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大山倍達マニアック検定

「カラテ群像」13 松本岩男氏(1983年)

 
 さて、ウチのパソコンのハードディスクが割と本格的にヤバくなって来たので、バックアップ準備を色々してました。
 データは移したので、OSを再インストールすれば良いのですが…これが手間なんですよね。

 それはともかく、渡邊一久先生の「幻の大山道場の組手」が間もなく発売されますので、便乗して1983年の「月刊パワー空手」より、「カラテ群像」をお送りしようと思います(※この記事を書いたのは2013年4/21ですw)。


 ここんとこ、「東京中日スポーツ」では山崎照朝先生と石橋雅史先生が一緒に出られたりと、大会以前の極真空手が出てるのは嬉しい限り。 それでは、どうぞ。

松本岩男 氏

 昭和3年11月15日東京都に生まれる。 明治大学法学部に学び、大山館長と師弟関係を持ったのは終戦直後、東京杉並区(天沼)の永和空手道研究所時代に遡る。 以後、昭和33年30歳で大山道場へ入門。 いわゆる"壮年部"の第1期生ともいうべきもので、道場での稽古のみならず、極真会館本部建設にあたっては東奔西走陰の力となられた方である。 現在は目白に居を構え、会社の役員を務める。



松本岩男1.jpg

 道場に入門なさったのはいつ頃ですか……私が大山先生の弟子入りしたのは終戦直後、先生が杉並(天沼町)に空手の研究所(永和空手道研究所)を開設された頃に遡ります。 友人に空手の好きなのがいて、彼に誘われたのがきっかけで、2,3人で入ったのですがね。
 道場生は何人ぐらいいたのですか。 また、どのような稽古法を……道場というより、空手の好きな連中が集まったという感じでしたが………。 稽古生は100名ぐらいいましたか。 私は半年ほど寮生として空手を習っておったわけです。 当時は今のような極真のスタイルをとっていない。 大山先生がその流派にいらしたということもあって、剛柔流が主体でしたね。 主宰である先生のほかに指導員も何人かおりましたが、やはり全部剛柔会のメンバーだったと記憶しております。
 ただ、終戦直後ということもあって、武道よりは食うことのほうが先決の時代ですから、私は半年ほどで寮から出ちゃったわけです。 研究所そのものも、1年ほどでなくなってしまったんじゃないですか。
 当時の大山先生の印象などについて……それはもう、まさに"生きた虎"という表現がぴったりでしたね。 今はもう年をとられて、だいぶ柔和な感じを受けますけれども、当時の先生はそれは大変なものでしたよ。

whatiskarate2.jpg

 いわゆる"師弟関係"ということでいえば、私は先生の弟子の中では一番古い部類に入ると思うんですが、先生は当時まだ20代の前半なわけですからね。 拓殖大学に在籍しておられて、学生服姿で道場にみえるわけです。 こういうと失礼にあたるかもわかりませんが、全身が殺気立っていて、顔などはとても人間の姿には見えなかったですね。
 また、確かに先生ではあるわけだけれども、私たちに<教える>というよりは、ご自分で修業をなさるといったことが中心の指導法でした。 お若い時分の先生に接したことのある人なら、誰もが同じような印象を受けたんじゃないでしょうか。
 永和研究所をおやめになってからも、先生とはおつき合いがあったのでしょうか……私が再び大山先生の門下生となったのは、永和研究所(当時)より数えて10年。 昭和33年の春だったと思います。 ま、その間(大山道場時代まで)ずっと空白であったということではなしに、先生のお噂はなんらかの形で耳にしておりました。

松本岩男2.jpg

 大山道場時代まで遡りますと、松本さんが壮年部の走りだということを伺っておりますが……走りといいますか、私だけじゃなく、当時(30歳を超える人)はは4,5名ほどいましたかね。 今はも故人となられた大山国良さん、それから畑恵二さん、戸田喜隆さん、峰野裕一さんんあどが私と同期生です。
 年が似通っていましたから、単に稽古仲間ということでなしに、道場を離れても私たちの結束力といいますか、雑談の相手であったり、酒呑み仲間であったりと、わりと自由な雰囲気の中で道場生へ入ると稽古そのものはとても厳しかったですけどね……。
 大山道場時代に何かユニークなエピソードとかありましたら……そうですね、ご承知のように立教裏の道場は、バレエの練習所をそのまま稽古場にしたものでしたが……。 道場にはガラス戸があって、そのほとんどの窓にガラスが入ってないわけですよ。 入門して初めての正月に道場へ行ったんですけれども、真冬であるにもかかわらず、風がピューピュー吹き曝しで。 知り合いのガラス屋に頼んで、全部修理してもらった思い出がありますね。

