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大山倍達マニアック検定

極真と全空連、そしてオリンピック 2

JUGEMテーマ:空手


極真と全空連2_12.jpg

 長く時間取ってますが、続編ですw
 
 ***

 試合内容に関しては色々あったが、全日本空手道連盟の1972年パリ大会での敗北は大きなダメージを負い、一方の極真会館は世間一般から視る空手界という天秤の中で、確実に比重を増して行った。
 日本武道空手玄和会を主宰し、弁証法を駆使して武道哲学を追究する理論派で知られてた南郷継正は、こう書いて大山倍達をサポートした。



 …この「本家日本」の敗北という言葉に、もしかしたら異義を申立てる組織があるかもしれないのである。 なぜかならば、現在の全日本空手道連盟の輩下に非ざる一大流派が存在するからである。 そしてその流派は、独自の全日本空手選手権を開き、独自の国際組織を持っており、日本における勢力分野は大したことはないが、国際的には隠然たる勢力を持っている極真会がそれである。
 その統帥大山倍達にしてみれば、「われこそが本家日本の主流」と思っているかもしれないからである。
 彼等は自分たちを、日本一、いや世界一だと自負しているし、おそらくは現在のところではそうであろう。 それが不満の人たちは、彼等の主催する全日本空手選手権大会に出場されるがよかろう。 この大会は、流派、拳法の種類を問わずあらゆる格闘技に開放されているから、たとえ少林寺拳法の門下であっても出場できるからである。
 大山倍達は、他の空手家と違って、現在の空手の欠点を彼なりに掴み、それを克服しようと真剣そのものに取組んでいるようであり、空手を最後に残った武道として死守する気持にも賛成である。 いずれ、私の〈空手の理論〉を出すときには詳細は展開されるであろうから、現時点では、彼大山派が、日本の現在の頂点であろうことを述べておくに止める。

 (中略)
 私は彼の空手に全面的に賛成するものではないが、組手を技術体系を最高とする考えには同感である。
 (中略)
 さて、ずばり結論を出しておこう。
 日本が負けたのは、現象的には審判のせいであるが、本質的には審判のせいではない。 むしろ、ある意味からは審判は正しかったのであり、負けたのは、日本のレベルそのものに問題があったからである。
 それは一言で云うならば、「技の使い方で負けたのだ」ということである。
 過去において私が説いてきたことを想い起こして欲しい。 日本柔道の没落は「技を創る」という面を怠った故であると指摘しておいたが、日本空手の敗因はこれを裏返しに、「技を使う」面での研究不足が原因で敗けたのである。


 会員数で言えば天地の開きはあれど、71年の劇画「空手バカ一代」連載開始や通信教育の「マス大山空手スクール」の発足、翌年のアニメ化というタイミングは正に天佑だっただろう。 それまで海外への指導員派遣を中心としていた極真だったが、この頃より国内展開を強めていく。 当時入門したばかりの東孝が後に海外派遣を望んだ際に果たせず、国内支部を任されたのは国内へとシフトした大山倍達の方針によるものだろう。

極真と全空連2_3.jpg
極真の71年第3回全日本大会から国内支部長の少なさが窺える

 71年の第3回全日本大会にて、大山はこう発言した。

 我々はこれまで「世界に伸びる空手道」というスローガンを掲げて、空手の世界的普及につとめてきた。 しかし今では、「世界の空手であることをあえて宣言する。 そして、空手にのみ残る武道精神、すなわち日本精神のみが、世界を頽廃から救えるものであると信じ、空手の技術と精神をまず日本国内において充実させ、更に世界を指導する実力を涵養することが急務であると考える。

***

 全空連を追撃する極真は、自らの手による世界大会を模索していた。 当初は70年の時点で72年に世界大会を開くべく活動していたが、これはならず、パリでの日本の敗北によりにわかクローズアップされた大山は、改めて74年10月開催を目指すと打ち上げた。

 「規模は世界40か国から選手を170〜180人を呼ぶ。 そして期間はだいたい3日間。 臨場を予定しているのがスペインのカルロス皇太子、またはヨルダンのフセイン国王で、どちらも私の極真空手を習っている弟子筋です。 また確実にやってくるのは映画俳優のショーン・コネリー【007のジェームズ・ボンド役)彼にも一役かってもらい真の世界選手権大会と呼べるような盛り上がりをみせたいと考えています」

極真と全空連2_1.jpg

 更には日本の皇太子殿下のご臨場を企画していたという。 今まで培ってきた政治力をフルに発揮させるつもりだったのだ。
 しかし、敵は国内にあった。

 大山は空手の国際大会を開くのであれば、それは武道の殿堂である日本武道館しかあるまい、とこう考えていた。 実際、当時の小冊子では日本武道館で開催する旨が書いてある。 結論から言えばこの時は使用許可が下りず、後の第2回世界大会でも使用許可が下りるまで紆余曲折があったが、これは後述する。
 ただ、これが為に第1回世界大会は開催が遅れ、東京都体育館で開かれる事になった。

