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大山倍達マニアック検定

【古記事】松田隆智、最初の武術レポート(1967年)

JUGEMテーマ:格闘技全般
 

 ご存じの方はご存じの通り、先日…2013年7月24日に中国武術研究家の松田隆智先生が亡くなられました。
 当ブログは中国拳法は専門では無いのですが、松田先生のそのキャリアは空手から始まっており、その後の武術研究に大山倍達総裁が大きな影響を与えているかと思います。
 そこで、現在私が知る限りでは最も古い1967年の武術レポートと、当時のプロフィールを併せてここに紹介し、追悼させて頂きます。

松田隆智4.jpg

 まずは1967年当時の経歴から。 何か首を傾げる描写があるかも知れませんが、67年当時の文章だという事を勘案して下さい。




    略歴、
    昭和12年6月6日生まれ29才、
    愛知県岡崎市生れ、
    岡崎北高校出身
    各種の職業を経験したが、武道に専心するために、現在無職、
    大山師範に目白時代に師事した。 17才当時。
    各種の武術に打ちこみ、目下、中国拳法殊に内家の拳法について研究中である。


 松田鉦(まさし)氏は本当に日本の武術を愛している。
 いや生活の全てになっている様だ。
 小学生の頃から、少年雑誌にのっていた空手の訓練を見よう見まねで、一人で始めている。 たとえ、巻きわらをたたくだけでも、何年もたたいていれば自ずと、ある段階へ行くだろう。
 地方であるため、適当な師を得られぬままに14才の時に愛知大学の空手部に、特別に習いに行き、高校の時には、自から、同好会を作り、コーチに来た、愛知学芸大のキャプテンをたおしてしまった。
 夜は、名古屋迄空手クラブに通って研究し、その範囲も広がり、神道無想流の棒術、示現流兵法、大東流の合気術、そして中国拳法へと、その安む事のない追求はつづいている。 特に、空手の外に心をとられたのは、示現流の精神で、それは、武道の心の真理を現わしているとして、強く買っているようである。
 "一の太刀をうたがわず一の太刀にすべてをかけ二の太刀は負けと思えとそれは教えている"。
 氏は云う、武道の最終目標は勝つ事であり、その勝つと云う事は、正しく勝つ事だと云う。 正しくと云う基準はうかがい得なかったが、どのような正しさを、松田氏は追求するのか、一つの課題とも云えるだろう。 武道が人間にとって何が正しくて、何が誤まっているのかの基準を追う事も氏の課せられた仕事となるだろう。

松田隆智.jpg

 武道のためなら、職をほうり出しても専心する。 日本中、真の武道家を探してとんで行く。 そんな姿勢が、大山師範との出会いを作った。 高校生の17才の夏、大山師範の所へ現われた松田氏は、専心して、大山空手に打ちこんだ。 のちの極真会館空手である。
 松田氏は、くにに帰ると、武堂の相手は居なくなる。 自分一人でもくもくと進まねばならない。 ここに内家の拳に傾むく要素があった。 大山師範の空手が、中国拳法の、いわゆる、柔の拳を大幅に取り入れ、従来の空手と云うものの、ギコチなさを取り除き、万物の運動の根本である円を中心とした、ダイナミックなものにした事を知ると共に、松田氏は、自分は、一人でも進めるものとして、極真会館空手と共に、内家拳をきわめる事に決めたと云うのである。 日本の空手と云われる全ては、中国で云う外家の拳法から伝承したもので、それは、拳足をきたえて、剛になる事をして、威力を出すものであり、反面、内家と云うのは、出家していないと意味で、外家とは出家、仏僧になった者を云う。
 内家は、一般の人々、主に道教を信じる人々をさし、それらの人々が行う、柔の拳法を云うのである。 これは、拳足をきてる事もせず、只々少ない技を、時間をかけて、行なううちに、自然と悟境に入り、気が拳よりほとばしって、相手をたおす事が出来るようになるのだ、と云うのである。 日本でこの面の研究者少なく、松田氏は、この内家拳と云うものが、実際に力を発揮するものであるか、実践している。 伝承は、伝承であり、本当に、内家拳と云うものが、外家の拳と、互角の力を発揮するのか、自分は三年ばかり打ちこみたい。 との事である。
 氏は云う、例え失敗しても、それはそれなりに意義がある、結果的に、そうなれば残念ではあるが、否定の証明には、なり得ると思うからである。 勿論自分は現在、内家の拳を大きく肯定するところから発しているので、成功を望んでいる。
 氏は、各民族にはそれぞれに良い面が、あるもので、日本人には、それなりのものがやはりある。 それは、武道であると思う。
 日本人の良さは、武道に綜合されており、その辺りの見誤りをしている現代人は根が誤っているから、全てが狂い、今の世相はなげきたくなると云う。
 松田氏の不断の努力を期待したいと思う。