whatiskarate1.jpg

 それから当時の稽古法といいますか、すでに皆さんお書きになっていらっしゃるようですけれども(本誌『カラテ群像』の中で)、永和時代もそうでしたが、先生は<教える>というよりも「自分のやり方、生き方について来い」といったような指導、稽古法をとっていらしたようです。 また単に厳しい、押しつけがましい指導法ではなしに、稽古が終わるとたまには呑みに連れてもらったり、<優しい兄貴>といったような一面もありましたね。
 松本さんご自身のことで印象深い思い出とか……、たとえば武勇伝みたいなのがありましたら……武勇伝というほどでもないのですが、こんなことがありました。
 先生の旧来のお友達に今岡先生という方がいらっしゃいます。 歯科医で日本大学の講師も兼ねていらした先生ですが、この先生は空手の心得もあり、"禁じ手"を使わせたら日本一じゃないかという噂もあったほどです。 実は、当時私はある店をやっていたのですが、その私の店へ今岡先生のお弟子さんが5人ほど入ってきた。 そして、どういうわけか口論となって、それが昂じて暴力沙汰にまでなってしまった。あまりにも咄嗟の出来事でよくは覚えていないんですが、5人のうち2人が私の両手を引っ張り、あとの2人が私の両手を引っ張り、あとの2人が足を制しにきた。 そこへもう1人の男が何やら攻撃をしかけてきたわけですね。
 両手・両足をもぎとられた私は一瞬戸惑いましたが、無意識のうちに頭突きを出していました。 それが相手の顔面にもろに決まってしまい、上の前歯が5本、下が7本も折れてしまった。 それだけならよかったんですが、折れた歯がそのまま喉へ入ってしまったわけです。 こうなるともう喧嘩どころの騒ぎではなくなり、みんなして歯医者さん探しを始めた。 ところがちょうど正月であったということもあり(場所は池袋の日の出町)どこの病院も開いていない。 仕方ないから、彼らの先生である今岡先生のうちへ走ったわけです。 今岡先生は事情を察してのち、私にこういわれました。
 「君は素人じゃないな!?」
 私はもちろんそれを否定しましたが、それからしばらくたったのち大山先生と今岡先生がご一緒しているところへ偶然私が訪ねていったものですから、「ほうら見ろ、君はやっぱり素人じゃない」なんていうことになりまして……。 これを聞いた大山先生もびっくりされて
 「これは私の旧い弟子だから、先生、感情的にならないように」
 といったような冗談をいっておられました。
 ま、せいぜいそんな程度ですけれども……。
 大山先生の話になりますけれども、私が先生と初めてお会いした時から数えて、今年で35年の歳月が流れたことになります。 今は仕事の都合もあってあまりお目にかかることもなくなったのですが、とにかく先生は「空手界におけるところの征服者」あるいは、「生き神様」だといっても決して言い過ぎではないと思います。
 少なくとも私がおつき合いさせていただいたなかでは、文武両面にわたり、大山先生ほど卓抜した見識者、武の実践家を私は知りません。 確かに、あれだけの大きな組織を預かっていますと、誹謗といいますか、……さまざまな中傷も免れないでしょう。 私も会館(極真)本部建設に際しては、微力ながら先生のお手伝いをさせていただいたひとりですが、過去を問わず現在も、経済的な問題をはじめとして先生がどれほどご苦労なさって会館を維持・運営なさっていらっしゃるか、手にとるようにわかります。
 また最後にこれは、現在のお弟子さん、あるいは極真を離れた方々にも申し上げておきたいことですが、人間は<過去>があって現在の自分があるのだということを決して忘れてはなりません。 先生の一面だけを捉えて、それをもってあたかも全体像を把握したかに思うのがそもそも誤りで、先生の本心はもっともっと奥深いところにあるのだと私は思うのです。 先ほどもいいましたように最近では仕事の都合で先生とのおつき合いも、大会でお目にかかる程度になってしまいましたが、ますますご壮健にて、素晴らしい武道家であり続けることを陰ながらお祈り申し上げたいと思います。



 という事で、現在確認されている限りでは大山倍達総裁の最古のお弟子さんとなる松本岩男氏でした。 多分この次が館山でご近所さんで山籠もりにも同行した八代氏(下の名前は不明)、そして待田京介先生が確認出来る最初期の弟子かな。
 そして永和空手道研究所。 1945年末頃に杉並区天沼町にあった在日朝鮮建国促進青年同盟(建青)が作った中央青年訓練所に大山総裁の師、椎柱先生が作った空手の道場の事ですね。 つまり、大山総裁が設立者というよりは、責任者っぽい立場だったと。 戦闘隊長として、後の朝鮮総連との戦闘に勤しんでいた頃です。
 ちなみにこの頃の大山総裁が一番顔付きが悪いw
 手元にある建青の記念写真でジャンパーを着込んだ大山総裁が写ってる写真があるんですが、何て言うか…険悪ですね。
 さておき、実は週末にこの記事を書いていたんですが、本文中にある「今岡先生」を調べていたら掲載が遅れてしまいました。 どっかで見た気がするお名前なのですが、残念ながら見付からず、調査は断念しました。
 そして、渡邊一久先生著、フル・コム編集の「幻の大山道場の組手」発売は4/24らしいのですが、何故か私の手元に既にあったりw
 現在第3章まで読みましたが、メッチャ面白いですよ、コレ。 近日中にレビューすると思うので、気になる方は購入されるか、レビューまでお待ち下さい。
 今回はここまで。 それでは、また。
 


