魚と水が道場に流れてしまい、ファイトはストップになった。
 これがきっかけで私と三瓶選手との関係は悪化してしまったと、私には思えた。


 つまりは最初から因縁含みの試合だった。
 試合開始の太鼓が鳴ると、三瓶とウィリアムスが前に出る。 ウィリアムスはいきなり佐藤俊和を倒したあの正拳連打を繰り出すも、三瓶は距離を取りながら応戦。 右の下段を受けたウィリアムスは三瓶を掴み、反則の膝蹴りを連打する。 ここで試合の空気が変わった。 暴走したウィリアムスが、三瓶の襟を掴んで場外に押し飛ばしたのだ。 ここまでやられた三瓶も黙っていない。 ウィリアムスの道着を掴み、引っ張るとそのまま闘いを続行しようとする。

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 カッとなったのか、ウィリアムスは三瓶に乗り掛かろうとするが、ここで主審の添野義二が後ろからウィリアムスを引っ繰り返す。 マットの外からはウィリアムスの師である大山茂が止めに入り、そして副審の磯部清次も続く。 アナウンサーが「喧嘩」と表現し、解説席の大山泰彦がウィリアムスの反則負けだろうと解説する中、最高審判長大山倍達が審判団を呼び寄せる。 悪質な試合態度という事で、即座に反則負けとなっても仕方の無い事態ではあったが、恐らく大山が抑えたのだろう、試合が再開された。

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 再開し、三瓶が構えながら前に出る中、ウィリアムスはノーガードで佇む。 戸惑う三瓶だが右の下段を出すと、嫌がってウィリアムスが掌底で押す。 三瓶の突きはノーガードで受けるが、下段を嫌がるウィリアムス。 不気味な試合展開だが再びウィリアムスが掴むと膝蹴りの連打を繰り出す。 三瓶も思わず掴み返し、添野が2人を分けると、三瓶は珍しくエキサイトした表情を見せる。

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 双方に注意が与えられ、再び続行するが、構える三瓶に対し、ウィリアムスは腰に手をやり、睨み付ける。 「まだやるのか」そう言いたげに見えたのは邪推だろうか。

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 三瓶が突きから掴み掛かると、ウィリアムスは三瓶を抱え上げ、マットに落とす。 立ち上がる三瓶をウィリアムスが掴み、またも膝の連打。 ここで添野が2度目の減点をウィリアムスに与え、反則負けが告げられた。 憮然とする三瓶に対し、ウィリアムスが歩み寄り三瓶の肩を掴んで、少し興奮した面持ちで何事か語り掛ける。

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 添野が2人を分け、十字を切ったウィリアムスは、何を意味しているのか、右手を挙げてガッツポーズをして場内を去った。

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 茶番の様な結末に、衝撃を受けた門下生は多くいた事だろう。 長谷川一之はこう書いている。

 うつろな耳にとどめをさすように、ある観客の大声が背後から響いた。
 「筋書きは梶原一騎が書いたのか!?」
 笑い声が、続いてわき起こった。
 なにか一番大切なものが、私の中で音を立ててくずれていった。


 被害者の三瓶は試合後、こう語った。

 「…負けてもいいから、正々堂々と力の勝負をしたかった。 なんかウィリーは自分を見下しているというか、バカにされたような気分で不愉快です。 ウィリーを倒さなければ何のために準決勝まで進出してきたのか、全然意味がない」

 何故この様な事態が起きたのか? 当時者であるウィリアムスは10年後に語った話によれば、2日目の夜に大山茂よりこう告げられたと言う。

 最高師範(※大山茂)のもとに、数人の男が訪れて、私に、三瓶戦ではフルパワーで戦うな、という意味のプレッシャーを与えていったと言う。
 もし、大会で優勝し、チャンピオンのまま猪木と戦うのでは、まずいという判断が彼らにはあったのである。 最高師範に、プレッシャーを与えた人物の名は私は聞かなかった。

(中略)
 「俺が今話したことは事実だが、それは俺の問題だ。 俺は、お前の先生だ。 先生が生徒に語る言葉は、DO YOUR BESTだ。 明日の試合はお前の好きなようにやれ。 今回の大会では、お前は優勝できる」
 そして、この話は忘れろ!と言った。


