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大山倍達マニアック検定

【調査】空手チョップ! 空手チョップ!! 前編

JUGEMテーマ:格闘技全般
 

チョップ1.jpg

 「空手打ち」(Karate Chop)
 その名の通り空手で用いられる技術で、手の側面を縦に使って(これを手刀という)相手の頭部を烈しく打つ。 拳を用いて打つのに次ぎ、手刀を用いることは最も効果がある。 相撲の『素首落し』に良く似ている。 実技は遠藤五段と駿河海

(「スポーツニッポン」 2/15/1954)

 手刀打ち――空手チョップとは現在では広く知られた言葉であり、既に日本語として定着しています。 別段格闘技やプロレスに興味が無くとも説明無しでチョップという技がどういうものか何となく分かる人の方が多いのでは無いでしょうか。 ただし、本来の意味では理解されていない人も多いでしょう。
 ところで、「goo辞書」でこの"Chop"を引いてみると…。

 1 [III[名]([副])]…を(おの・なたなどで)たたき切る, ぶった切る((down, off));〈枝などを〉(木などから)切り落とす((off ...)). ⇒CUT[類語]

 大体これで間違いありませんが、付け加えるなら「上からの打ち下ろし」を指す動作として使われています。
 そもそも手刀とは、西洋ではあまり見られない用法で、かの大山倍達総裁も「西洋の闘技では、ほとんどみかけない」と自著に書いています。
 今回は、この「空手チョップ」について発祥から色々と探ってみようと思います。
 それではどうぞ。




***

 相撲からプロレスラーへと転向した力道山が同じく柔道から転向した木村政彦と共にアメリカからプロレスラーを迎え撃ち、1954年2月19日、まだ誕生間もないテレビ放送で手刀打ちを乱打してアメリカ人レスラーを圧倒、「空手打ち」とも称される「空手チョップ」はこの瞬間、日本中を狂喜させた。

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 当の力道山にとっても、こんなに熱狂すると思っていなかったであろうが、アメリカ人レスラーをなぎ倒した技は、やがて力道山の代名詞となっていく。
 例えば当時の街頭テレビをドラマや漫画などで表現するなら、「力道、空手打ち!!」もしくは「力道山、空手チョップの猛攻!!」といった類の言葉が差し込まれるのでは無いだろうか。 「空手チョップ」とは、時代を表わすキーワードとなったのである。

 空手は戦後GHQの武道禁止令を尻目に各地の大学に大きく勢力を伸ばし、力道山の「空手打ち」の後押しを受け、1955年頃には「空手ブーム」が訪れる。
 戦後の勢力拡大を背景に空手は、1953年5月の空手映画「残波岬の決闘」を皮切りに54年以降はメディアでも題材になる事が増えていた。
 例えば本格的な空手映画にと請われ、54年1月には当時空手六段の大山倍達主演で「猛牛と闘う空手」という記録映画が公開、力道山旋風後の55年2月には「銀座令嬢」で主演の月丘夢路が空手の名手を演じたり、「飛燕空手打ち」(55年5月)では表題にまで進出、翌年には高倉健のデビュー作として知られる「電光空手打ち」が上映されたりと、全国的に知名度を挙げた。

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 しかしこの「力道山の空手チョップ」に反発する空手家も少なからず居た様で、当時日本空手協会理事であった睫收議は商工会議所の演武会で会頭が祝辞に立ち、

 『今や力道山の空手チョツプによつて空手の威力は日本の隅々まで遺憾なく発揮された』

 と空手を賞讃したところ、これが心外であるとして、次の挨拶だった睫擇『空手とはそんなものではない』と批判する一幕もあったという。 しかし、一説には1956年頃に50万人を超える空手愛好家がいたというから力道山の功績は否定出来まい。

 ***

 さて、この「空手チョップ」はどの様にして誕生したのだろうか。 日本では1532年に日本史上、最初に成立した柔術だと言われる竹内流に既に手刀があるから、実際に技として誕生したのはそれ以前だろう。
 この柔術の手刀について、石戸観極著「拳法の研究」にはこう書かれている。

