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大山倍達マニアック検定

「カラテ群像」15 郷田勇三 五段(1983年)

JUGEMテーマ:空手
 

 さて、今回は久々「月刊パワー空手」から「カラテ群像」の郷田勇三先生の記事を紹介します。
 郷田先生は国際空手道連盟極真会館の中では最古参、大山道場時代から極真に在籍し続ける数少ない人物ですね。

郷田勇三2.jpg

 それではどうぞ。



郷田勇三 五段
 昭和17年3月17日、東京雑司ヶ谷に生まれる。 腕白を絵に描いたような少年であったが、34年4月一念発起して武道の取得を志し、池袋の大山道場の門を叩く。 以来二十有余年空手一筋の道を歩み、大山倍達館長の幅広い薫陶から多くを学び、昭和51年東京城東地区支部長の認可を受ける。 多くの指導員、チャンピオンを育て、現在でも1年のうち約2ヵ月間は世界の支部をまわり指導に励んでいる。 極真会館総本部師範代。 全国支部長協議会会長ほか、要職多数。

郷田勇三1.jpg

 大山道場時代の弟子として、現役で活躍していらっしゃるなかでは郷田支部長、最古参でいらっしゃるわけですが、ざっくばらんにまず入門の動機などからお伺いしたいのですが
――入門の動機はね、自分は前々から体が小さかったから空手かボクシングをやりたいと思っていたわけです。 それであちこち調べてみると、ボクシングは当時月謝が500円。 500円となると自分の小遣いだと、ちょっと払いきれない。 小さい頃、あまり親にとっちゃ優秀な子供じゃなかったから「ボクシングとか空手をやる」なんていうと、親が猛烈に反対したわけです。 「これ以上悪くなったら困る」ということで……。 だから、内緒でやらなきゃならない。 しかし黙ってやるには500円という月謝は高すぎる。 昔、高田馬場に"小暮ジム"というのがあったんだけれども、月謝が500円だと聞いて「これはちょっと自分の小遣いでは払いきれないな」と思ったわけ。 それで、もっと安くできる空手なんかないかなと思っているうちに、友達が誘いをかけてきた……。
 それが大山道場であったわけですか
――いや、そうじゃない。 その友達が自分に「オマエが、空手かボクシングをやるようになるまで、ちょっとダンスでも習おうか」と、こういったわけです。
(中略) そしたら帰ってくる途中に、電信柱に"大山道場"ってちゃちなビラが貼ってあったんです。 よく見ると、入会金が500円、それから月々の道場使用料が300円と、こう書いてあった。 それで「よし、300円だったら自分の小遣いでもできる」と思って、その友達に「悪いけど、俺はもうダンスは止めた。 こっちのほうへ行くから」、そういって入門書を破って、そのまま立教裏の大山道場に行った。 その時は、道場のはじっこに館長の机があって、「入門したいんです」といったらすぐに許しが出て。 家行って入会金800円を持ってきて即入門、とこうなったわけです。
 入門してやはりよかったですか
――いやあ、あの時は後悔したね。 入ったその日に、組手でぶっ飛ばされちゃって。 組手の時間になって、「お前はケンカをしたことがあるか」と茶帯の先輩に訊かれたものだから、「あります」と答えたら、「それじゃあケンカの相手だと思ってかかって来い」ということになって、やって、ぶっ飛ばされちゃったわけです。 それで「これは、エライところへ入ったな」と後悔したんだけれども、ま、入っちゃった以上は「空手はどこの道場でもこういうもんだろう」と自分に言い聞かせて……。 いろんな流派があるってことを知らなかったものだから、どこの道場へ行ってもこれと同じことをやるんだなと思って……。

