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大山倍達マニアック検定

【レビュー】ジャン・ジャービス著"Kurosaki Killed the Cat"(2010年)

JUGEMテーマ:空手
 

 はい。 えー今回はですね、先日触れたら反響が大きかったあの本を紹介したいと思いますw
 
kurosaki_killed1.jpg

 という事で、ジャン・ジャービス先生の"Kurosak Killed the Cat"という自伝本です。 何でこんなタイトルなのかは後述しますが、Kurosakiというのは黒崎健時先生ですね。





 ジャン・ジャービスというのは、ニュージーランド出身で、イギリス支部のスティーブ・アニール先生の元で空手を学び、1967年に来日。 実は海外支部で昇級して、本部に移籍した外国人弟子第1号らしいんですよね。 オランダのジョン・ブルミン門下から何名かこの時期に本部に来ているので、正確かどうかは分かりませんがw

kurosaki_killed11.jpg
ジャン・ジャービス

 そして1年ほど本部で汗を流し、帰国前に百人組手を完遂、史上5人目の百人組手達成者となりました。
 その後はニュージーランドに帰国し支部を設立しますが1976年に退会します。
 今となってはあまり知られていない、海外の強豪となってしまいましたが、劇画「空手バカ一代」にも、名前こそ違いますがジプシー空手の達人として登場し、当時の愛媛支部長芦原英幸と激戦を繰り広げるという有名なエピソードのモデルにもなりました。 正確には本部時代に血だらけになって互いに殴り合ったという、ピーター・マクレーンと、ジャービスを足してドラマチックな出自を付け足したのがジプシー空手の話ですね。


「空手バカ一代」より

 さて、いつもなら目次に行くんですが、本書は章立てはしてあるものの、ナンバリングしかされていないので、スルーします。 ついでに、ジャービス先生の経歴の内、極真時代以外はざっくりカットしますw

あぁ、ちなみに ジャン・ジャービスと書いていますが、正確にはジョン・ジャービスですね。 何でジャンなのかな。 ニュージーランドは英連邦で公用語は英語だから、ジョンと読むのが普通だと思うんですけど、少なくとも日本ではそう読まれています。
 1940年、ニュージーランドに生れ、高校卒業後にニュージーランド軍に入隊、英連邦で協力関係にあるカナダやイギリスにも派遣され、ロンドン柔道会で柔道を始めます。 そして大山倍達総裁の著書で空手を知り、ちょうど日本で修業を終えてやって来たスティーブ・アニール先生を招き、65年の…多分6月くらいから極真空手を学び、ここで2級まで取得。

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イギリス支部の黒崎健時

 運良く、オランダ支部長ジョン・ブルミン先生が日本で再修業したいという事で当時の極真会館ナンバー2である黒崎健時先生をヨーロッパに招きます。 当然、ヨーロッパに来たのだからとアニール先生もイギリスに招待して、そこでジャービス先生は黒崎先生に出会うのでした。
 最初の稽古の話が載っていましたが、黒崎先生は生徒を相手に攻撃的な受けを披露し、全ての技を拳や肘、膝や脛で封殺したそうです。 そこで、アニール先生は「先生、攻撃技も披露して頂けませんでしょうか?」と打診したところ、相手をしていた哀れな緑帯は首に上段廻し蹴りを食らいあっさりKO。 次がジャービス先生の番で、戦々恐々としていた様ですが、ここで指導は終了。 日本の武道家と衝撃的な出会いを果たした訳です。
 んで…ある日、黒崎先生を指導員の自宅に呼んで歓待する事になりました。 名前は出てないけど、ボブ・ボルトン先生の所じゃないかなぁ。 まだアニール先生が帰国して1年かそこらですからね、他に指導員も育っていない気がします。
 さておき、指導員の家族は精一杯歓待し、食事後はリビングでそれぞれ椅子に座り、黒崎先生の稽古法などを拝聴していました。 話に熱の入る黒崎先生の椅子の肘掛けは、この家族が飼っている子猫の指定席であり、ひょいと、猫が指定席に座り込みます。
 しかし黒崎先生は意に介さず話し込み、
 「集中しなければ成功しない!」
 と稲妻の様な突きを肘掛けに振り下ろしてしまいます。 子猫の存在を忘れて。
 哀れ子猫は、絞り上げたテディベアの様な音を発し、事切れてしまいます。 子供達は泣き、その両親は怒りを露わにするものの、終始無言でした。
 困ってしまったのは黒崎先生でした。 別に子猫を殺そうとした訳では無く、本人としては全くの事故でした。 黒崎先生は子猫を抱え上げ、父親(指導員)に手渡します。 そこで、子供が
「黒崎が猫を殺した!」("Kurosaki killed the cat!")
 と叫ぶのでした。
 …とまぁ、これが表題になったんですけど、何でこれが選ばれたのやらw
 私が本書が出たの知ったのは2011〜12年頃ですが、すぐに買わなかったのは、タイトルが意味不明で自伝なのか何なのかよく分かんなかったのが理由です。 このエピソードの次のパラグラフでジャービス先生が自分の将来の道を選ぶ切っ掛けだった、と書いているので、人生の岐路に立たされた瞬間だったんでしょうね。 理解し難いですがw

