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大山倍達マニアック検定

初見良昭インタビュー「戸隠流忍術の全貌」(1963年)

JUGEMテーマ:格闘技全般
 

 今回は忍者として世界的に有名な、初見良昭先生の1963年頃のインタビューを紹介します。
 ウチもまぁ直接の血縁関係にはありませんが、親戚の家系の先祖には忍者がいたりして、名字も忍者っぽくて何か羨ましいなぁというのはありましたw
 私がガキの時分にはもう「忍者ハットリくん」が主流で忍者ごっこよりも特撮ヒーローの方が多かったんですが、世界では未だにニンジャになりたい子供たちがパーティグッズのニンジャコスチュームを買って、ニンジャごっこをしています。 この世界的ブームの下地を作ったのはショー・コスギとのニンジャ映画と、初見良昭先生とその弟子、ステファン・ヘイズ先生かな。
 まぁ、そんな初見先生の若かりし頃のインタビュー、聞き手は当ブログお馴染み森川哲郎先生、「武道日本」より転載です。 それではどうぞ。

初見良昭1.jpg





    いまに生きる忍者

 忍びの者という映画があった。 原作は村山知義氏、"アカハタ"に連載という異色の小説の映画化で、相当の好評を博した。
 原作の文学的に優れていたこと、さらに監督山本薩夫、主演伊藤雄之介、市川雷蔵というベストスタッフであったせいもあるが、その中に多彩な忍者のあの手、この手が、次々とくり出されて、観客の特殊の注目をひいたためもあった。
 あらゆる器具、手練の技が、次々と目を奪うように披露されたのである。 その技術指導をしたのが、ほかならぬ初見氏であった。
 初見氏は、戸隠流、(とがくれと読む)、三十四代であり、雲隠流忍術十四代でもある。
 その他虎倒流骨法、王虎流骨指術、神伝不動流打拳体術、高木揚心流柔術など、いまではほとんど残っていない特殊な武術の後継者でもある。
 骨法といえば、武道史に特筆される小指で石を割り、人を殺すという空手以上に恐怖的威力をもった武術といわれ江戸の初期紀州頼宣に仕えた佐々木五郎右衛門というのが、史上に伝えられているが、後は絶えてしまったかと一般に思われていたものである。
 その後継者が生存しているというだけでも、武道研究家にとっては、驚異のことなのだが。
 忍術はじめ六つの武術の後継者である昭和の剣人初見良昭氏は、いずれにしろ現代得難い人物の一人にはちがいない。
 年は、しかもわずかに三十二歳の青年。
 若い昭和の忍術使いの全生活をここに探訪して見よう。

    忍びの者と戸隠流

 森川  "昭和の天才的忍者"という噂で、期待してきたのですが、あまり若いので、びっくりしました。
その年令で、六つの武道の宗家をついでおられる。 ちょっと普通人では、考えられないことですね、いったいいつ頃から修行をはじめられたのですか?
 初見  体術は、はじめて十七、八年目になりますか。
 忍術は、八、九年目です。 もっともその前に空手などをやっていまして、空手は六段をとりました。

 森川  ほう? やはり天性武道家の素質をそなえていたのですね。
 "忍びの者"は、原作もすぐれた特異な境地を開いたもので、実験的作品などといわれていましたが、映画もまた最近になく優秀だった。
 あの指導をなさったということで、初見さんに大変興味をもったのですが。
 初見  そうですね。 さすがにいい作品でしたね。 山本監督も、スターの方たちも、いろいろと苦心していましたから……。
 森川  しかし、いままでの時代劇俳優もあまりやったことのない技術が、つぎつぎと出ていましたね。 たとえば、歩き方や、梯子の登り方一つでも、いままでにない忍法らしいみごとな味を出していた。
 恐らく指導に苦心したと思いますが……

初見良昭2.jpg

 初見  ええ、歩き方でも、いろいろ苦心しました。 横にカニのように歩く方法がある。 しかしそれをやらせると、伊藤雄之介さんですが、スタッフが、みな笑い出してしまうのです。
 スタッフが笑うぐらいだから、観客も笑うに違いないというので、前向きの歩き方だけにしぼったのです。

