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大山倍達マニアック検定

ある日の極真会館 21(現代カラテマガジン 1974年2月号)

JUGEMテーマ:空手
 


 さて、先月はこのシリーズやって無かったですね。

 今年は極真会館設立から50周年ですが、来月ーつまり4月を設立月に定めている所が多いかと思います。 しかし、何を持って設立と見なすのかが少々難しい気がするんですね。
 当時の記事によれば、4月に行われたのは極真館設立準備委員会の発会式で、この時初代会長になったのが佐藤栄作先生。 で、日本空手道極真会を財団法人に申請したのがこの頃です。
 結局申請が通らなくて、休眠していた財団法人(1942年設立)を買って、財団法人極真奨学会を立ち上げた訳で。 んで、設立準備委員会のメンバーがそのまま奨学会の方にシフトしたのかな。
 そして、同年10月に本部ビル落成、という感じ。 ちなみに、日本空手道極真会自体は1957年2月発足です。 我々が大山道場と呼ぶ、清山荘アパートの中にあった道場は、日本空手道極真会の大山道場という事になります。
 まぁ、この辺りを50周年に臨んで近々書きたいな、とw そんなに細かくは書けないと思いますけど、「拳の眼」らしい独自見解と、設立当初の写真を色々使いつつ、紹介出来たら、と考えています。

現代カラテマガジン1974_2_1.jpg

 さておき、今回は「現代カラテマガジン」の1974年2月号を紹介しましょうか。




巻頭大特集
 '74年極真会館冬期合宿 試練!!
 ――極寒につどう若き獅子たち

現代カラテマガジン1974_2_2.jpg

合宿日記

 文:中田栄子

…一面ツララだらけの凍りついた岩肌をよじ登り、烈しく落下する水しぶきの中へ身を入れると、あとはもう夢中だった。 足場を固め、容赦なく落ちかかる水の打撃をまともに受けながら、ただガムシャラに正拳を繰り出す。 気合いをふりしぼらなければ、たちまち体が凍りついてしまいそうな冷たさだ。

現代カラテマガジン1974_2_3.jpg

エイッ、エイッ!――ナニクソ、負けるものかと気合を入れ、そして突きまくる。 する内、次第に身体の知覚が麻痺してきて、水の冷たさをそれほど感じなくなった。 頭ばかりがイヤに冴え冴えとしてきて、自分の体がいつになくスムーズに動き始めているのを、私はまるで他人事のように意識した。
烈しい水の落下の中で、私はこの時、いま自分が一つの巨きな試練を乗り越えつつあるという確かな自覚を持った――


巻頭言
大山空手を
    学ぶ幸福
 文:梶原一騎

 昨年の暮、私はマネジャーの三浦君と共に、大山館長とご一緒して韓国へ赴いた。
 (中略)
 現地で面白い事件にぶつかった。
 「ウシ殺しの大山」きたる、というので、対抗意識にかられたのか、どうか、韓国の代表的プロレスラー某(館長の希望で名を伏す)が、吾輩とてパンチ三発以内でウシを殺して見せる、と広言した。


空バカ2.jpg

 (中略)
 …どっこい三発はおろか、そのまた十倍の三十発ブン殴ってもウシはビクともせぬ、じっと下を向いている。 三十発のまた三倍の九十発ブン殴りまくったが、まだモー君は泰山不動、ときおりメイワクそうな上目を使うだけ。
 合計九十三発めで、ようやく前足を折ったから、汗だくで青息吐息のプロレスラー氏はホッとして、本日は不調であったとかナントカ弁解しているとき、のっそりウシは立ち上りトコトコとスタジオを出て行った! 改めてメキシコの闘牛ウシまでを叩き伏せたマス・大山の偉大さを、まざまざと思い渡しは失笑しながら深く感動していた。