 拳法に於ては又盛んに手刀を用ふるが、手刀とは五指を揃えて伸し、その小指側を以て敵の急所を打つので、練熟する時は、恐るべき偉力を発揮することが出來る。 昔の武士が手刀にて、兇器を持てる敵の小手を打つ場面が芝居や講談に有るが、事実手刀の達人に打たれると、手足の骨の如きは打斬られてしまふのである。

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 尚、柔術の当身技は中国より渡来して来た、陳元贇より伝えられたという説があるが、陳が来日したのは1627年であり、竹内流成立より100年近く後の話だ。 現在では陳を柔術の祖とする説は否定されており、権威付けの為に陳を出していたのでは無いかと言われている。

 手刀打ちが確実に西洋に伝播したのは1800年代後半の事だ。 1853年、マシュー・ペリー率いるアメリカ海軍東インド艦隊が日本に訪れ、翌年日米和親条約締結、日本は国際舞台へとその身を晒す。 その結果、幻の国ジパングが広く紹介され、にわかジャパンブームを当時の先進国で巻き起こした。
 一方の日本も明治維新を経て、多くの日本人が遊学の為、移民政策の為と欧州やアメリカに進出する。 ここでは基本的にアメリカでの話を中心とするので、ヨーロッパについては割愛するが、欧州ではイギリスやフランスを中心に、柔術は広く知られる様になる。
 1900年にジョン・オブライエンがアメリカで初めて柔術を公開し、セオドア・ルーズベルト大統領にも指導、現地における知名度を獲得した柔術は、日露戦争で大いに名を挙げた東洋の小国の神秘さと相まってか、各地でプロレスラーと対戦したり、指導を行ったりして公的機関にも浸透する。 この過程で手刀も伝播した。

  一方空手の方はどうか。 船越義珍が1922年に出版した本邦初の空手書「琉球拳法 唐手」には、面白い事に手刀は登場しない。 正確に言えば、船越が紹介している型には手刀の動作があるが、技や部位名称としては出ていない。 思えば首里手の代表的な手と言えば、正拳と貫手、そして一本拳である。

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 型を見ても手刀で受ける場面は多いが、攻撃手としては明らかに少ない。 また、1926年に本部朝基が書いた「沖縄拳法唐手術」にも手刀に関する説明や組手型(受手で手刀は使っている)が特に無い事から、手刀とは本土から導入された用語だったのでは無かろうか。 元々は開手で受けて「掛ける」(掬手、拂手、掛手)動作としての使用が中心で、攻撃手としての手刀は那覇手の源流とされる中国拳法、もしくは柔術に影響されたものかも知れない。

 その空手だが、アメリカに伝播したのは1900年以降だと思われる。 この年、移民政策によって沖縄からハワイに集団移民が行われている。 その後剛柔流創始者、宮城長順が1934年にハワイ移民より招聘され指導や演武を行い、ハワイには空手が伝わったが、当時はまだ準州であり、正式に州となるのは59年だ。
 空手の米本土への本格的な進出は1952年の大山倍達渡米以降となるが、日本で空手を学んだ米軍人やカリフォルニア州には僅かながら指導していたと云う説もある。

***

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 最初に空手チョップをプロレスで使ったのはだれか? という問題に対しては、いろいろの説がある。 一九二〇年代のアメリカのプロレスで名をはせたマティ松田、三宅太郎、樋上鳶雄ら日本人レスラーは柔道出身であり「チョップ」と称する加撃法を使ったことは樋上鳶雄の口からも直接聞いたが、(中略) 第二次世界大戦前にアメリカのリングに登場した沖識名、グレート東郷らも、チョップを使って白人レスラーのパンチと渡り合った。 さらにミスター・モト、トーア・ヤマトらの日系レスラーもチョップを用いた。 しかし、当時空手は今日ほどアメリカでは認識されていなかったし、柔道はポピュラーであり「柔道チョップ」の名称で呼ばれていた。
(「東京スポーツ」8/9/1967)