参考文献:
Masutatsu Oyama, What is Karate? EVERYONE CAN PRACTICE KARATE MYSTERIES, Tokyo-News Co., 1958
Masutatsu Oyama, What is Karate? Revised edition, Tokyo-News Co., 1959
月刊パワー空手 1983年6月号 パワー空手出版社 1983年
幻の大山道場の組手―かつて地上最強の空手は実在した 渡邊一久著 フル・コム編 東邦出版 2013年






 






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コメント
永和空手道研究所って名称からして朝鮮民族的な名前ですね。一和高麗人参茶を思い出させます。当時は戦後間もない事も有り、朝鮮人への差別・朝鮮戦争等の中で、生き抜く倍達総裁の辛さ、国籍をメディアにおおやけに出来なかった事情を考えると、胸が痛みますね。当時は既に池袋の細い路上に「極真会館」と書かれた(写真映像劇画と違ってずいぶん小さく少々がっかり)の本部が有り、倍達館長に御声を掛けて頂きました。あれ、ちょっと発音が東北かどこかよその国の人?と思って後で先輩に聴き、事情を知ったのです。聴いた話によると、極真大山道場当時からほとんどが南北問わず朝鮮半島出身だったとの事です。今年お亡くなりになった中村日出夫先生は確か平壌ご出身では。盧山極真館館長・松井館長もそうですね。初めて暴露されたのは、確か、中村忠氏の書籍からでしょうか。本当の話か知りませんが、西では中村日出夫先生の弟子が極真会に対し対抗意識があり、西からの日出夫氏の弟子の武勇伝がいろいろと発信されていました。おかしいですね、その頃は既に、日出夫氏は関東に居たはずなのに。確かにその発信元は京都でしたよ。倍達館長に挑戦状を送ったとかなんとかもいってましたっけ。当時の倍達氏はもう足は悪かったようですが、脂肪はあっても、風呂上りは筋肉の固まりでプロレスラーのようでしたね。怒ると顔を真っ赤にさせてましたね。総裁の中ではいろいろとあったものの、日本人だ、何人だというより、地球民族人意識も反面あったと思います。だから最期迄、アクセントが抜けなかったかも知れません。若き倍達氏を空手だけでなく、国柱会やら民族運動へと一時期傾注させた事でも椎柱先生が倍達氏へ与えた影響は大きかったのではないでしょうか。
  • 目撃者は語る
  • 2013/04/24 6:55 PM
>目撃者は語るさん

まぁ、昔の記事を見ると普通に韓国人だと語ってましたけどね。 1950年代後半くらいからは控えてますが。
大山総裁や廬山先生は帰化されてますし、別にいいんじゃないかなぁと思うんですが、気になる人は気になるみたいですねぇ。

それに、大山総裁の場合は生まれた時は日本ですしw
  • Leo
  • 2013/04/26 12:34 AM
http://www.youtube.com/watch?v=a2EiRlbP8kk
http://www.youtube.com/watch?v=KxxCtorjGic
話はそれますが、面白いYouTube見つけました。総裁がお亡くなりになる前の韓国での映像ですかね。それと千葉真一・空手バカ一代のリメーク版ですか。イルボン=日本しかわたしには解りませんが。
  • 目撃者は語る
  • 2013/04/27 8:17 PM
大山倍達が笹川良一と揉めたときの話とかないですか?
  • やいや
  • 2013/04/27 11:22 PM
>目撃者は語るさん

1本目はあれですね、「二本指逆立ち」だったかな、が韓国語でなんて言うのか分からなくて隣の通訳さん?に聞いてたヤツですよね。
私も持ってますが、何言ってるのか全然分かりませんw
2本目は「空手バカ一代」のリメイクでは無く、確か韓国語で「パラメ・ファイト」だったかな、日本では「風のファイター」というタイトルで上映された漫画原作の作品です。 まだ大山総裁存命時でしたが、「月刊パワー空手」でも「風のファイト」のタイトルで紹介された事があります。 私も原作は持ってますが、全巻じゃないんですよねぇ。

>やいやさん

笹川氏との話は、纏めて書いていませんけど、結構ブログ内のあちこちでバラバラと書いてますw
「笹川良一」で当ブログ内にて検索掛けてみて下さい。
  • Leo
  • 2013/04/29 11:04 PM
Leo様

いつも楽しみに拝見しております。

この書籍で興味深いのは梶原一騎氏が一緒に稽古していた...という描写でした。
極真関係者の証言は初めてでは?

中村忠氏の著書では良く書かれておりませんでしたので...

  • ドラゴ
  • 2013/04/29 11:41 PM
>ドラゴさん

安田英治先生が少し語っていた記憶がありますねぇ。 ただ、ちょっと定かでは無いですw
写真には一応本人では?というのがあるんですが。

人によっては梶原一騎=高森朝樹に繋がらないかも知れません。
高森はいた気がするけど…梶原って誰よ?的なw
  • Leo
  • 2013/04/30 12:28 AM
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