郷田勇三3.jpg

 当時、指導してくださった先輩などのことについて聞かせていただけますか
――その当時はね、渡辺先輩だとか岡田先輩、矢島先輩。 それから松井先輩、それから、もちろん今の主席師範(大山茂師範)も泰彦師範もいましたけどね。 まあ、そのほかにも安田先生だとか石橋先生だとか……。 そういう人達が入れ替わり立ち替わり、指導してくれましたよね。
 もちろん、館長も指導してくださったわけですけどね。 道場へ行くたんびに(先輩に)ぶっ飛ばされるんだけれども、館長の指導の時には恐くない。 黒帯の先輩だとか、師範代みたいな人に教えてもらうほうが痛い目に合うんです。 館長に教えてもらう時には、いくら自分たちが殴っても蹴っても、館長から攻撃してくるっていうことはないわけだから。 もう、大人と赤ん坊がやっているようなものだから、どっちかというと館長と(組手を)やったほうが遙かに楽なわけ……。
 稽古時間なんかは大部長かったんですか
――長かった。 夜7時から始めて、だいたい10時だとか11時。 10時過ぎなんていうのはざらだったね。 道場から自分の家までは、歩いてせいぜい15分ぐらいなんだよ。 それがね、家に帰るのに最高2時間もかかった時があった。 もう、塀ににはいつくばりながらね、ぶっ飛ばされて口惜し涙を流しながら、泣きながら帰ったこともある。
 ある時は、さすがに親父が心配して、自転車に乗って探しに来た。 それでまあ、途中でばったり親父に会って、一緒に帰ったこともあったな。
 そうやって苦労されて、何年くらいで黒帯になられたわけですか
――もうある程度やってね、茶帯ぐらいになると、「よし、ここで止めてしまったんでは元が取れない」と思うようになるんだよ。 もう、殴られっぱなしだからさ。 ま、「殴れる」っていうとちょっと語弊があるけれども、殴るほうにまわって、これまで殴られた分を取り返さないとこれはもう元が取れないと、こう思うようになる。 だから、何がなんでも黒帯になるまでは頑張らなくちゃならないということで、やって、だいたい4年ぐらいかかりましたかね。 途中、茶帯になって、黒帯の審査を受けるという3日前に交通事故に会って骨盤を3ヵ所折ってしまったものだから、それで2ヵ月入院。 半年くらい稽古ができず、だから他の人よりか8カ月ぐらい遅れをとってしまったね。
 当時の審査内容について詳しくお聞かせください
――やっぱり今と同じようなあれだね。 まあ、筆記試験なんてのはなかったけどね。
 ただ、昔は今みたいに簡単にパッパッパッと審査を受けるというようなことはなかった。 自分たちの頃は一級、二級、三級は茶帯、そしてあとは全部白帯だったんです。 白と茶と黒、この3段階しかなかった。 それで、当時の審査でいえることはね、黒帯と茶帯、茶帯と白帯の間の差が歴然としていたということ。 だから白帯の時に、茶帯を目指して審査を受けるという段になると、これはもう相当神経を使ったわけです。 果たして自分が茶帯になったら、あるいは黒帯になったら、「今見ている先輩のような組手ができるのだろうか」という不安が、いつもあった。 だから、ある程度自信をつけるまでは、昇級・昇段審査を受けなかったわけだけれども、この点、現在の道場生と違うところかもしれませんね。

 (中略・海外遠征の話)

