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大山倍達マニアック検定

大山倍達主演記録映画「猛牛と闘う空手」

JUGEMテーマ:空手
 何かムラムラっと来たので、映画「猛牛と闘う空手」、これをやりますw あ、今回はかなり長文なので、面白く無かったら済みません。 画像が後半に偏ってしまうので、前半はちょっと寂しいかと思います。 それから、割とどうでも良い事ですが、今回からカテゴリ名が変わっています。 2部に分ければ良かったかなーとか少し思いますが、勢いに任せてやっちゃいましたw
 という事でどうぞ。


 1949年のある日ー。
 掛け声と共に男は電柱を叩いた。 素手で。 電柱は大きく揺れ男は己の拳に満足した。 これで牛を叩き殺せるーと。
 翌日、男は友人の香山庄吉に頼み、町外れの屠殺場の牧山という男を紹介して貰い、牛を叩かせて欲しいと頼み込んだ。
 屠殺場の従業員たちはおかしな奴が来たと囁きあった。 しかしこの男ー大山倍達は真剣だったのだ。
 大山が牛を叩く理由を告げると、従業員たちは大山が空手をやると聞いて面白がった。 それならば、と330圓曚匹竜蹐魄き出した。
 大山は感謝し、牛と正対する。 身構え精神を集中すると牛の眉間目掛けて正拳を繰り出した。会心の一撃を感じながら同時に素早く後ろに跳んだ。 これは300圓鯆兇控蹐倒れ込んでくるのを警戒した為だ。
 果たしてー、牛は倒れなかった。 どころか、口や耳から血を流しながら暴れ始めた。 ならばもう一撃! と考えた大山だったが最早手が付けられない。 大山は次の一撃を放てぬまま、恐怖に駆られ慌てて逃げ出した。
 その後従業員たちが牛を静め、殺した。 彼らは大山に叩いた牛の頭部を見せた。 眉間の辺りには確かにヒビが入っていた。 しかし、牛はヒビが入る程度では死ななかったのだ。 頭蓋骨にヒビを入れるほどの打撃ですら牛は死なない。 自分の打撃では牛は死なないのだ。 大山はこの現実を前に愕然とした。
 ーこうして大山は牛を倒す事を断念した。

***

 1953年、5月頃であろうか、前年アメリカに遠征した大山倍達は、同じくアメリカでプロレス武者修業を終えた力道山と雑誌「オール讀物」の対談していた。
 大山は談笑しながら牛と闘った時の話をし、こう続けた。
 「以来、牛を殺すのは諦めてしまつた。 だから、私が牛を殺すというのはウソですよ。(笑聲) 萬一、牛を殺せるという人があったら會つてみたいです」
 自分には出来ないとそう決めつけているのか、さっぱりとした口調だった。 しかしその実、まだ諦めていなかったのかも知れない。 いや、ここからまた牛を倒すという想いが再燃したのだろうか。

***

 大山空手六段、映画へ出演か
 猛牛との格闘を撮影
 トリック無しの真剣勝負

 館山出身の空手六段大山倍達氏はファンの熱望に応えて、いよいよ十八日、地元館山で初めての実演を披露するが、渡米中に外国人から”神の手”と騒がれた独特の妙技が話題を呼んで、映画界からも大山氏に出演を望む話が盛んに持ちかけられている。
 大山六段に映画出演を勧めているのは東映の原研吉監督で、昨年大山氏が米国での空手行脚中に、米国製の特殊耐火練瓦を一撃で真二つにしたり、元ミスター・アメリカはじめ米国の強豪レスラーと試合して、ものゝ三分とたたぬうちに相手をノシてしまった武勇伝を伝え聞き、人間にそんな神技が出来るはずがないと、はじめはその話を頭から否定していたが、その後大山道場を訪れて実演を見てからすつかり感嘆、早速大山六段を主役にした空手映画を企画した。 近ごろは空手や柔道を扱った映画がはやり出し、空手映画では「空手三四郎」「難波の決闘」など数本が作られているが、いずれも出演者は空手には素人の俳優ばかりのため、迫力が物足りないのでこんどは本当の空手の名人を主役にして、トリツクは一切使わぬ本格的空手映画を作ろうというわけで脚本も空手の妙技を余す処なくしよう 介する様に工夫し、この映画の最大の観物として猛牛と大山六段が格闘し、牛をやつつける場面を撮影する企画だという。 もちろんトリツクなしの命がけの勝負で、このため東映では数百万円の出演料を払うといつて再三、大山氏に掛け合っているが、同氏は明年再び渡米の計画もあるので、いずれにしたものか目下思案中といったところだが同氏はこの映画出演の話とは別に、渡米するまで郷里館山で牛を飼い、一撃即死の宿願を成就させるため牛の生態を研究する予定で、渡米準備の練習に支障がなければ映画に出てもよいといつており、一方東映側では十月ごろからクランクを開始してお正月映画に間にあわせたい意向を示しているところをみると撮影期間は二ヶ月位ですむらしく、渡米にはさして支障も無そうなので大山六段の映画出演はこれから先きの交渉で多分実現するものとみられる。
 なお東映の企画では猛牛との格闘を房州白浜で撮影する予定でこのロケが実現すれば房州人は命を賭けた牛と人間との闘いを目のあたりにたゝで見物出来るわけである。
「房総新聞」 1953年7月)

