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大山倍達マニアック検定

極真と全空連、そしてオリンピック 1

JUGEMテーマ:空手
 


極真と全空連1.jpg

東京五輪採用へ 空手界が絶縁解消
 全日本空手道連盟は28日、東京都内で理事会を開き、絶縁状態にあった極真空手の極真会館(松井章圭館長)と協力関係を結ぶことを決めた。
(中略)
 極真会館は全壊の東京五輪開催の1964年に故・大山倍達氏が創設。 五輪採用を目標に同年の全空連設立に参画した。 しかし、「五輪は目指さず、フルコンタクト(直接打撃)で最強を証明する」と独自路線に。 81年にも協力団体入りの話があったが、拒否し、その後は両団体の交流はなかった。
    (「朝日新聞」2015年3/29)


 さて、先日「朝日新聞」にこの様な記事が載りました。 知っている人なら既に承知の通り、この1ヵ月ほど前に「東京スポーツ」がすっぱ抜いたスクープがこれでしたね。
 全空連と協力関係に、という事への是非はともかく、今年の大山倍達総裁の追悼記事は、極真と全空連、そしてオリンピックについて色々と歴史を探りたいと思います。 あ、でも、全空連側は本来の領分ではありませんので、事実関係とか間違ってる部分もあるでしょう。 WUKOとIAKFの分裂騒動とか、日本空手協会の分裂とか詳しく無いんで、ざっくり書く程度で終わらせる予定っす。 以下敬称略。






***

金城    現在の空手の流派に就いて、御意見がありましたら、忌憚のないところを一つお話し下さい。
大山    流派を称えるようでは、大きな進歩を遂げる事は出来ないと思います。 世界的な水準まで持つてゆけないと思います。 大小流派を統一して、大日本空手道、ともつてゆくべきと思います。
金城    名称はともかくとして、大山さんの趣旨には同感です。
大山    昔講道館があつて、又武徳会があつた例もありますから、二ツぐらいは、与党野党みたいにあつてもよいと思いますが。

 
 まだまだ各派試合ルールについても混沌としていた1956年、大山倍達は空手の流派を統一すべき、という考えを持っていた。 現在確認されている限りでは初の全日本を名乗る空手大会は1954年の練武館主催の物だったが、この時は諸流派からの反発が相次ぎ、練武館限定の空手大会であるとの釈明を余儀なくされたという。
 空手界を統一すべき、という風潮はあった様だが、実際には困難であった。

 1949年。 戦後、真っ先に組織化されたのは松濤館系で本土空手の本流を自負する日本空手協会(会長・西郷吉之助、以下JKA)だった。 他流派は流名を組織名に入れる中、先進的な発想を持っていた。 超党派組織としては翌50年に大濱信泉(元早大総長で戦後、早大空手部再建をGHQに直談判した)を会長として全日本学生空手道連盟が発足。 武道禁止令を尻目に各大学で増え続ける大学空手部をまとめる立役者となる。
 和道流も全日本空手連盟という名称を掲げ、また「内外タイムス」社長であり空手家としても知られていた蔡長庚が会長となり全日本空手道連盟(以下、旧連盟)が結成され、顧問として他流派の師範が参加した。 そこには副会長として空手時報社々長の金城裕が参加しており、1956年より雑誌「月刊空手道」を刊行、流派問わず広く空手を紹介する雑誌としてスタートした。

http://img-cdn.jg.jugem.jp/407/1757332/20141116_1677231.jpg

 56年は日本独立後4年経過したという事もあり、またプロレスラー力道山の活躍もあってか、空手界に多くの動きが見られた。
 5月には沖縄空手道連盟が結成され、全自衛隊空手部も発足。 また、翌年には第1回全日本学生空手道選手権大会が開催され、多くの大学が覇を競った。 各大学空手部にはそれぞれの流派があったが、大学色を鮮明に打ち出した事で、流派間の問題はあまり無かった様である。
 一方、JKAも同年全国大会を開催しており、翌年には社団法人の認可が下りた。

***

 1957年に日本空手道剛柔会から独立し、日本空手道極真会を創設した大山は、国内空手界の動きを余所に海外を中心に活動していた。
 そして63年、大山はアメリカはニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンにて第1回北米空手道選手権大会を開催し、当時の雑誌のインタビューにはこうあった。

