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大山倍達マニアック検定

極真空手と少林寺拳法の抗争1(1972年)

 JUGEMテーマ:空手

 さて、以前リクエストを戴いてから割と経ったと思うのですが、大昔から噂されていた話をですね、改めて調べ直してここに掲載しようかと思います。 背景も含めると結構な量になりますので、何度かに分けて記事にしました。
 私は当事者では無いので、正確なところでは不明な部分もあります。 記事その物は表に出ている資料のみで構成されていますが、私の立ち位置が極真側であり、また極真側の資料の方が多い為、不公平に感じる方もいらっしゃるとは思います。 その辺りを考慮してお読み下さい。 ちなみに今回は前史ですので、核心部分には到達していませんw


過去記事はこちら
極真空手と少林寺拳法の抗争1(1972年)
極真空手と少林寺拳法の抗争2(1972年)
極真空手と少林寺拳法の抗争3(1972年)
極真空手と少林寺拳法の抗争4(1972年)

 それは新興武道にとってはさして珍しい話では無かった。 中国帰りの中野理男という男が宗道臣と改名し、香川に中国伝来の拳法掲げた団体を立ち上げ暫くの後、自流の優位性を他流と比較する為、その著「秘伝 少林寺拳法」の中で説いた。 それだけの話である。 但し、揶揄された側がそれをどう受け取るかはまた別の話だ。

秘伝少林寺拳法.jpg

 先年、たしか、「文芸春秋」で読んだと記憶しているが、牛と試合をして怪我をしたことで有名なある唐手八段が、拳と手刀を鍛えるために何年も山にこもって修行したと書いていた。 その人は、アメリカへも行って煉瓦を割ったそうだが、U・S・Aの煉瓦は日本製よりだいぶ堅くて困ったとも書いてあった。
 牛を殺す方法は、もっとらくで有効な技術がほかにあるし、煉瓦や瓦は建築に用いてこそその価値があるものであり、それを割ってみせるために何年も修行しなければならないとすれば、おそらく現代人の大部分は、これを習う気がしなくなるであろう。

 この些かの悪意を感じる文面を見た揶揄された側ー大山倍達は激怒した様だ。 大山が有名なのは牛と闘った事であって、怪我した事では無いし、命懸けの修練も挑戦も馬鹿にされたと感じたのだろうか? とに角大山は激怒した。
 大山は元々他流に対してもよく研究していたが、この「秘伝 少林寺拳法」を手に取ったのはどういった偶然だろうか。 大山は自著に空手の沿革史を書くに当たって、参考にすべく中国伝来を称する少林寺拳法の本を入手したのだと考えられる。 この事は自著に参考文献として同書が上がっている事からも伺えよう。 腹に据えかねても参考文献として名を挙げているのは大山本来の律儀さ故、か。
 
 さておき、大山倍達は著者の宗道臣に対して直接抗議する事は無かった様だが、それでも折りに触れて反論していた。 本での批判は本で返すという事だったのかも知れない。 例えば1968年には極真会館の機関誌「近代カラテ」でこの様に書いている。

 牛との対戦の実積も色々とイチャモンをつけるものはあっても高く評価されていた。
 私は言いたい、牛の角を折ったり、たおす事に色々言うのなら、同じ事をした上で始めていう資格があり、それから物事ははじまるのだと。 負け犬の遠吠えよのうに、かげでものを言う者に真の力があったためしはない。 事実、言う者の中で山羊の角一本でも折ろうとして見たものがあっただろうか。

 また、翌年の第1回全日本空手道選手権大会前にはこの様に言っていた。

日刊スポーツ1969.jpg
(日刊スポーツ 1969年 9/12)

…「いつまでも古い殻の中に閉じこもっていては空手の進歩はない。 私は牛のツノを何本もたたき折った。 それを批判するなら、それと同じことをやってから批判したらどうだ。 ”出るクイは打たれる” それを覚悟の上で、この大会をやるのだ。 結果を見てもらいたい」
(日刊スポーツ 1969年 9/12)

 70年に秋田書店から出版された「空手教室」では更に踏み込んでいる。

少林寺の拳法
 最近、日本で、「少林寺拳法(四国)」とか、「少林寺○○流空手」と名のる人々が多いのですが、これは本当の、中国の、少林寺拳法でしょうか。

空手教室.jpg

(中略)
 中国では、日本製少林寺拳法のように、両手を合せておがむようなことはしません。 また中国では拳法を行なうときに、僧衣を着るようなことはしません。 仏門の修行と拳法の修行は切りはなしています。