 森川  雄之介の百地三太夫、雷蔵の石川五右衛門ともよく演じていましたが、ことに雄之介が、忍者の頭領の味を良く出していた。
 屋敷の構造、抜け穴や仕掛けだらけのものですが、それを詳しく研究されて、みごとなでき栄えでしたね。
 またつぎつぎと、一般の見たことのない器具がくりひろげられるので、その物珍しさで、あきずに最後まで、一気に見せられた……。
 初見  あの器具や、毒薬はみな下にありますよ。 中から分銅の出てくる杖、先は鍵になっていて、武器にもなれば、高い所にもよじ登れる。
 菱型のツバのような手裏剣、水平に投げれば突き刺さるのです。 あれは、普通九枚ずつ携帯するのですが……。

 火薬、毒薬、水中をくぐる時に使う竹筒。
 森川  面白かったのは、天井に穴をあけて、下に寝ている信長の口めがけて、細紐をたらす。 それに毒薬の汁をぬらして、信長の口にそそぎ込む。
 あの手は、いまでも悪い連中がまねれば、そのまま使える。 しかし、すぐ発覚するでしょうがね。 殺人の手口を教えるようなものだ。
 それからやあり天井から竹筒をつきだし、そこから出る煙で、下の者をみな眠らせてしまうなどという手も使っていましたね。
 初見  毒薬も、私の所でも着くっていますよ。 その製法は、発表するとそれこそ悪用されて大変ですから、いえませんが、わずか二十円で、大量虐殺できるものも作れるのですよ。
 森川  そいつは恐い。 帝銀事件の犯行くらいわけないですね。
 手裏剣もでましたが、火を小さくとって手裏剣のように次々と投げて、五右衛門が三太夫を追いつめるシーンは、凄いような息づまる迫力がありました。 あんな技もできるのですね。
 それから、木から木へターザンもどきに、ロープをわたして渡る。 その時に網に金具のようなものをかけて、それにぶら下がって渡っていましたが。
 初見  ええ、それもここにあります。 網にかける金具が車についているのですね。 それで滑って、あっというまに移動して、姿を消すのですよ。
 森川  しかしあの映画の中で特に感動したのは忍者のきびしさですね。 逃げられぬと知ると、みな顔を手裏剣でつぶしたり、匕首でそいだりして、果てている。
 自分を最後まで殺して、使命に殉ずる。 自分を殺して、忍者として生きる功利的になりすぎた現代人に爪の垢でもほしい境地ですよ。
 関節をみな外して、縄抜けするところがありましたが、あれは講談などでも、いままで盛んに紹介された口ですが、実際にできるのですか?

初見良昭3.jpg

 初見  できるのでしょう。 私のところでは教えていません。
 というのは、関節は外すと、くせになってすぐ外れやすくなるからです。
 大事なところで、関節の外れるような身体にしてはなりませんから、ふだんはやらないようにしています。


    鼠小僧と石川五右衛門

 森川  忍術は、決して過去に生きたものでなく、現代でも活かして使えるものでしょう。
 たとえば戦時、軍の密偵養成の専門学校であった中野学校では、忍術をとり入れて、スパイ教育をやったという。
 現代でも、スパイという稼業は消滅したわけではない。 それどころか、ますます盛んで、産業スパイなどという新手まで生まれている。
 初見  その産業スパイなのですが、よく忍術と比べて、引きあいに出されます。
 しかし、忍術は、あのようにチャチなものではありません。
 ことに根本の精神から違います。 忍術は、家を守り、共同社会を利するために使うのが本旨で、産業スパイなどは、他から盗み、自分だけを肥えらせようという陋劣な精神から出ていますからね……。
 もっとも現代人は、盗みの精神は、実に旺盛になったようですが……。
 たとえば、鼠小僧次郎吉、伝説のような大盗賊であったかどうかは知りませんが、たとえ忍びを用い、義賊とほめはやされていようとも、結局は盗人にすぎない。

 森川  そうでしょう。 日本の生みだした武道というのは、技の先のことではなくみなその底に宗教があり、哲学があります。
 独特の美的なヒューマニズムが横たっていわるわけで。 そのような卑しいものであってはならないのですね。
 初見  そうなのです。 私の先生、高松寿嗣先生という方ですが……。
 花情竹性(かじょうちくせい)ということをいわれる。
 忍術の極意に達するためには、花のようにやさしい心掛と、竹のように素直な、真直ぐな心掛けがなくてはならないという意味です。
 これが、やはり日本の武道の心、武心なのですね。 そして、武心とは、とりもなおさず真心ということなのです。
 忍者にこの心がなければ、ただ忍術的形態を器用にこなす俗物というだけですね。

