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大山倍達マニアック検定

【50周年】極真会館、誕生!

JUGEMテーマ:空手
 

 さて、今回は予定通り国際空手道連盟極真会館に設立に関連したアレコレを書いて行こうかな、と思ってます。
 今年、2014年は大山倍達総裁の20回忌でもありますし、これを以て追悼とさせて頂きます。

極真会館10.jpg



 まずは日本空手道極真会について話しましょうか。
 日本空手道極真会が全日本空手道剛柔会から独立したのは1957年2月。 切っ掛けは前年の田園コロシアムで行われた猛牛雷電号との試合だったと思われます。

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1957年2月、日本空手道極真会発足

 山口剛玄先生も知人の毛利基尚氏を紹介してこのイベントのマネージャーに抜擢した事から分かる通り、剛柔会肝煎りの興行だった様です。
 この興行については前にも書きましたが結果、失敗に終わり、別段本人に咎がある訳ではありませんが―大山総裁の組織内での立場が悪くなります。 当時池袋にあった大山道場で指導員をしていた南本一郎先生はこう仰っていますね。

南本  そう、空手界では異端視されていた。 で、しばらくして外部からの圧力が厳しくなったんでね。 僕を呼んで「いやあ、このままじゃダメだから、俺も一派をこしらえるよ」と言われたんですよ。 僕もそういうことを聞いておったので、「そうですか、じゃあどういうのを?」と尋ねると「極真流だ」と言われたんです。

 こうして日本空手道極真会が発足、三峯山で祝詞をあげて頂いた様です。 この時から恐らく3年ほどの間に「極眞會」の意匠を原元木氏が作り、そして観空の型から旧観空マークを作り、剛柔会時代の五条訓をベースに現在の道場訓を吉川英治先生に監修して頂き、徐々に体制が整って行きます。

観空マーク.jpg
旧観空マークから現在の観空マークへ

 この間、大山総裁は日本文芸社で編集長を務めた経験のある多島質裕氏(元々日本文芸社から出版の予定があった)が興した東京ニュース社より"What is Karate?"を出版、初版は残念ながら誤字が多かったという理由らしいですが、3000部を米軍基地のPXや丸善で販売。 実はこの時点ではアメリカでは売って無かった様ですが、丸善ルートで少しはアメリカで売ったのかな? 次の改訂版は第7版まで刷られ、海外で好評を博します。 この時点で、日本出版貿易の望月政治社長を紹介され、版権を譲ります。

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東京ニュース社版"What is Karate?"

 "What is Karate?"の出版は空手を世界に伝えよう、ビルを建て、後進の指導に当たろう、そんな切っ掛けを大山総裁に与えたんじゃないでしょうか。 だとすれば58年頃から建設資金を集め始めたんじゃないかと、考えてます。 クライスラー社の極東支社で重役だったという、デイビー・ベトフォード氏と知り合い、空手を教えていた時に道場建設の話があったそうなので、こういうのも影響してるとは思いますが。 ちなみに、ベトフォード氏が考えていた道場予定地は、池袋のサンシャインの向かいだそうで、実現してたら今頃あの辺りの客層が一変してたかもw
 さておき、東京ニュース社の改訂版"What is Karate?"と日本出版貿易版の"What is Karate?"が極真会館本部ビルの原資となるらしいんですが、以下が、智弥子夫人の回想。 多分色々な思い出があって、混合されてるとは思います。

智弥子  望月さんは総裁を一目見るなり、「わかりました! で、どんな感じの本にしましょうか」 って。 いきなり出版が決定ですよ。
――うひゃー、それは豪傑ですね。
智弥子  周りにいた人がびっくりしたみたいですが、望月さんは社員たちを一喝してこう言ったそうです。 「ええい、黙りなさい。 私は一目見て、この大山さんという男に惚れたんだ。 すぐにアメリカに連絡を取って、出版の用意をしなさい」と。
智弥子  それで出版に向けての仕事が始まって、総裁も家にいるよりも出版社にいることのほうが多くなったんです。 おかげ様でアメリカで本がものすごく売れまして、印税を受け取りに行くことになったんです。 そのときに望月さんは「奥さんを連れて来ないとお金は渡さないよ」と言われたんで、私も日貿出版に行きました。

(中略)
――そのお金はどこに行ったんですか。
智弥子  そのお金を前から欲しいと言ってた、今の会館が建ってる土地の手付金にしたんですよ。 どういうつてがあったのか、その土地を総裁が見つけてきたんですね。 それである占い師の方に見てもらったら、「この場所は大山先生のためにあるような土地です。 安心して働けるだけ働いて、今はお金を貯めることだけを考えなさい」と言われたらしいんです。

(中略)
――その土地を本の印税でようやく手に入れることができたわけですね。
智弥子  でも、そんなにあっさりとはいきませんでしたね。 印税をもらったら、その足で地主さんの家へ行ったんです。 総裁が地主さんとお話していた間、私は別の部屋で待っていたんですが、二人の話し声がだんだん大きくなってくるんです。

(中略)
智弥子  だから地主さんはその土地を売ったお金で、別の土地を買って息子さんに開業させようとしていたんでしょうね。 だからどうしてもマケられないとおっしゃるんです。 それでしばらく沈黙が続いて、地主さんが「わかりました。 じゃあ、私は最速は一切しないかわり、一銭もマケることはできない。 そしてお金ができたらすぐに持って来て下さい。 これでどうです」って言ったら、総裁も「わかりました」って。
――うーむ、豪快な約束ですね。
智弥子  でも、印税全部を渡してもまだ足りなくて、板橋の家を売ることにしたんですよ。 そのお金も全部地主さんに渡して、私たちは椎名町の六畳一間のアパートに越しました。


 日本出版貿易の"What is Karate?"は1963年の7月出版なのですが印税なのか版権譲渡時に発生したお金なのか、この辺りが少々不明。 建設自体には2年を要したと言われているので、62年には建設準備を始めていないといけないですし。 そして63年夏までには毛利松平先生と再会されてるので、半年後の印税払いではちょっと間に合わない。 一応資料では63年10月に地鎮祭を行っている事になっていますが、写真を見ると皆半袖を着てるので、もうちょっと早い気もしますw

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版権委譲後の日本出版貿易版"What is Karate?"