 この人物の名は明かされていないが、実は梶原一騎が自分がやったと暴露している。 梶原によれば、ウィリアムスの無人の野を行く様な試合振りに危惧を抱き、大山にその事を告げた所、意見の一致を見て梶原が黒崎健時と共にホテルを訪れたと言う。 しかしここでの話はウィリアムスの証言と食い違っており、また二宮城光が大会に出ていたと勘違いしているなど、信憑性は微妙ではある。 以下、梶原の「反逆世代への遺言」より引用する。

 明日はいよいよ準決勝で、ウィリーが三瓶啓二と対戦することになった夜のこと。 内心嫌だったが大山茂を同行して、黒崎と私はグランドパレス・ホテルの一室にウィリーを呼んだ。
 (中略)
 「お前の言うことはよくわかる。 しかしお前がいくらあり得ないと言っても周りの者は心配している。 我々の空手の代表が猪木に負けたとなれば、我々の空手組織に大変な事態が発生する。 だからお前が猪木とフリーの状態で戦いたければ、明日の三瓶戦は反則負けで一度下りてくれ」
 「ウォース。 わかりました」
 師や先輩の命令は親のそれにもまさる組織だから、ウィリーは納得してくれた。
 ウィリー、突然の狂乱。 クレイジーな血が燃えて反則負け、とストーリーはでき上がったのだ。 しかしこの件は、対戦相手の三瓶には教えないことにした。


 さて、ウィリアムスも梶原が黒幕だと示唆する様な話をしているが、大山がどこまで承知していたかは不明である。 「プレッシャー」を与えた人物というのは黒崎を指すのかも知れない。 それでは大山はどうだろうか? 大山が主導していたならば、先に行われた佐藤俊和戦でのウィリアムスの判定負けを覆す必要は無いだろう。 大山が全く知らなかった、とは言わないが、少なくともあの結末は寝耳に水だっただろう。 大山はウィリアムスから、こう聞いたと書いている。

 わたしは黙っていた。 するとウイリーは、
 「不遜のようですが、今回わたしはこれだけの力しか出しませんでした」
  と言って、右手の親指と人差し指の間をわずかに開いて、示してみせた。 二十パーセントぐらいという意味なのだろうか――わたしは訊いた。
 「ホワイ?」
 しかしウイリーは苦しそうに顔をゆがめると、頬のあたりに悲しげな影を走らせ、口元に自嘲めいた笑いにならない笑いを浮かべただけで、おし黙ってしまった。


 尚、3位決定戦は東の欠場によりウィリアムスが3位となった。 東が欠場しなかったらウィリアムスの欠場で東の3位となっていたと思われるが、さすがの東も限界であった。

 そして、中村と三瓶の間で決勝戦が行われた。 怒りをぶつける様な三瓶に些か気圧された中村だったが延長まで互角の試合展開となった。 しかし再延長に入り次第に技数が減った三瓶を、中村が下段蹴りで押し込み、3ー0で世界一の座を勝ち取った。

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 大役を果たした中村は胴上げされ、宙に舞った。 一方の三瓶は不可解な準決勝が尾を引き不完全燃焼に終わった。

 入賞者は以下の通り。

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優勝:中村誠(日本)
2位:三瓶啓二(日本)
3位:ウィリー・ウイリアムス(アメリカ)
4位:東孝(日本)
5位:ハワード・コリンズ(イギリス)
6位:バーナード・クレトン(イギリス)
7位:セノ・マークサー(リヒテンシュタイン)
8位:川畑幸一(日本)


 尚、ウィリアムスは表彰式に出ず、コーチのディック・ウォリッキが代わりに表彰を受けた。 その後、ウィリアムスは熱海で行われた打ち上げパーティで大山に謝罪し、サヨナラ・パーティでは三瓶と酒を交わし一旦は和解したが、納得のいかない三瓶はその後、極真会館評議員の今村栄一に対してウィリアムスと闘いたい旨の手紙を送っている。

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サヨナラ・パーティにて

 一方のウィリアムスはプロレスラー・アントニオ猪木との対戦に備えた80年2月1日付で破門処分となり、師の大山茂も無期禁足処分となった(後に両名とも極真に復帰する)。
 大山は大会後、川畑幸一を賞讃したものの、日本勢は全体的に反則が多く、攻撃が単調で直線的だったと批評した。 この事は大会後に本部道場を訪れたケニー・ウーデンボガードも同じ事を指摘している。
 しかし個々の選手については三瓶の闘争心を讃え、 ベテラン勢についてこう評した。

