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大山倍達マニアック検定

【調査】空手チョップ! 空手チョップ!! 後編

JUGEMテーマ:格闘技全般 
 私の相撲の得意は上突っ張り、上手投げ、上突っ張りというよりむしろ張手を切り札にしていた。 千代の山を一発で土俵上に張り倒したこともある。 現在の空手チョップは上突っ張りと張手からヒントを得て、私が自分で考え出したものだ。
 もっとも私は力士時代から空手に興味をもっていたし、ボクシングをはじめあらゆるスポーツにも関心をもっていた。

(「力道山 空手チョップ世界を行く」)

チョップ14.jpg

 という事で…今回は空手チョップの続きですね。 前回は手刀打ちが柔道チョップになるまで、をウダウダと書いてみましたが、今回はそのチョップが日本に入って来るお話と、空手チョップにまつわるエトセトラ、これを書いてみましょう。
 それではどうぞ。

【調査】空手チョップ! 空手チョップ!! 前編


***

 前述した様に、力道山は常に自分が空手チョップを編み出したと豪語していた。 しかしチョップ自体は渡米前より既にアメリカの日系レスラーを中心に使われており、そう言った意味ではオリジナルとは言い難い。
 力道山が空手チョップの元とした突っ張りも張手も、一般的な手刀の動きとは異なるが、開手で叩いている動作だけ見れば、外国人には区別も付かない。 原康史の「激録 力道山」によれば、空手チョップとは何となく誕生した名前だった様だ。

 プロレス談義に花が咲き、デービスは「あのチョップには参った。 いままであんなパンチはくったことがない」と力道山の"張り手"を絶賛し「あれはカラテ(空手)の技か」と聞いた。
 「ノー相撲の技だ」と力道山は答えたが、カラシックは「あれは神秘的な技だ。 これからカラテチョップを売り物にした方がいい…」と言い、沖識名は「リキ、わかったか」と酔いが回って赤くなった顔でしきりに「カラテチョップ、カラテチョップ」と呟いていた。 この夜(3月10日)"カラテチョップ"の名称が何となく誕生してしまった。


チョップ19.jpg

 原がこの日付を何で得たのかは不明だが、詳細はともかく、力道山が語っていた話と較べても大意は間違っていない。 空手チョップとはハワイのプロモーター、アル・カラシックが名付けたのだ。 デービスとはキラー・カール・デービスの事で、その後力道山とタッグを組んでいる。 この頃のハワイには既に空手が知られていたのは力道山にとって、実に幸運だった。 これが米本土の話であれば柔道チョップとなってしまい、あれほどの輝きを放たなかったかも知れない。
 力道山は上から打ち下ろすチョップを、恐らくは沖識名に学んだと思われるが、沖はこう回想する。

 …カラテチョップなんかも、最初は相撲の張り手だったが、毎日ジムでサンドバッグやメディスンボール(砂を詰めたボール)を叩いてね、いろんな打ち方を考えて練習していた。 試合をやるたびにチョップのタイミングのとりかたがうまくなり、相手に与えるダメージも大きくなった。 あれはワシが教えたんじゃなく、リキさんのオリジナルだ――。

 実はこの時期、米本土では新しい「チョップ」が既に日系人の手で導入されていた。 テキサス州ダラスに遠征していた日系二世のプロレスラー、デューク・ケオムカはハワイで空手を学んだ経験から、上から振り下ろすだけのチョップに対して新たな技を提示した。 水平打ち(現在は逆水平チョップと呼ぶ)である。

チョップ16.jpg
デューク・ケオムカ

 ケオムカはこの新必殺技をテキサスで披露し、売りにしていた。 52年1月にはKRLD-TVのアナウンサー、チャールズ・ボーランドがテレビのインタビューでこの喉を叩く水平打ちに対して、本当に効くのかと疑義を申し立てた所、「試して見るか?」とボーランドを叩いてKOし、地元警官に逮捕され、100ドルの罰金を支払っている。 この時の記事にはこうあった。 "a chop blow across the throat" 極真空手でいう、手刀内打ちである。