 さておき、最終的には7万部くらい出て、"This is karate"の出版に繋がる訳ですが、目白3丁目のお屋敷から南町のアパートに移って、板橋3丁目の一軒家に移り、その後椎名町に引っ越したという事になるんでしょうか。
 こうして土地だけは西池袋3-3-9に購入出来ました。 しかし土地だけ手に入れてもビルを建てるだけの金は無い。 大山総裁は方々で頭を下げ、金策に廻ります。 この時に壮年部や黒崎健時先生、資料によれば58年頃に指導員となられた渡邊一久先生も資金を集めに協力し、ようやく建設に漕ぎ着けます。 この時の事は中村忠先生も少し書いていましたが、渡邊先生も自著「幻の大山道場の組手」でこう書いてらっしゃいます。

極真会館3.jpg
65年頃の本部ビル

 当時、大山先生は、池袋に極真会館ビルの設立を企画していた。 しかし、前述したように、大山先生は決して道場経営が達者な人ではなく、お金はほとんどなかったのだ。
 私と黒崎先輩は、自分たちでお金を貯めて、大山先生の夢を実現させてあげるしかない、という覚悟をもっていた。 私たちからすれば、親の夢をかなえるための戦いであった。 短期間にお金を貯めるには、きれいごとを言ってはいられない。
 黒崎先輩が見つけてくる仕事は、いずれも危険がともなうもので、それを実行する人間として私を指名するのである。


極真会館2.jpg
完成間も無い頃の本道場

 まぁ、智弥子夫人によればこの時も紆余曲折があった様ですが、「わが夫、大山倍達」では少し話が混同している模様、なのでこの機会に整理してみます。 ここから先は関係者の話と当時の記事を元に私の推測を交えて再構成しているので、100%正しい訳ではありませんw
 しかし、判明している事実を元に一旦状況整理の為、時系列で並べてみましょうか。 後ほど書くであろう部分も一応書いておきますね。

1956年6月頃:立教大学裏に大山道場の看板を掲げる。
1956年11月:田園コロシアムで「空手対猛牛」。
1957年2月:日本空手道極真会を発足。
1958年1月:"What is Karate?"初版を出版。
1959年6月:"What is Karate?"改訂版を出版。
1962年11月:マジソン・スクエア・ガーデンにて第1回北米大会開催。
1963年5〜6月頃:毛利松平と共に「剣豪列伝集」で森川哲郎と対談。
1963年7月:"What is Karate?"の新版を日本貿易出版から出版。
1963年10月:本部ビル建設開始/ハートフォードで第2回北米大会開催。
1964年4〜6月:極真会館建設委員会発足、並びに財団法人へ申請。
1964年10月:本部ビルオープン。


 これらが一応客観的に分かる部分となります。 勿論「本人談」はあるのですが、例えばBの話が発生する前に得られたAの頃の発言を採用しているので、BやCと言った後の話がAの話に影響する事は皆無でしょう。 どれだけよく憶えていても、事実とは乖離している可能性がありますので、私なんかは当時の証言を重要視しています。 後、北米大会に関しては、建設資金稼ぎの為に出席されていたそうなので、載せておきました。 他にも海外から指導依頼があった様ですけど、その辺りは割愛。

 さておき、話に整合性を持たせるのであれば、まず建設会社に払う金が足りず、地鎮祭(もしくは落成式)に漕ぎ着けられなかったと思われます。 払わないと続けさせないと、建設会社にブロックされてた様で、智弥子夫人によれば当時の金額で2700万円が不足。 そこで大山総裁は金策に走ります。

極真会館5.jpg
地鎮祭

 1960年代初頭というのは、64年の東京オリンピックによる建設ラッシュもあったので、そんな時期に個人でビルを建てようとしたのが、色々なトラブルを誘因した一因だったと言えるでしょうね。 ここは留意しておいて欲しいところ。

 そして渋谷の方の知人から金を工面しようかと思い、訪ねるも不在。 …道玄坂に住んでたというクライスラー社のベドフォード氏かな? んで、道玄坂をトボトボと歩く大山総裁を見掛けて声を掛けたのが毛利松平先生。 戦後とある事で大山総裁が毛利先生の命を助けたというのが縁だったそうですが、ここからは智弥子夫人の回想に譲りましょうか。

