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大山倍達マニアック検定

「第1回全日本硬式コンタクト空手道選手権大会」(1981年)

JUGEMテーマ:空手
 

 さて、今回はですねぇ。 1981年5月17日に開催された国際拳行館空手道連盟が主催の第1回全日本硬式コンタクト空手道選手権大会について書いてみようと思います。 …と言ってもそんなに詳しく無いんですけどw
 今大会は大山倍達総裁とも交流のあった、久高正之先生の拳行館によって行われた大会でして。 ご存じの方はご存じ、コンタクト系競技の中ではよく使用されているスーパーセーフを開発されたのがこの久高先生ですね。
 そしてこの大会には極真会館を始めとする極真からの分派も多く出場しており、更には伝統系も参戦、計らずもフルコンタクト、硬式、寸止めの3派が一堂に会するという、レアな大会になりました。

第1回硬式コンタクト空手1.jpg

 あ、ちなみに硬式空手というのは防具空手の事でして、本来は寸止めを軟式と定義付け、当てる空手競技を硬式と定義したので、正確には防具空手のみを指す言葉では無い筈ですが…そもそもこの分類を使用しているのは硬式空手だけですので、多分一般認識としては彼ら、防具空手を硬式空手と呼ぶ事で間違い無いでしょう。
 一応、オープン参加の硬式空手の大会はコレが初なのかな? 硬式による下段蹴りなどを含む「フリースタイル」種目の競技は今大会が初だと書いてますが、オープン参加云々に関しては特に書いてません。



 さておき、大会役員を見ると…結構全日本空手道連盟(全空連)関係者がいたりするんですが、これは元々拳行館も全空連に参加しており、確か久高先生自身も役員を務められていた筈です。
 どうやら全空連も新しい防具による新しい試合形式に興味を持っていた様でして、ノンコンタクトからコンタクトへの移行は出来るならやりたい、という先生方もいらしたみたいですね。 ただ、単純に当てるだけに移行すると、極真の軍門に降ってしまった様に見えるのが嫌だった、という可能性もあると私は見てます。 しかし、例えば今大会に祝辞を寄せている当時全空連の常任理事であり、当ブログでは何度か登場している剛柔会の香川治義先生のコメントが面白いので、ここに引用してみましょうか。

 現行の"寸止め"ルールを評して、欧米では"球のないサッカー競技だ"という。
 確に、いくら優れた技を競い合っても、当てないという致命的な制約は、見るものの側に立てば、ペナルティを恐れた、気の抜けた格闘技として写るのみである。 本当に"当てる"場合と"当てることを仮定"する場合の差はこの種の競技では、絶対といってよいほど大きい。

 (中略)

第1回硬式コンタクト空手3.jpg

 空手の競技会が、その普及度の割りに、一般の観衆が少ないのは、寸止めに伴う勝敗の不明確さにあることは、かなり以前から指摘されてきたが、空手人特有の独りよがりの故か一向に改められる気配はない。
 一方、海外では、欧米を中心に、次第に、止める空手から、当てる空手へと移行"フル・コンタクト""ライト・コンタクト"という専門語も使用され、競技会では、当てることは常識となっている。 と同時に、多年の念願とする、オリンピック参加問題にしてもこの点が、最大の障害となっていることは、いうまでもない。


 ちなみにオリンピック委員会が指摘したという当時のルールの問題点として、こう掲げられています。
・ノンコンタクトルール(寸止め)の判定の不明確さ(ヒューマンエラーが多く、勝敗が審判に左右されやすい)
・安全性の不足(技が当たった場合の安全性)
 その為、安全性を確保した上で、コンタクトルールで行う様指示したそうです。 また、これは別の話ですが、当時は空手界の統一というのも条件になっており、全空連と極真の間でも会談が行われていたりします。