チョップ10.jpg

 このケオムカがハワイに戻って水平打ちを披露したのは、5月7日の事だ。 この日、力道山自分の試合を終え、ケオムカの試合を見ていたという。 新たなチョップを知った力道山は、ケオムカにも指導を頼めず、1人サンドバッグを叩いて習得に努めた。

***

 1952年6月10日、力道山は米本土へと転戦する事になった。 以降、プロレスを学び、ビジネスを学び、自己アピールを学んだ力道山は翌年の3月6日に凱旋帰国を果たす。
 作家の村上早人によれば、1954年頃にサンフランシスコで力道山と出会い、空手チョップの練習に付き合ったという。 年表と重ねるなら、53年12月にシャープ兄弟を日本へ招聘する為の渡米の頃か。 力道山は毎日椰子の木に空手チョップを1万回叩き込み、技に磨きを掛けた。

チョップ27.jpg

 こうしたトレーニングの成果が見事に結実したのがプロレスブームだったのだ。

 実は、戦時中の話だが、力道山が空手を学びたいと言って来たという話がある。 松濤館で空手を学んだ事もある作家の戸川幸夫はこの日、 東京芝の桜川小学校で空手を披露したところ、十両時代の若い力士、つまりは力道山が空手を習いたいと戸川の元にやって来た。 後日再会する約束をしたそうだが、結局力道山は現れなかったという。
 
 これは力道山に「指導しなかった」、という話だが、世の中には力道山に空手チョップを教えた、とする人物が少なからず存在する。
 一番有名なのは極真会館創始者、大山倍達であろう。 例えば大山は自著「極真カラテ 21世紀への道」で、この様に語っている。

 …力道山の得意技として使っていた手刀による「水平打ち」や「垂直打ち」は彼独特のものであり、専門的に見ていわゆる「空手」とはまったく異質なものである。 その意味で、力道山に空手を教えたのは、「この私だ」と言うつもりは毛頭ない。

 大山はハワイで指導したとされているが、この辺りは不明である。 私個人としては可能性があるとするなら、1953年、力道山が帰国前にハワイに滞在した2月〜3月だと思う。 この頃の大山はアメリカに再渡米していた可能性があるからだ。

チョップ28.jpg

 この件についてはまたいずれ書くだろうが、大山倍達空手チョップ指導説で興味深いのは、この説を最も広めたであろう劇画「空手バカ一代」においても、既に力道山が空手チョップを使用している事だ。 前述した大山の発言にも「本格的な空手のトレーニング法」を教えてくれ、と自己流の空手チョップを使っていた力道山が何を求めたかが窺い知れる。 この話が事実だとすれば、その道の専門家に色々と聞きたかったのだろう。
 
 これまで何度も書いて来た通り、チョップの発祥はアメリカ―少なくとも英語圏である。 しかし、力道山に空手チョップを教えたと称する人物は、往々にして自分が「空手チョップ」と名付けたと主張する。
 次に挙げる空手家たちを見てみたい。

 1人目は「幻の空手家」として突如メディアに登場した拳道会創始者、中村日出夫だ。
 この中村指導説は評伝「拳道伝説 拳聖 中村日出夫の足跡」にて初めて披露された。
 中村と力道山が出会ったのは、力道山が相撲を廃業した頃だという。 そして進駐軍の慰問に来ていたというプロレスを見た中村が、力道山にプロレスを勧めたそうだ。
 それから数年後にプロレスラーになったというから、1951年の在日トリイ・オアシス・シュライナースクラブの慰問プロレスを指すのだろうが、この興行は力道山も見ているし、出場すらしている。 中村に言われるまでも無く、だ。
そして空手チョップについて、現在では絶版になった本書にはこう書かれている。