 こうしてジャービス先生は1967年2月25日に来日します。
 先にこの頃の極真会館年表を書いておきます。 ちと長めに書きましたが、どういう時代だったかより深く理解出来るかと。

1966年
・2/17 黒崎健時、オランダへ派遣
・4/5 中村忠、アメリカへ派遣
・5/1 「近代カラテ」創刊
・6月 日本空手道選手権大会準備運営委員会設立
・9/8 俳優、ショーン・コネリー来館
・9/17 大山茂、百人組手完遂

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総本部前にて

1967年
・1月 四国空手道連盟(おそらくは糸東流)の栗田龍玄来館、極真会館への入会を決める
・2月? 芦原英幸、四国へ派遣
・2/25 ジャン・ジャービス来日
・3/11 オランダからルック・ホーランダーとヘンリー・セリアス来日
・3/12 タイム・ライフ・マガジン社を伴い、三峰山で合宿、取材を受ける
・3/28 NET(現・テレビ朝日)の「アフタヌーンショー」に出演
・4/8 加藤重夫、オーストラリアへ派遣
・5/20 城西大学空手部、極真会館へ入会
・5/31 シンガポールからピーター・チャン来日(間もなく父が急逝した為帰国)
・4月? 芦原英幸、四国より栗田龍玄と共に帰京
・5月? スティーブ・アニールがヨルダン王室に指導
・6月? 真壁忠が秋田支部(真武館)設立
・6/17 大山茂、アメリカへ派遣
・6/22 フジテレビの「セブントゥオーショー」にて演武
・7月末 芦原英幸、四国に戻る/真樹日佐夫入門?
・8月 廬山初雄、小倉正一郎本部指導員へ/長谷川一幸入門
・8/5 ルック・ホーランダー百人組手完遂/ヘンリー・セリアス30人組手完遂
・8/18 ルック・ホーランダー帰国
・9/4 ジャービスの弟子(後輩?)、アンドルー・バーバー来日
・9/7 ピーター・チャン、再来日
・10月 ジャービス、ニュージーランド支部の認可を得る
・11/10 ジャービス、百人組手完遂
・11月上旬 ヤン・カレンバッチ来日
・11月下旬 ジャービス帰国


 さて、本書に登場する極真関係者は…既に紹介している人を除くと、大山茂、中村忠、大山泰彦、藤平昭雄、芦原英幸、廬山初雄、佐藤勝昭、ルック・ホーランダー、ピーター・チャン(中国系シンガポール人として登場)、ダエシック・キム(多分)かな。 名前の出てない人もいますけど、文章から察し、記載しました。 後、来日当時はまだ1階の道場に畳が敷いてあったみたいです。
 ジャービス先生は、ホーランダー先生と親友になり、その紹介でブルミン先生も学んだ神道夢想流の清水隆次先生や、その門下の黒田市太郎先生にも四谷の機動隊本部や道場で古流武術を学びます。

kurosaki_killed8.jpg

 他に夢想神伝流や…、写真を見るに鎖鎌もやっているので、一心流もかな? これらを学びながら極真の稽古にも励むのでした。 この時にドン・ドレガー氏とも知己を得て、後にジャービス先生にとあるアドバイスをする重要人物となります。
 ジャービス先生はホームシックになったり、文化の違いに戸惑いながらも、色々な体験をします。 名前は書かれていませんが、在日の某先生にはレストランでビールを飲んでいた所でバッタリ出会い、「ビールは身体に良くない!」と文句を言われて戸惑っていたら、大山茂先生がちょうどやって来て、「サントリービールを下さい!」と注文してその方が引き下がったり(茂先生の方が先輩でした)とかw

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1967年3月、三峰山での大山茂と藤平昭雄

 また、ある時はイギリスで世話になった黒崎先生のいる成増支部に出稽古に行って、指導員の藤平先生に稽古を付けて貰います。 藤平先生の鍛錬思想はとてもシンプルで、手足の速度と力を鍛え、腹筋で連動させると。 その為、稽古ではまず腹筋1000回が基本だったそうです。 で、…ジャービス先生は大山総裁が新しい稽古法として取り入れないで欲しいと祈ったという稽古、まぁ、今でいう腹踏みをさせて鍛えていた模様。
 そして組手。 藤平先生やその門下はアップライトに構えていた様です。 頭部や肋骨をきっちりガードして、蹴りは膝と脛でブロック。 何かムエタイっぽいですね。 って、まぁ、多分この構えは加藤重夫先生が結構語られているので、有名だと思いますw

