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大山倍達マニアック検定

【新説?】"牛殺し"大山倍達から60年

JUGEMテーマ:空手
 
 えー、リアルタイムでご覧になっていらっしゃる方々、明けましておめでとうございます。
 この記事は閲覧されている方から見れば過去に書かれている遺物ですので、リアルタイマー以外の方々は挨拶の方、スルーして下さいw

 今回はですね、大山倍達総裁が千葉県館山市で敢行した牛との対決から60周年という事で、以前割と詳細に記事を書きましたが、その後の調査の進展やアレコレと云った、牛との対決に関するエトセトラ、これを書いてみようかな、と。


 ぶっちゃけ、ウチの調査物はこれで終わり!というのは殆ど無く、その後も新しい資料が見付かれば公開しなくても自分の中ではアップデートされていましたw 今回はその一端を提示、という感じですかね。

 あぁ、過去記事を読まれていない方はコチラからどうぞ。

大山倍達主演記録映画「猛牛と闘う空手」
大山倍達 対 雷電号 (1956年)





 まずはこの写真からドンw

角が折れた瞬間.jpg
キャプションには「うしの角を折ったしゅんかん」とある

 1954年1月14日の牛との対決で映画では映っていなかった、角が飛ぶ瞬間と言われる写真。
 いやあ、これはですね、ウチのブログにもちょくちょく来て戴いている方のブログに載ってましてw
この雑誌持ってるのに何で失念してたんだろ、と汗顔の至り。

角.jpg
実際に折れた角

 大山総裁の左手を見る限り、上に引っ張ってる最中に取れたのかな、牛の左角の陰影が見える事から、折れたとすれば確かに右角という事になります。

サン写真新聞.jpg
1954年の牛との対決

 以前記事で説明した通り、角を折った後、引っ張って引き千切ろうとする映像が残っていますし、当時の新聞でもそう書いてありますね。 ちなみに記録映画「猛牛と闘う空手」の実況ではこういう感じでした。

体勢を立て直した大山六段の最後の手刀の一撃で遂に角は根元から折れてぐらついて来ました。
「エイッ」

(右の手刀で正面から右の角を叩いた瞬間、「あぁあぁぁー」とこれまでと違った声を上げる牛。そして逃げ回る)
 ぐらついてきた角を大山六段、もぎ取ろうと致しますが厚い皮が付いている為、中々取ることは出来ません。
(右の角を掴んでもぎ取ろうと体重を掛けたり引っ張ったりする)

館山牛殺し2.jpg
両手で右の角を引っ張る

 しかし闘いは完全に大山六段の勝利となったのであります。
(角に体重を掛けて取ろうとする)
 吹き飛んだ角はポロリと地上に落ちました。
(地面に転がる角)
 大山六段の勝利成る。
(片角の無くなった牛の縄を掴んで制しようとするが牛が逃げる為クルクルと回る。ようやく動きが落ちる)
 地上に落ちた角を拾い取って凛然たる大山六段。
(角を拾って肩を上下させ息を整える大山)
 闘いは終わりました。

 これが2011年に書いた記事だったのですが、先日60周年で牛殺しネタを書こうかと思っていた矢先に偶々入手出来た1954年の大山総裁の手記「猛牛を捻り殺した男」でも私が書いた描写と近しい事が書かれていたので、そっちも引用してみますw

猛牛を捻り殺した男.jpg

 起き上がろうとする牛を押さえつけて、私は立ち上り、全身の力をこめて角を叩いた。 今まで一度、二度、叩いた時、逆に手がはね返され、ビクともしなかつたが、私の手刀か角かどちらかが今度こそ折れるであろう! 萬一角が折れないならば私の手が折れ一生私は空手はおろか、不具の身となるであろう! と思い、一か八か滿身の力をこめて、姿勢を直して、エーイッ、今度の手刀こそ……と、私は右手を振り下した。
 折れたッ。 牛の角が折れたッ。 ウオオオッと物凄い悲鳴をあげて牛がもがいた。
 角は折れてグラグラするが、皮がついているから落ちない。 私は兩手をかけて引つ張つた。 抜けたッ。 私は大きな牛の角を右手に持つて高く掲げた。 ウワーッと観衆のどよめきが起る。
 なおも暴れる牛を鎮めて、牛飼いに渡したが、まだ私は夢中であつた。


