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大山倍達マニアック検定

大山倍達のアメリカ遠征 6 (”ディック・リール”の謎)

JUGEMテーマ:空手
 前回までは資料に基づいた事実を中心に構成していましたが、今回からは番外編として事実と推論を交えて展開して行きます。 とりあえず今回は、大山倍達が最初に対戦したと言われる”ディック・リール”について。

各記事はこちら
大山倍達のアメリカ遠征 1 (1952/04/15)
大山倍達のアメリカ遠征 2 (1952/05/06)
大山倍達のアメリカ遠征 3(番外編)
大山倍達のアメリカ遠征 4(1952/05/10-06/27)
大山倍達のアメリカ遠征 5 (1952/6/28〜9/16)
大山倍達のアメリカ遠征 6 (”ディック・リール”の謎)
大山倍達のアメリカ遠征 7 (ジョージ・ベッカーとの対戦)

大山倍達のアメリカ遠征 8 (大山倍達が出会ったレスラー達)
大山倍達のアメリカ遠征 9 (マス東郷の演武)
大山倍達のアメリカ遠征 10 (グレート東郷と遠征の背景)

 
 五月三日だつた。こゝの州都ミネソタのミネアポリスで、はじめてプロレスラーとの真剣試合に遭遇した。挑戦者は全米選手権保持者で体重二百六十ポンド、身長六尺七寸のディック・リール。かけられた賞金が一千ドルだつた。彼は写真でも判るように、胸の厚さが一尺もあろうとう、しかも筋骨隆々と盛りあがつた実在の仁王さまみたいな凄い身体をしていた。

 大山倍達は初めて対戦したプロレスラーについて、1953年の「週刊サンケイ」に寄せた手記に、この様な感想を述べていた。 このレスラーが実在していたという物証は、今のところ見付かっていないが、”ディック・リール”というレスラーに関する考察や最新の研究結果は、小島一志、塚本佳子著「大山倍達正伝」と基佐江里著「大山倍達外伝」(関連のあるタイトルに見えるが、別の作品である)、そして流智美が連載していた「週刊プロレス」に詳しい。 本稿では「大山倍達正伝」に準拠するが、それは前述した書籍を勘案した上でだと理解して頂ければ幸いである。

 まず、大山が提示したディック・リールの写真の主は、ルー・ニューマンだ。

ディック・リール.jpg
週刊サンケイ」に載ったディック・リール

ニューマン(毎日新聞).jpg
ニューマンを紹介する「毎日新聞」の記事

 ニューマンと大山の接点は、「大山倍達のアメリカ遠征 4」で提示した通り、6月にサウス・カロライナ州でグレート東郷とニューマンがタッグを組んでいるところにある。 私はこの時に写真を入手したと考えている。 しかし「房総日報」に寄せた5月10日付の手記がデッドラインだとすれば、ニューマンは除外される。 大山はリールの写真を持っておらず、「こんなレスラーだった」という感じで選んだのがニューマンだったのではなかろうか。

 流智美はデニス・クラリィでは無いか?と「週刊プロレス」の連載の中で提示していたが、私が調べた範囲ではクラリィは少なくとも6月半ばまではカリフォルニア州ロングビーチなどで毎週行われる定期興行に出ており、東郷ブラザーズとの接点は見当たらなかった。

DCLARY1.jpg
デニス・クラリィ

 そこでレスリングキャリアや写真を無視し、名前が類似したプロレスラーを探すなると、やはりディック・レインズというレスラーが一番近い様に思う。 1952年当時のレインズは東郷ブラザーズと同じくイリノイ、アイオワ、ミネソタ州などのサーキットを回っており、グレート東郷とはタッグを組んだり、対戦したりしている。