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本部道場恒例の壮行会

 さておき、ジャービス先生は藤平先生を指して、イギリスの狐狩りに使われる狩猟犬フォックス・テリアの様だったと回想しています。 短躯で素速く、一箇所に留まらず常に動き続ける。 躱し、潜る達人だと。 掴もうとしてもウナギの様にするりと抜けてしまう…そんな組手を経験したジャービス先生は、絶対に藤平先生とは闘わない方がいいと断言してますねw
 稽古の後、黒崎先生は呑みに連れて行ってくれたそうです。 黒崎先生もまた、大山総裁と同じく不意打ちに備えられる様な位置に陣取り、出口を確認して呑みながらも緩まなかった様です。 人を殺した事があるという噂すらあったとか。
 楽しい時間が終わり、皆で路地を歩いていると、おもちゃの様な2ストの日本車に乗った連中が「どけ!」と上から目線で一行に怒鳴ります。 黒崎先生はまぁ、カチンと来たんでしょうね。 言い返して鉄槌でボンネットを叩きました。
 するとどうでしょう、ボンネットは修理が必要なほど凹み、ラジエーターが死に、オイルを地面にまき散らし、エンジンがお亡くなりになりましたw
 人間業とは思えないこの所業にジャービス先生も驚き、ドライバーはビビリ、黒崎先生は何事も無かったかの様に再び歩き出したので、皆慌てて付いて行ったそうです。
 本書によればこの2週間後に黒崎先生が極真を辞めた、とありますが、今の所、手元の資料を見るに黒崎先生が退会したのはもっと後だと判断していますので、ここは記憶違いかな?

 さて、帰国が近くなって来ると、当時本部で稽古して海外に派遣される人間に対してよく行なわれていた追い出し稽古の一種である百人組手の話が出て来ます。 前年行なわれた茂先生の百人組手をジャービス先生は見ていませんが、話を聞いていた様で、百人組手に臨んだ茂先生の不安は稽古より指導の方が比重が高くなっていて体力面で不安があったと書いています。

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ルック・ホーランダー

 そして、8月のホーランダー先生の百人組手では、現在の様に腕と脛にパッドを付けて挑む許可を得たそうです。 ブルミン先生はホッケーのプロテクターを使っていたと聞きますが、同じ物かな?
 そして昇段審査の翌日、ホーランダー先生の百人組手が行なわれました。 結果はご存じの通り完遂した訳ですが、受け続けた手足はぼろぼろになり、パッドを外すにもナイフで切る必要があったそうです。
 そこで、ジャービス先生は茂先生の様に円を描く受けで、ダメージを軽減する作戦を思い付いた模様。
 11月、百人組手は大山総裁の鋭い目に見据えられながら達成。 極真のみならず、古流武術の免許を允許されたジャービス先生は、ニュージーランドに練武館という道場を開き、国際空手道連盟極真会館の南太平洋地区委員長として、日本武道の伝播に寄与するのでした。

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ニュージーランドにて

 1971年6月、更に自身の稽古をしたいと考え、日本に再来日します。
 しかし、この頃になると、ジャービス先生より上の先輩は大山泰彦先生ぐらいしか本部にはおらず、些か不満だった様です。 泰彦先生は暫く空手から離れていたので、あまり親しく無かったのかな。 どうもかつての先輩達に会い、指導を受けたかったみたいですから。
 そこで空手留学で滞在していた頃、数ヶ月ほど本部に戻って指導していた芦原英幸先生を思い出し、四国まで訪ねる事にしました。
 芦原先生は以前より少し肉が付いた様でしたが、わざわざ海外から訪ねて来たジャービス先生の訪問に喜んでいました。 しかし芦原先生の稽古は相変わらずハードで、組手の開始直後に鼻に打撃を食らい、出血させられたそうです。

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 稽古終了後、芦原先生は門下生に長い訓示を垂れ、ジャービス先生は鼻血と引き替えに自分が直すべき所を見出したそうです。
 叩かれた本人からしても、良い勉強をさせて貰ったと捉えている様で、別に卑怯とか思っていなかった様ですねw