 概ね映画通りですね。 ちなみにメディア8が何度か自社のビデオ作品に使っている同映像の内、大山総裁没後に実況部分の起こしを入れ直している作品があるのですが、オリジナル実況では「110貫余り」(410kgくらい)と言っている所を、何故か「700kg余り」と修正していますw こういう修正は止めましょう。

 さておき、この映画は何度も語っている通り、角を折って決着を付けています。 しかし"牛殺し"大山倍達の異名を取った大山総裁は果たして、牛を殺したのか否や。
 前述した54年の手記ではこうあります。

 私が試したところでは、正拳でボカーンとやると、牛はヨタヨタッとして膝をつくが、また立ち上る。 また毆る。 一度か二度で殺せないともう三度目は、殺すことは勿論毆ることさえ難かしいものである。 それでも、あとで調べてみると、牛の頭蓋骨に大きな龜烈が出來ていた。 だから、龜烈の程度ではダメで、頭蓋骨をガサガサにしてしまわなければ、死なないのである。

 そして1956年のインタビューにはこうあります。

牡牛と猛斗.jpg

 大山  とうとう念願を達したのです。 ところが、こんなことではまだ駄目なんですよ。 本当は一撃で牛を殺せるようにならなければいけない。 だが、現在の僕では、一撃で牛を殺すことは出来ません。 二、三年は山にでも入つてみつちり一心修業しなければ駄目だと思います。

 私見ですが、大山総裁は正拳で叩いて牛を殺した事は無いんじゃないか、という気がします。 しかし牛は殺したんじゃないかな。 ではどうやってか? 私が最初に気付いたのは1970年の米武道雑誌"BLACK BELT"の特集記事でした。 これまた以前紹介しましたが、まずは原文から。

blackbelt1970.jpg

...he has actually killed only three, all by twisting and breaking their necks.

 平たく言うと、牛を殺したのは通算3回で、全て首の骨を捻り折った、という事になります。
 そして、1957年のインタビューではこう語っていました。

記者  あれは角を折った……

館山牛殺し1.jpg
「猛牛と闘う空手」の首捻りテイクダウン

 角を折って、牛を倒して、あと殺してしまったんですがね。 牛は殺せますよ。 映画の「クォ・ヴァディス」の中で、牛の首を折って殺すでしょう。 あれはしかし、あんなに力がなくても殺せますね。


 と、経験者の様な口振り。 多分ですけどね、正拳で牛を殺せなかったけど、首の骨は折ったんじゃ無いかと。 だからあれですよね、基本大山総裁は牛が死ぬ描写は語った事が無いですよね。
「イッパツただいたならばね、あの、牛がひっくり返っちゃうんたよ!」
 みたいな感じでw
 角を折ったのは事実、正拳で叩いたら頭蓋骨に亀裂が入って牛が引っ繰り返ったのも事実、だけど正拳では殺していない―というのが現在の私の推測です。 きっと達成手段が自分が目指していた正拳一発じゃなかった事から、あまり言いたくなかったんじゃないかな、なんて思ってみたり。