館山の大山道場.jpg
千葉県館山市の「大山道場」

 こうして大山は再び牛と対峙する事になった。 しかし牛と闘うと言っても大山には過去の苦い経験しか無い。 そこで再び館山の屠殺場で試してみる事にした。

 …殺すことはできないでも、牛と闘って、これを組み伏せ、その角を手刀で叩き折ることはできないだろうか?
(中略)
 出来るか、出来ないか、それは判らぬ。 確信などは、勿論なかった。 ただ、やってみよう。 やってみたいと思っただけなのである。 だが、やって出来たら、何と素晴らしいことだろう!
(中略)
 が、おいそれと、すぐに映画にとって貰うわけにはいかない。 何しろ、こちらも命がけだ。
(中略)
「へえ?今度は牛の角を折るんですって?」
 屠殺場の人達は、私の話をきいて誰もが呆れた。
「牛の角には、血が通っているんですぜ。練瓦や板を割るようなわけには行きませんぜ」
「そればかりは止めた方がいゝね。角を折る前に、胸板を角で突き刺されたら、それこそ、それで一巻の終りだからね」
 そんなことをいつて、私に思い止まらせようとした。 が、やり損になったら一巻の終りは覚悟の上だ。 そんな苦言は耳にも入れず、まず、小牛をひきだしてもらって角を折ってみた。 うまく行った。 それから、数日後、また、一頭の小牛を相手に角を叩いてみると、これも成功!この調子ならと思って、もう、一頭、小牛を出してもらってやってみると、今度はなかなかうまく行かない。 根元が一寸五分ほどの角をもった小牛であったが、なかなかの暴れもので、一度手刀でなぐったら暴れ回って手がつけられない。 五回目に、やっと、角が折れてほっとしたという具合で、この小牛には手古ずった。
「京都新聞」1955年2/16-17)

 …一頭の小牛を引きだしてもらつた。 角が折れるか、どうか? 小牛で小手しらべをしようというのだつたが、小牛の角は彼の手刀で見事に折れた。それから数日後、また一頭の小牛を相手に、その角を折つてみると、これも折れた。 この調子ならと思つて、もう一頭、小牛をだして貰つた。 この小牛の角は根本が一寸五分ぐらいあつたが、なかなかの暴れ者で一度、手刀でなぐつたら暴れ廻つて始末に困つた。五回目に、やつと角が折れてホツとしたという具合で、この小牛には手古ずらされたが、この経験で、大山は手刀で牛の角が折れるという確信を得た。 そして、いよいよ、斗牛の撮影をすることにした。
「現代読本」1956年7月号)

 …そこで帰国すると再び館山に戻つて道場を開く傍ら、今度は屠殺場で細い角の牛を探しては手刀式で叩いて折ることをはじめ それで成功すると次第に大牛を狙つて、ついに完全にイキの音を止めるところまで進んだ。
「実話特報」1957年10月号)

 後に大山はこの時期の事をこう語っている。

 映画の撮影のために、無償で牛を相手にやった。 二十八年に行って牛とやってみて、九月から十一、十と四ヶ月間稽古して、その間に五十匹の牛とやってみたんです。
「プロレス&ボクシング」1957年1月号)
 