 以上、が1967年の松田隆智(本名は鉦)先生の紹介記事でした。 ついで、以前少し紹介しましたが、(多分)最初の武術レポートですね、これがありますので紹介致します。

空手道エッセイ
中国拳法の研究
    岡崎極真会――松田鉦


松田隆智3.jpg

 岡崎市に住う、大山師範目白時代の弟子、松田鉦氏より、珍しい貴重な、研究レポートが届きました。
 「中国拳法」について、実地にやって見るかたわら、多くの資料探索の旅などを行なって集めたもので、日本での研究の資料不足の中で、良くその労を惜しまず、現在も尚、研究中であります。
 この度この内のごく、取っかかりの事として、レポートされたものを送られて来ました。 これからも尚、一層の探究の中で、不備な点、不明な点があばかれて行く事でしょう。
 まずは、その初めての報告レポートを概略紹介する事とします。
 図や表が無数に入っているもので、この回では、詳しく紹介できませんが、次の機会には詳細図を取り入れて、披露する事と致します。
 以下はその本文概略であります。 尚中国拳法について参考資料をお持ちの方は、報せて下されば幸いです。
    外家と内家の拳法の比較
 「寧波府志」にいわく
 "外家は主に人を撃ちて、跳踉奮躍す。 これに失敗すれば、往々、人の乗ずる所となる。 内家は主に敵を防ぎ、困危に遇うをあらざれば発せず。 発すれば即ち当るところ必らずくだく。 すきなくとも乗ずべく、故に内家の術を最善となす。"
 「小知録」にいわく
 "外家の拳は、もって人を博撃するを主とし、人はこれに乗ずることを得、内家拳は即ち静をもって動を制し、犯す者はこれに応じて即座に仆す"
 船越義珍氏もその著書空手入門書の中でこう言っている。
 "中国拳法は元、明、清の時代には、尚武派と少林寺派に分れ、尚武派には行儀、太極、八卦の拳法が属し、専ら気功を主として、一見極めて柔かく力がないように見えるが、一度発すると容易に人を仆す事のできる力を有し、少林寺派には、硬功、軟功あり、長長拳、短打があり……"と述べていて、ここで云う尚武派とは武当派の事であり、「行儀」とは形意拳の事であるようである。
 又泉川寛善氏の説が「大家社吉著、続空手道入門」の中で、こう言っていられる。
 "中国拳法は南北両派に分れて、更に両派共各々、内家拳法、外家拳法に別れていて、内家の特徴は、主柔にして禦敵の法であり、外家の特徴は主剛にして博人法で、内家の代表的なものは武当拳法、外家の代表的なものは、少林寺拳法とされ……と。
 しかし自分の調査の結果では、内家の拳法は太極拳の他は南北に別れている事実はないようであった。
    内家三拳の比較
 の人(※原文ママ)いわく
 "内家の拳をおもうに、太極、八卦、形意の三派有るも即ち一つなり。 しかし内家の技撃なるや必らずその中を求む。 太極は空中なり。 八卦は変中なり。 形意は直中なり。 中なれば即ち自から不敗の地に立ち、偏するものこれに遇うもくだきて出せず。 形意は人の堅きを攻めて、人の瑕を攻めず。 八卦は縦横矯変、太極は渾然として間無くで其の攻め来る体に随いて離れず、拒ずして中を以ってこれに応ず。……"
 太極拳は力霊、ものに例えれば、皮球を表わし、運動線は円形を描く
 形意拳は力宝、ものに例えれば、鋼球を表わし運動線は直線を描く、
 八卦拳は力巧、ものに例えれば鉄糸、運動線はやはり円形を描く。
 また内家三拳の特徴は、気功を主として、拳足などは全然きたえず、突きの威力は、体内より湧き出づる気が拳に出る事を主目的にして居る。 その稽古は、一見柔かく、体操と間違えられる程、ユックリ行なわれる。 又その形を覚えてもその時からすぐ威力の出るものではなく、相当の根気を要するものである。
 つまり禅と同じであって、気が練れてこなければ、その突きに威力が出て来ない。
    太極拳
 太極拳の修業は大体次ぎの通りである。 1、盤架子(形の独習) 2、推手(約束組手のようなもので何種かある) 3、散手(実戦的組手) 4、太極剣 5、太極刀 6、太極桿(棒術)他に秘伝点穴の法あり。
 となっている。 太極拳で気功の出来たものに突きやけりを仕かけると仕かけた方の者がハジキ飛ばされると云う。 そして相手の体の視角についてはなれず、死角から投げる技が多いようである。 太極拳の形はユックリ円を描き大体80動作から90動作を一つの形として行なう、太極拳と云ってもやはり多くの派を生んでいる。 楊派、呉派、赤事派等もその例である。
 そして太極拳のことを別名、十三勢、とか長拳とも云う。