 老雄・佐藤俊和にせよ、足の感覚がなくなった時ですら後輩に胸を貸した東にせよ、肋骨を骨折しながら二試合を耐えた廬山にせよ、日本選手は空手母国の栄誉を死守してくれました。 この気概が失せない以上、極真空手の灯が消えることはないでしょう。


 そして年が明けた1月11日。 恒例の鏡開き稽古で大山は館長講話で、「これから私の言うことをようく聴け」と切り出した。
 
 …「昨年の大会で日本選手は中村誠選手が優勝、三瓶啓二選手が準優勝を得たが、大会主催地が日本だったから勝てたので外国だったら負けた。 負けたとしても審判が不公平ということではない。 審判は公平だった。 むしろいくつかの試合出、外国人の審判が私に気をつかって、日本選手にひいきした。 (中略) 国連勧告で出場できなかったが南アのウーテンボガードは、私に、日本選手は直線的だと言い、自分たちは直線的な動きならこうかわす練習をしているとやってみせ、あの男は謙虚だから、やれば自分が勝つとは言わなかったが、自分たち南ア勢が出場すれば上位は入れかわっただろうと断言した。 ウイリーが反則負けせずにまともにぶつかったら、三瓶も中村も、きみたちは負けたぞ。 パワーアップに重点をおきすぎた館長指導方針もまちがっていたかもしれないが、技術面でも外国勢が上まわりはじめていることを心得ておけ。 今回の大会の戦いぶりで、われわれのカラテは心ある人にソッポをむかれることを覚悟しておけ。 抗議や、失望したという手紙が私のもとに山ほど来ている。 それらは一通でも多く『パワー空手』に掲載して公表する」

 極真空手は大きな変革期を迎えようとしていた。


 と言う事で79年の第2回世界大会でした。 まぁ、大波乱の大会という事で、想像以上に長く書いてしまいましたw
 今大会の準決勝第2試合が大山倍達総裁と梶原一騎先生の不仲を決定的にした様に思います。
 宣伝してくれる事には感謝していても、自分の大会に手を突っ込んだ梶原先生に対し許せない部分があったのでは無いでしょうか。 ここ数年全日本へのエントリーでも浸食していた梶原先生の影響力に、危機感を憶えていたのかも知れませんね。 利用するのはお互い様ですが、ダシにされたり、大会そのものに口を挟まれるのは嫌だったでしょうし。
 私はリアルタイムで見ていた訳では無いので、今回の記事に対して違和感のある人もいるでしょうが、そういう方は今大会に関するそれぞれの思いを書いて頂ければ幸いです。
 ちなみに何度か引用した佐藤塾の長谷川一之先生の本が、当時の一門下生の心境をよく現している様に思います。
 
 えーそれからですね、東孝先生の試合について。 東先生は掴みに対して「月刊パワー空手」誌上で、
 
 …フィルム等で見ていただければわかると思うが、私はこの時一切摑んでいない。 すべてかかえて投げるか、払って投げている。 瞬間的に投げるのは、相手を摑まない限りルール違反では無い。

 と反論していますが、結構掴んでます。 つか、何で「掴み」を旧字体で書くんスか。 多分携帯の人は文字化けしてるかと思いますが、化けてるところは「掴」ですw 抱え込むのも背手で無ければいけません。 ただ、これは東先生に限らず、みんなやってましたけどね。 チスム戦では書いた通り、もう完全にあぁいう流れになっちゃったなぁという感じですかね。 互いに一打繰り出したらすぐ接戦になって掴んでしまう…という悪循環が出来てしまいました。 特に跳ねて入って来るチスムを下段で迎え撃つもんですから、チスムがバランスを崩してもたれ掛かっちゃうんですね。
 ただ、大山総裁も投げについては批判していましたが、その敢闘精神については絶賛してます。
 最後にウィリー・ウィリアムスの試合振りについてですが…、得意の突きは佐藤俊和戦の本戦中盤まで殆ど出さなかったんですよね。 何か制限があったとすれば、「突きを出さない」というのがそれだったのかなぁとも思います。

 今回はこれにトータルで4日間くらい掛かってしまい、また仕事が忙しかったのもあって、全然更新が出来ませんでしたね。 大した内容じゃあ無いんですが、この世界大会は情報が一つに集約されておらず、バラバラな情報をかき集めるのに大変でしたw 資料も25冊くらい使ってますしw
 それでは、また。