 そしたら、(何日か経って)その牧山さんが、おじいさんが「じゃ、角をやってみろよ」と。 それで角折りやったら、角がよく折れるの。
(中略)
 …そしてその間、牛を叩くこと約六〇頭近く叩いてみたんだ。 だがね、角が折れるのはね、角はほとんど、どの牛の角でも折れる。 角は折れるんだが、一発で牛を倒すというのはなかなかできない。 それで「難しいな」と言ったら牧山さんが「じゃ、ここ(眉間)を叩かないで、耳の下を叩いてみろ」と、こう言うのよ。 そして耳の下を叩いたら、そのまま牛がもんどり打ってひっくり返った。 それもね、しかし牛にね、意識を与えないで叩くことだな。 意識を与えないで叩くと牛がよく倒れる。
 もう一つ、一番大事なことはね、同じ牛でも三歳、四歳、五歳、六歳、七歳までの牛の角はね、折れ難い。 七歳を越した牛の角はね、ふっ飛んでしまう。 脂が少ないから。 年を取れば年を取るほど牛の角はね、ふっ飛ぶよ。 だが、若い牛の角は飛ばない。 折れてもね、脂がくっついちゃって(角は下に)落ちない。 だから、一番難しいのは、三歳の牛からが難しい。
「真説 大山倍達」

 撮影までの間、大山は何十頭もの牛を研究し、叩いた。内、3頭とは実際に闘った。大山が叩いた牛の何頭かは即死したとも伝えられるが、現在、その事を証言出来る人間は誰も居ない。

***
 
 撮影が始まった。 大山は暴漢を相手に空手技で倒すシーンを撮影し、石や煉瓦、板や瓦を割って見せた。稽古を見せた。 剛柔流の転掌の型を見せた。 松濤館の船越義豪に学んだ鉄騎の型も見せた。 懇意にしていた太氣拳の澤井健一とは雪山で模範組手を行った。

大山倍達対澤井健一.jpg
大山倍達と澤井健一の模範組手

 そして映画会社が市内在住の吉田幸一郎から当時の金額で7万円で買い入れた牛と面会する機会が得られた。 自分と闘う牛である。 大山は研究の為に赴いた。
 その牛を見て大山は驚いた。 今まで自分が試みていた小牛とは違い、450圓呂△蠅修Δ米酩産の雄の大牛だったのだ。 角も立派なもので、根本が10僂曚匹△蝓長さに至っては40僂△辰拭 そして5歳と大山が言うところの「脂があって折り難い」年齢の牛だ。
 自分に折れるだろうか。 この数ヶ月で身に付けた自信が揺らぐのを感じた。 しかし、ここまで来て引き下がる訳には行かない。 大山は覚悟を決めた。

***
 
 1954年1月10日。 大山は館山市内の海岸ホテルに居た。 翌日には撮影班が館山にやって来た。 13日に地元では渚海岸と呼ばれる八幡海岸で牛と闘う大山を撮影する為だ。
 新聞や雑誌、テレビ局もやって来た。 しかし、彼らは一様に半信半疑で、大山に聞いて来た。 曰く、本当に素手で牛の角を折るのか、どこかに縛り付けて叩くんじゃないのか、と。
 大山は牛を海岸に引き出して、闘って角を折るのだと言うと、呆れてそんな事が出来る訳無いと大山の頭を疑う記者まで出る始末。
 次第に不安を感じたのか、大山が記者に返す発言にも自信の無さが伺える。

死か生かスリル1954年.jpg

 今度対戦する牛はオスで従来経験したメ牛よりは体重も倍近く角も直ケイ三寸の大きなもので今のところ自信はもてない古今東西を通じて牛を撲殺した実例はなく今回の対戦に付いての東京での観測は角を折るのが四分折れぬというのが六分であるが明日は牛を放してこれと戦うので相当の危険があるので警察当局に警備を依頼するつもりです。
(紙名不詳 1954年1/13)

 そうこうしている内に決戦当日を迎えた。 が、雨で順延となってしまった。 記者の1人は大山に声を掛けた。
 「おかげで寿命が1日延びたね」
 しかし1日遅れた結果、東京で待つ妻子からは電報を受け取る事が出来た。
 「パパ、ガンバレ」
 「ゴセイコウヲイノル」
 電報を読んだ大山は是が非でもこの挑戦を成功させねば、と意を強くした。
 