 1976年、極真の第1回世界大会の後、ジャービス先生は退会を決意します。 この大会の裏側の話は多分とある人がその内出版すると思うので、私は触れませんがw 、世界支部長会議で色々と組織の方向性について紛糾したらしいんですね。 そして忠先生が組織を出るだろうと、誰もが感じていた様です。 アニール先生もいつとは言わないが、退会するだろうと個人的に伝えていた様です。 詳しい話は知りませんが、多分第4回世界大会の話に繋がるんでしょう。
 この事とは別に、極真が受け継いで来た古い空手が絶えつつある事を危惧し、ドレガ―氏に相談した所、沖縄剛柔流の東恩納盛男先生を紹介されます。 曰く―日本で一番高度な空手技術を持ち、大山倍達を含めたとしても、一番実戦を知っている人間だろうと。

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ジャン・ジャービス近影

 こうして、東恩納先生に弟子入りし、1987年に武道家としての引退を決意し、退会。 それは大きな組織となった国際沖縄剛柔流空手道連盟のシステムに居心地が悪くなった、という事の様です。 昔ながらの徒弟制度の様な指導がやりたかったみたいですね。
 その後は大学などで授業を持って、宗教学を教えているそうです。



 という事で、ジャン・ジャービス先生の"Kurosaki Killed the Cat"でした。
 ま、正直興味があったのは極真時代の、それも日本での話でしたが、その辺りは存外に面白かったです。 何て言うか…久々に極真系で全く知らない話を読んだ、というのが非常に新鮮に感じましてw
 他は割と流し読みしてますw
 今回用意した年表を参考にしながら本書を読むと、大体ジャービス先生の経験した事が合ってるのが分かります。 どんな時代のどんな人に出会い、空手を学んだのかが見て取れますね。
 しかし、ジャービス先生の経歴、「空手バカ一代」と比べてみれば分かりますが、割と合ってるんですよね。 大元の「ジプシー出身」という部分が違いますがw



 あーそれと、世界大会の時の裏側の話はそんなに詳しい訳では無いので、お答え出来ません。 興味がある方は買って読んでみて下さい。 と言っても、大して書いてませんがw
 今回はここまで。 それでは、また。
 
 
※2014/10/23追記:ジャン・ジャービスの経歴で、ニュージーランド軍の部分が抜けておりましたので、追加しました。

参考文献:
John Jarvis, Kurosaki Killed the Cat, Gulliver Press, 2010
剣豪列伝集 66号 双葉社 1961年
近代カラテ 1966年12月号 近代カラテ研究所 1966年
近代カラテ 1967年7月号 近代カラテ研究所 1967年
近代カラテ 1967年8月号 近代カラテ研究所 1967年
近代カラテ 1968年1月号 近代カラテ研究所 1968年
現代カラテ 1970年3月号 現代カラテ研究所 1970年
現代カラテマガジン 1973年5月号 現代カラテマガジン社 1973年
講談社漫画文庫 空手バカ一代 第13巻 原作:梶原一騎 作画:影丸譲也 講談社 1999年
講談社漫画文庫 空手バカ一代 第14巻 原作:梶原一騎 作画:影丸譲也 講談社 1999年

関連リンク:
ある日の極真会館 12(現代カラテマガジン 1973年5月号)
ある日の極真会23 (近代カラテ 1966年12月号)
ある日の極真会 19 (現代カラテ 1970年3月号)
ある日の極真会 9 (近代カラテ 1968年1月号)
ある日の極真会 5 (近代カラテ 1967年9月号)
ある日の極真会 4 (近代カラテ 1967年8月号)
ある日の極真会 3 (近代カラテ 1967年7月号)








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コメント
ありがとうございました。面白かったです。しかし自分の名前で「○○は猫を殺した」なんて本を出されたら、私はものすごいショックを受けますね(T_T)
  • やいや
  • 2014/10/19 11:42 PM
>やいやさん

まぁ、どういうつもりでこういうタイトルにしたのかは分かりませんけど、もし和訳されて「猫殺し 黒崎健時」というタイトルにはならないでしょうねぇ…w
自伝なのに、表題に「黒崎が猫を殺した」と付けるセンスはホント理解出来ません。
  • Leo
  • 2014/10/21 12:32 AM
1.まあ、当時の殆どの極真の門をくぐった外国人は軍人上がりでしたが、確かジャンジャービスさんもそうだったと思いますが?
2.ジャンで今思い出したのですが、どういう訳か芦原師の犬の名前も代々ジャンならぬジョンですよね。
3. 米国ではジャン、イギリス系発音ならジョンでよいのでは?
4. またまたジョンネタですが、極真武道会のジョンブブルミン師が暴露したこのインタヴューどう思いますか?いろいろ語っている中で、最後の大山総裁が暴力団に殺害されたのが真実と云っていますが?
http://www.youtube.com/watch?v=eKS7HVIe29w