拳児2.jpg

 十三勢とは十三種の技ではなく八卦五行を合わせて十三勢と云い、八卦すなわち四正四隅を指し、四正とは東西南北と棚(乾)、履(坤)擠(坎)、按(离)を示し、四隅とは、東北、西北、西南、東南の事を云って、この八方のことを八卦と云う。 又五行とは、前進(金)後退(木)左顧(水)右顧(火)中定(土)である。 長拳と云うのは、長江つまり揚子江や大海の如く、滔々として絶えざる事也の語より出ている。
 中野道臣著少林寺拳法で長拳とは長い武器に対しての拳としるしているがこれは誤りである。
    形意拳
 この修業は次の通り 1、五拳(基本) 2、五行連環拳(形、基本を組み合せた形) 3、四枢(形) 4、八勢(形) 5、十二形(十二種の動物を形にしたもの) 6、安心炮(組手、十二形や五拳を組手にしたもの) 7、雑式捶(十二形を連続の形にしたもの) 形意拳は、拳の突き打ちが一見空手のように見えるが細かい点がちがい、進み方は他の拳法に見られぬ歩法を用いる。 突きにも、あてにも、すべて寄り足を用いながら前進する。 形意拳は相手が進みて、又進み、退りて又進む。 相手が攻撃してくる所をかまわずに進んで行く技が多い。 基本法は五つだけで、劈拳、鑚拳、崩拳、炮拳、横拳で天地五行、金水木火土を表わし、すべて相打ちの捨身わざである。 この拳は単純で、学び易く、到るに難しいといわれ、空手の三戦の型と同じく、すぐ覚える事が出来るが完全な姿勢を取るにも大変むずかしい。

拳児3.jpg

 崩拳一技で中国全土を試合して歩き一度も敗れなかったと云われる名人に、郭雲深と云う人が居たそうだ。 昔の拳士は少ない一つか二つの技を徹底的にやっている。
    八卦掌
 この練習は次の通り。
 八卦放身連環掌 一、単推掌二、雙換掌、 三、上下換掌、 四、黄身反身、白蛇吐信、大鵬展翅、白猿献桃、八仏過海、竜身八卦掌 八卦雙剣一法二法、八卦棍、
 八卦掌は主に開手にて行なう。 立禅に対して動禅と云われて同じ構えで、無心にグルグル歩き回るのである。