智弥子  そうでしょ(笑)。 でもこれは本当の話なの。 それで毛利先生が、「ああ、やっぱり大山君だ。 どうしたんだい、こんなところをトボトボ歩いて、君らしくもない。 とにかくこの車に乗って私の家へ行こうじゃないか」ということで、一緒に毛利先生のお宅に行ったんですよ。
(中略)
――そして、この日に約二十年ぶりに再会したと。
智弥子  毛利先生はそのときにはもう国会議員になられていて、渋谷にお屋敷があったんです。 それで一緒にお屋敷に行ったんですが、総裁は考え込んでばかりで、どうも様子がおかしいんで、「どうしたんだ、何か心配事でもあるのかね」と、毛利先生に聞かれて、総裁は「実は……」と事情を話したんです。
――話がようやく明るい方向に向かってきましたね。
智弥子  そうしたら毛利先生は、「ハハハハハ、なんだそんなことか。 よろしい、二千七百万円だね。 池袋のあのあたりだと、ナントカ銀行が近いな。 よし、今から電話しておくからすぐにそこの銀行にお金を取りに行きなさい。 さあ、急ぎたまえ、三時になると銀行が閉まってしまって、全てが手遅れになってしまうよ」って。
――いくら命の恩人とはいえ、返してもらえるかどうかもわからないのに、そんな大金をポンと出すなんて、毛利先生も凄い方ですね。
智弥子  本当に毛利先生には何から何までお世話になりましたよ。それで総裁は大急ぎで池袋に戻って来て、言われた銀行に行ったら、毛利先生がおっしゃっていた通り、お金が用意してあったそうなんです。 そのお金を受け取って、ようやく戻って来たのはもう夕方でしたねえ。

 
 ここでややこしいのは、64年10月の落成式の日に毛利先生にお金を出して貰ったという話になっている事なんですが、偶然の再会を果たしたその日にお金を出して貰ったという話を起点にすると落成式では無く63年10月?の地鎮祭かも知れませんけど、毛利先生とは遅くとも63年の初夏には再会してるので、ぶっちゃけどこにも合致しない。 ひょっとしたら2度、急場で資金を融通して貰った可能性もあるかな? ちなみに、大山総裁の著書「極真カラテ 21世紀への道」では資金の調達についてこうあります。

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1963年初夏に毛利松平と

 昭 和三十八年、いざ会館の建設に踏み切ってはみたものの、財政難から工事はしばしば中断された。 「大山はもう駄目らしい。 会館建設が命取りになった」と、巷では私を中傷する者も出てきた。 事実私は、万策尽き果てていた。 この急場を救っていただいたのが、当時、極真会館副会長の任にあった毛利先生である。
 「大山とは縁を切るべきだ」という人が多いなかで、結城さ んという一人の秘書が、「ここで中途半端に工事を投げ出すことは、却って毛利先生の名に傷がつくことになる。 工事を中断しては、毛利先生にとっても大山先生にとっても、マイナスにはなっても決してプラスにならない」と口添えした。
 この一言に、ポンと膝を叩いたのが毛利先生であった。
 「そのとおりだ。 ここで大山を見捨てては、これからの空手界にとっても莫大な損失になる!」
 やがて会館は、竣工を見た。 毛利先生の資金面での援助なくしては、今日の極真会館はなかったのである。


 さて、毛利先生が手を貸したのはどの時点なのか。 個人的には、再会後に改めて金策に走る所でバッタリあったのでだろうと今の所結論付けています。 …でも、普通建設委員会まで発足させたなら、関係者は落成式に出席してるよなぁ…w

 こうして建設を開始します。 そして1964年4〜6月頃(と幅を持たせていますが、多分6月)、日本空手道極真会は毛利先生の尽力により佐藤栄作先生を迎えてホテル・オークラで極真館の設立準備委員会の発会式が行われます。 同時に当時まだ韓国籍だった大山総裁の替わりに渡邊一久先生の父が財団法人に申請、これは通ったのかどうか、また後述します。

組織図.jpg
1973年の組織図

 同時に国際空手道連盟極真会館が設立されます。 この時の初代会長が佐藤栄作先生ですね。 組織体系が分かり難いと思いますが、当時、佐藤栄作会長→毛利松平副会長→大山倍達館長という事になっていた様です。

建設委員会.jpg
設立準備委員会にて、佐藤栄作

 当時の佐藤先生の大山総裁に対する印象は…、

 「空手は知らなかったね。 まったくの素人なんだが、大山君のことは前から得がたい人物だと感じておったんだ。 今度、大山君の極真会の会長に推され、実演もはじめてみたんだが・・・・いや、ききしにまさるすさまじいものだった。 おどろいたよ。 私は、大山君の姿に、一芸に秀でたものだけがもつ、共通の境地といったようなものをみたように思う。 今度大山君は、会館を建てたんだが、海外にまで"道"をひろめている。 大いに期待しとるところだ」

 この時期の大山総裁は本部ビルに対してこの様な構想を持っていました。 以下は1964年の「平凡パンチ」6/22号のインタビュー。

 ――今度、六千万円の空手会館を建設するそうですが(先日ホテル・オークラで、設立準備委員会の発会式があった。 会長佐藤栄作氏)
 「はい、あれは、もう半分くらい建ちかけています。 日本空手道極真会を財団法人に申請して極真館(ビル)と称するもので道場のほかに、外国から空手の修業にくる人たちの部屋や、空手の文献を集めた図書館なども設備します」

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1964年6月時点の週刊誌報道を見るに、まだビルは完成していない

 ――では、空手道のセンターというわけですか。
 「これは、ですね。 ほんの手始めなんです。 ここは一応の足場になりますが、希望をいわせてもらえば、せめて講道館なみの空手のメッカを建設しませんとね。 これは、佐藤先生にもお約束しましたが、必ず実現させます」
 ――たいへんな金が必要ですね。
 「そう二十億くらいかかるでしょう(いとも無造作な口調)。 なんでも一つの仕事をなしとげるのには十年。 早くて七年くらいの歳月は必要ですよ。 だけど誰かがやらなければ、いつまでたっても、現状のままですから、そこには進歩はありませんね」


