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大山倍達マニアック検定

ある日の極真会館 25(現代カラテマガジン 1974年6月号)

JUGEMテーマ:空手
 


 今回は珍しく、2週連続これ、「現代カラテマガジン」1974年6月号を取り上げてみます。
 さて、後の極真ならこの時期はウエイト制記事でしょうが、まだこの頃はそういうのがありません。 なので、特集記事を組む訳ですが、他にも連載記事が増えて行く事になりますね。

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 ちなみに今号で「現代カラテ」から改名して2年目の記念号という事になります。
 それでは、どうぞ。





巻頭特集
 〈写真ニュース〉
 渦中の男 大山倍達!!
 ――多忙なその一日を 徹底的にカメラが追跡――


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とにかく館長は忙しい。 道場指導は勿論のこと、執筆、テレビのゲスト出演、海外からのお客さんの接待……etc。 まさに八面六臂の大活躍ぶりだ。 とはいえ、しかし、改名二周年記念特大号ともなれば、誌上に何としても館長の御登場を仰がぬことには読者諸氏が承知すまい。 そこで、本社社主・真樹日佐夫が破れかぶれのアタックを敢行、ようやくにして写真撮影の許可を戴くと共に、僅かな時間だがお話を伺うことに成功――。
――お忙しそうですね。
「うん。 まず第一に、秋までには書き上げなくちゃならん本の注文を五つも抱えているだろう。 その打合わせやら執筆やらで、ね」
――ふうむ、大した流行作家だ。 (笑)その外、海外からも続々とお客さんが見えているようですが?

現代カラテマガジン1974_6_3.jpg

「それもあるなあ。 つい最近にもボビー・ロー氏(ハワイ支部長・六段)がやって北支、この二十九日(五月)には、イラン皇太子をホテル・オークラにお迎えして演武会をやらなくちゃならんし……」



巻頭言
謙虚なる団結

 文:梶原一騎

 人間、とかく勢いを得ると謙虚さを欠きがちなもの。 試練の時期には信用でき、堅固な団結で外部の嵐から身を守り合った同志が、オヤッと呆れかえるような変貌をとげたりする。
 あたかもゴールド・ラッシュが醜いエゴイズム闘争を招くように、勢いに便乗して己れの利益に血なまことなる。 なまじ金鉱が出なければ皆いい人間でいられたのだ。
 極真会が発展すれば、これを利用して甘い汁を吸おうとする人間が外部にも出現する。 そして、エビでタイを釣るの道理、利用される側にも多少エサをチラつかせる。 かりそめにも、あさましく食いつく愚や仲間同士の足のひっぱり合いは慎もう。
 武道家の本分を忘れるなかれ――この一語に尽きるのであって、私なども仕事の本分と関わりない派手な講演、サイン会などは一切断わる主義で通している。
 要は極真会と己れの心技向上のみに生きるべしで、そのため支部長会議の席上「空手バカ一代」のテレビ放映が支部活動に好材料と聞けば、いったん放映終了が決定していたのだが、館長と私は諸方面を動かし続映を決定させた。
 この点は安心の上、平凡だが真理の一句。 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」


USAカラテ奮戦記
 文:大山泰彦(極真会館4段)

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 この日の稽古を通じて、最初からその動きの速さ、技の正確さ、気合の入れ方などすべての面で感心させられた黒帯がいたが、注目して見ていると、やはり自由組手においても抜群の強さを発揮した。 オリバーという名の二十歳前後の黒人で、体が非常に柔かく、足のツマ先から頭の天辺までこれすべてバネ、といった若者である。 蹴り技の巧みさで群を抜いており、普通なら体のバランスを維持するのが困難なような、たとえば倒れながらも鋭い角度で蹴りが出るのには「うまい」と思った。

赤軍用心棒 〈最終回〉

 原作:真樹日佐夫 画:制野秀一

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国内支部めぐり
群馬支部松島道場


群馬支部では毎年春と秋に定例審査会を行なうほか、春季・冬季の合宿訓練、そして最低年二回はこのような大規模な演武会を県下の各地で催すなどして、地元空手ファンの関心をあつめている。