 その空手チョップについての一つのエピソードがある。
 プロレスラーとしての一歩を踏み出したばかりのある日、力道山が山梨に訪ねてきた。
 「先生、私の得意技である手刀にひとつ名前をつけてくれませんか?」
 ぜひ生みの親に名前をつけて欲しいと言うのであった。 事実中村は、プロレス修行に入った力道山に数ヵ月間にわたり空手の手ほどきをしている。 初めて会った数日後、竹中社長のはなれの一室で二人の練習姿が見られた。

(中略)
 そうしてできあがった自らの技に名前をつけてくれというのである。
 「たしかに、君の言うようにただの手刀じゃ素人受けする名前じゃないですね。 ましてプロレスはこれからどんどん国際化していくでしょうし、あっちの人たちにも受けるものじゃないといけない」
 「そこなんですよ、先生。 何か良い名前をひとつお願いします」
 しばらく考え込んだ後、中村は、
 「空手チョップじゃどうですか?」
 チョップ――"切る"という意味である。
 「手刀より良いでしょう」
 瞬間、力道山の顔がぱっと明るくなった。 なんとも無邪気な顔である。
 「先生、それは良いですよ。 良い名前です」
 空手チョップ、空手チョップと力道山はなん度も口の中で繰り返した。


 尚、この中村の評伝には実際に力道山に指導している写真が載っていた為、中村こそが空手チョップ生みの親だと、一気にこの新説が流布した。 有名なライターでも得意気に「力道山に空手を教えたのは中村日出夫なんですよ」と語ったものである。

チョップ17.jpg
「拳道伝説」

 この説に最初に異を唱えたのは、10年近く前まで自身が所有する資料を基に色々なよもやま話をコラムにして公開していたサイト「Karate Kosho」である。
 サイト管理者は、空手チョップ指導写真の来歴や版元の福昌堂に問い合わせた様子などを公開し、結論から言えば、写真は後述する人物の物であり、中村本人では無いとし、本書は絶版となったそうだ。

 さておき、チョップを英語を第一言語としない国の人間が名付けるとは考え難い。 事実、戦前は"Edeg of the hand"と書くケースが多かったし、その動作の一部を"Chop"としていた。 そして戦後、多くの空手書が海外で出版されたが、大半は"Knife hand strike"と、直訳に近い訳になっている。

 余談ではあるが…、大山倍達の英文技術書では廻し蹴りの事を"roundhouse kick"とあるが、これはアメリカ人であるリチャード・ゲイジが翻訳した物だ。 大抵の日本人はラウンドハウス・キックと呼ばれても語源は分からないが、アメリカ人には理解し易かった様で、主流の呼び名となっている。 ちなみに"Roundhouse"とは、かつて機関車を格納するのに使っていた扇形庫の事で、扇状に広がる蹴りという意味で名付けたのだと思われる。 逆に日本人がこの蹴りを訳せばどうなるか、恐らくは扇蹴りと、よく分からない蹴りになるだろう。
 一方アジア人が名付けた廻し蹴りは"Turning kick"と呼ぶ。 読んで字の如く、回しながら蹴るという意味だ。 現在でもジークンドーやテコンドーではこの呼び名を使っているケースが見受けられるが、一見して直訳した名称だと知れる。
 掲げたのは一例だが、英語を外国語とする人間は、基本直訳するのだ。 意訳とはその国の言葉に精通していなければ出来る物では無いという事だ。 そして空手家であれば空手家であるほど、本来の意味の"Chop"だけで手刀が語れるとは思わないだろう。 打ち下ろしの手刀など用法で言えば一部分でしか無いからだ。
 中村が力道山を指導したのが事実だとしても、アドバイスを受けた程度であり、中村が技名の生みの親、とは言い難いのでは無かろうか。