5.芦原師がジャービス師と四国で再開され、組手をされた頃は確か未だまともに食にありつけない時代で、炭水化物ばかりの生活だったはずですね。それも一日にせいぜい2食。これじゃ、太りますよね。
その後に肉好きで、良くステーキ屋や焼き鳥屋に行かれ、あれだけ40代で上半身はお太りになられましたが、当時面会した時の背筋と肩幅は現役という感じでした。攻撃の見切りもすごかったですよ。確か、芦原バトンの特許が米国でとれた前後だったか?ミズノから芦原空手の空手衣を製造させてほしい旨のオファーもあったようです。
  • いつもの壮年部
  • 2014/10/21 1:34 AM
レビューありがとうございました。催促したかいがあり(笑)楽しく読ませていただきました。

謎の強豪のジャービス先生の詳しい武道経歴が興味深かったです。
やはりというか柔道出身なんですね。古武術や沖縄の空手も学んでいたとは。

ブルミン先生はじめヨーロッパの先生方は武芸百般ですね。
ヘーシンク、ルスカ等メダリストが極真の門をくぐっていたら...。想像すると鳥肌立ちますね。

あ、世界大会の件は催促しません(笑)。



  • サミ
  • 2014/10/21 8:08 PM
どうもありがとうございます。レビュー楽しく読ませて頂きました。黒崎先生ってやはり凄いですね。常人離れしてると言うか…あと、わざわざ四国まで稽古をつけてもらいに行くと言う 正に武道家ですね。日本版出たら買いたい本です。ご馳走様でした!
  • 極真ファン
  • 2014/10/21 8:23 PM
いや~なぜか黒サイキルザキャットとKを抜いて読んでしまいました。

何故黒埼師範が黒サイなんだろうと思ってたんですがまんまだったんですね。

  • てる
  • 2014/10/22 12:01 AM
>いつもの壮年部さん

1.何の事かと思いましたが、NZ軍へ入隊したという部分が削除したのか、抜けてましたので、追記しました。 ありがとうございます。
3.アメリカ英語でもJohnはジョンです。 フランス語読みじゃないかと思いますが、専攻した事無いので詳しくありませんw
4.全然信用してませんw もう昔の話になりましたが、ブルミン先生の記事については、大山道場で同期だったビル・バッカス先生が色々と否定してましたね。

>サミさん

軍隊格闘術から興味を持ち、退役後にイギリスの柔道クラブに入会した様です。 ただ、割とすぐに空手に興味を持ち、スティーブ・アニールがロンドンに来た為、あまり長い期間やってはいないみたいでした。
ドン・ドレガー氏が外国人に斡旋するのが、大体講道館、日本空手協会、大山道場、練武館(神道夢想流)だったみたいで、そのルートで学んだ外国人が多いですね。 ブルミン先生もそうでした。

>極真ファンさん

日本語版、出るんでしょうか?
我々くらいにしか需要が無さそうですけどw
まぁ、大山道場時代に学んだ先生で、他にも自伝を書いてる人はいるので、いずれ紹介したい所です。 …英語じゃないと読めないですがw

>てるさん

黒サイと猫の異種族戦を思い浮かべましたが…そういう状況は無さそうですねぇw
  • Leo
  • 2014/10/23 9:20 PM
はじめまして。レビューとても面白かったです。たまたま元芦原門下生の友人とこちらの話題になり、タイトルの話になりました。その友人の話では
『もともと英語に「Cat has nine lives.」(猫は9つも命がある→そう簡単には死なない)て諺があって、その派生で「Curiosity killed the cat.」(好奇心はそんな猫をも殺す→好奇心も過ぎると身を滅ぼすよ、ほどほどにしとけ)て諺があって。
タイトルはおそらくそのもじりなんじゃないかな。』
と言っていたので、ちょうどタイトルの話題があったのとなるほどと思ったのでちょっと書いて見ました。
  • hiro
  • 2014/10/24 10:04 PM
>hiroさん

どうもです。
あぁ、「好奇心、猫を殺す」は思い付かなかったw
黒崎先生が申し訳なさそうに、「ゴメン、お宅の子猫、殺しちゃった…」とばかりに亡骸を渡して、子供が泣きながら「黒崎が猫殺した―!」を叫んでたシーンだったので、裏側にありそうな意図を全然想像していなかったです。
  • Leo
  • 2014/10/25 10:23 AM
ドン・ドレガー師は「007」の武術指導者でも有名ですね。晩年インドネシアだったか?赤痢菌をもられて、あの強靭な肉体がやせ細り、死に至った旨を聴いたことがあります。ひょっとすると、ドレガー師自身、コネリーのスタントもされてたかもしれませんね。同師の影響はヨーロッパの元極真先生方に強い影響を与えたと思うのですが、どうでしょうか。