 彼はこの10年の内に空手がオリンピック競技になるだろうと予言している。

 また、それは成らなくともスポーツとして定着するであろうと予想していた。 この頃は防具を着けての加撃制を検討していた様で、その事についても語ってる。 1964年の東京オリンピックに柔道が公開競技となる事が決定していたのがこの発言に結びついたのは想像に難くない。 そして、オリンピックシーズンより2つの組織が活動を始めた。
 1964年、日本空手道極真会は本部道場を設立し、国際空手道連盟極真会館(以下、国空連)と改めスタート、同年、全日本空手道連盟(旧連盟とは異なる、以下、全空連)もまた新たに結成された。
 初代会長は学生空手道連盟を組織した大濱信泉。 その大濱が就任した事からも分かる通り、存分に機能していた学生空手道連盟をベースに空手界の大同団結を図った。
 実際、各流派、団体は尊重するというスタンスから、多くの組織が参加している。 しかし極真会館は海外へ目を向け、国際組織を名乗って海外への空手普及を目指しており、既に両者のスタンスの違いが見える。 冒頭に紹介した「朝日新聞」にはこの時に国空連も全空連に参加した様に書いてあるが、私はその様な話は聞いた事が無い。
 ちなみに全空連の会長は67年より笹川良一(日本空手連合会会長)となり、財団法人の申請がなされた。 この時の事情を笹川はこう語る。

極真と全空連20.jpg

 「最初は大浜クンが、連盟の設立の仕事を手がけていたんだ。 これは、それまで、各流派バラバラだった空手を統一、もっと発展させようという意図からのものだった。
 ところが、ツメの段階にきて大浜クンから"金もいるし、仕上げを頼む"といわれ、私が乗り出したといういきさつがある。 このため二億円ほど出したんだ」


***

 1968年、メキシコオリンピック記念大会と称して、メキシコで初の国際試合が開催された。 選手の多くは古くから大会を開催しているJKAの選手で、同時に世界空手道連合(WUKO、現・WKF)の結成準備委員会を開催。

 ちなみに海外では空手は空手として、流派間のいがみ合いも少なく、アメリカでは全米を称する空手大会は何度も行われていたし、ヨーロッパでは63年にジャッカス・デルクール(61年にフランス空手道連盟を立ち上げた)が、全ヨーロッパ空手連合(現・ヨーロッパ空手道連盟)を会長として旗上げし、66年パリで第1回全ヨーロッパ選手権を開催。 日本から見れば非常に興味深いが、このヨーロッパ大会には極真のヨーロッパ支部からも選手が出場しており、イギリス支部長のスティーブ・アニールがイングランド空手チームの指揮を執っていた事もある。

 全空連傘下の各組織がそれぞれ大会を開催する中、全空連としての初の全国大会の開催が決定した1969年、国空連も数年来の目標であった全国大会を開催した。
 この大会は多くの空手大会が所謂「寸止め」と呼ばれるルールや防具ルールを採用する中、防具を着けず相手に直接加撃する直接打撃制を採用し、公の場で他流派からの参加を募るという手段を執り、空手界から多くの共感と反発を受けた。

極真と全空連4.jpg

 結論から言えば一般誌にもこの大会に関する記事が載り、全空連の初の全国大会もややインパクトに欠ける物となってしまった可能性があるが、翌70年にはWUKOを結成し、第1回世界大会を開催する事が決定していた。

***

 全空連が最初にアプローチを仕掛けたのは1970年の初頭だろうと思われる。
 大山の松濤館時代、非常に親しかった先輩である大竹一蔵(東京都空手道連盟副会長・全空連常任理事)が空手組織のあり方や今後の空手の為に、というテーマで会談を申し込んだ。
 真樹日佐夫によれば3度の会合があったというが、それがこの1度目かも知れない。
 
 1970年5月22日、赤坂(恐らくは料亭の千代新)で全空連側との会合が開かれた。 前回までの会合で全空連傘下にならないか、と呼び掛けられていた様だが、この日は会長である笹川が直々に説得すべく、乗り出して来たのは無いかと真樹は推測している。
 極真側からは国空連会長の毛利松平、副会長の塩次秀雄、評議員の河合大介、前述の真樹、そして館長である大山が出席した。 一方の全空連側は会長の笹川、専務理事の江里口栄一、事務長の坂井武彦、そして理事の大竹が同席した。
 真樹によれば、全空連側は大山を中央技術本部の技術部長待遇を用意するという話で、全空連の名簿を見るに、著名な空手家が多い事から考えると、かなりの好待遇を用意されたと思われる。 また、全空連と険悪な時期になってから極真側から明かされた話によれば、経済援助を申し出されたという事だが、全空連側は当然否定している。
 この全空連に入れ、という話について、真樹によればこう断わったという。