 それでは、どこで首の骨を折る、という発想を得たのか。 これは前述の大山総裁の発言にある映画「クォ・ヴァディス」にあるんじゃないかなぁ。
 「クォ・ヴァディス」はまだ映画全部を見た事は無いのであらすじは避けますが、この映画、アメリカ公開が1951年、日本公開がなんと1953年9月15日らしいです。
 1953年の大山総裁は既に前年より東京は目白に移り住んでいましたが、映画撮影の話が来た53年7月より館山に戻って稽古に明け暮れるつもりでした。 同年8月に牛と闘う為、館山市平田洋服店の店主より工場を借りて「唐手術大山六段道場」を設立――これが写真の残っている館山市の大山道場です。 ここを拠点にして屠殺場に通い、牛の生態研究をしたり角を叩いたり色々してたのが9〜12月の間という事になっています。

館山の大山道場.jpg
唐手術大山六段道場

 つまりは「クォ・ヴァディス」の劇場公開とほぼ同時期に牛の角折り研究を始めた、という事になるでしょう。 ちょうど自分が取り組んでいる事に近しい内容がスクリーンで公開される――これは見に行くでしょう。 というか、インタビューの発言により、観に行ったのは確実ですw
 この時期、大山総裁は3頭の200kg前後の雌牛と対戦していると54年1月の記事にはあります。 これが"BLACK BELT"誌の3頭の牛では無いかと思われます。 映画を観て「あれをやってみよう」と思ったんじゃないかなぁ。

クォ・ヴァディス.jpg
「クォ・ヴァディス」の首折り

 実際、大山総裁の対牛戦の戦法と「クォ・ヴァディス」における戦法は酷似しており、どちらも首を捻りに行きます。 この映画が大山総裁にとって正に天啓だった、そんな風に考えても差し支え無いんじゃないでしょうか。


 最後に、1956年11月11日の田園コロシアムにおける猛牛雷電号との対決にまつわる記事を1篇w
 この記事掲載が56年9月頃に出た雑誌からなので、結構ギリギリな興行だった事が伺えます。

行き悩む大山八段の牛殺し.jpg

行き悩む大山八段の"牛殺し"

 唐手の大山倍達八段といえば斯界型破りの猛者であることは知る人ぞ知る。 目下この大山八段と牛の試合を企画して新聞社の後援を求めている人がいる。
 マネジャーの毛利基尚。 氏は戦後、ミスズ拳のマネジャーとしてボクシング界にも打って出た経歴を持っているが、旧知の剛柔流の山口剛玄師範を通じて大山八段のマネジャーを買って出たという。
 同氏の案だと十月の二十三日か四日日本空手道普及会の主催で後楽園競輪場を使って開催したい意向。
 試合は防具を着用した選手、軽、中重量各級試合にメイン・エベントが大山八段と牛の試合。

1956年報知新聞.jpg

 この牛の試合はかって千葉県館山の海岸で大山氏が行い、映画にもとったことがあるが、この時は非公開。 それを今度は大衆の面前で行おうというもの。
 この牛との格闘は軽犯罪法第二十一条「牛馬の愛護」の項目に適用されるとか、されないとかで警視庁まで持ち出され、また都条令にも抵触するしないで大揉めにもめたなどいわれるが、どうやら挙行は、一札つきで認められた模様。
 新聞社の後援が決ったら大山氏は山ごもりして牛との格闘のトレーニングに入るそうだが、まだ開催は確立していないらしい。 トレーニング期間は二カ月は必要とのこと。
 大山氏は月刊誌"空手道"の創刊号で信光会空手道場の金城師範との対談"空手談義"牛をもひしぐ大山師範の巻=で自己の所信を述べているが、牛との格闘は人間能力の限界をためすためだといっている。

福澤兼山3.jpg

 氏は人間の限界を常に新しい記録で破ることが必要だと喝破している。 流派を超越した空手道の確立を唱えるあたり、一家言といってよいだろう。
 四年前の三月招聘を受けて渡米、空手の技を見せて米国三界を行脚した。 渡米後はプロレスに転向し、目下メキシコ遠征中の木村政彦七段の恩師牛島八段の口添えによるといわれる。
 果たしてこの牛との格闘は実現するかどうかは分からないが、大山八段の体、技ともに充実した空手の威力はみたいもの。