参考文献:
現代カラテマガジン 1979年1月号 真樹プロダクション 1979年
現代カラテマガジン 1979年7月号 真樹プロダクション 1979年
月刊パワー空手 1979年8月号 パワー空手出版社 1979年
現代カラテマガジン 1979年11月号 真樹プロダクション 1979年
月刊パワー空手 1979年10-11月号 パワー空手出版社 1979年
月刊パワー空手 1979年12月号 パワー空手出版社 1979年
第2回オープントーナメント全世界空手道選手権大会プログラム 国際空手道連盟極真会館 1979年
月刊パワー空手 1980年1月号 パワー空手出版社 1980年
月刊パワー空手 1980年2月号 パワー空手出版社 1980年
現代カラテマガジン 1979-80年12-1月合併号 真樹プロダクション 1980年
現代カラテマガジン 1980年2月号 真樹プロダクション 1980年
現代カラテマガジン 1980年3月号 真樹プロダクション 1980年
月刊パワー空手 1980年5月号 パワー空手出版社 1979年
月刊空手道 1983年9月号 福晶堂 1983年
月刊フルコンタクトKARATE 1990年2月号 福昌堂 1990年
必殺カラテ! わがいのち 国際空手道連盟極真会館編 講談社 1979年
増補改訂 限界への挑戦 大山倍達著 宝友出版社 1979年
わがカラテ 日々研鑽 大山倍達著 講談社 1980年
生涯の空手道 廬山初雄著 スポーツライフ社 1980年
過渡期だよおとっつぁん〈part 2(喧嘩論集・格闘技篇)〉大山倍達を信じよ 平岡正明著 秀英書房 1981年
反逆世代への遺言 梶原一騎著 ワニブックス 1984年
わが師大山倍達 1200万人への道 睫攘庵 徳間書店 1990年
佐藤俊和自伝 勝つ心 佐藤俊和著 福昌堂 1993年
カラテ狂時代 史上最強への道 長谷川一之著 原書房 1998年