***

 1975年10月、アメリカ・ロングビーチで世界空手連合(以下WUKO、現・WKF)の第3回世界大会が開催された。 個人戦には日本から4名が出場、 村上邦夫が優勝、2位に浜口淳一郎が入り、空手日本の面目躍如となった。 しかし団体戦ではイギリスに優勝を奪われ、日本は2位に終わった。

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WUKOの第3回世界大会個人戦優勝者村上邦夫(右)と浜口淳一郎(左)

 この結果については大山は著書で少し触れた程度であり、特に声明文を発表するなどのアクションは起こしていない。

 同年11月、大山は私財を投入して、国空連主催の第1回世界大会が開催された。 この大会は世界37ヵ国から128名の選手が参加し、1位から7位までを日本人選手が独占、後に映画化されるなど、大好評を博した。 極真の第1回全日本覇者、山崎照朝は当時をこう語る。

山崎  凄いなと思ったのが、第1回の世界大会の時に全部の選手にお土産を用意してたわけ。 チェックしたらさ、5万円の時計、浴衣、カレンダー、湯呑みとついて、あと宴会でしょ。
――金をかけてますね。
山崎  それで往復のチケットは日本航空が出してくれるのかと思ったらさ、「タダで出してくれるわけないよ。 少しぐらいは安くしてくれるけど」 って。 「館長、いくらかかるんですか?」 って言ったら 「まぁ、3億円はかかるな」 「なんでそこまで!」 「せっかく日本に来てくれたんだから、喜んで帰ってもらいたいじゃない。 そういうのないかね、キミィ」 って。
――かっこいいですねぇ(笑)。
山崎  俺は大山倍達には勝てないと思ったね。 これはバケモンだと思ったね(笑)。
――バケモンですよねぇ(笑)。 その3億円って、どういう形で作ったか話は聞いているんですか?
山崎  館長は言わないよ。 だいたいわかるけどね。 館長に協力する人がいたってことだよね。


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極真主催の第1回世界大会

 大山を商売上手と揶揄する人たちがいるが、笹川良一という希代の実業家に乗っかり資金繰りを気にせず、第1回世界大会では1億5千万、パリでは2億、笹川が出したと言われているが、全空連の誰が大山の苦労を知っていただろうか。 極真会館―国際空手道連盟という組織は確かに大山のワンマン経営であったが、言わば中小企業の社長の様な物である。 方々に走り回り資金をかき集めるのもまた、大山が行っていた。 この為、組織として常に矢面に立つのは大山であり、その財産とも言える人脈は組織にあまり残らず、大山の死後、極真が分裂した事にも影を落している様に見える。

 先に書いた通り、実は第2回のパリ大会までは全空連が全額負担していた。
 規約が承認されたパリでの総会で各国分担金が決められたものの、実際の納入金は60%程度だった(1978年当時)。 笹川がいなければ、あの時点での国際大会は不可能だったのでは無いか。
 政界のフィクサー、大物右翼、世界有数の慈善家、事業家と様々な側面がある笹川だが、今の全空連がこの笹川の貢献無くしては成り立たなかった、という事は世間に意外なほど知られていない。

***

 1976年、WUKOはオリンピックへの登竜門と言われるGAIF(国際スポーツ連盟)に認定された。 IOCと親密な関係にある同団体に加盟したWUKOは、着実にオリンピック競技への道を進む。
 
 5月になると前年開かれた極真の世界大会を中心とした映画「地上最強のカラテ」が公開された。   
 この映画は大きな話題を呼び、封切り2日目には新宿京王の1日辺りの観客動員数7099人、収益882万と、歴代最高記録を叩き出した。 ブルース・リーの巻き起こした当時の呼び方で言う「空手映画」ブームのピークは74〜75年だとされ、76年には落ち目だったとされているが、それを吹き飛ばす好評振りは1日辺りの動員数で名作映画として呼び声の高い「風と共に去りぬ」を2000人も超え、当初2週間だった上映期間が延びロングランとなり、一部劇場のみの公開であった同映画が大阪でも封切り、そして松竹系の映画館で一般公開となった事からも窺える。

極真と全空連2_2.jpg

 また、海外からも相当数の引き合いが来たそうで、それまでの漫画やアニメよりも多くの門下生を極真に呼び込んだ。 遂に極真ブームが訪れたのだ。 映画公開以降、入門者の数が爆発的に増えた。 娯楽の少ない時代、映画のもたらす宣伝効果は相当な物だっただろう。 プロレス最強論から始まりキックボクシング、カンフーに次いで空手が名乗りを挙げた訳だ。
 この空手が最強戦線に参加した事でコマが揃い、格闘技界が芽吹き、アントニオ猪木と梶原一騎が世に送り出したと言えるのでは無いだろうか。