 …っと、ちょっと話が横道にそれてしまいましたが、役員は空手界の長老から当時の全空連の事務局長、著名な柔道家の名前もチラホラ。 そして大会委員には…極真会館石川支部の浜井識安、士道館の添野義二、佐藤塾の佐藤勝昭、大道塾の東孝といった方々も。 まぁ要するに、参戦する組織のトップを皆役員に入れて、公平性を維持しようとしたんじゃないかと、推測しますw ちなみに、審判監査役には山崎照朝先生と添野先生、勝昭先生の名前がw

 さて、ルールの方ですが、主審1名に副審2名。 これは当時の全空連準拠かな? 2分1本勝負で、一本、もしくは技有りで決まります。 そしてその裁定の基準及び反則については以下の通り。

第1回硬式コンタクト空手6.jpg

〈一本勝ち〉
 正しい姿勢で、かつ充実した気魄と適正な間合で威力ある突き、蹴り、打ちが、相手の上段(顔面)、中段(胴部)に、十分コントロールして見事に極め、残心を示した場合「一本」となります。 又、相手が技をしかけてくるその出合を狙って反撃した時(カウンター)や、連続攻撃で相手の体勢を崩した時、投げた瞬間にきめた時の技はやや不充分でも「一本」となります。 「一本」は、ボクシングで例えれば、ノックアウト(K・O)、野球でいえばホームランに相当します。
〈技あり〉
 「一本」にはならないが、それにほとんど近いような技がきまった場合に、主審より「技あり」と宣告されます。 「技あり」は1ポイントとなり、判定にもち込まれた場合は、「技あり」のポイントの有無多少によって、勝負を決定します。
〈反則及び反則注意〉
 ○安全防具以外の部位への直接加撃
 ○股関部や下肢に、しつような直接加撃
 ○無意味につかんだり、組んだり、或いは時間空費の為の行為
 ○無礼な言動、態度


 という様に、ローキックは認められています。 ただし、ローキックによるポイントは取らないというルールですね。 もっと細かいルールが試合規定には載っているんですが、初の大会という事で抜粋されたのが上記の説明になります。
 …と、ここまで書いておいて言うのは何ですが…、実は今回のルールではポイント制を取っており、「現代カラテマガジン」によればこういう形式だったそうです。

 …ルールは、スーパーセーフ安全防具を着用し、防具着用箇所(顔面、胴)への直接加撃によるポイント制で、ポイントは何本とっても一本としないという加点制であった。 このルールによると、相打ちならば双方1点、ワンツーパンチがあたれば2点となる。 そして、1本勝ち(ノックアウト)を認める。 従って、何点ポイントを稼いでいても、ノックアウトされると負けとなる。

 で、ウエイト制で軽量級(68kg未満)88名、中量級(68〜80kg)35名、重量級(80kg以上)8名が参加し、その中には伝統系(寸止め)、硬式、フルコンタクト、テコンドーなどが参戦したという事になります。
 参加団体の内訳はというと、以下の通り(順不同)。

錬武館、至誠会、修武館、拳行館、士道館、拳正会、蹊空会、飛龍会、佐藤塾、天道会、極真会館石川支部、青濤会、東京神統館、玄風会、少林会、拳神館、皇甫ジム、本部流、大道塾、不動会、正気会、士道会、龍武会

 他にも東京芸大がありましたが、こちらは学校の部活でしょうから、団体としては除外。 極真会館は支部単位のみでの参加ですので、区別しましたが、パンフレットのトーナメント表には「浜井道場」と「極真会石川県浜井」の2種類がありまして、こちらは統一。 「士道館」と「士道会」は誤字なのか別団体なのか区別が付かないので、分けてますw

 で、極真からは軽量級に香林貢と翌年の第14回全日本でデビューする奥村和之が、中量級には昨年第12回全日本に初出場で好成績を修めた水口敏夫と、パンフレットには載っていませんが(中量級のゼッケン1に代わって出場)、この年の第13回全日本でデビューする増田章が参戦。