 森川  花情竹性ですが、これはまた美しい芸術的な言葉ですね。
 本当に日本の武道をいい現わすには、ふさわしい言葉ですよ。
 高松先生は、いまおいくつですか?
 初見  七十七歳です。 先生は、修業するのに、一年間岩窟にこもり、岩石に指を突き当て、指の鍛錬をし、生の玄米のまま数日を過し、次に五合の玄米を粥として一気に飲み干し、一里の道を駆足往復するという徹底的な修練をされた方です。
 これは、胃の拡縮と、内蔵の鍛錬をしたわけですね。
 次には、担桶を四荷肩に担いで走り、腰の安定を充分にする修練を積まれた。
 さらに氷の上を下駄で歩く。
 これは、体の重心をいつでも下においていないと倒れてしまいますので、この修業をつむと、自然に、体をどんな形においても、バランスのとれた構えになっていることができる。
 また、忍者が足音を立てずに歩ける鍛錬もこれから発するのです。

初見良昭4.jpg

 森川  すぐれた師をもたれたから、このような若き流行忍者が現れたというわけですか。(笑声)
 いま、先生はどちらに?
 初見  奈良県橿原市に、住まれております。 私は、免許を受けたのですが、いまでも毎週土曜夜行で行って、日曜練習して、また夜行で帰るという修行をつづけています。
 "忍びの者"の指導をするについても、すぐ先生のところに、とんで行って、どういうふうに教えたらよいか、いろいろと教えていただいているわけです。


(中略、忍者の生活/皇太子殿下に教える)

    にせもの忍術横行す

 森川  初見さんは、忍術は事実上何流何派ぐらい存在したとお考えですか?
 初見  七十三流が正しいと考えています。 その主な流派をあげると、根岸流、雲隠流、白井流、神道流、白雲流、甲州流、紀州流、源流、現実流、龍門流、天道八方流、五逢十万流、鞍馬流、安田流、伊賀流、甲賀流、戸隠流などです。
 また研究家のいわれる七十五流説、百三流説など、わからない流派までが、ぞくぞく生まれてきているのですね。
 よく昔大道で、人を集めて、何々流忍術の極意だなどといって、見世物を出していたのがある。
 たとえば、刀の刃渡り、または刃で、手の上にのせた大根などを切って見せる。
 一見驚きますが、これは当り前のことなのです。 刀というものは、引かなければ、切れないのです。
 垂直に叩いたって切れません。 もっともこれは刀だからできるので、横磨の小刀、庖丁、剃刀類でやったら大変です。
 どんな名人でも、人間は細胞の集りですよ。 小刀や庖丁などより、組織が弱くできていますから、みごとザックリと斬り落してしまいます。
 これは、法術というものですね。 いわば種子のない奇術のようなものですよ。
 もちろん、はじめは、ちょっと勇気がいるでしょう。

初見良昭5.jpg

 こういう奇術もありましたね。 一枚の板の上に無数の釘を打ちつける。
 『さあお立ちあい、この上にのっても痛くないよ。 足の裏にも決してささらないよ』
 という。 事実その上にのっても、傷一つつかないのです。
 また、ガラスの破片を一ぱい積み重ねて、その中へ裸でころがる。
 それでも傷一つつかないのです。
 これもそうなる理屈なのです。 力学的にいうと、なんのことはないのですね。
 単位面積に働く圧力の強さというのですか?
 いうなれば、おなじ重量のものでも、その相ふれる面積が広ければ広いだけ、圧力の強さも弱くなるのです。
 ですから、できるだけ無数の釘を打ちつけ、凸凹のないようにすること。
 ガラスの破片なら沢山集めて山として、その上にころがればよいのです。
 そうすれば、傷一つしないで、みごとな演技ができるのですね。
 こうしたことは、法術の分野で、忍術ではありません。


