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大山倍達マニアック検定

【古記事】空手悪玉ネタの根拠?「飮酒と唐手」(1921年)

JUGEMテーマ:空手
 

 さて、今回は久々に古記事を取り上げてみようと思います。
 掲載元は1921年発行の「統計學雑誌」第428号で12月に発売されたものなので、一般的に知られている本土における船越義珍先生の空手の一般公開より半年近く前の記事ですね。 現在ではそれ以前に京都で公開されたのが初、という事になっているかと思いますが、まぁ、ここは従来通り講道館での公開を前提としておきます。

 本誌は色々な統計情報を取り扱っており、ぶっちゃけ、空手研究で読む類の雑誌ではありませんw
 しかし一般公開より以前に空手に対して批判的ではありますが、意見しているのは非常に面白いと思い、掲載してみます。
 大正時代の記事なので句読点が無く、読み辛い、もしくは環境によっては文字化けするかと思いますが、完全版で読まれたい方はWindowsのパソコンで閲覧下さい。
 当ブログではなるべく原典の文章をそのまま記す様にしてますので、ご容赦下さい。
 それではどうぞ。

飲酒と唐手1.jpg



◎飮酒と唐手

報告委員 黒田源太郎

横山健堂の『薩摩と琉球』を見ると沖縄へ旅行する人をして恐怖せしむることが詳細に誇大に中には事實を誤られて書かれてゐ先づ其要領を抄抜すると

 琉球は慶長十四年薩摩の附庸となつてから一切の武装を解いたが琉球人と誰も争闘せざること能はず時には自己の身體に對して正當防衛の必要を生する徒手空拳は彼等の唯一の武器である彼等は身に寸鐵を帯びずと誰も容易に人を殺傷し又防衛することも出來る唯右足を一歩引き右の拳を固めて右脇の邊に置き體を半身に開きて敵に向つて構へた時が卽ち武装したる琉球人であるのだ琉球の拳法は琉球獨特の武術にして琉球語で之を『唐手』といふのだ
 琉球に於ける唐手の弊害は非常のものである田舎農村などには其の弊害は少い那覇と首里及び其の附近に於て最も多いので勿論其の亂用惡用は夜間に起るのだから夜が更けてからは婦女子どもは那覇の町を通行するは危険であるといはれてゐる那覇の町は大部分は昔流の市街で兩側に石垣が並んで最も陽氣な遊廓と誰も其の通りであるから大街と誰も町の中は淋しいのだ故に男子と誰も拳に覺えの無い者は深夜の獨行は油斷が出來ぬ危險の最も多いのは遊廓である三々五々ひやかしあるく無頼漢の中に最も危險なる者が多い別段盗賊の意味でなく面白半分生意氣半分に唐手を以て突然人を突いて見る生兵法者が多く無い維新前には吉原の土手で辻斬があつたと同じく琉球でもやはり遊廓を中心として唐手の辻斬でなくて辻突が流行りつゝあるのだ而して辻突は大概毎晩のようにあるので往々人に大怪我をさせて大事件になる事もある
 唐手は昔琉球人が外國を知らざる時に自國に發達した武術である今日世界的の世の中となつてからは唐手ばかりは依然として琉球の唐手では濟むまいと思ふと云ふ

沖縄唐手の組手.jpg

まさかこれ程ではないが沖縄に傷害殺人と云ふ殺伐な犯罪が多いといふことは私が沖縄に來て直ぐ他の人々より聽かされ又私自らさうと感じたのである而して此の種の犯罪の多いのは沖縄人が強烈な泡盛を多量に飮むのと又唐手より來る餘弊であると云ふのが殆んど通り相場になつて居る併しこれは概括的の批判で實際的に立證した根據が無い
今茲に私が取扱つた材料は明治四十四年より大正九年に亙る十ヶ年間に於て沖縄監獄に入監した傷害、殺人犯の男囚三百十一名の統計であるが此他に長刑期の為めに他監獄へ移したるものが若干あり又拘留罰を科料で濟んだものや微罪處分されたものもあるから此等の數を加ふれば尚より多くある筈である
私は調査の便宜上單純な傷害傷害致死殺人未遂及殺人犯のみを統計した併し犯罪の性質上時として住居侵入器物毀棄建造物損壊などが併合罪として處分されたものも若干あり村に騒擾性を帶びた巡査の職務執行妨害も一時盛にあつたことがある最近十ヶ年我國に於ける刑法犯百人に對する傷害殺人犯の割合は約六人であるのに沖縄は十一人餘の割合である此數字は沖縄に犯罪の多いといふ世評が正に動かすべからざる事實であることを證明し且つ亦沖縄犯罪界の一特質であることを示してゐるのである左に犯罪の種類を縣區別に揚げて見やう