ディックレインズ03.jpg
ディック・レインズ

 「大山倍達のアメリカ遠征 3」で提示した巡業日程を、今度は不確定部分を除きもう一度挙げてみよう。
5/1 ・グレート東郷、コウ東郷 対 バーン・ガニア、ジム・ドビー (イリノイ州モリーン)
5/2 ・コウ東郷 対 ジェリー・ミーカー
       ・グレート東郷 対 アロ・レイラニ (アイオワ州ジェファーソン)
5/3 (未発掘)
5/4 (未発掘だが、日曜なので興行が無かった可能性がある)
5/5 ・コウ東郷 対 ジェリー・ミーカー
       ・グレート東郷 対 ジム・ドビー (アイオワ州バーリントン)
5/6 ・マス東郷 対 ジェリー・ミーカー
       ・グレート東郷 対 イワン・ラスプーチン (アイオワ州 シーダーラピッズ)
5/7 ・グレート東郷、ジョニー・マッコイ 対 ディック・レインズ、ドン・ビートルマン (ミネソタ州ロチェスター)
 ご覧の様に今のところ、5月3日は空いているのが分かる。 7日にはディック・レインズがグレート東郷と対戦しているところからも、大山と対戦出来る位置にいる。 ここで大山の発言に耳を傾けてみるとしよう。

 そして、 あの、 ディック・リールが出てきたわけですよ。
 何いってるかと、 お前。 俺はここのね、 プロレスラーであり、 ここの柔道のチャンピオンだと。 こんなものわけないじゃない。 こんなジャップなんか。 そして、 ディック・リールと結局、 試合することになっちゃったんだが……。
(「月刊パワー空手」1986年6月号)

 面白い事に、この発言ではリールはプロレスの全米チャンピオンでは無く、柔道チャンピオンとなっている。 "WRESTLING FAN'S BOOK(New second edition"に掲載されたレインズの経歴は以下の通り。

 DICK RAINES-The nickname "Dirty Dick" has been pinned onto Raines as a result of some 125 disqualifications in his 14 years as a pro . . .
As an instructor in the army, the 240-pound Texan taught Judo to about 40,000 GI's . . .  Was mid-Pacific Champion . . . 

 レインズは大山が遠征する52年までに、39年にハワイでヘビー級チャンピオンになったという経歴以外は持っていないが、 4万人の兵士に柔道を指導し、ミッド・パシフィック王者だった。 また”ダーティ・ディック”と呼ばれるようになったのは、プロレスラーとなって14年の間に、125試合で失格したからだという。 尚、本文では240ポンド(約109キロ)となっているが、巻末の選手一覧では340ポンド(約150キロ)となっている。 どちらが正しいのかは不明だが、流石に340ポンドは無いだろう。 現存する試合映像を見る限り、かなりのラフファイターである。

ディック・レインズの試合(1941年)

 無論、大山倍達の最初の対戦相手の記録は未だ見付かっていない為、ディック・レインズがディック・リールだと断言する事は出来ない。 あくまでも可能性を論じたまでである。

房総日報1952-2.jpg
大山倍達のファイルにあった、「房総日報」の記事(日付不詳)

 さておき、話を続けよう。 現在では大山がディック・リールの肋を7本へし折って勝利したという話になっているが、1953年の手記には以下の様に書かれている。

 ゴングが鳴つた。彼は前かがみになつてジリ、ジリと肉薄してきた。得意ののど攻めでくるつもりらしい、彼の右手の一撃をくつたのでは、リングの外に吹きとばされてしまう。間一髪の隙をみて、彼の右側から内懐ろにとびこんでいつたと、同時に人差指と中指の二本で彼の下部から彼の眼を突きあげた「あッ」と叫んで彼の両手が眼をおおうような仕草となつた。この機をを逸せず、右膝で彼の睾丸をグァンと蹴りあげた。殆ど同時に右拳を垂直に彼の分厚い胸に食い入れヤッ!とばかり”突き”を入れた。もう一度、更にもう一度。彼は反撃する間もなく、そのまゝヘタヘタと前屈みに崩れてしまつた。この間約三分。
(中略)
例によつて煉瓦割りにかかろうとした際、リングにとびあがつてきた雲つくような大男、これが「オレにだつて煉瓦くらい割れる」と豪語してきた。
(中略)
この男は州の警察官で柔道三段と自称、体重は二百八十ポンド(卅三貫六百匁)あるといつていた。
 (中略)
 観衆も興奮している。リングの上でみる彼は手負いの象といつた感じだ。ゴングと共にいきなりパンチを入れてきた。同時にその巨体にはずみをつけながら体当たりにでてきた。これは大変な試合になつてきた。彼の両眼はたゞ復讐の念でギラギラ燃えている。こいつを殺さなければこつちが殺される。そう思つた瞬間、彼の巨木のような双腕の打撃を、前屈みになつて避けながら半ば夢中で中段突きを食らわした。その都度ボキリ、ボキリと無気味な手応えを感じた。この刹那彼の肋骨七本が砕けたわけだ。さすがの彼もこの深傷でつんのめるようにリングに倒れ、二度と立ち上がれなかつた、この間一分半。これで試合は終了した。