 こういったブームに、全空連の一部の幹部は反発と脅威を感じていたと思われる。 極真は邪道だ、本当の空手では無いと言ったところで、日本人的な感覚からすればそれを公にアピールするには憚られる――そういう気持ちもあっただろう。
 寸止め、寸止めと揶揄されていた全空連だが、実はこの形式には問題がある事を当の幹部連が認めており、専務理事の江里口栄一はこう発言している。

 私がいう「当てる」という意味は、日本の武術用語として使われている「仮当て」なのです。 平明に表現すればタッチということでしょうか。 しかし「仮当て」にせよ「タッチ」にせよ、現行のようなノータッチに較べれば百歩の差があります。 つまり現行ルールのような仮想や推断で判定するよりも制度が高まることは疑えません。


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 と、寸止めを「仮想」「推断」と断じている。 また、常任理事の香川治義は、これは81年の寄稿文だが、こう書いている。

 現行の"寸止め"ルールを評して、欧米では"球のないサッカー競技だ"という。
 確に、いくら優れた技を競い合っても、当てないという致命的な制約は、見るものの側に立てば、ペナルティを恐れた、気の抜けた格闘技として写るのみである。 本当に"当てる"場合と"当てることを仮定"する場合の差はこの種の競技では、絶対といってよいほど大きい。

(中略)
 空手の競技会が、その普及度の割りに、一般の観衆が少ないのは、寸止めに伴う勝敗の不明確さにあることは、かなり以前から指摘されてきたが、空手人特有の独りよがりの故か一向に改められる気配はない。

 「当てる」「当てない」ではその差が大きいというのだ、これは大山の主張そのものである。 一方で大山を否定し、一方でその大山の意見を肯定する――、体協加盟の全空連としては倒し合う事には否定的ながらも、武道家としては、相手に当てる事への追究は忘れていなかった。 再び江里口の発言に戻ろう。

 安全の為にご承知のように寸止めという方法を使ってる。 生命を守る為に当たった状態の直前で止めてるという非常に不自然な形をやむを得ずやってる。
 ところが、これの最大の弊害は直前で止めるから相手は打撃を感じない。 痛くもどうもない。 従って下手な者程それを当たったと自覚しないでどこ迄も突っ込んでくる。
 うまい方は当たったんだけれども相手にならん打撃を与えていないから、それを押し切って突っ込んでこられれば、結局かわす以外にない。 ということは、当てられた筈の人も自覚しないし、ましてや見物している第三者は尚更判らない。 判るのは優秀な審判員だけである。(笑)
 ところが、審判の方は、大学の研究室でビデオを撮ってみましたら審判が目でキャッチできる残像限界よりもこぶしの動きがはるかに速いことが判った。
 審判の方は、仮に止めないで突いた瞬間には、確実に当たっている筈であると判断する。 それを意識的にとめただけである。 万が一止めないでそのまま当てたなら、相手は必ず倒れるであろう。 こうしてみんなあろうあろうという仮想で判定する訳です。
 ところが最近になって人間の肉眼でははっきり止まった瞬間がキャッチできないことが判った。
 従って審判の判定には、絶対的な権威がないことを審判自らが悟ってきた。
 このような審判方式でやると、先生がおっしゃるように体の大きい者、あるいは技の下手なるが故に自らを制御できない為に、むちゃくちゃに突っ込んでくるという者が出てくる。 そうすると却って下手な者の方が勝ったり、有利な判定を受けることになる。
 審判も勿論誤審が多いということっで、今非常に悩んでいる訳です。


 ちなみにIOCからも「当てない」ルールが大きな障害となっていた様で、改善の要求がされていたという。

***

 全空連側から動きがあったのは1976年9月だった。 全空連常任理事で剛柔会理事長の香川が極真に挑戦状を送ったのだ。 曰く、

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 「あれを空手と呼ばれるのは困る。 大山流格闘術とでもいっていただきたい。 あれらが空手になんの役に立つ! 引田天功でもやらせたらいい!」
 「まったく品がない。 われわれは文部省認可団体として、教育上、こんなものは広められない。 空手はそんなガラの悪いものではない」


 と攻撃的である。 また、和道流創始者の大塚博紀も、

 「どうしたら相手を叩きのめせるかを目的とするような空手は、政府が禁ずればよろしい」

 と言い切った。 大山はこれは笹川の意を受けたのだと邪推しているが、実際の所は不明である。 ただ、全空連の幹部はスッとした人もいただろうが、大半は香川の挑戦に反対だった様だ。 教範部長の有本富英は「大山さんには勝手にやらせておけばいい」とし、全日本学生空手道連盟師範の高木房次郎はこう言い捨てた。