郡區別    傷害    傷害致死    殺人未遂、殺人    計
島尻    五六    十五        五        七六
中頭    二五    一三        五        四三
國頭    一七    一二        一二        四一
宮古    四六    八        一        五五
八重山    二五    七        十三        四五
首里    二    四        |        六
那覇    三六    三        四        四三
航海中    一    一        |        二
合計    二〇八    六三        四〇        三一一

右の内島尻八重山兩郡の比較的多いのは前者は大東島後者は西表島を有することが主因である卽ち採鑛夫や炭坑檬は由來亂暴し易い境遇に置かれてあるから喧嘩や刄傷は日當茶飯の事とされて居る宮古島は特別事情のないのに其の數の非常に多いのはそこに何となく殺伐な氣分の荒んで居ることを物語つて居る那覇に多くて首里に極めて少いのは面白いコントラストで之は那覇の沖縄の大都會で其生活状態が首里の舊城下と全然趣を異にして居ると尚一は辻と云ふ三千の娼婦を抱擁する此國唯一の遊廓を有するが故である
山岡博士の「罪人の年齢」と云ふ論文は今私が言はんと欲する點を雄辯に説明されてあるから先ず其の一節を引用しやう


(中略)

以上は一般の犯罪人に就ての所論であるが之を切り離して沖縄の傷害殺人犯に就て觀るも敢て抵觸しないのである次の統計を觀て戴きたい

年齢別        傷害    傷害致死    殺人未遂、殺人    計
二十歳未滿    六    一        三        一〇
三十歳未滿    八六    二五        一七        一二八
四十歳未滿    七〇    二二        一一        一〇三
五十歳未滿    三九    一〇        六        五五
六十歳未滿    六    三        二        一一
六十歳以上    一    二        一        四
合計        二〇八    六三        四〇        三一一

次に是等の犯罪は偶發事件が多い卽ち其の動機――犯罪者の情緒は忿怒復讐嫉妬と云ふやうな一時的激昂的の行懸りから起るからである卽ち初版二百六十二名二犯二十四名三犯以上二十五名であつて三犯以上の内にも其の前科の傷害罪のあるのが若干ある
沖縄の初等教育は他府縣のそれに比し普及が遅れて居るから一般に教育程度の低い者が多い卽ち無教育者百五十九名尋當科半途退學者七十五名尋當科卒業生三十六名高等卒業以上の者四十一名となる此内に中學校卒業生二名あつて一名は體操時間に唐手を練習した者で犯罪當時酩酊せる一名の通行人に侮辱されたとて彼は友人の援助を得唐手を以て敵に傷害を加へ死に致したのである二名にて一名の敵に當るのに敢て充實な懐刀を出すにも及ばないではないか斯様に無茶に飛び出して働らくやうでは高等普通教育も感情を抑制する上に何等の権威が無い
又身體風俗に関する犯罪は多數觀察上七八月頃に最も多いと謂はれてあるが沖縄亞熱帯の氣候であるから他府縣歐米の大陸諸國と其の趣が異つて居る卽ち季節別に百分比例を示せば次のやうである