***

 翌14日、その日は雲一つ無い快晴だったという。 八幡海岸には相当数の観客が集まっていた。 大山は支度を整え、ショートパンツを履き革のバンドを腹に巻き舞台に立った。 付き従うのは弟子の薦岡康彦(待田京介)と水島(加藤)健二だ。

1954年大山倍達牛との対決.jpg

 4台のカメラが闘いの全てを撮影する。 他のマスコミ陣もカメラを構え今か今かと待ち構える。
 午前11時から決闘が始まる事となっていたが直前、撮影スタッフから注文が入った。 10分ほど牛と揉み合って欲しいというのだ。 無茶な注文ではあるとは思ったが、大山は断らなかった。
 こうして伝説の闘いが始まった。

 以降は記録映画「猛牛と闘う空手」より実況を再現する。 尚、括弧内は以前書き起こしたものを若干修正して、実況と映像を合わせている。

 昭和29年1月14日、千葉県館山海岸において、世界初めての空手で猛牛と組み討つ大山六段の決死的実験が行われました。
これはその貴重な記録であります。
 この日、空手の威力を遺憾なく示す、人と猛牛との闘いを見ようとして集まった観衆千数百名。万一の場合を予想して警戒に当たる武装警官また二十余名。

1954年八幡海岸.jpg
海岸には黒山の人だかり

 各新聞社の記者キャメラマン注視の内に闘いはまさに開始されようとしております。
 大山六段身長五尺七寸、体重二十二貫、鍛え抜かれたその肉体は日本空手界の第一人者に相応しいものがあります。
 一方当年五歳の南部産大牛は体重百十貫余り、角の直径三寸、角の長さ一尺三寸という猛牛であります。
 緊張は刻一刻と高まってまいります。
 大山六段一躍して牛の鼻面を捕らえました。
(大山が飛び込んで縄を掴む)
 牛か人か、手に汗握る内についに闘争の火蓋は切って落とされたのであります。
(テイクダウンを奪わんと足を掛けて倒そうとするが、滑り膝を付くシーンも見られる)
 スペインの闘牛士は剣を持ち危険な場合は隠れる場所もありますが、この場合の大山六段はまったくの素手で避難場所など勿論持っておりません。
(角と縄を掴み身体を寄せて足を掛けに行く。滑って膝を付くが直ぐに立ち直り、牛の唸り声が続く)
「エイッ」
(気合いと共に正面から右の角に手刀を打ち下ろす。 叩かれた瞬間、牛はビクッと反応し逃げ出す)
 逃げんとする牛、これを捕らえんとする大山六段。
(逃げるように駆け出す牛に必死に付いて行く)
 大山六段手刀の一撃、しかしまだ角はびくともしません。
(縄を次第に短く持ちながら間合いに入り右の角に再び手刀打ち、逃げようとする牛の角を掴んで何とか動きを制御しようとし、時折正面から足を掛ける、苦しそうな牛の悲鳴)

1954年大山倍達の第一撃.jpg
最初の手刀打ち

 引き倒さんとする大山六段、これに歯向かう猛牛、闘いはまさに最高潮に達しようとしております。
(必死に牛の角を握って首を捻る、大山からも「うっ、うっ」と搾り出すような声)

1954年牛と組み合う.jpg
牛を引き倒さんとする

 この時怒り狂った大牛の角は遂に大山六段の脇腹を傷付けました。
(渾身の力で大山を跳ね飛ばす牛、その弾みで角が掛かり脇腹を斬られる大山、片手で縄を握り脇腹を押さえ苦痛に顔を歪める。逃げようと動く牛に引っ張られる)

1954年腹を刺される大山倍達.jpg
腹を切られる

 しかし、鮮血に屈せず大山六段は遂にこの大牛を引き倒してしまいました。
(鼻の縄と角を掴み牛の首を基点にして捻り倒す、そのまま首を捻じ曲げ袈裟固めに入る。背後からは歓声と拍手)
 果たして、大山六段の成果なるか。
(唸り声を上げ四肢を必死に動かして暴れる牛を渾身の力で押さえ込む大山、こちらも力を入れ直す度に声を絞り出す。その周りをカメラマンが走り回る)