郷田勇三6.jpg

 内弟子といいますか、支部長は寮には長い間いらしたということですが……
――正式には、内弟子になったことはないですね、自分は。 だから、本当は内弟子でない者が寮に泊まることなど許されないことだったけれども、館長もある程度黙認してくださったから、6年くらいは寮にいたでしょうかね。 稽古終わるとしょっ中、寮でなんとなく食事をしたり、雑談をしたりしてたわけです。 それで11時頃になると「家に帰ろう」とするわけだけれども、今アメリカにいる泰彦師範が「お前、もう遅いから泊まっていけよ」って、何遍も誘われて……。 しかし、いっちゃ悪いけれどもこれが(昔の寮)また汚いところでね、今の若獅子寮みたいに立派な寮じゃないから。 だから泰彦師範にすすめられても「いや、ここは人間の寝るところじゃないから」と冗談をいったりして最初の頃は断わっていた。 ところが、いつの間にか寝泊まりするようになったんだね。 そうなると、住めば都で結構居心地がよくてね、気がついたら5年も6年も寮に居座るようになっていたというわけです。
 当時寮にはキックの大沢さん、藤平さんもいらしたということですが
――いや、彼の場合はもっと前の話だね。 自分たちが寝泊まりしていた寮はなく、会館の地下で寝ていたね、彼は。 ベッドを置いて。 その地下で、コンロを置いて、煮物なんかしたりして何か訳のわからないものをつくって食べていたね。 そうやってしばらくたってから寮ができた。
 何か、寮には入れない理由でもあったわけでしょうか
――いや、そうじゃないんだ。 それだけ稽古熱心だったということ。 自分がね、今まで見た人で、先輩でも後輩でも「一番強いな」と思ったのは藤平。 彼が一番空手に対してバカになり切っていたし、そして一番強かった。 だから今でも館長がね、弟子たちに「君らの先輩に藤平というのがいた。 君たちが彼の半分だけでもいい、稽古に熱中することができるなら、君たち間違いなくチャンピオンになれるよ」というようなことをおっしゃる。 あれはまさにその通りだと思う。 あの、彼の半分でもバカになったら、バカになって稽古したら間違いなくチャンピオンになれると思う。
 まあ、彼はそれから事情があってキックに転向したけれども、あれだけ自分の身体を酷使して、徹底して稽古に打ち込んだ人間は見た事がないね。

郷田勇三4.jpg

 郷田支部長は国内支部長でも最古参に属するわけですが、こうして支部の動きなどをご覧になっていて何かお感じになったことありますか
――支部の動きというより、自分のこととしていわせてもらえば、なんだかんだこうやって自分が続けて来れたというのも、大山館長はじめ主席師範や泰彦師範、そして多くの後輩、道場生が盛り立ててくださったから続けて来れたんであって、決して自分一人の力で道場が成り立っているわけではないということですね。 この当り前の、基本的なことを忘れちゃいけないと自分は思いますね。
 今こうやって自分が道場を開いて、?十万円の家賃を払って空手だけで生活をしていけるということ。 これはどうひっくり返して見ても"極真"という看板があるから成り立っているようなものであってね。 だからたまに、自分の生徒たちにぼくはこういう。
 「君たちは"極真会"の看板を見て来たんだから、郷田勇三の名前を見て来たんじゃないと思うから、極真会の空手をやりたくて入門してきたわけだから、いってみればぼくは館長から君たちを預かっているようなものだ。 だから、自分も一生懸命やるから君たちも極真会の名に恥じないように真面目に稽古をやるように」
 とこういうようなことをいいます。
 それから、支部長っていうのは文字通り支部を預かっている訳ですよ。 だから、道場の経営をしっかりやって、自分の義務を遂行しなきゃいけないし、師範と呼ばれる人は、絶対に生徒と一緒になって汗を流さなきゃだめなんですよ。 真剣に。 それができなかったら、師範という名前は使うべきじゃない。