    テレパシーも応用して

 森川  忍術の発生についてですが、古来いろいろなことがいわれてきましたが、真実は、どんな風にして発達して行ったのでしょう。
 初見  やはり戦乱の中から生まれてきたのですが、勝者の中から生れず、敗者の落人から生れたというところに特殊性があると思います。
 たとえば、藤原氏の落人や、源平の落武者、さらに南北朝の落武者などが、追究の手を逃れて、山奥へ落ちのびて、姿をひそめる。
 そして、その土地の地侍として、土着して行く。
 しかし、やはり権力者の捜索は、徹底的で草の根も分けて、さがすきびしさだ。
 幕府軍の人馬の騒音に脅かされて、地侍たちもそれに対抗する必要が生じてくる。
 しかし、武器は自由に手に入らない。
 そこで骨指術だの、骨法だの素手の武道が発生したのです。
 八法秘剣の術というのも、ここから生れた。 これについては、次のような伝説があります。
 『高麗宗の時代、皇祐元年契丹夏、仁宗の軍と戦って敗れた四江の異勾将軍が、伊勢に上陸、伊賀の岩窟に亡命した。
 異勾将軍は、飛鳥隠形の術の名人であった』
 このような独特の武技を、地侍たちは、研究錬磨、工夫する一方、忍具の発明、火術の伝来とともに、いち早く、これをとり入れなどしたのですね。
 また支那の書物が入っているとともに、火遁、木遁、土遁、水遁などの自然の利をとり入れた忍術という独特の武術を系統だてて、あみだして行ったのです。
 ですから、忍術を一口で、逃げる術などという人もあるくらいです。
 忍術とは、本来残酷なものではない。 できるなら相手も傷つけずに、逃げるための術なのです。
 そのためには、また自分にうんと実力をつけなければならない。
 相手にどのような剣士、豪勇が現れようとも、これから逃げ切るためには、相手を凌ぐ余裕がなければなりません。
 それには、相手の習う武術、剣でも、槍でも、体術でも、あらゆるものを一通り、それもかなり高度のところまで、吸収して身につけていなければならないのです。

 森川  大変な心がまえですね。 戸隠流の開祖は、だれなのですか?
 初見  戸田白雲斎です。 白雲斎の言葉に万変不驚というのがある。
 あらゆる変化にあっても、驚かず、動かぬ心を養う。 敵の白刃の前に立っても、その不動心さえあれば、相手の動きが自然に見え、隙をとらえても、難を免れることができるということをいったのです。

初見良昭6.jpg

 森川  忍術は、クジを切ったり、印を結んだりしますね。 あれはどういう意味です。
 初見  精神統一といいますか、宗教哲学的な深い意味があるのです。
 いま心霊学などでいうテレパシーなども用いますよ。 念力というのですか、武術のひらめき以前に、心で見ぬき、心で制する。
 その訓練もやって、人を支配し、勝つ、難をさけることもできるのです。

 森川  ほう。 そいつは興味がある。 しかし現代は、心理学の実験が、発達しましたから、これも決して荒唐無稽なものでないということは、分かりますね。
 外国などの心霊学でも、その霊能者になるために、そういう訓練をやるようですね。
 たとえば、念力を集中して、前に立っている人を自分の方に向かせたり、右の手を上げさせたり、自由自在にするのですね。
 視線を集中すると、相手がふっと顔をあげることがある。 あれなどもテレパシーの一種ではないかといっています。
 初見  忍者には、絶対それが必要なのです。 人心看破術で、相手の動きを先によまなければなりませんから……。
 森川  鼠を盛んに"忍びの者"で、百地三太夫が動かしていましたね。 あれもそのテレパシーの応用でしょうか。
 切見  そうです。 鼠や小動物を自分の意のままに動かす。 こうしたことができなくては忍者の使命は果せません。
 また、遠当ての術といって、かげの気合で相手を倒すこともあります。
 忍者八門といって、その一番に忍者の気合をおいているのもそのためです。
 あとは、骨法、体術、忍法の剣、槍、手裏剣、火術、遊芸、教門となっています。

 森川  遊芸、教門というのは?
 初見  芸人に化けたり、僧に変装したりしなければならないことも生じます。 そのためには、あらゆるものに通じていなければならないわけです。
 森川  要するに人間として可能な限り、あらゆる武道遊芸学問知識を吸収していなければ、忍者の用にかなわないということですね。 考えるだけでも大変な仕事ですね。 医学の知識についても、かなり深くなければならない。
 逆に敵に毒をのまされたような時にする秘訣もあるわけですね。
 初見  何もかも公開することはできませんが、卵の白味二十個を飲ませるのは、強い毒戻しになりますよ。