春(三、四、五月)    二九    夏(六、七、八月)    二六
秋(九、十、十一月)    二五    冬(一二、一、二月)    二〇

右に揭れば沖縄は却て春季に多い之或は佐藤の収穫製糖期であるから金融が善いので自然酒に親む機會の多いことも一誘因ではあるまいか

(中略)
飮酒の中毒が一時的に又は慢性的に人の心身を害するこちゃ又一方に於て病氣と貧乏の原因となり他方に於て犯罪の原因となることは今更云ふまでもないが特に沖縄のやうに酒が極めて廣き範囲に用ひられて居る土地では之に因りて傷害殺人の犯罪が行はれ易いのは當然であらう那覇税務署の調査に置ければ大正七年に於ける焼酎(泡盛)の縣内消費高は三萬石内外で一戸平均三斗三升一人當り五升七合である之に他府縣より移入する清酒麥酒類千三百五十餘石を加へ實際飮用者のみに平均せば其の量實に驚くべきものであると思ふ次に掲ぐる三表に就て了解されたい

大正時代の唐手.jpg

イ 酒量
酒量別        傷害、傷害致死    殺人未遂、殺人    計
飮酒せず        七        二        九
一合        六七        六        七三
二合        七八        七        八五
三合        五五        九        六四
四合        二〇        三        二三
五合        二一        六        二七
六合以上    一四        五        十九
一升以上    六        二        八
不評        三        |        三
合計        二七一        四〇        三一一

ロ 酒癖
酒量別        酒癖あり        酒癖なし        計
一合        二一        五二        七三
二合        四七        三八        八五
三合        四六        一七        六四
四合        一八        五        二三
五合        二三        四        二七
六合以上    二四        三        二七
合計        一八〇        一一九        二九九

 備考 飮酒せざる者九名負傷三名を除く

ハ 犯時飮酒
飮酒の有無    傷害、傷害致死    殺人、殺人未遂    計
飮酒す        一八一        三二        二一三
飮酒せず        八七        八        九五
不詳        三        |        三
合計        二七一        四〇        三一一

私共の感情で何時でも犯罪特に傷害とか殺人犯などに鮮かな交渉を生じ易いものは情緒である故に其の主なるものと犯罪とを結び付けて考察しやうと思ふ

情緒の種類    傷害、傷害致死    殺人未遂、殺人    計
憤怒        一五〇        九        一五九
恐怖        一五        一五        三〇
復讐        三七        二        三九
嫉妬        九        十三        二二
怨憤        一九        一        二〇
同情        一五        |        一五
其他        二六        |        二六
合計        二七一        四〇        三一一

卽ち憤怒は一朝の怒りに其身を忘るゝ連中で實に全體の五割強を占めて居る恐怖は憤怒の裏向で或は其の物を逃れんとするに急なるか或は敵の勢力より脱出せんが為に暴行を敢てしたのである前者は八重山炭鉱に於ける最近の出来事に属し後者は窃盗に忍入りたる者が被害者に見つかり恐ろしさの餘りに例の唐手を振廻はして逃亡するとか豚の密殺を發覺されて巡査を毆つたり酒の密造を税吏官吏に検挙され覺えず敲いたりしたのである復讐は比較的弱者によつて不意打的に行はれ嫉妬は婦人の身體に關する被害事件の多數が原因を為し之が為めに二十四名の犠牲を出して居る怨恨は時を經て敵の不意に乗じて傷害を加ふること多く同情は普通人のと其趣を異にし例へば喧嘩に負けた友人や乾兒の為めに身命を惜ます應援するとか弟妹の凌辱に痛く同情し報復の為めに加勢又は單獨行為を取るやうなのがある其の他酔興のやうな或氣分を有する時に人を毆打することが尠くない

摩文仁賢和小西康裕.jpg

而して加害の手段と使用の兇器は如何とふに多種多様にして今其の一々を掲ぐるは煩雑なるを以て比較的多數のものみを次に摘録しやう

1. 手拳にて突く            九八
2. 足にて蹴る            二二
3. 庖丁、小刀、剃刀類        四四
4. 石塊                二四
5. 棍棒類            二一
6. 短刀、斧、(判読不可)        一二
7. 短銃及日本刀            一〇
8. 縄類にて制縛す            一〇
9. 空瓶                九
10.鉈                八
11.薪                八
12.下駄                八
13.皿、茶碗類            五
14.金槌、(判読不可)        四
15.煙管                四
16.櫂                三