  日本では「空手チョップ」としてメジャーになった手刀打ちだが、実はアメリカでは現在でも「柔道チョップ」の方がプロレスのリングではポピュラーな名称である。 そして、力道山がその豪腕を振るう以前より、「チョップ」と呼ばれていた。
 そして前述の樋上鳶雄(ラバーメン樋上)によれば1920年代からプロレスのリング上で使われてた。 しかしこの頃の新聞記事を色々探してみたが、「チョップ」という技の名称も使っていた事を証明する記述は見付からなかった。
 では更に時代を遡ってみよう。 アメリカでは最初期の柔術本となるアーヴィン・ハンコックの1904年出版、"Jiu-Jitsu Combat Tricks"には手刀について、この様な記述がある。

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 A little experimenting will show the student a number of positions in which other edge-of-the-hand blows can be struck with a single movement of the arm -- one upward, downward, or sideways.  Never flex the arm whe time can be saved by striking out without bending the arm.

 当時、手刀打ちは"Edge of the hand"と説明されるケースが多かった。 "Edge"とは刃や角を指す。 つまりは手刀の形を指す言葉だ。 ハンコックはどうやら凄まじいスピードで腕を曲げずに上下左右から繰り出される手刀打ちに驚嘆したらしい。 拳を作って叩くボクシングには無かった技術だからだ。

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 この時、チョップという言葉が使われていないのは、単純な打ち下ろし動作のみの技術では無かっただからであろう。 実際、当時出版されていた技術書において、手刀は横からの振り打ちが多かった。
 ところで、1911年の"BOYS' LIFE"誌には手刀を"the edge of the palm of his open hand"(掌の角)と説明した上で、Kitko Shukoなる日本人の柔術教師が指導した手刀打ちを"chop" blows"と書いているが、これも打ち下ろしの手刀を指すのでは無いかと思う。

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既に紹介した通り、手刀で打つという動作は1種類だけでは無い。

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 打ち下ろしの手刀打ちは極真空手では「手刀鎖骨打ち」(図a)として、攻撃箇所を定めた名称になっている。 「手刀鎖骨打ち込み」(図b)は円形を描かず、真っ直ぐに打ち込む技で、「手刀顔面打ち」(図c)は外側から振りコメカミ辺りから首までを狙い、「手刀内打ち」(図d)はプロレスでは「逆水平チョップ」と称されるが、掌を下に向け、内側から振る技だ。 他にも「手刀脾腹打ち」という脇腹(腎臓)を狙う技もある。 基本として指導される攻撃技はこの5つだ。

 この手刀打ちと手刀を使った急所攻撃は当時のアメリカでは斬新な発想だった様で、「致命的打撃」とか「殺人的打撃」といった様な説明が付いているケースが多い。 延髄を打てば気絶させられるし、手首を打てば痺れる。

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 大男を一回転させ、裸絞めで絞め落とす柔術家のイメージもあってだろうが、かなり神秘的に思われていたのは間違い無い。 柔術に関する無数の本が出版され、男性誌には度々紹介され、地方紙ですら柔術のテクニック講座のコラムが登場し、映画でも使われる様になり、アメリカ文化を席捲した柔術―黄過論や日本人排斥運動といった不運にも耐え、実用性を証明したこの技術は、やがて米軍でも採用される事になる。

 第二次世界大戦中となる1943年、米海兵隊では軍隊格闘術の祖、イギリス海軍のウィリアム・フェアバーン大佐より近接戦闘術(フェアバーン・システム)を学んだアンソニー・ドレクセル・ビドル大佐を中心に、柔術など接近戦の教官を務めており、以下の文章にある様に、握った拳で叩くな、手刀で叩け、と指導している。

 The first rules in never to strike with clenched fist.  Hold the hand stiff, fingers straight, and strike with the hard edge of the hand between little finger and wrist.  Use a chopping motion and aim for the enemy's Adam's Apple, side or back of the neck, the base of his spine, his kidney, biceps of forearm.  With a little practice you can break a bone with this blow.