 「大変光栄なお話ではありますが、辞退させていただきます。 講道館と武徳会のふたつがありました頃、日本柔道が一番レベルアップしたのと同じように、われわれ空手の世界に於ても、いくつかの流派が存続し競い合った方がプラスであろうと考えておりますもので――」

  笹川はこの言を受け入れ、その後は宴席として大いに盛り上がり、散会した様である。 その後、機関誌の「現代カラテ」にはこうある。

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 大山師範も、笹川良一会長の人間的大きさには、一目おき感嘆している面もあり、前途の進展を感じさせもしている。

 ちなみに大山と笹川の人脈は重なる所も多く、世界日報社社長の久保木修己は全空連の理事を務め、後に広告を出稿したり、北米連盟会長を務めているし、評議員河合大介(国際総業社主。 慶大評議員で総会屋として知られる)は糸山英太郎(笹川の姪と結婚)と親しい。 また右翼の大物として知られる佐郷屋留雄も最晩年まで極真の大会に賛助会員として出資していた。

***

 1970年9月。 国空連が主催する第2回全日本大会が開催された。 この大会では全空連会長の笹川も来場し、非常に興味を持ったという。

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国空連の第3回全日本大会(1971年)のプログラムより

 翌10月、世界33ヵ国の選手が日本を訪れ、第1回世界大会が開催。 その33ヵ国でWUKOが結成宣言がなされた。

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WUKO結成宣言

 今大会は個人戦に日本人が2名出場し和田光二が優勝、2位にカナダのカルニオ、3位にタレナーズ(アメリカ)とバレラ(フランス)が入賞した。
 また、団体戦では…ちょっと全体規模が分からないのだが、日本からはA〜Eと5チームが参加し、4位まで全て日本チームが上位を占めた。 チーム数が多いのは、各流派間の軋轢を解消する為だろうか?
 
  ここでWUKOの規約に触れておこう。 以下、オリンピックに触れた部分だけを引用する。

第4条(目的)
 世界空手道連合は、就中下記の如き目的を持つ。
1)加盟国間の親善、友好関係を促進し、また世界の空手道活動を監督する。
2)世界の空手道の権益を保護する。
3)各国単位連盟或いは大陸連合体との協調に於て、世界選手権大会を(もし可能ならば、定期的に)開催し、又、オリンピック大会の為に空手のデモンストレーションを行う。 世界選手権大会及び国際試合の組織権は、大会参加を希望する加盟連盟の全参加者をその領土内に入国せしめうる国家に与えられる。
4)全世界の空手道を統括し、空手道の技術及び、精神を促進し、世界に普及する。
5)空手の国際技術規則を確立する。
6)オリンピック競技に空手を加入せしめる。

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第5条(アマチュア規定―オリンピック競技)
 WUKOは、アマチュア空手家の定義を競技の参加及び、公衆の面前での演技により、何らの利益をも得ないものと規定する。
 国際オリンピック委員会(IOC)の承認を得た場合には、IOC規約に厳密に合致するアマチュア空手家のみが、オリンピック大会に選ばれるものとする。
第8条(総会)
 総会は、WUKO最高の議決機関である。
 総会は、4年に1度(若し可能ならば)、前総会によって指定された場所で開催され、世界選手権大会及び、オリンピック大会と同時期に、同都市に招集される。


 と、これだけ見ても分かる通り、空手をオリンピック競技とすべく動いている組織だった。
 一方の国空連はどうか。 連盟規約には一言もオリンピックについて書いていない。 目的は第1条にある、

1、国際空手道連盟は、総本部を東京におくものとし、正しい空手道、及び空手精神を普及することを目的とする。

 だけである。
 実のところ、大山は空手がオリンピック競技になるであろう事は予想していても、自身がIOCに働き掛けるつもりは無かった。

***

 1972年、全空連が体協に加盟し、パリでWUKOの第2回世界大会が開催された。 この時の第2回WUKO総会で規約の承認、役員が選出され、笹川がWUKOの会長となった。 先だって、アメリカの2つの組織、AAKF(All America Karate Federation)とUSKC(United States Karate Congress)の間で争いが発生した。 AAKFはAAU(Amateur Athletic Union)に唯一承認された空手団体で、後発のUSKCがWUKOに承認を求めてきたのだ。 結論から言えばAAKFを各国が支持し、USKCは認められなかった。