 そして、もう1人、力道山に空手チョップを指導したという人物がいる。 当時内外タイムスの社長で、空手家としても知られていた台湾出身の蔡長庚である。 前述した中村日出夫が力道山に指導したとされる写真の主は、この蔡であり1966年に出版された自著「練功秘法 唐手道の真髄」に同写真が掲載されている。

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「練功秘法 唐手道の真髄」

 力道山に空手を指導したのは1954年頃の様で、力道山の野球チームの試合がありそれを主催していたのが内外タイムス社で、対戦チームの灰田勝彦(芸能人)を通じて蔡に空手の指導を頼んだのだという。
後日、力道山の道場に行ったという事と、自身の野球チームを持っていた事を考えると、2月の日本プロレス旗揚げ以降の話だろう、蔡は力道山に空手(蔡は唐手と書く)の手刀を中心に2時間ほど指導した。 以下、中村の評伝のエピソードにも似ているが空手チョップと命名する下りを引用する。

 翌日同時刻に、私は力道山の道場に行った。 力道山が「先生この手刀打ちのことを何かよい呼び名をつけて下さい」というので、私は暫く考えてから「力さん、空手チョップという名前でいこうか」と言ったら、力道山も大いに喜んで「"空手チョップ""空手チョップ"これは素晴しい名だ」と感激していた。

 これは時期的に考えられない話である。 チョップという名称を思い付くかどうかというのは先に否定したが、全くあり得ない話では無い。 だが、日本プロレス旗揚げ興行以前に既に「空手チョップ」と名付けられていたのだから、蔡が出る幕は無い。
 前回冒頭に引用した「空手チョップ」の記事は日本プロレスの旗揚げ直前―つまり、蔡が指導する前の記事だし、この興行のパンフレットにあるプロレス技の説明にも同じ写真が使われ、"Karate chop"とある。 蔡が名付けたとされる時期以前の話だ。 よって、蔡が指導したというのは、アドバイス程度の事だったと思われるが、力道山没後、話を膨らませたのでは無いか。

 他にも合気道の手刀を学んだという写真があるが、これも髪型や体型から見るに日本にプロレスを持ち込んだ後だろう。
 個人的には誰が力道山に手刀の使い方を指導しても構わないし、前述した3人の空手家が皆指導した経験があっても良いと思う。 しかし、我こそは…と「空手チョップ」の命名にまで口を出すのは如何な物か。

 そして一時期、力道山のパートナーとして活躍していた遠藤幸吉も力道山にアドバイスしたと主張している。 ただ、こちらはプロレス的な使い方をアドバイスしたとある。 以下、遠藤の主張を引用する。

 せっかくの手刀チョップも、相手がそれを使わせてくれなければプロレスにならない。
 「どうしたら音が出るだろう?」
 力道山が私に相談してきた。
 「リキさん、昔の柔術チョップは、肩胛骨のところを狙ったもんだよ。 そのへんを狙ってみたら?」
 私のアドバイスは効を奏した。
 水平打ちの掌をやや丸めて胸板を打つと、バッシーンといういい音がした。
 「遠チャン、これだこれだ! これならプロモーターも喜んでくれるぜ」
 プロモーターも、今までよりも危険がないと喜んでくれた。


チョップ11.jpg
遠藤幸吉のチョップ

 遠藤がこんなアドバイスをいつ出来たのか、プロモーターが喜んでくれたというのだからプロレス修業中の52年の話なのだろうが、渡米時の記録を見るに接点がありそうなのは52年4月のハワイで数時間、そして7月のカリフォルニア州における2週間ほどの期間だが、少々無理がありそうだ。
 面白いのは、遠藤が語る力道山の空手チョップの来歴だ。 遠藤によれば、力道山の相撲時代の得意技では決め技に欠けると思い悩んだそうだ。 そこで思い付いたのが、相撲で懸賞金を貰う際に行う手刀(てがたな)だった。 遠藤によれば稽古の手慰みにこの手刀を練習するのだという。 これは感謝の儀礼なので、攻撃技とは一切関係無い珍説に該当するが、柔道出身の遠藤は「柔道チョップ」という言葉に忌避感があるのか、「柔術チョップ」と呼んでいるのも興味深い。 そして最初に力道山が命名したのは「手刀(てがたな)チョップ」だとしている。
 当初「テガタナ・チョップ」と呼んでいたが、周りが「カラテ・チョップ」と呼ぶので、やがて訂正しなくなって定着したそうだ。
 無論、検証するまでも無かろう。