大山総裁も日本でかなり人種差別を受けたと思いますが、ご存じのとおり、スティーヴアニール師もアフリカ系プラス奥様も日本人ということで、彼もある意味、イギリスにおいてジプシー空手家の苦い経験をされていると思いますよ。
  • いつもの壮年部
  • 2014/10/25 3:27 PM
>いつもの壮年部さん

ドレガ―氏は退役後、講道館の外国人窓口みたいな事をやっていたので、講道館経由で極真に来た門下生はその影響下にあります。
また、そういう外国人が道場にいれば、必然的に他の稽古の話を外国人同士でする事になり、一緒に学ぶというパターンになります。 せっかく海外まで来てるんですから、他にも学べるならチャンスですよね。
他にもアジアの武術をまとめた本を書いてますので、これを読んで来日した外国人にも影響を与えたと思われます。

アニール先生はローデシア出身ですが、ここは元々イギリス統治下にありましたので、日本で言えば、大陸へ入植した人が本土に戻ってきた様なものです。
よって、特に差別は無かったかと思いますけどね。 親戚もいるでしょうし、英領出身者が本国に帰国して、差別されたというような話も聞いた事はありません。
  • Leo
  • 2014/10/26 4:18 PM
>Leo様、私はウィキペディックではありませんが、こういうサイトが御座いました。http://en.wikipedia.org/wiki/Steve_Arneil
Leo様のおっしゃる通り、スティーヴ師への差別というより、奥様に向けられていたようですね。
そして気になるのが、(1)1991.11、緑健児師優勝の5回世界大会は八百長だった?(2)アニール師がスイスにて大山総裁と会う約束であったにも関わらず、お会いにならなかった。(3)もう、IKOの組織の政策・権力闘争にスティーヴ師はうんざりしていた。
だれが投稿したものかはわかりませんが、真実はどうなんでしょうね。
  • いつもの壮年部
  • 2014/10/26 8:37 PM
>いつもの壮年部さん

さぁ、事実はどうであれ、真実は人の数だけありますからねぇ。
それに人はやっぱり良い子でいたいものです。 話した内容が自分にとっての真実であっても、客観的な事実がどうかは知りません。
  • Leo
  • 2014/10/26 11:53 PM
緑の試合優勝が八百長との噂があるとは!?

真実はいかに、、、
  • 通りすがりの見かけ厳つい人
  • 2014/10/27 8:27 AM
三瓶vsウィリーも取り上げて下さい。
  • やいや
  • 2014/10/28 3:08 PM
これは97年の芦原師が極真を離れる前に私が聴いた話ですが、三瓶vsウィリー戦も筋書通りだそうです。中村誠師からも直接、ハワイでの千葉真一の1本勝ちについても事前にシナリオがあったと直接聴きましたから、芦原師から聴いたときは、正直「又か?or それはないだろう」と消沈しつつも、大会が始まれば芦原師の云ったシナリオ通りの結末でした。まあ、こういう事はどこの組織でもある事だと思います。只、誠師とは映画館でその話を聴き、芦原師とは個人的に聴きましたが、芦原師がその話を支部長会議で聴いたのか、ソースが未だ不明です。おそらくLEO様あたりが詳細を御存じでは?
  • いつもの壮年部
  • 2014/10/28 10:10 PM
>やいや様、追記として:
3日前程、古本屋に行ったところ、たまたま「大山倍達正伝」(小島一志・塚本佳子著)が有りまして、大変分厚い書籍且読みにくい内容でしたが、速読で立ち読みしましたところ、例の三瓶vsウィリーに関する内容が「ウィリーのみの控室でビールを飲んでいた。梶原氏の権限で決めた。大山総裁はその旨ご存じでなかった」という類の内容が記載されております。しかし、私個人的には当時の総裁がその旨を御存知ないはずがありません。当時芦原師も大山総裁だけでなく、事ひどく梶原兄弟を批判していましたし、総裁がお亡くなりになる前後に極真から離脱、もしくは破門された有段者で新しい組織を立ち上げられた黒帯の師範もウィリーvs三瓶の八百長を語っておりました。個人的意見ですが一番お気の毒なのは、佐藤俊一師です。ウィリーにめちゃめちゃにされましたから。