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1965年、今東光来館

 途中、何度か資金が切れて工事が止まったり、という事もあった様です。 これまた智弥子夫人の回想を見てみましょうか。

 いよいよ建築に入りました。 朝な夕なに見に行きましたよ、うれしくて。 「あら、この前とあんまり変らないわね」と言うと、うしろから作業員の型に「僕らが悪いんじゃないですよ、社から材料が来ないんですよ、お金を入れてくれれば来るんですよ、変らないんじゃないんですよ、変わるようにして下さいよ」ってどなられたこともありました。 完成してから、その作業員の方から手紙が届いたのよ、「あんな失礼なことを言って申し訳なかった、仕事だけしていればいいというものではなかった、奥様ごくろうさま」って。

極真会館1.jpg
完成間も無い頃の本部ビル

 こうして遂に10月15日、本部落成。 直前の記事で、大山総裁はこう語っています。
 
 「…今度六千万円かけて空手会館をつくりました。 十月十五日にオープンの予定です。 これはわが国でもはじめてのことでしょう。 しかしこれはほんの手始めです。 とにかく柔道の講道館みたいなものをつくりませんとね。 それから、空手をショー化して、皆さんに楽しんでいただく、ということも考えております」

極真会館6.jpg
先の写真と比べれば分かるが、後に看板は変更された

 しかし、ここでも一悶着ありました。

智弥子  最初にお金を三分の二払って、残りは会館ができてから払えばいいという契約だったんです。 それがそこの社長が途中になって、「残りのお金を払わないと、建物は別の人に渡す」なんて言い始めたんです。
(中略)
智弥子  いよいよ落成という日に、会館の入口に紅白の幕を飾って、地下の道場、今は汚くなっちゃったけど、まだできたばかりでキレイだったから、そこにお弁当並べて、ささやかな宴会の用意もしてたんです。 お弟子さんたちもみんなニコニコして待っててね。 でも、あのお弁当も食べた覚えがないわね。 誰が食べたのかしら。
―― 誰が食べたんでしょうね(笑)。 そりゃあ嬉しいですよね。 新しい四階建ての道場に移れるんだから。
智弥子  私も嬉しくて、その日のために西武デパートで洋服を新調したんです。 それで落成式の日の朝に、その服を来て出かけようとしてたら、総裁がムッとした顔で言うんですよ。 「何でそんなキレイな服を着てるんですか。 すぐに普段着に着替えなさい。 闘いはこれからなんですよ!」って。


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現在は煉瓦で囲われている、牛殺しの壁画の前で

 ともあれ、これで居住階も含めて、4階建て地下1階の本部ビルが誕生しました。 智弥子夫人によれば、当初はお金が無くて、ガラスがなかなか入らなかったそうです。
 弟子たちも新しい道場には大喜びで、「どんな小さなものでも我々の手で運びたい」と大山道場からは自分たちの手で荷物を運んでいました。
 そう言えば、先の発言に「空手をショー化して」というのがありましたが、これは以前書いたキックボクシングの父、野口修さんと日本拳法空手道の山田辰雄先生と進めてたキックボクシングの協業の話かな。
 設立当初の道場は、一部のフロアに畳を敷いていました。 ここで黒崎先生を中心として、寝技をやっていたらしいです。 藤平昭雄(大沢昇)先生の回想。

極真会館8.jpg
1階の道場、畳が敷いてあるのが確認出来る

 大沢  うん。 打撃で倒れなかったらどうするんだといって、しょっちゅうやっていてね。 で、寝技もゴロゴロやっていたんだよ。 板の間で。
 極真会館ができた時は、黒崎先生が毎日来て、「今日はアマレス、グレコロ―マンだ! 寝技の練習だ!」って言って。 いろいろやって、今の修斗みたいなもんだよ。 例えば何本フォールできるか、そういうことばかり一時間も二時間もやっているんだよ。


誓約書.jpg
1965年頃の入門誓約書

 さて、財団法人について触れましょう。 前述の通り、財団法人に申請したのは64年の4〜6月の間ですが、多分新規では通らなかったんですね。 そこで、1942年1月21日に設立された休眠中の財団法人を買い取ります。 これが現在の財団法人極真奨学会ですね。
 以前、極真奨学会の履歴事項全部証明書を取得して来たのですが、同会の目的は、以下の通り。

極真奨学会.jpg

この法人は、育英および学術研究の助成を目的とする事業
1,優秀学生に対する学資金の給与
2,学術研究の奨励助成
3,その他前条の目的を達成するため必要な事業


 んで、ここが謎ですが、履歴事項が載っているので、過去の全理事が載っている筈なんですが…、一番古い記録でも1987年7月15日。 つまり、それ以前の記録が無いという事です。 これを見る限り、最終的に財団法人の申請が通ったのは87年という事になります。 元々極真会館を財団法人化したいというのが大山総裁の意向で、自著「極真カラテ 21世紀への道」にもこう書いてます。

 …極真会館を「財団法人」として正規に法人化したかったにもかかわらず、それが実現できなかったこと。

 まぁ、この件は棄却されましたが遺言書にもあります。

一 遺言者死のときは、次のとおり処理すること。
1.極真会館、国際空手道連盟を一体として財団法人化を図ること。この法人化には日時を要するので、その間財団法人極真奨学会を拡充化すること。財団法人極真奨学会において極真会館、国際空手道連盟を吸収することが可能ならばそれでも可。