***

 ここまで力道山の「空手チョップ」について書いて来たが、最後に力道山に再戦する為、1955年頃、木村政彦が編み出したという「猫手チョップ」について触れようと思う。 当時の一部媒体では「柔道チョップ」とも書かれているが、執筆者はアメリカに柔道チョップがある事を知らなかったのであろう。

チョップ15.jpg
木村政彦

 それでは、木村のチョップはどの様な物であったか、3種類の解説を見てみよう。

1)
 木村の言葉によると"猫手"という空手の手なのだそうだ。 丁度"招き猫"の手と同じ恰好。 握りこぶしの掌(てのひら側)で叩く。

2)
 …力道山の「空手チヨツプ」は手を開いたまま側面で打つのに対して、木村は猫の手のように指先を曲げて、先ず親指の側面で打ち、さらに其の返えす手で小指の側面で加撃するその爆発力は力道山の空手チヨツプに劣らないものといわれている。

3)
 これは指の先を曲げて猫の手のようなかっこうで、まず親指側の左側面で相手のケイ動脈に一撃し、返す刀……ぢゃない、手で、ボクシングでは禁じられているバックハンド・ブローを加えるもの。

  所謂手刀打ちとは異なるが、チョップの意味からすれば間違いは無い。 猫手というよりも空手で言う熊手では無かろうか。
 ちなみにこの猫手チョップ、大山倍達より学んだと木村が吹聴していた様で、"牛殺し大山七段"より学んだという話が、例えばこの様な感じで出ている。

 "牛殺し"といわれる空手の大山七段から伝授をして貰った手とか。 この言葉は空手道では用いられていないので大山氏の独創かも知れない。

 しかし大山が認識している猫手とは、違った物であり、劇画「空手バカ一代」でも同じ認識である。

チョップ29.jpg

 大山 (中略)
 しかし、力道山の空手チヨツプは指を揃えて伸ばしているでしよう。 実際は掌を少しつぼめた方が強力なんです。
 (中略)
 木村政彦の「猫手打ち」というのはおそらくこれじやないかと思います。

 1956年の大山のインタビューにある言葉だ。 自分とは無関係の様に語っている。
 邪推するならば、牛の角を折り、当時力道山に勝てる唯一の相手、との噂があり、木村が力道山との試合後に「殴り合いなら私の後輩で大山という空手七段がいる。 彼は対戦を希望している」と、仇討ちを託したほどの実力者である。 そんな大山倍達の名を出す事で、自身の猫手チョップに箔を付けたかったのでは無かろうか。

 実際に猫手チョップを最初に披露したのは、恐らく1955年12月3日に開催された大阪での興行、「木村七段再起試合」と銘打った大会である。 相手は「ネブラスカの野牛」を称するゴージャス・マックである。 この日木村はマックを相手にチョップを決め、体固めでフォール勝ち、翌月3日の試合でも「空手チョップ」の猛攻でマックを倒す等、多用している。 尤も、専門誌では

 …力道にやられた恨みの空手チョップをマックに食らわしてうさを晴らしたわけでもあるまいが、これでケリとは力道の空手打ちを批判した木村さん、ちとまずかったですねえ。

 と皮肉られている。
 余談であるが、このゴージャス・マック、木村と対戦して間もない1月16日に帝国ホテルで宝石強盗を働き、逮捕されている。 オマケにプロレスラーでは無く、元軍属でただの不良外人であったという事まで暴露された。