 これは陸軍省で出版した徒手格闘の教本でも同じだった様で、拳で攻撃しているシーンは無く、手技の攻撃の大半は手刀、もしくは掌底であった。 理由はいくつかあるだろうが、硬い頭部を叩ける拳を作るには時間が掛かるし、怪我も多い。 掌や手の側面を使った打撃の方が短時間で兵を育成するのに便利だったのだろう。

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 余談だが、ボクシングの世界ヘビー級チャンピオンとして名高いジャック・デンプシーは1930年頃に柔術を日本人から学び、戦時中は上記の軍隊格闘術を指導し、技術書も出版している。
 戦時中、敵国である日本の武術を自軍に組み込んでいた米軍には素直に感心するが、1944年になるとフィリップ・クライン大尉が柔道の演武を行い、その中で新聞によれば最も興味を惹いた演武があった。 以下がその内容である。

 The most sensational demonstration was the breaking of several heaby boards by the edge of the hand alone, through development of the muscle in the hand and knowing how to strike the board.

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 柔道の演武会で試し割りを行い、手刀で複数の板を割ったという記事だが、現代から見れば空手の演武に見えるだろう。 しかし、柔術にも流派によるが試し割りがあり、前述した竹内流にも、道場内の柱に藁を巻き付けて、当身の鍛練をしたという。 比較的柔術、柔道の住み分けが出来ていたアメリカだったが、どうも戦時下で混ざってしまった感がある。

***

 ここで1つ、オーストラリアが発祥だという ボクシングの反則技、「ラビット・パンチ」を見てみたい。
 元々ボクシングには「チョッピング・ブロー」という打ち下ろしのストレートパンチがあり、現在でも長身の選手が使っている。 「チョッピング・ライト」という、稀代の名ボクサー、トーマス・ハーンズが繰り出していた打ち下ろしの右ストレートがそれである。
 ところでボクシングにおいて、拳以外の箇所での打突は禁止となっている。 アマチュアボクシングを見ると分かるが、アマチュアグローブでは拳の辺りに太い白線がある。 この辺りをナックル・パートと呼び、ここで当てたパンチのみ有効打としてカウントする。 この白線は側面部分にまで及んでいるが、ここでの打撃は禁止だ。
 これは私の不勉強だったのだが、このナックル・パート以外の箇所で打ち下ろすパンチを古くから"chops"もしくは"chop blow"と呼んでいた様である。 ボクシングの特性から鑑みるに、これは所謂鉄槌での打ち下ろしでは無かろうか。

 さておき、オーストラリアではイギリスの紳士が導入したという兎狩りが流行っており、兎を殺す手段として棒で耳の後ろを叩く、という技術があった。 この要領で数名のボクサーが頭を下げたボクサーに対して握った拳の側面―所謂鉄槌―で叩き、朦朧とした所で顎にパンチを叩き込んで倒すというテクニックを生み出した。 以降、アメリカやイギリスにも導入されたのだが、これは反則攻撃であり、「チョッピング」と称する事もあった。 後にアメリカンフットボールでも使われるこのラビット・パンチは、プロレスにも導入される事になる。

 オーストラリアの方では、1907年に開催された柔術選手権(プロレスの興行の一種だと思われる)にてアメリカ・ニューヨーク州で東勝熊から柔術を学んだと自称するProfessor P.W. Stevensonという人物がオーストラリアの柔術王者(イギリスの柔術選手権も兼ねるらしい)を名乗っている。
 このプロフェッサー・スティーブンソンは12月の興行で手刀打ちを繰り出している事から、アメリカで柔術を学んだ後、ラビット・パンチと柔術の手刀を融合させたのであろうか。