 極真奨学会の理事は、塩次秀雄先生を理事長として、大山倍達総裁も名を連ねています。 公人で、名前から分かる人だけでも挙げてみると…谷川和穂(自民党議員、法務大臣や防衛長官を歴任)、梅田嘉明(横浜東邦病院々長)、待田京介(俳優、本名で記載)、長田武士(公明党議員、公明党副書記長、同総務局長を歴任)、新井将敬(元自民党議員で新進党、無所属となる)くらいかなぁ。 公明党はちょっと意外だったり、あぁ、でも大山総裁は国柱会→日蓮宗っぽいからちょっとは関連あるのかな、それとも出自か政治的な付き合いなのか。
 奨学会は色々とあって廃止になりかけた事もありましたが、現在でも活動中ですね。 当時の理事を見ると、会議とかやってなさそうですがw 議事録とかあるのだろうか?

 こうして、50年前の設立以来、多くの門下生を見守り、そして歴史を紡ぎ出して来た極真会館本部ビルは誕生したのです。
 
極真会館12.jpg

 最後に、先日山崎照朝先生のコラム「激戦記」よりこの記事を転載させて頂きます。


極真会館創設50年を迎え思うこと…

2014年3月18日

 今年は空手の極真会館ができて50年、創始者大山倍達総裁が亡くなって20年だ。毎年、命日の4月26日に、東京都豊島区西池袋の総本部で慰霊祭がある。私は慰霊祭は辞退しているが、命日が近づくと護国寺に墓参りしている。今年も先日、三女の喜久子さんを伴って合掌してきた。

 総裁が創設した極真会館は私が入門した1964年に地上4階、地下1階の鉄筋コンクリートビルとして完成。4階は館長家族が住む住居があった。喜久子さんは「傷みが激しく水漏れもあって今は住めない。修繕には莫大(ばくだい)なお金がかかる」という。活気が消えた道場に無念さがありありだ。

 総裁死後、組織は何十にも分裂。どれも『極真』の看板を上げ、総本部も名乗る。商標権を巡っては大山家と裁判闘争もあった。今や会員は世界を含め、膨大な数になる。喜久子さんは「空手着の『極真』のデザインマークは裁判で勝って権利を持っているが、誰も使用料を払おうとしない」と嘆く。

 極真ブームのときにはベンツを乗り回し、別荘を持ち、全盛期を謳歌(おうか)した極真道場。本家本元の本部会館の現状を見れば、タダで看板使用はずうずうしいと思いませんか。 
(格闘技評論家、極真空手初代全日本王者)


極真会館7.jpg

 という事で、極真会館50周年の記事を作ってみました。 と言っても組織の確立とビルが建つまでにテーマを絞ったので、少々毛色も違いますがw
 基本的には誰でもアクセス出来る資料でーというのが当ブログのスタンスなので、実は…という裏話とか聞いてても、資料上出てない事はあんまり言わないですw 「○○先生から聞きましたが…」というのは、一見信頼性が高い様で誤情報の温床でもあるんですよね。 まず当の○○先生が本当にそう言ったかどうかの確認が取れないし、責任も取れません。 なので活字資料に拘っているのです。
 しかし、今回の様な記事は何十年も経った後の回想が中心になるので、整合性を持たせるのに苦労しますねw 本件は特に組織化されていない時代の話なので、稽古ばかりしていた弟子では殆ど関われず、全体像は見えて来ない。 資金を融通した人でも、AとBを語れてもAからBに繋がる話を語れるとは限らないのです。

極真会館11.jpg

 そして書いてる間に頭の中で線が繋がったりと、何かこう錯綜しながら書いてましたw
 時系列で見ると、20年振りに毛利松平先生に会って、いきなり資金融通というのは整合性が取れないなぁとか、結構頭を痛めた物です。 トラブル続きだし、短期間で色々あり過ぎだろ、とw
 しかしこうやって本部ビル建設の話を書くと、一目見てみたいと思っていた地方支部時代を思い出します。 多くの門下生、ファンが憧れたんじゃないですかね。
 それでも建設が50年が経過し、もう建物はボロボロです。 山崎照朝先生が書いて居る様に、雨漏りも発生したと聞きます(補修されたそうですが)。 残せるのであれば極真門下の文化財としてでも残したい所ですが、いずれ朽ちて行く事でしょう。 何かね、保存の為の募金とかあれば協力したい所ですが、全体から見ると極真の一派閥が管理している様な感じなので、「大山倍達総裁の為に」という大義名分ですら集まれない状況ですし、難しいのかな。
 せめてこのブログの記事で、大山総裁の追悼と共に思いを馳せたいと思います。
 今年の○○周年ネタは 牛殺し、極真VSムエタイ、そして極真会館設立で終わりかな。 大山総裁に関しては山ほど書いているし、追悼記事も紹介したので、Twitterで少し別の追悼記事を紹介する程度で、こっちでは扱わないと思います。
 今回はここまで、それでは、また。