参考映像:
第2回全世界空手道選手権大会 第1部、第2部(TV映像) フジテレビ 1979年
最強最後のカラテ QUEST 1980年








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コメント
師や先輩の命令は親のそれにもまさる組織だから、ウィリーは納得してくれた。 ウィリー、突然の狂乱。 クレイジーな血が燃えて反則負け、とストーリーはでき上がったのだ。 しかしこの件は、対戦相手の三瓶には教えないことにした。⇒(敬称略・ストーリーも前後する) 優勝した中村誠以外は皆被害者。これは梶原・大山館長・添野・黒崎・大山茂と優勝者もいろんなシガラミで事前にシナリオが出来ていた。つまり、中村が優勝すること。あるいは、中村本人が、猪木と闘う予定の引き換え条件付だった。本人からも酒の勢いで聴いているし(本人は酒癖わるくもう漏らしたことは覚えていないかも)、芦原もあまりひどいシナリオなので、一部の人間にしゃべった。それに佐藤、ロウ山両先生も既に現役引退の年齢であったし、東もある意味被害者、ダメージは試合前からあった。だいたい、世界大会前に100人組手をさせる発想がおかしい。中村は関西で道場を開くことになってから、兵庫で随分と天狗になっていた。酒は飲むは、踏み倒す。結婚後には暴力事件起こす、いろいろあった。後からきた入門者も愛想つかして、かなり去っていった。中村の一番の大会中における得意技は自分が苦戦になると必ずわざと、顔面、金的を蹴っていた。三瓶もやられている。顔面・金玉を故意に殴る蹴るは中村の苦戦時のいわば秘技であった。館長の命令で、尼崎・兵庫支部長になった以降も、エレベーターに3人(2人は私を含み小柄軽量)でブザーが鳴ったぐらいだから、もう130kg以上はあったとおもう。練習なんて酒の量の方が多かった。いつも道場生が来るまで、腹だしてあおむけで寝ていた。特にいやけがさして遂には去ることになった同支部からの入門者は、「ごっちゃんです、相撲取り、掃除機のノズルの付け方も判らないおバカ」と影口を漏らしていた。稽古の帰りに自宅のアパート迄送ってもらいたい時だけ、「イヤー君、最近強くナッタネー!」とか、その親に「お母さん、最近どうですか〜?」なんて、ニヤニヤしながら、ゴマすりをし、車でのせてもらって帰るのが常だった。沢山の人を犠牲にした結果、後のアデミール戦いで無様な戦いかたをした。後日、本人いわく「イヤー、実はあの時、アバラ3本ヒビがはいっていたんだよ〜」と本当かどうかは別として、道場生に納得させていた。そんな中村に心酔して残っているのが、今の古参連中。大山館長もころころといっていること・やっていることが変わるから、誠の結婚式でああいうことをいう。それで、中村が第3回に又優勝する結果になった。その時だけは、必死で練習したらしい、極真から破門されるのを恐れたかもしれない。大山館長が悪いとかではなく、殆ど出版されている本はゴーストライターで、辻褄が合わない話が有るだけでも判る。つかみは、正道館式にしていればよかったと思う。「オープントーナメント」だから、せめて、東氏ぐらいの投げは、掴みタイムのリミットを秒単位で規定し、しないと、柔道家すら参加出来ない。今は幻化・言い訳の谷川氏と石井氏でTVで観ることも無くなった「K-1」の前兆のようです。まあ、正道の館長も正道な方ではなかったのが残念。極真も地上最強で無くなったのが残念。まあ、極真地上最強伝説とK-1に限ららず、「ブーム」と呼ばれるものは、格闘技界だけでなく皆、風船と一緒。いずれ飛んでいくか、割れる。佐藤勝昭さんが、最初で最後の世界チャンピオンでしょう。(私は佐藤塾生ではありません)。お膳立てでチャンプになった方も結構いるのは確か。松井派になってからは、それが変わり始めた。ウーデンが第2回に出場していたとしても、第1回世界大会の選手メンバーが、肉体的に現役の状態で出場する前提であったならば、ボガードなんて、ボコボコにされている。中村も優勝できてない。実際には、ドルフにも負けていたと本人も認めていた。今では、何処かの宗教寺のような立派な道場が建っていますが、笑ってしまいます。(御気分悪くされたらごめんなさい、大師範、別に悪気はありません、本当の話ですから)先生方を呼び捨てにしてすみません。
  • 目撃者は語る
  • 2013/04/01 3:02 AM
>目撃者を語る様
秘話有難うございました。
青春を支えてくれた団体の裏側を知れて良かったです。まあ、古い方は皆知っていることなのでしょうけれど。
  • kimura
  • 2013/04/02 11:14 AM
懐かしい!初めて映像で観た大会です。情報源が「四角いジャングル」しか無い時代、テレビ放送の方が僅かに速かった記憶が有ります。中村ラングレン戦は映像が無い(TVも映画もどうしてコレを切るか?)ので、会場に居た人だけが目撃出来たんですね。ウーデンボガードの欠場はガッカリ。総裁はウィリーとの比較で、スピードに勝るウーデンボガードが僅かながら上とのコメントしてましたし、二人の対戦もこの大会の目玉の一つでした。
  • 縦蹴り
  • 2013/04/02 2:40 PM
Leoさん
お疲れ様でした。

第2回世界大会のテレビ版はYouTubeで観れますかね?