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〈支部長の横顔〉
松島良一師範は昭和二十二年四月生まれ、現在三段。 駒沢大学経済学部卒業後、四十五年五月に赤堀道場を開設。 大学在学中、丸二年間にわたって朝霞の米軍キャンプで極真会館空手を指導し、さらには海外指導員として東南アジア各国を歴訪、海外支部の指導にあたった経歴をもつ。


NEWS TOPIC
大揺れの日本武道館
 ――笹川派の乗っ取り策成る?――

(「柔道新聞」より転載)

 財団法人日本武道館の"黒い霧"事件は、その後、武道館建設の功労者三浦英夫理事と、赤城宗徳(会長)・笹川良一理事の対立が激化、一昨年十一月には赤城、笹川両理事が、総務部長、会計課長二人を背任・横領で告訴、これに関連して三浦理事の追い落としを図り、三浦理事も必死に防戦。 さらに館内では笹川理事に気脈を通じるといわれる矢口総務課長の「書初め展」にからむ横領事件をあばいた怪文書が乱れとぶなど、表看板の「武道振興」とは、おおよそかけ離れた醜態をさらけ出し、いよいよ底なしの泥沼に足をふみこんだ様相を呈していた。

現代カラテマガジン1974_6_7.jpg

(中略)
 武道館の或る職員に言わせると役員の対立は、まず三浦常務理事と全剣連の木村篤太郎会長(三月二十一日会長を、石田和外氏と交替)との確執から生じた。 柔道をやった三浦理事のやり方が、剣道関係者をやっかませ、柔道関係の勢力を武道館から追い出しにかかったからだという。 武道の代表的柔道と剣道のいわば勢力争い(そうばかりとはいえない)に、空手道、合気道、少林寺拳法などが剣道側につき、だんだんエスカレートし、剣道の木村会長にとって替って空手道の笹川会長が陣頭指揮して三浦理事の追放にあたった―――という。
 空手道関係にも筆者の古い仲間が多勢いる。 全空連を結成するとき、大浜信泉氏をさしおいて、金のある笹川良一氏を担ごうとしたとき「金を出せば、必ず口も出すから用心したがよい」と忠告したが、彼らは金がほしかったから笹川氏を会長に担ぎ出したが、今になって、彼の暴君ぶりを後悔しているようだ。


新・誌上カラテ道場 (第1回)
 ●指導 極真会館 黒帯研究会
 序章 空手の歴史的考察
  世界の格闘技
 

空手バカ一代 (25)
 文:梶原一騎


 
 という事で、「現代カラテマガジン」1974年6月号でした。
 今回はちょっと興味深いのが多くて参照箇所が増えてしまいましたw
 では、解説?
 冒頭、簡潔ながらも真樹日佐夫先生が大山倍達総裁にインタビューして、「大した流行作家だ」と発言してますけど、前にも書いた通り、大山総裁は人気の作家でした。 多分ですけど、最低でも3〜5万部くらいは保証出来る作家だったんじゃないですかね。 200版以上出た本もありますし。
 で、梶原先生の文。 アニメ「空手バカ一代」の放映が47話じゃなくて、もっと早く終わる予定だったとあります。 えーと…4クールあるから、ひょっとしたら2クール最終の第25話「終りなき冒険への旅立ち」で終わってる予定だったのかな?
 興味深いですねぇ。
 最後に日本武道館の話。 元は「柔道新聞」に載っていたそうですが、筆者が「黙雷」とあるので、主幹の工藤雷介氏の事ですかね。 本文は3ページの長い記事なので、メッチャ短くしてますが、実に興味深い記事でした。
 元々日本武道館の建設は国会議員柔道連盟の正力松太郎氏の働き掛けが強かった筈ですが、そこに笹川良一氏が入り、柔道VS剣道、空手、合気道、少林寺拳法という構図が出来たんですかね。 後に毛利松平(極真会館会長)先生が武道館の理事長になりますけど、毛利先生は国会議員柔道連盟にいたので、正力派でしょう。
 まぁ、70年代の大きな箱物建設ともなれば、それに掛かる利権も大きく、建設会社を巻き込んで様々な主導権争いがあったんでしょうね。 ちなみに大浜信泉先生は沖縄出身で早稲田大学総長を務めた経験を持ち、全日本空手道連盟の前身というか母体となる全日本学生空手道連盟の初代会長です。 1972年の沖縄返還にも尽力を尽くされた方でして、確かに空手の連盟の長という事を考えると笹川氏より妥当な人選だった事でしょう。
 しかし何故、笹川氏が担ぎ出されたのか? この裏側は興味深いですね。 リクエストがあればこれを別記事にしちゃおうかなぁw
 今回はここまで。 それでは、また。