1954年押さえつけられた牛とカメラマン.jpg
周囲をカメラマンが走り回る

 流石の大牛も次第に弱って来ました。
(必死に暴れる牛、走り回るカメラマン、不十分な体勢から手刀で叩く大山)
 今や完全に大山六段の膝下に組み伏せられた猛牛、大山六段は目的である角をもぎ取るチャンスを狙って呼吸を整えています。
(完全に取り押さえた状態の大山、次第に弱っていく牛。角を掴んで起き上がり、牛も立ち上がる)
 体勢を立て直した大山六段の最後の手刀の一撃で遂に角は根元から折れてぐらついて来ました。
「エイッ」

(右の手刀で正面から右の角を叩いた瞬間、「あぁあぁぁー」とこれまでと違った声を上げる牛。そして逃げ回る)

1954年大山倍達最後の手刀.jpg
最後の手刀打ち

 ぐらついてきた角を大山六段、もぎ取ろうと致しますが厚い皮が付いている為、中々取ることは出来ません。
(右の角を掴んでもぎ取ろうと体重を掛けたり引っ張ったりする)

1954年牛の角を捻り取ろうとする大山倍達.jpg
ぐらついた角をもぎ取ろうとする大山

 しかし闘いは完全に大山六段の勝利となったのであります。
(角に体重を掛けて取ろうとする)
 吹き飛んだ角はポロリと地上に落ちました。
(地面に転がる角)
 大山六段の勝利成る。
(片角の無くなった牛の縄を掴んで制しようとするが牛が逃げる為クルクルと回る。ようやく動きが落ちる)

1954年角が折れた牛を止めようとする大山倍達.jpg
角の折れた牛を止めようと奮闘

 地上に落ちた角を拾い取って凛然たる大山六段。
(角を拾って肩を上下させ息を整える大山)
 闘いは終わりました。
 しかし、これは奇蹟でも何でもありません。
 弛まぬ鍛錬の力がそうさせたのであります。
 空手は常に自己防御の最大の武術であります。近代的なスポーツであります。
 そしてその真価は遠く海外まで躍進しつつあるのであります。

 この死闘は10数分とも、30分とも伝えられる。 映画では編集されている為、5分ほどしか残っていない。 対決前に構えるところ等、対戦直前に必要な映像を取っていた様にも見えるので、組み合うまでの時間が長かったのかも知れない。
 NHKや各新聞、雑誌媒体で広く伝えられた。 その内の1つ、千葉新聞が報じた記事を紹介しよう。

1954年千葉新聞.jpg

大角をポキリ
牛と大格闘、空手に軍配
 スペインの闘牛針に人と牛の闘争が十四日午前十一時から館山市八幡海岸で行われた。 日本空手協会が空手術協会の映画を作る一場面として同協会所属六段、元館山市楠見居住大山倍達氏(三〇)=東京都目白=が元気盛りの体重百廿貫の五歳牛に空手術を武器として立向かい、大あばれする牛をねじり倒し遂に直径二寸五分ほどの角を根本からねじ取る妙手をふるつた
◇大山六段談=牛を倒す自信はあつたがこれ程太い角を折ることには確信がなかつた、とにかく一生懸命だつた(館山)

 当時この闘いを見ていた加藤健二は語る。

 …私は先生から電報を頂き、荷物持ちとして待田君と共に馳参じた。 海外で牛と闘ったいう話は聞いていたが、実際に目で見るのは初めてである。
(中略)
 先生はといえば、ジッと一点を睨みすえたなり何ものも寄せつけないといった感じである。
(中略)
先生の闘う間は観ている私の方が無我夢中で、パカン!と自然石を割ったときの様な音と共に大きな図体の牛がドッと私の眼前に倒れこんで来た。 先生が牛の眉間を見事正拳で叩かれたのだった。 牛は既に肛門から泡を吹き出しているのが見えた。 苦しまぎれに滅茶苦茶に首を振り角を振り周す。 アッと叫ぶ間もなく先生の腹を鋭どい角の先がかすめた。 かなり出血をみたがそれでも先生は牛を押さえつけ手刀一撃でその太い角を鮮かに折った。 そのときの感動といったら、きっと現に見た者でなければわからないであろう。

***

 その後、映画会社がこの牛を払い下げると3万5千円にしかならなかったという。 あれだけいじめられた牛は味が悪い、というのが理由だったそうだ。


 という事で、いつもと文体が違いますねw 「猛牛と闘う空手」をドキュメント風にしてみました。
 MEDIA8版じゃなく、「猛牛と闘う空手」の方を見ると分かるのですが、最後の手刀の一撃の後、牛は物凄い声を出して走り出します。 その牛の鼻輪と縄を持って何とかコントロールしながら、大山倍達総裁は角を引き剥がす為に体重を掛けたり、引っ張ったりします。

本部にあった写真.jpg
角を捻り取った瞬間?