第1回硬式コンタクト空手9.jpg
第14回全日本2位:水口敏夫

第1回硬式コンタクト空手8.jpg
第22回全日本王者:増田章

 で、3ヵ月ほど前に立ち上げたばかりの大道塾のメンバー。
軽量級:岩崎弥太郎
中量級:村上成之、小野浩二
重量級:矢島史郎

 更には重量級に松本保則(士道館)や、原田裕次(佐藤塾)が参戦と、かなり豪華です。

 では、まずは重量級から。 士道館の松本保則は昨年拳行館の国際親善大会で優勝したミシェル・ローレンと対戦するもポイントを取られ敗退。 大道塾の矢島史郎は龍武会の齋藤善行と対戦。 投げ技を多用し、場外へ追い込むもポイントを取られ、注意を受けて敗北。 佐藤塾の原田裕次は錬武館の坪山修一と対戦。 硬式空手の坪山は原田に対してカウンターでポイントを重ね、2-1の僅差で敗れた。 結局この坪山が決勝戦でローレンと対戦し、見事優勝した。
 尚、浜井識安はこの重量級の試合を見て、

第1回硬式コンタクト空手5.jpg

 「原田君にしろ、矢島君にしろ、極真会の大会ではいつも上位に進出する選手だ。 しかしこの大会では1回戦で敗退する。 確かにこの大会は強さをあらわすものではない。 しかし両君とも、軽いとはいえ顔面パンチをもらっている。 これが防具なしだったら、ノックアウトの可能性もある。 我々には顔面の攻防が不足している。 この点を勉強するためわざわざ上京してきたのです」

 と語った。

 中量級は、硬式、フルコン勢が順調に1回戦を勝ち上がり、伝統系は敗退が目立った。 フルコン勢も2回戦以降は慣れて来た様で、中量級Aブロックの決勝には極真石川支部の増田章と水口敏夫が同門同士で争う事となった。 不慣れなルールによる同門対決は僅差のポイントで、水口が増田を下し決勝へとコマを進めた。

第1回硬式コンタクト空手4.jpg

 一方のBブロックは拳行館の吉沢亨とマイケル・コールマンの対戦となり、コールマンが同門対決を制した。
 中量級決勝は、水口がコールマンの突きを避けながら攻撃するも、このルールに慣れたコールマンがポイントを取り、敗北、2位に終わった。

 軽量級は88名が参加し、Aブロックは錬武館の小川修と、宮地健市が争い小川が勝利。
 Bブロックは佐藤塾の大槻徹と大道塾の岩崎弥太郎が硬式空手勢を下し対戦。 パワーもスピードもある両名の対決は、岩崎が勝利した。
 Cブロックは本部流の岡本利治と錬武館の天野景充と対戦。 途中好試合を繰り広げていた不動会の名取新洋を下して来た天野が勝った。

第1回硬式コンタクト空手11.jpg
極真石川支部香林貢と錬武館宮地健市の対戦

 Dブロックは極真石川支部の奥村和之が1回戦で大量リードを奪われながらも、試合終了直前に放った左の上段回し蹴りで至誠会の内田正義をKO、続く2回戦でも大いに気を吐いたが、3回戦で錬武館の杉浦誠二に敗北。 ブロック決勝はこの杉浦と青濤会の渡部雅明との間で行われ、渡部が勝利。
 軽量級準決勝。 岩崎と小川の対戦は、押して行く岩崎を小川がいなす展開となりポイントを取った小川の勝利。 そして天野と渡部の対戦は、どちらも防具に慣れた選手同士の対戦という事で延長までもつれ、天野の判定勝ち。 そして決勝の小川対天野は、同じ錬武館同士の対戦という事もあってかカウンター勝負となり本戦はポイント無しの引き分け。 延長戦で審判より注意が入り、小川がポイントを取って優勝。
 各階級の優勝者が決定すると、次は上位入賞者による無差別級の試合である。 ここで目を惹いたのは軽量級の岩崎で、中量級優勝者のコールマンと対戦し、20cm以上の身長差を物ともせず本戦は引き分け、延長でポイントを取られ敗退した。