参考文献:
現代カラテマガジン 1974年6月号 現代カラテマガジン社 1974年

参考リンク:
大濱信泉記念館 (2014/12/21)








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コメント
これまた我が空手道青春!

この年はまさに「空手バカ一代直撃」の年(1974年の9月25日がリアルタイムの最終回)ですから、この号の頃はアニメ・少年マガジン劇画のダブルパンチでした。特にアニメの「実写」で出ていた先輩方が総本部で指導する時などは興奮しましたね〜 お名前をお出ししますと「山崎照朝・佐藤勝昭・大石代悟・東孝・山田政彦・松田徹・堀田裕晴」各先輩方です。
  • 名誉五段
  • 2014/12/23 2:15 PM
>名誉五段さん

それはテンション上がりますねw
プロ野球だとプロの選手に指導とか受けられないですし。

東谷巧先生はいらっしゃらなかったんですか?
  • Leo
  • 2014/12/23 6:03 PM
>Leo様 東谷巧先輩の件

世界大会の前年ですから、もちろん指導はされていましたが、アニメの実写にはお見かけしないんです。きっと一時寮を出られていた関係で、撮影時はご不在だったのかもしれません。また、内弟子として当時寮にいらした野澤先輩もアニメの実写ではお見かけしません。何しろ入門者が多く、実写の撮影は1階の道場で行われていたため、諸事情があったと思われます。あと、もちろん盧山先輩もご指導されておりました。
  • 名誉五段
  • 2014/12/23 10:00 PM
「日本武道館建設秘話(?)」、それに伴う全日本空手道連盟会長を巡るお話、大変興味深く拝見させていただきました。

笹川良一氏は、武道関連だけでも一冊の本がかける人だろうと思いますが、是非、そのあたりを中心とした昭和武道史を読んでみたいものですね。

対抗馬(?)であった大浜氏という方は沖縄出身ですか。各大学OBを中心とした本土空手界の重鎮たちからすれば(特に協会系など?)、沖縄の方があまりトップをとられるのは歓迎しなかったのかもしれませんね。
  • 通りすがりのマニア
  • 2014/12/24 7:16 PM
東谷巧さんは本部にいた頃、芦原道場移籍を熱望されてたとか。
  • やいや
  • 2014/12/26 11:13 PM
>名誉五段さん

あぁ、アニメの実写に出演された方、ですね。
腹に載せた瓦割りのシーンに東谷先生と岸先生が出ておられた気がしますけど、出ててもそれくらいですかね。
アニメでは最初の方にあった猫足立ちの組手のシーンが凄い印象的でしたw

>通りすがりのマニアさん

日本武道館発足小史でも載せておけばもっと面白かったですかねw
竹中工務店施工で、経団連と民間募金で7億、国から15億の計22億で1963年より建設開始、昭和天皇からも御下賜金を戴いて建設された日本武道館の裏側にはこういう色々な争いもあったという事ですね。

対抗馬というか、大浜先生こそ本命だったんじゃないですかね。 協会は全空連に加盟してないですし。 遠山寛賢先生や摩文仁賢榮先生の様に、本土の流派でもトップの方が沖縄出身というのはそこまで敬遠される事は無かったんじゃないかなぁ。 まぁ、この辺りは分かりませんけどw
  • Leo
  • 2014/12/27 3:47 PM
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