 つまり、肋を折られたのはリールでは無く、飛び入りの警察官だった。 文面を見る限り、リールは怪我はしたかも知れないが、要はただのKO負けである。
 2つの体験談を意図的にまとめたのか、それとも一連の著作に書かれていく内に混同したのかそれは分からないが、人の記憶がどれだけ不正確なのかは、E.F.ロフタス、K.ケッチャム共著「抑圧された記憶の神話-偽りの性的虐待の記憶をめぐって」に詳しい。 同書では歴史的な事件に対して、翌日にアンケート調査を行い、後に被験者に確認を取った結果、わずか2年半で当時体験したはずの記憶ががらりと変わってしまったという話を挙げているが、被験者達は当時の記録を見せられたにもかかわらず、「新しい記憶」の方が現実味があると語っている。

 まとめると、ディック・リールとは
・対戦が行われたのは5月10日までの間で、場所はミネソタ州。 ヘビー級の選手。
・「プロレス」のチャンピオンでは無く、「柔道」でタイトルを取っていた可能性がある。
・肋は折られていない。
という事になる。
 試合があっても記録が残らなかった事も多々あった時代である。 このブログで紹介して来た様に、人気レスラーであったグレート東郷の試合の写真ですら記事には出て来ない。 私が経験した範囲では、試合結果が新聞に載っていたとしてもわずか1試合だけだった、という事もあった。 ”ディック・リール”との試合記録が見付かるかは分からないが、今後も調査は継続するつもりである。


 今回は謎のレスラー”ディック・リール”について書いてみました。 前回までの資料に基づいた文とは違い、各種資料媒体と推論によるものですが、パズルのピースは埋められたと思います。 ちなみにこのシリーズは、1952年4月から8月までの間のアメリカの地方紙、約90日分を集めた上で書いてたりします(大半がグレート東郷の記事ですが)。 わずかな文章でも、その背景には膨大な量の蓄積があるんだと思って貰えれば幸いですね。
 でもまぁ調査・研究している立場から言えばこの手の思考実験は大変面白く、大好物です。 自己満足だとは思いますが、ブログなんてそんなもんですよね?
 そう言えば、今回登場したルー・ニューマン、デニス・クラリィ、ディック・レインズの3選手は、いずれも力道山と対戦経験があり、クラリィに至っては、52年9月に力道山のタッグパートナーとして共にベルトを取っています。 何となく不思議な感じがします。

 次回はまだ構想がまとまっていませんが、アメリカ遠征の背景にしようかと考えています。
 これから私は「はやぶさ」の限定版プラモを作らないといけませんので、今日はここまで。
 それでは、また。

おまけ、基佐江里氏が「大山倍達の真実」で追っていた、写真家でプロレスラーも経験した事のあるトニー・ランザの写真。

トニー・ランザ.jpg


追記:記事が小さくて読めない(当ブログの画像は最大400ピクセルです)という人はCtrlを押しながら+を押すと、読めるかも知れません。

参考文献:
Long Beach Press-Telegram, 1952
Spartanburg Herald Journals, 1952
Sid Feder, WRESTLING FAN'S BOOK(New second edition),  Key Publishing Co., 1953
房総日報 1952年
毎日新聞 1954年
週刊サンケイ 「空手、アメリカ大陸武者修業」 1953年1/18号
月刊パワー空手 「武道カラテに捧げる生涯-大山倍達の足跡」 1986年6月号
週刊プロレス「温故知新・20世紀アメプロ秘録」 1998年 3/31号、4/7号
大山倍達の真実 基佐江里著 気天舎 1997年
抑圧された記憶の神話-偽りの性的虐待の記憶をめぐって E.F.ロフタス、K.ケッチャム著 仲真紀子訳 誠信書房 2000年
大山倍達正伝 小島一志、塚本佳子著 新潮社 2006年
大山倍達外伝 基佐江里著 イースト・プレス 2008年
記憶はウソをつく 榎本博明著 祥伝社 2009年

参考リンク:
The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches (10/03/2010)
 






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コメント
新説ですが、素晴らしいです!