 一連の大山発言に対し、当の少林寺拳法側はというとー特に反応しなかった。 目に止まらなかったのか、それとも自分たちに対するメッセージであるという事を認識していなかったのか。 すでに10万人以上の会員を抱える大組織が反応する事も無かったのか。 いずれにせよこの時は大山の独り相撲となってしまった感がある。

 一方、少林寺拳法は激動の時代の中で燃えていた。
 1968年、東大医学部のインターン闘争に端を発した大学紛争が全国に拡大する。 各地の大学に部を抱える少林寺拳法の管長、宗道臣はこの熱に煽られたのか、70年の年頭に一つの声明を出す。

 「振りかかる火の粉をはらうだけでなく、自分の良心が許すなら、同志をも結集して、近所の火事を消しに行こうではありませんか」

宗道臣1950.jpg
1950年頃の宗道臣

 元々62年より始まった香川の総本山での大学生による本部合宿等を通じて結束が固かった少林寺拳法の修業者たちは、68年に入ると団体行動訓練も始まり、集団としての結束が益々高まっていった。 当時の講習資料の中には「集団行動の要領」というテキストが存在するほどだ。 こうして規律の守られた少林寺拳法は、この宗の発言により「行動する少林寺拳法」として活発化して行く。

 68年5月、大阪大学の岡田実学長は全学闘争委員会の学生に吊し上げられていたところを同大学の少林寺拳法部監督だった武内章臣が救出し、東海大学では学生らが大学を封鎖しようとするのを少林寺拳法部員が阻止。 逆に山梨学院大学では全共闘と部員が協力し警官と乱闘を繰り広げている。
 69年に入ると少林寺拳法連盟本部と全日本学生連盟の間で協議し、学園紛争に関する実態調査を行うといった風に、時代に積極的に参加する意図も覗かせている。 こういった流れで70年の宗の発言が出て来た訳である。
 そして、70年1月、70年代の少林寺拳法を象徴する事件ー「阪南大学事件」が起こる。
 事件の発端は69年末、大阪ミナミで大阪商業大学の応援団員が阪南大学詩吟部員に言い掛かりを付け、それを見た同大学の少林寺拳法部員が注意した事だったいう。 年が明けると、刺身包丁等の凶器を持った大阪商業大学応援団員14名は、阪南大学の詩吟部に殴り込みを掛けたが同部員が不在だった為、練習中だった少林寺拳法部員に刃物を突き付けた。 それを止めようとした同大学の重久正蔵を刺し、重傷を負わせて逃亡した。 加害者はすぐに逮捕されたが、少林寺拳法側は大阪商業大学に対して怒りの抗議行動を開始する。

阪南大生ら千人
 大阪商大を包囲

  なぐり込み抗議、他校生を応援

 【東大阪】 さる二十四日、東大阪市御厨二八三、大阪 商業 大学(谷岡登学長、約五千人)の応援団になぐり込みをかけられ、学友界執行委員長ら九人の負傷者を出した松原市 天美東 五、阪南 大学(和田豊二学長、千五百人)の少林寺拳法部員が三十日午後、京阪神各大学の少林寺拳法部員約千人といっしょに大阪商業大学に抗議に押しかけた。
 学校の周囲を取り巻いて、両校代表の話し合いを見守るものものしさに、布施署の警官二十五人が衝突を警戒して待機。 トラブルは避けられたが、通りがかった買い物帰りの主婦は「この前の仕返しですか。 ヤクザみたいだ」と不安そうだった。
 阪南大の拳法部(佐々木均部長三十八人)が抗議に押しかけたのは午後零時三十分ごろ。 事前に連絡を受けていたのか、関西学生少林寺拳法連盟(二十一校、千六百人)加入の各大学からぞくぞく応援がつめかけ、正門前で道路をはさみ、約三百メートルの人がきをつくり、周辺にも十人前後のパトロール隊を出すなど完全に包囲した格好。
 阪南大少林寺拳法顧問 三輪禎夫教授が立ち会い美田雅章同部監督、部員、連盟の計八人が、図書館の集会室で大商大の菊井弘学生部長に]¬舛房婪瓩擦茘学生の処分をはっきりせよ、などを申し入れた。 菊井部長は「事件直後の二十六日に応援団を解散、なぐり込んだ十四人のうち四人を退学、十人を三か月以上の停学処分にした。 謝罪についてはあらためて回答したい」と答えた。
 話し合い約一時間。 この間、学校を取り巻いた学生たちは人がきを乱すことなく直立不動。 ほとんどがラッパズボンの学生服姿で先輩がかけつけると、大声で「オッス」のあいさつ。 三十一日から入学試験がはじまるので、大商大の学生は登校していなかったが、試験場の下見にきた約十人の受験生は複雑な表情。 付き添いの母親が「何かあったのですか」と不安げに職員に話しかけていた。
(読売新聞 1970年 1/31)
 