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 そしてもう1つ、AAUが一方的に1つの団体を優先したという事で、他の空手団体から反発を受けていた。 米国における空手団体を統一出来なかった事は、後々まで響いて行く様だが、ここでは特に触れない。

 4月のパリで行われたWUKOの世界大会だが、日本の惨敗に終わった。
 初日の団体戦では1回戦は西ドイツを、2回戦はオランダを破って3回戦へコマを進める。 余談だが、この時のオランダチームにはヤン・カレンバッハの様な極真で知られた強豪もいた。 しかし、3回戦のイギリスに敗北し、主催国のフランスが優勝し、2位がイタリア、そして3位にはイギリスとシンガポールが入賞した。

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左がヤン・カレンバッハ

 このイギリスチームのコーチとして、イギリス支部長のスティーブ・アニールが就いていた様だが、詳しくは知らない。 だが、優勝したフランスチームには極真の門下生がいた。 Alain Setroukという60〜70年代にヨーロッパで活躍した選手だが、フランス支部は活動してはいるものの、フランス空手道連盟が強い為か、あまり活動記録が入って来ない。

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左がAlain Setrouk

 さておき、2日目の個人戦はどうであったか? 日本選手は審判に問題があるとし、棄権してしまった。
 国内外では大きな批判が起きた。 当時の記事から様子を見てみよう。

 「伝統のうえにあぐらをかいていたことが原因じゃないですか。 外国の選手は八年くらい前から日本に来て、科学的な研究をしながら練習していたんですよ。 だから、団体戦に破れて、もし個人戦でも敗れたら、面子にかかわるというんで、棄権したんじゃないのか」 (スポーツ記者)
 この選手が七人、役員が十四人という派遣団の構成が面子に走ったモトだともいう。 この点は笹川会長はキッパリと否定、
 「海外での大会は初めてだ。 フランスが主催したんだが、なんといっても外国の審判員だけじゃどうにもならん。 まだ未熟ということもあり、そのめんどうは日本の役員がみてやらなくてはならなかった。 このため、役員の数が多くなったわけだ」

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 だが、もう一つの意見もある。
 「選手団にウチゲバがあったんじゃないかな。 連盟に一応統一され、今年四月には体協にも加入はしたが、なんといっても流派が多すぎて、なかなかまとまらない。 その連盟の体質をバクロしたんじゃないだろうか」 (体協担当記者)
 選手が役員や監督の意向を無視して、個人戦を棄権したことからササやかれたものだ。

 無論、監督だった金澤宏和は内ゲバについて言葉少なく否定しているが、今回派遣された選手の多くがJKAという事もあって、言いたい事も言えない様だった。
 日本のエース、大石武士はインタビューでこう不満を露わにしている。


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大石武士

 「役員がだらしなさすぎたんです。 ボクはなんといわれても、どんな処分を受けてもかまいません」
(中略)
 「選手としては、なんといっても、審判に問題があったことが第一の原因です。 "やめ"の声がかかったので、攻撃途中でやめると、相手が"ツキ"を入れてきた。 すると、すかさず"ワザあり"てな調子だったんです。 これじゃ試合なんかできません。 このため、個人戦は棄権したんです。 これは選手が相談して決めたんではなく、結果としてみんなが棄権することになってしまった」

 大山の旧友でもある空手評論家の小倉且昌もこう語る。

 「日本のプラカードだけが用意されていないなんてこともありましたね。 はっきりいって日本を徹底的にマークして、地元フランスが優勝するためのトリックがあったんですよ。 一、二回戦は、比較的正しい判定をしていたんですが、対イギリス戦はひどかった。 そのときになると、それまでいた日本の審判員は、どういうわけか、外国同士の試合に移され、外人審判員ばかりになっちゃったほどです。 しかも四つのコーナーには審判が一人ずつ立つわけですが、日本の試合のときには、警官も立つんです。 抗議しようにも、警官にじゃまされてダメなんですよ」
(中略)
 「パリに着いたとき、フランスの記者から“日本チームは、絶対に一位から四位にははいれない"という妙な話を、何回も聞いたんです。 また"主催者側の一人、デルクール事務局長は反日本観の強い男で、フランスで指導している日本人を締め出したいようだ"ということも聞いていたんですよ」