 そしてここでグロかったのかも知れませんがカットが入りー、多分新聞などでも報道されている様に角を捻り取ったのでしょう。 で、折れた角を地面に放り投げて牛を押さえる為に奮闘します(角の無い縄を持たれた牛が総裁の周りをグルグルと走っているシーンがあります)。 恐らく牛が大人しくなって誰かに引き渡した後に肩で息をしながら角を拾うシーンへと繋がっている様です。

折れた角.jpg
折れた角

 ちなみに毎日新聞社にはこの時の写真が8枚残ってるんですよね。 パソコンをお持ちの方は「毎日フォトバンク」で「空手」か「大山倍達」で調べてみて下さい(「大山倍達」だけだと全部は出て来ません)。 以前購入出来ないかなーと思って聞いてみたら、個人では買えませんと言われましたw  本部に飾られていた有名な写真(上のカラー写真)のオリジナルとか、お宝の山なんですけどねぇ。

 まぁ、こう言ってしまうと何ですが、大山総裁が本当に牛を殺した事があるのかどうかと言われれば、これはもう判らないですよね。 何せ証拠なんて残っていないんですから。 ただ角を折ったのは事実ですし、その可能性はあったとしか言えません。 そして牛を相手に挑戦していた時期が都合3回あったという事が言えます。 1度目は1949〜50年頃、2度目が53年、そして3度目が56年。 大山総裁が力道山と対談した時はこの1度目の話をしています。
 牛を殺したとすれば、53年か56年の事でしょうね。

 で、ちょっとここで疑問が出てくる訳ですね。 大山総裁は1953年にシカゴで牛と闘ったのか? と。 加藤健二氏は「海外で牛と闘った話は聞いていたが」と言っていますので、時系列で整理するなら確かに映画以前に闘っていると言えます。 でもこの加藤氏のインタビューは82年ですのでどっちが先か分かりません。 今回紹介した中では一度も「シカゴ」が出て来ないんですよね。 勿論闘える時間はあったと思います。 映画の話が来てから屠殺場で牛の角を落として、8月頃にアメリカで、というのも出来ますしね。 まぁ、いずれも事実だとしたら、1954年にシカゴで牛と闘った、とした方が整合性は取れますけど。
 53-54年のアメリカにおける大山倍達の活躍は、それを伝える資料があまりにも少ないのでちょっと分からない、というのがあります。 54年は夏から秋頃にいくつかプロレスの試合記録がありますが、いつからいつまでアメリカにいたのかは不明です。
 今のところ見付かっているのは全部トシ東郷(ハロルド坂田)とのタッグですが、対戦相手は割とメジャー級です。 ベアキャット・ライト、ポール・バイラージョン(バイラージョン兄弟の1人)とか、ラッキー・シモノビッチとか。 ただ資料が判り辛くてグレート東郷とトシ東郷のタッグでマス東郷がリングサイドにいたのかな? という試合もあります。 何せ試合の日付は分からないし、○○対○○というような書き方じゃないのでw 分かるはジュードー・チョップを振るっていたという位w この辺りはもう少し資料を集めてから紹介したいと思います。
 それではまた。

参考文献:
オール讀物  1953年7月号 文藝春秋社 1953年
房総新聞 房総新聞社 1953年
千葉新聞 千葉新聞社 1954年
京都新聞 京都新聞社 1955年
現代読本 1956年7月号 日本文芸社 1956年
プロレス&ボクシング 1957年1月号 ベースボール・マガジン社 1956年
実話特報 1957年10月号 双葉社 1957年
爆発! マス・大山空手 勁文社 1974年
月刊パワー空手 1982年11月号 パワー空手出版社 1982年
これが試し割りだ 入門編 大山倍達著 日貿出版 1984年
わが師 大山倍達 高木薫著 徳間書店 1990年
大山倍達正伝 小島一志、塚本佳子共著 新潮社 2006年
真説 大山倍達 基佐江里著 気天舎 2007年
大山倍達外伝 基佐江里著 イースト・プレス 2008年