右の内「手拳にて突く」と「足にて蹴る」と合せたる百二十名は卽ち之れ唐手及唐手に似て非なる所謂「てこぶし」を用ひたので實に全體の三割八分を占めて居るのを観ても唐手及手拳亂用の俆弊が恐怖すべき結果を到來するかを事實上明確に證明するとが能きる又沖縄にては輕便な唐手が存在するを以て利器を使用するを卑怯也と信ずる者ありと聽く夫れ或は然らんと思ふ叙上沖縄の傷害殺人犯に就て説明せる事項を要約すれば一、沖縄に於ける此種の犯罪は全國平均の殆んど二倍の高率を示して居る二、此種類犯罪の績發は其の原因種々綜合せる點もあらうが主として飮酒と唐手及其の模倣より來る「てこぶし」の餘弊が大部分である


本部朝基.jpg

ことに(判読不可)着する故に此種の犯罪を防遏するには禁酒節酒の宣傳と實行が急務であり更に學校や道場に於ける唐手の練習と諸種の會合に於て殆ど観覧物のやうに取扱つて居る唐手の餘興を廢止せんことを勸告するのである今や學校にては何等弊害なき唐手以上の科學的體育養成方法が研究され卽に實施されつゝあるのに何を苦んで沖縄の人々が之を保守採用して居るのであらう狭い沖縄で自己防衛上必要とした時代は過去の夢ではないか私は彼の地にて未だ長夜の眠から醒めず卑見に反對するものあるを遺憾とするのである(完)


 という事で、「飮酒と唐手」でした。
 私、日本の学校教育は中学までしか知らないのですが、高校とかで旧漢字の勉強とかってするんですかね? 書き起こすのに1週間掛かりましたw
 中をざっくりと要約すると、沖縄は飲酒に関連した素手による暴力事件が多く、その原因が空手にあるのだから、空手の教授を止め、空手の余興を公開するのを止めて近代体育を取り入れましょうという勧告ですね。
 しかし、このレポートよりも先に横山健堂氏の「薩摩と琉球」という本で「掛け試し」について書いてあったみたいなので、いずれこっちも読んでみたい物です。 こっちの方が空手悪玉ネタの源流かも知れませんしw
 
 一般的に掛け試しとは、かつて沖縄で空手家がその腕を試す為に遊廓の辻で、強そうな相手に喧嘩を売る、武者修業の様なものだと考えられているかと思います。 漫画「秘拳伝キラ」では後述した様な解説をしてあったので、ひょっとしたらこっちが一般的な見解かも知れませんが。

秘拳伝キラ.jpg

〈合戦場〉
大正時代まで 実際に沖縄にあった 戦闘解放区の呼び名。 首里城近くの遊廓の中、 人気のない辻などに 腕に覚えのある 武人が集まって 「掛け試し」(実戦)を 行っていた。
名のり合って戦う こともあれば 見ず知らず同士が すれちがいざまに殴り かかることもあった。
続出する死者の数が 毒蛇(ハブ)の被害者数を 超えるに至り、ついに 警察の手が入り、廃止に 追い込まれたという。


 当レポートを見るに、そんなに死者が出たのかどうかは疑問ですがw ただ、レポートの方は未解決事件に関するデータは載ってませんし、あくまでも収監者ベースの調査です。 それでも未解決で殴打の痕跡のある殺人事件が山ほどあるなら、恐らくこの件について触れていたかと思います。 沖縄の犯罪件数が問題になっているレポートですし、明治憲法が発布された1889年から既に日本は立派な法治国家です。 離島と言う事で本土よりも整備が遅れていた事を勘案しても、武道家同士の立ち会いには決闘罪が適用され、禁固刑と罰金が科せられます。 なので、警察が手を入れるまで無法地帯であった様な事は無いでしょうね。 喧嘩に対して黙認する事はあれど、殺人罪となってしまえばそうは行きません。
 まぁ、それでも実際にやる人はいた様で、例えば神道自然流の小西康裕先生は、自著の中でこう記しています。