組手の心得 2
 文:大山倍達

 ここに昔から日本の武道家が常に心がけて学んだある禅僧の心の持ち方に関する書物から一部を引用して紹介しよう。

現代カラテマガジン1974_2_4.jpg

 無心の心と云うのは、心が一と所にかたまらないことを云うのである。 どこにも置かれない心である。 無心と云っても、石とか木のようだと云うのではない。 心が何かにとまると云うことは、心のなかに物があることであり、心がとまらなければ心に物はないのである。 よく無心の心になり得たならば、一事にとどまらず、一事を欠くこともなく、いつも水をたたえたように身にそなわっていて、用のできたときに出てきて用をするのである。 一と所に心が定まり、止まった心は自由に働かない。車は軸が固められていないから動くのであり、一と所でも何かつまってかたまれば車は、まわらない。
 心も一と所にかたまれば、まわらない……。
 この例と、前に述べた心の中の円とよく考え合わせて自分の技によく照し合わせて考えていただきたいと思う。



拳法夜話 其乃弐
 少林拳の話
 文:臥竜人(空手評論家)

赤軍用心棒 〈第14回〉
 原作:真樹日佐夫 画:制野秀一

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連載小説 青春賭博(21)

 文:高森真土

誌上カラテ道場(18)
極真会館 黒帯研究会 指導
■応用編 高度な移動稽古

現代カラテマガジン1974_2_6.jpg

空手バカ一代 (21)
 文:梶原一騎

 
 「現代カラテマガジン」1974年2月号でした。
 今回の梶原一騎先生の「巻頭言」を読んで、オヤッと思われた方もいるかと思います。 そう、劇画「空手バカ一代」にも載ったあのエピソードですね。 って、もう画像載せちゃってますがw
 オイルショック以降の物価狂乱の煽りを受けて、廉価で梶原プロダクションに委託されていた極真の道着を安く作れないかと大山倍達総裁に相談した結果、それじゃあ、人件費も物価も安い韓国はどうだろう? という事で一緒に韓国まで行ったらテレビでこういうパフォーマンスをしたレスラーがいた、という話らしいです。

空バカ1.jpg

 しかし1973年暮れ辺りの韓国の代表的レスラー…誰でしょうね?
 「完本 1976年のアントニオ猪木」を読むと、パク・ソンナンかな、という気がしますけど…。 一応73年11月と74年1月にアメリカでプロレスの試合を行った事は書いてあり、「時々韓国に里帰りして」とあるので、2mの巨人のスケジュール的にも問題なさそうです。 名前を隠してたので、日本でも有名な金一(大木金太郎)かな、と以前は思いましたが、時期的にはパク・ソンナンが一番近いかもです。
 今回はここまで、それでは、また。


参考文献:
現代カラテマガジン 1974年2月号 現代カラテマガジン社 1974年
KCスペシャル 空手バカ一代 第8集 原作:梶原一騎、画:影丸譲也 講談社 1982年
完本 1976年のアントニオ猪木 柳澤健 文藝春秋 2009年









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コメント
この表紙の
手刀は格好いいですね。大山館長の基本は三戦立ちなんかも、他の諸先生とは違う格好よさがあります。何が違うんでしょう?
  • kim
  • 2014/04/05 6:14 PM
kimさま。
やはり重量感が違うのではないでしょうか?
手先・足先だけではない
そして数をこなしたものだけが醸し出す
雰囲気ではないかと推測しています。
  • tama
  • 2014/04/06 10:31 PM
tama様、やはりそういうことなんでしょうか。こういうカッコいい基本が現在見れないのは逆に残念ですね。
あ、こんな基本やってみたい、という憧れが持てるような先生、何人いるのでしょう。
  • kim
  • 2014/04/07 9:06 PM
始めまして、韓国の者ですが、
あのプロレスラーはおそらく、チョン・ギュードク(千圭、&#52380;&#44508;&#45909;, 1932~
http://ko.m.wikipedia.org/wiki/%EC%B2%9C%EA%B7%9C%EB%8D%95) と思われます。