 ***

 チョップは、現在のプロレスでも多く見掛ける事が出来る。 継承者はジャイアント馬場を始め、旧全日本プロレス系の選手にその使い手が多いが、力道山が逆輸入した手刀打ちは、完全に日本に定着した。
 その一方でその名を使われた空手の手刀打ちは、各派で導入されているルールに合わない為か、競技シーンではあまり見る事が無く、少なくとも競技という実戦の場ではあまり見なくなってしまった。

 今後、手刀打ちが現代の格闘競技シーンに甦る事はあるのだろうか?



 という事で終わりました。 最後の最後でメッチャ悩んだ挙げ句、こんな一言で締めましたw
 いや、別に面白そうだから調べただけで、何か深い意図があった訳じゃないんで、ラストに困った訳です。

 そもそもこの調査の切っ掛けというのは、「ワシが空手チョップを教えた」という人の中に、「ワシが空手チョップと名付けた」みたいな話があったからです。 それに対して、いや力道山が渡米する前からプロレスにチョップがあったよ、というのから遡って…w 結局手を付けてから4ヵ月くらい掛かっちゃいましたね。 いやまぁ、仕事があって手を付けられない週末が何度かあったのも原因なんですが。
 私は何度か書いてますが、空手の中でも転掌系の掛け技が好きでして、手刀掛けから手刀顔面打ちとか、あぁいう手の動きが好きです。 なので、接近戦での手刀脾腹打ちをフルコンの試合で是非見たいなぁと思ってますw

チョップ24.jpg

 前に広島の選手だったかな、鉄槌を試合で出して、鎖骨を狙ったら顔面に当たって反則を取られた、というのがありましたが、何かそういうのが発展したら面白い、と少々無責任に言ってみる。

 それにしても、今回は参考文献の量が凄い事にw 目を通しただけの新聞資料とか、結局使わなかったのを含めると、この何倍かは行く筈。
 んで、本文中にも書きましたが、別に誰々が力道山に空手チョップを教えたとか教えてないだとか、んなこたぁ、どうでもいいんです。 名付け親を自称するのはどうかって話でね。
 まぁ、蔡長庚先生みたいに写真が残ってて、1日ちょっと指導しただけで目一杯自慢するのはアリでしょうけど、写真を剽窃した中村日出夫先生、これはいかんでしょ。 しかも一緒に慰問プロレスを見に行こうと誘うならともかく、経緯なんて、ちょっと検証すれば誰でも分かると思うんだけどなぁ…。
 そして某著名ライターさんもそうですが、何故Bが教えたという新証言が出て来たからAが教えたというのはウソだっていう事になるのかなぁ。 AもBも教えた、じゃ気にくわないのだろうかw ちょっと世の中ね、デジタル思考が多すぎるんじゃなかろうか。 今回は状況証拠から否定しましたけど、教えた事自体は別に否定するつもりはありませんw ただ、「拳道伝説」に載った内容に対して否定しているだけでw
 その中で、むしろ微妙にリアリティがあるのが大山倍達総裁の話w 「既に空手チョップを使っていた」というのが肝ですね。
 実は、大山倍達の足取りの中で一番不明なのは、1953〜56年なんです。 第1回アメリカ遠征は出立と帰国に関して確定していますが、2度目の遠征は実際に行ったのか、行ったとしてそれは53年なのか54年なのかもちょっと不明。 しかし本文中に書いた通り、53年の2〜3月頃にハワイに行っていれば、実は力道山と合流出来るというw

 あ、もうちょっとチョップネタ。 実は今回採用しなかったネタに、大山総裁の師である椎柱先生による、木村政彦が力道山に空手チョップを教えた、という説がありますw
 他に本文中否定しましたが、梶原一騎先生は大山総裁以外にも自分が知っているネタを「空手バカ一代」に盛り込んでいる様で、猫手チョップの話も知ってたんじゃ無いかなぁ。 それで猫手打ちのエピソードを入れたんじゃ無いかと思ってます。