誰の説よりも、一番説得力を感じました。是非証拠を見つけて下さい。総裁ファンからのお願いです。

私も総裁は、現実に闘ったと信じている一人です。
  • 大山倍達ファン
  • 2010/10/11 8:16 AM
>大山倍達ファンさん
ありがとうございます。
証拠が見付かるかどうかは分かりませんが、見付けたいですね。
  • Leo
  • 2010/10/11 11:04 AM
ディック・レインズ、いいですね〜。

動画を拝見しましたが、エルボーのタイミングなど、プロレス特有の予定調和を乱す気がありありって感じがします。勝気旺盛で危険な選手です。

この選手ならセメント(シュート)マッチをしたがるのではないでしょうか?

またプロレスは巡業と契約がありますから、マス大山(マス東郷)とディック・リールが必ず他のどこかの会場でも接点があるはず・・・と考えるのが自然の流れだと思います。
  • 大山倍達ファン
  • 2010/10/12 8:57 PM
>大山倍達ファンさん
レインズは「大山倍達正伝」に詳しいですが、ミネソタ州で当時のプロレスでいう「ポリスマン」という立場にいた様です。 ニュアンスでいうならプロモーター等の意向を受けて「秩序」を守る存在です。

そして当時は毎日エリア内を巡業して回っていたので、2,3回は同じ会場にいたと考えられます。
  • Leo
  • 2010/10/13 10:45 PM
「ポリスマン」ですか。

それであれば尚更信憑性がありますね。リール=レインズは、とても自然な流れですね。

しかしLeoさんの物の見方、バランス感覚は素晴らしい。例えば、プロレス研究家の流氏は、空手はあまり詳しくない。小島氏の正伝は、よく書かれていますが、遺族からの証言が欠落しており、極真の空手家達からの批判も多い。基氏の外伝は、総裁の人物像がよく書かれている。しかし、アメリカ遠征時の現地情報が弱いと感じています。

Leoさんの場合、プロレスや空手にも詳しく、遺族の証言、現地資料の検証、とてもバランスが良く
好感が持てます。

普通の感覚で考えて、男(大山)が妻にウソの手紙を書くとは思えないですから。
  • 大山倍達ファン
  • 2010/10/14 7:35 AM
>大山倍達ファンさん
ありがとうございます。