 「果たし合いとは二十世紀にずい分面白いことをなさるなって思いますね。 前時代的なことをやる空手界をね、ぼくは自ら恥ずかしいと思いますよ」

 結論から言えば互いが互いに自身の主催する大会に出て来いと主張し、物別れに終わったが、禍根を残したと言えよう。

***

 この頃、主に欧州の極真支部辺りからオリンピックへ向けた取り組みの一環として、ウエイト制大会の必要性が語られる様になった。 先に紹介した1956年の金城裕との対談では金城が体重判定という概念を語り、大山がウェイト制導入を語るという一幕があったが、77年頃は軽量級、中量級、重量級と無差別という3階級を検討していた。

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大山倍達と金城裕の1956年の対談

 実際の所、大山は空手をオリンピック競技にするという事にはさほど興味を持っていた様に思えない。 しかし動かざる終えないのは、欧州の支部が国空連脱退を匂わせるなど、圧力を掛けたのでは無いかと思われる。 自由に各団体の大会に参加していた欧州では、WUKOに加盟しないとオリンピックに参加出来ないとなれば、極真を脱退するより他無い。 引き留めるにはオリンピック参加を公言する必要だったのでは無かろうか。 オリンピックについてはまた後述する。

***

 極真空手は、時には茶番とも取れる様な事も行いながら、着実に勢力を伸ばしていた。 メディアに、そして商業主義に踊らされた面も否定は出来ないし、大山もまた「大山倍達」という世間のイメージに合わせた自分を演じていたであろう事は否定出来ない。 しかし、全空連という巨大な組織と張り合い勝つには組織力以上の事が要求される。

「成功した創業者というのは、ある意味で“狂気”なのです。創業期に他人と同じことをやっていては企業は大きくならない。違うことを違うやり方でやってきたからこそ成功した。急激に伸びた会社の経営手法というのは、しょせん語り継げても受け継げないのです」

 
 イトーヨーカ堂を大きく育て上げた伊藤雅俊の言葉だ。 アメリカでプロレスに触れた大山はメディアでアピールする事もやぶさかでは無かったが、規模は違えど全空連をライバルとし追い越さんとする過程で実像以上に極真が膨れ上がってしまい、他の格闘技とまで軋轢を起こす事となった。

***

 1977年12月3〜4日、東京武道館でWUKO主催の第4回世界大会が開催された。 世界44ヵ国、参加選手400名を超え、1万6千人の観衆を集めた同大会では、会長の笹川も「人類は兄弟」と大書された道着着て、十段の証となる赤帯を巻いて瓦を割り、185kgの大相撲の高見山を投げる演武を披露した。 また確認は出来なかったが、大会で詩吟をやった飛田鳳粋は笹川の妻だったという。

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笹川良一の瓦割り

 本戦の方では、型で岡田敬治が優勝、宮野宏征が準優勝と本家日本の威信を示した。
 しかし、団体戦では準々決勝までに日本は敗退し、勝ち残ったのはイラン、スペイン、イギリス、西ドイツ、スウェーデン、オランダ、フランス、台湾だった。
 そして、個人戦ではルクセンブルグから2名、オランダは2名、イギリスが2名、スペインが2名、フランス、キュラソー、オーストラリア、台湾、メキシコ印度、西ドイツ、イタリアの選手が準々決勝に残った。

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団体戦優勝に歓喜するオランダチーム

 当時日本の組手技術をリードしていた日本空手協会が脱退した結果、日本の実力は低下しており、その一方で実力を上げた他国との差は明白だった。
 結果、団体戦ではオランダが優勝、個人戦でもオランダのルートフがイギリスのコジントンと争い栄冠を手にした。  正に惨敗である。

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個人戦優勝のルートフ

 実の事を言うと、オランダチームは極真会館と和道会から選抜された選手で構成されていたのだ。 特に個人戦に出場したルートフとリーベルフ(ベスト8入り)は極真門下だった(出場時は和道流)。 海外の極真門下は、1969年に自流の大会を開催する以前より他流のオープン参加の大会に出場しており、大山の与り知らぬ所で活躍していた。