 事実かどうかは不明だし、国際大会であれば本来出場する選手と同国の審判員はなるべく使わない方が筋は通る。 この大会の映像は残っているので、審判に問題があったかどうかは、判断は各々に任せたい。
 しかし開催国が優勝、というのは些かきな臭さがあるのは事実だが、理事の香川治義は「空手の判定はむずかしい。 われわれクロウトがみても間違うことはあるんです」とも語っている。
 また、当時極真本部に留学していたフランスのレグレー・ジャックは審判員の問題について、こう発言した。

 ジャック  パリの友人から私の手元に届いた連絡によりますと、審判団の最高責任者及び審判員の半数近くが日本人で、その日本審判団により大会前に講習が開かれたということです。 だから「審判員の未熟さ」をうんぬんすれば、それがそのまま日本側の責任として撥ね返ってくるわけで、どうも棄権の理由としては納得できかねますね。

 ちなみに最高審判長の中山正敏はこう語っている。

 「フランスを中心とするヨーロッパ空手連盟の舞台裏工作に負けたんです。 審判も日本選手の素早い動きについていけなかったし、日本の武道を守るために放棄したんです。 日本は負けていない」

 会長の笹川はこの結果を受けて、

 「…問題はどうであれ、国際試合を放棄することは許されないはずだ。 たとえば、選手団は審判が不正な判定をしたからといっているようだが、たとえ理由があったとしても、日本選手はそれを乗り越えなくてはならん。 ホントウに完全な勝ちをおさめさえすれば、まさか外国の審判も負けとはしないはずだ。 ともあれ、責任の所在をはっきりさせ、キビシク断を、もちろん、自らにもくだすつもりだ」


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笹川良一全空連会長

 この報を受けて極真会館はどうしたか? 当初は特に動く予定は無かった様に思う。
 パリ大会直後に機関誌の「現代カラテマガジン」で大山泰彦以下、外国人空手留学生が集まり座談会を開いているが、ハワード・コリンズが極真の選手も代表として選抜されたのでは無いかと思い込んでいるのでは? と諸外国の反応を気にし、幹部もその辺りを心配していると泰彦が発言している事から、抗議文批判文は届いていただろうが、激怒を露わにしていたようには見えない。
 しかし71年から「週刊少年マガジン」誌上で連載の始まった「空手バカ一代」の主人公だった大山には、抗議文が集中した様だ。 全空連の笹川とは悪くない関係を構築していた筈だったが、これには困った。

 「本当に弱りました。 特にこどもたちからの手紙を読むたびに彼らの夢を破ったようで……」

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  6月4日、大山はパリ大会の無効を宣言する声明文を発表し、関係各所に千通配布した。 また、一方で「週刊少年マガジン」誌上でも同声明文を発表した。 以下がその声明文。

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声明文

 さる四月二十一日、パリで開催された日本空手連盟主催の世界選手権大会において、周知のとおり日本は団体戦で惨敗、個人戦では棄権という忸怩たる有様で日本のみならず、世界の人々の失望を買いました。
 その敗因については、まず団体としての統制を欠き、選手団、役員、応援者が安易な気持で試合にのぞんだこと、日本人特有の派閥抗争があったことなどが挙げられますが、本質において、日本に残された最後の武道である空手を単なるプレーゲーム程度にみていた甘さに第一の敗因があったと、われわれは解釈しています。
 スポーツも武道も単なる技のみならず、身体精神の厳しい修練があって価値あるものであり戦後日本人はその価値を失い、プレーだけを求めてきました。 空手は武道精神を基盤とするただ一つの武道であり、スポーツであり、私たち空手を修練するものにとって人間完成への糧としているのであります。
 この日本古来の武道、空手をプレーゲーム化した試合を、私たちは断じて認めるわけにはいきません。
 日空連と私たち国際空手道連盟との本質的な相違もここにあります。 私たちが全く関知しない世界選手権大会、それに出場した選手団を、あたかも全日本の代表であるような扱い方自体、不合理極まるものといわねばなりません。
 私たちはここに日本、全世界に向って、パリで行われた世界選手権大会の無効を断乎宣言するものであります。