参考映像:
猛牛と闘う空手 大洋プロダクション 1954年
極真空手 組手最前線 メディアエイト 1997年
極真カラテ最強神話 牛を一撃で倒した男 大山倍達 メディアエイト 2007年







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コメント
前回のコメントについて

違いますよ〜「世界最強のカラテキョクシン」で間違いないです。松井館長がインタビューされてる映画です。撮影用のシートだと思いますが、背景が黒い場面で、水瓶割りをするシーンがあります。(確か試割が連続して映ります)
添野師範のように肘じゃなく、確か正拳だったと思いますが、冷静に見ればスローにしなくても水が不自然な位置からこぼれてるのが見えます。
不思議なのは、ひびを入れておいたとかではなく、明らかに急に水がドバっと出てきます…どうやったんでしょうか…

同じくバット折りもありましたが、バットも折れずに飛んでます…

やはり良くも悪くも梶原氏がいないとクオリティが…ということですかね…
  • 一門下生
  • 2011/03/23 9:29 AM
>一門下生さん
見てみました。 見て思い出しましたw
リンゴ貫手割りの後ですね。 そう言えば妙なシーンだなぁと思った記憶があります。
何か引きから変ですね、アレ。 アップの時にドバドバと水が出ていましたが、仕込みだとしても凄い違和感を感じますw
廬山館長の立てたバット折りで失敗しているのは最初の左下段だけっぽいですね。 まぁ、今と違って試割り用バットも無いですし、難易度の高い演武ですから、仕方ないかな、と。
第3回世界大会ではグレン・シャープとマイケル・ブラケイルが好きでした。
  • Leo
  • 2011/03/23 10:47 PM

いやあ、面白いですね。

角が折れる人なら、屠殺場では牛を何頭かは殺した可能性はありますね。

まあ、その辺りは確認のしようがないですが。

しかし、角だって普通は折れませんよねえ。

少なくとも総裁は、牛と喧嘩して勝てる人だったのは間違いないですね。

牛の方が戦う前から、びびってたそうですね。

角を捻り取った瞬間?の写真は、むかし子供の頃パワー空手の付録についてたのを壁に貼ってましたよ。

  • 大山総裁ファン
  • 2011/03/24 12:18 AM
leoさんの手で 大山倍達超人伝説が またひとつ蘇りましたね(拍手)この牛との戦いの価値は 木村政彦にとってのエリオグレイシー戦に匹敵するかと思います  
  • tada
  • 2011/03/24 9:42 PM
>大山総裁ファンさん
その「パワー空手」からスキャンした画像がこれですw ポスター全然切り離していないので、そのまま残ってたりします。
多分あの牛と闘う映像が先入観になっていると思うんですが、仮に大山総裁が牛を殺していたとしても、それはもっと小さい牛の話なんですよね。ですから、可能性はあったんじゃないかと思います。
角に細工があったと主張される方は、そんな事が出来るのかどうか、実際に細工して実験してみて欲しいですねぇ。 それはそれで興味ありますw 例えば何僂曚廟擇豺みを入れたらあんな風に折れるのか、とか、その場合あんな切断面になるのか、とか是非。

>tadaさん
甦ったかどうか、ちょっと曖昧な部分もありますけどねw ただ資料は結構詰め込められたんじゃないかな、と。
昨日「世界最強のカラテ キョクシン」の映画を見ていて、香山庄吉さんのコメントも入れておけば良かったかなーと。 簡単に言えば、拳で何度やってもダメだったけど、手刀でやったら牛がいった(逝った?)、という話でしたけど、実際に見ていた方の貴重な証言ですね。
今度は1956年の雷電号との対戦について書く予定です。 企画者から事の顛末まで、まぁ、そこそこ面白い話になるんじゃないかと思います。
  • Leo
  • 2011/03/24 10:21 PM
昭和49年頃だと思うのですが
たまたま立ち読みした何かの空手入門書の最後の方に
「萬一、牛を殺せるという人があったら會つてみたいです」(ほぼ同文だったと記憶しています)
と大山倍達が語ったという対談が載っていました。

すでに当時マス大山カラテスクールに入っていたのでw
「なんだこりゃ?」
と思い
頭に来て買いもせずその事はずっと忘れていました。
(買っておけばよかったですw。)