 前編でも書きましたが、今回はTwitterでのちょっとしたつぶやきから、専門知識を持った方々を引き寄せてしまい、非常に勉強になりました。 こういう知識が集結するのって中々無いですからね、機会があったらまた皆さんを巻き込みたいですねw

 そう言えばプロレスラーのユセフ・トルコ氏が亡くなられたそうです。 極真側からすれば妙に大山総裁に噛み付く変なおっさんで、アントニオ猪木憎さのあまり、自著にウソを書いたりと(後に自分で暴露)、歴史の生き証人でありながら、その発言に信が置けないという、全く困った人でしたね。 自分を正義の側に置こうとするタイプの人特有というかw
 しかしそれでも語れる人がいなくなるというのは、実に寂しいものです。 合掌。

 それでは、また。

追記:デューク・ケオムカを「ケムオカ」と書いていましたので、修正致しました。

参考文献:
The Sydney Morning Herald, 2/26, 1908
The Barrier Miner, 1/15, 1/20, 12/24, 1910
Moorhead Daily News, 1/2, 1932
Uniontown Evening Standard, 10/17, 1942
Morning Herald, 1/11,1944
Joplin Globe, 4/18, 1947
Winnipeg Free Press, 1/17, 1952
BOYS' LIFE, Aug, 1911. Boy Scouts of America, 1911
Popular Mechanics, Apr, 1930, Hearst Communication, Inc, 1930
Popular Mechanics, Feb, 1943, Hearst Communication, Inc, 1943
H. Irving Hancock, JIU-JITSU COMBAT TRICKS, G.P.Putnam's Sons, 1904
William BANKIER, Ju-Jitsu What it Really is, "Apollo's" Magazine, 1905
H. Irving Hancock and Katsukuma Higashi, The Complete Kano Jiu-Jitsu(Judo), DOVER PUBLICATIONS, INC.,  2005 (originally 1905)
FM 21-150, UNARMED DEFENSE FOR THE AMERICAN SOLDIER, War Department, United States Government Printing office, 1942
スポーツニッポン 2/15, 2/20, 1954年
東京スポーツ 8/9, 1967年
月刊丸 1955年4月号 光人社 1955年 
週刊サンケイ 1955年7/31号 産業経済新聞社 1955年
ベースボールマガジン プロレス 1956年2月号 ベースボールマガジン社 1956年
ベースボールマガジン プロレス 1956年3月号 ベースボールマガジン社 1956年
ベースボールマガジン プロレス 1956年4月号 ベースボールマガジン社 1956年
ベースボールマガジン プロレス 1956年6月号 ベースボールマガジン社 1956年
ベースボールマガジン プロレス 1956年増刊号 ベースボールマガジン社 1956年
現代読本 1956年7月号 日本文芸社 1956年
月刊ファイト 1956年10月号 新燈社 1956年
プロレス&ボクシング 1957年1月号 ベースボール・マガジン社 1956年
ゴング10月号別冊付録 世界選手権争奪 プロ・レスリング特集号パンフレット 日本スポーツ出版社 1976年
Sports Graphic Number 70号 文藝春秋 1983年
月刊空手道 2001年1月号 福昌堂 2000年
天神真楊流柔術極意教授図解 吉田千春, 磯又右衛門共著 井口松之助 1893年
練功秘法 唐手道の真髄 蔡長庚著 内外タイムス社 1966年
100万人の空手 大山倍達著 東都書房 1969年
プロレス・ニッポン世界をゆく 田鶴浜弘著 恒文社 1971年
秘伝 極真空手 大山倍達著 日貿出版 1976年
プロレス30年 初めて言います 遠藤幸吉著 文化創作出版 1982年
力道山 空手チョップ世界を行く 力道山著 恒文社 1983年
これが試し割りだ 入門編 大山倍達著 日貿出版 1984年
拳道伝説 拳聖・中村日出夫の足跡 山平重樹・竹峰且秀共著 福昌堂 1990年
空手道大観(復刻版) 仲宗根源和編著 緑林堂書店 1991年(初版1938年)
極真カラテ 21世紀への道 大山倍達著 徳間書店 1992年
本部朝基と山田辰雄研究 小沼保編著 壮神社 1994年
激録 力道山 第1巻 原康史著 東京スポーツ新聞社 1994年
琉球拳法 唐手 復刻版 富名腰義珍著 榕樹社 1994年(初版1922年)
月刊空手道別冊 空手道創世伝説 福昌堂 1996年
別冊宝島243 プロレスを変えた野郎ども 宝島社 1996年
yawara 知られざる日本柔術の世界 山田實著 BABジャパン 1997年
講談社漫画文庫 空手バカ一代 第4巻 原作:梶原一騎 画:つのだじろう 講談社 1999年
講談社漫画文庫 空手バカ一代 第5巻 原作:梶原一騎 画:つのだじろう 講談社 1999年
写真集・門外不出! 力道山 流智美・佐々木徹編著 集英社 2001年
海を渡った柔術と柔道 坂上康博編著 青弓社 2010年