    一九七二年六月四日
    国際空手道連盟総本部
    財団法人極真奨学会極真会館
    館長 大山倍達
    委員代表 金子久男
    福田哲郎


 そして大山はこう発言した。

 「全日本空手道連盟が負けた、というのなら話はわかるが、日本の空手が負けたといわれたんでは私の信用にかかわる」

 一方で、こうも語っている。

 「別に全空連を否定するということではないんだ。 私たち空手家が内ゲンカ、兄弟ゲンカをするときじゃあないでしょう。 でも、今回の世界大会のあまりにも情けない敗北にガマンがならないんだよ。 勝負は時の運、精いっぱい戦って負けたのならボクだって一言もいいやしません。 だが、試合を放棄するとは、日本の武道家として全く恥とすべきことですよ」

 
極真と全空連6.jpg


 先の笹川の反省を見ても分かる通り、今大会では弁解の余地が無かった、として大山の声明文に対してさほど反論していない。 真の日本代表を決めようという挑戦は受け入れなかったが、

 「挑戦状など別にどうこう思っとらんが、大山君もひとかどの侍ではあるな」

 と大人の態度で受け入れている。 そして、

 「大山君の声明文にある敗因で“団体としての統制を欠き、選手団、役員、応援者が安易な気持で試合に臨んだこと"とあるのは、全くそのとおりだ。 日本選手は相手をなめていた。 私の知人は、その構えを見ただけで"これは負ける"と予言したほどだった。 これに対して、外国選手は二年前の大会で完敗したため猛練習していたんですよ。 レベルがあがっていた。 団体戦で負けた日本選手は、個人戦でまた負けては面目がたたないので、欠場したのだと思う」

 と語っている。

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 大会後、全空連は敗因をこう分析した。

1)外人審判員の中に資格を持たない者がいる
2)規則で制限された以上に接近戦が多く、棄権と判断した


 その一方で事態を重く見た全空連は特別賞罰委員会を開き、笹川以下、12人を戒告・停職、公式戦出場停止といった処分を決めた。
 また、今大会に不満を持ったのか、詳しい経緯は知らないがJKAが全空連を離脱し、その後、JKAもいくつかの組織に分裂したが、詳細に語れるほど事情に明るく無いので、ここでは特に触れない。

***

 谷岡  その後、世界各地からの反響はどうですか?
 大山  ものすごいんです。 内外からどうして負けたかって、ここに問い合わせが来たんですよ。
 谷岡  いわゆる日本空手連盟と極真流の違いはどういうところに……。
 大山  あのね、それ極真会館。 流派は私嫌いなんですよ。 非常な間違いなんですよ。 日本空手道でいいんです。

(中略)

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谷岡ヤスジと大山倍達の対談

 谷岡  国際舞台に出れば、何々流ではダメですよね。
 大山  ダメですよ。 "日本の空手"でいいんですよ。 "流"が負けたんじゃないです。 日本の空手が負けたんだから、連盟が負けたんじゃないんだよ。 だから怒るんだよ!! そりゃね、何々流が行って負けたんだと彼等が思ってくれれば、別に自由主義社会だから、悪いという必要もない。
 谷岡  でも、やっぱり日本空手は破れたという印象を与えますよね。
 大山  だから私は声名文を書いたんです。
 谷岡  その中に極真会館の選手が一人も入っていないというのはね。 しかし、これだけ世間に騒がれて、空手界の実状が逆宣伝でクローズアップされましたね。

(中略)
 谷岡  ぜひ、七四年の世界大会では、日本の空手の威信を取りもどしてくださるよう期待しています。
 大山  どうも、ありがとう。 谷岡さん、十年間は王座を守りますよ。


 極真側の挑戦状を全空連が承諾する事は無かったが、これを機に「我らの空手こそ武道空手である」、と明確に打ち出した大山は、自身の著書などで厳しく批判した。 全空連としても「あれは本当の空手じゃない」と、声を大にして反論したかっただろうが、結果を出さない事には反論も出来ない。 斯くして、全空連上層部は表向き沈黙を保っていた。
 漫画やアニメを中心としたメディアの後押しもあり、また大山自身もテレビ等への出演を断わらなかった為、試し割りを中心に直接当てるという迫力ある組手で、組織人口は少なくとも(当時1:10だったとされる)、世間一般への影響力は大だった。
 対立側からすれば忸怩たる思いだったのは間違い無い。

(続く)

 という事で、第1部完了。
 実はですね、今月ずっとこの記事について書いたり調べたりしてて、気が付けば全く記事更新してませんでしたw
 それ以外にもちょっと週末忙しくてですね、中々時間取れず。
 それでキリの良い所で一旦第1部として区切り…どれくらい続くかまだ読めないんですが、連載にしようと思います。
 ちなみに今回、すげー量の資料を使ってますが、まだ増える予定ですw
 次回は多分実は当てたかった全空連?と大山倍達総裁と笹川良一会長の大喧嘩が中心となります。 出来れば空手懇談会まで行きたいけど…どうかなぁw