田園コロシアム1.jpg
猛牛雷電号との対戦

 当時は七段なのに、ずっと八段と書かれてますw この2ヶ月必要だという合宿は8月のいつ頃からか、10月くらいまでの間で2ヶ月ほど敢行したそうなので、決まってすぐか、見込みで合宿したのかな。
 結局新聞社の後援は得られませんでしたが、全国紙M新聞の元会長他2名がプロモーターとなり東急電鉄やラジオ東京が後援、KRテレビが独占中継という形で興行が決まりました。
 最初は味の素の重役がプロモーターになる予定だったみたいですが、どっかで無くなっちゃってますね、その話。
 防具試合というのは山田辰雄先生の日本拳法空手道ですね。 しかし割と早い段階で山口剛玄先生がマネジャーを引き合わせていたのは意外でした。 でも公正証書とか書かされてるのは大山総裁なので、このマネジャーはスポンサー集め以外で役に立ったのかどうかw
 こういう裏話を積み重ねて行くと1本のストーリーとして活き活きして来て面白いですよね。


 という事で、1954年の大山倍達総裁の牛との対決から60年、色々新説を提示してみましたw
 色々積み重ねた上での推測なので、骨子はしっかりしてるかと思いますけど…。
 それにしても「クォ・ヴァディス」の牛殺しのシーンがYouTubeにあってラッキーでしたw DVD買おうかとマジで思ってたんで。 あ、でも買ってもいいかな。


「クォ・ヴァディス」の牛殺し

 そう言えば、私も和牛の角、持ってますw 大山総裁が折ったのよりずっと小さいけどw

2014-01-05-21.26.jpg

 でも練習で折ってた角ってこういうサイズだったのかな、と想像すると楽しいですね。
 これを書いているのは1月5日ですが、60年前の今日、大山総裁は目前まで迫った牛との対決をどんな気持ちで迎えようとしてたんでしょう。 きっと新年どころじゃなかっただろうな。
 あぁ、そうそう。 今回紹介した「オール讀物」って、梶原一騎先生が大山総裁を訪ねる切っ掛けになった記事かもですw
 今回はここまで。
 それでは本年も宜しくお願い致します。


参考文献:
BLACK BELT THE 1970 YEARBOOK, BLACK BELT INC., 1970
サン写真新聞 1954年 1/17
報知新聞 1956年 11/12
文藝春秋オール讀物 1954年4月号 文藝春秋新社 1954年
ベースボールマガジン プロレス 1956年10月号 ベースボール・マガジン社 1956年
月刊ファイト 1956年10月号 ファイト社 1956年
プロレス&ボクシング 1957年1月号 ベースボール・マガジン社 1957年
週刊少年マガジン 1968年8/18号 講談社 1968年
月刊空手道 合本復刻(創刊号〜第10号) 金城裕編 榕樹書林 1997年

参考映像:
猛牛と闘う空手 大洋プロダクション 1954年

参考リンク:
KATAOKA STYLE〜天下泰平記〜 (2014/01/05)
クォ・ヴァディス (映画) (2014/01/05)
YouTube QUO VADIS (1951) -Arena Fight -Man Vs Bull (2014/01/05)

関連リンク:
大山倍達主演記録映画「猛牛と闘う空手」
大山倍達 対 雷電号 (1956年)
ほんとうにあったお話 猛牛とたたかう空手(1954年)
【古記事】血みどろの空手修練 空手八段 大山倍達(1956年)
【古記事】「猛牛との対決まで 大山七段に聞く」(1956年)
【古記事】 「拳1つで猛牛を殺す空手男」 (1957年)
マス・オーヤマ・究極の挑戦への探究(1970年)









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コメント
明けましておめでとうございますo(^-^)o

(・ω・)お腹に巻いている太いベルトのようなものは、腹が据わるからでしょうか?
結局何度牛と対峙したのですかね?
コンディションが微妙に違っておもしろいですね。
  • ぬこやなぎ
  • 2014/01/05 11:52 PM
唐手術大山六段道場の写真………
同じような写真で掛軸がうつってますが、、