 (中略/本部について)
 支部長は長い間"極真会館"という組織にいらしたわけですが、この間には師範クラスの方々が除名になったり、いろいろなことがあったと思いますが……
――あり過ぎるくらいあったね、いろんなことが。 自分から去った人もいるし、除名になった人もいる。 ちょっと淋しい気もするけど、ま、しょうがないねこれは。 いろんな理由があってこんな結果になってしまったんだから。
 ただ、ぼくがちょっと思うことはね、去ったんなら去ったでそれは一向にかまわない。 自分は一流一派を築いてやってるんだから別に問題はないけれども、ただね、極真会の甘いところだけを吸おうなんてそんなせこい考えだけは止めてもらいたいということだよね。 男なら男らしく、自分だけの力で城を築いていけばいいんであって、普段は極真会の悪口をいって歩きながら、いざという時になると"極真会"という名を使って甘い汁を吸う。 これはとんでもない話だね。 ぼくにいわせれば。 去ったなら去ったで、徹底して自力で自分の道を切り開いていって欲しい。 なかにはそんな人もいるだろうけれども、館長も日頃おっしゃっているように、やはり人間はちゃんとしたけじめ、節度を守るということは大切なことだと思いますね。
 たとえば、国内や世界大会の時、極真を離れた流派から「俺の道場生を試合に参加させろ」と、こういう注文がくる。 いろいろいい分はあるだろうけれども、これなど自分にいわせりゃ簡単な図式で説明できる問題だ。 つまり、一緒にやりたいんだったら、何もわざわざ極真から離れていかなくたっていいんであって。 こっちは一つの組織をみんなで一生懸命守って頑張ってきて、128名という限られた選手のなかになんとか参加させようと血の滲むような努力をしている。 また、そのなかには他の流派から16名を厳選して参加させるという規約みたいなものもある。 去った人は、極真が嫌で出ていったんだろうから、何もそんなイヤな組織の主催する大会にわざわざ自分の可愛い弟子を出場させる必要などさらさらないんであって……。
 だいぶ熱が入っていらっしゃるようですが、最後に館長に何かひと言……
――極真カラテはこれからもますます大きく、充実していくと思います。 自分が空手をやって、やらないのが20年。 もうやった年数のほうが多いわけです。 生を受けてから今まで、ね。 自分の親父は8年前にいなくなっちゃったけれども、兄弟のなかで自分が一番両親には迷惑をかけた。 それで、なんとか孝行をしようと思った時にはもう親父はいなくなってしまったんです。 だから今はもう、口はばったいようですけれども館長が自分の親父のような気持ちでいます。 まあ、館長が「お前出ていけ」っていわれるんだったら仕方ないけれども、そうでない限りは"極真"という組織のなかで精一杯頑張っていきたいと思います。
 今更、サラリーマンやれっていわれたって、これはできない相談ですから、ね……。



 と言う事で、「カラテ群像」より、郷田勇三先生でした。
 本記事が掲載されたのは、極真が大揺れに揺れた2人の支部長の除名処分より3年近く経過した頃ですが、歯に衣を着せない辛口トークを展開されていますw
 実は省略した海外遠征の箇所でも、「空手バカ一代」に登場した、当時在籍していたとある先生のアメリカでの組手シーンについて手酷く批評してたりします。

郷田勇三7.jpg
アメリカ遠征チームと

 実際、郷田先生って何というか、講演会とかに呼んじゃうと、ぶっちゃけトークをしそうで見てる方が冷や冷やするんじゃないですかねw 以前とある場所で郷田先生とお会いした(というか突然来られた)時に、「近代カラテ」を広げてたら「懐かしいねー」とか言いながらパラパラ読み出したので、中に載ってる人物の事を聞いたら、「良く知ってるねー」とか言いつつ、爆弾発言をされて、ひぃぃってなりましたw (他にも言えない話が続々とw)
 ま、そんな郷田先生ですが、私のイメージでは悪戯っ子なんですよね。 羽田まで急ぐ大山総裁を自分の車に乗っけて、爆走したりとか、割と最近の話ですが、車に乗ってる時に知り合いを見つけると後ろからこっそり寄って、車で後ろからぶつかったり(※ゆっくりです)w
 で、郷田先生の得意技と言えば正拳突きだったそうで、大山道場時代に前蹴りの名手として知られた小沢一郎先生(※政治家では無い)も、こう証言してます。

小沢  ええ。 で、先輩なんかが当てる時は平手でもってバーンと額のあたりをね。 で、いつだったか郷田さんとやってる時に、郷田さんも自分も茶帯だったんですが、郷田さんの拳がほんのちょっとかすっただけで、前歯がボロっとやられちゃいました(笑)。 向こうは覚えてないかもしれないけど、まだ根に持ってるんです(爆笑)。

 ちなみに、郷田先生は全然憶えてない模様w 大山泰彦先生もこう証言されてます。

泰彦  そんなことないよ。 郷田勇三の組手は右の突きが強かったんだ。 右を生かすために全ての動きがあった。 試し割りなんてレンガ二つ置いて正拳で割っちゃうんだから。

 それから、本記事には載っていませんが、ある意味極真の黒歴史、プロ空手の立ち上げを任されたのは郷田先生だったりします。あっさりと潰れちゃいましたが、現在の城東支部は元々プロ空手のジムでした。