第1回硬式コンタクト空手10.jpg

 そして軽量級優勝者の小川が重量級の大倉務や中量級吉沢を下し決勝へ。 決勝では重量級2位のローレンと対戦するも長身のローレンにはカウンターが届かず、ここまで。 優勝はローレン、2位に小川、3位に坪山と吉沢が入った。
 
 …というのが試合結果になります。 いやぁ中量級ブロック決勝まで行った水口、増田の両選手は凄いですね。 流石は未来の名選手、と言ったところでしょうか。 これは大道塾の岩崎選手にも言える事ですけど。
 一方の重量級は参加人数が少なかったのと、このルールにおけるキャリアの差ですかね。パワーよりも上手さが必要とされるルールですので、ちょっと苦しかったかな。
 面白かったのは、この大会をレビューした黒地臼雄氏の分析ですね。 こんな感じでした。

 寸止めルールではポイントとなるのは多くの場合単発である。 これに反し、実戦スタイル
(※フルコンタクト空手の事)ではノックアウト制をとるため、相手が倒れるまで攻撃を止めない。 従って、連続攻撃が主となる。 審判は一連の流れが停滞すればはじめてストップをかける。 今回の場合、ポイント制の比重が高いけれど、加点式であるので連続攻撃は許され、一連の動作中ポイントになるものはすべて同時に加算される。 従って、寸止めルールに慣れた者が単発のパンチを出し、それがうまく入っても、そこで攻撃を止めてしまうのですぐさま打ち返され、それが連続攻撃だと多くのポイントを失ってしまう。 軽いポイントをとり、残心中、強力なハイキックを顔面にうけるとノックアウト負けをする。 寸止め派が今少しふるわなかったのは、この攻撃の単発性も一つの原因である。
(中略)

第1回硬式コンタクト空手12.jpg

 …しかし以上の指摘は、今日見られた一般的傾向をいっているのである。 寸止め派で実戦派・防具派を破ったものは、打ち合いにもちこまずに、すばやい動きで相手の攻撃を空回りさせ、そこをついて成功をおさめていた。
 (中略)
 一方、実戦派は、健闘するも決勝まで残れなかった。 その理由の一つは間合の違いである。 防具をつけない実戦派の試合より、30cm位遠かったのではあるまいか。 実戦派がこの間合を縮めようと近づいていっても相手はすっと逃げて、この距離を保とうとする。 しびれをきらした実戦派が攻撃するも空回りし、そこをカウンターでポイントをとられる。 そして時間切れ判定、ポイント差負けという状態であった。 次に、実戦派の試合では、中段の攻撃に対する防御は重視しない。 ボディへのストレートなど普段から鍛えているので「体で受け」てしまう。
(中略)
…相手前蹴りを出す。 遠距離だから伸び切った状態で威力はないが、ともかく当る。 これを実戦派は体で受ける。 これがポイントになるのである。 浜井氏は、
 「弱い中段の突き、蹴りなど体で受けろと教えている。 これが裏目に出た」
 と苦笑いしていた。 顔面用防具は、ヘッドギアに顔面が透明樹脂で覆われている。 顔の皮膚からこのカバーまでの距離は約5cmくらいである。 この分、防御範囲が広くなる。 ダッキングで見切ったつもりでもカバーに当り、それがポイントになる。 マーシャルアーツ方式の皇甫ジムなどこの点でとまどったようだ。


 この黒地氏の分析は中々興味深いんですが、他にも各流派が抱いた不満点、というのも挙げています。 トップに来るのはやはりローキックですね。 足を蹴られて進行を一時中断した試合もあったそうです。 それでもルール上は先に定めた箇所以外へのポイントを認めないという事ですから、中断後、回復を待って続行としたみたいですね。 まぁ、やられた事の無い人は下段への蹴りって割と舐めてたりしますからねぇ。 ルール制作者にとっては予想外の破壊力だったのかも。
  他にも技が軽いのにポイントにするのはどうか? とか、有効ポイントの判断基準とか。 場合によっては恣意的に認めない、という事もあり得るだろうと筆者は書いてます。
 後は、ポイントがあると見なせば加点する方式なので、赤が3発叩いて、白が1発叩いて、そこで流れが途切れたら、それぞれ「赤3ポイント、白1ポイント」という風に加点されるのですが、ちょこちょこ間違いがあったと。 これによって実際のポイント数と合っておらず、勝敗に影響した例が、少なくとも2件はあったと、報道陣が指摘しています。
 また、今回の大会を開催する際に、全空連から色々あった様で、久高先生はこう答えています。