    骨法と忍法

 森川  最後に骨法についておうかがいしたいのですが……。
 これは、空手と発生そのものから違うと思うのですが。
 初見  違いますね、骨法は、骨指術から出たものです。 指を岩の上で何年もきたえるものですから、まるで猛獣の爪のようになるのですよ。
 森川  私も、骨法を主体にした小説を書いたことがあります。
 主人公は、紀伊頼宣に仕えた佐々木五郎右衛門で、石を膝におき小指で、これを割った。 彼がさわっただけで、人が倒れ、骨が砕けたといわれる凄じい人物でした。
 それと田宮流居合抜刀術との対決を描いたものです。 ところが剣豪作家もみな骨法を知らない。 一流の武道家も、骨法を知らないので、
 『ほう。 そういう武道があったのか』
 と、方々から大変関心をよせられたことがあります。
 初見  佐々木五郎右衛門は、私の骨法の系図にも入っています。 空手とは、根本的に違います。 力の使い方が違うのですよ。 そのために、空手以上の力がある。
 たとえば、手刀にしても、力を入れず、拳を開く力が、そのまま手刀となって、相手を打つ、開いて打つのですから軽く打つようで、相手の骨の髄までひびいて、相手の骨を砕くのですね。

 森川  奥さんは、テレビのアナウンサーだったそうですが、御主人のそうした特殊な武道を知っていて、御一しょになったのですか?
 初見  そうです。 大変理解があります。 いまでは、教えてくれなどといって、毎日少しずつ手ほどきしています。
 もっともあまり強くなられたり、毒薬や、火遁の術、吹き矢、手裏剣などを教えると危険ですから、ぽつぽつ。 (笑声)



 という事で森川哲郎著「武道日本」より、初見良昭先生のインタビューでした。
 初見先生は海外では凄いビッグネームで、海外の政府機関からも依頼があって指導に赴いています。 海外忍者ブームが本格化する前に外国人弟子が出来た、というのも大きいですね。 初期の著書とか見ても面白かったですw 世界のマイナー格闘技まで取り扱った本とか、忍術の本とか、結構読んでました。 今思うと凄いワイドスタンスでの演武写真が多かったな、という気がしますけど、技の説明文がやたら軽く洒脱な感じがして面白かったですねぇ。
 さて、戸隠流ですが、「武芸流派大事典」(初版)ではその伝承について疑問を呈してますw 曰くこんな感じ。

高松寿嗣が、大正後の忍術読物の流行を利用して新しく編成した系譜である。 戸田真竜軒の口伝による伝承という。 戸田真竜軒(一心斎)は明治十三年に七十三歳にて死去。 高松はそれより四年後の生誕。

(中略)
 …しかし、その系譜は、諸伝の資料や口伝を参照して、潤色を加えた点が多く、文献上実在の人物も、実際より年代を古くしているなど、なかなか苦心の労作である。

初見良昭7.jpg

 系譜上では、戸田真竜軒の次が高松寿嗣、という事になっているんですね。 この辺りも疑惑の対象になってるという。

 ちなみに当時誰も知らなかったという初見先生伝の骨法(堀辺正史先生の伝では無い)の系譜を見ると、玉虎指頭術から玉心流骨法、本体玉心流(出雲流骨法)、義鑑流骨法、虎倒流骨法と分かれたそうです。  大山倍達総裁の著作にも骨法の話は出て来ますが、これは多分森川先生から聞いた話じゃないかな、と思います。
 元々森川先生と大山総裁はご近所さんだったんですよね。 それでかなり親しかったそうですから、色々な話をしたんでしょう。 森川先生も様々な武道家に取材を通じて知り合いながらも、当代一流の武道家であると大山総裁を讃えており、亡くなられるまで親交がありました。
 今回はこれまで。 それでは、また。


参考文献:
武道日本 森川哲郎著 プレス東京 1964年
武芸流派大事典 綿谷雪、山田忠史編 新人物往来社 1969年








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コメント
この先生は海外に物凄い数の弟子を抱えていて、日本人弟子ひとりにつき六千人の弟子がもてるくらい海外に道場生がいると聞いたことがあります。
  • やいや  
  • 2014/02/28 2:49 PM
>やいやさん

初見先生は多分存命中の武道家の中で、最も有名な方ですからねぇ。
  • Leo
  • 2014/03/08 12:26 PM
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