 今回はここまで。 それでは、また。


参考文献:
BLACK BELT MAGAZINE Summer 1963,  Black belt, Inc., 1963
BLACK BELT MAGAZINE July 1972,  Black belt, Inc., 1972
BLACK BELT MAGAZINE October 1972,  Black belt, Inc., 1972
BLACK BELT MAGAZINE April 1973,  Black belt, Inc., 1973
BLACK BELT MAGAZINE Jury 1973,  Black belt, Inc., 1973
BLACK BELT MAGAZINE November 1974,  Black belt, Inc., 1974
BLACK BELT MAGAZINE December 1974,  Black belt, Inc., 1974
BLACK BELT MAGAZINE March 1975,  Black belt, Inc., 1975
BLACK BELT MAGAZINE February 1976,  Black belt, Inc., 1976
ニッポンスポーツ 1972年 6/14 1972年
朝日新聞 2015年 3/29 2015年
月刊丸 1955年4月号 光人社 1955年
月刊空手道 1956年5月号 空手時報社 1956年
月刊空手道 1956年7・8月合併号 空手時報社 1956年
月刊空手道 1957年1月号 空手時報社 1957年
現代カラテ 1969年7月号 現代カラテ研究所 1969年
週刊サンケイ 1969年8/22号 産業経済新聞社 1969年
武道タイムス 1969年12月号 武道タイムス社 1969年
現代カラテ 1970年3月号 現代カラテ研究所 1970年
現代カラテ 1970年8月号 現代カラテ研究所 1970年
現代カラテマガジン 1972年6月号 現代カラテマガジン社 1972年
週刊サンケイ 1972年5/19号 産業経済新聞社 1972年
週刊少年マガジン 1972年29号 講談社 1972年
週刊サンケイ 1972年6/30号 産業経済新聞社 1972年
現代カラテマガジン 1972年7月号 現代カラテマガジン社 1972年
週刊漫画TIMES 1972年7/22号 芳文社 1972年
週刊大衆 1976年10/21号 双葉社 1976年
週刊現代 1978年6号 講談社 1978年
週刊大衆 1978年2/26号 双葉社 1978年
人と人間 1978年6月号 行政通信社 1978年
話の特集 1978年9月号 矢崎泰久編集 1978年
月刊武道 1981年2月号 日本武道館監修 1981年
月刊武道 1981年3月号 日本武道館監修 1981年
月刊パワー空手 1981年3月号 パワー空手出版社 1981年
月刊武道 1981年4月号 日本武道館監修 1981年
月刊武道 1981年5月号 日本武道館監修 1981年
月刊パワー空手 1981年6月号 パワー空手出版社 1981年
月刊武道 1981年6月号 日本武道館監修 1981年
月刊武道 1981年7月号 日本武道館監修 1981年
月刊武道 1981年8月号 日本武道館監修 1981年
月刊パワー空手 1981年9月号 パワー空手出版社 1981年
月刊武道 1981年9月号 日本武道館監修 1981年
月刊武道 1981年10月号 日本武道館監修 1981年
月刊武道 1981年11月号 日本武道館監修 1981年
月刊パワー空手 1981年11月号 パワー空手出版社 1981年
月刊武道 1981年12月号 日本武道館監修 1981年
月刊パワー空手 1983年10月号 パワー空手出版社 1983年
月刊パワー空手 1984年6月号 パワー空手出版社 1984年
月刊パワー空手 1986年5月号 パワー空手出版社 1986年
第3回オープントーナメント全日本空手道選手権大会プログラム 国際空手道連盟極真会館 1971年
第1回オープントーナメント全世界空手道選手権大会プログラム 国際空手道連盟極真会館 1975年
第8回オープントーナメント全日本空手道選手権大会プログラム 国際空手道連盟極真会館 1976年
第1回全日本硬式コンタクト空手道選手権大会プログラム  国際拳行館空手道連盟 1981年
空手道名鑑 空手道名鑑編集委員会監修 創造 1977年
空手道 保存版 創造 1977年
限界への挑戦 ―これが地上最強の空手だ― 大山倍達著 宝友出版社 1977年
写真で見る WUKO 第4回世界空手道選手権大会 全日本空手道連盟大会組織委員会 1978年
わがカラテ革命 大山倍達著 講談社 1978年
わがカラテ日々研鑽 大山倍達著 講談社 1980年
大山倍達との日々 ――さらば、極真カラテ 真樹日佐夫著 ペップ出版 1990年
1200万人への道 睫攘庵 徳間書店 1990年
極真カラテ21世紀への道 出てこい、サムライ 大山倍達著 徳間書店 1992年
マス大山の正拳一撃 大山倍達著 市井社 1994年
極真の精神 大山倍達著 市井社 1994年
極真外伝 〜極真空手もう一つの闘い〜 ぴいぷる社 1999年