第1回硬式コンタクト空手7.jpg
右が久高正之

 「実は大会開催について、全空連内部から相当足を引っぱられました。 また、他の防具派からも、出場選手を破門にするなどの圧力があり、そのため、せっかく出来あがったプログラムを3回も刷り直すありさまでした。 これら妨害は理論上のものでなく、もっとどろどろしたものです。 空手はもっと世界に普及していかなければならないのに、日本空手界の了見の狭さが非常に残念です」

 ちなみに佐藤勝昭先生は大会後にこう語っています。
 
 「空手には厳しさが必要だと思います。 このような防具をつけても、その上からさらに強い攻撃を加えれば相手を倒すことも可能です。 より一層の破壊力のある攻撃力を身につけ、また、これに耐えうる防御力も身につけなければなりません。 このようにして厳しさを追求し、もって人間形成をはかるのが私の方針です。 私の方法論をたしかめる意味でこの大会に参加しました」

 そして、これは興味深いんですが、東孝先生の談話。

 「胴の防具は不要だと思います。 これがあるから顔面に攻撃が集中し、むしろ危険となるのではないか。 しかしこのような方式は隆盛してこそその欠点もわかり、顔面防具だけの試合も支持者が増えるのではないでしょうか」

 その後の大道塾の行く末を暗示していますね。 矢島選手も投げを多用したという事でしたので、そのスタイルについても伺えるでしょう。


 という事で…1981年に開催された「第1回全日本硬式コンタクト空手道選手権大会」でした。
 まぁ、私の世代なんぞは多分スーパーセーフを付けてる時点で「大道塾?」と思うくらい浸透してるんですが、元々は硬式空手用の防具です。
 東孝先生は、確か第2回東北大会の時にスーパーセーフを付けた組手をやっていますので、極真の中でも相当早い段階でこの新しい防具に目を付けていました。 よく知られている所では、城西支部や城南支部なんかでも研究していますね。
 ただ、この防具は前述の様に硬式空手用であり、顔面を外傷から守るのが顔面カバーの主旨です。 頭部のスポンジラバーは衝撃を緩和する物ですが、前面のプラスチック部分はそうでは無いので、極真でよく見られる中段突きの様な押し込む打撃を入れると、首が鞭打ちになったり、プラスチックが割れた、という事が多々あった様で、練習用の防具以上の地位は得られませんでした。

第1回硬式コンタクト空手2.jpg

 一方の大道塾は自流の大会でこれを導入し、格闘空手として名を馳せて行く事となります。

 しかし一支部のみの参加とは言え、大山倍達総裁がこれを許した事に驚いた人は多いのでは無いでしょうか。 当時極真ではまぁ…色々ありまして、まぁ西日本での大きな大会の開催が急務だった言われています。 1983年に西日本大会を開催し、ヨーロッパ連盟からのオリンピックに向けた施策という事で、翌84年にウェイト制大会を開くのですが、都内の若手支部長等が大山総裁に、こっちの大会は顔面有りでやりましょうと、提言してるんですよね。 この時期がどれくらいマッチするか分かりませんが、ひょっとしたらここを見据えての黙認なのかなーとか思わないでもなかったりw
 ま、妄想は置いておいて、一番の理由はオリンピック問題と、久高先生との関係じゃないかなぁと思ってます。 空手界の統一というのは、オリンピック参加問題を見据えた上で、懸案事項でしたからね。 そこで互いの中間点に位置し、尚且つ全空連傘下である団体の大会に、全日本未出場の選手を中心に出してみた、というのがありそうな話じゃないかと。
 流名は隠して個人参加で他流の試合に出場する事ありますが、極真名義で出るのは極めて稀です。 この辺りは今も尚、顔面攻撃を見据えた指導を取っていらっしゃると云う浜井先生に出場の経緯を聞いてみたいところですね。
今回はここまで。 それでは、また。