彼は元々軍人ですが、6・25戦争(日本では朝鮮戦争)の時参戦しており、当時唐手(タンスー)と呼ばれた空手の二段でした。まだテコンドーという名で総合出来てない頃の空手とテコンドーの過渡期の物ですね。因みにチャックノリスもこの後のタンスードーという名で空手を韓国で軍人として勤務していた時学びました。彼の実力を軍隊時代知りつつ、大のプロレスのファンでもあった、バクジョンヒー大統領が、彼にプロレスをやれと勧誘し、牛殺しを命令したのです。記録にはございませんが、証言では三頭殺したのですが、地方巡礼試合での事でした。彼は180/130の巨漢では有ったが、190まではないです。彼は韓国のプロレスの二人者でした。パクソンナムも同じく二人者であり又キムイルの右腕でもありましたが、チョンギュードクは元々キムイルより後輩にあたるがほぼ同期、パクソンナムはキムイルの弟子に当たりますから、格はチョンギュドクの方が上です。そして実際牛のエピソードもありますし。

あの放送があったかどうかは定かではないが、絵での容貌と実際の現役のチョンギュドクは非常に似ており、彼があのエピソードの主人公では無いでしょうか 写真は(http://image.tagstory.com:8080/MEDIA/IMG/20090501/V000312706_0.jpg) こちらです。力道山とも交流があり、自分のパクリのスタイルを認めてくれたのことです。
  • ソンジサン
  • 2014/09/05 2:15 PM
又もコメントですが、http://starin.edaily.co.kr/news/NewsRead.edy?newsid=01088966586574888&SCD=&DCD=A50201

実際の彼が牛殺しする写真です。でも彼は「元々何匹も一本でしめたけど、あの時は放送で、ジャンチュン体育館でのデモンストレーションだった。大統領のspが、牛は大統領の党のシンボルだ。一撃で倒すとまずい、引っ張ってから仕留め、と言われて、十発くらいでとどめさした。」言ってますが、ふむ,

ま、梶原先生的虚勢や虚長が両方混じっているのでは....
  • ソンジサン
  • 2014/09/05 2:26 PM
>ソンジサンさん

おぉ、中々日本では調べにくい所をありがとうございます。
しかし千圭徳なら日本人と何度か試合しているので、確かに名前を隠す必要があったかも知れませんね。

実際に仕留めたかどうかは分かりませんが、チャレンジは事実だったというのが知れて嬉しいですw

>大統領のspが、牛は大統領の党のシンボルだ。一撃で倒すとまずい、引っ張ってから仕留め

だったらそもそも牛を使わない方が良い様な…w
  • Leo
  • 2014/09/06 11:16 AM
Leo様

恐縮です。

牛とspの話ですが、

パクジョンヒ大統領は、大山倍達(韓国では韓国名チョイヨンヒ)とプロレスの大のファンでしたそうです。

かの有名な牛殺しは今も韓国では伝説で言い伝えているくらいですから、

トップで有ったパクジョンヒがこれをタンスーとプロレスに長けていたチョンギュードクがやって見せるのを生で観るのががただ単に欲しかっただけだったが、

spや政治家は腹が違ったかも知れません。

「ハンガーゲーム」で主人公のキャッニースが知らぬ間革命のシンボルに成った様な事が起こるかも知れぬ、

と当時独裁政治だったので下の者たちの過剰な反応だったのでは無いでしょうか?

上様が見たがっておられるので

「あかん、牛はうちの党のシンボルやさかい、あれやるん格好悪いんちゃいまっか?洒落んなんないんですわ。」(なんちゃって)

と言える者はまず無いですから、先ずは押忍して裏で何とか、だったかも知れないですよね。

私は1986年産まれで詳しくは知りませんが、父が30年軍人でしたので、多分そうだったと思います。
  • ソンジサン
  • 2014/09/07 3:31 AM
>ソンジサンさん

なるほど。
金大中大統領とは面識があったのは知っていますが、朴正煕大統領については交流があったかも?という可能性としてしか考えてませんでした。
「1976年のアントニオ猪木」を読むと、韓国政府が相当プロレスに肩入れしていた様ですので、大山倍達と力道山を掛け合わせた様な英雄を欲していたんでしょうかね。
  • Leo
  • 2014/09/07 11:08 PM
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