STEVE ARNEIL HANSHI - KYOKUSHINKAI (4/11/2015)
Alain Setrouk and his ProFight Martial Arts Association support the World Martial Arts Games (4/11/2015)
WORLD KARATE FEDERATION The Book (4/29/2015)
International Traditional Karate Fedration (4/29/2015)








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コメント
ぶっちゃけ
(゚Д゚)!!!
空手のオリンピック化はあるのかないのか?
それが気になる処ですよ!

オリンピック化されたら空手界は良くも悪くも利権で1つにまとまるでそう。
  • ぬこやなぎ
  • 2015/04/30 5:32 PM
松井派は、いわゆる極真ルール死守しないとダメでしょ。
  • 木村
  • 2015/05/01 9:26 PM
>ぬこやなぎさん&木村さん

どうでしょうねぇ。
個人的には公開競技止まりだと思ってます。
テコンドーがある以上、こちらが廃止にならない限りは無理ですね。 一般的には「同種の競技」でしかありませんからw

また、正式種目になっても利権化されるかどうかは疑問ですw
日本は他国ほどお金出してませんし、オリンピック競技化したら部活として採用する学校が増え、結果、個人道場は淘汰される可能性もあるでしょう。
そして、ルールの異なる空手は今以上にマイナーに堕ちるかも知れませんね。

だから、新極真の働き掛けも、松井派の戦略も、理解は出来るのです。 賛否はともかくw

ついでに言うと、極真ルールはオリンピック的に、賛同を得られにくいと思います。
ノックダウンは偶発的な結果の裁定として残るでしょうが、ボクシングの様に防具を着け、ポイント制にされるんじゃないですかね。
  • Leo
  • 2015/05/03 12:11 PM
そんなもんだと思ってやってるけど、素足で頭を蹴ってKOというのは、ふつうに考えたら“やりすぎ”かも…ですね。
  • やいや
  • 2015/05/07 10:28 AM
>やいやさん

まぁちょっと厳しいかな、と考えてます。
  • Leo
  • 2015/05/07 8:44 PM
WUKO第2回世界大会の映像です。
http://www.dailymotion.com/video/xtu9g4_championnats-du-monde-de-karate-1972-paris_sport

以前2ちゃんねるで、22:40から矢原美紀夫氏と対戦しているのがヤン・プラス、23:35から田中昌彦氏と対戦しているのがカレンバッハではないか、と話題になっていましたがどうでしょうか?
  • 元伝統派
  • 2015/05/08 9:14 AM
確かヤンプラス氏は出ていたと聞いたことがあるような…
(;´・ω・)マス先生の差し金かどうかが気になります。

…知らぬ存ぜぬかもしれませんが、w
  • ぬこやなぎ
  • 2015/05/10 9:39 PM
>元伝統派さん

私もそう思います。
この大会の時のカレンバッハは30近い歳ですし、フランスのドミニク・バレラに欧州重量級王者の座を奪われていましたから、もう選手としては下り坂だったでしょうねぇ。
空手留学に来ていた頃は突きからの投げで極真門下生を圧倒していた様ですが、このルールに長けた協会系の選手には分が悪かった事でしょう。

>ぬこやなぎさん

総裁の与り知らぬ所でしょうね。 欧州の極真メンバーは60年代から普通に寸止めの大会に出ていましたし、好成績を修めると連絡もしていた様ですが、そもそも69年までは極真ルールの大会もありませんし、70年の第2回全日本で初めて海外からの支部長(と言っても殆どアメリカですが)を呼んだくらいです。
一応、ホセ・ミリアン先生が第1回の時はいましたけど、当時は本部に留学してたと思います。
  • Leo
  • 2015/05/15 12:28 AM
>>LEOさん
(^ω^)勉強になりました!
  • ぬこやなぎ
  • 2015/05/16 3:14 AM
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