ずっとのちに
どうも牛の角は折ったが殺した証拠はない
というのがどうも通説らしいと知り

いったい事実はどうなのだ?と
ひっかかるようになりましたが

この記事を読ませていただき
すっきりしました。

牛を殺せるという人があったら會つてみたいです
は再挑戦される前のお話だったのですね。

時系列にして頂けると
大変わかりやすいです。
ありがとうございました。

一度あきらめかけていたにもかかわらず
再挑戦して達成されたとは
やはり館長は凄いです。

もっとも最初の挑戦で牛の頭骸骨割っているだけでも
普通じゃないのですが…。
  • もん爺
  • 2011/03/27 12:59 AM
>もん爺さん
やぁ、それは柔道八段の石黒敬七先生の「空手早わかり」という本じゃないかと思います。 この本には対談が転載されていますので、多分。
確か対談した文藝春秋にいた事があるので、その絡みかも知れません。

大山総裁が牛殺しに再挑戦していた、という話は意外に皆さん気付かれていなかったと思います。 アメリカ遠征前の話だという先入観でしょうかね。
大山総裁とその逸話に対する先入観というのは非常に大きいので、注意が必要ですw
「そんな事が出来るはず無い」という先入観もまた然り、です。
  • Leo
  • 2011/03/27 3:06 PM
さすがです。
ありがとうございます。

本の名前も著者もまるっきり思い出せず
さすがに思い出すのをあきらめていました。

 先入観は怖いです。

そういえば春日牧彦も赤垣龍平?(正確な名前を忘れました)に
「なんでそんなちっぽけな考え方をするんだ?」
とたしなめられていましたねw。
  • もん爺
  • 2011/03/29 6:40 AM
>もん爺さん
確かに自分で限界を設定したらそれ以上は進めませんしねぇ。
頭は低く、目は高く、ですかね。
  • Leo
  • 2011/03/30 8:49 PM
>「毎日フォトバンク」で「空手」か「大山倍達」で調べてみて下さい

LEO殿

これはたぶん、原板からのスキャンですね!感謝申し上げます。

4×5判スピグラかブローニー判キャメラで撮影したのか?いずれにしてもデジタルでは出せない大中判フィルムのクオリティー・すばらしさを、改めて痛感!
  • オルゴール
  • 2011/04/14 6:18 AM
>オルゴールさん
これまたお懐かしい方がw
どうも。
大きめのカメラを持って走り回っている記者もいましたので、その方の撮影かも知れません。
個人に売ってくれれば買ったんですけどねw
  • Leo
  • 2011/04/16 10:30 AM
大山先生(に限らず嘗ての武道家の皆さん)は色んな意味で実にロックンロールな人ですねw
それだけに大会でのルール制定とそれを主軸にする方式採用によって何かが違う方向へ固定化されてしまったり
いわゆる総合格闘技に対して今ひとつ有効な対策が執れなかったり……そのへんが何とも残念でなりませんね
(伝統派の側では近年、ようやく伝統派一同への再評価の流れが生じているので一層その無念さが)。どうすればよかったかについては難しいんだが

まぁ、そういう所が宗道臣先生あたりに非難されてしまうのかもしれませんが。
(ついでに牛と闘う空手家、については確か沖縄空手のほうにも
そういう先駆的逸話があるそうですが。大山先生も知ってたんですかね?
尤もそちらのケースでは沖縄のエラい人の命で牛と闘わされる前夜に
牛の前で巻藁突きやりまくって、牛を事前にビビらせ不戦勝へと持ち込んだ――との
ことでして……どっちの遣り様だけが悪いとは言うまいよ)
  • 流浪牙-NAGARE@KIBA-
  • 2015/05/20 6:39 PM
>流浪牙-NAGARE@KIBA-さん

まぁ、大会が中心になる以上、大会ルール以外の技術が廃れるのは仕方が無いんですよね。 そこをどうにか拾えないか、と思っている人も多いでしょうけど。

牛の話ですが、松村宗棍が当時の琉球王に牛と闘う様命じられ、対戦日の10日前から…手段は棒で毎日叩いたとか、諸説ありますがとにかく、毎日牛をいじめてトラウマを植え付けたという奴ですね、多分知ってたと思いますよ。
別の所では宮城長順が牛を倒したというが、私は見ていない、という事も語ってたかなぁ。
  • Leo
  • 2015/05/24 5:38 PM
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