読売新聞19700131.jpg

 少林寺拳法側の補足によれば大学の部員のみならず、道院(空手で言うところの道場)からも応援が来て合計で1200人ほどに達したという。 この抗議行動に対しては少林寺拳法内部からも異論が上がり、止める様にと本部へ電話が行ったが、宗自身が説き伏せたという。 つまりこれは本部容認の組織行動だった。 当事者の1人である阪南大の顧問、三輪は阪南大から応援を求めてはいない、事故があったら止めるつもりで同行したと前述の記事で語っている。 以後、少林寺拳法の動員力は他流にとっての脅威となった。

 この阪南大学事件に駆け付けた高校生の1人ー後に第十代全日本学生委連盟、第十三代関東学生連盟委員長を務める事になる中西準一はその時の様子をこう書いている。

 『阪南大学に大商大の応援団殴り込む』の見出しです。 記事を読んでみると、
 〔少林寺拳法部の部員…………〕
 「ナニィー!!」 これには逆上しました。
 「くそーっ、おれたちの同志を!!」
 夜のケイコ時に、先生から、
 「うん、○日に抗議に行くから、行ける者はー」との説明です。
 「よーし! やっつけてしまえ」
(中略)
 近辺には、六尺棒や木刀を持った拳士たちが、どんどん増えてきます。 私鉄に乗り換える駅や電車の中も、武装した拳士で一杯で、みなヤル気なのです。
(中略)
 大商大の近くの駅前は、すでに少林寺の道院、学生の拳士だらけとなっていました。 ライトバン一杯の木刀や棒も準備され、片や、
 「オス! オス!」の学生拳士たち。
(中略)
 とうとう大商大の前にズラ、ズラーッと居並ぶ千数百名の拳士たち。
 「オス! オス!」と怒号ともつかぬ声を張りあげて、合掌礼などしない学生も目につきます。
 そして独特の「長ラン」姿ーいわゆる「学生ヤクザ」の大集団と化し、みなイザとなれば突っ込む覚悟です。
 それでも正直、感動しました。
 〈こんなに多くの同志たちが……〉
(中略)
 しばらくすると、中山先生が事情をつかんだらしく、みなに、
 「おう! 終わりや! 帰ろ、帰ろ!」
 「えっ?」
 一同、何が何だかわかりません。
 藤本先生が事情を確かめにすっとんで行きます。
 そしてみんなのところへ帰って来るや、
 「一応話はついた。 謝罪したらしい」
 「ふーん」
 「…………」
 あっけない幕切れです。
 全員、気が抜けてしまい、
 「ほな帰ろ」
 「…………」
 帰りの電車の中で、
 「けど、やっぱり少林寺やなぁ。 あんなに大勢の同志がおるんやでぇ」
 この点はみな素直に感動していたのです。

 翌日の新聞の一文に『まるでヤクザの集団……』とありましたが、当たり前かもしれません。 はた目には、「学生ヤクザの大集団そのもの」だったのですから……。

 こうして「行動する少林寺拳法」として大きな勝利を得た少林寺拳法は、この頃から反少林寺拳法派に対して過敏に反応して行く事になる。


 という事で、「極真空手VS少林寺拳法」の連載を開始しました。 今回はまだ前史という事で、こんな感じの記事になりましたが、如何でしたか? こういう文章を書くと、偶に真樹日佐夫先生が降臨して来る時があります。 何か「あーここは真樹先生っぽいなー」とか思っちゃうんですよね。
 軽く時代背景から始めようと思い、プロローグを書いたのですが、面白いかどうかは保証しません。 到達したオチに納得戴けるかどうかも分かりませんしねw
 しかしこの少林寺拳法の組織の固さは脅威ですね。 芦原英幸先生が感心するのも頷けます。 …個人的には好きじゃないやり口ですがw
 個人的にですが、宗道臣先生の言う「瓦や煉瓦は割るもんじゃ無いし、牛は別の手段で殺せば楽」は、あまり当を得た発言じゃないと思うんですよね。 人の力では不可能と思われる事を成すから人々に感銘を与えられるものだと思いますし。 まぁ、大山倍達総裁の反論も少しずれてる気がしないでも無いですがw