例の千葉真一の八百長試合は所謂1977年3月16日の4月にハワイで開催された「日本代表極真会館チーム対ハワイ代表チーム」です。当時中村師も、「いや〜、極真を純真に稽古し、あの本(総裁著とされているその内容が記された書籍)を読んで信じてしまう全国の道場生が事の真実をしったら、さぞガックリするだろうな〜。僕も元々極真を職業にする事なった時随分迷ったんだよ」と言ってました。中村師曰く何でも氷の彫刻が得意だったので、芸術家を目指したい希望もあったともおっしゃってましたね。これは車の中で聴きました。まあ、いかなる組織でも内部ではこういう隠された部分が沢山ありますよね。
  • いつもの壮年部
  • 2014/10/31 11:38 PM
緑氏がヤオチョーなんて、あの超速スピードは充分説得あります、確かに七戸選手時は技ありでもおかしくないかもですが、あんな超人はもう現れないかと。
(・ω・)真面目に戦った黒沢さんなどが浮かばれませぬ☆
  • ぬこやなぎ
  • 2014/11/02 12:28 PM
>ぬこやなぎさま
わたしのいわんとしているところは、総裁は第1回全日本オープントーナメントからご逝去される迄「空手母国日本の勝利、もし日本人選手が負けたら私は腹を切る!」と申され、それを通した経緯もあり、トーナメントを重ねる内にどうしてもこういうシナリオをつくらなけらばならなかった組織の複雑なしがらみがあったと思います。掴み禁止・シード制の導入、近代のウェイト制導入もそれから波及したものだと思います。選手各々については、緑師に限らず、歴代のチャンピオンクラスはもう血反吐を吐くような過酷な稽古をされていたのは真実です。選手ではなくトーナメント進行側のそういった事前シナリオが問題です。ウィリー師にしても、米国や国内で相当な稽古をしいていましたから、ああいうシナリオを渡されれば、戦意もやる気もなくなりますよね。今は軽中重量級に関わらず、外人選手の優勝が目立ちますね。これは、松井派の館長が在日から帰化された旨を自ら公表されたのがきっかけになって、個人的には良かったと思いますが。まあ、他流派もいろいろ組織のメンツを掛けて方策を大会時に今尚やっておりますところが現実です。

  • いつもの壮年部
  • 2014/11/02 3:10 PM
松井館長は帰化したのですか(?_?;
  • やいや
  • 2014/11/02 5:59 PM
>>いつもの壮年部さん

世界大会でのことは踏まえていましたが、あくまで第二回だけと思っていました、、第5回というと梶原先生もいないわけで、構造的にやむおえなくとしてもそういうことがあったとしたら、( TДT)哀しいですね。。
  • ぬこやなぎ
  • 2014/11/02 6:18 PM
やいやさま>わたしが混乱していました。松井師の書籍「我が燃焼の瞬間」でしたか?で在日をご自身で公表された。帰化されたのは盧山師ですね。どちらにしても個々のチャンピオンクラスは選手としては貢献したと思います。まあ、相撲の世界と同じように歴代チャンピオンは今病と闘っている方が多いでしょう。それだけ、選手として現役時代は過酷な稽古をされた証拠です。松井師や緑師はまだ大丈夫のようですが。60を回った方の中には膝の故障と糖尿が多いようですね。
  • いつもの壮年部
  • 2014/11/03 12:43 AM
第五回世界大会に八百長があったというのは、生で観戦した身としては信じられません。

無かった証明は出来ないので、ぜひどの試合が八百長だったのかご指摘いただきたい。

微妙な判定を八百長というのなら、それは語弊だと思います。

  • ひざげり
  • 2014/11/03 9:02 AM
>ひさげりさま、
「八百長」という表現は訂正させて下さい。あえて「FIXED FIGHT」or 「開催者側の東洋人優勝の為の対戦者選びシナリオが事前にあった試合」という他ないでしょう。何度もいいますが、選手は試合の為に血反吐当たり前の過酷な稽古プラス試合に臨んでいることは事実です。ただ、実際に選手の知らない裏方で、開催者の諸事情があり、日本人・東洋人が優勝するように対戦カードが組まれていたという事情が御座います。ですから、判定をふくめ、「どの試合が八百長だったのか」という質問にも答えにくいです。あえて云うなら、三瓶師vsウィリー師の試合は確実に前打ち合わせがあった試合です。選手自体もあえて顔面を微妙にあてる有名選手(誠師)がいましたし、顔面パンチが身長差で事故的に当たったのを、当てられた方が大げさにふらつき、主審に「待った」をアピールする試合もあった事は実際観戦していらしたらお分かりだと思います。これは極真の試合だけではありません。これらの問題は解決のしようがないのでは。K-1, PRIDEなんかも真剣で勝負していましたが、やはり「人間が作ったルールの上」の勝負ですから。なんでもありの真剣勝負でしたら、極真も含みもう何人も死者が続出し、試合開催も無理に成ります。又、TV放映権・開催する為の財源・スポンサー・国内外プロモーターとそれにむらがる闇の組織もあります。松井師が株式会社極真会にしたのには賛成はしませんが、そこにも金銭をめぐる複雑な事情が御座います。炎上させるつもりでコメントした訳ではないので、わたしに誤りがあれば陳謝します。
  • いつもの壮年部
  • 2014/11/03 10:07 AM
では緑師は八百長では無かったという事でそのように信じるようにします。
  • 通りすがりの見かけ厳つい人
  • 2014/11/03 11:25 AM
(`ーヾ´)いつもの壮年部さんの話は貴重なので遠慮なさることはないと思います、悪意もかんじられませぬw
LEOさんもそう思っていらっしゃるはず◎
  • ぬこやなぎ
  • 2014/11/03 9:28 PM
>いつもの壮年部さん