(・ω・)安重根の文字はまずいですなぁw
  • ぬこやなぎ
  • 2014/01/06 12:04 AM
>ぬこやなぎさん

今年も宜しくお願い致します。

あの革ベルトはなんでしょうね?
私としては角持った相手なので、サラシの代わりか、もしくはローマの剣闘士イメージっぽい何かとかw
というのを考えてましたけど、田コロの派手な衣装になると、意味不明w
テレビ普及期なので映像映えする衣装です、とか言って着させられたのかな、と。
通算対戦数は誰もカウント出来ないのでよく分かりませんが、固定して角を折った数と合算すると…1954年に50回弱、1956年の対戦頃までに70回弱、という事になるのかな。 無論、大山総裁の発言が全て正しい場合の話、ですがw

安重根は日本から見ればテロリストですが、何か一部の右翼では国は違えど、国を憂う愛国者の鏡、という評価があったそうで、現在韓国で賞讃されている様な抗日闘争の義士、というのとはまた違った感じの取り扱いをされていたみたいですw
なので、当時はさほど問題でも無かったかも知れませんねぇ。
立場や時代が異なれば、違って来るって事でしょう。
それに、大山総裁の道場なのかよく分かんないですしねw
身体を見るとまだビルドアップされていないので、1948〜51年の間に撮られた写真かな、と思いますが(47年以前の写真は概ね髪が短い)、状況不明なので2月の待田京介先生が何かこの写真について書いて戴けたら、何か分かるかも知れません。
  • Leo
  • 2014/01/06 7:11 PM
大沢親分の「あっぱれ!」ですね。
内容が素晴らし過ぎます。
  • sabakistudent
  • 2014/01/06 11:07 PM
>sabakistudentさん

ありがとうございますw

そう言えば「サンデーモーニング」はもう10年以上見てないなぁ…。
  • Leo
  • 2014/01/07 9:57 PM
Leoさま
素晴らしい映像を発見しました。
迫力があります。

http://www.youtube.com/watch?v=B76iAphS6OE
  • tama
  • 2014/01/09 10:08 PM
ブルミン氏が言うような、黒崎健時が細工した角を大山倍達が叩いて折ったということはなかったのでしょうか?
  • やいや
  • 2014/01/10 12:31 AM
>tamaさん

良い動画ですよね。 あの突きは惚れ惚れします。
私も見付けた時は71年の大山総裁か!と思って説明文を見ると75年ってあって、どっちやねん、と思いましたがw
まぁ、年表でチェックすれば分かるかな、と思いあまり追求はしてませんが。

>やいやさん

まぁ、そもそも黒崎先生がこの時に入門されていたのか自体を、私は疑ってたりしますw
黒崎先生の大山門下の記憶って、どうも56年の合宿からに思えるんですよねぇ。
54年の牛との対決で同行したのは、加藤健二先生と待田京介先生だというのは確定ですけど、黒崎先生はどうなのかな?
公開されている大山総裁と黒崎先生の写真で一番古い物でも、56年以前のはありませんし。
それに、一言で「細工」と言ってもどの様な細工であれだけ太い牛の角が折れる様に仕込んだのか、そんな事が本当に出来るのか、それすら分からないですしねw

  • Leo
  • 2014/01/11 12:20 AM
腰のベルトは、万一の時の牛の角串刺しから腹部を守るプロテクター兼演出衣装かな?なんて勝手に思ってました
どうなんでしょうね?
  • s
  • 2014/01/12 6:49 PM
>sさん