***

 1978年1月13日、ホテル・ニュージャパンで大山倍達が「日本の空手はこれでいいか」と題した緊急記者会見を開いた。

極真と全空連2_11.jpg

〈声明文〉
 去る12月3、4日の両日、日本武道館に於て、全日本空手道連盟主催による「第4回世界空手道選手権大会」が開催され、日本選手は惨敗、もって6年前の第2回大会以来屈辱の3連敗を喫し、空手関係者及びファンをして啞然とさせる結果に終りました。
 本家日本の空手はどうなったのでしょうか。
 私達国際空手道連盟・極真会館は、彼等日空連とは、その組織、理念、技能を異にし、日空連の大会には関知しないものでありますが、空手に生命を賭けて精進している私達にとって、日本の敗北は空手の母国の威信を地に落とすものとして、これ以上見過すことは出来ません。 団体を異にし、スポーツ空手を呼称される日空連とはいえ、3連敗となると、私達にとっても事は重大であり、日本空手界全体のイメージダウンにつながる国辱的事態ともいえるからであります。
 私達の思うに、日空連空手の敗因は、彼等の自閉症的ありかたにあります。 旧態依然の空手に固執し、それを絶対視して排他的であり、かつ自己満足していたところにあります。
 海外の空手は日進月歩しております。 なかでも極真空手は、武道空手、実戦空手として、流派を問わず研究、吸収され、海外の空手に多大の影響を与えています。 然し何故か、日空連のみは常に私達を排斥し、邪道視してまいりました。 その背後で日空連会長並びに指導層の一部が、空手については無知であるにもかかわらず、富と権力によって組織を私物化しているからであります。
 日空連会長は偉大な実業家でありましょう。 然し偉大な実業家かならずしも偉大な武道家でありましょうか。
 私達はこれまで日空連の空手をスポーツ空手として見てきましたが、今般の惨敗ぶりを見て、最早それはダンス空手であり、彼等の主催した世界選手権はダンス空手世界選手権であることを、ここに宣言し、本声明文を公開して野に問う所存であります。
    1978年1月13日
    国際空手道連盟総裁
    極真会館
     館長    大山倍達
     委員長    金子久男
        福田哲朗
        伊藤徳郎


 極真側は負け続けている全空連に対し、上層部の問題であると糾弾した。 我々の見解と称して、選手に対してはこう評価している。

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 日空連の代表選手は、素質において極真空手の代表選手と全く変わらないものをもちながら無惨にも敗北を余儀なくされたところに問題があるのです。
 この責任の所在は誰にあるのか!
 それは日空連の排他的な組織体質そのものにあるとしか考えられません。 とりわけ空手を全く知らない指導者によって組織が独占され、私物化されているところにあるといってよいでしょう。 このまわりに富と権力を利用しようと集まった烏合の衆ともいえる空手家達は、武道精神の本質を忘れて空手をゲーム化し、ダンス化し、武道家の魂を売ったのです。 政財界に癒合してなんの空手の清冽の気があろうか。 権力にこびない、金の奴隷にならない、暴力に屈しないのが武道家の本質であり、武道家の武道家たる所以であるのにもかかわらず……。


 記者会見では「国会タイムス」の記者が興味深い質問をしている。

――日空連は、空手道をオリンピック種目にしようとしている。 極真会もそういう意向なのか。 もしそうだとすれば、共通のルールを作らなければいけないと思うがどうか。 また、日空連は金があるというが、それはギャンブル=競艇の金だ。 国際空手道連盟も国の金を貰うような運動をするべきではないか。

 これに対し、海外では直積打撃制を望んでいると回答しており、また「オリンピックには私共も参加したいと思っている。 そういうことになると国の金も使いたいと思っている」、と回答した。 また、オリンピックには極真ルールで、とも回答している。

 当時「国会タイムス」は笹川良一に対してキャンペーンを張っており、大山の様な存在は渡りに船だったのか、笹川個人に対する問題で質問を浴びせている。 特に船舶振興会(会長:笹川良一)の助成金や組織の私物化についてだ。 「国会タイムス」は笹川が会長を務めている船舶振興会に1976年度でも5千万という助成金が出ており、これらによって笹川が全空連を私物化しているんだろうと糾弾しており、記者会見には多くのスポーツ新聞社が出席したにもかかわらず、「夕刊フジ」「デイリースポーツ」「東京スポーツ」「日刊スポーツ」のみが報道したという事を指摘している。 各紙には莫大な広告料を支払われている事から、大山の主張を取り上げなかったのだろうと指摘しているが、これについては不明だ。

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記者会見に出席したメディア

 全空連の事務局は声明文に対し、こう回答している。

 「極真会館というのは聞いたことがあるが、そういう声明文を発表したことは全く聞いていない。 私共は体育協会が公認し、文部省が承認したアマチュアスポーツとしての空手としてやっている。 他の団体につて私共は悪口は言いません。 開会式で笹川会長がためし割りをしたのも鍛錬して割れたのだからそれでいい。 笹川氏は実際に空手をやっています。 他の人が悪意を持って何を言っても一々取り上げません。 私共は大組織だから色々私共の悪口をいえばPR効果がある。 売り込みがウマイですナー。 声明文に書かれている日空連の排他的体質云々ということは全く事実に反します。 空手を売り物にし商売に使っている者以外は誰れでも入っている。 事実を確認してもらいたい。」