参考文献:
Masutatsu Oyama, What is Karate? EVERYONE CAN PRACTICE KARATE MYSTERIES, Tokyo-News Co., 1958
Masutatsu Oyama, What is Karate? Revised edition, Tokyo-News Co., 1959
Masutatsu Oyama, What is Karate? New edition, Japan Publications Trading Company, 1963
Masutatsu Oyama, This is KARATE, Japan Publications Trading Company, 1965
Jon Bluming & Kenji Kurosaki, KYOKUSHINKAI KARATE1, Uitgeverij De Goudvink p.v.b.a., 1967
Masutatsu Oyama, BOY'S KARATE, Japan Publications, Inc., 1969
剣豪列伝集 88号 双葉社 1963年
平凡パンチ 1964年6/22号 平凡出版 1964年
週刊大衆 1964年10/8号 双葉社 1964年
週刊サンケイ 1965年4月号 産業経済新聞社 1965年
1973年度極真会館年鑑 第4回オープントーナメント全日本空手道選手権大会 財団法人極真奨学会 1973年
巨人大山倍達の肖像 ゴッドハンドの軌跡 国際空手道連盟極真会館監修 コア出版 1984年
わが師 大山倍達 睫攘庵 徳間出版 1990年
極真カラテ 21世紀への道 大山倍達著 徳間書店 1992年
わが夫、大山倍達 (格闘技通信セレクション) 大山智弥子、須山浩継共著 ベースボールマガジン社 1995年
パワー空手 第2号 パワー空手出版社 1998年
蘇る伝説[大山道場]読本 日本スポーツ出版社 2000年
財団法人極真奨学会履歴事項全部証明書 東京法務局 2006年
幻の大山道場の組手―かつて地上最強の空手は実在した 渡邊一久著 フル・コム編 東邦出版 2013年

参考リンク:
【コラム 撃戦記】極真会館創設50年を迎え思うこと… (2014/04/14)

関連リンク:
国会の姿三四郎 毛利松平 前編(1963年)
大山倍達著 ”What is karate?”
大山倍達 対 雷電号 (1956年)
【新説?】"牛殺し"大山倍達から60年
極真VSムエタイ 前編(1964年)








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コメント
ご無沙汰しております。ちょうど極真会館創設50年ですか。私が3歳の頃の創設になりますのと、あの時代に個人でビルとはまさに「超人」ですね。詳しい記事を興味深く読ませて頂きました。大山先生への最高の供養にもなるのではと思います。さて、余談ですが >公明党はちょっと意外だったり、あぁ、でも大山総裁は国柱会→日蓮宗っぽいからちょっとは関連あるのかな。の文につきましての私見ですが、「国柱会」(日蓮宗身延系)と「創価学会」(日蓮正宗大石寺系)は敵対関係にあり、「国柱会」は政治団体として「立憲養成会」が、「創価学会」は政治団体として「公明党」が外部団体としてあるわけですから、信仰的な面から公明党議員が出たのではなく、>政治的な付き合いなのか。の方面であると思われます。不肖は国柱会と立憲養成会双方に関連がある人間なものですから、ちょっと気になってコメントしてみました。これからも素晴らしい記事に期待しております。有り難うございました。押忍


>公明党はちょっと意外だったり、あぁ、でも大山総裁は国柱会→日蓮宗っぽいからちょっとは関連あるのかな
訂正します。

「立憲養成会」→「立憲養正会」

「養正の恢弘」という文化的行動が日本国民の使命である。からとっております。変換ミス失礼しました。大山先生もメンバーでしたね。
  • 名誉五段
  • 2014/04/16 9:26 PM
(・ω・)松井氏が集めていたお金はどうなったのでしょうか?
パワー空手誌面で募金したひとの名前が掲載されてましたが、建てかえは移転本部でなくこちらの記事の建物のことですよね?
  • ぬこやなぎ
  • 2014/04/17 7:42 PM
>名誉五段さん

>「国柱会」(日蓮宗身延系)と「創価学会」(日蓮正宗大石寺系)は敵対関係にあり
そうなんですよね。 それで公明党が意外だったんですw
ひょっとしたら創価学会が破門される以前からの知人という事もあるのかな、とか色々思ったんですけど、この辺りは大雑把な知識しか無いので、言葉足らずでした。

しかし総本部の合宿地とか見て行くと、日蓮宗に関係しているというのが見えて面白いんですよね。 某旅館もそこから紹介されたのかなぁと思ってます。
そして、大山総裁が亡くなられて数年後、「月刊ワールド空手」で、池田大作氏の名を挙げて感謝している…割と最近独立した某有名選手の大会後のコメントが載っていて、大山総裁が生きていらっしゃったら、これ誌面に載らないだろうなぁと思ったのを憶えてますw

>ぬこやなぎさん

建て替えは、大山総裁の建てた総本部のビルですw 今はコインパーキングになってるかと思いますが、この総本部の横の土地を取得して建て替える予定でした。

私が商標権返却訴訟の裁判を傍聴したのは2006年の事なので、あまりそれ以降は知りませんが、株式会社グレートマウンテンにて管理されていました。 浜井識安先生の話だと、2億5000万くらいプールされてたそうです。 このお金は1993年の特別昇段審査の時に集めたお金ですね。
松井先生が集めた募金がここにプールされたのか、それとも、株式会社IKOマネージメントや極真サービス株式会社、株式会社国際空手道連盟極真会館にあるのか、そこまでは知りません。

浜井先生のブログをご参考にどうぞ。
(株)グレートマウンテンの分割払いのお金での故大山倍達総裁ご遺族支援の顛末(てんまつ)
http://kyokushin-hamai.com/blog/2009/11/post_18.html