意図的なトーナメントの組み合わせ、ひいき判定なら有ったと思います。緑選手に限らず。

三瓶VSウイリー戦はビデオでしか観ていませんが、恐らく片八百長と考えて良いと思います。

この二つを同一視は出来ないので、第五回世界大会にて八百長は無いと言ったまでです。

わざと顔を殴る、大げさに反則をアピールするのは、また別の話しです。

どうも異なる複数の事を一緒くたに書かれる癖がお有りのようです。

会話なら、その場で確認、修正が出来ますが、文章だと難しいですね。

  • ひざげり
  • 2014/11/03 10:16 PM
まぁ、確かに色々な話を間接的に聞いていますが、余所で活字にならない限りは、第2回世界大会について、前に書いた事以上の事を書くつもりはありませんw

で、第5回世界大会ですが、これは八百長とかそういう次元の話じゃなくて、もう軽量級初の無差別世界王者というのが期待されていましたよね。
そういうムードの中で行なわれた大会です。 ですから、決定的な隙を作らなかった緑健児という卓越した選手が、見事に乗り切った大会だと思います。
  • Leo
  • 2014/11/05 9:48 PM
二宮城光の著書にでてくるジャービスですね。著書では、二宮はジャービスに押され気味だっだ。しかし、芦原はジャービスを瞬殺で倒したことになってますね。
  • アリが10
  • 2014/11/19 8:21 AM
>アリが10さん

まぁ、自分を起点にしてそれぞれの見方をした結果が、同じ事実に対する若干の食い違いという事になりますw
ジャービス先生からしたらこの時の二宮先生なんて何の記憶にも残って無いでしょうし。
  • Leo
  • 2014/11/20 2:26 PM
12月2日にボブ ボートン師範がお亡くなりになったそうです。
日本語の上手なやさしい人柄の師範でした。師範も柔道から空手に進まれたそうです。最初はベ二ハナのロッキー青木さんにスポンサーしてもらって日本に来られたそうです。
ご冥福をお祈り致します。
  • てる
  • 2014/12/03 1:43 PM
>てるさん

情報、ありがとうございました。
日本ではあまり知られていない先生ですが、大山総裁は自伝の中で「ポップ・ボルトン」または「ボブ・ボルトン」と写真で紹介されていましたね。
元々ジャービス先生と一緒でロンドン柔道会→ロンドン空手会と来て、アニール先生がロンドンに来たのを機に、共同経営者の様な形で支部長をされていたんですかね。
本書には名前が出ていませんでしたが、黒猫の飼い主じゃないかと思っています。

ご冥福をお祈り致します。
  • Leo
  • 2014/12/03 10:30 PM
ボブさんは英語表記だとBob Boultonです。

若い時の得意技は上段突きだとおっしゃてました。

こんなに早く亡くなるならもっと昔話を聞いとくんでした。

今年は賢友流の友寄先生もお亡くなりになりました、第一回大会で演武された先生にもお話を伺ったら貴重な側面のお話が聞けたのではないかと思うと非常に残念ですね。
  • てる
  • 2014/12/04 2:20 PM
>てるさん

そうなんですよね。 てるさんに情報を頂いてから最初に大山総裁の表記通りにBoltonで検索掛けたんですけど、スペルが違ってたので、あぁ、てるさんの表記の方が正しかった、と知りましたw
まぁ、日本で一般的に知られてる表記がボルトンなので、今後も記事で書く際にはこちらを使うかと思いますが…。

友寄先生も亡くなられたんですね。 第1回大会は参加したムエタイ選手の試合結果について、正確な情報がまだ得られていないので記事にしていませんが、いずれ、その記事の中で友寄先生の演武にも触れたいと思います。
  • Leo
  • 2014/12/04 8:45 PM
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