マガジン1976_4.jpg

 プロフィールにある昭和51年――つまり1976年に「日本空手ファイト協会」を設立。 これがえーと…79年かな、に城東支部として都内に初めて支部が誕生しました。 …という事になっているんですが、「マス大山空手スクール」のスクーリング道場が1973年に設立されているので、厳密には2番手かなぁ。 添野義二先生の埼玉支部も「東京都下埼玉支部」なので、埼玉県ではありますが、一応都内になるのかなw

郷田勇三5.jpg

 最後に泰彦先生の名前が出ておられましたが、両先生は今も仲が良く、泰彦先生が帰国されると必ずゴルフをやっている筈ですw もう1人誰か入れてBIG3対決を元旦にやって、どっかで動画配信とか…しませんよね、やっぱりw

 ところで、今百人組手を達成した事もある元ニュージーランド支部長、ジャン・ジャービス先生の英語の自伝を読んでいるんですが、結構面白い話が出て来ますね。 まだ辿り着いていませんが、ちゃちゃっと見た感じでは四国での芦原英幸先生との組手も載っている模様w
 今回はここまで。 それでは、また。


参考文献:
月刊パワー空手 1983年9月号 パワー空手出版社 1983年
大山倍達とは何か? ワニマガジン社 1995年
最強最後の大山倍達読本 日本スポーツ出版社 1997年
蘇る伝説 大山道場読本 日本スポーツ出版社 2000年
月刊フルコンタクトKARATE4月号別冊 空手バカ一代たちの伝説 福昌堂 2000年

関連リンク:
大山道場とは何か?
「カラテ群像」8 安田英治(1983年)
「カラテ群像」10 矢島力 初段(1983年)
「カラテ群像」11 石橋雅史 七段(1983年)
「カラテ群像」14 岡田博文 三段(1983年)
「少年マガジン」と「空手バカ一代」、そして極真空手の時代3 (1975〜1976年)
ある日の極真会館 13(現代カラテマガジン 1973年6月号)
【レビュー】渡邊一久著「幻の大山道場の組手」(2013年)




 






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コメント
大変気になるのでジャン・ジャービスvs芦原英幸について早く教えて下さい。お願いします。
  • やいや
  • 2014/09/09 11:55 AM
キョクシンは基本にサンチン立ちを採用したのは何故でしょうかね?
  • 質問
  • 2014/09/10 10:02 AM
ジャンジャービス氏の自伝本のタイトルを教えて頂けますか。私も読んでみたいです。
  • ふうた
  • 2014/09/11 7:39 PM
>やいやさん、ふうたさん

ジャービス先生の自伝は"Kurosaki kill the cat"という英語の本で、アマゾンの電子書籍でとりあえず購入しましたw
忙しかったので、まだ半分くらいしか読んで無いし、まだ芦原先生のところまで辿り着いてませんが、前回読むのを止める前に"Ashihara"で検索したら、先の方に「鼻血が出た」みたいな事が書いてましたね。 叩かれたのは事実の様ですw
まぁ、いずれここでも取り扱うでしょうw

>質問さん

三戦が基本なのは、元々極真会が剛柔流から独立したからです。
  • Leo
  • 2014/09/13 7:17 PM
某書籍にあったエピソードですが、大山道場時代に郷田さんが、ある黒帯にいじめられて休みがちになっていたところ、芦原さんが話をきいてその黒帯を病院送りにした、と。今では重鎮なので匿名となっていましたが、誰だと思いますか?って、そんな事は知ってても言えませんよね(笑)
それにしてもジャービスさんね本のタイトルはどういう意味でしょうか?
  • 木村
  • 2014/09/14 4:32 PM
>木村さん

まぁ、事実かどうかはともかく、聞いてますけど言えませんw、

"Kurosaki kill the cat"は黒崎健時先生の事ですね、本文中に出て来る台詞だったか、心の声だったか忘れましたけど。
電子書籍で購入したので、現在斜め読み中ですw …いや、結構読むの面倒なんですよね…w
  • Leo
  • 2014/09/15 8:17 PM
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