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演武を終えた笹川良一と高見山

 「夕刊フジ」は更にこう書いている。

 鉄拳をふり上げて大山氏「ケンカを売るつもりはないが、くやしければ、こっちの大会に出場して勝てばいいんだ。 笹川さんはNHKテレビでカワラ10枚割って見せたが、あの人が10枚割れるとは思えない」と、言いたい放題。
 これは、笹川氏の名誉にかかわる問題。 で、コメントを求めたが、多忙とのこと。 かわって、日空連の職員氏が「あれはホンモノですよ。 名誉10段ですから」。 練習ぶりは「さあ、見たことないけど、カゲでやってんじゃないですか」とは、いささか心もとない。
 ともあれ、大山氏の批判に対して日空連の坂上節明氏は「こっちはちゃんとしたスポーツなんですよ。 勝負は時の運。 こだわってません。 世界は1つ、外国が強くなるのは喜ばしいことです」。
 が、ホンネは隠せず「そりゃショックですよ。 いっしょうけんめいやって、次回は奪回しなければ…」。
 そして、小坂・空手協会はといえば、「ウチの大会で日本は完勝。 それが日空連は完敗ですから情けない限りです。 同じ日本でも強い空手と弱い空手があるといわれてもしようがない」(伊藤公夫事務局長)と、大山派のカタをもつ。


 小坂とは日本空手協会の小坂善太郎の事だ。
 「週刊現代」も全空連事務局に赴き、インタビューを敢行したが笹川は多忙で、常任理事の土佐邦彦が対応し、敗北については一言も無いと話す。 また、事務局長の真野高一はこう語った。

 「あんな声明文、まったく重視してないですよ。全空連の組織が大きいから、ケンカを売ればトクをする。 笹川会長の名を出せば、もっと効果的だろうと考えて、なにやらいっているんです。 噴飯ものですよ。 スポーツ空手を否定したら、結局は殺し合いをやらなきゃならんでしょう。 発想の次元が違うんです」

 一方の大山は笹川をこう批判した。

 「日本の首領だか何だか知らないが、笹川会長は空手界のガンだ。 一刻も早く空手から手を引いてもらいたい」

***

 こうした全空連への逆風の中、開催された1月28日の全空連常任理事会では、大山の声明文を黙殺する事を決定し、各理事はマスコミのインタビューには一切応じない事を申し合わせた。
 しかし、笹川への個人攻撃となった声明文に関する怒りは収まらなかったと「週刊大衆」では報道している。 しかし上層部としては笹川個人への攻撃だった事から、下手に反論しないと決めた。

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 「ヘタに反論でもして、常に宣伝用の材料を探している大山に利用されてはつまらない。 反論するなら、理事会としてではなく、笹川さんが個人でやったらよろしい」(全空連関係者)

 3月11日、テレビ朝日の「こちらデスクです」という番組内で、「陽気な黒帯・笹川良一の素顔」という笹川の特集が放映された。 この番組内で笹川は「大山君がかつての山口組の元幹部を通じて、自分の団体に入れてくれと言ってきたが、断わった」と発言した。 この番組は見ていなかった大山だが、この事を方々から聞かされ激怒した。

 …「いやァ、それはまるっきりウソだよ! そんなこと、あり得ないしね、山口組と極真会館とは何の関係もない! A同盟の会長Y氏とは昔から親しいから、つき合っているが、ただの友人としてのつき合いであり、そんなこと頼むわけもなければ何でもない!」 と怒り心頭に発している。
 さらに大山氏はある週刊誌記者に、「彼(笹川)は十年位前から『合併しよう。 ワシの団体に入らんか』と言ってきてるんだが、こっちが断わってきた」と、笹川発言は事実に反することを強調している。 それを裏付けるかのように、A同盟会長Y氏も「(笹川発言内容は)ウソだよ。 あんなこと、言うことあらへんがな。 (笹川の)作り話ではないが、勇み足や。 (ある人が"笹川と会うよう"に)しつこく言うから一遍しれやったらメシ食う場所作ろうかな言うて、それだけの話や。 (笹川発言に)ハラが立ってしょうがない」と語気を強めた。


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 A同盟Y会長というのは、亜細亜民族同盟会長の柳川次郎…かつて山口組若中で初代山口組 柳川組組長だった人間の事だろう。 正直、極真が全空連に入りたいと申し出るとして、柳川を頼るとは思えない。 全空連の理事には大山と親しい大竹一蔵や久保木修己がいる。 また、極真側の評議員である河合大介は笹川側の人間とも通じている。 つまりわざわざ柳川を頼る必要が無いのだ。
 
 当然、極真側はテレビ朝日に事実と違うとクレームを言い、笹川との対決を申し入れた。 しかし同番組のディレクター中田和美は「そういうことについての"やり合いはお互いにマイナス"なので、出たくない」と拒否。
 後に同局の「アフタヌーン・ショー」に出演した際、この時の笹川の映像を見せられ反論したそうだが、これを含め、大山は事ある毎に笹川を糾弾して行く事になる。

 そして4月、全空連の働き掛けで1981年の滋賀国体から空手競技が採用される事になった。 こうして全空連は着実にオリンピック正式種目へ歩を進めて行く。

(続く)


 えーお待たせしました。 忙しかったのと、資料が多かったのと、かったるかったw ので、ダラダラと更新せずにいましたw
 次回は話を少し前後させて、オリンピック参加と極真を中心に話をしようかと思いますが、テコンドーの件も含めてちょっと調査が増えそうなので、他の記事を書きつつ調べてから書こうと思います。
 これだけを書いてたらまたすげー時間が空きそうなのでw
 いつもの雑誌紹介も…来週中にまとめようかな。
 それでは、また。

※6/15追記:柳川組の所が山口組になっておりましたので、修正致しました。ご指摘感謝!