 そう言えば「集団戦闘術」がカリキュラムとして存在する武術、格闘技ってあるんですかね? ここまで行くと闘技の領域じゃなくて、軍隊になるのかな…。 対複数の技術なんかはありますけど、複数で1人乃至複数と対する技術って基本技術として見た事がありません。 昔大道塾だったかな、スポーツチャンバラで集団戦をやっているのをテレビで見た記憶がありますが、集団戦の技術として確立した様な話は聞いてません。 危険度が高いので、ポイント制以外の選択肢は取れなさそうですが、武としてはアリなのかなーとも思いますw
 ちょっとまだ連続で掲載するのか迷っていますので、次回は別のネタになるかも知れませんが悪しからず。
 それでは、また。

参考文献:
秘伝 少林寺拳法 宗道臣著 光文社 1963年
ダイナミック空手 大山倍達著 日貿出版社 1967年
近代カラテ 1968年6月号 近代カラテ研究所 1968年
日刊スポーツ 日刊スポーツ新聞社 1969年
読売新聞 読売新聞社 1970年
空手教室 大山倍達著 秋田書店 1970年
実録・少林寺修行記 第一部・祖国愛に燃えて 中西準一著 竹内書店新社 1993年
少林寺拳法五十年史 第一部 正史 『少林寺拳法五十年史』刊行委員会編 財団法人 少林寺拳法連盟 1997年







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コメント
知られざる海外遠征のマス大山が本ブログの第一のピークだとすれば、少林寺との関係は第二のピークですね。

また前章として昭和の時代の体育会系の雰囲気を記録されているのも貴重です。
いまの若い人、信じられないだろうなあ。

おっさん、この時代の極真は全く未知の世界ですから、更新楽しみにしています!
  • のぶさん
  • 2011/05/18 8:42 PM
おお!始まりましたか!

最初真樹先生が書かれてた時は他流派の空手の事だと思ってましたね。
そうではなくて少林寺の事だと解ったのは某掲示板でしたw。

その少林寺側のボス格が胴体力の先生だったというのは本当ですかね?
これからの展開が楽しみです。
  • サミ
  • 2011/05/19 1:28 AM
なるほど
いろいろやっていたのですね。
宗教団体が過激な行動を取って大きくなっていく時期に似ています。
事実 宗教法人だった時期もありますし。

総裁の「山羊の角くらい折ってみろ!」という的外れ?な反論は好きですw。

70年代当時は少林寺拳法は嫌いでしたし
対抗心もむき出しでしたが
80年代には
少林寺拳法から離れて
田中館長や杉原館長が大会に挑戦されたり
90年代には
少林寺拳法出身の谷川選手が大会で活躍したりして

おかげで少林寺拳法へのイメージもだいぶ変わりました。

マークを変えたりいろいろ大変なのかな
と逆に心配になったりしますw。

あらためて思うのですが
なんで宗氏はあんなこと書いたのでしょうか?。
ただの対抗心でしょうか?。

「極真は禁じ手(大会ルールのこと)があるが本当の武道には禁じ手はないのだ」
と言われて顔をぶん殴って
よく喧嘩になったのが懐かしいですw。
  • もん爺
  • 2011/05/19 2:08 PM
まぁ後日談ですが、少林寺拳法は芦原英幸に痛い目にあわされてるんですよね。
  • やいや
  • 2011/05/19 5:24 PM
>のぶさん
前史から書かないと時代の空気が伝わらないかなぁと思いましてw
本当なら全学連とかテロが勃発する世の中で身体を鍛えようと思う若者が多かった、というのも入れた方が良いのかも知れませんが、その辺はもう割愛しました。

>サミさん
まぁ、オチは連載の中で書きますが、実は被害云々で言えば大した話じゃないんですw

>もん爺さん
私も大山総裁の返し文句は勢いがあって好きですw というか、あんな台詞、角を折った人にしか言えませんしね。 割とこのフレーズを使い回している事を考えると、大山総裁も気に入っていたんでしょうね。

少林寺拳法から極真に移籍した人は結構いますが、一番結果を残したのは松井館長ですかね。

宗先生がどういうつもりで揶揄したのかは分かりませんが、新興武道が他流を貶めて自流を持ち上げるのは、別に珍しい話では無いですねぇ。 多分その程度だったんじゃないかとw

>やいやさん
芦原先生の後日談は不明な点も多いので、どうしようかなぁと考えてます。
この話は風聞が多いのでw
  • Leo
  • 2011/05/19 10:26 PM
はじめまして、加藤と申します。