参考リンク:
「チョップ」という技の起源・歴史研究 (11/03/2013)
goo辞書"chop" (11/03/2013)
1910、1926 柔術におけるチョップ技 (11/04/2013)
1790-1919 ボクシングにおけるチョップ打ち (11/04/2013)
Australia Trove (11/09/2013)
The Martial Chronicles: Jiu-Jitsu Conquers Australia (11/09/2013)
The Martial Chronicles: All-In Down Under With Sam McVea (11/09/2013)

関連リンク:
日本一の空手チョップ 大山倍達七段 (1955年)
大山倍達主演記録映画「猛牛と闘う空手」
海を渡った柔術士、東勝熊 前編(1904年)
海を渡った柔術士、東勝熊 後編(1905年)
米軍が見た空手(1948年〜1958年)

 






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コメント
中村派武田流合気之術の本にも、宗家の大庭一翁が力道山に空手チョップを教えてる写真が載ってました。色々な人にアドバイスしてもらったのですね。中村日出夫氏は力道山と同じ北朝鮮系だから、実際会ったり教えたりはしたんだろうなとは推測できますが、拳道伝説の写真はなんだったんだろな(笑)
  • やいや
  • 2013/11/10 11:16 PM
>やいやさん

そうそう、合気道の話はそれですね。
詳しい状況が分からなかったんですけど、まぁ日本で有名なって以降だろうなと、写真から判断しましたw

で、本文中には書かなかったんですけど、力道山は暫く朝鮮系との付き合いを避けて、日本人として振る舞おうとしたという有名な話があるんです。
だとしたら、逆に民族がネックになって、会ったりしなかったという可能性もw
  • Leo
  • 2013/11/10 11:50 PM
木村政彦の「猫手打ち」で思い出す最新のものでは、佐竹(元正道会館)がK-1で使った自称猫orパンダパンチ。打つ角度は違ったが、ある面、類似していた。そのもっと昔はやはり現無門会の富樫氏が極真の大会で使ったスピンチョップではなかろうか。大山総裁もひとつの得意技とされていたとか。
  • 目撃者は見た
  • 2013/11/17 2:31 PM
佐竹氏が使ったのは自称「カンガルーパンチ」だったかな?K-1も随分昔の話になってしまったから忘れました。
  • 目撃者は見た
  • 2013/11/17 2:34 PM
>目撃者は見たさん

佐竹先生のは倉本成春先生が指導した熊手ですね。
確か10何年か前にPRIDEに出てた頃に学んでました。
  • Leo
  • 2013/11/17 4:09 PM
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