参考文献:
BLACK BELT MAGAZINE Summer 1963,  Black belt, Inc., 1963
BLACK BELT MAGAZINE July 1972,  Black belt, Inc., 1972
BLACK BELT MAGAZINE October 1972,  Black belt, Inc., 1972
BLACK BELT MAGAZINE April 1973,  Black belt, Inc., 1973
BLACK BELT MAGAZINE Jury 1973,  Black belt, Inc., 1973
BLACK BELT MAGAZINE November 1974,  Black belt, Inc., 1974
BLACK BELT MAGAZINE December 1974,  Black belt, Inc., 1974
BLACK BELT MAGAZINE March 1975,  Black belt, Inc., 1975
BLACK BELT MAGAZINE February 1976,  Black belt, Inc., 1976
朝日新聞 1972年 2/18 1972年
朝日新聞 1972年 4/23 1972年
朝日新聞 1972年 4/24 1972年
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ニッポンスポーツ 1972年 6/14 1972年
東京スポーツ 1972年 6/21 1972年
朝日新聞 1978年 4/19 1978年
朝日新聞 2015年 3/29 2015年
月刊丸 1955年4月号 光人社 1955年
月刊空手道 1956年5月号 空手時報社 1956年
月刊空手道 1956年7・8月合併号 空手時報社 1956年
月刊空手道 1957年1月号 空手時報社 1957年
現代カラテ 1969年7月号 現代カラテ研究所 1969年
週刊サンケイ 1969年8/22号 産業経済新聞社 1969年
武道タイムス 1969年12月号 武道タイムス社 1969年
現代カラテ 1970年3月号 現代カラテ研究所 1970年
現代カラテ 1970年8月号 現代カラテ研究所 1970年
現代カラテマガジン 1972年6月号 現代カラテマガジン社 1972年
週刊サンケイ 1972年5/19号 産業経済新聞社 1972年
週刊少年マガジン 1972年29号 講談社 1972年
週刊サンケイ 1972年6/30号 産業経済新聞社 1972年
現代カラテマガジン 1972年7月号 現代カラテマガジン社 1972年
週刊漫画TIMES 1972年7/22号 芳文社 1972年
週刊大衆 1976年10/21号 双葉社 1976年
週刊現代 1978年6号 講談社 1978年
週刊大衆 1978年2/26号 双葉社 1978年
現代カラテマガジン 1978年3月号 真樹プロダクション 1978年
人と人間 1978年6月号 行政通信社 1978年
話の特集 1978年9月号 矢崎泰久編集 1978年
月刊パワー空手 1978年9月号 パワー空手出版社 1978年
月刊パワー空手 1978年12月号 パワー空手出版社 1978年
月刊パワー空手 1979年5月号 パワー空手出版社 1979年
月刊パワー空手 1979年7月号 パワー空手出版社 1979年
月刊パワー空手 1979年8月号 パワー空手出版社 1979年
月刊パワー空手 1979年9月号 パワー空手出版社 1979年
月刊パワー空手 1980年5月号 パワー空手出版社 1980年
月刊武道 1981年2月号 日本武道館監修 1981年
月刊武道 1981年3月号 日本武道館監修 1981年
月刊パワー空手 1981年3月号 パワー空手出版社 1981年
月刊武道 1981年4月号 日本武道館監修 1981年
月刊武道 1981年5月号 日本武道館監修 1981年
月刊パワー空手 1981年6月号 パワー空手出版社 1981年
月刊武道 1981年6月号 日本武道館監修 1981年
月刊武道 1981年7月号 日本武道館監修 1981年
月刊武道 1981年8月号 日本武道館監修 1981年
月刊パワー空手 1981年9月号 パワー空手出版社 1981年
月刊武道 1981年9月号 日本武道館監修 1981年
月刊武道 1981年10月号 日本武道館監修 1981年
月刊武道 1981年11月号 日本武道館監修 1981年
月刊パワー空手 1981年11月号
パワー空手出版社 1981年
月刊武道 1981年12月号 日本武道館監修 1981年
月刊パワー空手 1983年10月号 パワー空手出版社 1983年
月刊パワー空手 1984年6月号 パワー空手出版社 1984年
月刊パワー空手 1986年5月号 パワー空手出版社 1986年
第3回オープントーナメント全日本空手道選手権大会プログラム 国際空手道連盟極真会館 1971年
第1回オープントーナメント全世界空手道選手権大会プログラム 国際空手道連盟極真会館 1975年
第8回オープントーナメント全日本空手道選手権大会プログラム 国際空手道連盟極真会館 1976年
第1回全日本硬式コンタクト空手道選手権大会プログラム
  国際拳行館空手道連盟 1981年
空手道名鑑 空手道名鑑編集委員会監修 創造 1977年
空手道 保存版 創造 1977年
限界への挑戦 ―これが地上最強の空手だ― 大山倍達著 宝友出版社 1977年
写真で見る WUKO 第4回世界空手道選手権大会 全日本空手道連盟大会組織委員会 1978年
わがカラテ革命 大山倍達著 講談社 1978年
わがカラテ日々研鑽 大山倍達著 講談社 1980年
大山倍達との日々 ――さらば、極真カラテ 真樹日佐夫著 ペップ出版 1990年
わが師 大山倍達 1200万人への道 睫攘庵 徳間書店 1990年
極真カラテ21世紀への道 出てこい、サムライ 大山倍達著 徳間書店 1992年
マス大山の正拳一撃 大山倍達著 市井社 1994年
極真の精神 大山倍達著 市井社 1994年
極真外伝 〜極真空手もう一つの闘い〜 ぴいぷる社 1999年
ホンダ神話 教祖のなき後で 佐藤正明著 文藝春秋 2000年