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Professor P.W. Stevenson

 ちなみにこのスティーブンソンという人物は、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで開催されたという白人の柔術世界選手権の金メダル王者とも自称しており、その来歴は極めて怪しい。 オーストラリアでもサーカスでデモンストレーションを繰り返し、素人相手に賞金マッチをしていたというから、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンやかなりダーティなテクニックを学んだカーニバル・レスラー上がりの柔術家である可能性もあり、「オール・イン」と呼ばれるボクシングとレスリングが対戦出来る形式の試合に頻繁に登場している。

 少しばかりオーストラリアの柔術史を解説すると、オーストラリアにおける柔術の開拓者はイギリス生まれのセシル・エリオットとされており、エリオットは1891年頃、16歳の時にイギリス水兵として横浜に着任、1904年に柔術の初段を允許され、配置転換に伴いオーストラリアのシドニーに移り、当地で演武会などを開催していた。 そして1906年、エリオットの師で、横浜の寿警察署(現・南警察署)にて柔術師範だったオクラ・ジュンキチとフクシマ(シマ)・リュウゴロウを招聘、柔術の指導に勤しむ。 ここで当地に柔術が根付いたという。

 閑話休題。 前述したプロレスにおけるラビット・パンチは、現在も使用されているのを見掛ける。 「スレッジハンマー」という技だ。 現在は背中に叩き込む事が多いが、当初は後頭部を叩いていたという。

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 このラビット・パンチの発祥がオーストラリアだと言及する記事は1932年の物であり、既にボクシングでは禁止となっている事から考えると、1900年代初頭には開発されたのでは無かろうか。 そして、同時期に西洋に伝播した柔術の手刀とスレッジハンマーが日系レスラーの代名詞である柔道チョップに繋がるのでは無いかと思われる。
 一説には日本人がプロレスにもたらした技は組み技以外に、ヘッドバット、チョップ、クローがあるとされているが、戦後は悪役レスラーによく使われた技だと言うのは面白い。 さておき、広いアメリカにおいても1920年代以降は手刀打ちもかなりアメリカのメディアで紹介されており、知っている人間が多い。 戦前のプロレスにおいて「誰が」最初に使い始めたのか、ここまで探るのは不可能に近いが、個人的には不遷流の柔術家でありプロレスラーとしても活動していた三宅太郎が最初にアメリカマット界で手刀を使ったという説を押したい。

 ※追記:その後、三宅がプロレスで手刀を使ったという記事の情報を頂きました。
1922年の記事となります。 詳細はコチラ


***

 さて、これまで手刀がどれだけ米国内に浸透していたかは説明して来た。 しかしこの手刀が「柔道チョップ」という技名になったのはいつだろうか。

 手元にある資料でプロレスの技名として「柔道チョップ」が登場するのは戦後の事である。 1947年の"ジュードー・ジャック"テリーの記事がそれだ。

チョップ3.jpg

 Terry won the first fall with a judo chop in 10 minutes and the final pin in 6 minutes with a Jap sleeper.

 テリーは"Judo Chop"を使い、"Jap sleeper"を使っている。 ニックネームにある通り、柔道を売りにしたレスラーで、手刀打ちを繰り出し裸絞めを使ったという記事だ。
 当時のプロレスはローカル放送が大半で、現在の様にケーブルでWWEの試合を全米で見られた訳では無い。 チョップ=手刀という共通認識を持つには、何か別の媒体が影響していたのでは無いだろうか。 いくつかの可能性が考えられる。