 これは空手の最も盛んに行われた沖縄での話だが、一通り空手の守行が出來た者はよく他流試合に出掛けたものである。 相手の身體に手足を觸れないように、又觸れることを許されたとしてもほんの一寸輕く觸れる程度とか、競技者双方の手に墨を塗つて、そのくつつけつこ位が關の山では肉彈そのまゝの素手でやる自由組手でありながらそれでは脾肉の嘆に堪えぬ連中は、つい他流試合で思う存分自分の技量を發揮してみたくなるのは理の當然である。 そこで、そんな連中はどうしたかというと、柳暗花明の花柳街につながる道端とか辻あたりで、通行人のこれはと思う人に戰いを挑んだものである。 それを沖縄では合戰と稱して居た。
 この合戰には次の二種があると傳えられている。 卽ち、
    (一)掛の合戰――合戰をいどむ目的をほんの辻投げ位の輕い意味で決して殺意をもつてやる程のものでないもの。
    (二)眞の合戰――生命を賭けて徹底的に腕力をふるう最後的な決闘をするもの。
 空手道の要諦が「人に打たれず、人打たず、事のなきをもとと、するなり」である以上今はこのような風習はあるまい。


 ちなみに糸東流創始者、摩文仁賢和先生の御子息である摩文仁賢榮先生はこう掛け試しについて説明されています。

 当時の空手には、現在のような組手方式はありませんでしたので、空手を修業している若者たちは、お互いの間で掛け試し(現在の自由組手のようなもの)をやってほしいと申し込みがあると、街角とか空地とか適当な場所で、双方が立会人を付けて掛け試しをやったものです。 当時は街灯もなく日が暮れると暗いので、数人が提灯を高くかかげて足下を照らして組手をやるのですが、やがて頃合をみはからって立会人が中止させ、君の方はまだ稽古が足りないとか、いろいろアドバイスをして判定を下し、そのようななかで個々人の技術的な評価が定められていったようです。 父も何回か掛け試しを申し込まれたり、友人の立会人になったこともあると語っていました。

 お2人の話を掛け合わせると、元々は技量試しの正式な立ち会いを「掛け試し」もしくは「合戦」と呼んでいたのが、その内に街中での腕試しも「掛け試し」と称して血気盛んな若者の間で密かに流行ったのかも知れません。 それでも生死にまで関わる様な仕合は殆ど無かったんじゃないでしょうか。
 この掛け試しの中で頭角を現したのが実戦名人として名高い本部朝基先生ですね。 夜な夜な辻町で勝負を挑んでいたと言われています。 錬武会の玉得博康先生によればこんな感じ。

 …喧嘩が強く三度の食事より好きという御仁である。 那覇の喧嘩どころで有名な辻の遊廓街で毎夜暴れて数々の話題を投げたレコードホルダーでもあった。 彼はまとまった奥技型は使えないが、その型にある部処部処の奥技(実戦技)には長じていたようで、それに毎夜の実戦で奥技が活かされ身についていたと当時の武士達は語っていた。

 当レポートに記載された120件の拳、または足による暴行事件の内、何パーセントが掛け試しによるものかは不明ですが、この辺りの本格的な調査とかあれば是非見たいものです。 沖縄空手は私の専門分野じゃありませんし、まだまだ知らない事も多いので、非常に興味があります。
 今回はここまで、それではまた。


参考文献:
統計學雑誌 第四百二十八號 統計學社 1921年
改訂写真図解 空手道入門 良武館小西道場編 小西康裕著 魚住書店 1969年
空手道 保存版 創造 1977年
少年サンデーコミックス秘拳伝キラ 第1巻 原作:碧星タケル 作画:三好雄己 小学館 1996年
本部朝基と琉球カラテ 岩井虎伯著 愛脇 2000年
攻防拳法空手道入門 普及版 摩文仁賢和 仲宗根源和共著 榕樹書林 2006年(普及版)
拳法概説 三木二三郎 高田瑞穂共著 榕樹書林 2002年(復刻版)








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コメント
本部朝基が上地完文の悪口を言って高弟に乗り込まれ掴みかかられたり、沖縄唐手も激しいですね。
  • やいや
  • 2013/06/16 12:13 AM
>やいやさん

まぁ、事実かどうか分かりませんけどねぇ。
本部朝基という人物は、この時代を代表する空手家な訳で、大山総裁と同じく、「○○に本部が頭を下げた」とか「本部が○○から逃げた」みたいなエピソードが出るだけで、対象となる人物の伝説性が高まるんでw

