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大山倍達マニアック検定

ある日の極真会 13 (近代カラテ 1968年7月号)

JUGEMテーマ:空手
   先週末は諸事情(サボりとも言う)により何にも更新しませんでしたが、昨日はTwitterで見た方にはご承知の通り、国会図書館へ行ってようやく極真VS某拳法の記事に必要な資料が揃ったので整理していました。
 なので、久々な更新になります。 月末は家におりませんので、今月の更新数は少なくなるかと思います。

近代カラテ1968_7.jpg

「空手ニュース」 国内から
・ミスター・ハリム氏、帰国
 今年4月より極真会館に入会して特別レッスンを受けていたハリム氏が帰国する事になった。 ハリム氏は池袋にあるアジア学生協会に行く途中、名高い大山倍達館長の道場を知り、入門したという。
 短い期間ではあったが、大山館長の特別指導を受けて帰国前の審査では2級となった。

・極真会館女子部、壮年部
 極真会館では以前より女子、壮年部の下地はあったが、この度はっきりとした形で活動する事となった。

1968極真女子部.jpg
極真会館女子部

 女子部はテレビなどでも何度か紹介され名を馳せており、壮年部も活動はあったが、これからは稽古表に名が載る事となる。
 壮年部、女子部の稽古割りは毎週水曜日(19:00〜20:30)と金曜日(13:00〜14:30)の2回。

・A.Jスチュアート氏帰国
 カナダバンクーバーのスチュアート氏が2度目の来日を終えて帰国した。 氏はまだ有段者では無いが、将来は支部を設立して極真の空手を教えたいとの事。

・大山館長著「バイタル・カラテ」独訳される
 大山館長の英文書”Vital Karate”が6月初旬に独訳される。 その他にもフランス語、スウェーデン語にも訳される予定である。

vitalkarateドイツ版.jpg
”Vital Karate”ドイツ語版

・大山館長、ニューヨークに着く
 6月2日に日本を発った大山館長は、その日の夕方にはニューヨークのJFK空港に着いた。 空港には中村忠、大山茂両指導員が出迎え、館長の姿に大感激だったという。
 ニューヨークの道場生250名が道着を着て館長を迎え、その父兄と報道関係者が100名ほど居た為、大賑わいの様子だった。

・韓国跆拳道の会長来る
 韓国跆拳道(テコンドー)は国の保護下で大きく躍進している。 会長である金鎔采氏は1ヶ月の間アメリカ・ヨーロッパを視察し、その後来館して大山館長と語り合った。

「空手ニュース」海外から
・オランダ極真会館スイス及びドイツに進出
 オランダ支部長ブルミン氏とホランダー氏はベルリンとスイスのセントガーレンに空手の出張教授を開始した。 ベルリンは近く本部認可を得て支部となる。
1968極真ドイツ支部.jpg
ドイツ、インゴ・フライヤー道場


 また、スイスのピーターメンツ氏も極真会館スタイルの空手を行うようになった。

1968ブルミンVSホーランダー.jpg
オランダ、ブルミン支部長とホーランダー氏

「海外極真会館の動き」 第3回
 ニュージーランド支部 ジャン・ジャービス、ダグラス・ハロウェイ支部長
ジャン・ジャービス略歴
 1940年10月生まれ。 支部認可は67年10月。 イギリスのロンドン極真会館で学び2級となり、67年に来日して約10ヶ月間、本部で修業を重ね三段となる。

1967第1回ニュージーランド大会.jpg
1967年第1回ニュージーランド大会

ダグラス・ハロウェイ略歴
 1945年12月生まれ。 現在政治学の学生で最年少支部長。 64年にクリスマス休暇を利用して来日、大山館長に特別訓練を受ける。 その後暫くして初段、66年に二段、昨年三段となる。

ハロウェイ歓送会.jpg
ハロウェイ支部長歓送会

この人に聞く 「平沢瑞雄」
カラテクター製造・販売 有限会社クマイ社長。

クニの目「戦争と平和と若者たち」
文:大山国良

 私達が日本人であり、今、この国に住んでいる事は偶然的な事実であるが、平和の中にあっても力強く生き、この国を発展させることは私達の義務である。 世界の中の日本として、もっとこの国を愛さなくてはならない。 又そうすることは世界の他の国々の人達に対する務めでもあるのだ。