1) 映画や人気ドラマ、ショーなど全米配信のヒットコンテンツで最初に使用された。
2) 大戦中に米軍で指導された時に使われた手刀を表わすスラング。

 個人的にはこの全てが含まれていると思うが、戦時中に柔道の演武で手刀打ちを披露しているのを見ると(別の柔道の演武会の記事でもやはり手刀打ちを披露していた)、 戦時下に軍で発生したスラングでは無いかと思う。 元々アメリカ英語ではその場で即興的に言葉を繋げて作り出す文化がある。
 つまり誰かが"Judo chop"とその場で付けた名称が米軍で広まったとしても別段不思議では無い。 上の方の教官が命名すれば、それは自然に各部隊へと広まって行くからだ。
 動作の大きな判り易いモーションに判り易い由来、全てを備えた「柔道チョップ」は、戦後のテレビ中継を、専門誌を通じて広まって行く。

 そして1952年2月3日、力道山がハワイの地を踏んだ。


 という事で、念願の空手チョップネタ、ようやく開幕ですw
 今年の7月くらいからですかね、始めようと思って色々調べたの。 途中仕事とか諸々忙しくて纏めて書ける時間が無くってw
 今回も新説珍説?を入れてみました。 今回もtentaQ4氏のサイトが非常に参考になりました。 こういうレトロネタを自分で調査して公表する人って日本だと少ないですからねぇ。
 無論、ラビット・パンチ→スレッジハンマー→柔道チョップという流れはあくまでも私の妄想ですw 定説ではありませんからねー。
 後、当初入れる予定の無かったオーストラリアの柔術史ですが、"The Martial Chronicles: Jiu-Jitsu Conquers Australia"の研究が面白かったので、ついつい入れてしまいました。 もっと日本の研究者も国際的な柔術の伝播について書籍等で発表して欲しい所。 今は海外に行かなくてもある程度調査出来ますしね。 史学と言っても良い分野だと思うんだけどなぁ…。 ついでに日本の開国後に世界へ与えた影響を知る上でも面白いと思うんですが。
 特に明治時代以降に海外に雄飛した日本人として、他の偉人と並べてもおかしくない影響力を残した武道家もいる訳ですしね。
 んで…、この怪しい経歴のプロフェッサー・スティーブンソン、「オール・イン」で当時の黒人ボクサーで強豪として知られる、サム・マクベイと対戦してるんですよね。 結果は負けですが。
 というか、こんな所で東勝熊が出て来るなんて思いもしなかったっすw

 今回の調査をするにあたって、Twitterで色々とお付き合い頂いた各氏にはこの場を借りて御礼申し上げます。 提示して頂いた数々の資料は、話を組み立てる上で大変お世話になりました。
 それからプロレス史家の那嵯涼介氏にも、突発的にネタを振って御迷惑をお掛けしました。 資料を戴いたイギリス方面の手刀打ちは、収集が付かなくなりそうだったので個人的に楽しんだだけで、今回は写真しか使っていませんw