参考文献:
第12回オープントーナメント全日本空手道選手権大会プログラム 国際空手道連盟極真会館 1980年
第1回全日本硬式コンタクト空手道選手権大会プログラム 1981年
現代カラテマガジン 1981年6月号 真樹プロダクション 1981年
第13回オープントーナメント全日本空手道選手権大会プログラム 国際空手道連盟極真会館 1981年
第14回オープントーナメント全日本空手道選手権大会プログラム 国際空手道連盟極真会館 1982年
極真カラテ年鑑第3号 監修・大山倍達 国際空手道連盟極真会館編 講談社 1982年
ゴング格闘技1月号増刊 カラテ名勝負DIGEST100 日本スポーツ出版社 1991年








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コメント
こんな人でも参加できるのか
こんな人でも入賞してしまうのか、

当時は味噌クソ一緒の大会
と思いましたが

今では画期的な大会だったな
と思います。

極真ほどではないですが
硬式空手も分裂細分化されてしまい
残念です。


  • もん爺
  • 2013/09/01 1:03 PM
懐かしいです。。大道塾とここの大会にはよく出場させて頂きました。硬式のこの第一回大会には極真の松井氏も気になったのか、見にきていましたが安心して帰って行きましたね(笑)
久高先生の御宅にお邪魔したこともありました。
  • 天下泰平
  • 2013/09/01 2:04 PM
>もん爺さん

当時はまだ知名度の低い人も出てますが、振り返るとフルコン系は後にその流派を代表する事になる名選手もいました。
色々問題点もあった様ですが、画期的ではありましたよね。

>天下泰平さん

あぁ、こちらの大会にもよく出られてたんですか?
しかし、松井先生も来てたとはw
増田先生を認識したのは、この年の全日本らしいですけど、この時はスーパーセーフだったし、気付かなかったんですかねぇ。
  • Leo
  • 2013/09/04 7:53 PM
>Leoさん

大道塾の大会は宮城県スポーツセンターか代々木第二の固定でしたが、硬式は東京都体育館、日本武道館地下武道場、後楽園ホールなどいろいろなところで試合しました。M氏は様子観た後、「たいしたことねーな」と今でいうところのツイートを・・・(笑)

久高先生の道場に伺って当時の師範の先生方ともお手合わせさせていただいたこともありました。その日はテコンドーのアジア大会候補選手もいましたね。久高先生は「大山先生とはサウナでよくお会いするけれどジェントルマンだよ」とおっしゃってました。
  • 天下泰平
  • 2013/09/05 9:07 AM
>天下泰平さん

「たいしたことねーな」ってw

そう言えば、後楽園のサウナにはずっと大山総裁の個人ロッカーが残ってましたよね。
  • Leo
  • 2013/09/08 11:38 PM
そういえばこの硬式空手の中部大会が、81年頃愛知県体育館で開催された時に皆で見に行きました。
当時はまだ私は茶帯でしたね。

芦原会館から1名黒帯の方が参加してました。

1・2ストレートからローで押しまくっていましたが、中々突きが当たってもポイントを取って貰えませんでしたね。

それでも、2回戦を勝ち抜き3回戦は本戦も押しまくってるのに、ポイント0-0で引き分け、延長はサドンデスルールで、相手の軽いミドルが入って技有りを奪われて負けてしまいました。

連打は残心がないとの事で不十分にしていた様ですが、明らかにフルコン空手には辛くしてました。
  • 仁勇
  • 2013/10/21 3:51 PM
>仁勇さん

まぁ、他流の大会ですからね、判定がキツイのは仕方無いでしょうw

特に昔の伝統系の先生方は、連打とかローキックはあまり認めないですし。

  • Leo
  • 2013/10/26 2:32 PM
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