  • Leo
  • 2014/04/19 4:32 PM
ご返事有り難うございました。
信仰的な面で恐縮ですが、大山先生が「館山道場」を開いた時は、「神棚」ではなく、日蓮宗身延派の書け軸本尊が祀られており、「空手バカ一代」のオープニングにも身延山久遠寺の「山門」がそのままアニメに描かれていますから、やはり身延山の日蓮宗に思い入れがあったのかと思われますね。国柱会とはやはり立憲養正会に入っていたから関連があったのと、椎柱先生が双方に深い関連があったためかと思われます。

また、会館建設募金、私も微力ながら協力させていただきました。でも、正直言いましてお金の事はよくわからないです。現在でも機関誌に協力等の掲載はあると思われますが。
  • 名誉五段
  • 2014/04/20 6:40 AM

(>_<)酷い話やなー☆

ありがとうございました。
  • ぬこやなぎ
  • 2014/04/20 3:02 PM
>名誉五段さん

>日蓮宗身延派の書け軸本尊が祀られており、

あぁ、あの掛け軸ってそういう意味があるんですか。
極真自体は神式の行事が多いですし、大山総裁も神社に願掛けに行かれてましたが、実際人脈を見ると日蓮宗絡みは結構ありますよね。
岐阜の辻兼一先生は立憲養正会の岐阜の支部長だったみたいですし、山籠もりの際に資金援助した小沢専七郎先生も、山口剛玄先生の本を読む限り、東亜連盟関係者の様ですが、久遠寺を紹介したという辺りから考えると、立憲養正会だったのかなぁと思ってます。
石原完爾という人物を中心に考えると不思議は無いですし。

建設資金はどうなってるんでしょうね。
何をするにしても、総本部を持っている遺族と、コインパーキングを持ってる某企業と話付けないと集めてもどうしようも無いですねぇ。
まぁ、どうにか建設出来る様になったとしたら、空手図書館を是非w
必要なら協力しますw
  • Leo
  • 2014/04/20 10:15 PM
浜口首相襲撃事件の佐郷屋も日蓮宗ですよね。黒崎さんもかな?
  • やいや
  • 2014/04/22 1:35 AM
個人的見解ですが:
・武道であれ、いかなる組織であれ、発起人が、影響を受けた思想を根底に
自分が生きるための糧としてそれらを興した以上、極真のみならず、カリスマ性(負の理屈でいえば教主的)で飛躍した武道団体は、
宗教的組織の構図に成っているのがほとんどでしょう。
・極真系においていえば、大山総裁は朝鮮半島出身の方ですし、椎柱氏の強い民族運動の影響を受け、在家組織の田中思想へ傾注した時期もあったと思います。当時も今もそれらのトップを政治家がおおいに利用し、武道会や宗教家も政治家を利用。今も変わらず、互いに権力の拡大と疲弊をもたらし続けていると思います。沖縄空手も今尚、その内部紛争が絶えません。一番苦しむのは、それで生活をしていないアマチア門下生でしょうね。
その上、欧米はその辺をおおいに見抜き、ドライにビジネスととらえ、利益をむさぼる手段にしていることも事実です。
・大山空手は、戦後動乱の時期から出発しているといっても過言でないと思います。政治家のみならず、影のフィクサーは、倍達師のみならず、腕の立つ人間や暴力団を利用して当たり前の時代でした。
・力道山時代のプロレス・芸能興業時代の興隆期も近年のK-1やボクシングブームの根底も未だ変わってないと思います。
・ジャイアント馬場師のプロレスのリングサイドに招待された際も、そういうあちらの関係者の方々や、黒のベンツに頭を下げる一群を目の当たりにしました。もうこうなれば、極右左派なんて関係ないですよ。今では笑い話ですが、さっきまで敵対関係で流血しながらリング上で戦っていた選手らが同じバスで移動して当然でしたからね。かと言ってプロレスは当時遠征以外では空手以上に命掛けで稽古していました。
・極真系・大山総裁の負の財産の発端で挙げられるのも思想ではないでしょうか。
朝鮮半島は道教・儒教を百済以降高麗が庶民の思想教育として取り入れて来た理由でもありましょう。
日蓮思想家ではありませんが、日蓮の思想の源流は実は真逆で、今の身延系・学会系・富士系の殆どはこれに気付いていないというのが今も変わっていません。まあ、どこの宗教宗派でも同じですね。「世界平和と唱えながら、実は教主やその継承者と名乗る輩の自己中心主義」から脱却出来ない。極端に言えば、日蓮が西洋に生まれていたならば、キリスト教から真理を悟ったと思います。源は同じすからね。釈迦以前にも森羅万象の真理を悟った人間が存在したということですね。宗教は「人間」が創った教えで、「法」は永遠に存在しているといった方が理解し易いでしょうか。「武」と称する格闘技と思想・それを象徴する建立技法・文化・慣習は元来、西から東、又その逆で交流し、混ざり重なって日本へ伝播した永い歴史がありますから、簡潔には説明し難いです。ですから、極真系に限らず、他の武道の分裂はあとを断たない。
思想では、皆が良く知る宮沢賢治がそういうしがらみに嫌気がさして、智学から離れた。つまり、ある意味、真理を悟ったということにも成りますか。
・グレートマウンテン=大山総裁のダミーカンパニーでは?
・わたしがこれまで見てきた限り、浜井氏の宣言の一部は確かに「そうであった」といえるでしょう。総本部新建設構想以前からそういう内部問題がありました。それで、他組織に移った人間は確かにいつの間にか黒帯はおろか、3段や4段以上になっています。それから又分裂して別組織の長に成っている。
これは極真/フル・コン系だけでなく伝統派空手でも同じですね。ひどい組織なんかは、自分で10段位とつけている。伝承や系図もインチキそのものです。
・ですから、我々は一旦武道なるものを修得するためには、それなりの覚悟と線引きの「眼力」が必要だと思います。
・最後に一番嫌な思いをしたのは、もう何十年も前、公衆トイレに小便に行った時、伝統派が落書きしたのかは判断出来ませんが、「極真は朝鮮空手」とスプレーでいくつもの落書きを目撃したときですね。日本人でありながら、腹が立ちました。大山総裁が未だご存命の時でしたからね。丁度笹川系ともめている頃でしたね。
  • 元極真オヤジのつぶやき
  • 2014/04/22 8:57 PM
>やいやさん