映画最強最後~しか手元にないんですよね。
  • サミ
  • 2013/04/02 10:29 PM
敬称略 ラングレンは今新極真が広告塔として起用している。新極真のYouTubeチャンネルで観れば判りますよ。当時のラングレンはとにかく初段でもないのに、中村に膝をバンバンいれるわ、中村のパンチも効かないわで、明らかに中村の負け。それに、猪木対ウィリー戦うもGyaoやYouTubeでも今観れますが、格闘技をされた方が観れば(相撲でも)、真剣でやっているか否か判りますよね。八百長といっているのではなく、両者(組織のメンツ)を保った事前打ち合わせありきの試合であったということです。ウィリーがあのような技・バランスの悪さで試合しますか。第二回世界大会と比べて下さい。それ以降、もう練習が嫌になって、急激に肥満化し、あるプロレス団体とか正道・USA大山で闘っていますが、あの佐藤・三瓶戦のようなスピードと破壊力はないですよね。
  • 目撃者は語る
  • 2013/04/03 9:41 AM
ウイリーを芦原英幸に預けて鍛え直す計画があったとか。いつ頃の話か知りませんが。
  • やいや
  • 2013/04/03 11:41 PM
ああ、なんか聴いたことありますが、万一オファーがあっても、既に英幸氏は大山館長から離脱する準備していたから受け入れてないでしょう。基本から全部大山館長と相対して、当時大山館長には力ばっかりで、技が無いとか、What is Karateを始め他の倍達氏の指導書のページ箇所も指摘しながら「この技反対・受けも反対、これだったら力・骨比べの押し相撲と同じだ!」ともいっていたぐらい。英幸氏はとにかく写真に撮られることすら嫌うようになっていた。つまり、梶原・真樹氏で有名になって、大きくなった、といわれる・自分のこれまでの独自に開発した、後にいわれるところの「捌き」がもう既に完成されていたので、余計に腹が立っていたという部分もある。元々、空手やる前から、気が短くて、喧嘩の為に大山道場に入門した訳です。だから当時はかなり神経質になっており、公でも梶原氏の漫画を馬鹿にしていたぐらいです。唯一心を許していたのは講談社と月刊空手道だけでしょう。でも逝去後その月刊空手道のコジマ君にも裏切られましたが。
  • 目撃者は語る
  • 2013/04/04 12:48 AM
松井章圭氏が一時頻繁に芦原英幸氏に連絡をとってきてたことがありますが、あれはどういった経緯からなんでしょうか?誰か知ってたら教えて下さい。
  • やいや
  • 2013/04/05 2:06 PM
芦原氏に頻繁に連絡を取って指導を願ったのは松井氏だけでない。ロウ山氏ももっと前に行ってるし...。ただ、もうその頃は芦原氏も極真にうんざりしていたので、相手にしていなかった。ちなみに長嶋茂治さんも結局極真についたが、もともと芦原氏に直接指導してもらいたかった。野球選手現役の時の話ですが。
  • 目撃者は語る
  • 2013/04/05 11:47 PM
当時は、中学生でしたが学校ではウィリー選手の暴れっぷりが話のネタになりましたね。添野さんに投げ飛ばされて、不貞腐れちゃったり。そうそう、三瓶選手が突き一発で外人をKOしましたよね。当時の記憶が蘇りますよ〜 そして東さんの戦いぶりは大好きでした。友人が道場生だったんですが、芦原先生も褒めてたらしいですよ。
読み応えある記事、ありがとうございました。
  • 当時は中学生
  • 2013/04/06 7:05 AM
>目撃者は語るさん
色々と興味深いお話、ありがとうございました。

ちょっと何点か。
・世界大会前の百人組手の危険性
これは当時はあまり認識されていなかったかと思います。
79年の3人挑戦の前は6年ほど空いており、当時のスタイルはボディを叩いてスタミナを奪い合う様な闘い方では無かったので、腎不全の危険性は知られていなかったのでは?

・ゴーストライター
ゴーストライターも色々種類がありまして、既に出版された物から再構成する様なパターンや、本人が書いた物や直接インタビューした物を叩き台にして構成したりと様々です。 その為、辻褄が合っていないのはライターの問題では無く、本人の問題だという可能性もありますw
私が一次資料以外は割と懐疑的なのは、本人がそう言ったから正しいとは限らない、というのが根底にあるからですね。

>縦蹴りさん
TV放送はえーと、フジテレビで翌週に1部をやって、1週間後に2部をやったんですよね。

ラングレン戦は私も見たいっすw イギリス大会の映像はありますが、文中書いている通り、ホワイブロー相手に一歩も退かない好試合を見せていました。
あのまま極真の大会に出ていたら、第3回のブラジルのA・ダ・コスタか、もしくはそれ以上の活躍をしていたんじゃないかと思います。

>サミさん
TV版がYouTubeにあるかどうかは知りませんけど、多分無いんじゃないかなぁ。
東VSコリンズ、チスム戦がほぼ収録されているのが良いです。

>当時は中学生さん
いえいえ。
芦原先生は大道塾の第1回大会にもいらしてますからねぇ。
私も東先生の闘い振りは好きです。
  • Leo
  • 2013/04/06 12:51 PM
そうですね。芦原氏は東孝氏を褒めてました。三瓶選手も褒めてました。だから今の二代目英典氏と東氏、そして勝昭氏との交流がある訳です。なんだかんだいっても、今頃倍達氏と芦原氏は一緒に天国で空手の稽古をされていると思います。梶原・真樹氏はその隅の方でサングラス掛けながら....。
  • 目撃者は語る
  • 2013/04/06 5:26 PM
>目撃者は語るさん