「近代カラテ 誌上教室」
「空手のポイント」1
呼吸法

「空手の価値(下)」
文:極真会館館長 大山倍達

 古い話だが、三戦立ちをなし、いぶきを毎日千回やって、空手のけいこをした人がいる。 約百年前の人で、名を黒川善太衛門といった。 まだ琉球空手が本土にはいる前のことだから、日本の空手史上に欠くことの出来ない人物かもしれない。
 生国は不明だが、空手の奥義を究めようと試みた人といわれている。
 彼は幼少の頃、体質が弱く、病みがちであった。 彼は琉球にいき、空手のてほどきをうけ、ついで中国に渡った。 中国のどこなのかはっきりしないが、長い間彼の地で空手修業をした。 日本に帰ってからは、しばらくの間、九州の博多と長崎に住み、のちに江戸にでて、空手の一派をなした。 が、その頃は、一般に空手の関心がうすく、門徒も集まらず、さびしく晩年を終えた。
 空手の後継者がなかったことについては、当時の風潮や社会事情の影響もあったであろう。 とにかく、彼一代で空手が終わってしまっては、彼を空手の輸入功労者として扱うことはできない。 のちに琉球から本格的に空手が本土にはいってきてから、日本の空手史は正式に書き始められることになる。
(中略)
 黒川善太衛門は、その呼吸法の研究について一派をつくったらしい。 呼吸法は他の空手家も研究はしたが、黒川善太衛門ほどには大成しなかった。 彼が空手をマスターした時、ちょうど明治維新の変動期とぶっつかった。 ある政治家のボデー・ガードとなり、刺客を退けたことが、たびたびあった。
 彼の得意技は中段突きと、中段蹴りであった。
 彼の蹴りは、もっとも得意技で、いかに俊敏な相手もその蹴りを防ぐものはいなかったといわれている。
 その蹴りは一風変わっていた。 普通、中段蹴りは腹部か金的が目標だ。 ところが、彼は相手の膝骨で俗にサラという部分へ蹴りをいれた。 一撃して、その膝のサラを打ち砕いたというから、いかにその蹴りが強烈なものであったかがわかる。

アメリカニューヨーク ホワイト・プレーン道場生小論集「空手と私」

カラテ界 現代の主役
加藤重夫 三段

加藤重夫1968.jpg

 加藤氏に最後に語ってもらうなら、加藤氏の心の中に今迄の中で想い出深く残っているのは、初めての冬の合宿であった。 あの時の苦しさを思うとすれば、何の苦しさにも立ちむかっていける。
 当時は苦しく思っても、今こういう気持ちを持たせてくれた館長には、感謝の念が湧く。 自分が一番苦しかった時にそれをのりきるサゼッションをしてくれる先生先輩この関係も武道の世界特有だと思うし、それでいて結局自分の努力でしかない。 そのキビしさを自分は空手の良いところと思う。

「武道と空」 第17回
文:作家 森川哲郎

日本の笑い
異訳 醒睡笑

「私の道程」第24話
文:極真会館館長 大山倍達

大山倍達1968.jpg

 ロバート・ケネディの暗殺、FBIへの指導。


 という事で、ロシア版”This is Karate”を入手しました。 まだ手元にありませんが、2000年に発売されたという事なので、海賊版かも知れませんw レイアウトも表紙もかなり異なっている様ですね。 ”This is Karate”の東南アジア版も欲しいのですが、こちらは中々見付かりません。
 さて、少々解説を。 大山倍達総裁の今回の渡米は、劇画「空手バカ一代」にも登場するエピソードの根幹になっています。 例のゴリラと闘った旅ですね。 つまり、李青鵬一派と対戦したのは史実に当てはめるならば時系列上、1968〜69年頃という事なります。 多分、梶原一騎先生はそんなに細かいところまで気にしてはいなかったのでしょうがw
 
 後、あまり関係無いんですが、昔の日系レスラーとかが着ていたとされる田子作スタイル…膝当ての付いたロングタイツの上にショートタイツを履くスタイルですが、あれってひょっとしたらアメリカのキャッチ・アズ・キャッチ・キャンのレスラーが着ていたリングコスチュームが元なんですかね…? もしそうだとしたら、寝技が得意なレスラー=柔術レスラーというイメージを狙ったコスチュームだったのかなぁ。 田子作なんて変な訳を付けるから日本人をイメージした様に我々が勝手に認識していただけで、元々は膝をマットに擦り付ける事が多いレスラーが着ていた…と考えると筋が通る様に思います。
 それでは、また。

参考文献:
近代カラテ 1968年7月号 近代カラテ研究所 1968年






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コメント
極真vs某拳法の記事を楽しみにしております。
  • サミ
  • 2011/05/15 11:02 PM
黒川〜て名前の空手家なんていないのでは?
  • やいや
  • 2011/05/15 11:26 PM
黒崎健時師範、極真史において、「黒川健時」「黒川健三」とか表記されてませんでしたか?黒崎師範、きっと
ムッとしているだろうし、根に持っている様な気がする。 
  • 四十路
  • 2011/05/16 1:10 AM
当時
韓国跆拳道会長であった
「金鎔采」氏を検索したら…w。

やはりキナ臭いですねえ(怖)
  • もん爺
  • 2011/05/17 2:49 AM
>サミさん
これから更新しまーす。

>やいやさん
うーん。 初耳ですし、調べた事も無いので知りません。 拳法家として実在したかも知れませんが、誰か情報持ってたら書き込んで欲しいなーという感覚で引用しましたw

>四十路さん
「闘魂」に「黒川」名義で出ていますが、黒崎先生は多分読んですらいないんじゃないかなぁ。
余談ですが、「軍鶏」という格闘漫画で「黒川健児」という右翼の空手家が登場して、「ダイナミック空手」から模写した様な技術を描いているのを見た時には、原作者マニアックだなぁ〜と思いましたw

>もん爺さん
私も調べてみましたけど、いきなり2億円の収賄で調査とか出て来ましたw
同一人物なんでしょうか?
  • Leo
  • 2011/05/17 10:27 PM
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