大抵この手の逸話は、実際には立ち合っていないが勝敗が付いた、というオチで終わります。
立ち合ったとしても、互いに怪我1つ負わないというオチもありますが、大体似通ってますね。

ちなみに、大山道場で道場破りを戸板に乗せて返せ、と言われていたのは、この手の風聞を証拠付きで封じる為でしたw
  • Leo
  • 2013/06/16 3:12 PM
Leoさんこんにちは

清水伯凰という人物、ご存じでしょうか
極限を生き抜くプロボディーガード、という著作を出しているようですが読まれたことありますか?

インタビュー読んだら大山先生は表の世界で、言ってます、お手元にあったら是非古書レビューして欲しいです。
(゚▽゚)/(こちらにて失礼します
  • ぬこやなぎ
  • 2013/06/18 6:12 PM
>ぬこやなぎさん

読んだ事はありませんが、確かオーケンさんだったかな、対談か何かで清水氏のこの本をネタにしてて、一応知ってるのは知ってますw
読まなくてもお腹一杯ってくらいネタにされてましたけど、機会があったら読んでみようかな、とは思ってますね。
その時にはレビューするかも知れませんが…。
  • Leo
  • 2013/06/20 12:43 AM
清水さんは鳳龍院心拳とかいうんですね。中国の寺に何百年も前から伝わってたとか…服装と型は不動禅少林寺拳法みたいでしたけど。よくやるなーという印象でした(笑)
  • やいや
  • 2013/06/20 1:59 PM
http://blog.livedoor.jp/junksai5/archives/28638430.html

田中清玄先生の奥様のひでさんのことを こんな感じでまとめています 半分は創作ですが 奥様には 清玄先生は 最初は 怖かったけど唐手で助けてもらって それから惚れたという感じでいこうかなとおもうのですが

それから この時代って 素人には 柔道と唐手の区別って ついたのでしょうか

  • くれど
  • 2013/06/20 10:59 PM
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=00484787&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE

字が違いますが 参考文献にでている 仲曽根源和氏と
同一人物です 左翼運動って 昔は 沖縄出身者も多いですから 清玄が空手を覚えたのは その縁でしょうか
  • くれど
  • 2013/06/20 11:05 PM
(^-^)情報ありがとうございます、やいやさんもありがとうございました。
  • ぬこやなぎ
  • 2013/06/22 3:22 AM
>くれどさん

出会いについてはまぁ、そんなに詳しい訳じゃないのでそれでいいんじゃないですかねぇ。

現在ですら、空手と合気道の違いが丸で分からない女性とか知ってますんで、当時なら武侠小説でも読んで居ない限りは分からないかと思います。
テレビメディアもありませんし。

田中先生は本人曰く、弘高時代にオルグされて、その頃に熱心に大東流をやられたそうです。 で、空手を始めたのは大学に入学してからだそうで東大には共産主義を宣伝する為に行ったという事ですから、空手も身を守る手段の1つとして学んだのでは無いでしょうか。

そして多分川崎武装メーデーの頃だと思うのですが、沖縄出身の人から実戦的な技法を学んだそうです。 曰くー

「川崎に組織拡充の篇、労仂者の中に入つた当時、沖縄出身の労仂者で、素晴らしい空手の達人がおりましてね、この人について夜な夜な身体が幾つあつてもたらない多忙の時でしたが、尚武の気が天性のものだつたのと自衛の必要から、それこそ文字通り真剣に学んだものです、党員にも空手の実戦で最も役立ちそうなところだけを選んでパンフレツトにして配布したものです」(「月刊空手道」1957年1月号)

沖縄に関して言えば…まぁ、大体共産主義ってのは現行に不平不満を持つグループ群を煽って革命を画策するんだと私は思ってる…と言ったら怒られるかも知れませんがw 本土に対して不満を持ってる人は多かったんじゃないですかね。
何せ、空手の伝説の1つに「被征服者の武器」というのがありますから、本土ではともかく、沖縄からは結構相性良かったのかも知れませんねぇ。
  • Leo
  • 2013/06/23 3:54 PM
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