天国じゃあ目を痛める事も無いでしょうから、サングラスは外しなさいよ、くらい言われてるかもですけどねw
  • Leo
  • 2013/04/06 9:12 PM
LEOさまのアップロードされた空手マガジンのグラフを見ても、芦原氏が群を抜いていた事がわかりました。まあ、サングラスは取れないでしょうね。なにせ、倍達館長にサングラスを勧めたのも梶原兄弟だし、芦原氏存命中にはよく、空手地獄変でしたか、あのエロ漫画も「最近梶原一騎の劇画も本人そのものを行っている、これじゃ、空手が馬鹿にされる!」と最期迄言われてましたからね。わたしが只判らないのは、何故三浦美幸氏が大山茂・泰彦兄弟と別れたかということですね。まあ、茂氏は壺売りで有名な〇一教会の信者であったという話は聴きましたが...。どなたかご存じですか。
  • 目撃者は語る
  • 2013/04/07 12:15 AM
>Leoさん
返信ありがとうございます。
youtube検索しまくったのですが
やはり見あたりませんでした。
残念。。



  • サミ
  • 2013/04/07 3:18 PM
>目撃者は語るさん

茂先生の父、大山高誉氏は統一教会ですが、次男と三男が信者かどうかは知りませんねぇ。 とりあえずそっち側での活動は聞いた事無いです。
ただ、破門の理由の一つに大山総裁と懇意にしていた当時の極真の北米連盟会長・久保木修己氏(統一教会や勝共連合、世界日報の社長だったり幹部だったりします。 笹川良一氏とも親しく、全空連の理事でもありました)への不義理があったとの事なので、信者じゃないかも知れませんね。

>サミさん
無かったですか。
まぁ、第1回のTV放送版も無いみたいですしねぇ。
  • Leo
  • 2013/04/11 1:36 AM
文鮮明は極真を高く評価してたと元統一協会幹部から聞いたことがあります。
  • やいや
  • 2013/04/14 1:31 PM
>やいやさん

大山総裁は「武道論」とかで小馬鹿にしてましたけどねw
ちなみに久保木氏の本にも極真は全然出て来ず、お金の無駄だったなぁ。
  • Leo
  • 2013/04/14 2:35 PM
どこかで読んだのですが、総裁の奥様か誰かが「総裁は人が好いので、壺を持たされて写真を撮られ、勝手に宗教の宣伝に使われたことはあるが、そういうのを嫌っていた」そうです。
  • 木村
  • 2013/04/14 4:59 PM
>木村さん

ちなみに壺の宣伝は幸世商事(78年にハッピーワールドに名称変更)という71年に統一教会の信者が作った会社だそうで、元々は大理石の壺や高麗人参の濃縮液を韓国から輸入する商社だったそうです。
問題になった壺は当初はただの美術品として販売しており、これの売り上げが伸び悩み、77年頃から霊感商法の商材として販売する様になったと。 で、78年に勝共連合と敵対していた共産党の「赤旗」で霊感商法を取り上げて糾弾していますが、関係無い一般人には中々知られず、80年代中頃までにはこの手の悪徳商法が横行して問題になりました。

大山総裁と壺の関係はあんまり調べた事はありませんが、大山総裁が写真を撮られた時期によっては、騙される騙されない以前に、この問題をまるで知らなかった可能性もありますw
「韓国の美術品を売りたいんですが…」とか言われたら断る理由も無いでしょうしね。
  • Leo
  • 2013/04/14 6:42 PM
ウイリーは三瓶氏に謝ったと聞いたことがありますが、誰か知りませんか?
  • やいや
  • 2013/04/15 1:17 PM
>やいやさん
多分私が記事中に書いたサヨナラ・パーティの席上で謝罪したんじゃないですかね。
互いに酒を酌み交わして、握手している写真が残ってますし。
大山茂先生と山崎照朝先生が間を取り持ったらしいですが。
  • Leo
  • 2013/04/21 8:29 PM
大山総裁の内部意識の解読です。
http://ameblo.jp/fujiozeusasherishikawa/entry-11792811423.html
  • 石川アーサーZeus武二男
  • 2014/03/10 9:37 PM
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