でも、大山総裁の事ですから、手紙では大げさに書く事もあるかと思いますけどねw
  • Leo
  • 2010/10/16 3:23 PM
この実証的研究はすばらしいですね ぼくも調べているものなんですが いい刺激になりました 梶原一騎の男たちの星座で デックリールはカールゴッチと試合をしてるんですが それと対応するように ディック レインズは若き日のルーテーズから2フォール 奪う 実力者だったそうです 軍で柔術を教えた記述からも 彼はシュートレスラーの可能性が高いです 大山倍達もG東郷のポリスマン説がありますから 二人のポリスマンが戦えば ガチになるはず ただアングルでのマス東郷の立場がG東郷の弟分なので 引き分け 反則がらみでしょうか もちろんお互いの実力を認め合う展開もあったでしょう 最後に ディックレインズはNWAのハワイヘビー級チャンピオンであり 沖識名にチャンピオンベルトを奪われています このタイトルは面白く トシ東郷もなっていて あのタムライスに敗れています    
  • tada
  • 2010/11/02 6:31 PM
>tadaさん
ありがとうございます。
レインズがテーズからフォールを奪っているのは知りませんでした。
判明している範囲のスケジュールを見る限り、最初はタッグかジャケットマッチでプロレスに慣れて貰うつもりだったんじゃないかと思いますので、大山総裁の話が事実なら、突発的に組まれたカードの様なので、普通にシュートマッチだったという可能性はあります。
ハワイのベルトはマスクマン時代のタム・ライスも獲っていますし、日本プロレス創世期時代のレスラーは結構ベルトに絡んでいますね。
  • Leo
  • 2010/11/03 2:57 PM
Leoさん こちらこそありがとうございます ディック レインズの参考文献はthe prowrestling hall of fame the heels p152〜p153です 見直したところ 柔術を教えたと思っていたところが 原書では柔道と空手でしたので Leoさんのジャケットマッチ〜シュートマッチという示唆に もしかして 空手ルールも含んだ 総合格闘技的なものが マッチメイクされたのではないかと想像してしまいました ところでG東郷のジプシージョー戦がキャッチアズキャッチキャンでの試合とのこと G東郷はシュート レスラーだったのでしょうか? 門茂男の力道山の真実 角川文庫での力道山とのケンカっぷり アマレスの経験 差別的社会でのサバイバルなどからしてシュートレスラーではないかと推測していたもので もし彼がシュートであるならば 大山総裁とのただならぬ親交の深さも カールゴッチと木村政彦 ルーテーズと力道山のシュート同志の友情と同じではないか との仮説が立てられます 今後大山総裁の記録が発見されなかったとしても 間接的かもしれませんが 大山総裁がシュート(もちろんレスリングではなくセメントに強いという意味です)であったことが意味付けられるかもしれません なぜならば シュートはシュートだけを尊敬するものですから
  • tada
  • 2010/11/06 12:21 PM
>tadaさん
レインズが空手を教えたというのはちょっと変ですね。ライターの付け足しじゃないでしょうか。
確かにレインズが滞在していたハワイでは1920年代後半までには一部の間で空手を学んでいる人もいましたが、1950年代までは本土でも軍隊でも指導されている事は無いと思います。
私が知っている範囲ではエミリオ・ブルーノという方が、1951年に空手、柔道、合気道を組み合わせた格闘技術を空軍の一部に指導したのが最初だと思います("The Original Martial Arts Encyclopedia")。
まぁ、可能性としては大山総裁と出会った後に学んで指導したという事もあり得ますが、少なくとも1952年以前では無いと思います。
シュートの件ですが、多分に流智美さんのルー・テーズ史観のせいだと思いますが、テーズというトップレスラーから見たらあいつはシュートでは無いとか、あいつはシュートだって話だと思うんですよね。
当時の新聞を見る限りキャッチの試合はまだまだ行われていますし、テレビプロレス全盛の大都市はともかく、地方ではさして珍しいものでは無かった様です。
ギミックレスラーが台頭し始めるのは1930年代からですが、東郷やジプシー・ジョーの様に戦前からマットに上がっているレスラーは 皆シュートレスラーと言えるのでは無いでしょうか。
  • Leo
  • 2010/11/07 7:34 PM
Leoさんへ レインズの件 ご存知のように 柔術とは空手と柔道の分化する前の姿ですので 当然空手技の当身と蹴りはつきものです ライターが読者のため わかりやすく書いたのではないのでしょうか レインズはハワイではなく 西海岸で柔術を習得したと思われます 当時そこには アドサンテルもいますし 柔術の認知度は高かったと思います 軍での教練ですが レインズは教科書の作成にもかかわっており 彼が 空手という言葉はしらなくても 柔術のなかの空手的な技を軍事教練に採用してた可能性はあります G東郷の件ですが 私はおそらく流智美のルーテーズ史観論者です(ルーテーズ史観という言葉があるとは今まで知りませんでした)そして戦前の無名のレスラーたちがキャッチをやっていることも知っております 戦前のレスラーたちの実力は高かったこと G東郷もそのうちのひとりだったということは 間違いなさそうですね ただキャッチもしくは ストリートファィトが特に強いもの(今風でいう総合格闘技に強いもの)をシュートと尊称していたと私は考察しておりますので G東郷を 私のいうシュートとして断定できないのは残念です Leoさん ありがとうございました 
  • tada
  • 2010/11/08 7:59 PM
>tadaさん
レインズの古い資料では柔術とは出てませんので、やったのは柔道だけじゃないかと思います。 まぁ、当時のアメリカ人で柔術と柔道の違いをどれほど理解していたのかは分かりませんので、何とも言えませんが。 その内武徳会柔道を学んだタロー・ミヤケの話もやる予定ですが、ミヤケは柔術レスラーとして売っていましたし、そう考えれば柔術の可能性は十分にありますけどね。
それから1942年にジャック・デンプシーとUS沿岸警備隊が書いた"How to fight tough"というUSコマンド部隊の本がありますが、本書には柔術六段のアメリカ人も参加しており、そこにはいくつかの打撃技も見られますので、レインズに限らず指導されていたのだと思います。

東郷についてですが、ある程度強かっただろうとしか言えませんね。 テレビプロレス黎明期にトップに立つには、舐められないだけの強さは必要だったろうと思います。 ただ、テーズが認めるほどだったかは分かりません。
  • Leo
  • 2010/11/08 11:34 PM
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