拳児1.jpg

 八卦掌は竜形八卦掌又は放身八卦掌と云う。 八卦掌の名人董海川という者と形意拳の名人郭雲深とが試合をして勝負がつかずじまいに終り、その時より互いに交換教授をして後に形意、八卦どちらを学ぼうとするものも必らず両方を併せて習わせられ、現在に至っている。 八卦は易の理にのっとって八個の卦に型どり八本の形が連続して、この八個が又各々八個に変化し、六十四卦つまり六十四本の形に発展している。 そして指先から気が出て来ると秘伝の点穴をやる。 点欠法とは、指先一本で急所を突く法である。
    結論
 中国にて道士(老子、荘子の道を信仰するもの)の事を内家、出家して仏教の僧侶となった者を外家と云う。 僧侶が主として習ったのが少林寺拳法であったので、少林拳を主として外家の拳と云われている。
 そして武当派の拳法(太極拳)を広めた張三奉が道士であったので太極拳を内家の拳と云う。
 少林拳は砂袋などで拳足をきたえ(鉄砂掌)筋骨をきたえ、外功、内功ともに行ない、突き、けりも激しく、日本の空手に似ているとも云う。
 一方内家の拳は見た眼に柔らかく習い始めても直ぐには威力を発揮出来ないので中国に於いても、若者は手っとり早い少林系の拳法に走るものが多い。 両派の拳も、琉球日本の空手のように組演の形より入り、約束組手、自由組手の順で進むようである。
 中野道臣氏の著書の中に中国拳法は組演武主体であると言っているが全くの誤りである。
 又同書中で河北楊家派の拳は柔法、組みうちが得意で技が少ない云々とあるも、実は河北楊家派はと云えば、中国に於いて楊無敵と称された名人、楊露禅の系統で、組みうちが主ではなく、突きうちが主で、有名な陳長興が陳の姓(つまり陳家代々の秘伝)の者にしか教えなかった技を深夜、土塀のスキ間から、盗み見て技を覚え、その後認められて、陳長興より、その全技法の皆伝を許された者であり太極拳中国の祖と言っても過言ではない。
 そして、その形は、初期の者のでさえも、九十種余の多さを数え、組み打ちを主とするなどと言えるようなものではないのである。
        この項、おわり、



 以上、松田隆智先生の(多分)最初の武術レポートでした。
 この67年のレポート(以下67年研究)は極真会館の機関誌「近代カラテ」に発表された物で、私の手元に6つあり、その後も「現代カラテ」に拳究生、M・松田という名前で「拳法夜話」を連載していました。
 67年という年は、佐藤金兵衛先生と出会い内家拳に触れた年でもあり、多分に67年研究にも影響を及ばしているんじゃないかと私は思いますけど、その辺りは専門家にお聞きしたいですね。 また、台湾に趣く3年前という事もあって、まだ八極拳の片鱗もありませんw
 ついでに言うと、67年4月15日極真より三段を授与されているので、来館した際に大山倍達総裁が、「ウチの雑誌で発表しなさい」みたいな話になったんじゃないかと。

松田隆智2.jpg
松田隆智の昇段記録

 松田先生の原点というのは、「一撃で倒せる突き」(最高の突き)だと思いますが、本当に内家拳の突きが文献にある様な威力を持っているのか? ここが後の中国拳法へ傾倒する切っ掛けだったと読み取る事が出来るかと思います。
 後の「内家拳は高級」とする様な表現は批判もあった様ですし、分類の仕方によっては異論もあるみたいですが、それはさておき、生涯を捧げて様々な拳法を紹介し続けたのは燦然と輝く功績でしょう。
 しかし少林寺拳法宗道臣先生にツッコミ入れまくってるなぁ…w