 それでは、後編で終わる予定ですので、引き続きどうぞw
 
【調査】空手チョップ! 空手チョップ!! 後編

2014/03/09追記:1922年に三宅太郎がプロレスのリングで手刀を使ったという記事について、追加いたしました。
 
参考文献:
The Sydney Morning Herald, 2/26, 1908
The Barrier Miner, 1/15, 1/20, 12/24, 1910
Moorhead Daily News, 1/2, 1932
Uniontown Evening Standard, 10/17, 1942
Morning Herald, 1/11,1944
Joplin Globe, 4/18, 1947
Winnipeg Free Press, 1/17, 1952
BOYS' LIFE, Aug, 1911. Boy Scouts of America, 1911
Popular Mechanics, Apr, 1930, Hearst Communication, Inc, 1930
Popular Mechanics, Feb, 1943, Hearst Communication, Inc, 1943
H. Irving Hancock, JIU-JITSU COMBAT TRICKS, G.P.Putnam's Sons, 1904
William BANKIER, Ju-Jitsu What it Really is, "Apollo's" Magazine, 1905
H. Irving Hancock and Katsukuma Higashi, The Complete Kano Jiu-Jitsu(Judo), DOVER PUBLICATIONS, INC.,  2005 (originally 1905)
FM 21-150, UNARMED DEFENSE FOR THE AMERICAN SOLDIER, War Department, United States Government Printing office, 1942
スポーツニッポン 2/15, 2/20, 1954年
東京スポーツ 8/9, 1967年
月刊丸 1955年4月号 光人社 1955年 
週刊サンケイ 1955年7/31号 産業経済新聞社 1955年
ベースボールマガジン プロレス 1956年2月号 ベースボールマガジン社 1956年
ベースボールマガジン プロレス 1956年3月号 ベースボールマガジン社 1956年
ベースボールマガジン プロレス 1956年4月号 ベースボールマガジン社 1956年
ベースボールマガジン プロレス 1956年6月号 ベースボールマガジン社 1956年
ベースボールマガジン プロレス 1956年増刊号 ベースボールマガジン社 1956年
現代読本 1956年7月号 日本文芸社 1956年
月刊ファイト 1956年10月号 新燈社 1956年
プロレス&ボクシング 1957年1月号 ベースボール・マガジン社 1956年
ゴング10月号別冊付録 世界選手権争奪 プロ・レスリング特集号パンフレット 日本スポーツ出版社 1976年
Sports Graphic Number 70号 文藝春秋 1983年
月刊空手道 2001年1月号 福昌堂 2000年
天神真楊流柔術極意教授図解 吉田千春, 磯又右衛門共著 井口松之助 1893年
練功秘法 唐手道の真髄 蔡長庚著 内外タイムス社 1966年
100万人の空手 大山倍達著 東都書房 1969年
プロレス・ニッポン世界をゆく 田鶴浜弘著 恒文社 1971年
秘伝 極真空手 大山倍達著 日貿出版 1976年
プロレス30年 初めて言います 遠藤幸吉著 文化創作出版 1982年
力道山 空手チョップ世界を行く 力道山著 恒文社 1983年
これが試し割りだ 入門編 大山倍達著 日貿出版 1984年
拳道伝説 拳聖・中村日出夫の足跡 山平重樹・竹峰且秀共著 福昌堂 1990年
空手道大観(復刻版) 仲宗根源和編著 緑林堂書店 1991年(初版1938年)
極真カラテ 21世紀への道 大山倍達著 徳間書店 1992年
本部朝基と山田辰雄研究 小沼保編著 壮神社 1994年
激録 力道山 第1巻 原康史著 東京スポーツ新聞社 1994年
琉球拳法 唐手 復刻版 富名腰義珍著 榕樹社 1994年(初版1922年)
月刊空手道別冊 空手道創世伝説 福昌堂 1996年
別冊宝島243 プロレスを変えた野郎ども 宝島社 1996年
yawara 知られざる日本柔術の世界 山田實著 BABジャパン 1997年
講談社漫画文庫 空手バカ一代 第4巻 原作:梶原一騎 画:つのだじろう 講談社 1999年
講談社漫画文庫 空手バカ一代 第5巻 原作:梶原一騎 画:つのだじろう 講談社 1999年
写真集・門外不出! 力道山 流智美・佐々木徹編著 集英社 2001年
海を渡った柔術と柔道 坂上康博編著 青弓社 2010年

参考リンク:
「チョップ」という技の起源・歴史研究 (11/03/2013)
goo辞書"chop" (11/03/2013)
1910、1926 柔術におけるチョップ技 (11/04/2013)
1790-1919 ボクシングにおけるチョップ打ち (11/04/2013)
Australia Trove (11/09/2013)
The Martial Chronicles: Jiu-Jitsu Conquers Australia (11/09/2013)
The Martial Chronicles: All-In Down Under With Sam McVea (11/09/2013)
1922.3.22 三宅太郎 対 T・タイ (03/09/2014)

関連リンク:
日本一の空手チョップ 大山倍達七段 (1955年)
大山倍達主演記録映画「猛牛と闘う空手」
海を渡った柔術士、東勝熊 前編(1904年)
海を渡った柔術士、東勝熊 後編(1905年)
米軍が見た空手(1948年〜1958年)

 






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