関連リンク:
極真と全空連、そしてオリンピック 1
【古記事】剛柔流が極真に送った果たし状(1976年)









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コメント
久しぶりに真野高一氏の名前を読みました。フルコン系のかたには馴染みがないでしょうが日大助教授の傍らナショナルチームの監督、全空連の専務理事を務めました。昭和50年代、彼の率いる道場に数年間お世話になりました。極真全盛期で、選手の間には隠れて顔面突きありの稽古をする者も普通にいて、真野氏は「それはスポーツなのか。我々の目指す道は違う」と一喝したそうです。
日体大の道原先生らと同様、空手を野球やサッカーと同じステージに引き上げた功労者です。五輪競技化があるとすれば功労者の1人でしょう。
フルコンに同じ役割を果たした人がいたかどうか。
極真全盛期に真野氏のような教育者がいたら五輪入りも、もっと違った形で実現したなどと夢想します。生意気なコメント失礼します。
  • 酒男
  • 2015/06/17 11:30 PM
ご無沙汰しております。

柳川会長はその世界を引退されたとは言え、総本部で拝見した時には身震いする様な殺気が漂っておりました。やはり大物のオーラは凄いですね。
  • 名誉五段
  • 2015/06/18 3:58 PM
はじめまして。いつも楽しく、興味深く拝見しております。私は40代のいち空手ファンですが、毎回引き込まれる様に読んでおります。これからも、楽しみにさせて下さい。
  • 白いカラス
  • 2015/06/18 5:59 PM
>>酒男さん
真野高一先生は地稽古も好まれなかったということですかね?
今は剣道並みに当てないと採らないので隔世の感がありますね(^ー゜)ノ
  • ぬこやなぎ
  • 2015/06/18 9:31 PM
ぬこやなぎさん

先生が一喝したのは
鼻の骨が折れる突き
前歯が吹っ飛ぶ突き
そういうものでした

剣道並み?
全空連の試合でもそうなのですか
最近のことに疎くてスミマセン
  • 酒男
  • 2015/06/18 10:08 PM
今から30数年前、スポーツセンターで空手のパンフを見たら、全空連傘下団体に極真会館の名前がありました(?_?;
  • やいや
  • 2015/06/19 8:40 PM
酒男様
先生が一喝した理由は、怪我で止まるような突きでどうする、という意味からだったのでしょうか?
Leo様
コメント欄での勝手な質問、申し訳ありませんでした。
  • 通りすがり
  • 2015/06/19 10:23 PM
>酒男さん

興味深い話ですねぇ。
フルコンには当時、大山総裁しかいませんからねぇ。
実務面は結局独りで行っていた訳で。

>名誉五段さん

相当鳴らした人ですもんね。

>白いカラスさん

ありがとうございます。

>やいやさん

81年に極真、全空連、協会が一堂に会した空手懇談会というのが数回行われましたが、その際に全空連が合意に取り付けたものを、当の全空連が曲解、もしくは歪曲した結果ですね。 この件については極真側の意見も合わせて、このシリーズで載せる予定です。

>通りすがりさん

お気になさらず、自由に書き込み下さいw
  • Leo
  • 2015/06/21 1:33 PM
極真とも全空連とも仲が悪い協会のキャラの濃さがいいですねw
  • 朱子
  • 2015/07/01 2:35 AM
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