 ちなみにこの67年研究は他に「少林寺拳法の研究」(少林系の解説)、「太極拳の研究」「古武道の研究(お留武術について)ーその一 示現流兵法」「古武道の研究(お留武術について)―その二 大東流合気柔術の謎」「古武道の研究」(唐手の口伝)とあります。
 また機会があれば紹介したいところですね。
 そう言えばアメリカだとこの少し後になりますが、ドン・ドレガー氏の本に結構詳しく中国拳法の事を書いてましたねぇ。 69年出版の"ASIAN FIGHTING ARTS"では中国拳法の達人が写真入りで載ってましたし、松田先生の67年研究よりも詳しく太極拳の系譜が載ってました。

達人.jpg
"ASIAN FIGHTING ARTS"

尤も、地理的な関係からか、はたまた漢字のお陰か、国交回復後は日本の研究の方が進んだ気がしますけど。
 それでは…合掌。


参考文献:
Donn F. Draeger, Robert W. Smith, ASIAN FIGHTING ARTS, Kodansha International Ltd., 1969
近代カラテ 1967年6月号 近代カラテ研究所 1967年
近代カラテ 1967年7月号 近代カラテ研究所 1967年
73 極真会館年鑑 財団法人極真奨学会 極真会館 1972年
月刊秘伝 2005年12月号 BABジャパン 2005年
拳児 第7巻 原作:松田隆智、画:藤原芳秀 小学館 1989年
拳児 第15巻 原作:松田隆智、画:藤原芳秀 小学館 1991年
拳児 第21巻 原作:松田隆智、画:藤原芳秀 小学館 1992年

参考リンク:
訃報:中国武術研究の第一人者・松田隆智氏が死去 (2013/7/28)

関連リンク:
【レビュー?】松田隆智著「謎の拳法を求めて」(1975年)
ある日の極真会 2 (近代カラテ 1967年6月号)








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コメント
もう少し長生きしていただきたかったです。合掌。



  • もん爺
  • 2013/07/29 11:38 AM
松田さんの影響もあってか大山総裁は台湾に行きましたが、どこの道場で誰に会ったか謎ですね?
  • やいや
  • 2013/07/29 9:44 PM
岸先生が台湾に達人を探しに行ったとどこかで読んだような気がします。
  • kimura
  • 2013/07/30 10:26 AM
>やいやさん

大山総裁が台湾に本当に行ったのかはよく知りませんが、「陳老人」は台湾の人では? という仮説も立ててますw
理由は鶴の形と、独特の立禅です。

>kimuraさん

岸先生が台湾で指導された時に、誰が招聘したのか、というのは非常に興味ありますよね。
時期的にはまだ松田先生と極真の線が切れていない頃ですので、そっちのルートの可能性もありますし、「100万人の空手」の海賊版が発行されていたので、それを読んだ団体から依頼された可能性も捨て切れません。

ただ、本物には逢えなかったんじゃないかとは思いますがw
松田先生の様に中国拳法に傾倒してませんし、廬山初雄先生の様に弊習もしてませんからねぇ。
  • Leo
  • 2013/08/03 8:31 PM
・「廬山初雄先生の様に弊習」という事は、盧山先生の太気・意拳が極真になんらかの弊害を与えたのでしょうか。
・実際、かの極真vs太気拳、その他意拳指導者の稽古・組手を観ても、当然個々の力量によりますが、
やはり実戦では極真系に軍配があると思います。ただ太氣拳(意拳)を極真の猛者達が稽古に取り入れているのは
やはり、下半身の鍛錬にはなるのでしょう。確か佐藤勝昭先生も立禅を稽古されていた記憶があります。
・個人的見解ですが、姚兄弟の組手も変わった動きをしますが、実際「小よく大を制す」には程遠いと思います。
国内外のセミナーで高額なレッスン料を取ってやっておられるみたいですね。
・久保先生の組手も観たことありませんし....岩間先生の組手にも氣は出てないと思いますが。
あえて実際大氣での猛者を挙げるとすればやはり島田先生になるのと思います。
・最初に立禅を極真に導入されたのはやはり盧山先生でしょうか。
・盧山先生が極真を去り、「極真館」を創立された背景には何か松井館長との確執などあったのでしょうか。
・盧山先生率いる現極真館の選手が中国へ行って試合したり、国内で大会を顔面ありルールでやっておりますが、
やはり大きい選手やキック系の選手などにボコられて敗退してますね、中国でも負けてますし。
太氣拳や意拳を極めようと思うと30年ぐらい掛かるのであれば、20才で始めても50才ですよね。
・以前、西野皓三氏(西野流呼吸法)も太氣拳をやっており、一時期、「氣の力で相手に触れず飛ばす」と
いうデモをし、メディアで話題にも成りましたけど、あれは何処に行ったのでしょうか。
あの氣で人を飛ばす妙技?も結局、対戦相手と事前に「氣を合わせる稽古」をやってからでないと
可能にならないのでは?他の「氣をあやつる達人」やらも同様では?