サラシ的な扱い、というのは分かるんですけど、どうせなら胴体前面を覆った方が良い様な気がしますw
  • Leo
  • 2014/01/18 5:03 PM
文献に基づいた数々の記事、いつも興味深く拝見しております。ベルトの件ですが、ウェイトトレーニング時のベルトと同様、腹圧を逃がさず腰を守るための物かと思ったのですが如何でしょうか?
  • hrd
  • 2014/01/20 11:04 PM
>hrdさん

この時代は腹圧とか考えてる人はいなかった気がします。
とりあえず重いの挙げろ、腰が痛くなったら腹筋しろって感じが…w
可能性としては纏めるとこんな感じでしょうか。

・サラシの代わり
・ただの衣装
・プロテクター
・ウエイトベルト
  • Leo
  • 2014/01/21 11:05 PM
Leo様
ご返答ありがとうございました。なるほど当時は腹圧云々は無かったのですね。ただウェイトベルトはあったのですね。
  • hrd
  • 2014/01/23 8:52 AM
>hrdさん

あ、いや、ウエイトベルトがあったのかどうか、あったとして日本で流通していたのかどうかは知りません。
ただ、腹圧を上げる目的のベルトだと仮定してウエイトベルトと称しただけですのでw

日本でボディビルが流行するのが1955年頃からなので、この時期はまだ無いんじゃないかなぁと思ってますが、今までコメント欄で出た意見と私が思ってたのを纏めただけです。
言葉足らずで申し訳ありません。
  • Leo
  • 2014/01/24 11:01 PM
了解いたしました。ご丁寧な返答ありがとうございました。
  • hrd
  • 2014/01/25 11:08 AM
大山館長と牛との戦いにおける映画「クオ・ヴァディス」との関連についての発掘は、凄いですね。(貴サイトを見返してみると、以前の古記事「猛牛の対決まで:大山七段に聞く(1956年)」の中でも触れられていましたが、今回の記事まで気が付きませんでした。)
今回の記事の中では 「サムソンとデリラ」と「血と骨」も挙げられています。「サムソンとデリラ」はライオンと戦う場面があります。(「闘魂」では、ヨルダン王妃から伝説の英雄 サムソンの事を聞かれ(この映画をみていてよかった)と書かれていました。)

猛牛と戦う映画でいえば、下記の新聞記事はご存じでしょうか(今まで典拠としては挙げられていなかったと思います。)
「1956年10月17日読売新聞 朝刊4面」(こだま)というコラムで

「人間」対「黒牛」の決闘という映画「ピラミッド」のエジプト王を地でいこうというすざましいスポーツが披露されることになり、16日、関係者から公表された。
という書き出しで田園コロシアムでの牛との対決を紹介しています。

記事自体は、「主役は昭和25年全日本アマ選手権をものにし・・・」とか?の部分もありますが「これも空手普及のためだ。もちろん命は大切だが、日本人八千万の人々のやったことのないことをやる者があっても面白いではないか」という大山七段のコメントで締めくくられています。

この「ピラミッド(1955年12月24日公開)」、私は観た事はないのですが、のちに「リオ・ブラボー」を撮った、ハワード・ホークス監督の映画で、素手で猛牛をなぎ倒す場面もあるとか。大山館長自身も観ておられたかもしれませんね。

  • 烈山
  • 2014/02/08 10:34 PM
>烈山さん

「クォ・ヴァディス」はインタビューで出た回を書いた時に検索したら日本公開が1953年だったので、いずれ見てから書こうかな、と暖めてましたw
それで、YouTubeで検索掛けたらちょうど牛殺しのシーンがあって見たらびっくりですよw

その「読売新聞」の記事は知りませんでした。 その内コピーして来ようと思います。
「ピラミッド」は私も見た事ありませんが、海外サイトにあったので、今度じっくり見ようかと思います。
昭和25年の空手の大会というのは…どの記事だったかなぁ、九州で開催された…という触れ込みで大山総裁の経歴に載ってるのがありますねぇ。
未だに?な経歴ですが。
  • Leo
  • 2014/02/09 2:20 PM
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