面白くて一気に4時間かけ全部読ませてもらいました。
  • 加藤
  • 2011/05/20 7:49 PM
>加藤さん
あぁ、これはどうも。
全部で4時間掛かりましたかw
当ブログはテキスト多いですからねぇ…。
  • Leo
  • 2011/05/21 3:59 PM
いや、おもしろいですね。
時折2chの武道板なんかで少林寺くんが、極真に勝ったとか土下座させたとか書いてますが、ウソだと思ってました。まんざらウソでもないというか、本格的に組織的に対立した時期があったのですね。
少林寺がいくら組手をやらない●●武道とはいっても、数千人も押し掛けられてきたら、恐いですよね。
剛柔の息吹で検索で引っかかってきたので、このサイト読んだんですが、文章がおもしろいですね。なかなかやる。大山倍達のウソ経歴とかはいくら繰り返し書かれても信じませんが、文章や切り口がおもしろいので、極真に限らず、いろいろな武道の昔話などを紹介していただけたら楽しいです。
  • 松田
  • 2012/05/18 4:17 AM
>松田さん
ありがとうございます。
ウチは検証をした上で個々の判断を皆さんに任せていますので、大山総裁の経歴を信じる信じないは勝手ですが、聞く耳くらいは持っておいて下さい。 そういうブログですしw
まぁ、検証以外の所では通説に従っていますけどね。
基本は極真関係の記事ですが、のんべんだらりと他の武道家についても取り上げては行きますので、気長にお待ち下さい。
  • Leo
  • 2012/05/19 10:30 PM
上のコメント若干訂正させていただきます。
極真と少林寺の抗争はこっちには関係ないので、おもしろいとか無責任なことを書いたんですが、他の記事も読むと、多少はこちらが知っていることだと、明らかなウソや事実誤認もあるようですし、肯定的ととれるコメントを書いたのは早計でした。
最近の2ch極真ファンは、昔のように単純にウソを並べるのではなく、怪しげな古い写真を小さく掲げて考証風にしてみたり、その実中身は相変わらずといった風に、手口がより巧妙になっていますが、このサイトにもその傾向が顕著で、こういう考証風小説は単純なウソの羅列よりもけっしてタチがよいとは言えませんね。
  • 松田
  • 2012/05/26 4:15 AM
>松田さん
そうですねぇ。
手口が巧妙でタチの悪いサイトですので、関わらない方が良いかと思いますよw

ちなみに画像の方は全部縦横400px以内で統一してます。
  • Leo
  • 2012/05/26 10:24 PM
総裁を何度かお見かけした(ただそれだけ)者として、興味深いサイトです。
ところで、
谷口光昭氏の「少林寺はニセモノだ!」の全コピー(「現代カラテマガジン」未掲載分も含め)持ってませんか?貴重な武道史資料です。
持ってましたら全面掲載をお願いします。
  • 谷川
  • 2012/07/06 11:03 PM
>谷川さん
本シリーズの第2回に書いた通り、調べていません。
シリーズの主旨が真贋の是非でも糾弾でも無かったので、特に入手する予定もありませんでしたし。

国会図書館の新聞コピーは、1度に5回までだったと思いますので、全部入手するとなると5回申し込まないといけないんですよねぇ。

  • Leo
  • 2012/07/07 1:56 PM
芦原英幸が大山館長の指示を受けて少林寺拳法に対して行動を起こしたという話と、実際本部と道院に乗り込んだときの話を少林寺拳法の先生に聞いたことがあります。
  • やいや
  • 2012/08/08 2:48 PM
>やいやさん
添野先生がコメントしている話ですね。
詳しく知っている訳でも無いので、書きませんでしたが。
  • Leo
  • 2012/08/11 1:34 AM
芦原英幸と少林寺拳法については少林寺の強豪vs芦原英幸というのがあって、少林寺側の方が話した内容で面白い話があるのですが、色々あって詳しく説明できないのが残念無念です。いやー芦原英幸すごいです。
  • やいや
  • 2013/08/27 3:29 AM
>やいやさん

まぁ、割とオープンに書いてるウチのブログでも、書けない事はありますからねw
たまにコメント欄で書く事もありますが、それでもマズイ話は書きませんw
  • Leo
  • 2013/08/28 3:43 PM
スパーリングとサンドバッグ、ミット打ちをすれば杉原さんのように極真全日本で5位以内に入れるでしょう。
  • 3年間だけ少林寺拳法(多度津)
  • 2015/12/28 9:41 AM
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