大氣(意)拳を完全否定している訳では有りません。只、内功系を過剰評価しずぎているのではと思います。
内功系にも学ぶ点が多い事は認めております。

・それと全く話は異なりますが、フルコンに限らず元々沖縄唐手にもある、いわゆる「中段内受け」は
形が変わっても、実際使えるかこれも懐疑的です。まあ、空手式の直突きが来ると想定していれば
手首を返すか、引掛けで可能と思いますが....。外受けは充分使えると思います。

以上個人的見解と疑問を列記させて頂きました。どなたかご意見・ご回答頂ければ
幸いです。
  • 目撃者は語る
  • 2013/08/11 8:26 AM
>目撃者は語るさん

1)
済みません、誤字です。 併修と書きたかったんですが、ご指摘があるまで誤字に気付きませんでした。
個々人の最終目標から外れなければ、他流を学ぶ事への弊害は無いと思ってます。
癖が付く、という事はあるかも知れませんけどね。
2)、3)、4)
かつての城南支部の選手でも、腰の安定した選手は太氣拳の効果が出ている様に称されていましたね。
しかし鍛練法と戦闘法は別ですので、根本的な強さの底上げにはなるんでしょうが、戦闘理論がちゃんと伝えられてるのかは…私は知りませんw
個人の強さというのは、何によって得られたのか非常に判断が難しいと思うんです。 その流派の技術以外にも素質や経験といった物が影響されますしねぇ。
5)
最近だと「大山倍達の遺言」に内幕が載ってましたよ。
この件に関しては概ね間違っていない気がします。
6)
結局、廬山先生も著書で書かれていたかと思いますが、何年経っても得られるかどうか分からない、というのが内功の問題ですよね。
測定可能な競技の世界で実際に見せた人がいませんし、懐疑的な見方をされるのは仕方無いと思いますw
西野流呼吸法は「フルコンタクトKARATE」でも糾弾キャンペーンがあって、黒崎健時先生や大山茂先生が全否定してましたっけ。
私が太氣拳の方とお話した際に、西野先生の話題になったんですけど、その方は「西野さんの所に、太氣拳の先生方が家庭訪問したらしいよw」ってな事を言ってました。 で、それ以降は「太氣拳の継承者」みたいな事を言わなくなったとか何とか。 事実かどうかは知りませんけど。
ちなみに飛ばされた空手家はかつて極真の全日本に出場した事のある他流の方で、そのシーンを撮影していたのは極真のメインカメラマンである小林洋氏。 微妙に縁がありますw
7)
ボクシングでも内受けはありますからね。 使えてると思いますよ。
パリィとか、フックのブロックもある意味内受けかと。
本来は、体捌きと併用しないといけないんでしょうね。
  • Leo
  • 2013/08/11 12:07 PM
西野さんの弟子になってた空手の先生は二宮城光選手の猛攻に歯がたちませんでしたね。大変頑張ったとは思いますが。
  • やいや
  • 2013/08/11 10:33 PM
その、他流の先生は、剛柔流の先生ですね。
二宮先生の顔面に思いっきり突きを入れていましたね。その後、冷静に対処して捌いて、圧倒的な強さで勝った試合でしたね。
  • レイジェス
  • 2013/08/12 1:12 AM
>やいやさん&レイジェスさん

流石に皆さんお詳しいw
  • Leo
  • 2013/08/25 1:52 PM
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