黒崎先生が日蓮宗なのかは知りません。 血盟団とかはそうなんでしょうけど。

>元極真オヤジのつぶやきさん

宗教に限らず、ワンマン経営の会社というのは必然的にトップダウンになるものですし、個人的にはあんまり宗教的な組織と考えた事は無いですねぇ。 極真ブームを体感してないせいか、結構醒めてるのかも知れませんがw
何度か書きましたけど、ホンダにおける本田宗一郎と極真会館における大山総裁の類似性は面白いと思います。 性格的な問題じゃなくて、立ち位置ですが。 藤沢武夫=梶原一騎という風に見えますし。

株式会社グレートマウンテンは登記簿取って無いので、事業内容は知りません。 ただ、93年の特別昇段審査で集めたお金をプールして管理する為に使われたのは事実だと思いますよ。 傍聴した裁判でも出てましたから。

>・わたしがこれまで見てきた限り、浜井氏の宣言の一部は確かに「そうであった」といえるでしょう。総本部新建設構想以前からそういう内部問題がありました
新会館建設計画自体は70年代後半には既に動いていましたけど、内部問題というのは、いつ頃の話なのでしょうか?
  • Leo
  • 2014/04/26 12:35 AM
わたしがこれまで見てきた限り、浜井氏の宣言の一部は確かに「そうであった」といえるでしょう。総本部新建設構想以前からそういう内部問題がありました
新会館建設計画自体は70年代後半には既に動いていましたけど、内部問題というのは、いつ頃の話なのでしょうか?
Leo
2014/04/26 12:35 AM
>御存知でしょう。まあ、あって当たり前でしょうか。
Leo様が軌跡を追って調査・開示された通りの「暴力的事件・金銭的な問題」としか言えません。あまりにも複雑ですから。元の極真会館を人間も含めて刷新・再構築して行くべきだったというのは遅すぎる意見ですが、理想でした。内部の諸先輩・御弟子・門下生にも責任があります。組織も人間も不完全なものですね、またそれが魅力かもしれませんが。しかし、種々理由あり離れた諸先輩方も含め、実は、今尚極真を愛して止まないのではないでしょうか。そういう意味では極真は心で繋がっています。今さらながら自省はわたくしもしております。
  • 元極真オヤジのつぶやきさん
  • 2014/04/26 3:14 PM
>元極真オヤジのつぶやきさん

まぁ、あぁしておけば良かった、というのは皆さん色々あるでしょうけど、今出来るのは、駄目だった所は反面教師とし、良い所は伸ばして、未来に繋げて行く事ですからねぇ。
個人商店のまま大きくなった団体ですから、実務面でカバー出来る人材が内部にいなかった、あるいはいたけれども実権は持っていなかった、というのは極真に限らず、ある程度以上の規模になった団体にはつきまとう問題かも知れませんね。
  • Leo
  • 2014/04/26 9:41 PM
弟子たちが、危ない橋を渡っても師のために尽くした。
現在なら、危ない橋をわたって集めた資金は、自分自身の道場資金または、自分のために遣うものですが、
 大山氏には、何か魅力があったのですね。

   
 晩年かってのお弟子さんが、大山氏の批判的なことを雑誌を通して云っていました。


 とくに黒崎氏は、ほめごろしに近い感じだったのではないでしょうか?


 生前の大山氏が黒崎氏の批判的なことを述べていないのは、会館資金の恩義でしょうか?

 その黒崎氏が埼玉県に自らの道場を建てたのは、高齢の時だったと思います。 (ちなみに当時、二階お弟子さんの寮のトイレは、トイレの内側からロックできません。なぜか、外側から鍵のロックになっています。)


 極真本部道場・・あの時代、この年齢で池袋にビル会館を建てたのは、すごい!しかも個人のビル

 普通には、できない。


 黒崎道場もすばらしいのですが、

 道場が移転でなく閉鎖?みたいなことをネットでしりました。

 本当に黒崎道場は、閉鎖したのですか?
  • プット・ローレックス
  • 2014/06/29 5:02 PM
>プット・ローレックスさん

閉鎖したのかは確認して無いですけど、先々週くらいの夕方に黒崎道場近くのスーパーに買い物行った時は明かりが付いてなかった様に思います。
  • Leo
  • 2014/06/30 12:42 AM

 最近黒崎氏は、以前のように雑誌には、登場しておらず新格闘の活動も(大会等)載っていないような気がします。 (私は、最近の格闘技雑誌をみていません。)
以前、1日入門みたいな形でお世話になり、久しぶりに黒崎道場に訪問させてもらうつもりでいたのですが、黒崎道場は、移転した?閉鎖?みたいなことを、
ネットでしりました。


 管理人様の返信でだいたいのことが推測できました。
  黒崎氏がご健在なら、安心です。


 ありがとうごさいました。
  • プットローレックス
  • 2014/07/01 4:34 PM
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